「台湾」カテゴリーアーカイブ

埔里から茶旅する2016(25)会員制プーアル茶クラブ

 IさんもKさんも台北で働いてきて、色々と悩みを抱えている。悩むことは良いことだ、などというつもりはないが、前向きに悩み、次に展開を考えることは悪いことではない。私などもサラリーマン時代は、『前向きに悩む』ことができなかった人間であり、ネガティブ志向、先を読み過ぎ、という傾向から、かなり束縛されていたと思う。既に自分で海外に出てきて戦っている二人は、私などより、よほど強いだろう。

 

帰りはタクシーを呼んでもらい、Kさんと一緒に乗る。運転手に『中山駅』と言ったはずだったが、何となく違う方向に進んでいるよう思える。そして着いたところは先日行った、中山国小という駅。『え、違うよ』というと、運転手もえっという顔をして、急いで中山方面へ移動した。結構距離をロスしたな、と思ったが、夜遅くだから、車はそれほど走っておらず、すぐに着いた。降りる時運転手は『先ほどは間違って申し訳ない』と言い、50元を返してよこした。これで2度目だ。台北の運転手は何とも良心的だ。

 

531日(火)
秦味館 地震

本日も朝はゆっくり。そろそろ台湾も飽きてきた、ということなのだろうか。先日の会でお会いしたHさんとランチを食べることになり、また昼前に出掛けていく。場所は国父記念館近く。前回来た時もたまたま寄った国父記念館。今回も何となく横を歩いて見る。食事の場所は『泰味館』とメッセージをもらったので、タイ料理か、と思っていた。近くへ行くと実際にタイ料理屋があり、これは期待できそうだ、と感じる。

 

ところが指示された店に着くと、ここは『秦味館』だと言われて驚く。最近特に目が悪くなり、スマホの小さな字が正直読めない。完全な勘違いだった。それにしても秦の料理とは何だろうか。どうやら羊の肉などを使った中国西北料理ということらしい。お店はこじんまりしていて、何となくよい。予約はされていたが時間に行ってみるとほぼ満員で、『取り敢えずそこに座っていて』という台湾的対応だった。羊スープを飲むと、臭みもなく、旨い。久しぶりに新疆や内モンゴルのことを思い出す。羊の串焼きなどもあり、ある意味で新疆料理屋という感じでもある。台湾でもこんな店があるんだな。まだまだ知らない台湾、奥が深い。

 

 

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Hさんは台湾人と結婚して、子供もいるライターさん。精力的に仕事をこなしている。ちょっとしたことにもこだわりを持ち、調べていく姿勢がある。私などとは大違いだ。これからも知られざる台湾を日本人に紹介してくれることだろう。などという話をしていると、突然店が揺れた。かなりの揺れで、客の全員が立ち上がり、一瞬どうなるのかと思ったが、すぐに収まった。そう、台湾にも地震がある。というより、日本と同じ程度にひどい地震がある。最近も台南で大規模の地震があったばかりであり、皆身構えてしまった訳だ。

 

殆どの客が帰ってしまったが、我々は主食の麺を食べる。この麵、きしめんのかなり太いバージョンかな。そしてデザートとして揚げたパン?に甘いものを掛けて食べる。これは相当に美味しい。ちょっと洋風。こんなお菓子があるのだろうか。何となく満足しながら店を出た。Hさんは忙しそうに次のアポに向かって行った。私は3時に昨日電話を入れてもらったプーアル茶屋さんへゆっくり向かう。

 

プーアル茶屋

地下鉄大頭橋駅へ向かう。初めて降りる駅だ。地図で見ると、それほど遠くなさそうなので、駅から歩いて向かう。ところが・・??歩いて行っても住所が見付からない。というか、10分以上歩いて逆方向に向かっていることに気が付く始末。最近のボケ加減は半端ではない。また10分歩いて振出しに戻るころには汗だく状態。そして何とそこから10分歩いても目的地には着かなかった。何かが間違っている。更に5分歩いてようやくそこへたどり着く。店の前では声を掛けておいたIさんが待っていてくれた。申し訳ない。

 

店は隠れ家のようになっていて、そこがお店であるかどうかは知っていないとわからない。中に入ると陳さんが待っていてくれた。そこはお店というよりはちょっとしたサロン、2人のお客がゆっくりとお茶を飲んでいた。我々もそこに参加する。よさそうなプーアル茶がたくさん並んでいる。だが話を聞いてみると、ここはお店ではなく、会員制クラブといった形態で、茶葉の販売などもしていない。1年に一度、会員の希望者と共に雲南省にお茶の見学と買付に行き、そのお茶を分けるだけだという。ただ持ち帰った茶葉の多くは、店の倉庫に保管しておくとか。

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この会は新竹あたりで始まったらしく、既に台湾内に30のクラブが各地域に存在しているという。ここは台北支部という位置づけだが、運営しているのは、趣旨に共鳴する各個人。陳さんも創始者の活動に感銘を受け、お茶会に参加、ついにはクラブを作るまでになったという。ビデオを見せてもらうと、そこには台北市内で大茶会を開催する創始者と支援者が映っており、創始者の発言から、このクラブの賛同者の多くが、客家の人々ではないかと思えてきた。ある意味では、台湾の高山茶や紅茶ではなく、プーアル茶を選んでいること自体が、何となく不思議なのだ。勿論健康に良いとか、保存がきくとか、理由は色々とあると思うが、この仕組み、組織についてはよくわからない点も多い。

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ここは会員が自由に集い、お茶を飲み、親交を深める場所である。和室なども用意されており、様々な活動ができるようになっている。台湾の茶業の一形態として、このような会員制もありかもしれないとは思う。高級なお茶を皆で共有して、保有していく。そして本来のお茶の目的である、親睦や交流を謳うというのも頷ける。既に大陸にもこの仕組みを入れていく予定で、会員は大陸に行っても、その地域のクラブに参加できるということらしい。

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埔里から茶旅する2016(24)北村家の店長

530日(月)
不動産探し

翌朝はゆっくり起きる。朝飯を食べる気力もなく、11時前に出掛ける。中山の三越の前に来ると、ちょうど開店時間となり、コンパニオン?が丁寧にお辞儀をして、お客を迎え入れている。これも25年前、新光三越の社長から直に聞いたが、三越の良いところを全て取り込んでおり、何よりすごいのは25年経っても変わらない、ということだ。その間に店舗は一体どれだけ増えたのだろうか。北京で開業した時にはそのパーティーに呼ばれて行きもした。

