4.香港
(1)香港へ 食後真っ直ぐ駅へ歩く。日差しが強い。シンセンの日差しは香港に比べて何故こんなに強いのか??海がなく、風が吹かないからであろうか。兎に角僅か数百メートルを歩くのに汗びっしょりとなる。駅前は昔と比べて格段にすっきりしている。地下鉄が出来ているので、途中で地下に潜り、何とか日差しを防いだ。 イミグレは相変わらずスムーズで直ぐに香港側へ。私は3ヶ月前まで香港に住んでいたのでIDカードを持っている。既に退去しているが果たして香港居民として扱われるのか??それともビジターの列に並ぶべきか??結局香港居民の窓口にIDカードを差し出すと何と問題もなく通ってしまった。私は未だに香港居民なのだ。もう一度香港居民に戻りたいな、と強く思う。その夢は叶えられるのであろうか?? KCRでもいつもと同様ファーストクラスに乗る。他のところでファーストクラスに乗ることはないので、ここぐらいはいいか??料金は500円のところが1000円になる程度。どんな日のどんな時間でも普通車両は混んでいるので、1両しかないファーストは実にありがたい。以前KCRは羅湖―ホンハムであったが、最近チムサッツイ東まで駅が伸びた。取り敢えず終点まで乗り、今夜お茶会が開かれる緑與茶芸館に向かう。安心して向かえる場所があるのは何よりありがたい。 香港も暑かった。ネーザンロード付近はかなりヒートアップしていた。大きなザックを背負って歩くのには負担が重い。ようやく目的地に辿り着くとホッとする。中に入るとオーナーの妹がいた。 ちょっとぽっちゃりした彼女の瞳が大きく開かれて、『アレ?』という顔をする。そして歓迎の笑顔になる。これは嬉しい。この店でお茶会を20回ほど開いただろうか。彼女は英語が出来るのでよく連絡係をしてくれていた。PCを借りてネットでメールなどを検索。荷物を置かせてもらい、直ぐに外に出た。私にはまだミッションがあったのである。この店には夜戻ってくることになる。 (2)上環 しかし白茶も予想外に安かった。この店の値段はやはり良心的と思われる。店に入るといつものおばさんが迎えてくれる。何が欲しい、と聞いて来る。白牡丹などと言っている内に今日は大旦那が登場した。『久しぶりだな』という笑顔で椅子を指す。白茶を入れてもらうと、これがなかなか良い。色は薄いが味がしっかりしている。うーん。これで100g 1000円もしない。ついでに自分の分も仕入れる。鉄観音の高級な茶も出してもらう。これまでは近所のオッサンとして来ていたのが、今日はお客さん扱いだ。 地球の歩き方にも掲載されているこの店には日本人女性が多く訪れる。我々がお茶を飲んでいると丁度やって来た。座って一緒に飲まないかと大旦那が誘う。皆一様に遠慮するが、その内一杯だけと言う感じで、座る人が居る。日本人は試飲したら買わないといけないという先入観念を持っている。座った人は最初から何かを買うことに決めている。しかし大旦那が出す様々なお茶に引き寄せられ、思った物より一段上のお茶を買うことになる。それが商売というものであろう。そして私にはそれは難しい。 林奇苑の向かいには尭陽茶行という店がある。台北で発見した店の本店である。ここのおじさんとも仲良しである。今日も何気なく店の前に立つと笑顔で『お茶を飲んでいけ』と言う。ここのお茶は焙煎が効いた鉄観音で、日本で言えばほうじ茶の様相がある。決して高級なイメージはないが、胃に優しい、老人向けのお茶である。この種のお茶が好きな人にはとても好評である。何しろ値段が安い。創業50年、福建省から出て来る前を入れれば100年は経っているとかで、かなりレトロなパッケージを使っており、それが又日本人には好評なのである。 もう一つ好評なのが茶器。何しろ安い。急須は1つ50ドル前後。工夫茶のセットは4つの茶杯が付いても50ドルしない。昔福建省で安く作った物ばかりだと言うが、それが又ちょっとレトロでいい感じなのである。台北のこぎれいない店と香港の茶問屋の天井の高い、奥行きが深い店とでは深さに雲泥の差がある。気が付くと既に6時。この店の閉店時間である。礼を言って店を出る。急いでチムサッツイへ戻る。 (3)お茶会 香港歴史散歩の会で幹事を引き継いでくれたMさんにも声をかけてもらった為、普段お茶会と縁のない人も来てくれた。これもまた嬉しい。歴史散歩の会は『香港に歴史はあるのか?』をテーマに、駐在していてもなかなか行く機会のない、真の香港を訪ねようと言う企画。最初は私一人で始め、徐々に賛同者が増え、現幹事の熱心さと美人講師Kさんの多大なるお陰を持って毎回多数の参加者が集う会にまで発展している。 このお茶会はそのもの中国茶のプロHさんが香港に来た際、Oさん、Tさんと4人でこの場所でお茶を飲んだのがきっかけで始まったもの。OさんとTさんはこの茶芸館主宰のお茶教室に参加していたのが縁。