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香港つかの間茶旅2017(2)郭春秧を追って

銅鑼湾まで戻ってくると、実に様々な国籍、肌の色の人々が行き交っていて面白い。その中で何やら路上で展示が行われていた。よく見てみると、『釣魚台は中国領土』という幟が見える。展示は香港人の活動家が、尖閣諸島に上陸した時に写真のようだ。香港は日本びいき、などと思っていると、実は色んな人がいるので注意が必要だ。

 

夜まで部屋で休み、また出掛けて行く。今度は地下鉄で旺角だ。少し早く着いたので女人街でも見学しようかと歩いて行くと、道の両側に楽器やカラオケを並べて、歌ったり、演奏したりしている人たちがいた。以前はなかったように思うのだが、いつから、何のために始まったのだろうか。憂さ晴らしなのか。

 

今晩は香港研究家のK夫妻と食事することになっていた。そこにYさんとOさんも参加したので、まるで10数年前の香港滞在時を思い出すメンバーとなり、話は当然昔話が多くなる。今の香港、問題が多過ぎて、聞けばいくらでも出てくるだろう。本来なら現在の香港情勢について解説してもらう良い機会なのに、何となく昔の風情を残すレストランで、リーズナブルな値段で美味しいものを一杯食べて、楽しく過ごしてしまう。それでよいのだろうか、きっとよいのだ。

 

8月20日(日)
香港大学へ

今朝は香港大学へ行くことにしていた。今や地下鉄で行けるので、銅鑼湾から30分はかからない。何と便利になったのだろう。香港大学は数年前に大きく拡張されたが、駅はそのちょうど真ん中にあるようで、エレベーターを登っていくと、中間に出た。今日の午前中は、茶の歴史関係の調べ物で図書館に籠るつもりである。そのためにN先生に許可まで取ってもらっていた。時間がもったいないので午前9時の開館の時間に到着する。

 

ところが、何と日曜日は休館だったのである。その昔この大学にお世話になったことがあるが、確かに日曜日にここに来ることはなく、全く想定外の出来事だった。しばしボー然と立ち尽くした後、仕方なく、懐かしいキャンパスを歩いて見る。昔からある建物はやはり昔のままの風情を残しておりよい。

 

そこへ茶縁坊の高さんから『いつ来るんだ?』とメッセ―ジが入って来た。彼女もついにスマホを使いだしたのだ。当初は午後行くと伝えていたのだが、この状況が分かっているかのように『早く来い』と言ってくるのが、何ともおかしく、そして有り難い。すぐさま地下鉄で上環へ戻る。

 

高さんと再会し、お茶を飲み始める。息子もやってきて、いつものようにお茶の話から香港の話まで、しゃべり続ける。するとそこへいつもはいないご主人までがやって来た。彼は平日他の茶荘で、茶師としての仕事をしている。その彼が何と、私が安渓の張さんの家で大好きだった、炊き込みご飯をわざわざ作って持ってきてくれたのだ。彼はあの張さんの弟、昔からあのご飯を食べていたことがよくわかる。それにしても、何よりのご馳走だ。本当にありがたい。

 

春秧街
午後はまた地下鉄に乗り、北角へ向かう。今回の台湾茶調査の目的、それは南洋の4大砂糖王の一人、郭春秧について調べることであり、彼の名前がついている道、春秧街にも行ってみることとした。その昔、1-2度は行った場所である。何しろそこはトラムの終点の一つだから、馴染みがある。

 

その道を相変わらずトラムは走っていた。あまり広くないその道の両側には乾物屋などの商店が並び、更には服などを売る露店がせり出しているから、トラムはそこを抜けていくことになる。歩いている人の中にヒジャブを被っているインドネシア系と思われる女性が多くいた。

 

郭春秧がここで開発を行ったのは1920年代からであり、最終的に住宅を作ったらしい。そして第二次大戦後は福建からの大量の移民がここになだれ込み、一時は『小福建』とも呼ばれるほどだった。更には最近ではインドネシア系出稼ぎ者が住む街としても知られており、郭春秧が福建出身のインドネシア華僑だったことを考えると、とても偶然とは思われない繋がりがある。だが現在それを示すものは道路標示以外何も見当たらない。勿論茶荘などもなく、香港で包種茶が商われていた形跡も発見できない。

 