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実は昨日行った行き付けの茶荘で話をしていると、『もし台北で家を借りるなら、重慶北路あたりかな』という助言があった。便利な割には比較的安い、ということらしい。それなら暇な時間にどんな所か探検してみようと、という感じで出向いてみた。と言っても、以前から古いお茶屋もあり、何度も通っている道ではある。今回はどのようにすれば借家が見つけられるのか、という点に絞って調査すればよいわけだ。

 

歩いていくと、不動産屋は沢山あった。だが殆どは売買中心で、賃貸はほんのお遊び程度。確かに一部屋何千万元もする家がゴロゴロしているのに、チマチマした賃貸などやっていられないだろう。中に一つだけ、賃貸中心のところがあり、外から眺めてみると、数万元の物件ばかり。確かに1万元ぐらいでも物件は出ていたが、相当に条件は悪いのだろう。もし本当に借りのであれば、次回はちゃんと訪ねて、内覧してみよう。ただ外国人に貸すかどうか、短期賃借はどうか、家具はどうするのかなど、問題は沢山ある。そもそもそれほど台北にいる訳でないので、また何かご縁があるといいなと思う次第だ。

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何をしていても腹は減る。ちょうど昼時で、魚翅肉羹という名前に釣られ、一軒の店に入る。老舗なのか、お客が多く、接客は『食いたければ自分でやって』という感じ。適当に座ってどうしたものかと考えていると、おばさんが気が付いて、注文を取ってくれた。日本人だとわかったらしい。魚翅とは言ってもふかひれなどは入っていなくて?もやし?と肉の羹というイメージ。野菜も頼んでみたが、どうなんだろうか、これは。

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宿に戻って一休み。午後2時にホテルにBさんが来てくれた。彼は昔の留学仲間、そして5年前に劇的に再会したのが、ここ台北だった。お互いサラリーマンを辞め、自由業で生きている。何となく理解できる相手だ。連絡すると『ちょうど紹介したいお茶屋がある』ということだったので、宿の向かいのオープンカフェでコーヒーを飲みながら、話を聞いた。台北でプーアル茶屋をやっており、外国人も含めて、広くプーアル茶を広めたい、という話だったらしい。私としては『台北でプーアル茶』には違和感はあるものの、紹介されて時間が合えば行ってみる所存。電話してもらうと、『明日の午後はOK』ということだったので、訪ねることになった。

 

それにしても、このごみごみした街の真ん中でオープンカフェとは。すごく暑いわけではないものの、クーラーの効いた店に行けばよいのにと思ってしまうが、どうやら最近の流行らしい。お客はおじさんから若者まで、結構引っ切り無しに入れ替わる。この場所代はそこそこ高いだろうと思うのだが、180元のコーヒーを売れば、十分に元が取れるだろう。日本ではすぐにおしゃれ、高級感などが話題になるが、何気ない空間とか、気軽さ、と言ったものが、求められているような気がした。そしてこの台湾でもその中心はコーヒーであり、お茶の地位は相当に揺らいでいる、と感じざるを得ない。日本の煎茶やほうじ茶なども、もっと気楽に飲める空間があればよいのに、と思ってしまう。

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北村家

Bさんと一旦分かれて、また宿で休息。宿の小さな、小さな窓から夕暮れを感じていると、ユーミンの『陰りゆく部屋』を思い出してしまう。『振り向けばドアの隙間から 宵闇がしのび込む』、どうもこれは中学生の受験勉強時、逃げ出したくなる自分、今日も何もなせなかった自分への当てつけの歌のように聞いていたと思う。この曲が頭を流れてくるときは、あまり良い状況にはない。何とかせねば。

 

夜はBさんが店長の北村家へ行く。オーナーのお父さんが作るデミグラスソースのハンバーグと、お母さんが作る総菜が美味しかったので、再訪することに。先週来、鹿谷、坪林と一緒だったIさんも誘う。そして昨年はBさんと一緒にイベントにも行ったKさんにも声を掛けた。前回は地下だったが、今日はカウンターに陣取る。遅れてきたKさんを待っていたかのように、デミグラスソースのかかったオムライスが出てくる。日本人は和食が好きなのは当然かもしれないが、いわゆる洋食も大好き。特にオムライスやハンバーグなど、お子様メニューが好きだ。歓声を上げながら3人で食べる。

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このお店、本当に流行っている。中心地でもないし、駅からも少し離れている。オーナーが日本人、しかも映画監督とい特殊なバリューもあるのだろうが、その後両親が作る料理は素朴な中に味があり、そういうところが、台湾人にウケるのかもしれない。そして何より店長はじめ、スタッフがフレンドリーであり、居心地がよい、という点があるかと思う。店長は『これも役者業の一環だ』と店長役を演じているというが、これがまたなかなか良い。

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埔里から茶旅する2016(23)昔の仕事を思い出す

9. 台北2

台北の宿にチェックイン。ここの良いところは荷物を長く預けて置けること。今回もいつ帰ってくるかわからないが、といいながら、預かってもらっていた。今や一般のホテルでは預からない、というところまであり、拠点化が出来ずに困る。先日もバンコックのホテルで荷物を預かってもらえずに、右往左往した。やはりどこかに部屋でも借りた方がよいのだろうか、と真剣に悩むが、何となく風が吹いて来ない。

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部屋でまたフラフラしていると、あっという間に暗くなる。腹も減ったので、飯を探しに行く。この付近、日本飯屋が増えている。たまにはそれもよいかと思ったが、何となく居酒屋系が多く、酒を飲まない私には入り難い。勢い、昔ながらの飯屋がある場所に足が向く。25年前、私はここのすぐ近くに住んでいた。飲み屋街が近いというのは、当時の駐在員にとって何かと便利だった。その頃からあったであろう、魯肉飯屋など、飲み屋街の端にはまだあった。

 

だが一軒の店で足を止め、何気なく注文をするとそこの奥さんは、こちらをきつい目でにらみ、無言になった。何か悪いことでも言ったかと思ったが、はっと気が付く。私のことを大陸中国人だと勘違いしたらしい。確かに私の言葉は台湾的でないところがあり、何より、たまに大陸的な物言いが起こる。言葉とは面白いもので、その態度にまで出ることがある。彼女が黙って注文の品を作り、旦那と思われる人が運んできた。彼女の心境はどういうものなのか、それはある意味で今の台湾人の心を映しているようで、文句を言う気にも、自分が日本人だという気にもならなかった。飯は美味かったが、かなり味気ない夕飯となる。

