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ラオスポンサリー茶旅2016(4)中国人の街 ウドムサイ

4.ウドムサイ

中国人の街

まだ周囲も明るかったが、結構疲れていたので、一番近くで目に入ったホテルに行ってみた。最近は到着した場所でホテルを探す旅にも慣れてきたので、気楽なものだった。宿の名前はスリボーンホテルだったが、漢字の看板も出ていた。バスターミナルから歩いて3分と極めて便利。中に入って英語で『部屋はあるか?』と聞くと、応対した若い女性が『何で英語なんか使っているよ?中国語でしゃべりなさいよ!』と実に流ちょうな中国語を話してきたので驚いた。聞けば中国雲南省から出稼ぎできた女性で、華僑でもなく本土生まれだった。道理で中国語がネイティブな訳だ。

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取り敢えず10万kの部屋を確保したが、ラオキープはそんなに持っていなかった。米ドルを出して受け取るかと聞くと『米ドル、流通量がないから要らないのよね』とあっさり断られた。人民元はどう見ても受け取るのだが、これはポンサリーで使う可能性があるので、出さずに、タイバーツを出してみると、『バーツは必要だからOK』というのだ。ここは中国人の街らしいが、バーツ圏でもある。中国とタイが交差する街、ということだろうか。私がこの街に来たのも、東西南北の交差点だから。

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部屋は2階で、広さは十分だったが、お湯のシャワーが使えなかった。私の使い方が悪かったせいだろうか?Wi-Fiも部屋で何とか繋がったし、ここは一晩我慢しよう。既に暗くなった中、腹が減ったので外へ出る。街の方向へ歩いていくと、中国語の看板が多く見える。中国市場まであった。やはり中国の影響が大きいと言わざるを得ない。

 

重慶飯店と中国飯店という看板が見える。何となく辛いものが食べたくなり、重慶飯店に入る。店の前には四川ナンバーのランクルが停まっており、中で3人の若者が煙草をふかしながら、ビールを飲んでいた。中国人観光客が多数来ていることがよくわかる。席に着くと店員はラオ人で、要領を得なかったが、客の一人が中国語で『メニューはないので、厨房に行ってオーナーに注文しろ』と教えてくれる。なるほど。

 

厨房へ行くと中国人オーナーが鍋をふるっており、声を掛けると『一人なら麻婆豆腐か回鍋肉だな』というので、回鍋肉を頼んでみた。すぐに大盛の回鍋肉と山盛りのご飯が出てきた。かなり辛かったが、腹ペコでご飯をかき込んだ。最後はお茶で飲み込んだ。会計すると5万kという。中国に比べれば安いとはいえるが、結構いい値段を取る。

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国境で両替したお金が減り、不安になる。だがこんな夜に銀行は空いてはいない。見るとちょうど人がATMで現金を引き出しているではないか。私も試しに、タイの銀行のキャッシュカードを突っ込んでみた。するとちゃんとラオキープが出てくる。これはキャッシングではなく、タイバーツからラオキープに両替できたので有り難かった。2万kの手数料がかかったがまあ、仕方がない。今はどこでもATMでその国の通貨を下ろすように仕向けている。日本はどうだろうか。

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お金が手に入ったので、今度はシムカードを買いに行く。携帯でネット環境を作ろうと思う。何しろバスに乗っている時間が長いので、これは必需品だったのだが。ラオ人が経営する店は暗くなると早々に閉めてしまうが、華人の店には煌々と電気がついており、その違いはかなり鮮明だ。店に入って中国語を使うと、ここでも全く普通に会話ができた。父親の代に雲南省から移住してきた一家がやっている店だった。働き者の2代目が応対してくれた。

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5万kでシムを買い、セットアップをお願いしたが、なんと私の端末ではネットが出来ず、携帯に入れて電話に使えるだけだとわかった。がっかり。まあ明日ポンサリーのミッションで、電話は必需品となるので、仕方がないと諦める。携帯屋からは『ここで端末を買えば、繋がるぞ』と商売熱心なアドバイスを受けたが、買う気にはなれず、店を出た。帰りがけに、みかんを4つ買ったが7000kもしたのに、甘くなかった。またがっかり。

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ラオスポンサリー茶旅2016(3)一人バスツアーでファーサイからウドムサイへ