謎は深まっており、このモヤモヤを何とか解決したい。その思いでバスに乗り、中央図書館を目指した。ここはビクトリアパークの横にあり、私が10数年前に住んでいたところにほど近い。日曜日の今日、やはりインドネシア人が楽しそうに公園を占拠していた。昔よりもその数は増しているだろうか。

 

図書館には以前何度か来たことがあるが、オープンで立派なところである。勿論日曜日の午後、人は多い。そこをかき分けて人名で検索を掛け、参考になりそうなものを探した。だが驚いたことに、春秧街という道の名は香港人なら誰でも知っているのに、肝心の郭春秧に関しては殆ど知られていないことが分かった。

 

何故だろうか。如何にも研究対象になりそうな人物だと思うのだが。資料として出て来たものは、大体どれも同じ内容のコピペであり、また道についての動画だったりするだけ。郭春秧という人物について研究されたものは全くなかった。何だかとても残念な気分になり、図書館を後にした。

香港つかの間茶旅2017(1)香港国際茶展へ

《香港つかの間茶旅2017》

香港には長く住み、愛着もあったが、最近は近寄らなくなっていた。それが昨年あたりから日帰り程度で通い出し、今年3月には2年ぶりに滞在した。やはり香港はいい、と思うところもいくつもあり、また宿泊料金などが下がったことも寄与して、今回香港経由で広東へ向かうことになる。

 

8月19日(土)
香港の宿

朝8時50分羽田発香港行きの便に乗る。もう気分は完全にサラリーマン時代の出張だ。機内食を食べてから寝ているうちに、着いてしまう。ボーっとした状態で空港に降り立つ。実はパスポートを更新してから初めての香港。古いパスポートに貼られていたe-道のステッカーをもらうため、専用デスクへ。何の審査もなく、3分でゲット。これがあれば、陸路で中国へ行く場合も長い行列に並ぶ必要がなく、有り難い。

 

外へ出る。いつもはここでスマホのシムカードを買うのだが、今回は奥さんが買っておいたシムを使ってみる。だが差し込んでも機能しないので、仕方なく中国系メーカーのブースを探して持ち込む。やはり私のスマホ内の日本シム設定が邪魔をしていたらしく、それを削除すると、すぐに使えた。これもまた有り難い。

 

バスで銅鑼湾へ向かう。ここまでランディングから35分。この辺のスピード感は香港が一番であり、それは私がかつて慣れ親しんできたものであり、なんとも好ましく、テンションが上がる。今日の天気は最高であり、橋を渡る時の景色も素晴らしく、気分も上々となる。バスも40分で目的地に到着。

 

前回予約して意外とよかったゲストハウス、今回は違うところを試してみることにした。料金はさほど変わらず、住所もほとんど同じだ。だがその住所に行ってもゲストハウスの表示はない。住民に聞く訳にも行かず、仕方なく前回宿泊した時の受付に行き、聞いてみることにした。

 

すると驚いたことに受付はここだという。結局同じ系列で名前だけ別にしていたのだ。前回は宿泊する部屋は別棟だったが、今回はここの上で荷物の運搬が助かる。だが部屋には机がなく、ちょっと難儀する。同じような部屋を予約しても、形状はみな違うようだ。この民泊のようなゲストハウス、立地もよく、料金も手ごろなので常に混んでいる。

 

茶博へ

実は香港に行くことを決めたものの、特にやることはなかった。すると図ったようにFB上でのお誘いがある。ちょうど香港国際茶展というイベントが行われているというのだ。会場も近いので早々行ってみることにした。地下鉄だと降りてからが遠いので、バスで向かうが、今日が土曜日だということを忘れており、狙っていたバスは来なかった。仕方なく近くまで行き歩く。天気はいいが、その分当然ながら暑い。

 

会場近く、地下鉄駅から続く陸橋に上がってみて驚いた。すごい行列なのだ。香港の茶博がそんなに人気があるとは夢にも思わなかった。暑い中、クーラーもない中、大勢の人が並んでいる。若いカップルや家族連れが多い。土曜日の午後だからだろうか。しかしよくよく見てみると『香港美食展』という表示が目に入る。

 

どうやらこれを同時に開催されているらしい。帰っていく人を見ると戦利品として日本食品などを大量購入している人々がいる。やはりなんと言っても美食の街、香港。食べ物に対する要求、欲求は高く、そのエネルギーが人々を美食展に向かわせている。何とか茶博だけに入る道を探るも全く隙間はなく、延々並んで待つしかない。

 

