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香港・深圳茶旅2023(2)伝統的潮州料理を求めて

宿はハーバー沿いにあり、広い部屋はフルハーバービューという贅沢だった。ただ泊まっている多くが中国人で、ロビーはかなり煩い。まあ今日は到着しただけで儲けもの。だが解決すべきはシムカード、そして電源アダプター(香港の電源が台湾や日本と違うことを忘れていた)。フロントに聞くと『アダプターの貸し出しはありません。イオンに行って買ってください』というではないか。これも中国人観光客対策だろう。でも五つ星ホテルでこのサービスはないだろう。

船の形のイオンの店舗、昔はヤオハン・ジャスコだっただろうか。妙に懐かしい。だがアダプターは見付からない。仕方なくシムを求めて彷徨うことにする。セブンイレブンにあるかもと聞いてみると『あっちに行けばあるよ』とぶっきらぼうに教えてくれる。この辺は中国人観客だらけで、私もその扱いだ。いや、香港は昔からぶっきらぼうだった。

更に歩いて行くと、スマホ修理店を発見。そこで英語で聞いてみるとおじさんが香港シムの登録までしてくれ、難なく開通した。ついでにアダプターもゲット。昔から香港で頼れるのは、街の小店だなと改めて痛感し、同時に嬉しさがこみ上げてくる。スマホで検索できると急に行動できるようになる。

ホンハム市場の前からバスに乗る。今晩は九龍城へ向かう。旧知のYさん、そしてOさんと食事の予定がある。バスはそんなにかからずに九龍城に着き、少し時間があったので、その辺を歩いてみる。4年の間にタイ料理屋がすごく増えたような気がする。この付近は潮州人が多いと聞いているが、バンコクも潮州人が多い街。そんな繋がりからタイ料理が出来ているのだろうか。

我々は伝統的な潮州料理屋で食事をした。それは私がリクエストしたからだ。台湾には伝統的な潮州料理が無いと言われて、では香港で、となった。だが香港でも昔は沢山あった安い潮州料理は姿を消しており、麺屋などが残るだけ。今回は食前に工夫茶が出て来る店を、といったので、九龍城まで来ることになったわけだ。今や工夫茶が出て来るのはそれなりの店だけらしい。

確かにこの店は伝統的で入り口に食材が並び、客がそれを選んで注文する。工夫茶も言わなくてもちゃんと出て来る。料理もなんか懐かしい感じがする。ただ料金だけは昔の数倍になっていた。まあ、香港話や歴史話などで楽しく盛り上がったので、それで良しとしよう。今の香港に昔を求めるのは無理というものだ。

帰りにYさんに地下鉄駅まで送ってもらった。いつの間にか九龍城近くに駅が出来ていたのだ。やはり香港も進んでいる。駅は勿論きれいで、乗客も結構乗っている。距離は近いが一度乗り換えて到着。折角なので、宿の周囲のハーバー、夜景を撮る。部屋からでも十分に見えるのだが、やはり風が心地よい。

5月6日(土)混乱は続く

朝早く目覚めた。カーテンを開けるとハーバーが靄っていた。7時には朝食に行き、かなり食べた。その後ハーバー通りを散歩する。朝は暑くないので、ランニングする人たちもいる。風が何とも気持ちよい。フェリー乗り場の方へ行くと、幼い男の子が進み出た。ああ、懐かしい、土曜日のドネーションだった。思わずコインを入れてシールを張られた。こんなことは昔よくあったが、今もあるんだ、と妙に感傷的になる。

宿では本日結婚披露宴があるらしく、ロビーは朝から慌ただしい。外へ出ると結婚用に飾られた高級車が停まっており、若者たちが楽しそうに写真を撮っている。私はそのまま外出して、用事を済ませようとしたが、何とまさかのインコンプリートとなってしまった。土曜日でお客が多かったのかもしれないが、解決の見込みがないことが分かるまで、1時間半も要してしまった。スピードが信条の香港の姿はやはり過去のものと言わざるを得ないだろう。

香港・深圳茶旅2023(1)香港にも実名制で

《香港・深圳茶旅2023》  2023年5月5日-10日

台北に滞在中、ちょっと所用で香港へ行ってみることにした。合わせて深圳にも潜入したいと思っているが、果たしてどうなるのだろうか。

5月5日(金)4年ぶりの香港で

朝台北駅に向かった。香港行のフライトは桃園空港から出る。昔はよくここからバスに乗って桃園へ行ったものだが、最近は羽田-松山を使うことも増え、久しぶりの桃園だった。バスターミナルへ行くと、人が少ない。コロナのせいか、バスがかなり減っているように見える。以前は20分に一本あった空港行きも、30₋40分に一本となっており、かなり待つ羽目になる。途中で気が付いたのだが、空港行MRTが出来ており、そちらに乗る人が多いのだろう。

バスの運転手は相変わらず愛想が無く、運転も丁寧とは言い難い。MRTより安いとはいえ、やはり選ばれないかな。空港まで1時間、第2ターミナルは後なので、さらに時間もかかる。

空港内は静かだった。チェックインカウンターにも人はいない。朝夕はかなりいるらしいが、この時間は荷物検査も並ぶことはない。羽田空港の衝撃を体験した後なので、どこの空港も混雑していると思ってしまうが、実はそうではないと分かる。当然飛行機も空いている。台湾にGWはないが、それにしても乗客は少ない。実にゆったりと過ごす。

香港の空港もそれほど混んでいなかった。荷物も預けておらず、すぐに外へ出た。4年ぶりの香港、まずはシムカードを買おうといつものブースを探したがない。香港移動の店舗は撤退しており、シムはセブンイレブンで買えるという。確かに買えたが、カードを挿入してくれるサービスはない。ただ何か説明書のようなものを手渡された。

続いてオクトパスカードの確認。だがエアポートエクスプレスに乗る観光客で行列が出来ている。取り敢えず機械で照会してみると、やはり使えなくなっている。まあ4年も使っていなので当たり前か。鉄道駅のホームにも切符売場があることを思い出し、そちらへ行くと、すぐに対応してくれ、15ドルの手数料でカードは見事に復活した。

