10年ぶりにソウルへ行く(4)南ソウル大学の安先生

8月28日(水)

4.     忠北道

広島生活2か月で日本語を覚えたキムさん

翌日は大学の同窓生Oさんから紹介された南ソウル大学の安先生を訪ねる。この南ソウル大学、名前からしてソウルの南にあるのだろうとは思ったが、安先生に電話すると『とても遠いので、誰か迎えに行かせる』という。恐縮したが、その後私が借りた携帯に日本語でメッセージが入る。

 

『明日南営駅改札で7時に待っています』、え、一瞬何かの勧誘かと思ってしまったが、それが安先生の教え子のメールだと気づいて驚く。確か安先生は1年生を行かせる、と言っていたはずだ。1年生でこんなメールの文章が書けるのか?

 

朝7時、ちょっと緊張して改札に行くと、確かに若い女性が立っていた。金さん、日本語学科1年生。しかもこの3月から日本語を習い始めたばかりだと、普通に日本語で話す。これには驚く。たった5か月でこんなに日本語が出来るようになるのか。それには訳があった。

 

電車の中で話を聞く。朝の通勤ラッシュはソウルにもあるが、我々は1号線を逆方向に進むため、座ることが出来た。金さんは『実は6‐7月の2か月、広島に行っていました』という。何で広島?安先生のプログラムに広島で2か月日本語を勉強する、というコースがある。その内容がすごい。『1か月1万円で生活します』、聞き間違いかと思ったが金さんの日本語は極めて正確だった。

 

その為には『食事はほぼ自炊、電気も節約し、部屋のクーラーも付けません』と。え、それって日本語の研修、それともサバイバル研修?韓国人学生数人で一緒に行ったようだが、広島の夏は暑かっただろう。『部屋は暑いので公民館や図書館、偶に原爆記念館にも行きました』という。そしてそこで地元の人とコミュニケーションが生まれた。『スーパーの安売りは午後8時半からなんです』、当然地元では目立つ存在だったろう。『皆さん親切でした』、それはそうだろ。そこで生活に必要な日本語を覚え、会話の勉強もしたようだ。大学へは自転車通学、徹底したエコと自立の精神。これは凄い教育だ。因みに韓国と日本の往復も、飛行機などは使わずにフェリーで10数時間かけるそうだ。その徹底ぶりは見事だ。

 

ユニクロに就職するスミさん

そんな話をしている内に電車に安先生が乗り込んできた。途中駅に自宅があるようだ。安先生の日本語はほぼ完ぺきだ。金さんとも普通に日本語で会話している。私が一年生の時、こんなことはあり得なかったな。

 

安先生は私が大学生だった頃、わが母校に研究生として在籍。その後広島大学で博士課程に通った。だからそのご縁で学生の研修は広島で行っている訳だ。実にユニークな先生であることは一目で分かる。広島研修の話を先生に聞くと『韓国は金持ちになったと言ってもお金のない学生もいるんです。その子たちにも日本へ行く機会を与えようと思えば、渡航費、生活費を最低限に抑えればいいんです』とこともなげに言う。

 

そして電車に乗り合わせた学生と気楽に話す。スミ、と呼ばれたその女子学生も雰囲気も日本語も殆ど日本人だった。広島の研修にも行き、名古屋の大学にも1年交換留学で行ったという。そして就職先はユニクロ。如何にもがんばり屋、という雰囲気が漂う。日本人学生は彼女等には歯が立たないだろう。語学力、ガッツ、どれをとっても勝てる要素がない。

 

安先生の授業は厳しいらしい。出席は毎回必ず取る、漢字テストも毎回ある。授業中の携帯禁止。学生たちも辛いという。特に大学がかなり遠いのでソウル市内から通ってくる人にとって勉強は大変らしい。

 

長かったはずの電車、1時間強があっという間に過ぎた。駅を降りると、大学行きのバスが来ている。乗り込んで10分ぐらいで、キャンパスに到着。ここはソウル市ではなく、京畿道でもなく、忠清北道になるらしい。大学のソウル集中を防ぐ措置とか。実に空気の良い、広々したキャンパスだった。