ようやく屋内に入った頃にはもう疲れ果てていた。それでもここまで来て帰ることは出来ない。美食展を横目に5階まで上がると、そこにはそれほどの人はいなかった。これが茶の置かれている現実だ。会場内もそれほど人はいない。ただ何となく人だかりがあったので寄ってみると、そこは日本ブースだった。和服を見た女性がお茶の点て方を教えていた。香港の人も中国の人も興味津々でお茶を習って、自ら点てていたのは微笑ましい。

 

ここで和服を着た、オスカルさんにも出会った。彼は日本茶好きの外国人として、日本でも知名度が上がっており、外国人が外国人に日本茶の良さを知らせるという仕事で、ここに来ているという。出来れば抹茶や茶道ではなく、煎茶の普及を図って欲しいが、どうだろうか。

 

その横へ行くと、静岡などの産地から茶商が来て日本茶を売りこんでいる。そのうちの一つに聞けば、既に香港そごうに出店し、煎茶を販売しているというから、ちょっと驚いた。基本的に中国系の人は日本の煎茶をあまり好まない傾向にあり、日本に比べてその単価も高い煎茶が売れるとは意外だった。煎茶にチャンスはあるのだろうか。

 

最後に九州のブースで辻利さんを見つけた。彼は現在世界各地に喫茶の店を大展開しており、ここ香港にも最近出店している。茶葉はなかなか売れないといい、ドリンクやパフェなど、消費者の嗜好に合った形で提供することを考えている。中国の抹茶生産の勢いなど、貴重な情報も得ることができた。隣ではハラール認証をとったお茶を売る店も出ている。日本茶に変化の兆しはあるだろうか。

 

中国茶は香港という土地柄か黒茶系の店が多く出店していたが、すでに飽和状態なのか、それほど人を集めておらず、帰り支度する姿もあった。一時は茶葉取引の中心的な役割を持っていた香港も、近年の中国パワーに押され、参加者も伸び悩んでいるとの話もあり、その位置づけはちょっと微妙のようだ。

偶には香港を旅する2017(4)中国通がいない香港の日本人

3月13日(月)
懐かしい人々に会う

 

今朝もゆっくり起き、そのままそごうへ。ここでLさんと待ち合わせしていた。Lさんとは1月に台北で会ったばかりだったが、やはり何となく香港に来たら会いたいなと思い、何とか時間を合わせてもらった。まだそごうもカフェも開いていない時間、我々は近くの屋台のような朝ご飯を食べる所に入り、港式ミルクティを啜りながら話をした。これが香港らしくて良い。

 

Lさんの中国昔話は、時として非常に参考になる。そして現在のビジネスの話や、各地のネットワークから出てくる人々の活動など、話題は全く尽きない。お互いが自分のネタを出し合っていると、1時間半など、まさにあっという間に過ぎてしまう。名残惜しいがMTRで移動した。

 

向かったのはフォートレスヒル!これもまた懐かしいところだ。25年も前に香港で一緒にビジネスしたIさんのオフィスを訪ねる。香港の家賃高騰で数年前に金鐘から移ってきたというが、それでも立派だ。香港だけでなく、中国、台湾、そして日本も視野に入れたビジネス展開をしている。

 

ランチをご馳走になる。近くのビル内のレストランは、サラリーマンたちで超満員。香港は景気が悪いという話もあるが、こういう光景を見ていると決して景気が悪いとは思われない。ただ夜も同じようにお客が入っているとも思えず、賃料の高騰もあり、経営は楽ではないのかもしれない。

 

Iさんは『今日は実に楽しかった。中国のディープな話をしたのは久しぶりだ。昔は中国通と言われた、中国の内情に詳しい人が香港にゴロゴロいたが、今では中国のことなど全く分からない人々が香港に来て仕事をしている。これでは日本企業の前途は暗いと言わざるを得ない』とコメントしていた。香港にいて中国が分からない、中国を避けてきた人々は昔から多くいたが、それでもここまで酷いとなると、大変なことだ。そして何かと言えば『中国はとんでもない』を繰り返されては道を誤るだろう。

 

食後、一度宿に戻り休息した。そして午後4時頃にセントラルへ向かう。北京の時に一緒だったYさんとスタバで会う。スタバではあるが、ティバナというお茶カフェも併設されている。ほぼコーヒー並の料金で紅茶が楽しめる。一部日本のほうじ茶なども入っているが、日本から来ているかどうかはわからない。ちょっとおしゃれな店内だ。