目の前に来たエクスプレスに飛び乗る。ゆっくり座れたのでやれやれと思っているとさっき買ったシムカードが作動していない。慌ててもらった説明書を見てびっくり。何と中国だけでなく、香港にも実名制が導入されていた。急いで車内のWi-Fiを繋ぎ、パスポートのスキャンをしたが、揺れてうまくいかない。それでも何故か『開通』通知が来た。よかったと思っていたが、やはり繋がっていなかった。

九龍駅で列車から降りるとWi-Fiが無くなり、スマホは使えない。ここから予約した宿までどうやって行くか。まさにサバイバル状態となる。昔スマホなどない時代は常にこうしていたのだが、今はスマホ無しではどこへも行けないことを知る。うろ覚えでミニバス乗り場を探す。

キレイな九龍駅と異なり、ミニバス乗り場は地下の暗い所にあった。運転手に確認すると頷いたので乗り込む。料金はオクトパスで払えるからよい。乗客は満員。皆ほぼ地元の人々らしい。次の課題はどこで降りるか。まあ成り行きだ。ネーザンロードなど慣れ親しんだ道を横切り進む。

降りる時、ミニバスは自ら合図をしなければならない。ボタンなどないのだ。私は乗客からどう見えているだろうか、と急に思ってしまった。普通話をここで使うことはあり得ない。英語でも良いが、それもなんか変だな。と言って広東語の発音には自信がない。下手に使うと、『変な中国大陸人』扱いになってしまう。結局降りる客に続いて降りたので、声を発することはなかったが、何とも窮屈な香港になっている。いや、これは自分の勝手な問題だろう。

香港1泊茶旅2019(2)福建茶行で劇的に

結局自力で福建茶行を探して行って見る。看板が出ており場所はすぐに分かった。この店は以前前を通ったことがあるが、中に入る勇気がなかったところだ。今回は調べに必要なので勇気を振り絞って入ってみた。香港のお茶屋さん、一見さんには厳しい所もあるので、かなり緊張していった。奥の方でオーナーがお客さんと茶を飲んでいるのが見えた。

 

そこまで行って普通話で声を掛けた。オーナーより先に、お客の女性が飛び上がった。よく見たら、旧知のKさんではないか。彼女とは3月にも四川の旅を一緒にしている。しかし何でここにいるんだ。彼女の顔にも同じ意味合いが浮かんでいた。聞いてみたら、彼女はお茶関連のイベントで香港に来ており、たまたま香港の友人に連れられて、この店に立ち寄ったというのだ。そんな偶然、あるのだろうか。でもあったのだから驚くわけだ。

 

私はこの機会を十分に活用した。オーナーは日本女性が来ており上機嫌だったので、私に対してもとても優しかった。こちらは聞きたいことをどんどん質問した。Kさんはさぞや目を白黒させていたことだろう。Kさんたちは次の予定があると言って、お茶を買ってスッと去っていった。僅か20分ぐらいの出来事だった。

 

オーナーの楊さん(2代目)は上機嫌で、その後もお茶を淹れてくれ、色々な話をしてくれた。私自身の確認事項は張源美と福建茶行の関連だったが、どうやらさほど関係なく経営されていたらしいことが分かる。そして今に至るまで、東南アジアへの輸出は続けている。古い茶箱が歴史を物語っている。これから上環に来たら、この店にも寄ることにしよう。これもみな、Kさんとの出会いのお陰だろう。

 

ホンハムで
またMTRに乗ってTSTで降りる。そこからホンハムまで、ダラダラ歩いて向かう。今晩は久しぶりにIさんと会うことになっていたが、なんと彼は広州出張からちょうど戻ってくるところで、待ち合わせ場所はホンハム駅になった。広州からの直通列車に乗ってくるという。

 

駅で待っているとIさんが出てきたので、Iさんが知っているという駅近くの串焼き屋に向かった。ところがそこは大流行りで、待っている人々が沢山いた。まあ、金曜日の夜だし、日本食ブームの影響もあるのかもしれない。我々は近所の海南チキンライス屋に入り、なぜかハート形のライスの付いた、海南チキンを食べる。これもまた一興。

 

Iさんは旅行会社を経営しており、鉄道(乗り物)オタクでもあるので、旅関連の人として認識してきた。ところが今日話してみて意外な事実が分かった。彼は学生時代、中国現代文学を学んでおり、私は上海に留学した頃、すでに北京に留学していたらしい。学生時代、殆ど勉強しなかった私だが、強烈な印象を受けたのが中国人作家の劉賓雁だった。彼はその辺の作家を真面目に学んでいたというのだ。まさかこの話題でお互い理解できる、盛り上がれるとは思ってもいなかった。相当の驚きである。

 

食堂が寒すぎて、そこを出て、その昔ヤオハンがあった舟形のショッピングセンターまで歩いた。今はイオンなのだろうか。懐かしいというか、何というか。海まで出て夜景を眺める。知らないうちにこの辺にもMTRの駅が出来ており、それに乗って帰る。便利なったんだな、とちょっと寂しい。

 

5月25日(土)
深圳へ

狭いながらもよく眠れた。翌朝は10時前にサムスイポーへ向かった。昨晩買えなかった、中国用シムカードを購入するためだった。これがないと中国で生きていけないから必須だ。帰りにうまそうにご飯を食べている人がいたので、道端で朝食をとる。インスタント麺にソーセージと目玉焼きを入れる。やはりこの辺はジャンクだが安い。悪くない。

 

ホテルをチェックアウトして、太子駅付近で銀行を探したが私の用事がある所はATMしかなく、九龍塘まで出て、ショッピングモール内の銀行で用事を済ませた。何とパスポートが切れてから手続きをしていなかったので、カード使用が止められており、新しいカードが発行された。

 

そこから昔なじみのMTR東線で、深圳を目指した。偶には良いかと一等車に乗る。意外と混んでいて驚く。むしろ普通車の方がよかっただろうか。料金も昔に比べて結構高くなっていた。深圳のイミグレはいつものように混んではいたが、それほど待たずに境は越えた。さて果たしてこれからどうなるのだろうか。