因みにOさん、Tさんともにアジアンポップスの大ファンであり、そちら方面では既にうちの家内とは繋がりを持っていた。やはり世間は狭い、そして悪いことは出来ない。 2週に一度木曜日の夜に開催しており、定着した。当初はフランス人がやって来て、英語で会が進行されると言うような異常事態もあったが、現在は日本人、または日本語の出来る人が参加している。参加者も多彩で毎回楽しい話が出る。また驚くほど色々な情報が集まる。この会のお陰で香港生活をエンジョイできたとも言える。 この会がそれなりの参加者を集められたのは、先ず費用が手頃であることが上げられる。この茶芸館、結構な費用が掛っているはずなのにお茶も食事も安い。1回当たり平均一人100ドル程度。これなら夕飯食べるのと変わらない。しかも場所が便利。当初はこの茶芸館を何とか盛り立てようとお茶会を企画した側面もあったのだが、どうやらオーナーはお金持ちの道楽でやっている様子。宣伝すると返って煩くなるとの指摘でひっそりとやっている。 また会の方針を『誰でもいつでも参加可』として、日本人的な会の雰囲気を出来るだけ排除した。事前に出欠を確認し、7時集合と言えば、きっちり時間を守ろうとする日本人。疲れを取る為の企画に返って疲れてしまう日本人、そういうことは辞めようと言うのが主旨。お陰で毎回誰が来る、何人来るというのが分からず、席が足りなくなることもあったし、殆ど誰もこないこともあった。それはそれでいいじゃないか、というのが自分では良いと思っていた。 茶芸館では台湾茶、大陸の鉄観音、岩茶、プーアールなど各種揃えており、その時々の幹事の気分でお茶を選んで勝手に飲むスタイルをとっている。人数が多いと入れ方も難しい。均等に行き渡るとも限らない。正規のお茶会であれば許されないことも皆さんの寛容な精神で進行して行く。オーナー夫人が台湾人と言うこともあり、台湾の小皿料理が並ぶ。これをつまみながらお茶を頂くのである。特にここの魯肉飯は絶品であり、台湾の良い味を再現している。今夜も〆に大量に頼んで、厨房をてんてこ舞いさせている。 元うちの会社の社員であった香港人Aさんもやって来た。彼女とは私の1回目の香港赴任時に一緒に働いたのだが、その後退職して日本に留学。現在は別の日系で働いている。雰囲気は日本人女性にしか見えない。日本語も上達している。偶然再会し、お茶会に参加してくれ、今ではここでお茶を習っている。これも『茶縁』であろうか。因みにここのお茶教室は広東語で行われる。彼女にとっては問題ないが、日本人にはチトきつい。 何とも楽しい夜を過ごすことが出来た。時間は既に10時を回り、解散する時間となったが、何とも名残惜しい。尚この茶芸館は家賃高騰で退去し、現在まで開かれていない。お茶会も茶芸館再開待ちでお休み状態である。(2006年7月29日に茶芸館は再開、お茶会も再開される予定) その夜はタクシーで以前私が住んでいたフラットへ。そこには私の業務上の後任Uさんが独りで住んでいたので、泊めて貰った。決してホテル代をケチったのではなく、どうなっているか見に行ったのである。ここから眺めるビクトリアハーバーの夜景は健在であった。4年もの間、自分は随分と贅沢な暮らしをしてきたのだと言うことが実感できた。今の東京の生活と比べて全てが伸びやかである。 7月20日(水) 上環までMTR、そして階段を上がるとハリウッドロードに出る。この辺りで朝9時から開いているお茶屋はここしかない。店をやっている人の誠実さが伝わる。お客が来ても来なくても、毎日全く同じスタイルで仕事をする。平凡のようで大切な営みに映る。行くとおばさんが笑顔で迎えてくれる。お互いの近況もそこそこにお茶を飲み始める。6月に出来たばかりの鉄観音春茶はなかなかいける。ここのおじさんの絶妙の焙煎技術に支えられて、支持するお客は多い。 店内に置いてある茶器は少しずつ変えている。お客に飽きられない最低限の対応はしている。しかしこの店は茶器を売ろうという気はない。それが証拠にシンセンから仕入れてきて、殆ど変わらない値段で売っている。これでは儲けが無いだろうが、これも顧客サービスと考えている節がある。茶器はおじさんと息子が荷物を担いで国境を越えている。費用の節約を行い、顧客に還元する、これは目指すべき商売の姿かもしれない。 何だかんだと話していると2時間ほど過ぎてしまった。この店にいると簡単に時間が経ってしまう。とてもリラックスできる。日本にこんな店が欲しい。精神衛生上どうしても必要な場所である。日本人は一般に自分の好きな場所を持っていないのでは??いや、持っていても、その場所で過ごす時間がない。 5.マカオ2 マカオに泊る事はあまり無かったので、どこに泊るべきか悩む。そして歴史的な建物として、セナド広場の直ぐ近くにある新中央飯店を選ぶ。