 

Yさんは北京の後、香港にやってきて6年になるという。勿論会社も変わり、今は日系企業の現地採用で働いている。『年齢もある程度になり、技術も伴っていれば、駐在員より給与もよく、つまらない仕事はしなくてよいので、現地採用の方が余程マシだ』という。確かに日本の会社は仕事の分担がはっきりとしていない。契約により必要な仕事だけをしていればよい、という身分は理想的かもしれない。ただ職位が安泰とは言えないが。

 

次の約束に少し時間があったので、昔よく行ったセントラルの教会に行く。ここは駐在時代に心を休める場として、クリスチャンでもないのに、時々利用していた。こんな大都会の、オフィス街のすぐ上に、こんなに静かな場所があること、それ自体が素晴らしい。ただ教会の椅子に座っているだけで、心が落ち着き、怒りやざわめきが収まる。こういう場所を日本ではなかなか見つけることはできない。宗教には無縁ではあるが、それはやはり必要なのかな、と思ってしまう。

 

その後ちょうどトラムがやってきたので、上環の先まで乗ってみた。この乗り物、決して早くもないし、便利とも言い難いが、なぜか時々乗りたくなってしまう。便利ではないが、道を歩いていると目の前にやってくるから乗りやすい。2.3ドル、昔と変わらない。乗客も多くはないので座ってゆっくり市内見物。周囲はあまり変わっていないようだ。

 

セントラルの古い懐かしいビルに向かった。前回の香港駐在で一緒だったTさんと待ち合わせた。彼は2回目の赴任で、偉くなっており、車で山沿いの四川料理屋に招待された。香港現法の仕事は今やどこの会社も香港限定か、せいぜい広東省までのエリア。中国ビジネスの主流は上海や北京になってしまった。往時の香港の賑わいはかなり薄れたという。

 

四川料理は大変美味しかった。昔香港人は辛い物が食べられず、日本同様四川料理も辛くはなかったが、今や本場の味に近い物を食べている。いや、実際に食べているのは大陸から来た人々かもしれない。ウエートレスは英語も普通話も片言以上話す。年配のウエートレスが片言の日本語も話すのは、昔の名残か。

 

3月14日(火)
台中へ

今日はいよいよ香港を離れる日。早めに起きて、朝食を探す。トーストとミルクティとなる。店はそれほど混んでいない。皆テイクアウトしてオフィスで食べるのだろうか。宿のチェックアウトは少し面倒。荷物を持って部屋を出て、一度ビルも出て、先日のフロントまでまた荷物を持って上がり、鍵を返す。

 

銅鑼湾より空港バスに乗り、1時間で到着した。今回初めて香港エクスプレスというLCCに乗り、台中へ向かうことになっている。チェックインは順調だったが、気が付くと搭乗ゲートが突然変更になっており、ちょっと焦る。何だかいつもと違うゲート、バスに乗り飛行機へ。今回の香港の旅も慌ただしく終了。これが香港らしくて良い。

偶には香港を旅する2017(3)香港も安くなってきた?!

格安な宿

フェリーを降りるとすぐにホテルに戻り、荷物を取り出して、今日から泊まるホテルに急ぐ。そこは全く初めてだったのでちょっと不安。ホテルからほど近いその場所を、住所通りに訪ねてみると、ブランドショップが入るビルの3階に受付があった。何となくゲストハウス風だ。フロントの女性は英語も普通話をでき、お客は欧米人も中国人もいた。部屋はこのビルにはなく、すぐ横のビルに行き直す。6階の一角を使用している。因みにここの経営でこの付近、数百室の部屋を抑えているらしい。意外と資本を掛けている。

 

完全な民泊形式だが、何しろ銅鑼湾の駅からもすぐで極めて便利。しかも料金は1泊400ドル以下だったから、それは人気もあるわ、と思う。部屋は勿論狭いが、窓もあり、狭いがバストイレ付きだ。Wi-Fiなども支障なく、不自由はない。香港のホテル代は高過ぎると決めてつけていたが、これなら何とか泊まれるので、次回からはもう少し泊まる機会を増やそうと思う。

 

今晩は昨日会えなかった、昔の知り合いHさんが、広東省から帰ってきたので会うことになった。場所は日本人クラブ。昨日も行ったのだが、移転してからレストランへ行くのは初めてだった。きれいなカウンターに座り、Hさんの知り合いの大将と話しながら、美味しい物を沢山頂いた。日本人クラブって、こんなだったっけ?と思うほど。ただカウンターに座るのは香港人ばかりで、自分を含めて日本の経済力の無さを嘆かざるを得ない。