香港1泊茶旅2019(1)上環で下調べも

《香港1泊茶旅2019》  2019年5月24-25日

とても久しぶりに広東省の潮州に行くことになっていた。同行してくれるのは広州在住の張さんだったので、当然潮州の現地集合だと思っていたところ、何となく広州に来て欲しい、という雰囲気が漂う。まあ、それでも良いので、広州に行くことにしたが、ちょうど気になる茶荘が香港にあったので、まずそちらを目指す。香港は先月も訪問していたので何と2か月連続。こんなことは滅多にない。まあ1泊のショートトリップ。

 

5月24日(金)
中華航空で

香港へ行くため、桃園空港に向かう。いつものバスに乗る。今日のフライトは中華航空。中華に乗るのは何十年ぶりではないだろうか。基本的に日本線はスターアライアンスかLCCに乗るので中華の選択肢はなかった。何となく料金が高い、イメージがよくないというのもあったかもしれない。だが今回香港片道で検索したところ、一番安くて時間的に便利だったのが中華だったことは意外だった。

 

桃園空港の到着が意外と早く、搭乗まで時間があった。どこで時間を潰そうかと考えたが、取り敢えず搭乗口付近まで行こうと歩いていると、初めて見る空間に遭遇する。そこはラウンジのようにも見るが、誰もが使える無料の空間であり、知られていないのか、ほぼ人がいない。薄暗いところにテーブルがあり、充電も可能と理想的な環境。おかげで落ち着いて旅日記を書くことができ、満足。

 

中華の機内は当たり前だが、きれいで、映画を見ることもでき、美味しいとは言えないが機内食もチャンと出てくる。機内誌を見ると、何と紅茶関連の歴史を記した記事まで出ており、嬉しくなる。これでLCCより料金が安いとはどういうことだろうか。最近LCCの香港エクスプレスをキャセイが買収したとのニュースを見たが、そういうことが影響しているのだろうか。いずれにしても、有難い話だ。

 

1時間半のフライトで香港空港に着く。イミグレは簡単に通過。LCCではないので、キャリーバッグを預けずに済んでおり(LCCは重量制限が厳しく荷物を預けるが、香港空港の荷物待ちは非常に時間がかかる)、そのまま外へ出られるのもとても有り難い。先月来た時に買ったシムカードが使えるかを確認。50ドルのチャージで使えると分かり、チャージする。このシムの仕組み、初めて分かった。半年でシム自体は失効する。

 

先月はバスで黄大仙に向かったが、今回の宿は太子なので、TST行バスに乗る。さすがにTST行きは利用客が多く混んでおり、久しぶりに2階席に座る。40分ほどで最寄りのバス停で降りる。そこは広東省各都市行きのバスが出発するところで、大勢の人が荷物を持って待っていた。私も明日の広東行き、ここからバスに乗れば楽だな、と思ってしまう。

 

太子で
小雨の降る中、歩いてホテルへ向かう。この付近は、繊維問屋などが多く見られ、随分と昔の香港の雰囲気が残っている。ただそこで働いている労働者は、バングラ、パキスタン系、中東系など、とても香港の路上を歩いているようには見えない。いやこれが今の香港の現状をよく表している一つの光景だろう。

 

歩いて何とか、予約したホテルに着いた。先月はサムスイポーのドミトリーに泊まったが、今回検索してみると、そこの料金は倍以上に跳ね上がっており、それならば、と別のホテルの個室を予約した。そこはロビーもあり、フロントは英語を使い、きちんとしていたが、部屋は非常に小さく、殆どがベッドで占められていた。辛うじて窓から外は見えた。一応隣にバスルームもあったが、シャワーを浴びても体を捻ることが出来ず、体を洗うのには相当苦労した。

 

狭い部屋に居ても仕方がないので、取り敢えず外へ出た。MTR太子駅まで歩いていく。途中に飲茶屋があったので、フラッと入り粥を注文した。ついでに茶も頼んでみた。出てきたのはかなり焙煎の効いた水仙か。一体茶代はいくらだろうかと思っていたが、何と僅か3ドルだった。今もこんなところがあるんだなと感心する。これぞ本当の香港飲茶だ。

 

上環で
MTRで上環へ出た。今回の香港訪問の目的、それは茶荘を一つ訪ねることだけだった。だが初めての店は敷居が高い。まずは周辺情報を集めようと、茶縁坊の高さんの所へ行く。彼女も福建省安渓出身だから、同業者のことは知っていると思っていたが、全く知らないと言われ愕然。まあ高さんの大坪と西坪は同じ安渓と言っても離れているから仕方がないか。因みに高さんは今年の春、珍しく大坪に帰らなかったらしい。ついに張さんの鉄観音茶も見られなくなるのだろうか。

 

次に向かったのは、近くの堯陽茶行。こちらは西坪の出身だから、訪ねる予定の福建茶行を紹介してくれるだろうと思っていったのだが、馴染みの王さんに聞くとなんとこちらも、『あることは知っているが付き合いはない』と寂しい答え。同業者なのに、そんなものなのだろうか。折角なのでオーナーの三代目王さんに『1930年代に厦門から香港にお店を移したと言うが、その後厦門はどうなったのか』などの質問をした。厦門の建物はいまだに残っているとの答えだったので、今度厦門に行って確かめてみよう。

香港で茶旅を語る2019(4)烏溪沙に初めて行く

4月5日(木)
馬鞍山から

香港最終日がやって来た。今朝は宿の周囲を少し散策する。近くには昔ながらの街市、市場があり、老人を中心に常連客が買い物している。それに今日は清明節の祝日にあたり、その老人を連れた子供や孫の姿も見られた。この市場ももし再開発計画でもあればなくなってしまうのかもしれない。今の香港の不動産価格の高さにはそんな危うさが感じられた。

 

