「韓国」カテゴリーアーカイブ

真冬の韓国散歩2015(8)慶州 導かれて仏国寺と石窟庵へ

仏国寺と石窟庵

山の街にやって来た。ここで降りるのかと思ったが、運転手はまだだという。そこで安心してしまい、すぐに下りるべき仏国寺のバス停を通り過ぎてしまった。韓国語が分からないとやはり失敗は起こる。そしてバスはどんどん進んでしまい、かなり遠くまで行く。あまりに心配になりもう一度運転席の横まで行くと、運転手が困った顔をした。そして反対側を指す。戻れ、という意味だろう。しかし反対側に来るバスは本当に仏国寺へ行くのだろうか。若い女性に英語で聞くと何とか通じたので、安心した。

DSCN2480m

DSCN2479m

 

先ほどバスが坂を上り切ったところ、そこは公園に見えたが、仏国寺の入り口だった。世界遺産との表示も見える。中に入ると池が凍っている。小雨は降り続いている。とても広い空間で、日本の寺院とは様相を異にする。創建は新羅時代と言われるが、近年荒れ寺となっていたのを1970年代より整備したとある。だから比較的新しい雰囲気がある。

DSCN2484m

 

冬の雨の日、いつもは多い参観者が今日はとても少なくてよい。静かに散歩ができる。大雄殿などは一段高い所にある。裏に回り、階段を上る。裏の方には色々な建物があり、1つずつに興味をそそられる。観音殿の観音様にはなぜか引きつけられた。庭や瓦屋根に小石が積み上げられているところもあった。そして何とも言えない仏塔が目を惹く。灯籠にしか見えないその仏塔は高麗初期のもの。1905年に日本に渡り、1933年に韓国へ戻ったとあるが、どんな歴史に流されていったのだろうか。しばし傍に立ってみたが、何も語られなかった。

DSCN2497m

DSCN2504m

DSCN2509m

 

1時間ほどゆっくりと散策した。実に歩き出のある寺だった。最後は別の出口を出た。本当に広い寺だ。慶州に来たら仏国寺とセットで行くべきところ、それは石窟庵だと聞いていたが、そこへ行くにはバスに乗らないといけない。冬は凍結などでバスが動かないこともあるとガイドブックに書いてある。しかもどこから乗るのかは書いていない。言葉は通じない。どうするのだろうか?

 

そう思って先ほど降りたバス停に行ってみると、道の反対側にバスが1台停まっていた。取り敢えず行ってみると何とそれは石窟庵行きだった。しかも私が乗るとすぐに発車した。まるで私を待っていたようだった。前の席には日本人のじいさんが韓国人のおばさんと乗っていたが、声がデカい。とうとうと自分の自慢話をしている。乗客は日本語が分からないと思って話しているのだろうが、こういうのは本当に恥ずかしい。

DSCN2535m

 

バスで20分ぐらいクネクネと山道を登っていくと広い駐車場に停まる。入場料を払い、門を潜ると、ハイキングコースのようになっている。皆の後に付いて歩く。因みにバスは1時間に一本、次回を逃すと最終になるため、時間を気にしながら行く。思った以上に山道を歩く。ちょっと時間が気になり始めた頃、小高い所に建物が見えてきた。なんだ石窟ではないのか。

DSCN2531m

DSCN2524m

 

中に入るとガラス越しに釈迦如来像が遠くに見えた。非常にきちんとした、そういうのを精緻というのかもしれないが、お姿だった。日本にもありそうな仏像。よく見ると、仏像を丸いドームが覆っている。これは人工石窟らしい。何故こうなっているのだろうか。神々しいうっすらとした光も人工の演出だろうか。

 

外へ出ると空気がいいと感じられた。下に水を飲むところがあり、日本の神社の要領、柄杓で掬って飲んだ。生水は基本的に飲まないのだが、何となくそうした。日本と韓国の近さを実感した。バス乗り場付近に戻るとまだ時間があった。腹が減り出した。確かに昼食を抜いている。どうしようかと思っていると韓国人のおばさんとおじさんが路上で物を売っている。観光客が次々に何か買っている。

DSCN2527m

 

それは焼き栗だった。それも小さなフライパンでその場で炒っている。他にも山の幸を色々と売っていた。昨日のプサンに続いて、何とも言えない哀愁、がここにある。このおじいさん、ここでずっと、雨の日も寒い日もお店を広げているのだろうか。この人の人生は、どんなものだったのだろうか。買った焼き栗を食べてみたが、1つずつ焼き具合にムラがある。それが彼の人生だった、と言われているようで、噛みしめて食べた。

DSCN2532m

 

帰りのバスは満員だった。15分で仏国寺前に戻ると、また反対側のバス停へ行き、慶州へ戻るバスを探す。フランス人の女性が一人でガイドブックを眺めている。さっきの日本人のじいさんもバスを確認しようと、観光案内所に駆け込む。私も先ほど失敗しているので慎重に対処せざるを得ない。字が読めない、ルートが分からないのはやはり困る。

 

日本に来る外国人観光客も、きっと同じ苦労を味わっていることだろう。その時最後の助けになるのは、そこにいる人だ。韓国人は分からないながらも、何とか説明してあげようという気持ちはあるようだ。日本人は英語で話し掛けられた瞬間に逃げてしまう人が多いと、以前ドイツ人とタイ人に言われたことがある。ハード面を整備するのは勿論だが、最後はソフトだ。

 

何とかバスに乗れた。50分ぐらい乗って無事に市内に戻る。それにしても腹が減った。どうしたものだろうか。確か宿のすぐ近くにやはり古民家を改造したレストランがあったように思う。折角古都に来たのだから、偶には伝統的な韓定食でも食べてみようかと思い、宿へ急いだ。雨は止んでおり、少し寒さが和らいでいた。

 

真冬の韓国散歩2015(7)プサン 迷いながら慶州へ

1月15日(木)

釜田駅とノポのバス

翌朝も雨だった。冬のこの季節に雨が降る、東京などでは考えにくいが、プサンは日本で言えば日本海側の気候なのだと気付く。冬は暗くて寒い、これが昨日から感じている哀愁の原因だろうか。今日は朝、海岸を散歩し、それから焼サバを食べに行こうと目論んでいたが、どうにも外へ出る気が起こらない。やはりソウルの寒さなどが体に堪えたのだろうか。こういう時は休むに限る。

 

朝食はホテルが無料で提供する食堂へ行く。日本の東横インでは1階ロビーの狭いスペースで、おにぎりとみそ汁を食べた記憶があるが、それは正直美味しくはなかった。ここはどうだろう。メニューはそれなりにあり、雑炊とキムチなどを食べてみたが、韓国に来てから美味い物しか食べていないこともあり、やはり物足りない。無料だから、そこそこでいいだろう、という感覚はちょっと残念だが仕方がない。

DSCN2442m

 

結局焼サバも次回に回し、ホテルをチェックアウトする。何故かプサンを離れたくなったのだ。初めてプサン、しかも1泊、24時間も滞在していないのに、どうして逃げ出すように離れたいのか、正直自分でも分からない。次回は夏に来てみよう、何かが変わるかもしれない。

 

駅前から地下鉄に乗り、昨晩のソミョンの次の駅、釜田で降りた。今日は古都、慶州へ行きたいと思っている。KTXで新慶州まで行けば簡単だったが、それは面白くない。折角なのでローカル電車で行こうと思う。何となくそれが今の気分に相応しかった。KTX開業後、ローカル線はプサン駅から釜田駅始発に変更になっていた。地上に出たが、どこに駅があるのか分からない。キョロキョロすると、市場が目に入ったので、行ってみる。ローカル市場、人影もまばら。寂しい。

DSCN2446m

 

駅を発見してエスカレーターを上る。随分と寂しい駅だと思っていると、駅の窓口だけが大混雑。長蛇の列だ。おまけに何時に電車が出るのか、どこ行きなのか、全て韓国語のため、全く分からない。どうしよう、まずは列に並ぶしかない。すると駅員がやって来て、何か言った。分からないので『慶州』と行ってみると、自動販売機の前に誘導された。そして親切にも操作してくれ、切符を買おうとする。

DSCN2448m

 

『慶州行きは何時?』と英語で聞くと、何と今から2時間後しかないことが分かる。切符購入を止め、しばし考える。そして『バスは?』と聞くと『ノポ』という。それは地下鉄1号線の終着駅。取り敢えずそちらへ回ってみようと笑顔で駅員に礼を言い、去る。プサンは韓国第2の都市だと思っていたが、鉄道に関していえば、日本のかなりの地方都市より、田舎だった。それにしても駅窓口の行列は何だったのだろうか?