 

3月12日(日)
先輩に会いに

今朝はゆっくり起きて、朝食も食べずに、バスに乗った。銅鑼湾からホンハムへ行くバスには乗りなれている。トンネルを潜れば一つ目のバス停なのだから簡単だ。だが最近はバス路線が増えたり、バス停の位置がいくつかに分かれたりして、分り難くなっていた。何とかホンハム駅に着くと、まだ待ち合わせ時間には早かったので、散歩に出た。

 

香港島側や尖沙咀のプロムナードからハーバーを眺めることは偶にあるが、ホンハムから眺めるのは初めてかもしれない。駅の方から階段を降りて行くと、立派なホテルなどがあり、更に行くと高級マンションが見える。この辺、今一体いくらするんだろうか。非常に環境の良い、静かな高級感が漂う。3月らしく、香港サイドには靄が立ち込め、よく見えない。

 

駅付近に戻り、待ち合わせのホテルでAさんと会った。もう20年も前にここ香港で同じ支店にいた、お世話になった方だ。今は別の会社に移り、出張で来ていた。私が香港へ来る直前に連絡があり、劇的な再会となる。ホテルで食事をご馳走になりながら、様々な話をした。もう会社勤めはできない私だが、相手をしてくれる先輩がいることはとても嬉しい。

 

Aさんは午後のフライトで台北へ行くというので、そのままチェックアウトして去っていった。何とも格好がよい。因みにこのホテル、立地も抜群でそれなりの会社が運営しているのに、それほど高い訳ではない。やはり香港のホテル代は依然と比べ、確実に下がってきていると言えるだろう。

 

私はフラフラとまたバスに乗り、銅鑼湾へ戻った。日曜日の銅鑼湾は人の波で溢れんばかり。ホンハムの静けさが懐かしくなるほどだ。馴染んだ場所でワンタンメンと温野菜を食べる。今やそれが似合っていると自分でも思える。ついでに港式ミルクティも飲んでみる。少しの苦みが悪くない。

 

新しいカフェ
宿に戻り、休息した。特に暑い訳ではないが、今や休息がないと一日中の活動は難しい。夕方の約束までベッドで寝ていた。4時前に外へ出たが、相変わらず人が多い。ちょうど選挙があるようで、選挙活動をしていて人が集まっている。だが歩いている人の多くは外国人であり、インドネシア系の女性が目立っている。

 

今日は大学の同級生S氏と同窓生の香港人Jさんと3人で会った。何となくこの組み合わせがよいということになり、過去何度が3人で会っている。S氏は大学で研究するための調査もあるが、家族が香港にいるので定期的に戻ってきている。通訳業のJさんは日本企業の動きなどについても詳しい。この二人から教わることも多い。

 

場所は銅鑼湾の山側、少し奥。最近はこの辺がおしゃれなスポットだと言われる。確かに気の利いた店が数軒ある。カフェに入る。本格的なコーヒーを出す店だ。その昔香港には喫茶店などなく、コーヒーが飲める場所は相当に限られていたが、スタバの登場以来、コーヒーチェーンで溢れかえり、ついにはそれに飽き足らない世代が、新しい形を示してきているようだった。話が長くなったのでクッキーも食べてみるが、これがまた意外と美味しい。カフェだけでなく、ティーの世界も変化しているだろうか。

 

夕飯は一人で食べた。食べ過ぎは良くないと思いながら、鴨肉飯を頬張る。香港に遊びに来た大陸客が一人か二人で簡単に食べるような店だったが、意外と美味しい。香港と言えば、昔はその辺の何気ない店がうまい、と言われてきたが、今やチェーン店ばかりで面白くないので、小さい店には頑張って欲しい。

偶には香港を旅する2017(2)長洲島でお爺さんに再会

地下鉄に乗り、金鐘へ向かう。昔の知り合いヘレンに連絡を取ると、ちょうど彼女が所属する財団でパーティーがあるから来ないかと誘われた。折角なので出向いてみると、大都会の喧騒とは別世界の場所がそこにあった。非常に驚く。久しぶりに香港社会の一面に触れた。

 