安先生の驚くべき活動

学校に着くと先ず安先生の部屋でビデオを見た。安先生のプログラムは広島以外にもう一つあった。それが日本海ゴミ拾い。先生が大学院時代に鳥取砂丘に行き、その海岸で見つけたごみにハングルが書かれていたことから、『恥ずかしい』と感じて、一人で拾い始めたのだという。

 

その後大学の教員となり、鳥取大学と協力して、学生共々毎年ごみを拾い続けている。これも広島同様フェリーで往復、日々の移動は自転車というエコぶり。『世の中にはエコと言いながら、ごみを大量に出す人、車を運転する人がいるが、それはエコではない』といい、何とごみ拾いをする時の昼ごはんは『パンの耳』と水のみ。パンの耳ならごみは出ないし、捨てるのはもったいないと。

 

最近はこの活動が評判を呼び、日本のテレビにも取り上げられている。各市町村もわざわざ韓国からごみを拾いに来てくれる学生に対して『せめて昼ご飯に美味しいものを』と幕の内弁当などを用意してくれるのだが、安先生は不満だ。ただパンの耳が手に入りにくい事情も理解している。

 

日本の学生や地域のボランティア団体も活動に賛同して、一緒にごみを拾う。これが日本人との交流にもなり、日本語の勉強にもなるという。全く無駄がなく、そして有意義な活動だ。これを思いつく安先生は、気骨のある人。

 

午前中の授業は3年生だった。私がお話することになり、文章の書き方と旅について、簡単に話した。日本語の理解力はかなりあり、普通のスピードで話しても付いてくる学生が多かった。日本に行ったことがある学生も多く、日韓の違いなどについても少し考えてみた。我々と違って若者には吸収力がある。間違った指導をしなければ確実に理解して行くものだと感じる。

安先生の厳しい指導

昼ごはんは安先生と国際交流課のスタッフと取る。キムチチゲをご馳走になった。実に久しぶりにチゲを食べ、満足した。付いてくるキムチや野菜も美味かった。ご飯が進む。やはり人数がいると色々と食べられてよい。

 

この南ソウル大学はアジア各地の大学と提携しているが、最近は中国との提携が活発だ。地理的に近い山東省のほか、いくつかの大学から留学生を受け入れている。そしてこちらからも中国へ留学する。今や韓国では外国語が出来ないのはダメ、という風潮があり、就職を考えると、日本語より中国語の方が有利な状況となっている。

 

午後は1年生の授業だった。迎えに来た金さんも含まれている。韓国では学校によっては中学2₋3年から日本語を学ぶところもあり、1年生と言ってもそのレベルはかなりのバラつきがあった。完全に話に付いてこられる学生もいるが、全く分からない人もいる。それは当然で仕方ないことだと思っていたが、安先生は途中から熱を入れて通訳を始めた。

 

そして理解できない学生を名指しして叱咤する。『理解できないからと言って諦めて聞こうとしない態度はダメだ』と相当に厳しい。先生は学ぶ姿勢に関しては特にうるさい。この姿勢、日本には今やなくなってしまい、教師も生徒に求めなくなっているが、重要なことだ。

 

午前も午後も質問はいくつも出た。日本の大学で話をしても、活発に質問が出ることは少ない。どうしても意識してしまうらしい。だが外国語でみんなの前で堂々と質問できる、韓国の学生は積極的だ。そして先生も『日本語を勉強するというより、話の中身を学ぶべきだ』と言ってくれた。これは嬉しいこと。そしてなんと『明日の午前中、4年生の授業でも話してくれ』と依頼され、快諾した。安先生によれば『奥さんに話したら、わざわざ日本人に来てもらって3回も話をさせるなんて常識がない』と言われたそうだが、その常識破りの熱意は、皆に受け入れられるだろう。

 

安先生の部屋には常に学生が出入りしている。厳しい先生だが、積極的に関わってくる学生は歓迎している。来週も外国から先生がやってくるらしいが、その受け入れを学生に任せている。『これも勉強なんです。外国人と接するあらゆる機会を捉えて、勉強させます。勉強とは語学だけではなく、受け入れアレンジの仕方やイベントの実行など、様々です』と実に実践的だ。日本でもこんな教育できないのだろうか。学生はお客さんではないのだから。