DSCN2449m

 

また地下鉄に乗り、延々と行く。思ったよりノポは遠かった。ここでもしバスがなかったらどうしよう。何も調べない私の旅はピンチを迎えていたが、焦る必要もない、特に急がない旅はこういう時に強い。ノポ駅で降りると、そのままバスターミナルに繋がっており、慶州行のバスチケットは呆気なく買えた。20分に1本ぐらい出ているようだ。ただチケットを見ると英語で『Gyoeng Ju』と印刷されており、一瞬違う都市のチケット買ってしまったかと錯覚して慌てる。慶州がGで始まるなど、想像していなかった。

DSCN2454m

 

3.慶州

サランチェへ

バスは田舎道を走り、1時間弱で慶州に着いた。これなら電車を待つよりはるかに速かった。乗客も少なく、座席も広く、快適でよかった。ただバスターミナルを出ても、どういったらよいか分からない。観光案内所の女性は英語が流暢だったが、私にふさわしい宿を紹介してはくれなかった。東横インのような味気ないホテルはもういい、古都に似合った宿に泊まりたかったのだが。ターミナル周辺にはまるでラブホのようなモーテルが何軒もあったが、そこへ入る気にはなれない。

DSCN2459m

 

仕方なくガイドブックを開くと、『120年前の伝統的韓屋。朝食はトーストと卵が無料』というのを見つけて聞き直すと、彼女はその宿を知らなかったようで、調べてくれ、何とか道を教えてくれた。日本でもありそうな話だが、旅行客のニーズと対応する側の期待は異なる物。最近日本人観光客が減っていることも影響しているだろうか。

 

教えられた通り歩いていくと、街中に古墳が見える。大きな庭園も出てきた。こんなところに宿があるのだろうか、と不安になった頃、何とも素晴らしい、古い、しかし立派な建物が見えた。『サランチェ』と日本語で書かれていなければ、通り過ぎたかもしれない。古い小さな門を潜るとそこは韓流ドラマの世界、だが犬に吠えられる。それを合図に女性が出てくる。チェックインには早いので、荷物を置かせてもらい、『仏国寺へ行きたい』というと、流暢な英語で親切にバスを教えてくれた。ランチ時で腹は減っていたが、とにかく流れに任せて、バスに乗ってみようと思い、宿を出た。

DSCN2467m

 

先ほどのバスターミナルまで行く必要はなく、仏国寺行きのバスはあっさりやって来た。また小雨が降っている。料金はどこまで乗っても1500ウォンらしい。普通の市内バスなのでちょっと心配になるが、流れに任せた。途中で乗客が大勢乗り込み、バスは山道に入っていった。

 

真冬の韓国散歩2015(6)プサン 哀愁漂う国際市場

2つ目の駅で降りた。そこに日本家屋が残っているというので行ってみる。乾魚物都売市場、ノリや干物など、乾物を売る店が並ぶ市場だった。その建屋は日本時代に作られたものだが、ちょうど庇があって2階部分や屋根などが良く見えない。勿論店はきれいに改装されている。雨のせいもあり、思ったような写真は撮れなかった。

DSCN2422m

 

それから龍頭山公園へ行く。途中エスカレーターを使い、何とか楽して上がる。観光客もちらほら来ている。その上にプサンタワーがあるのだが、高所恐怖症の私は勿論遠慮する。この公園、今は単なる憩いの場だが、江戸時代は倭館と呼ばれる、対馬藩の出先が置かれていた場所だった。

DSCN2426m

DSCN2431m

 

そこを反対側に降りていくと、日本時代の建物が見えた。東洋拓殖釜山支店、現在は近代歴史館として使われていた。ちょうど社会科見学の小学生の一段とぶつかり、そそくさと2階へ逃げる。この歴史館、中国ほどドギツイ物はないが、やはり日本統治の暗黒の歴史を伝えている。小学生には愛国教育が施されているのだろうか。ちょっと悲しいが、歴史を振り返る良い機会になる。

DSCN2434m

 

小雨は降り続いている。列車内で駅弁を早めに食べてしまい、腹が減る。とにかく昨日Yさんから言われた焼サバを食べるために市場へ行く。歴史館のすぐ近くに国際市場があった。だがここは魚市場ではなく、サバはない。それでも路上で実にうまそうなおでんを売っている。ソウルともまたちょっと違うおでん。売っているおばさんにもなぜか哀愁が感じられる。

DSCN2438m

 

我慢できなくなり、トッポギ、チジミと食べ、ついにはおでんを食べ始めると、もう止まらない。美味しいというより、この情景の中に身を沈めていたい、という気分だった。何とも切ない。何故こんな気持ちになるのだろうか。その夜、偶然にも『国際市場』という映画が最近封切られ、話題になっていると知った。見てきたとおり、プサンでもこの旧市街地は寂れ始め、客足が遠のいていた。しかしそこは韓国人の深い悲しみ、孤独が刻み込まれた場所であり、歴史に翻弄された庶民の生きざまが現れていた。決して歴史館には展示されない歴史がそこにあった。

DSCN2435m

 

おでん屋のおばちゃんの写真が撮りたくなり、カメラを向けると『こっちを撮って』と指差したのは料金表だった。『うちは安くて美味いんだよ』と言いたかったのだろうが、言葉が通じないため、咄嗟にこれを指したようだ。韓国語と日本語が書かれていた。洋服やカバン、雑貨などが軒を連ねる国際市場、今後どうなっていくのだろうか。再開発され、きれいなビルになっていくのだろうか。雨のせいか、妙に感傷的になってしまった。

IMG_2183m

IMG_2184m

 

地下鉄で先ほど降りた1つ先の駅へ歩いて向かう。それほど遠くない。チャガルチと呼ばれるエリアだ。ここには公設の魚市場があり、体育館のようなスペースに魚を売るおばさんたちが並んでいた。こんなに沢山いて、皆が売れるのだろうかと心配するほどいるがお客もそこそこいるので商売にはなるのだろう。

IMG_2187m

 

そしてその周辺には魚屋があり、魚をその場で食わせる店もあった。さんまを焼いている店の前で思わず足が止まった。1万ウォンで食べられるらしいが、私の胃腸も既に止まっており、どうしても食べることが出来なかった。本当に無念だ。明日の朝は絶対ここにきて食べるぞ、という強い意思を持って立ち去る。

IMG_2189m

 

地下鉄でホテルへ戻る。雨は引き続き、降っている。特に予定もないので、部屋でテレビを見る。NHKが見られ、相撲をやっている。ローカルチャンネルを見ると、サッカーアジアカップを放映している。さすが韓国、地上波で全試合を中継していた。今日は日本の試合があったので、それに見入る。試合には勝ったが、相変わらず残念な試合を続けている日本代表。最近低迷していた韓国、中国の復活が目覚ましい大会だ。

 

ソミョンのデジクッパ

それにしてもこの部屋、日本の東横インをそのまま持って来たのだろうか。以前一度泊まっただけだが、そっくりに見える。このホテルのカードを作ると日本でも使えるらしい。韓国人の日本観光もターゲットに入れている。またカンボジアのプノンペンに出店するとの広告が目を惹く。以前出店した中国の話題を最近聞かないが、どうしているのだろうか。

IMG_2195m

 

サッカーの試合が終わると夜の8時になっていた。また腹が減る。ソミョンという繁華街があると聞いたので、そこへ見学に行き、何か食べることにした。出来れば焼き魚が食べたい。また地下鉄に乗る。5駅ぐらい行くと、ソミョンはあった。ある意味でここがプサンの中心かもしれない、そんなロケーションだった。

IMG_2196m

 

ただ当てもなく歩く。繁華街、ネオンサインがきつい。歩き回っている内に、美味そうな湯気に出会った。同じものを出す店が3軒並んでおり、競っているようだった。店の前で大きな釜で何かを茹でるおばさんを見ていたが、無反応だった。仕事に集中しているのだろうか。中からオジサンが出てきて、入れ、という合図をしたので、入っていく。オジサン、日本語ができた。デジクッパ、という豚肉の雑炊のような物が出てきた。