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529日(日)
Wさんと昔の仕事話

もやもやいた気分で寝つきも悪かった。翌朝どうしても気になり、再度昨晩と同じ場所へ行ってみる。その店は開いていなかったが、その付近には安い朝食を出す店が数軒開いている。サンドイッチとコーヒーで40元、やはり安い!この店の老板は愛想がいい。地元の人ばかり来る店だが、私を一瞬にして日本人と見分けたようだ。だが後から入ってきた中国人の若いカップルにも同じように接している。人にはそれぞれ事情があるのかもしれない。一概に台湾人は中国人を嫌っている、とは言い切れない。

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今日は本当に完全休養日となる。一日中宿の部屋から出ない。何をするでもない。いや、もう月末だから、決められたものを書かないといけない。でも書けない。何もする気が起きない。最近食べ過ぎだから、昼ご飯を食べる気も起らない。そうして日本のテレビや台湾の有線テレビをボーっと見ていると、もう夕方になってしまう。サラリーマン時代、日曜日の夕方ほど儚いものはなかった。何もしなかった一日を悔いたあの頃。

 

今晩は、25年以上前に台北でお世話になったWさんと会うことにしていた。彼も昨年ついに銀行を退職し、悠々自適だというので連絡してみたが、まだまだエネルギーが有り余っている。週に何回かチベット仏教の勉強に行っている。台湾でもチベット仏教は大流行しており、その授業には大勢の人が詰めかけているらしい。Wさんとはいつもの場所で待ち合わせたが、地下鉄に乗っていると突然知らない番号からメッセージが入ってきて、場所の変更を告げた。このメッセージ、信じてよいのだろうか。まあ取り敢えず行ってみよう。後で聞いたところ、彼は携帯を2台持っており、別の1台からメッセージしたため、このようなことになったらしい。『これも銀行時代の名残だよ』、経営者の秘書役だった彼は、常に忙しく、そして常に電話が掛かってきていたのだ。

 

待ち合わせ場所のSOGOに行ってみると、6時前だというのに多くのレストランにお客がたくさん入っていた。台湾は景気が悪いのだろうかと目を疑う。ベンチでWさんを待っていると、何と横に座っていた女性もWさんを待っていた。彼もすぐにもう一人の女性と一緒にやってきた。彼らは元同じ職場で働いていた同僚で、現在は一緒に仏教の勉強に行っているらしい。それにしても目指す日本料理店、既に順番待ちになっており、いつ席に就けるか分らない。

 

北海道鍋の店、というところで、肉か海鮮を選び、たらふく鍋を食べた。確かにこの場所で、この料金なら、お客が多いのも頷ける。味は日本的というよりは、台湾的になっており、そこがまた台湾人にウケるのだろう。Wさんが私を紹介する時、『昔一緒に飛行機会社の案件をやった』と言ったので、それまで完全に忘れていた過去のファイナンスの話などが蘇る。そういえば、今日見ていた有線テレビだって、元はと言えば、私がWさんの依頼で東京のケーブルテレビ局を案内して、台湾の業界形成に一役買ったことも急に思い出す。それなら台湾の有名な企業とは殆ど取引関係を作り、台湾のビリオネアーと言われる人々とも交際した。最近、そんな昔の仕事の話など、全くと言っていいほど、思い出さなくなっていたが、確かに私は台湾で色々な仕事をしてきたのだなと、急に懐かしむ気持ちになる。

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埔里から茶旅する2016(22)住んでみたくなる埔里

鍋を囲む

夕方、温泉に行っていたMさんもWさんも帰ってきた。1階にはご年配の一人旅男性もいた。Wさんから『今晩は一緒に鍋に行きませんか?』という声掛けがあり、皆で出かけることにした。暗くなった頃、Wさんの運転で火鍋屋を目指す。しかしなぜ埔里で火鍋なのだろうか。まあ細かいことは言い、皆で食べればよいのだから。5分ほど走って、店の近くに車を停めて、いざ店へ。予想以上にきれいでビックリ。お客も結構入っている。一人鍋も出来る。一人鍋は確か台湾が発祥だったような。店内は冷房がガンガン効いていて寒い。火鍋を食べていると温まってくるのだろうか。

 

まずはスープの選択。辛いのと辛くないの、半々にしてもらう。中国では陰陽鍋という奴か。そしてタレは各自が選び、具はWさんに任せる。牛肉、豚肉、野菜、豆腐と選んでいく。特に中国と変わったところはなく、スープがあっさりかな、と思うぐらいだった。まあここで食べると、北京や上海で食べるよりはかなり安い!恐らく台北より安くて肉の質が良い、ということではないだろうか。日本人をここに連れてくると喜ばれるというのでWさんは何度も来ているらしい。

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GHのいいところは、知らない人同士が、縁あって知り合うことだ。今回もご年配の方と話していると、何と私も知っているお茶関係者と昔同じ職場だったというから驚きだ。早速FBでメッセージを入れたところ、何とご本人はポルトガルにいて、『よろしくお伝えください』という。同じ日本に住んでいるのに、ポルトガルと台湾でメッセージ交換とは、さすがのネット社会。その方は食後、夜市に行くといって、別れた。歩いていくというから、遠いですよと言ったが、全く問題なく歩いて戻ってきた。昼間も暑い中、自転車で散策していたらしい。年齢は私より一回りは上だ。私はそれほど疲れてはいなかったが、一人ドミ部屋でぐっすり。

 

528日(土)
朝食とお寺

朝起きて、リビングへ行くとWさんが『朝飯を食べに行きましょう』という。行き付けのイタリアン?があるらしい。朝からイタリアン、と思ったが、その意外性に打たれ、同行する。Mさんたちも車に乗りこむ。何だが疑似家族だな、これは。お店の前に車を停めて入っていくと、何と満席。土曜日の朝、学校も休みで、家族連れもいる。そうか、こういう朝の過ごし方、昔は屋台で朝食が、今はオシャレなカフェになっている。

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このカフェはイタリアンではなく、アメリカン?完全な私の聞き間違い。トースト、サラダ、ソーセージにコーヒーが付く、豪華モーニングを食す。朝のさわやかな風に吹かれながら、ゆっくりと時間を過ごすのは悪くはない。それがある意味、田舎暮らしの特権でもあると思う。ここでロングステイしていた日本人がいたようだが、私も今度は1か月ぐらい、ここでのんびりしてみようか。いや、既に毎日のんびり過ごしているから、必要ないか。