しかしヘレンは見当たらず、待っても来ないので、勝手に見学を始める。今日のパーティーは展示会のオープン記念。創作的な芸術の世界を歩いていると、向こうにヘレンが見える。周囲には数人の日本人がいた。香港人やイギリス人もいる。無国籍状態で会話が弾む。これはヘレンのなせる業だ。お茶の関係者を紹介してもらったのは有り難い。

 

夜は尖沙咀へ移動して、その昔香港で一緒に過ごした人たちと会食する。もう20年以上前の知り合いだが、彼らは未だに香港にいる。脱サラして起業に成功した、また現地採用として、長らく職を得ている、など、私は見れば、好きな香港に居られて、良い環境で生きているように見えるのだが、最近の激しい変化には、かなり厳しい面もあるようだった。

 

3月11日(土)
長洲島へ

今朝はゆっくりと起き、ゆっくりと朝食を食べた。土曜日ということか、朝食を食べている人々にもゆとりがある。香港は衰えたとはいえ、スピードが命の場所。1日半で結構疲れている自分を発見した。このホテルとは今日でおさらばということで、荷物をフロントに預けてチェックアウト。

 

MTRに乗ってセントラルへ向かう。そこからスターフェリー乗り場方面へ。観覧車が寂しそうに回っている。何となく活気のない香港。それはどこから来ているのだろうか、気のせいだろうか。今日は久しぶりに長洲島へ行くことになっている。あの5年前の衝撃的な訪問以降、ずっと温めてきた題材に一つのケリをつけに行くということだろうか。

 

Yさんが同行してくれるのは有り難かった。何しろお爺さんは広東語しか話さないので、通訳は必須だった。フェリーの料金は何となく少し値上がりしているようだ。まあ、5年前との比較をしても意味がないほど、香港の物価は上がっているのだ。土曜日ということもあり、乗客は多い。

 

長洲島に着くと、やはり多少はオシャレになっている。取り敢えずお爺さんは元気かどうか確かめに、ベビー服屋へ。この辺にも2週間ほど滞在したことがあるので妙に懐かしい。服屋に変化はなく、おばさんもそこにいて、顔を見るとすぐに思い出してくれた。そして『お爺さんは元気だが、少しボケて来たよ』と言いながら、午後ここで再会する段取りをしてくれた。何とも有り難い。

 

そこでまずは腹ごしらえと、港の方に戻る。海鮮が名物だが2人だと多いかなと歩いていると、その昔ここで体調が悪かった時に食べたお粥屋が見えた。どうしても食べたくなり、そこへ入る。1938年創業などと書いているがどうなんだろうか。粥は相変わらずに美味しい。我々が注文すると、もう店仕舞いだ。昼までしかやらない。安くてうまい、これが一番。

 

再び服屋に行ってみると、お爺さんは既に来ており、満面の笑顔で迎えてくれた。既に90歳になっているが、足が少し悪いだけで元気そうだ。彼がプーアルの熟茶製法を初期段階で考案したと5年前に聞いていた。その後中国でもその話が広まり、今では有名人になっている。早々に、プーアル茶に歴史について、色々と確認させてもらった。広東プーアルの元祖との関係などもよく分かった。やはり一部、記憶がはっきりしないところがあり、娘であるおばさんが聞き返したり、補足してくれたりしたが、いずれにしても貴重な、生の話には価値がある。

 

ただこういうインタビューというのは実に難しいものだ。お爺さんは生き証人だから、彼が言った言葉は事実になっていく。しかし時には記憶違いもあるだろうし、また元々の思い違いさえもあるかもしれない。これをどう生かして、真実に近づけるのか、また一体何が真実なのかを理解するのは至難の業だ。私はノンフィクション作家には絶対になれないな、と以前から思っている。

 

1時間半ほどお話を聞いて、記念写真を撮って、退散した。お爺さんは初めて会った時と全く同じな笑顔であった。今度はいつ会えるだろうか。それから島の中を少し散歩した。桜の花が咲いているか見に行ったり、Yさんの知り合いに教えてもらった開放日の学校に闖入したりもした。ふらふら歩いているとすぐに時間が経ってしまう。本当は他にも行くところがあったのだが、次の予定が決まり、急きょ島を離れたのは、ちょっと残念だった。

 

偶には香港を旅する2017(1)2年ぶりの香港泊

《偶には香港を旅する2017》

 

香港にはかつて通算10年も住んだのだが、最近は足が遠のいている。理由は至極簡単で、宿泊などの料金が高過ぎる、美味しいものが減ったような気がする、など。ただ流石に2年も香港に泊まっていないのはどうかとも思い、ある用事のオファーを受けて、行ってみることになった。尚昨年は10月、11月と2度、香港を経由して日本へ行っているが、いずれも宿泊していない。