荷物を持って駅へ向かう。3日前に来た時の逆を辿って歩く。今日は大圍駅から馬鞍山線に乗り、終点の烏溪沙駅まで行くことになっていた。この路線に乗るのは初めてで、ちょっとワクワクする。石硤尾から乗り、九龍塘ですぐに東鉄線に乗り換え、大圍でまたすぐ乗り換え。乗り継ぎは細かいが、距離的には凄く近くて驚く。また休日なので車両は空いている。結局約束の時間より20分も早く着いてしまう。烏溪沙駅は今のところ、この線の終点だが、今後西貢まで延長される可能性もあるのだとか。

 

そもそも私が住んでいた10数年前は、この駅すらなかったはずだから、香港は常に進化している。そしてこの駅付近が開発され、立派なマンションが駅に張り付いて建っている。私は30年以上香港に関わってきたが、こんなところがあるとは全く知らなかった。『香港は狭いので大体は分かる』などとはとても言えない。むしろ私は香港の何を知っているのだろうかと自問したくなってしまった。

 

ここには大学の後輩Kさんが住んでいた。烏溪沙は始発駅で、混雑もそれほどでもないので通勤には便利らしい。今日は清明節で街中は人が多いだろうと、ここで会う約束をしたが、新しい香港に出会えてとても良かった。駅に隣接したショッピングモールで飲茶した。早めの時間だったが、大勢の近隣住民が順番待ちしている。やはり祝日の午前中と言う感じだ。かなり食べたような気もしたが、料金は街中よりは安く感じられる。

 

思ったより早く席に着く。Kさんとは最近香港に来ると毎回必ず会って話しをする。何しろ私の茶旅の深い部分の知識を、言語学的、民俗学的、文化人類学的に埋めてくれる数少ない貴重な人だからだ。今回も昨日の福佬人や嶺南文化などについて、その定義、見解を聞き、また刺激を受けた。香港を含めた華南の歴史をもう少しきちんと知らないといけない、と痛感する。

 

烏溪沙駅から空港行バスが出ているというので、それに乗ろうとしたら、目の前でバスが行ってしまった。それでも20-30分に一本はあるので何とも便利だ。駅の周りを巡って時間を潰す。ちょうど不動産屋の前に広告が出ていたのでチラッと覗いていると、店員のおばさんが出てきて中国語で話し掛けてくる。日本人だと言うと、一生懸命英語を使ってくれる。

 

彼女の話だと、この辺の不動産も値上がりが続いており、それを見込んだ中国人がたくさん買い込んでいるらしい。価格は50-80㎡程度で、700万ー1200万香港ドル辺りが多い。東京はやはり安く感じられるだろうな、と思う。同時に海が見えるとか環境が良いとか言っても、一般日本人には手が出ない価格帯、中国からの資金流入の激しさを感じざるを得ない。

 

バスは乗った時は空いていたが、馬鞍山市内を回り、更には沙田市内にも寄り、乗客はどんどん増えていく。そして思ったよりもかなり時間が掛かっていた。相当に時間に余裕があったので問題はなかったが、香港の場合、料金と時間がほぼ並行しているので、27ドルという安さを見てみれば納得できる。約1時間半かかって、ようやく空港に到着した。

 

空港でもまだ集合時間に余裕があったので、ずっとPCをいじっていた。意外と集中できた。気が付くと、もう皆が集まっているではないか。今日はこれから昨日のお茶会メンバーの一部と一緒に武夷山に連れて行ってもらうことになっていた。昨日の主催者が茶工場を持っているというので、その見学ツアーだった。

 

厦門航空は週に数便、香港-武夷山直行便を飛ばしている。これに乗ればあっという間に武夷山まで行ける。かなりワクワク、楽しみだ。香港空港にはバスで一度移動する別ターミナル?があることに今回初めて気が付く。やはり色々と進化しているのだ。時間帯が悪いせいか、機内は空いており、ゆったりと過ごせる。武夷山に行くのは3年ぶりだが、果たして今回はどうなるのだろうか?

香港で茶旅を語る2019(3)普通話で茶旅を語る

4月4日(木)
普通話で茶旅を語る

今朝は冬粉とトーストを食べる。これにインスタントコーヒーと言えば、茶餐庁のメニューだろうか。我が4人部屋に何と日本人の若者がいた。彼は地元から香港直行便の第一便に乗ってやってきた。鉄道オタクでもあるようで、これから西九龍から深圳まで繋がった高速鉄道に乗りに行くというのだ。

 

だが中国は全く初めてで言葉も通じない。お金だけは何とかしたいと、スマホを取り出し、微信支付を設定したが、肝心の資金を入れることが出来ないと困っていた。そこで私が通訳して、隣の中国人の若者に入金をお願いしてみた。ところが何度やってもやはり入らない。表示には『この口座は身分証が未登録』と出ている。今中国で外国人が旅するのは本当に難しい。仕方なく彼はその辺に両替に出掛けていった。果たして彼は深圳で目的を達成しただろうか。

 

早めのお昼に出た。旧知の林さんとランチ。指定された地下鉄駅で待ち合わせて、上に出てすぐ近くの林さんお勧めの店に入る。そこは何と咖哩牛腩の店だったのでかなり驚いた。よほど食べたい念力が効いてしまったのだろうか。でもせっかくだし、嫌いでもないので、何も言わずに食べてみる。これはカレーがインド風か、サラサラ。咖哩牛腩にも実は色々な種類があることを知る。

 

林さんとは中国昔話などで、いくらでも話のネタがある。1970年頃に中国の空気を知っている人はそう沢山はいないのでとても参考になる。しかもキューバまで行き、スマホを無くした話まで出てくるから、実に面白い。物事は多角的に見ないといけない、とつくづく思う。

 

林さんと別れて、近所で本屋を探す。奥様からのリクエストである、2019年版の香港街道地図を買いに行く。昔はその辺の新聞スタンドでも売っていたと思うのだが、今はこんな本を買う人などいない、という雰囲気が漂っている。確かに私ですら、もう香港の地図は買わない。全てスマホ地図で済ませている。奥様は毎年これを買い、コレクションしているようだが、いつまで出版されるのだろうか。

 