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Wさんが『折角だからお寺に参詣しましょう』という。また車に乗り、少し田舎道を行く。牛がゆったりと草を食んでいる。山並みが向こうの方に見える。なんだかすごくいい風景がそこにあった。自転車で一人ここまで来て、ボーっとしているのもいいかと思うほどだ。そんな中にあるお寺、かなり規模が大きい。そして参詣者がかなりいる。Wさんは毎週のようにお参りに来るという。近隣の台湾のおじさん、おばさんと同じだ。仏教徒だとか、信仰心があるとかいう前に、まずはきちんとお祈りすべきなのだ。このお寺、上の方に登ると、また景色がよい。

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宿に戻り、荷物をまとめ、チェックアウトした。今回の旅でこの宿を何度、チェックアウトしたことだろうか。今日は実は魚池の茶業改良場で無料開放日のイベントがあると聞いていた。台北からIさんがやってくることも分っていた。だが、そちらへ行かず、なぜか台北を目指すことに心は決まっていた。意味はない。宿で一緒だったJさんもバスで台北へ行くというので、二人でバスターミナルへ向かう。これは先週のYさんと全く同じシチュエーション。そして更に全く同じように、12時のバスは満席でウエーティングと言われたが、もう動じない。どうせ席はあるのだから。

 

道中Jさんとおしゃべりした(前回のことがあるので声は小さめにした)。台湾で日本語教師の経験があり、バングラディシュやメキシコにいたことがある。Jさんは世界中で働いていた、何とも稀な日本女性。今回も台南の日本人宿で短期間働くためにやってきたらしい。『でもできれば台湾ではなく、メキシコで働きたいんですよね』、そんなこと言う日本人に初めて会った。これをグローバルというのだろうか。バスはまたきっちり3時間で台北駅に着いた。今回私は天津街の宿を取ってあったので、まっすぐ歩いてそこへ向かう。Jさんはどこへ行くのだろうか。

 

埔里から茶旅する2016(21)台湾の地理中心

 527日(金)
取り残されて

翌朝、起きてから劉さんの連絡を待った。今日もどういうことになるのか、皆目わからない。9時前になっても特に連絡がない。Mさんとお客の女性がおにぎりを買いに行くというので一緒に行く。台湾でおにぎりのことを飯といい、白米ではなくもち米を使うことが多い。こちらのお店では巨大おにぎりを白米でももち米でもOKとだいう。125元するが、2個は食べられない大きさ。中身はたくあんなど、具がたくさん入っている。このお店、午前540分から営業していると書いてあるからすごい。如何にも台湾的な日本飯の処し方である。

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食べ終わると、Mさんたちは、『温泉に行ってきます!』と行って出掛けた。慌ててWさんが『バス停はそこだ』と指示したが、心配なのか、付いていった。廬山温泉、何とも懐かしい響きだ。1990年頃、業界のゴルフコンペに誘われて、たまたま1泊した場所だったが、その印象は強烈だった。1930年に起こった霧社事件の首謀者の一人の奥さんが、そこに現れ、流ちょうな日本語で朴訥にその経緯を語ってくれたのだから。正直そこで初めて我々も霧社事件について知ることになる。今なら日本統治時代の汚点、原住民の反乱、色々なワードが飛び交う。

 

当時は今とは違う、戒厳令解除直後。あの228事件を扱った映画『非情城市』が台湾内上映禁止、という時代に、台湾で霧社事件がどのように扱われていたのかは全く覚えていない。その時泊まった温泉宿は、その奥さんの長男が継いでいたが、彼こそは、奥さんが事件の混乱の中を、お腹に抱えて生き延びた証だった。彼は今どうしているのだろうか、あの温泉は今もあるのだろうか、大水の被害があったと聞くが。そんなことを考えていると私も行きたくなる。因みに廬山とは中国江西省の山で、蒋介石が愛した景勝の地。廬山会議など重要な歴史的な事件も起きている。蒋介石がこの地が廬山に似ていることから付けられた名前らしい。

 

だが劉さんからの連絡はない。仕方なくこちらから連絡してみると『今日は朝から茶葉が来て製茶で忙しいから付き合えない』という。それなら廬山温泉へ行こうか、と横を見るとWさんが、廬山温泉へ向かおうとしていた。何という好都合、かと思ったが『バイクで行くんで』とつれない返事。私だけがこの宿に取り残されてしまった。えー、そんな。すぐ後でFBを見ると、楽しそうに温泉に入っている3人がアップされていた。だがここは水着で入る温泉だった。私が行きたいところとは違うようだ。

 

私が今、やるべきことを考えてみたら、洗濯があった。このGHには洗濯機が備えられており、しかも3階で干すスペースも確保されていた。この作業を1時間やっていると、腹が減ってきたので、昼ご飯を探す。前から気になっていた温州大雲吞と魯肉飯。この雲吞がプリプリしていて旨い。スープもコショウが効いていて、あっさりしたいい味出している。かなりのボリュームがあり、これで75元はお得感満載だ。台湾というのは、本当に何気ない食べ物がうまく、そして安い。これは素晴らしいことだ。

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散歩

そのまま腹ごなしに散歩をする。今日は曇り気味で、日中でも歩ける感じだった。確か松ちゃんの家の方角に歩けば、何かの碑があったはずだ。取り敢えずそこを目指そう。10分以上歩くと、街の雰囲気が無くなる。そこに1つの碑が建っていた。『台湾地理中心』、この地が台湾の真ん中だ、という意味の碑だった。日本時代の1906年に測量され、制定されたとある。なるほど、あまり考えたこともなかったが、地理的な中心というものがあるのだな。では日本の地理中心はどこにあるのだろう。ふと、そんなことを考えてしまうが、ネットで検索しても明確な答えは出ていなかった。

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この碑には観光バスが停まり、観光客が記念写真を撮っている。実際にはここから小高い丘を登った上に、碑があるようだった。ただ非常にきつそうな階段を登らなければならず、この暑さの中、上に向かっていく人はいなかった。階段の前にもう一つの碑があった。『山清水秀』という文字が見えた。もう一度説明版をよく見ると、何とここは台湾の中心ではないことが判明したので、蒋経国総統が、この文字を送ったらしい。何だかよくわからない。