 

3月9日(木)
ホテルまで

 

今回は久しぶりに羽田からANAの午前便に乗る。何とも出張の雰囲気が漂う。昔はいつもこんな出張をしていたのに、今や随分と心境が変わったものだ。出てきた機内食も美味しく感じられるのはなぜだろうか。でももうあの世界には戻りたくない、いや戻ることはできない。

 

香港空港には少し早めに着き、自動入国で簡単に手続きは済む。携帯のシムカードがないので、空港内で探す。中国人ばかりが並んでいたが、彼らはローミングの手続きだろうか。私は一番安い118ドルのシムを買う。7日間使えるようだが、私の滞在は6日間だからこれで問題ない。昨年の香港経由の旅では、このシムがなかったために、連絡などが出来ずに大変困ったものだ。

 

 

今回のホテルは銅鑼湾なので、空港バスで向かう。香港島行きのバスは相変わらず2種類あり、早い方だと40ドル、遅い方だと21ドル。香港とは本当にタイムイズマネーの場所である。ちょうどやって来た早い方のバスに乗る。前には韓国人の女性が楽しそうに乗っている。2階建ての上にはアラブ系の家族が乗り込んでいく。国際色も豊かだ。

 

1時間もかからずに銅鑼湾に到着した。今日と明日はちょっといいホテルに宿泊できる。このホテルは、ハーバーに面しており、20年前最初の香港駐在を終えて、去る時に泊まった思い出のホテルだった。勿論その時とはずいぶんと変わっている。部屋に携帯電話が備えてあり、自由に使うことができた。これならシムを買う必要はない。いいサービスだと思う。ただ最近取り壊しが決まったらしいので、今回の宿泊が最後となりそうだ。

 

チェーン茶餐庁
何となく外へ出る。そごうの裏あたりをフラフラすると、何と翠華という名前のレストランの看板が5分歩いて3軒も目に入る。これはいくらチェーン店でも異常と言わざるを得ない。と同時に、ちょっと入って偵察を試みる。その店は午後3時なのに、満員で一番端の席を辛うじて確保した。

 

後で聞くと、香港の茶餐庁では、下午茶という時間が安いのでこの時間は混んでいたらしい。私は何も考えずに、海南チキンライスをオーダーしてしまう。夕飯の会食があるにもかかわらず、やはりどうしても食べたくなってしまうのだ。まあ飛行機の機内食が軽かったから、と言い訳してすぐに平らげた。料金は決して安くはない。それでも流行るこの店は何だろうか。家賃が高騰して、資本力がないと店が出せないとは聞いているが、なぜこれほど人が集まるのか。

 

帰りがけにふと見ると、港式ミルクティの表記が目に入る。茶餐庁にはよくあるメニューだが、それがペットボトルに詰められ、冷蔵庫に入って冷やされている。何気なく、一本手に取り会計したら、何と28ドルもした。もう香港ではうかつに飲み物も買えないと改めて自覚した。

 

それから某銀行へ行く。昔住んでいた時からずっと口座があるのだが、先日インドへ行ってATMを利用しようとして使えなかったので、その確認にきたのだ。ATMで香港ドルを下ろしてみたが、やはりダメだった。窓口で聞くと『暗証番号でも忘れたのでは?』と言われたが、それはないと言い切った。最初は処理を渋っていたが、香港居住者ではないので、すぐに修正して欲しいと訴えると、何とか対応してくれた。これが中国などだと、梃子でも動かない。やはり香港にはまだ柔軟性がある。

 

夕方、以前何度が会ったKさんと久しぶりに落ち合った。もう数年会っていなかったのに、そして夕方の中途半端な時間なのに、快く面談に応じてくれた。彼とは旅好きという共通点があり、その辺で話がかなり合っていた。ホテルのカフェで話し始めると止まらなくなり、予定をオーバーしても話題が尽きなかった。こういう何気ない会話がいい。夜は打ち合わせで海鮮をご馳走になる。

 

3月10日(金)
翌朝は早めに起きて、朝食へ。久しぶりにホテルの立派な朝食をゆっくり味わう。毎日だと多過ぎるが、偶にだとあれこれと手が出てしまい、かなりの量を食べることになる。その後は部屋で日記などを書いて過ごす。このホテルは日本人用にと、煎茶のティバッグや浴衣などが支給されている。日本の新聞も入っており、1か月ぶりに新聞を読んでみたりもする。