IMG_2200m

 

骨付き豚を煮込んでスープを取り、そこにご飯を入れて食べるプサンの名物料理だと後で知る。寒い時にはこれ、と言わんばかりの暖かさだった。あっさりしていて食べやすい。しかし海鮮中心のプサンで何故豚料理が名物なのか。これも北朝鮮方面で食べられていた物が朝鮮戦争の際にプサンに伝えられたことによるという。この街と戦争は切り離せないようだ。夜はどんどん更けていく。おでんの屋台をまた見つけ、卵だけ食べた。

IMG_2199m

IMG_2206m

真冬の韓国散歩2015(5)プサン KTX乗車、東横インに投宿

1月14日(水)

KTXには改札がない

翌朝宿を出てソウル駅へ向かう。宿の女性からプサンに行くなら、KTXが一番速いと言われたので、その通りにしてみる。本当は昔よく名前を聞いた、セマウル特急に乗りたかったのだが、今では日本の新幹線で言う『こだま』に相当するようで、時間がかなりかかるらしい。まあ駅に行って考えよう。

 

大きな荷物は宿に預けて、地下鉄に乗り、ソウル駅へ。この駅は1年半前に通過しており、KTXの位置も分かっていたので、難なく切符売り場へ。カウンターの女性は英語を普通に話し、何の問題もなく、切符が買えた。そしてコンコースを進み、左に曲がれば電車に乗れるというので、行ってみると、どこにも改札がない。突然プラットホームまで降りてしまう。これは驚きだった。

DSCN2392m

 

そして目の前にはずらりと並ぶ駅弁屋。特にお腹は空いていなかったが、興味本位で覗いて見る。焼肉弁当7500ウォンが目に入る。うーん、ちょっと高いけど、まあ買ってみるかと思い、その弁当を指すと、店員が『これ美味しいですよ』と完璧な日本語で言う。え、日本語通じるんだ、と思って店の名前を見ると、何とホットモット、日本の弁当屋じゃないか。奥には日本人もいて、日本語で話を聞いた。競争は激しそうだが、面白そうでもある。

DSCN2398m

DSCN2402m

 

弁当を買い込み、列車に乗る。まあ新幹線と同じだな。席に着くとすぐに弁当を広げて食べた。直後に隣におばさんが座り、ちょっと食べ難かったが、指定席だから仕方がない。そう思ったところ、後からこの席のチケットを持った人が来た。このおばさん、なぜこんなに席が空いているのに、わざわざ私の隣に座ったのか、分からない。

DSCN2404m

DSCN2405m

 

列車は時間通りに発車して、快調に進む。今日は天気が悪く、曇っているので、気分的にはイマイチだが、まあ仕方がない。途中でテジョンやテグなど何駅か停車したが、窓から外を見ると、韓国にはそれほど大きな都市はないのだなと思う。2時間半ほどであっという間にプサンに着いた。KTXは確かに速い。

 

2.プサン

東横イン

プサンの駅の出口にも改札がない。ヨーロッパにも改札がないところがあると聞いたが、日本でも導入すればよいのに、と思う。勿論中には不届き者がいるのだろうが、それは車掌が指定席を数えるだけで大体分かるという。日本の場合、どう考えても改札なしを実行できると思うのだが、雇用優先ということだろうか。

DSCN2410m

 

駅を出ると何と雨が降っていた。それも意外と強い。どうしたものかと思ったが、取り敢えず、観光案内所へ向かう。ちゃんと日本語のできる女性がいる。どこへ行きたいのかと問われ、咄嗟に東横インの名前を伝えると、駅のすぐ横にあることが分かった。昨日見たガイドブックに東横インがあると書いてあったので、興味を持っていた。

DSCN2411m

 

早々に行ってみると、サービスは完全に日本と同じ。それは決していい意味ではない。チェックインは午後4時から、現在はまだ1時、恐らく他のホテルならチェックインできるだろう。だがここまで来ると興味本位で泊まってみるとことにした。フロントの若い女性は日本語、英語とも完璧で恐れ入る。荷物はフロント横に預けて、ネットのパスワードを貰い、ロビーのテーブルでメールをチェックした。

DSCN2413m

 

ロビーから見ていると、お客は日本人も多い。日本語が飛び交っている。出張できている男性が主である。韓国人も利用している。かなり定着している感じがする。料金は1泊6万ウォン、決して安くはないが、立地から考えてまあ仕方がないか。1つ大事な忘れ物をした。携帯電話の充電器をソウルの宿に忘れたのだ。

 

携帯は単に電話だけではなく、時計(目覚まし)としても使っているので、何とか繋げたいが、フロントで聞いても、スマホ全盛の時代にこんな古いモデルの充電器はない、と言われる。先ほどの観光案内所なら分かるかもしれない、というので、行ってみたら、1階のコンビニで出来るかもしれないという。そしてコンビニに行ったが、言葉が通じない。携帯を見せて何とか理解させたが、やはりできなかった。ホテルの隣のコンビに行くと、最初から手を振られてしまう。韓国も言葉が通じないな、一般の場所では。恐らく日本を旅する韓国人が味わうであろう、苦労を想像した。

 

街歩き

携帯の充電を諦めて街歩きに出た。まだ小雨が降っているが、何とかなる程度だった。まずは駅の向かい側へ行く。何とそこにはチャイナタウンと書かれていた。中国料理店もあり、服や雑貨を売る店もあった。華僑中学まで存在した。さすが港町プサン。面白いが、お客は殆どいない。これは雨のせい?それとも景気のせい。

DSCN2415m

DSCN2417m

 

地下鉄に乗ってみる。ソウルほどではないが、プサンにも地下鉄が4路線ある。駅前には1号線が通っており、国際市場やプサンタワー方面へ行ける。何となく暗い地下街、駅だった。乗客もソウルほど多くはなく、乗るのは楽だった。ただホームは狭かったが。

DSCN2421m

真冬の韓国散歩2015(4)ソウル ロッテワールドタワーと懐かしのパン屋

ロッテワールドタワー

Yさんに夕方まで付き合ってもらい、楽しく過ごした。そして久しぶりに江南方面へ行く。待ち合わせまで時間があると思われたので、ゆっくりと地下鉄に乗り、出来れば宣陵にある世界遺産、王墓群へ行ってみるつもりだった。ところがここでも勘違い、4駅も前で降りてしまい、行く気力を無くした。最近は思い込み、勘違いが実に多い。ボケの始まりか。

 

仕方なく、待ち合わせ場所のロッテホテルへ行く。ここにはショッピングモールも併設されており、時間を潰すには便利だ。家電売り場へ行くと、ちょうどサッカーアジアカップの韓国の試合を放送しており、テレビ売り場の前でオジサンたちが手に汗握り、じっと見入っていた。私もつられて、見入る。まるでその昔の街頭テレビのようだ。しかしテレビ売り場以外にお客は殆どいない。セールの張り紙が空しい感じだ。これを見て景気が悪いとは判断できないが、少なくても、商売が厳しい様子は良く分かる。

DSCN2381m

DSCN2385m

 

ロッテホテルで会ったのは、お知り合いのソウル在住K社長ご紹介のCさん。元々はK社長と会うはずが、彼が日本出張となり、一昨日東京で既に会っていた。韓国事情を知りたいというとCさんを紹介してくれたという訳だ。Cさんは韓国有数の教育研修会社の副社長で、日本での留学、勤務経験もある方。日本語も堪能で有意義なお話を聞く。現在の韓国情勢については、これまでの人々と同様に、景気が悪いのは国民心理の作用が大きいこと、また大統領を支持する気になれないこと、など、精神面での落ち込みが語られた。

 

我々が食事をしたのはロッテホテルの向かいに新たに建設した、ロッテワールドタワーという韓国一高い建物。高さ555m、123階建て、現在90数階まで完成しており、工事は続いている。ロッテグループが総力を挙げて建設しているシンボルタワーだ。中に入ると非常に豪華な印象の内装が目を惹くが、ここもお客があまり居ない。こんな立派な建物なのに、なぜお客がいないのか、立地が悪いとも思えない。

DSCN2382m

 