MTRに乗り、クントンに向かう。前回12月にも行った昔の繊維工場ビルを目指す。しかしなぜか道を反対に歩いてしまい迷う。この辺が老化現象の際たるものだ。一度通った持ちを忘れるはずがない、という思い込み。マズい!途中、今日開店の『紅茶』という名のレストラン?があったが、英語名は『Red Tea』と書かれており、妙に印象に残る。

 

ビルに到着して3階に上がる。今日の茶会の準備が進んでいる。更に上の階で画家の個展が開かれているというので見に行ってみる。カナダに渡った香港人が描いたもので、元は実業家らしい。日本にも何度も行っており、日本の風景もちょくちょく描いているという。

 

午後3時から5時まで2時間、私の茶旅のトピックスと、日本茶の簡単な歴史を紹介した。参加者は20名程度。こちらの会社の社内研修のようなものだから、と言われて参加したのだが、お茶好きの香港人、そして日本人を前にパワーポイントを使い、何と普通話で話し続けた。これまで多くのセミナーでお話ししてきたが、これだけ長い時間普通話だけを使い続けたのは初めてだろう。かなり緊張した。

 

そして何より驚いたのは、香港財界の大物である、83歳のこちらのオーナーも最初から最後まで参加され、途中からは色々お話ししてくれたことだった。お茶が好きだという熱意には驚く。福建出身で先祖は茶貿易に携わっていたというが、彼自身は繊維、不動産開発の成功者だ。彼の娘と息子も同席し、新茶、緑茶を特別に飲ませてもらい、なかなかない体験をさせてもらった。

 

何とか茶会は終了したが、お茶好きさんからの質問を沢山受けた。香港茶の歴史もいつか調べてみたいと思うようになる。会が終わると、今日の茶会をアレンジしてくれたTさん、そしてそのお知り合いのUさんと共に、今回私のTさんを紹介してくれた、20年来の知り合いであるNさんを訪ねて、お礼を言いに行った。

 

Nさんとは近年何度も会っているが、仕事の話も殆どしたことはなく、勿論仕事場に出向いたのも初めだった。彼はサラリーマンから独立して、今や香港日本人の成功者だ。そのアパレル会社の名前に『Tea』とあったので驚いたが、よく見たら『Team』だったので笑ってしまった。今の私には見るものすべてTeaに見えてしまい、反応してしまうのだ。もうバカの領域ではないかと自嘲するしかない。

 

夕飯はイタリアンに行った。イタリアにもよく行くTさんは店員のイタリア人にイタリア語を使っている。そう、香港とはこうだったんだ。東洋と西洋との接点、と言った雰囲気があったものだが、今や東洋、いや中国の影ばかりが見えてしまい、ちょっと残念だ。そういう私も視野は随分と狭くなっているのを肌で感じている。

香港で茶旅を語る2019(2)久しぶりの歴史散歩

歴史散歩

流石に横にマッチョ君がいたので眠れないかと思ったが、夜中にクーラーを切ったらよく眠れた。それほど暑い訳でもないので、ちょうどよかった。安いゲストハウスなのに、朝食まで付いている。1階に降りると、5種類から朝食を選ぶのだが、食事を渡すのはスタッフの手作業。この事件費の高い香港でなぜ?クロワッサンとインスタントコーヒーを外へ持ち出し、中庭で食べると何とも心地よい。

 

食べながら見ていると、ここには裏山があり、老人が登って行ったので良い散歩道があると確信した。食後そのまま私も登ってみたが、意に相違してその上り坂はかなり急で、高所恐怖症の私には辛いものだった。ところが老人たちはそこをスタスタと上って行くので驚いてしまう。天気も良くなり、暑さも感じる中、登りきるとホッとする。帰りの緩やかな道を探したが他に道はなく、とても良い景色を少し眺めた後、また元来た急な階段をおっかなびっくり降りて行く。これは相当に消耗した。

 

今日は九龍城に行く予定になっていた。いつもなら旺角からミニバスに乗っていくのだが、地図的に見えればどう見ても、ここからバスで行くのが近い。探してみると直接イケるバスもあるではないか。スマホに従ってバス停を見つけて待つ。ところがバスは予定時刻になっても来ない。こういう時は少々焦るし、他の方法に切り替えるかどうかの判断が難しい。

 

まだ時間的に余裕があったのでそのまま待っていると、20分後にようやくバスが来た。バスは途中からいつものコースを辿り、僅か20分で九龍城に到着した。Yさんとの待ち合わせ時間より早かった。取り敢えず待ち合わせ場所の茗香茶荘に向かう。ここでいつものようにお父さんから香港茶業の歴史について、具体的な話を聞く。今日は珍しくマイケルも上機嫌で色々と資料を出してくれ、非常に収穫のある訪問となった。最後にいつもの鉄観音茶を購入して終了。

 

Yさんも合流したので、まずは腹ごしらえ。突然どうしても食べたくなってしまった咖哩牛腩を清真牛肉館に食べに行く。まだ時間が早いので空いており、ゆったり。咖哩牛腩と肉汁たっぷりの牛肉餅がセットをオーダー。腹に最後まで詰め込み、久々の充実感を味わう。

 

食後は九龍城を散策。古い薬局を改造したおしゃれなカフェがある。歴史的建造物の保存の仕方は色々あると思うが、活用できるものはした方がよい。九龍城公園の中を少し歩く。魔窟と呼ばれた九龍城には1990年頃、取り壊しの話があった時でも、一度も中に入ろうとは思わなかった街だ。

 

公園の横には侯王古廟がある。最初に建てられたのは1730年頃というから、香港もその時代、既にこの辺りまで漢人が南下してきて住み着いていた、ということだろうか。以前来た時よりすっかりきれいになっており驚く。裏側には昔からある大きな岩がそのまま置かれているが、その後ろは高層マンションが建っており、今の香港らしい風景ともいえる。その向こうには墓地も見えている。

 

侯王古廟の斜向かいには、古めかしいレンガ造りの建物が見えた。ここもきれいに改装して、100年前の人々の暮らしを再現、展示する施設になっていた。潮仙飲食文化というコーナーもあり、お茶のことも語られている。ただ当時香港にどの程度、この潮仙文化があったのかには、若干疑問もなくはない。