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ふらふら歩いていると、かなり暑さを感じてきた。そして先ほど昼ご飯を食べたばかりだというのに、なぜか甘いものが食べたくなり、前回Yさんと行ったメロンパン屋さんで、また餡子入りメロンパンを買う。それを大事に宿に持って帰り、お茶と一緒に、一人楽しむ。宿にはまだ誰も帰っていなかった。そのまま、誰もいないドミ部屋で寝入る。なんだか不思議な感じだが、悪い気にはならない。こんな日があってもいい。夕方、洗濯物を取り込むと短時間干しただけなのに、見事に乾いていた。

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埔里から茶旅する2016(20)紅茶談義から梨山へ

作業が終わるとまた紅茶を飲みながらよもやま話。そうこするうちに昼前になる。すると奥さんも呼んできて『じゃあ、行くか』と車で出かける。出掛けると言っても5分も走らないうちに、畑と林の中のレストランに着いた。こんなところにレストランがあるのか、というロケーションだ。天井の高い、不思議な空間がある。お客はいない。だがそこで出される料理は何とも絶品だった。名物だという蒸し魚、豚肉の脂身炒め、空芯菜炒め、ニンニク炒めなど、どれも驚くほどに美味しい。シンプルな料理が美味いということは食材がよいということだろうか。大満足!

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午後はまた劉さんの家に戻り、話を続ける。『台湾茶の将来はどうあるべきか』といった、かなり大きな話題も出てくる。彼はやはり『ティバッグなど便利なもの』になるのではないかと考えているようだ。美味しい茶葉を入れたティバッグはコストが高いが、それでもペット飲料よりは、かなり安いはずだ。マイポットを持ち歩き、お湯さえ手に入れば、いつでも美味しいお茶を飲むことができるのだから、これを定着させるべきだ。特に紅茶は欧米でもほとんどがティバッグであり、抵抗感は少ない。問題は依然として、どうやって台湾人に紅茶を飲ませるのか、という根本的なところに突き当たっている。

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良質の紅茶の値段は高山茶に近づいてきている。それは良いことだが、また一般人には受け入れられない値段になってきているともいえる。1斤3000元以上するプレミアム紅茶にも需要はあるだろうが、台湾紅茶全体から見えればどうだろうか。リプトンのティバッグならかなり安いのだから。品質は高山茶と比べてどうなんだろうか。話せばきりがない。私は劉さんの茶畑を見せてもらおうと思っていたが、結局そこへ行く車の手配が出来なかった。ベンツで行けるようなところではないらしい。

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梨山へ

代わりに『今から行こう』と言われた場所は何と梨山だった。既に夕方になってきていたが、どうやら知り合いの茶業者から電話が入り『いいお茶ができたから』と声が掛かったようだ。流れに任せて私も同乗させてもらう。荷物を積み込み、魚池を後にした。また埔里を目指し、そこを越えて、山道を登り始めた。これで何回目だろうか、この道。劉さんはかなり運転に慣れていた。相当のスピードで駆け上がる。

 

途中の街で停まる。劉さんは食堂で何か注文している。出来上がるまで、セブンイレブンのトイレを借りる。こんな所にもセブンがある。さすが。食べ物は茶工場で働いている人たちへのお土産だった。山の上の工場では毎日似たような食事ばかりで飽きてしまう。2年前に行ったジョニーの茶工場でもそうだった。偶然寄ることができたセブンイレブンでジョニーが『20日ぶりだ』と実に嬉しそうにコーヒーを飲んでいたのはかなり強烈な印象として残っている。

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標高2000m近く、清境農場という、今や観光地?を通り過ぎ、着いたところは松崗という茶工場が並ぶエリア。その一軒に入っていくと、まさに茶作りも佳境に入っていた。かなり規模の大きな工場で、何人もの男たちが働き、室内で萎凋している茶葉を管理し、時間を見て、順番に揺青をしている。また別室で殺青などの作業も行われている。実にいいお茶の香りが鼻を衝く。外は暗くなろうとしていたが、靄がかなり掛かっており、如何にも茶産地の夕暮れの様相を呈していた。

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別室でお茶を頂く。老板のほか、近所の友人、遠方から茶を買いに来た人などが、出入りしている。茶ができると早速試飲が始まり、全員が品評委員のような顔をして、茶を飲んでいる。清香系のいい感じの茶だったが、1つ1つにかなり微妙な差異があった。それによって各人の評価も分れた。その内には劉さんの持ってきた紅茶がなども飲まれ、何だか分らない状態が続く。隣の女性は私に『九州ならどこへ行くのがお勧め?』などと日本観光の話題をふり始める。

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いつの間にか夜も更けてきた。劉さんは老板から茶葉を分けてもらい、ご満悦だった。皆が重い腰を上げたのは、午後10時近かった。そして劉さんが『ところでお前、今晩どこに泊まるんだ?』と聞いた。このセリフ、何回聞いたことだろうか。もう私の心は決まっていた。埔里のゲストハウスに戻る。Wさんに電話で戻ると告げると、さすがに驚いていた。劉さんは車で送ってくれた。彼もまた日本人が開いたゲストハウスには興味を持っていて、宿の前まで送ってくれた。そして『もし俺の茶畑が見たいのなら、明日行こう』と。

 

GHにはWさんも戻ってきており、ヘルパーMさんも半分呆れた様子で『おかえりなさい』という。今日は数名のお客がいたが、Wさんから『ドミトリーは誰もいないからそこで一人で寝たら。その方が個室より安いよ』と気を使われて、今日はドミに潜り込む。部屋には2段ベッドが3つあったが、真ん中の下を使う。疲れたので、さっとシャワーを浴びてぐっすりと休む。まさか今日もここに寝ることになるとは、本当に不思議だ。

埔里から茶旅する2016(19)懐かしの日式親子丼

 525日(水)
日式親子丼

松ちゃんとの面談も終わってしまい、やることがない。では集集線の方へでも行って、電車に乗ってみるかと考えたが、突然もう一つのことを思い出した。鹿谷で連絡したのは松ちゃんだけではなかった。日月潭紅茶の劉さんにも電話を入れたのが、何と彼は中国でその電話を受けていた。確か25日に台湾に戻ると言っていたような気がする。すると今日は25日だから、上手くすれば明日会えるかもしれない。実際に連絡を入れると、26日ならOKとの返事をもらったので、それなら日月潭にでも行って泊まろうかと思う。

 

だがなぜか体が動かない。やはり歳のせいか、疲れが出ている。こういう日は休むに限る。ということで、このGHに連泊決定だ。午前中は殆どの時間をリビングでネットに費やす。ここはクーラーがなくても、何となく涼しく、快適だ。ヘルパーのMさんもリビングで何かやっている。聞けば、大学院に提出する論文を書いているらしい。オーストラリアに4年居たそうだが、大学院で勉強していたのか、凄い!