 

それから今回メインの用事を済ませると、午後3時前になっていた。肩の荷が下りる。急いで上環の茶縁坊へ向かう。昨年の秋に安渓を訪ねた時は、連日の雨で秋茶がなかったのだが、その後禁を破って相当遅い時期に茶を作ったらしい。今回はそれを飲むために行ったのだが、むしろ他の茶が美味しいと思え、購入銘柄を変えた。

台湾茶縁の旅2014(12)香港 わずか10時間のトランジット滞在で

3月24日(月)

空港の牛肉麺

翌朝はバンコックへ戻るため、バスで空港へ。新館からバスターミナルまで、ちょうど本館と同じ距離ながら、なぜか疲れた。空港に着くと早過ぎたが、キャセイは1便早くするのに数千円の追加料金を取る、というので空港内で過ごす。

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イミグレに行かず、レストラン街へ。外れにお洒落なカフェがある。しかしみると牛肉麺もある、と書いてあるので頼んでみた。期待はしていなかったが、案外イケた。今回牛肉麺にありつく機会がなかったのでこれで良しとしよう。

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イミグレは相変わらず込んでいたが、フライトは大陸へ帰る中国人観光客、香港人、台湾人の混成部隊を乗せ、順調だった。これから10時間の香港トランジットだ。さてどうなるのか。

 

7.香港

香港の銀行

空港からは電車が一番早いが、バスの方が安いし、目的地である銀行の近くに到着するのでバスを選択。香港はこの辺のバリエーションが素晴らしく、お金のある人で急いでいる人と、お金のあまりない人、急いでいない人などに的確に対応している。日本は何でも一律だから、困る。

 

バスだけではなく香港は銀行もキチンと顧客を選別している。日本のように表面的にお客様は平等です、などとは言わない。誰が神様で誰が平民は認識して対応している。並ぶ列も違うし、スタッフの対応も違う。私は9年間務めた香港でそれを学んだが、当時日本の銀行は理解しなかった。

 

確かに日本的ではなかったかもしれないが、私はこのような方式が嫌いではない。外貨を下ろすのに一定金額まで手数料がかからない、など日本では考えにくい。あ、シティバンクが導入しているか。グローバルを掲げる銀行が、外貨両替や引き出し1つの対応に戸惑っているのは不思議でならない。

 

茶縁坊

そしていつものお茶屋、茶縁坊に寄る。この店とは13年の付き合いになる。昨年とうとうおばさんの実家である福建省安渓の茶畑まで行き、実家に泊めて貰った。その生活があまりに素晴らしかったので今年も行きたいと思い、その相談をした。

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昨年は『製茶の終わった頃来て』と言われ、ちょうど終わりの日に行き、雨だった。今年はどうしても製茶作業が見たくてお願いした。許可は出たがその条件は『製茶中は質問があっても決して話し掛けないこと』だった。あの真剣勝負の時、人に気を取られていると命取り、ということだろうか。勿論承諾して行くことにした。

 

それにしても相変わらず、ここのお茶は美味い。その理由は昨年見ていたので、余計に美味く感じる。この店が上環の片隅にあるのはとても残念な気がするが、だからこそ私にとってはオアシスみたいな場所。お客が沢山いても楽しい話も出来ない。

 

家和

茶縁坊の向かいには上環の街市ビルが建っており、その上の階には食堂街がある。その中に何と日本人がやっている和食屋がある。私は最近香港に行くと必ずここに立ち寄り、オーナーのKさんに挨拶し、食事をする。どう考えても今の香港の和食でこれほどちゃんとしていて、安い所はない。

 

店に行くと何と昔馴染みのOさんが座っていた。どうやら今晩仲間を集めてここで飲み会をするらしい。私のその末席に連なったが、もうすぐに空港へ戻らなければならないため、Kさんに頼んで適当な物を作ってもらい、それを掻き込んで退散した。魚の煮つけだったがおかずにはちょうどよく、気持よく食べた。

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そしてまたバスに乗り、空港へ戻った。昼の12時前に香港の空港に着き、夜10時の便でバンコックへ去った。本当はこんな旅は嫌だったが、それもこれも『安倍のミックス』とかいう政策のお蔭で円安になったせいだ、と思う。まあ、たまにはこんなやり方もありではないか。