 

九龍城はこれぐらいにして、バスに乗り、前回閉館していた香港歴史博物館に向かう。これもバス一本で行けたが、時間はかかった。本日は無料開放日でラッキー。展示物は多過ぎてとても1回では見切れない。今回特に目を引いたのは、福佬人という表現。これは台湾で『原住民でも、客家、外省人でもない閩南語を話す台湾在住者』を指す時、たまに見かける言葉だが、ここ香港には明確な福老人がおり、その文化があるとされている。

 

香港伝統文化に詳しいYさんと見ていると、長洲島のまんじゅう祭りなども、福佬文化だというので驚いてしまう。しかしそれでは香港の彼らは閩南語を話すのだろうか。客家と何らか区別するために使われた言葉で、昔は閩南語を使っていたか。潮州語と閩南語も6-7割は意味が分かると聞いており、その辺の違いを今後理解したいと思う。

 

また上の階には、昔の老舗茶行の様子がそのまま展示されており、これも驚く。照明が暗く、写真は撮り難い。1855年に香港で開業した陳春蘭茶荘、1996年に廃業したものをそっくり寄贈したらしい。この茶荘についても極めて興味があるが、今日はほぼ時間切れとなってしまったので、また訪ねてみたい。

 

そこから上環の茶縁坊に回って、高さんと雑談した。彼女も鉄観音茶の産地出身だが、鉄観音の産量は多くないという。またミャンマーの大茶商、張彩雲のことは、安渓大坪では誰もが知っているが、その娘が今も住んでいることは知らないという。歴史とは案外そんなものかもしれない。

 

夜は北角市場で、I夫妻と夕飯を食べる。I夫妻とは北京時代からのお知り合いだが、昨年12月は奥さんだけに会っており、Iさんとは数年ぶりか。今週はレスリーチャンの命日があったためか、レスリー映画が流れていたりする。その横では店員が器用にビールの栓を開け、喝さいを浴びる。古き良き食堂で、海鮮などを楽しむ。

香港で茶旅を語る2019(1)美荷楼に泊まる

《香港で茶旅を語る2019》  2019年4月2-5日

香港に行くのはせいぜい1年に1度、と思っていたが、昨年12月にご縁があり、今回お声が掛かったので、いそいそと出掛けていく。それにしても人生で初めてかな、中国語で長時間、お話をするのは。1か月ぐらい前から、かなり緊張している自分がいた。

 

4月2日(火)
香港へ

1か月ぐらい前に香港航空で台北から香港行きを予約した。先日ハバロフスクで人生初の予約姓名間違い事件を経験して、飛行機に乗るのにちょっと警戒心が生まれていた。今回も早めに予約を確認しようと思ったが、何と予約確認書が来ていない。そうなると突然不安になる。そうだ、あの時予約したつもりだったが、途中で止めてしまったのではないかと。

 

最近の物忘れのひどさは相当の状況に達している。自覚があるからこういうことになる。慌ててネット検索するとそのフライトはまだそれほど料金も変わらずに購入可能だった。再度購入しようと思ったが、その行為に既視感がある。念のため手帳を見てみると、4月2日の欄に予約番号が書かれているではないか。これで検索するとちゃんとこの便が出てくるが、そこには私の名前はない。

 

もう面倒なので、空港で確認することにした。桃園空港までいつものように行って見ると、香港航空のカウンターは本当に端っこにあり、まるで隔離されているように見えた。そこには既に長蛇の列が出来ており、この列に並んでいて、もし予約がない、という話になったら、買い直す時間もないかもしれない。よく見るとそこには自動チャックイン機が置かれていたので、それで試してみると、ちゃんと発券されるではないか。しかも荷物は全て機内に持ち込んでよいと言われ、小躍りして出国審査した。

 

香港航空だし、フライト時間も短いので、機内食はないと思って、空港内のバーガーキングで早めのランチを食べる。どうもここの食べ物はあまりすきにはなれない。機内に入ると、機材は最新鋭の大型でゆったりと座れる。そして何と普通に昼食まで出てきたが、腹一杯で喰い切れない。やはりLCCではないのだ。

 

香港に到着すると、荷物は手荷物だけなのですぐに外に出られ、とても良い。LCCだと必ず荷物を預ける羽目になるのでここでの時間ロスは意外と大きい。携帯屋に行き、『昨年12月に買ったシムカード、まだ使えるか』と聞くと、『トップアップすれば使える』というので、50ドル払って起動させる。これも意外と有り難い。

 

今回はいつもの銅鑼湾宿泊ではなく、深水埗という未知の場所に泊まる予定となっている。空港からどうやって行くのが良いか分からずに検索してみると、いくつものルートが出てくる。その中で空港バスに乗り、黄大仙まで行き、そこでMTRに乗り換えるルートを選択する。

 

本日は天気が良く、バスの窓から気持ちよい風景が広がっている。40分ぐらいで黄大仙に到着。久しぶりにお参りしたかったが、荷物もあるので断念して地下へ。ここから3駅で石硤尾に着く。深水埗駅に行くには更にMTRを乗り換えないといけないが、本日の宿泊先は石硤尾からも徒歩10分程度なので、こちらを選択する。

 

初めて降りる石硤尾では道に迷いそうになるが、スマホがあるので何とか歩ける。公団住宅のような団地が並ぶ一角、そこに美荷楼は建っていた。この付近が火事で焼けてしまった後、1954年に建造された、香港公団住宅の走りであり、今や歴史的建造物に指定されている。政府はそこを貸出、改修されてゲストハウスが経営されている。

 

今回の宿泊手配はTさんがしてくれたので、どんなところは分からない。GHだからやはり若者が多いようだ。部屋は何と、ドミトリー。しかも2段ベッドではなく、普通のツイン部屋だから、隣に知らない人が寝ている感じだ。私の隣人はマッチョ系アルゼンチン人で、韓国でモデルをしているらしい。彼が上半身裸でいると、一瞬ドキッとする?ツイン部屋2つにバストイレが1つ。室内、いや楼内全体はとても清潔だ。