 

お昼になる。Mさんがいつも行く食堂があるというので、付いていく。そこはGHから10分ぐらい歩いた路地。そこには『日式』の文字があり、勝丼、牛丼、天丼などがメニューに載っていた。Mさんと同じ親子丼を注文する。見ていると、おじさんは豪快に中華鍋を振るい、親子丼を作成している。まさに日式の神髄だ。まあ醤油などの味を別にすれば、親子丼などどう作っても、それらしい味にはなる。味噌汁が付いて60元、悪くはない。最近台北などでは本格的日本料理、日本から進出して日本人が作る日本食が多くなってきているが、たまには日式を食べてみるのもよい。なんとなく懐かしい感じがする。

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食後はMさん行きつけのカフェへ。ここは広くはない空間ながらおしゃれで居心地がよさそうだ。ネット環境も抜群で、午後中、ここでPCと遊んでいることも出来そうだった。マンゴシェイクを頼む。横のおじさんが突然『日本人か』と話しかけてくる。このおじさん、日本との商売をしていたとかで、日本語も話す。台北で大きな商売を日本商社としていたが、今は故郷で農業に従事しており、果物を作っているらしい。こんなおじさん、昔は沢山いたな、台湾。昨日の松ちゃんも、日本語ができれば、完全にその部類に入る。

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このおじさん、昼間からベルギービールを飲んでいる。『日本人はビールだろう』と笑っている。そうこうしているうちに、有閑マダム風のおばさんたちが6人も入ってくる。皆が席のやりくりをつけている。かなり騒がしくなってきた。このカフェも当然地元のお客のものだ。我々はすぐに退散した。夕方、劉さんに電話すると、既に中国から帰国しており、明日の訪問はOKとなった。夜は早めに麺を食べて、早々に寝てしまう。こういう時は、部屋でネットが繋がらないのがよい。

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526日(木)
劉さんの紅茶

翌朝は劉さんに指定された、魚池のバス停を目指す。GHをチェックアウトして、荷物を引っ張って、またバスターミナルへ。40元でバスチケットを買ったが、どれに乗ればよいのかよくわからない。結局来たバスは日月潭行の台湾好行。魚池でちゃんと降りられるのかちょっと不安だったが、何とか農会前で下車した。劉さんが車で迎えに来てくれる。10分ぐらいで劉さんの自宅兼工場に着いた。

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劉さんのお父さんは魚池の茶工場の工場長をしていた方だそうだが、茶農家ではない。劉さん自身も7年前までは高雄で広告代理店を経営していたというから、茶業関係者ではなかった。だが地元の紅茶の良さを知り、戻ってきて、茶業を始めたという。しかしわずか7年で紅茶作りがそんなに上手くなるとはとても思えない。恐らくは以前から何がしかのことはしていたのだろう。日月潭の、いや台湾紅茶は一般的に甘味があるが、劉さんの紅茶にはコクが感じられた。広告代理店はそんなに儲かるのだろうか。古い茶や急須の収集もかなりやっていたらしい。年代物の茶葉がテーブルに転がっていた。

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続いて、日本との繋がりを説明してくれる。大勢の日本の茶農家が、ここに紅茶作りを習いに来ている。それを仕掛けたのはコンサルタントのTさんだという。私も愛飲している熊本のKさん、宮崎のM茶房さん、八女の茶農家さん、どんどん彼らが置いていったお茶が出てきて驚く。語学のできるTさんが仲介して、これだけのネットワークができていたのには正直びっくりした。ここで学んだお茶作りがどのように九州で役に立っているのだろうか。次回は訪ねて聞いてみたい。

 

そこへ摘まれた茶葉が運び込まれてきた。突然茶葉の処理が始まってしまった。工場の奥に置かれた台の上に茶葉が並べられていく。この時は劉さんと奥さん、そして運んできたおじさんの3人がかりで手早く、茶葉を広げていた。茶作りとは本当に大変なものだ。摘まれたばかりの茶葉は生き物と同じ。

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埔里から茶旅する2016(18)昔気質の台湾人 松ちゃんに会う

 バスのチケットを買うと、先日と料金が違う。平日は25元の割引があった。バスは雨上がりできれいな夕焼けが出ている高速道路を行く。台中近くで、高速を降り、すぐに大きなターミナルに入った。もし桃園空港から埔里へ行こうとすれば、ここで乗り換えればよいらしい。何だか埔里がどんどん近い存在になってくる。このバスは充電も出来るので、とても便利に感じられる。あたりが暗くなった頃、バスは埔里の街に入った。

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7. 埔里2
松ちゃんに会う

なぜ先週も来た埔里に無理して再びやってきたのか。それは前回携帯が鳴らずに怒らせてしまった松ちゃんに会うためであった。紹介者のMさんに事の次第を報告したところ、『それはまずいな』という話になり、出来ればもう一度会いに行った方がよい、という助言を受けていた。しかも『松ちゃんの農園には温泉も付いている』などという嬉しいおまけまで付け加えられると、それは行かねばなるまい、ということになった次第だ。

 

連絡を取ってみると、何と明日から中国出張だという。それでも『ぜひ来い』と言われてしまい、この強行軍となったのである。埔里のバスターミナルに着くと、向こうから軽トラが近づいてきて、乗れ、という。この人が松ちゃんか。車は市内を抜けていく。どこへ行くのだろうか、と思っていると、そこで停まった。ここが自宅兼小規模工場だった。松ちゃんは、如何にも昔の台湾のおじさん、という感じで、矢継ぎ早に自分の話したいことを話していく。そのスピードにはとてもついて行けない。

 

私が夕飯を食べていないと知ると、奥さんがチャーハンを買ってきてくれた。そいうところも昔気質の人だ。それをぼそぼそ食べながら、松ちゃんの話を聞くと、彼は良質の烏龍茶を作っており、台湾ばかりか、中国大陸にも幾つも代理店をもって、茶葉を販売しているという。大陸の従業員も100名を超えるというから、なかなかの規模だ。しかし大陸での茶葉販売も限界に来ているらしい。松ちゃんは言わないが、習近平政権以降、大陸で高級茶葉は売れていない。それは反腐敗、汚職撲滅運動の目の敵だから、であろう。経営者として松ちゃんは少し困っているようだ。