実は度々、床や天井に亀裂が入り、事故も起こっていると報道されているという。確かにこのビルが崩壊するなどと恐れている人のネット記事もいくつもあった。中には『123階建てのセウル号』などと評するブログも見られた。おまけに周辺道路が陥没するなど、すこぶる評判が悪い。お客足が遠のくのも無理はない状況かと思われる。

 

現在韓国では財閥偏重の経済に厳しい目が向けられており、先日大韓航空のナッツリターン事件もそうだが、このロッテの件も、必要以上にバッシングがあるのでは、と感じられる。ただ勿論安全性は最重要だし、お客は他の店に行けばよいので、ここにわざわざ来る必要なく、Cさんもこの近くに勤務していながら、来るのは初めてだと言っていた。因みについ先日ロッテの創業者が長男を解任したという報道があったが、あれとこのタワーは関係があるのだろうか。

 

Cさんがビビンバでも食べようというので、食堂のあるフロアーを目指したが、非常に分かりにくく、何度も聞いて、ようやくたどり着く。単に広すぎるというだけの理由ではなく、使い勝手もよくない。そして夕飯時なのに、このフロアーにもあまり人がいない。ビビンバは美味しかったが、何となく寂しい。人がいない、ということの空しさを味わいながら食べた。

 

日本人を引き継いだ伝統的なパン屋

その後同じフロアーにあるパン屋さんへ行く。Jさんが『ここのパンがおいしいと評判だ』というので付いていく。午前中にイテオンで見た行列が頭を過る。まあここはお客もいないだろうと思っていくと、何とこの店だけは行列が出来ていた。我々はアンパンと野菜パンを買い、暖かい緑茶を飲みながら店内で食べたが、普通の人はコーヒーを注文しており、また大勢の人はテイクアウトするようだ。本当に韓国はパンブームなのだ、とよく理解できた。

DSCN2386m

 

パンを食べてみると、実に懐かしい味がした。Jさんも『子供の頃に食べた味だ』としみじみという。どうしてこんなパンがあるのかと聞くと、『この店は日本統治時代の製法を受け継いでいるから』というではないか。確かに私が食べても懐かしいし韓国人が食べても懐かしいのであれば、そうなのかな、と納得する。韓国最古のパン屋、と呼ばれ、郡山市に1920年代に日本人が開いたパン屋を1945年から引き継いだとある。本店は平日でも長蛇の列らしい。

DSCN2391m

 

歴史的な経緯は別にして、最近韓国でも、台湾や香港のように日本統治時代を懐古する機運があるのだろうか。もし少しでもそれがあるとすれば、やはり中国大陸からのプレッシャーへの無言の反発だろうか。朴政権は中国への依存度を急速に高めたが、それはちょっと拙速だったのではないか、というムードも反映しているのだろうか。今の韓国の若者はアンパンについては何も知らないだろうから、政治や歴史など気にせず、ただブームに乗っているだけだと思うが、その根底にあるものを少し見てみたい気がしないでもない。

DSCN2387m

 

帰りはまた地下鉄に乗る。夜10時を過ぎて、お客はそれほど多くない。寒さのせいだとは思うが、やはり何となく勢いが感じられないソウル。宿へ向かうと寒さが一層堪えた。明日は遂にプサンへ行く。ソウルよりは5-6度気温が高いと聞いており、期待が持てる。

 

真冬の韓国散歩2015(3)ソウル 茹でタコを食べながら

帰りは1号線から3号線に乗り換え、難なく宿へ着く。それにしても夜のソウルは当たり前だが、それなりの防備をしているのに寒い。宿のオンドルに寝ても、その寒さのせいか、暖かさに限界がある。体が南国使用になっているのだろうか。まあそれでも掛布団と毛布に包まれば、極楽、極楽。

 

1月13日(火)

イテオン

翌朝はゆっくり起きてシャワーを浴びる。宿には殆ど人がいないので、交流することもなく過ぎる。これはちょっと寂しい。どこかへ出掛けようと思い、ガイドブックを開くと、ちょうどイテオンという文字が見える。20年前、偽物ブランド品を大量に売っていた場所、今はどうなっているのか、訪ねてみた。

 

今日も地下鉄に乗り、1回乗り換えて、イテオン着。午前中のイテオンは、洋服の卸の店などは見えるものの、ひっそりとしており、昔のイメージはない。坂を下って行くと高級住宅街であり、おしゃれなカフェなども出来ていたが、やはり人影は殆どない。昔のざわざわした街は大きく変貌している。

DSCN2342m

 

大通りを歩いていくと、長蛇の列が見える。一体何の行列かと近寄ってみると、何とパン屋の入り口へ通じている。今韓国はパンのブームらしい。若い女性が中心だが、おじさんや若い男も列にいる。そんなに暇なのだろうか。それにしても平日の午前中にこんなに並んでいるのなら、さぞや美味しいのだろう。

DSCN2351m

 

更に歩いていくと、お洒落なレストランがあった。かなり疲れたので、そこに入りコーヒーを頼む。カウンターの下にパウンドケーキが置かれていたので、それもついで頼んでみたが。会計して驚く。日本円で言えば、コーヒー1杯600円、ケーキは750円にもなる。英語は殆ど通じない。外国人が来るような場所でもなく、韓国人がこのような高い消費をするのだろうか。少なくともコーヒーについては、日本より韓国の方が高いことを実感した。

DSCN2355m

 

タコ鍋

地下鉄で市庁に行く。ここは常に懐かしい。20年前の出張はほぼこの付近に泊まっていた。今はきれいに整備されており、市庁前の広場には即席スケートリンクが出来、幼い子供たちがスケートをしていた。何だか第2のキムヨナを目指しているように見える。特に母親が熱心。韓国の教育熱はいまだ冷めていない。

DSCN2364m

 

プレジデントホテルのロビーでYさんと待ち合わせ。彼はマスコミ関係の人であり、昨晩会いたいと言ったところ、『朴クネ大統領の記者会見と富田の裁判があるので』と断られ、今日になった。実は私は今日板門店見学を考えていたので、富田さんによってその野望は遮られたことになる。それにしても、水泳選手の窃盗疑惑に振り回されるマスコミ、こりゃ大変だ。正直日韓のニュースには本当にウンザリするような内容が多いと感じる。勿論それは彼のせいではなく、彼はむしろ、長いソウル駐在の経験を活かして、韓国の生情報を伝えたいと考えているようだが、東京本社はどうだか。

 

ランチはタコ鍋。何と生きたタコをぐつぐつの鍋に放り込み、ふたをする。見る人が見ると残酷な料理だが、何とも豪快。そして茹で上がると韓国お得意のハサミで小さく切って食べる。これはなかなかイケル。ブルコギなども入っており、確か名前はプルナクチョンゴルだったような。冬ということもあり、ソウルでは今流行っている食べ物のようだ。

DSCN2368m

 

帰り掛けにストーブが目に入る。その上では輪切りにした芋が焼かれていた。何となく眺めていると、おばさんが『食うか』という感じで一つ差し出す。その何気ない行為が昔の懐かしい日本を想起させる。今や日本で常連さん以外に注文していない物をくれる店は殆どないと思う。おばさんが芋をいくつか見て、『これが美味いよ』という顔をした。ここに韓国の神髄を見る。

DSCN2370m

 

それからコーヒーを飲みに行ったが、何といくつもの店が満員で入れない。この辺は繁華街であり、また1つずつの店が小さいという理由はあると思うが、それにして平日の昼下がり、何で満員なの?ようやく本屋に併設された喫茶店に落ち着くが、ここのコーヒーも日本円で500円はした。勿論円安という要素はあるが、韓国の物価は既に一部で日本を抜いてきている。日本のデフレは政府方針とは裏腹に止まらないようだ。

DSCN2374m

 

Yさんは沖縄にゆかりがある人で、前回同様韓国の話から沖縄の話に移る。韓国と沖縄にも色々と似通った点があるという。先ほどの人情のようなところだろうか。そして何となくいい加減で、あまり前途を考えない所だろうか。寒い、寒いソウルで温かい沖縄について語る、それもまた一興だな。

 

明日行こうかと思っているプサンについては『実にいい所、焼サバが美味いので、必ず食べるように』と言われる。昨晩焼き魚を目の前にして、食べ損ねたので、絶対食べるぞ、という気になる。どうもソウルでは食べ物の話ばかりになってしまう。昔はそんなにバリエーションがあると思っていなかったが、韓国料理は奥深い。但し味が比較的単調ではあるが。

