埔里から茶旅する2016(23)昔の仕事を思い出す

9. 台北2

台北の宿にチェックイン。ここの良いところは荷物を長く預けて置けること。今回もいつ帰ってくるかわからないが、といいながら、預かってもらっていた。今や一般のホテルでは預からない、というところまであり、拠点化が出来ずに困る。先日もバンコックのホテルで荷物を預かってもらえずに、右往左往した。やはりどこかに部屋でも借りた方がよいのだろうか、と真剣に悩むが、何となく風が吹いて来ない。

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部屋でまたフラフラしていると、あっという間に暗くなる。腹も減ったので、飯を探しに行く。この付近、日本飯屋が増えている。たまにはそれもよいかと思ったが、何となく居酒屋系が多く、酒を飲まない私には入り難い。勢い、昔ながらの飯屋がある場所に足が向く。25年前、私はここのすぐ近くに住んでいた。飲み屋街が近いというのは、当時の駐在員にとって何かと便利だった。その頃からあったであろう、魯肉飯屋など、飲み屋街の端にはまだあった。

 

だが一軒の店で足を止め、何気なく注文をするとそこの奥さんは、こちらをきつい目でにらみ、無言になった。何か悪いことでも言ったかと思ったが、はっと気が付く。私のことを大陸中国人だと勘違いしたらしい。確かに私の言葉は台湾的でないところがあり、何より、たまに大陸的な物言いが起こる。言葉とは面白いもので、その態度にまで出ることがある。彼女が黙って注文の品を作り、旦那と思われる人が運んできた。彼女の心境はどういうものなのか、それはある意味で今の台湾人の心を映しているようで、文句を言う気にも、自分が日本人だという気にもならなかった。飯は美味かったが、かなり味気ない夕飯となる。

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529日(日)
Wさんと昔の仕事話

もやもやいた気分で寝つきも悪かった。翌朝どうしても気になり、再度昨晩と同じ場所へ行ってみる。その店は開いていなかったが、その付近には安い朝食を出す店が数軒開いている。サンドイッチとコーヒーで40元、やはり安い!この店の老板は愛想がいい。地元の人ばかり来る店だが、私を一瞬にして日本人と見分けたようだ。だが後から入ってきた中国人の若いカップルにも同じように接している。人にはそれぞれ事情があるのかもしれない。一概に台湾人は中国人を嫌っている、とは言い切れない。

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今日は本当に完全休養日となる。一日中宿の部屋から出ない。何をするでもない。いや、もう月末だから、決められたものを書かないといけない。でも書けない。何もする気が起きない。最近食べ過ぎだから、昼ご飯を食べる気も起らない。そうして日本のテレビや台湾の有線テレビをボーっと見ていると、もう夕方になってしまう。サラリーマン時代、日曜日の夕方ほど儚いものはなかった。何もしなかった一日を悔いたあの頃。

 

今晩は、25年以上前に台北でお世話になったWさんと会うことにしていた。彼も昨年ついに銀行を退職し、悠々自適だというので連絡してみたが、まだまだエネルギーが有り余っている。週に何回かチベット仏教の勉強に行っている。台湾でもチベット仏教は大流行しており、その授業には大勢の人が詰めかけているらしい。Wさんとはいつもの場所で待ち合わせたが、地下鉄に乗っていると突然知らない番号からメッセージが入ってきて、場所の変更を告げた。このメッセージ、信じてよいのだろうか。まあ取り敢えず行ってみよう。後で聞いたところ、彼は携帯を2台持っており、別の1台からメッセージしたため、このようなことになったらしい。『これも銀行時代の名残だよ』、経営者の秘書役だった彼は、常に忙しく、そして常に電話が掛かってきていたのだ。

 

待ち合わせ場所のSOGOに行ってみると、6時前だというのに多くのレストランにお客がたくさん入っていた。台湾は景気が悪いのだろうかと目を疑う。ベンチでWさんを待っていると、何と横に座っていた女性もWさんを待っていた。彼もすぐにもう一人の女性と一緒にやってきた。彼らは元同じ職場で働いていた同僚で、現在は一緒に仏教の勉強に行っているらしい。それにしても目指す日本料理店、既に順番待ちになっており、いつ席に就けるか分らない。

 

北海道鍋の店、というところで、肉か海鮮を選び、たらふく鍋を食べた。確かにこの場所で、この料金なら、お客が多いのも頷ける。味は日本的というよりは、台湾的になっており、そこがまた台湾人にウケるのだろう。Wさんが私を紹介する時、『昔一緒に飛行機会社の案件をやった』と言ったので、それまで完全に忘れていた過去のファイナンスの話などが蘇る。そういえば、今日見ていた有線テレビだって、元はと言えば、私がWさんの依頼で東京のケーブルテレビ局を案内して、台湾の業界形成に一役買ったことも急に思い出す。それなら台湾の有名な企業とは殆ど取引関係を作り、台湾のビリオネアーと言われる人々とも交際した。最近、そんな昔の仕事の話など、全くと言っていいほど、思い出さなくなっていたが、確かに私は台湾で色々な仕事をしてきたのだなと、急に懐かしむ気持ちになる。

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