 

部屋にはおじさんもいた。香港生まれで返還前にオーストラリアへ移住した人だった。香港の物価がこんなに高くなって驚いている。彼は一生懸命中国人の若者と普通話を話しているのが微笑ましい。お茶にも興味があるというので、オーストラリアの先住民、アボリジニが飲んでいたお茶について、ちょっと話が弾む。

 

美荷楼を見学する。こちらでは定期的に見学会もあるようだ。居心地のよさそうな中庭があり、建物内にはキッチン、ランドリーなどの設備も整っている。私にとって問題なのは、お茶を飲むのにわざわざキッチンまで来ないとお湯が得られないことぐらいだろうか。ドミトリーで満足できるなら、料金的にお勧めかも知れない。

 

深水埗駅の方へ出てみる。ここには電脳街があることは知っていたが、来たことは一度もなかった。私の目的は、中国大陸で使えるシムカードを購入すること。前回香港空港であまりにも高い大陸用シムカードを買わされた?ので、先日東京で会った香港人の林さんに、安い物を買ってきてもらったが、今回は自分で調達しようと出向いた。

 

シムを売る店は何軒かあったが、皆広東語でサクサク買っている。私も無理して広東語を使ってみたが、あまりにも下手で相手は理解できず、仕方なく英語に切り替える。10日間使えるシムが僅か50香港ドルとは確かに安い。ここではどこの国でも使えるシムを大量に売っていて興味深い。

香港でちょっと茶旅2018(3)懐かしい人々と会う

12月12日(水)
懐かしい再会

今朝はホテルの朝食でスタート。やはりここのご飯はそれなりに充実している。常に混んでおり、席の確保が大変だ。ビジネスマンがさっさと食べている傍らで、妙齢の女性がゆっくり食べている。中国人男性はここでも山盛り、そしてスマホで電話しまくる。洋食からインド系、和食まで、何でもあるので私は食べまくる。部屋代は朝食込みながら、一応サインをさせられるとドキッとするのも変わらない。

 

昨日支店で断られたHSBC、今日はわざわざ本店に行って見る。すると対応がまるで違う。ただATMで現金が引き出せなかった原因は『カードの破損』と認定され、再発行になってしまった。ところが別の部署でこの話をするともう一度確認すると言ってカードをATMに入れると見事にお金が出てきた。『カードは壊れていないが、すでに再発行が行われたので、すぐにこのカードは使えなくなる』とは困った。

 

因みにHSBCは外資銀行だ、とのコメントを頂いたが、香港に10年住んだものとしては、最大の発券銀行であり、名前に香港が付き、何より地元民が『香港バンク』と言っているHSBCこそ、地場銀行の代表だと勝手に考えている。この銀行の長い歴史を考えると、往時は茶葉金融もかなりやっており、興味は尽きない。

 

昼頃、今回のメインイベントに出掛ける。場所は懐かしの?日本人クラブ(移転後2回目の訪問)。久しぶりに事務局のSさんにも会って昔話に花が咲く。今日はアジア情勢というより、お茶から見るアジア、アジア茶の現状をお話ししたが、果たしてどれほどお役に立っただろうか。

 

それから中環へ向かった。ちょっと慌ててMTRに乗り込んだのだが、中環駅で降りると、オクトパスカードがない。最近のボケはここまで来たか。遅れてはいけないのでかなり焦ったが、窓口で失くしたことを話すと、即座に臨時カードで出してくれ、改札を出られた。新しいカードを買うと『今回は災難でしたね、次回気を付けて』と言って今回の乗車運賃は取られなかった。日本なら説明だけで大変だっただろうな、さすが香港。

 

香港に来る前、Wさんという方からメールをもらった。香港に来るなら会いたい、という。誰かと思っていたら、北京でご一緒した方で、アメリカに行っていると思っていたら、何と2週間前に香港に赴任していた。そのWさんは今や香港日本人社会のトップだった。ちょっと緊張してエクスチェンジスクエアーに伺ったが、偉くなられても相変わらず気さくで柔和。そして滋賀のお茶をアメリカに売り込んだと言い、お茶の勉強までされており、お茶談義をしてしまった。確かに北京でうちのお茶会にも時々来て頂いていたが、実に多趣味だ。

 

中環から上環まで歩いて行く。もう夕方だが、旧知の堯陽茶行に行き、いつもの王さんに挨拶しながら、鉄観音茶の香港での歴史を聞く。彼らは安渓の出身だが、元々鉄観音の取り扱いは多くはなかったようだ。1970年代までは炭焙煎だったが、量が増えて電炉に変わったという。先日訪ねたバンコックの集友茶行や王有記ともやはり繋がりはあった。

 

更にはお向かいの林奇苑に飛び込み、ちょうどいた先代老板(以前に何度も会ってはいる)にいきなり、『林奇苑という名はどこから採ったのか』と不躾な質問を始めた。実はこの名前、戦前厦門の大茶商であったことは、先日のバンコックで確認していたが、今の老板は潮州人。やはり何の関係もないことが分かり、すぐに退散。

 

部屋に戻って最後の夕日を眺め、夜7時に銅鑼湾のタイムズスクエア―に行く。今晩は北京繋がりで、最近香港に越してきたIさんと会う。市場の横の食堂で海鮮を食べるというので、旧知のOさん、Yさんにも声掛けし、更に知り合いの知り合いというO夫妻も加わり、賑やかに食事をした。Iさん以外は香港歴20年以上のベテランで、香港話の内容もそれなりに濃い。涼しいので鍋が体に沁みる。

 

12月13日(木)
茶縁坊に寄って

今朝はエクセルシオールにお別れした。実にあっけない。まあこういうものが歴史になっていく。荷物を引いてバスに乗り、また上環に向かった。高さんには連絡してあり、香港を離れる前にちょっとの時間を茶縁坊で過した。こことのお付き合いももうすぐ20年になる。やはり老舗お茶屋の話や鉄観音の話を聞く。

 