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そしてチャーハンを食べ終わると、『どうだ、美味いだろう』と言って、お茶を淹れてくれる。このお茶、茶葉がしっかりしていて確かに美味い。私の好みの焙煎だ。その焙煎は、横の籠で焙煎されているらしい。私の好みだと告げると、突然松ちゃんが言う。『お前、俺のお茶を東京で売れ!』、え、何の話?私は必死になって、自分の茶旅について、そしてちょっとした執筆活動について、少し大げさに説明をした。が、彼は聞く耳など持っていない。『そんな茶旅なんか、いいからさ、まずは金を稼ごうよ』と譲らない。自分のお茶がどれだけ評価されているか、新聞記事などもどしどし持ってきて、突っ込んでくる。

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そして少量のサンプルを渡されて、『お前の知り合いに飲んでもらえ。飲めばわかるから』という。売る気はないのだが『それでこれはおいくら?』と問うと、『まずは興味を持つかどうかだ。値段はそれからだ』というから、ある意味で話にならない。『日本人はね、中国人のように爆買はしないよ。気に入っても買うのは50gぐらいだよ』と念を押したが、分っているのかいないのか、まあいいからとサンプルを押し付けられた。

 

『ところで今日はどこへ泊るんだ?』と聞かれて、『いや何も決めていない』というと、『それは困ったな』という。じゃあ、前回泊まった日本人経営のGHに泊まるよ、というと、『それはいい、俺が送ってやる』と親切にも車を出してくれた。確かにここから自力でGHに行けと言われても無理だったのだが。そして大体の場所まで来たので『あとは分るからここでいいよ』と言っても『いやGHまで送る』と言ってきかない。狭い道を間で入ってきて、GHの前に車をつけ、何と中まで入ってきた。

 

実はGHのオーナー、Wさんに電話すると『今日は台北にいる』という。GHにはヘルパーにMさんがいるから大丈夫、と言われていたので、入っていくと、何と松ちゃんも入ってきて、Mさんに向かって自分のお茶の良さをまくしたてる。Mさんは中国語ができないので、おろおろ。それでも構わず『日本人のお客でお茶に興味があったらぜひうちに連れてきてほしい』と名刺を出し、宣伝に努めている。通じてないよ、と言っても聞かない。松ちゃん、悪い人ではないし、お茶も悪くないのだが、なかなか日本人の企画には収まらない。

 

ようやく嵐が去ると、このGHには私とMさんしかいないことが判明。Mさんもまさかこの時間にお客があるとは思ってもおらず、『取り敢えず前回の3階の部屋へどうぞ』と言われて、そこへ収まる。さすがにお客が誰もいないという日は滅多にないようで、それでWさんも奥さんがいる台北に行っているという訳だ。何だかとんでもないところに、台風と共に飛び込んだ、というところだろうか。Mさんには本当にいい迷惑だったはずだ。

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埔里から茶旅する2016(17)製茶中の驚くような再会

彼らの茶工場は数年前に長男が茶作りをしたいということで作ったらしい。元々は坪林でも有数の茶商であり、各地の茶葉を集めてきて、相当の種類の茶を商っている。よく茶商が茶作りにも手を出したな、と言うのが率直な感想だ。前回訪ねた時には基本的に次男が対応してくれたが、彼はお茶のことより、日本酒やラーメンに興味があるようで、お茶の話はあまり出なかった。長男はストイックなのか、自ら茶作りを学び、製茶している。

 

Yさんが聞いた試飲会とは一体何だったのだろうか。結局この日のイベントは本当の製茶体験会であり、生徒は我々二人しかいなかった。さすがYさんらしい情報のとり方だ。そんなことを考えていると、次の工程、殺青に入る。茶葉を計り、笊を動かして、向かいの部屋に移動する。こちらには小型の製茶道具が揃っており、ちょっとした茶作りをするのに良い環境が整っていた。茶葉を運んでいると、そこに見学者が現れた。

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その4人組は偶然店へ行き、今なら製茶が見られるよ、と言われてやってきたらしい。上海から来たお茶関係者だという。その内の一人の女性が突然私に向かって『以前どこかであなたに会ったことがある』と言い出し、驚く。正直彼女の記憶はまるでない。人違いしているのかな、と思ったが、向こうはこちらをまじまじと見つめ、『間違いない』と言い出す。そして『えーと、福州・・・?うーん、そうだ、魏社長・・・』。彼女が思い出していく、その単語は確かに私の記憶にもあるものだった。そしてついに『福州の紅茶屋、魏さんのところで一緒になりましたね。あなた、ライターさん?』と言い出す。

 

顔は思い出せないが、確かにその時、上海から来た女性がいたような気になる。すると畳みかけるように、『一緒に呉雅真さんのところへ行きましたよ』と言う。確かに4年前、福州で有名なお茶関係者である呉さんのところに魏さんに連れて行ってもらったのも思い出した。それでも彼女の顔を思い出せないでいると、何と携帯からその時の証拠写真?まで取り出してきた。これには双方大いに驚き、『これぞ茶縁』と叫ぶ。私は旅をしていると偶にこんなことがあるが、彼女の方は初めての経験なのか、痛く興奮している。そして微信で魏さんに二人の写った写真を送り、この歴史的快挙を報告していた。すぐに魏さんからも返信があり、『なんで台湾で出会うんだ』『なんで製茶体験なんか、しているんだ』と言ってきた。自分でもどうしてだか、分らない。

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彼女は以前魏さんの上海の店を任されていたが、その後は自ら茶芸師として活動しているらしい。今回の台湾も各地の茶産地を訪問して見聞を広め、いいお茶を捜し歩く旅をしている。殺青の作業が始まると、私などよりはるかに真剣にその作業を見つめ、そして時々質問している。中台交流、というのだろうか。まあどこの国の人間かは関係ない。お茶が好きな人が集まっているのだから。殺青が終わると、横の揉捻機に茶葉が入る。そしてそれが終わると、乾燥。この乾燥機が手動でしゃれている。皆が面白がって挑戦している。昔は何でも手作業だったんだな、と改めて感じさせてくれるナイスな一品だった。

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お父さんも加わり、もう少し良い茶葉を天日で干す。工場の奥には家があり、そこにはこのお父さんのお父さん、つまりはおじいさんがいるらしい。この茶作りはある意味で、孫がおじいさんのために茶を作っているかのように、長男は一々茶葉をもって奥へ行く。そして指示を仰いでいるようだ。創業1921年と言うから年季が入っている。おじいさんは一体どんなお茶を求めているのだろうか。次男も加わり、茶作りが佳境を迎えた。

 