中央飯店は第二次大戦中、戦争を避けて逃れてきた金持ちの中国人、ヨーロッパ人が宿泊しており、ダンスホールがあり、カジノも2フロアーあったという。外では餓死者が出る中、全くの治外法権状態で、世の中と関係ない世界が繰り広げられていた。 そして何と言っても、この物の無い時代に毎晩ステーキを食べていたことは、驚嘆に値する。人々は町の子供が攫われているとして、人肉を食していたと信じていたようだ。実際にそんなことがあったら恐ろしいことではあるが、恐らくは真実なのであろう。 戦後はマカオの凋落の象徴のようにこのホテルも落ちて行き、1999年のマカオ返還時には全くの安ホテルになっていた。よくまだ残っているという感じである。場所は一等地、しかしボロボロの姿を何故晒しているのであろうか??何かの報いとしか思えない。入り口を入るとレトロな雰囲気が漂う。レセプションで値段を聞くと180元とか。一体どんな部屋なのか?10階まで上がる。エレベーターが凄い。今停まっても何の不思議も無い旧式。10階の廊下もあまりにボロボロでビックリ。部屋も内装がボロボロでベットも何とか寝られる程度の清潔さ。これだけ酷い部屋に泊るのは生まれて初めてであろう。 着いて来たおばさんがこの部屋でよいかと聞く。他に部屋は無いのかと聞き返すと、『全て同じだよ、昔とね』と言われてしまう。このおばさんは戦後このホテルの全てを見てきたのかもしれない。歴史の生き証人はあまり語らず、出て行ってしまった。何故かこのホテルに泊ることにした。 (2)春雨坊 そんな中でタイパ島に春雨坊という名のお茶屋があるので、行って見る。以前1度行ったときには時間が無くて店をちょっと覗いた程度。2度目はお茶の買出しとかで店が閉まっていた。3度目の正直である。 タイパ島では慣れたミニバスで行く。最初はどこへ行くのか分からなかったこのミニバスもマカオ歴史散歩で使い続けた結果、大体どこへ行くか、どこに行くにはどれが良いか分かる様になっていた。このノウハウを維持できないのが口惜しい。 春雨坊は開いていた。そして1回目と同じようにオーナーと思しきおじさんがいた。店内の雰囲気はまずまずよい。マカオの喧騒を考えれば素晴らしい空間ともいえる。英語も北京語も堪能な人であったが、お茶について2-3質問すると、答えは素っ気無い。写真を撮らせてほしいと言う要請にも全く応じない。 ここはお茶が飲めるスペースがあるので、お茶でも飲んでいきたかったが、どうやら観光客向けの対応しか考えていないらしく、私のような者がいるのは迷惑だという雰囲気が流れる。残念ながら店を去る。やはりマカオにはお茶文化は育たないのだろうか??この店は香港人をターゲットにしているのか、それとも本当に無知な観光客のみを対象としているのか??不思議である。 7月21日(木) 市場の横にマカオで唯一残った龍花楼というレストランがある。前回訪ねた時は午後2時半で既に営業は終了していた。まさに早茶である。店の店員は気軽に写真撮影を許可してくれた。きっと私のようなお客が多いのであろう。慣れた対応であった。 階段を上がると懐かしい空間が広がる。高い天井、大きな扇風機、背もたれのある4人掛けの椅子、テーブルの上には年季の入った茶器。朝は鳥籠を持った老人が大勢い訪れるのであろう。しかし今は午後2時半、席に座ったものの店員は誰もこない。今回こそはと言う思いがあった。しかし思いはなかなか叶わないものである。バスを降りると目の前の建物には竹の足場が築かれていた。何と改装中であった。入り口には『40日間改修』の張り紙がある。残念。 仕方なく辺りを歩く。細い道を入ると屋外で飲茶を楽しんでいる人々がいた。鳥かごも掛けられていた。本当の庶民の朝食風景なのであろう。さすがの私もこの中に分け入り、点心を食べる勇気はない。それ程他者を寄せ付けないコミュニティーが感じられる。 思い直してリスボアホテル近くへ。細い路地を入るとナタ(エッグタルト)で有名なマーガレットカフェがある。朝からちゃんと開いている。店の中は狭いので屋外の椅子に座り、朝食を楽しむ。 ポルトガル領であったマカオはパンが美味い。このカフェのパンもよい。思わず砂糖たっぷりのデニッシュを手にする。コールドレモネードも甘い。ナタも頼んでしまう。朝から甘い物だらけになる。空港に向かう直前であったので、東京へお土産としてナタを買う。持ち運びが不便だが、9日間も留守にしたのだから、仕方が無い。
ホテルをチェックアウトして、タクシーで直ぐに空港へ。この数日間が夢のように過ぎていった。香港駐在を終えて僅か3ヶ月。センチメンタルジャーニーには早過ぎる。まだ生々しい生活感がそこにはあった。これからは毎年1度はこんな旅をしようと思う。
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