香港の喧騒の中で、ここにいる時は何とも落ち着くのがよい。安渓大坪からも沢山の華僑が排出されており、先日のヤンゴン、張源美のように有名になった茶商もいる。だが大多数は無名で終わる。ただその人々にも人生があり、日々の営みがあったのだ。歴史はそれを全て掘り起こすことは出来ない。自分が今体験している付き合いでしか、分からない。

 

空港に行く時もやはり空港バスに乗ってしまう。先日に失敗があったものの、上環からなら、渋滞も避けられるので問題はなかった。今回の3泊4日の旅はあっという間に過ぎてしまった。やはり香港にはなにがしかの愛着があり、もう少し長居したい場所だ、としみじみ思いながら、帰路に就く。

香港でちょっと茶旅2018(2)観塘の出会い

12月11日(火)
大学駅へ行くはずが

今回1泊したホテルは近くのホテルの系列店として出来たばかりでとてもきれいだったが、如何にも香港らしくかなりコンパクトな作り。ボーイのおじさんは日本語を話しているので、本店から回って来たのだろう。部屋の冷蔵庫の飲み物は無料だったが、やはり4本中2本はビール。お客の嗜好に合わせて替えて欲しいな。わがままか。

 

朝部屋をチェックアウトして、荷物を預けて、バス乗り場に向かう。この時期の香港としては気温がかなり低く、厚着が必要だった。今日は新界まで行くので、バスでハーバーを渡り、そこから列車で大学駅まで行くつもりだった。100番台のバスは全てハーバーを越えると思い込み、来たバスに乗ったのだが、どうも様子がおかしい。香港島の中へ切り込み、ついにはアバディーントンネルに入ってしまった。

 

完全に方向を間違えたと思ったが、トンネルは長い。どこで降りれば反対方向へ行けるか考えているとトンネルを抜けた。そこにはなんとMTRの駅があるではないか。海洋公園、そんな駅、いつから出来たんだ。祈る思いでそこへ行き、このMTRの行先を確認すると金鐘だった。しかも乗車僅か10分で金鐘に着いてしまった。さすが香港のスピード感。

 

金鐘で満員のMTRに乗り換えて、旺角でも乗り換えて、何と約束時間の少し前に大学駅に着いてしまった。これには正直驚いた。バスの時間が読めないので少し早く出たとはいえ、こんなことってあるのだろうか。それにしても、バスを乗り間違えるとは本当にボケが進んでいる。

 

今日は旧知のKさんと会った。駅前の中文大学の施設、最近は試験シーズンとかで、かなりひっそりしていた。そこでブランチを頂きながら、話をした。ここ2回ほど香港に来ると必ず、彼に会っていた。何しろ話していると、歴史に関する新たな視点が見えてきて、とても面白いのだ。言語学、民俗学、アジアの歴史、凝縮された内容で、歴史は一方向からのみ見ていてはダメだ、と思わされる。

 

2時間はあっという間に過ぎてしまう。昼を過ぎて少し時間があったので、MTRでホンハムまで戻り、香港歴史博物館を訪ねてみた。前から行きたいと思いながら、なかなか時間が取れなかったので、いい機会だと思って勇んでいったが、火曜は休館日だった。何と間の悪いことだろうか。次回を期して、黙々と去る。

 

お茶ビルとの出会い
午後は観塘に向かう。25年来の知り合いであるNさんから先日『香港で茶のイベントをやっている人たちがいる。紹介しようか』という話が舞い込んだ。正直茶の歴史は、イベント活動とは、合わないのではないか、と思っていた。だが折角ご連絡を頂いたので、どんなところか一度訪ねてみることにした。

 

観塘は昔繊維などの工場が立ち並ぶ場所というイメージがあったが、訪れることは稀だった。駅前にはショッピングモールがあったが、ちょっと歩くと、昔の香港が少し垣間見られる。指定されたビルに着くと、やはり昔の工場ビルの雰囲気が残っていた。そこで日本人のHさん、Nさんと合流した。

 

お二人の香港歴は私より長く、既に30年に達していた。元はやはり繊維関連の仕事をしていたというのだが、それがどうお茶と結びつくのか。ビルに入ると、きれいなティーショップになっていて驚く。更に上の階に上がると茶館のようなスペースがあり、様々なお茶が飲めるようになっていた。

 

このビルのオーナーは不動産などで財を成した方で、香港だけではなく、北京の有名地区の開発も手掛けていた。そのお嬢さんがお茶事業を行っているという。元は福建出身で岩茶などがメイン、武夷山に茶工場も持っているという。そしてこのビル一棟のスペースを使い、茶館、イベントスペース、博物館などを作り、ビジネスを広げようとしていた。

 

特に私の目を引いたのが、お茶関連の骨董コレクション。昔の茶缶や茶などがふんだんに置かれており、ちょっと圧倒される。現在喫茶スペースを整理して、今後は定期的にイベントを行い、茶の普及に努めるという。何だかとても面白い、不思議な空間に紛れ込んだようで、興味をそそられた。Hさんはここで音楽と茶をコラボしたライブなどの開催で、検討が進んでいるようだ。会話は英語と普通話が半々。

 

観塘からMTRに乗り北角経由で天后に戻る。こういう便利なルートが出てきており、今まで遠いと感じていた観塘が非常に身近に感じられた。ホテルに荷物を取りに行き、そのままエクセルシオールに向かう。ここに初めて泊まったのは1980年代後半だろうか。場所が便利なのでここには何度も泊まった。2階のカフェにもよく行った。

 

チェックインは混んでおり、クリスマス前のこのシーズンは繁忙期だと分かる。部屋に入ると、ビクトリアハーバーが見えたので思わず写真に収める。いつの間にか日本人客用のグッズ(浴衣と煎茶)も届き、懐かしい雰囲気となる。夕暮れを見ながら、ゆっくりと部屋で過した。

 

夜は翌日の打ち合わせを兼ねて食事。銅鑼湾の海鮮料理屋で、蝦やホタテをご馳走になる。この会社の責任者がちょうど交代する時期で、ご挨拶を兼ねていたが、新任は女性だった。今はあいさつ回りの最中で、忙しい中、付き合って頂き、感謝。