真冬の韓国散歩2015(2)ソウル 心底満足したタッカンマリ

冷え込む韓国

3号線に乗り、仁寺洞へ向かう。駅5つほどであるから、これは便利だ。仁寺洞は観光地だが、寒さのせいか、人通りは多くなかった。前回訪ねた明金湯の平安を訪ねる。彼女から韓国の茶産地や歴史についてレクチャーを受け、大いに勉強した。その時点では年末に店を閉めて引退したいと言っていたが、まだ店はやっているのだろうかと、先日メールで問い合わせたところ、やっている、との回答で再訪となった。

DSCN2313m

 

店はほぼそのままで、平安もそのまま座っている感じだった。1年半ぶりの再会だったが、何だか最近も会った気がするのは不思議だ。店内に座り茶をすすりながら外を見ると、客足はやはり少ない。韓国は昨年から景気後退が本格化し、商売も難しくなっているらしい。特に昨年のセウル号沈没事件以降、個人の消費心理が落ち込み、財布の紐が固くなっている。

 

セウル号事件は韓国の様々な問題が露呈し、国民の政府に対する信頼が極度に低下している。200名を越える高校生を、助けることもできずに目の間で死なせてしまった国民感情は計り知れない。4年前の日本の震災の時と同じように、全てが自粛ムードとなり、イベントは中止、消費マインドは冷え込んだ。

 

『韓国人はラテン民族、熱しやすく冷めやすい』、これは私が20年前に4年弱韓国を担当した率直な感想だった。日本に対しては『恨』などと言う感情を持つと言われる韓国人だが、その実粘り強さはない。今回の事件を契機にこの雰囲気が醸成された。そうなると後は悪いことばかり。最近の大韓航空のナッツリターン事件など財閥偏重に対する国民の厳しい対応が目を惹く。

 

そんな話をしていると、平安が電話で人を呼ぶ。呼ばれてきたのは、韓国のお茶雑誌、『茶道』の編集長。韓国語で書かれたきれいな雑誌で、中国茶や紅茶なども紹介されていた。編集長は日本語ができ、日本茶に関しての知識もあり、さすがにお茶関係の人。私の茶旅に興味があるようで、いくつも質問が出た。将来何か繋がりが出来ると面白いと思うが、まだその時期ではないようだ。

DSCN2316m

 

編集長が帰り、平安とゆっくり話をしようと思っていると、お客が入ってきた。茶器に興味があるようで、長居する気配だったので、こちらは退散することにした。今日のところは、前回好評だった古茶樹の紅茶の購入は控えた。そして寒い、寒い屋外へ出て、東大門を目指して歩き始めた。

 

タッカンマリ

仁寺洞から東大門まではそれほど遠くないと思い込み歩き始めたが、意外や、地下鉄駅で2つ以上あり、しかも陽が落ちてきて相当に寒い。地下鉄に乗ればよかったと後悔したが、遅かった。ひたすら歩くしかない。

 

途中に市場があり、着いたかと思ったが、そこは広蔵市場という別の場所だった。ここは李氏朝鮮時代からある大きな市場で、一時は東大門市場とも呼ばれていたらしい。寒さを凌ぐつもりで入ってみると、相当細長いアーケードに店が並ぶ。そして中央付近には暖かな湯気が立ち込め、大勢の人が食事をし、酒を飲んでいた。ポジャンマチャと呼ばれる飲み屋屋台、おでんや海苔巻など日本風の食べ物も並んでおり、そそられる。

DSCN2325m

 

だが私には目的地があった。先ほど宿でFacebookを見ると、大学の後輩のS嬢から『ソウルに行ったら、是非タッカンマリを食べてください。絶対美味しいですよ』と言うメッセージが入っており、それに従うことにしたのだ。それが私の旅、その信念?により、屋台を振り切り、またも極寒の街路を歩く。

DSCN2328m

 

そしてついに東大門に着いたが、お目当ての店は見付からない。市場自体がビルになり、その横の道を探す。何とか細い路地に入ると、そこではサバやサンマを焼いている。おばさんが『美味しいよ』と声をかけるので、その誘惑に危うく負けそうになる。ようやくタッカンマリのその店を見つけたが、外から見ると大きな鍋が出ている。そして一人で食べている人もいない。

DSCN2329m

 

タッカンマリは鳥を一羽、鍋にぶち込む豪快な料理、とても一人では食べ切れない。そして料金も2万ウォン(2000円)はするので、足が向かない。その道で何軒か見てみたが、みな同じ仕組み。ついに意を決して最初の店に飛び込むと、店員が『一人?あっち』と日本語で声をかけ、席を作る。そして何と『鳥半分ね』と半羽にしてくれた。この辺の柔軟性が良い。鍋はぐつぐつと煮え、寒さのせいか、鶏肉はウマかった。スープも出汁が効いている。湯気を見るだけで体が温まる。

DSCN2336m

 

隣のテーブルを見ると若い女性が二人で食べているが、私の鍋とは色が全然違う。相当に味噌や辛子を入れている。店員は日本人の私の好みに合うように作っているのだ。よくできている。キムチを食べながら、トッポギを入れる。たれがまたさっぱりしていて、茹でた鶏肉を付けると絶妙だ。一人なのにだんだん楽しくなる。

DSCN2338m

 

鶏半羽でも満腹だったが、店員が『うどん』というので、ククスを入れてしまう。これがまた鶏肉の出汁が出たスープによく合うのだが、さすがに腹が収まり切れない。ついにギブアップした時には、椅子から立ち上がるのさえ、億劫だった。久しぶりに心底満足した。韓国は食い物が美味い!

DSCN2339m

 

真冬の韓国散歩2015(1)ソウル 日韓友好のゲストハウス

《真冬の韓国散歩2015》  2015年1月12日-17日

 

4年ぶりに正月を日本で過ごした。家族4人で過ごす正月はこれが6年ぶり、とは言っても特にやることはなく、例年通り、3日間駅伝を見て過ごす。今年は元日の天皇杯サッカーがなく、皇后杯になっていたのが、目新しいぐらい。三が日は3日の午後に近くの神社にお参りに行っただけで、外にも出なかった。グータラ正月を過ごす。南国暮らしの長い私には、東京の冬は寒さが堪える。

 

そしてバンコックへ帰るフライトの途中、韓国でストップオーバーした。今回はアシアナ航空だったので、ちょっと寄り道。行きはバンコック⇒仁川⇒成田、だったが、帰りは羽田⇒金浦が使えるので、実はかなり便利、料金も変わらない。1年半ぶりに行く韓国はどうなっているのだろうか。特に今回は今まで行っていない、プサンと慶州も訪ねる。楽しみだが、かなり寒そう。

 

1月12日(月)

1.ソウル

空港から

羽田から金浦まではかなり近く感じられた。アシアナの機内サービスは相変わらず悪くない。離陸するとすぐに寝込んだ私のシートにはシールが張られ、起きると同時にCAがやって来て、朝食の有無を聞く。そして暖かいお茶が運ばれてくる。日本の航空会社でも朝から冷たい飲み物しか出さないおもてなしもある。朝は冷たい飲み物ではなく、暖かい物が良い、と思う。

DSCN2291m

 

金浦空港、20年前香港駐在で韓国担当になり、4年弱で20回以上は通った空港だった。その頃仁川空港はなかった。あの頃は空港を下りるとキムチの匂いがしたが、今では全く別の空港のようにきれいだった。イミグレも空いていて、すぐに通過できる。それでも荷物を待たずにピックアップで来た。実に順調だ。まずは両替所へ寄る。今回東京の家の整理をしていて、1つの発見があった。何と12年前にソウルへ行った時に両替したウォンが残っていたのだ。ただ古い札なので、使えるかどうかが心配だったが、銀行で聞いてみると『使えます』とのことだったので、両替せずに立ち去る。

DSCN2289m

 

20年前はバスだったが、今では市内へ行くのに、電車が走っている。電車のカードも前回貰っていたので、そこにチャージするため旧札を使ったが、機械はちゃんと反応し、見事に使えた。これは嬉しい。日本で聖徳太子の札に機械は対応するのだろうか?金浦空港にはロッテモールが併設されており、ここで買い物もできる。電車駅の近くでは映画か何か撮影が行われており、人だかりができていた。

