バンコク・ハジャイ旅2024(6)

部屋は先ほどより狭かったが、電気ポットなど必要なものはちゃんとそろっており、十分だった。夕飯を食べようと再び外へ出たが、アテがない。ネット検索すると少し離れた場所に良さそうなレストランがあったので、そこまで歩いて行く。途中華人系寺院などに寄り道する。夕日が西に傾いてきた。

そのレストランはオープンな感じでとても良かった。オーナーも華人で愛想がよい。何か面白い物はないかと探していると『日本人なら天ぷらを食べれば。ついでに地元の野菜炒めもお勧めだよ』といってくれたので、それを注文してみる。料理が出て来るとビックリ。海老の天ぷら?エビが7本も皿に載っている。だが天つゆはないので、塩を貰いつけて食べると旨い。野菜も卵と絡まって実に旨い。気さくなオーナーと英語で言葉を交わして、名残を惜しんで店を後にした。

それからまた街の中心に戻る。中華公会の建物があったので、覗いてみると、何と絵の展示が行われている。何とも優しい絵で、ちょっと見入る。2階に上がると、そちらにも展示があったが、壁には公会歴代会長の写真が飾られており、ここが今も華人の集まりに使われていることが分かる。絵を描いた女性は、ここの生まれでバンコクで長く暮らしていたが、やはり故郷が良くて戻ってきたという。サトゥーンの街の特性など、色々と教えてくれた。こういう何気ない交流は温かい。

1月27日(土)ペナンを目指して

夜は風が強くて、5階にある部屋の窓枠がガタガタ鳴っていたように思われたが、翌朝は気持ちよく目覚めた。天気は上々。9時前に宿を出て、言われた通り、大通りを南へ向かう。セブンのところまで来ると、ちゃんとソンテウが1台おり、タマラン港まで、というと、100バーツで行ってくれた。ソンテウは一路南下して10分ちょっとで、港に着いてしまった。

まずはマレーシアのランカウイ行きフェリーが11時半に出ることを確認した。その上で旅行会社の人に『他にマレー半島に行く方法はないか』と聞いてみたが、全員が首を横に振る。コロナ以前はボートさえ確保できれば、越境して半島を南下で来た、ランカウイへ行く必要はなかった、との情報もあったが、今や完全に閉ざされているようだ。

もう一つ、ランカウイからペナンへ行くフェリーはあるか、と尋ねてみたが、こちらも首を傾げられたのには驚いた。もしランカウイ経由でペナンへ行くとしたら、もう一度フェリーに乗って対岸のクアラパリスへ行き、そこからバスで向うしかないらしい。いやもう一つあるのは飛行機で飛ぶことだというが、それは面白くない。

調査は簡単に済み、ランカウイ行きフェリーチケット(450バーツ)も簡単に買ってしまうと、もうやることもない。周囲をフラフラしていると、地元のおじさんは桟橋まで出て釣りをしている。その辺にボートはないかと未練を残したが、無駄だった。仕方なくお茶を飲みながら、じっと待つことにする。

表示では11時にならないとイミグレは始まらないとなっていたが、意外や10時半には人が並び始め、すぐに出国審査が行われた。後は船に乗るだけだった。フェリーは中型船、乗客は半分ぐらいか。その多くがマレー系に見えたが、どちらの国の人だろうか。勿論観光と思われる人はいない。そこからダラダラと乗船していき、11時半になっても船が出る気配はない。何しろ1日にこの一本しかないのだから、多少は待っているのだろう。10分過ぎて船が動き出す。さあ、マレーシアへ渡るぞ。しかしそこからどうなるのだろうか。

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