 

甘いブドウ

 

 

夜は安先生他2人の先生と田舎料理を食べに行く。どこの国でもそうだが、その土地土地の食べ物が一番おいしい。キムチだって1つとして同じものはない。ここは鶏肉が美味しかった。韓国はどうしても牛肉、焼肉のイメージが強いが、一般人は牛肉を食べることはあまりないようだ。一体いつから韓国では牛肉を食べるようになったのか、これは謎だ。

 

また韓国人、特に男性は酒が強い、というイメージもあるが、意外と酒を飲まない人も多い。勿論車の運転がある人は当然だが。今回も酒は殆ど飲まなかった。そして一番驚いたのが、デザートとして巨峰が出てきたこと。その甘いこと、日本の高級巨峰に引けを取らない。韓国の農業力もかなり向上しているのだろう。

 

今日は先生の好意で大学の宿舎に泊めてもらう。キャンパス内にある宿舎は完全にホテルだった。箱モノ行政で立派なものを作ったがあまり利用がなく、宝の持ち腐れだという。何とNHKワールドプレミアまで見ることが出来た。周囲に音はなく、ぐっすりと眠れることが出来た。 

 

8月29日(木)

 

4年生と単位

 

翌朝9時過ぎに安先生はやってきて、朝ごはんを食べさせてくれた。律儀な先生だ。大学の周囲にはあまり店などないようで、学内でトーストとコーヒーを頂く。安先生はそこで働くおばさんとも気さくに話をしていた。こういうコミュニケーション、大事だな、と感じる。

 

 

そして4年生に、また同じ話をした。韓国でも日本同様、就職は大変、またこの国は『内定即就職』という習慣があり、就職が決まると学校に来ない学生が出て来るらしい。安先生はそれも不満であり、本日の授業でも『授業に来なければ単位は出さない』と告げていた。しかしそれでは就職できないではないか?

 

 

『実際に卒業できなかった学生もいますよ』と安先生は平然と言う。自らの信念は曲げない、それは凄いが大丈夫なのだろうか。『私の評判は皆知っているはずだから、授業を取る学生は理解しているはずだ』と言う。ちょうど授業が終わると部屋に赤ちゃんを連れた若い夫婦が訪ねてきた。旦那は日本人だった。奥さんが安先生の学生で、何と卒業できなかった人だという。それでもちゃんと子供が出来れば先生に見せに来る、安先生の魅力だろうか。

 

 

日本人先生と学食

 

この大学の日本語科には日本人の先生が何人かいた。お昼は日本人の先生、2人も入れて食事に行く。ちょうど雨が降り出し、遠くへ行くのを断念。学食へ向かったが、雨のせいもあり、大混雑だった。一応先生用に席はあるのだが、食事を取るのに大行列が出来ていた。ここでも安先生が日頃のコミュニケーションを生かして、特別に早くランチを貰ってくれた。安先生はこの大学の創設された20年前から奉職している古参教員。きっと名物先生なのだろう。

 

 

日本人の先生たちも色々な経緯でここへやってきている。海外で外国人に日本語を教える、それは簡単そうで実は難しいことだろう。今回私も話をしてみて、彼らは何が分かるのか、分からないのか、も分からず、結構苦労した。私は一方的に話すだけだが、先生はその内容を理解させなければならない。

 

 

しかも日本語を勉強しても就職の問題もあり、果たして学生にとって良いことなのかどうかさえ、怪しい。教えるモチベーションを維持するのは大変だろう。また韓国の田舎に住むのも大変だ。韓国語が出来ればまだいいが、そうでなければ言葉の壁もある。勿論教える際にも韓国語が必要になるかもしれない。しかも必ずしも韓国が好きだから韓国で教えている訳ではなさそうだ。

 

 

帰りは学校のバスで駅まで行く。安先生も一緒だった。電車がやってきたら、安先生は急いで乗り込む。何とその電車は急行で、ソウルまで普通より30分近く早く着くとのこと。やはり韓国語が分からなければ生きるのは難しそうだ。今回は先生のお蔭で実に貴重な体験をした。

 

 

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