上海から来た一団は帰って行き、そしてランチの時間がやってきた。豆腐、粽、麺、野菜、と実に豊富な昼食だった。恐らくはさっきの一団も一緒に食べる前提で作られたと見え、その量は凄まじく多い。まあ、美味しいのでどんどん食べるが到底追い付かない。農家で食べる料理が一番美味しい、と言うのはほぼ間違いがない。食後は作り立てのお茶を飲む。我々が作った?お茶は未だ乾燥が十分ではなく、飲めないのが残念。

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埔里まで

試飲会のつもりで来たら製茶体験だったが、何となく楽しいものだった。お茶の完成までいたいと思ったが、今日はこれから台北に戻り、その足で埔里を再訪する予定になっていた。新店行のバスは2時半だったので、2時過ぎに工場を失礼して、車でバス停に送ってもらった。生徒なので学費800元を払い、乾燥が半端なままのお茶を受け取った。更に店にも寄ってもらい、前回買って好評だった焙煎の効いた包種茶を購入した。正直に言うと、私は包種茶が苦手な方だが、焙煎が効いているお茶が美味しく飲めた。私の嗜好が極端に偏っている良い例らしい。

 

新店までバスで1時間弱かかるが、1つ前のバス停も地下鉄が通っていたので、そこで降りる。小雨が降り始めていた。そこから地下鉄で中山まで戻り、ホテルで預けた荷物を引き出した頃には幸い雨も上がっていた。4時半のバスには少し時間があったので、ゆっくり歩いて駅前のバスターミナルへ。雨であれば地下道を通ればよいが、やはり地上を行く方が速い。

埔里から茶旅する2016(16)突然の製茶体験

 5月24日(火)
7. 坪林
坪林へ

翌朝は早く起きて、坪林へ行く。実は埔里にいる時、Yさんが『日曜日に坪林でコンテスト茶の試飲会があるので行きたいが、中国語ができないので代わりに電話して欲しい』と言い、Iさんが電話をした。ところが『それは火曜日に変更になった』と言われ、月曜日の夜帰国するYさんは参加できないと残念がった。そこで私とIさんが代わりに行くこととして、先方も了承していた。場所は昨年Mさんの紹介で訪れていた茶荘だったので、問題なく行ける。コンテスト茶が飲めるなら、ちょうどよい。

 

坪林へは前回、地下鉄の大坪林という駅からバスに乗った。これが速いということだったが、朝は高速が渋滞したので、それほど速いと感じなかった。更にはこの茶荘は新店から出るバスの終点の横にあるため、新店で待ち合わせて、出掛けることになった。新店から何時にバスが出るかは分っていなかったが、まあ30分に一本ぐらいはあるだろう、とたかを括っていた。

 

何となく早目に宿を出て、地下鉄に乗って終点の新店に7時過ぎには着いてしまった。待ち合わせは7時半、何気にバスの時刻表を見ると、何と7時半の次は8時半。1時間も待つのはかなわないし、9時に茶荘に着けないので、焦ってIさんにラインした。彼はちょうど7時半に駅に到着。バスは幸いそのあとすぐに来たので、事なきを得た。乗客は結構乗っている。大坪林からのバスに比べて料金がかなり安い、と言うのも要因だろうか。

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開いていない茶荘

1時間バスに乗り、坪林に到着した。8時半で少し早いとは思ったが、バス停の横なので茶荘に行く。ところが、何とシャッターが閉まっていた。9時から会があるというのに、一体どうなっているのだろうか。行けば分ると思い、電話番号すら控えていないので、どうにも連絡のしようすらない。少し待つことにして、バス停向かいの店に入り、朝ご飯を食べる。かなりのローカル店だが、お客は沢山いて、焼きそば食べたり、蛋餅を食べたりしている。バスを待つ間に食べているのか、それとも単なる朝飯か。

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お客がどんどんやってきたので、席を譲るために外へ出た。しかしまだ茶荘は開いていなかった。仕方なく、道を歩き出す。コンテスト茶と言えば、前回コンテスト入賞常連の店に行ったのを思い出した。こんなに早く開いているのか不安だったが、見に行くと、こちらはちゃんと開いている。老板を呼んでもらうと、『前にも会ったな』と何とか覚えていてくれた。ここでIさんに見せたかったのが、丸まった包種茶。

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製法も味も包種茶なのだが、なぜか高山茶のように丸まっている。老板によれば、『中国人観光客は台湾茶と言えば丸まっているもの、と思い込んでおり、味より形、丸くなければ買って行かないのでこうなった』と驚くような話をする。しかしこれは一面の真実を語っており、美味しいとか品質が良いというのと売れるというのは違うのである。勿論ある時期が来れば、飽きられて売れなくなるのであろうが、まずは売れないと次がないのであれば、売っていく。コンテストでいくら入賞しても、それほど商売に直結しない、という現実もあるらしい。

 

突然の製茶体験

お茶を飲んでいると9時を過ぎてしまった。慌てて礼を言い、店を出て、目的の店へ。今度はシャッターが空いていたので一安心。だが人はない。声を掛けると奥からお母さんが出てくる。『今日の会に参加しに来ました』というと、『ちょっと待ってね』と言って、電話を掛ける。『生徒さんが来たよ』といい、こちらを向いて、今お父さんが迎えに来るからと言う。生徒と言う言葉が引っかかったが、まあ試飲の生徒、と言う意味だろうと解釈した。お父さんは工場から来るという。では試飲会はどこで行われているのだろうか。全く理解できないが、流れに従う。

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迎えの車に乗り込み、10分ほど登ると、そこに廟があり、その横に工場があった。中に入ると、お父さんの息子、長男が待っていた。そしていきなり、茶葉はここにあるので、これから一緒に作ろうという。何だか分らないが、荷物を置いて笊を揺する。なぜこんなことをしているかも全く分からないが、長男は全く意に介さず、揺らし方などを指示している。Iさんもまじめにやり始めた。もうこのままやっていくしかない。

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揺らし終ると、製茶の工程の説明があった。室内で萎凋を続けて、それから殺青する。何だか完全に製茶体験の生徒のような気分になる。ところで試飲会はどうなったのだろうかと思ったが、外に散歩に出た。この付近には植えたばかりの可愛い茶樹が広がっているが、最近開拓したのか、野菜畑でも転作したのか、よくわからない。すぐ近くには川が流れており、遊歩道ができている。向こうからハイキングする台湾人が歩いてきた。この辺は観光地なのか、山間部なのか。

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