DSCN2295m

 

電車に乗り、一駅行き、そこで乗り換え。エアポートリンクはいいのだが、普通の地下鉄の駅ではエスカレーターがあまり無く、エレベーターを見つけるのに少し苦労する。この辺は東京と同じ、20年以上も経っていると、老朽化というか、新しいメンテが必要になってくるが、その資金がどこまで出るのか。

 

地下鉄6号線から3号線に乗り替え、ようやく目的の駅に着いた。改札を出ようとすると車いすの人が前を通る。付いていくと、ちゃんと車いすが通れるゲートがあった。私もそこを通過。外へ出ると当たり前だが寒い。日中だというのに、耳が痛い。東京より5度ぐらい低い気温だ。晴天なので、余計に寒く感じる。

DSCN2300m

 

日韓友好のゲストハウスは

今日の宿、ボアハウスはひっそりと建っていた。入口のドアは開いていたが、2階のドアは閉まっており、チャイムで開けてもらう。出てきたのは韓国人女性、日本語ができる。この寒さの中、実にホンワカした雰囲気の人でとても和む。この宿は2階に部屋がいくつかあり、その上は狭い共有スペースと屋上。屋上はタバコを吸うのと、洗濯を干すスペース。周囲がよく見えたが寒さですぐに引っ込む。

DSCN2308m

 

個室のオンドル部屋、床が温かい。何だか学生時代の下宿に来たような気分。ネットは何とか部屋で繋がる。トイレとシャワーが付いているは有難い。そして何より有難いのは携帯電話を貸してくれること。韓国は日本同様シムカードがないため、これまでは空港で携帯自体を借りなければならなかった。この費用は日本並みに高かったが、今回は単なる電話機能の携帯をここで借りたので、安く済んだ。

DSCN2305m

 

ゲストハウスはホテルより条件は悪いが、親切なサービスが多い。例えば空港から宿へ行き方が非常に細かく、具体的に書かれている。そして安く行く方法を明示されているので助かる。大きなホテルはタクシーに乗れば分かる、と言った尊大な表示なので、庶民には困ることがある。

DSCN2304m

 

ここ2年、日韓関係は悪化して、既に韓流ブームも過去のものとなり、日本から韓国に来る旅行者は激減している。ここボアハウスも日本人旅行者が客の中心であったため、お客はかなり少ない。本日は真冬で寒いこともあり、韓国人のおばさんが一人、泊まっているだけ。オーナーの女性は『開業して8年になるが、今は休みだと考えている』と諦め顔だった。尚この宿の開業理由は『東京に行った時泊まったゲストハウスがとても良く、色々と教えてもらった。ソウルでも日韓の友好の場があれば』との思いからだそうだ。その思い、届くのだろうか。

10年ぶりにソウルへ行く(5)ソウルの中国人

台湾無国籍パスポートを持つ韓国華人

安先生とは途中で分かれ、またカヤホテルへ戻る。今晩は香港人トミーの紹介で韓国華人に会うことになっていた。地下鉄新村駅で夜8時に待ち合わせたが、お互いが分からなかった。彼女、シュウシュウは思ったよりずっと若かった。彼女はきっと私がもっと若いと思ってやってきたのだろう。

 

近くのサムゲタン屋に入る。サムゲタンも90年代、よく食べた。日本人は合うのだ。シュウシュウは祖先が山東から来たが両親共に韓国生まれ。ある意味で完全な韓国人だ。だが話していると何と彼女は『無国籍』だという。高校まではソウルの華人学校に通うが、華人のための大学はなく、彼女は台湾へ留学した。ソウルの華人は台湾へ留学するか、韓国の大学へ行くか、その時点で選択を迫られる。同時に韓国の大学へ行けば、自ずと韓国籍を取る方向になり、その取得は容易らしい。

 

彼女はその道を選んでいない。先祖が国民党系なのだろうが、だからと言って台湾がパスポートをくれるわけではない。無国籍パスポート、という証明は出してくれるが、台湾ビザは取らないと滞在できない。何とも不思議な境遇だ。日本でも在日韓国人などで同じ問題が起こっているのかもしれない。

 

現在彼女は香港人であるトミーなどと仕事をする上で中国語を使っている。韓国人の友達とは韓国語を話している。家はヨンヒドンというソウルの華人街にあるらしい。ソウルにはチャイナタウンはないと聞いていたのだが、どうやらあるらしい。地下鉄などは通っていないので、バスで行くしかないと言われる。彼女はやはり韓国人とは少し違う。非常にソフトな女性で好感が持てる。初めて会った気がしないタイプ。若い上海人の雰囲気がある。

 

8月30日(金)

1909年に設立された華僑学校 

翌朝は再度明洞へ。昨晩シュウシュウから聞いた華人協会を訪ねるためだ。明洞には観光案内人がいる。彼らは日本語、中国語、英語を使い分け、観光客の道案内をしている。これは素晴らしい。地図も3か国の物を持ち、人によって的確な言語を配る。ボランティアかと思っていたが、市に雇用されているという。変な勧誘は姿を消し、明るい明洞になっている。

 

明洞の端に目指す華人協会はあったが、中には人はいなかった。ここで韓国華僑の歴史と現状を聞きたいと考えたのだが、残念ながら次回となった。入口付近にいた若者はちゃんと中国語を話したので、実はソウルにも相当数の華人が存在していることは確認した。

 

協会のすぐ近くに華人小学校があった。1909年創立と言う由緒正しい学校。1909年と言えば、韓国併合前年、この時期、ソウルでは一体何が起こっていたのだろうか。この年にできた意味があるのだろうか。校舎は古いが立派、華人が市内にも多くいることを窺わせる。ただ校内に入ることはできない。

 

朝ごはんを食べていなかったのでちょっと早い昼ご飯としてビビンバを華人協会並びのレストランで食べる。味噌汁がやけに美味しい。食後にはヤクルトが配られる。これも面白い。この付近は華人街ともいえる場所、漢字の看板が多い。両替所を覗くと、人民元の両替率が良い。

 

江南

そのまま地下鉄に乗り、江南へ向かう。ここも90年代は仕事で時々訪問したが、どうなっているのだろうか。目指す場所が分からないので、取り敢えずまた新世界百貨へ行く。ここは高速バスターミナルに隣接していた。次回はバスでどこかへ行った見たくなる。

百貨店の内容は市内と変わらない。スタバで無料珈琲を貰い、飲む。するともうやることがない。江南は何をする場所か、全然分かっていなかった。また地下鉄に乗り、もう一つの場所へ行ってみるが、そこもビルが並んでいるだけで特に面白味はなく、退散。

再び仁寺洞へ行く。平安さんは店にいたので、またお茶の話をする。お茶は本当に良いキーワードだ。これがあれば時間はいくらでも使える。そしてどんどん深まり、落ちていく。親しさも増してくる。次回は来年、韓国の茶畑を巡ることが出来るのだろうか。

それにしても、ここにある古茶樹で作ったお茶には何かの力がある。それは何か到底わからないが、味わいがあり、そして飲みやすい。どうしてもこの産地を訪れたいと思うが、ご縁があるだろうか。

ソウルの高級住宅街ヨンヒドン

思い切って昨晩聞いたヨンヒドンにトライする。どこにあるか分からず、言葉も通じない場所へ行く、これは旅の醍醐味だ。取り敢えず昨日シュウシュウと会った新村駅へ。そこからタクシーを捕まえて、『ヨンヒドン』と言ってみると、何とか通じた。上々。

タクシーで15分ぐらい行くと、漢字の看板が見えた。この辺かな、と思っていると運転手が車を停めた。降りてみる。中国レストランが数軒見えたが、チャイナタウンとは思われない。むしろ高級住宅街であった。ちょっと歩いて見ると、本当にいい家が並んでいた。そしてよく見てみると、表札に韓国語と並んで漢字が書かれている家がある。これは間違いなく、華人の住まいだ。ただそれとは分からないようにしてある。韓国で成功した中国系、お金のある人はひっそり暮らすものだ。

正直顔を見ても、韓国人か中国人か分かり難い。結構違うはずなのだが。そして中国語は聞こえてこない。既に何代か前から住んでいる人々なのだろう。ここで中国料理を食べたかったが、レストランも少なく、時間も早かったので断念した。勿論漢字で書かれた看板はあったので、中国語は通じる筈だが。

戻りは思い切ってバスに乗ってみる。タクシーで道が分かったので、バスで帰れると踏んだのだ。バス停にはハングル表記が多いが、所々漢字が見え、それを頼りにバスの番号を選んだ。ちょっとスリリング。まあ、昼間なので問題ないが、もし違う方向へ曲がったらすぐ降りられるように身構えた。途中ヨンセ大の前を通る。名門大学だ。バスは何こともなく、新村へ戻った。冒険は終わった。

つくしアゲイン

帰りに明日の空港行きのリムジンバスをチェックした。何とカヤホテルのすぐ近くに乗り場があるという。明日は仁川ではなく金浦なので気は楽だったが、荷物が多いので電車で行くのは嫌だった。ホテルのカンさんがこのバスを教えてくれた。

ホテルに帰り休む。すると何となくまたつくしに行きたくなってしまった。先日撮った写真をEメールで送り、そして出掛けた。今回は時間が早かったのでお客は少なかった。愛想のよい彼女が出てきて歓迎してくれた。

ママも後からやってきてまたおしゃべりした。写真も話題になった。突然ソウルに親戚が出来たような気分になった。いつ来ても楽しい居酒屋、そんな空間が実に貴重だった。今日はトンカツとエビフライのミックスを頼み、また腹一杯食べてしまった。お客は相変わらず、韓国人が殆どだった。

8月31日(土)

リムジンバスでカード使えず

朝5時半に起きて、ホテルをチェックアウトした。まだ外は暗かった。空港行きのリムジンバスは5時台からあるというが、30分に一本。大体計算してバスの来る時間にバス停に行くと10分程度でやってきた。乗ってしまえばこちらのもの。

ところが使える筈のTカードがなぜか反応しない。実はお金も計算して金浦までの料金しか入れていなかったのだが、運転手は仁川まで行くと思い込んでいて、残金不足となったようだ。言葉が通じない。お客は待っている。仕方なく1万Wを取り出すと、仁川までの料金、7000Wを取られてしまう。これは困ったものだ。

バスはすでに満員で何とか席を確保する。それからいくつかのバス停に停まったが、皆立っていくことになった。このバスは金浦経由仁川行だが、今後は金浦行と仁川行を分けた方が間違いも少なく、混雑も緩和されるように思う。

実はバスには中国人も結構乗っていた。バスに置かれた冊子には中国語が使われており、買い物場所のコマーシャルなどは特に中国語が目立った。昔の日本のハワイ旅行、のような雰囲気を感じる。そんなことを考えているとわずか30分程度で、金浦空港に着いた。

空港でアップグレード

金浦空港は90年代、何十回も出張で使った空港だった。当日は仁川がなく、全ては金浦。当然のことながら十数年を経て、かなりきれいになっている。先ずは借りていた携帯電話尾を返却。日本ではすぐに料金が分からず、後でメールが来てクレジットカード払いだったが、ここではすぐに料金が提示され、現金で支払いことが出来た。この差は実はかなり大きい。

チェックインカウンターでは、北京行のチケットは認識されていたが、なぜかその後の乗継便、バンコック行は認識されていなかった。確かに航空会社は違うのだが、同じスターアライアンス、当然問題ないと思っていたので、思わず、『えー、何で』と言ってしまうと、アシアナの女性はニッコリして『今回はアップグレードになりました』とビジネスクラスの空港券が渡される。

これは偶然なのか、それとも彼女の機転か、はたまたマニュアルか。とにかくお客の不満に対する速さには驚いた。中国なら何か問題があればそこから交渉になるが、恐らくはここ韓国では交渉を避ける手段が構築されているように思える。私のケースはクレームとも思えないので、単なるラッキーか。

免税店では相変わらず中国人が朝から買い物に余念がない。店員も流暢な中国語で買い物を促している。日本語のできる店員もいるが、マイナーな存在だ。最後の最後まで、朝早くから買い物に熱を上げる中国人、その熱意には敬意すら覚えるが、それでよいのか、と思わずにはいられない。

帰りはビジネスクラスで、アシアナのサービスを満喫した。エコノミーでもサービスの良さが感じられたのだから、ビジネスなら当然。このサービスにはまさに敬意を表する。

 

10年ぶりにソウルへ行く(4)南ソウル大学の安先生

8月28日(水)

4.     忠北道

広島生活2か月で日本語を覚えたキムさん

翌日は大学の同窓生Oさんから紹介された南ソウル大学の安先生を訪ねる。この南ソウル大学、名前からしてソウルの南にあるのだろうとは思ったが、安先生に電話すると『とても遠いので、誰か迎えに行かせる』という。恐縮したが、その後私が借りた携帯に日本語でメッセージが入る。

 

『明日南営駅改札で7時に待っています』、え、一瞬何かの勧誘かと思ってしまったが、それが安先生の教え子のメールだと気づいて驚く。確か安先生は1年生を行かせる、と言っていたはずだ。1年生でこんなメールの文章が書けるのか?

 

朝7時、ちょっと緊張して改札に行くと、確かに若い女性が立っていた。金さん、日本語学科1年生。しかもこの3月から日本語を習い始めたばかりだと、普通に日本語で話す。これには驚く。たった5か月でこんなに日本語が出来るようになるのか。それには訳があった。

 

電車の中で話を聞く。朝の通勤ラッシュはソウルにもあるが、我々は1号線を逆方向に進むため、座ることが出来た。金さんは『実は6‐7月の2か月、広島に行っていました』という。何で広島?安先生のプログラムに広島で2か月日本語を勉強する、というコースがある。その内容がすごい。『1か月1万円で生活します』、聞き間違いかと思ったが金さんの日本語は極めて正確だった。

 

その為には『食事はほぼ自炊、電気も節約し、部屋のクーラーも付けません』と。え、それって日本語の研修、それともサバイバル研修?韓国人学生数人で一緒に行ったようだが、広島の夏は暑かっただろう。『部屋は暑いので公民館や図書館、偶に原爆記念館にも行きました』という。そしてそこで地元の人とコミュニケーションが生まれた。『スーパーの安売りは午後8時半からなんです』、当然地元では目立つ存在だったろう。『皆さん親切でした』、それはそうだろ。そこで生活に必要な日本語を覚え、会話の勉強もしたようだ。大学へは自転車通学、徹底したエコと自立の精神。これは凄い教育だ。因みに韓国と日本の往復も、飛行機などは使わずにフェリーで10数時間かけるそうだ。その徹底ぶりは見事だ。

 

ユニクロに就職するスミさん

そんな話をしている内に電車に安先生が乗り込んできた。途中駅に自宅があるようだ。安先生の日本語はほぼ完ぺきだ。金さんとも普通に日本語で会話している。私が一年生の時、こんなことはあり得なかったな。

 

安先生は私が大学生だった頃、わが母校に研究生として在籍。その後広島大学で博士課程に通った。だからそのご縁で学生の研修は広島で行っている訳だ。実にユニークな先生であることは一目で分かる。広島研修の話を先生に聞くと『韓国は金持ちになったと言ってもお金のない学生もいるんです。その子たちにも日本へ行く機会を与えようと思えば、渡航費、生活費を最低限に抑えればいいんです』とこともなげに言う。

 

そして電車に乗り合わせた学生と気楽に話す。スミ、と呼ばれたその女子学生も雰囲気も日本語も殆ど日本人だった。広島の研修にも行き、名古屋の大学にも1年交換留学で行ったという。そして就職先はユニクロ。如何にもがんばり屋、という雰囲気が漂う。日本人学生は彼女等には歯が立たないだろう。語学力、ガッツ、どれをとっても勝てる要素がない。

 

安先生の授業は厳しいらしい。出席は毎回必ず取る、漢字テストも毎回ある。授業中の携帯禁止。学生たちも辛いという。特に大学がかなり遠いのでソウル市内から通ってくる人にとって勉強は大変らしい。

 

長かったはずの電車、1時間強があっという間に過ぎた。駅を降りると、大学行きのバスが来ている。乗り込んで10分ぐらいで、キャンパスに到着。ここはソウル市ではなく、京畿道でもなく、忠清北道になるらしい。大学のソウル集中を防ぐ措置とか。実に空気の良い、広々したキャンパスだった。

安先生の驚くべき活動

学校に着くと先ず安先生の部屋でビデオを見た。安先生のプログラムは広島以外にもう一つあった。それが日本海ゴミ拾い。先生が大学院時代に鳥取砂丘に行き、その海岸で見つけたごみにハングルが書かれていたことから、『恥ずかしい』と感じて、一人で拾い始めたのだという。

 

その後大学の教員となり、鳥取大学と協力して、学生共々毎年ごみを拾い続けている。これも広島同様フェリーで往復、日々の移動は自転車というエコぶり。『世の中にはエコと言いながら、ごみを大量に出す人、車を運転する人がいるが、それはエコではない』といい、何とごみ拾いをする時の昼ごはんは『パンの耳』と水のみ。パンの耳ならごみは出ないし、捨てるのはもったいないと。

 

最近はこの活動が評判を呼び、日本のテレビにも取り上げられている。各市町村もわざわざ韓国からごみを拾いに来てくれる学生に対して『せめて昼ご飯に美味しいものを』と幕の内弁当などを用意してくれるのだが、安先生は不満だ。ただパンの耳が手に入りにくい事情も理解している。

 

日本の学生や地域のボランティア団体も活動に賛同して、一緒にごみを拾う。これが日本人との交流にもなり、日本語の勉強にもなるという。全く無駄がなく、そして有意義な活動だ。これを思いつく安先生は、気骨のある人。

 

午前中の授業は3年生だった。私がお話することになり、文章の書き方と旅について、簡単に話した。日本語の理解力はかなりあり、普通のスピードで話しても付いてくる学生が多かった。日本に行ったことがある学生も多く、日韓の違いなどについても少し考えてみた。我々と違って若者には吸収力がある。間違った指導をしなければ確実に理解して行くものだと感じる。

安先生の厳しい指導

昼ごはんは安先生と国際交流課のスタッフと取る。キムチチゲをご馳走になった。実に久しぶりにチゲを食べ、満足した。付いてくるキムチや野菜も美味かった。ご飯が進む。やはり人数がいると色々と食べられてよい。

 

この南ソウル大学はアジア各地の大学と提携しているが、最近は中国との提携が活発だ。地理的に近い山東省のほか、いくつかの大学から留学生を受け入れている。そしてこちらからも中国へ留学する。今や韓国では外国語が出来ないのはダメ、という風潮があり、就職を考えると、日本語より中国語の方が有利な状況となっている。

 

午後は1年生の授業だった。迎えに来た金さんも含まれている。韓国では学校によっては中学2₋3年から日本語を学ぶところもあり、1年生と言ってもそのレベルはかなりのバラつきがあった。完全に話に付いてこられる学生もいるが、全く分からない人もいる。それは当然で仕方ないことだと思っていたが、安先生は途中から熱を入れて通訳を始めた。

 

そして理解できない学生を名指しして叱咤する。『理解できないからと言って諦めて聞こうとしない態度はダメだ』と相当に厳しい。先生は学ぶ姿勢に関しては特にうるさい。この姿勢、日本には今やなくなってしまい、教師も生徒に求めなくなっているが、重要なことだ。

 

午前も午後も質問はいくつも出た。日本の大学で話をしても、活発に質問が出ることは少ない。どうしても意識してしまうらしい。だが外国語でみんなの前で堂々と質問できる、韓国の学生は積極的だ。そして先生も『日本語を勉強するというより、話の中身を学ぶべきだ』と言ってくれた。これは嬉しいこと。そしてなんと『明日の午前中、4年生の授業でも話してくれ』と依頼され、快諾した。安先生によれば『奥さんに話したら、わざわざ日本人に来てもらって3回も話をさせるなんて常識がない』と言われたそうだが、その常識破りの熱意は、皆に受け入れられるだろう。

 

安先生の部屋には常に学生が出入りしている。厳しい先生だが、積極的に関わってくる学生は歓迎している。来週も外国から先生がやってくるらしいが、その受け入れを学生に任せている。『これも勉強なんです。外国人と接するあらゆる機会を捉えて、勉強させます。勉強とは語学だけではなく、受け入れアレンジの仕方やイベントの実行など、様々です』と実に実践的だ。日本でもこんな教育できないのだろうか。学生はお客さんではないのだから。

 

甘いブドウ

 

 

夜は安先生他2人の先生と田舎料理を食べに行く。どこの国でもそうだが、その土地土地の食べ物が一番おいしい。キムチだって1つとして同じものはない。ここは鶏肉が美味しかった。韓国はどうしても牛肉、焼肉のイメージが強いが、一般人は牛肉を食べることはあまりないようだ。一体いつから韓国では牛肉を食べるようになったのか、これは謎だ。

 

また韓国人、特に男性は酒が強い、というイメージもあるが、意外と酒を飲まない人も多い。勿論車の運転がある人は当然だが。今回も酒は殆ど飲まなかった。そして一番驚いたのが、デザートとして巨峰が出てきたこと。その甘いこと、日本の高級巨峰に引けを取らない。韓国の農業力もかなり向上しているのだろう。

 

今日は先生の好意で大学の宿舎に泊めてもらう。キャンパス内にある宿舎は完全にホテルだった。箱モノ行政で立派なものを作ったがあまり利用がなく、宝の持ち腐れだという。何とNHKワールドプレミアまで見ることが出来た。周囲に音はなく、ぐっすりと眠れることが出来た。 

 

8月29日(木)

 

4年生と単位

 

翌朝9時過ぎに安先生はやってきて、朝ごはんを食べさせてくれた。律儀な先生だ。大学の周囲にはあまり店などないようで、学内でトーストとコーヒーを頂く。安先生はそこで働くおばさんとも気さくに話をしていた。こういうコミュニケーション、大事だな、と感じる。

 

 

そして4年生に、また同じ話をした。韓国でも日本同様、就職は大変、またこの国は『内定即就職』という習慣があり、就職が決まると学校に来ない学生が出て来るらしい。安先生はそれも不満であり、本日の授業でも『授業に来なければ単位は出さない』と告げていた。しかしそれでは就職できないではないか?

 

 

『実際に卒業できなかった学生もいますよ』と安先生は平然と言う。自らの信念は曲げない、それは凄いが大丈夫なのだろうか。『私の評判は皆知っているはずだから、授業を取る学生は理解しているはずだ』と言う。ちょうど授業が終わると部屋に赤ちゃんを連れた若い夫婦が訪ねてきた。旦那は日本人だった。奥さんが安先生の学生で、何と卒業できなかった人だという。それでもちゃんと子供が出来れば先生に見せに来る、安先生の魅力だろうか。

 

 

日本人先生と学食

 

この大学の日本語科には日本人の先生が何人かいた。お昼は日本人の先生、2人も入れて食事に行く。ちょうど雨が降り出し、遠くへ行くのを断念。学食へ向かったが、雨のせいもあり、大混雑だった。一応先生用に席はあるのだが、食事を取るのに大行列が出来ていた。ここでも安先生が日頃のコミュニケーションを生かして、特別に早くランチを貰ってくれた。安先生はこの大学の創設された20年前から奉職している古参教員。きっと名物先生なのだろう。

 

 

日本人の先生たちも色々な経緯でここへやってきている。海外で外国人に日本語を教える、それは簡単そうで実は難しいことだろう。今回私も話をしてみて、彼らは何が分かるのか、分からないのか、も分からず、結構苦労した。私は一方的に話すだけだが、先生はその内容を理解させなければならない。

 

 

しかも日本語を勉強しても就職の問題もあり、果たして学生にとって良いことなのかどうかさえ、怪しい。教えるモチベーションを維持するのは大変だろう。また韓国の田舎に住むのも大変だ。韓国語が出来ればまだいいが、そうでなければ言葉の壁もある。勿論教える際にも韓国語が必要になるかもしれない。しかも必ずしも韓国が好きだから韓国で教えている訳ではなさそうだ。

 

 

帰りは学校のバスで駅まで行く。安先生も一緒だった。電車がやってきたら、安先生は急いで乗り込む。何とその電車は急行で、ソウルまで普通より30分近く早く着くとのこと。やはり韓国語が分からなければ生きるのは難しそうだ。今回は先生のお蔭で実に貴重な体験をした。