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一人車でファーサイのバスターミナルへ着いた。運転手は手早く窓口へ行き、ルアンナムター行のバスチケットを入手して私に手渡した。そして『ここで待っていろ』というジェスチャーをして、そのまま去っていってしまった。これでツアー終了?完全に取り残された。現在の時刻は10時10分。だがバスの出発は12:30と書かれている(料金は6万k)。えー、このあと2時間半もここにいるのか。ここはターミナルとはいっても、本当に何もないところ。椅子はあるが、食事すらできる場所はない。どうすればよいのだろうか?確かに昨晩旅行会社の女性が言った『待つのよ』という言葉が頭に蘇る。

 

仕方なく周囲をウロウロする。バスの時刻表を眺めてみると、何と9:30にウドムサイ行きがあった。私はあの国境で30分以上白人たちを待ったが、もしあれがなければ、このバスに乗って、午後にはウドムサイについていたはずだ。ウドムサイまで行ければ、翌日確実にポンサリー行のバスに乗れたはずだ。何とも残念でならないが、今さら何を言っても遅い。やはりこのツアーに乗る人間など基本的にいないということがよくわかる。というか、ツアーの体すらもなしてはいなかった。

 

ところが10:30にはバスが所定の位置にやってきた。すると何人もの人が急いでバスに乗り込んだ。座席に荷物を置いている。場所取りのようだったので、私は運転手の横の助手席に荷物を置いた。しかし言葉が通じないので一体何時に出発するのか、全く分からない。ただ着々とバスの出発準備が続いている。大きな荷物は車の上にあげられた。車内にも荷物が運ばれてくる。もうすぐなのかな、と思っていたが、それからは長かった。そして何となく11:30には発車した。発車直前に若者が私の横に押し込まれ、助手席は相当に窮屈になったが、まあ思ったより1時間早く出てくれたのでホッとした。

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バスはファーサイの街に入らずに、そのまま郊外の道路を行く。この道は悪くはないが高速道路ではない。若干のアップダウンもあるが、大きく揺れることもない。中国ナンバーの車がタイ方面に向かって多く走っていくのが、助手席からはよく見える。この風景は昨年タイ側で見た光景だった。標識にも中国語が書かれており、如何に中国人ドライバーが多いかもよくわかる。

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途中からも乗客がバスに乗り込んでくるが、すでに満員で、後から来た者は床に座っていたが、それももう限界に来ていた。ラオスの交通事情は相当に悪い。基本はバス移動だが、そのバスが相当年代物であり、かつ乗客が多すぎた。旅行会社の話ではルアンナムターまで4時間かかるとのことだったが、結構辛い旅になりそうだ。勿論定期的なトイレ休憩などもなかった。途中一度だけ道路脇に停まった。運転手が用を足すためだったが、我々も降りて、民家?のトイレを借りた。これがなければ、休憩なしだった。

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4時間と言われたが15:00にルアンナムター着。3時間半の乗車だった。今日はここまでだなと思い、ルアンナムター泊を決意。明日の予定を立てるために何となく時刻表を見ると、なんと朝のポンサリー行きバスがここから出ているのを発見した。なんだ、ウドムサイへ行かなくても、ここから直接ポンサリーに行けるんだ、と喜んだ。そして一気に気が抜けた。取り敢えず明日のチケットを買おうと、窓口へ行ったが誰もいない。ようやくお姐さんを探し出して聞くと、なんと『そのバスにはあなたは乗れない』とはっきりした英語でいう。

 

ぬか喜びから一転、また奈落の底へ突き落された。このルートはラオ人と中国人のみが乗車できるという。というのは、第三国人が通過できない国境を通るためで、だからこそ近道なのだ。これに乗りたかった、とい気持ちが『じゃあどうすればいいんだ!』とお姐さんに聞いてしまった。すると、『そこに停まっているバスにすぐに乗って』という意外なリアクションがあった。だが時刻表には今日のウドムサイ行はもうなかった。あったのは15;30発のシェンクワーン行きのみ。だがお姐さんはこのバスの切符を4万kで私に売った。

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半信半疑でバスに近づくと運ちゃんが私の荷物を上に上げてしまった。そうか、やはり行くのか。これはラッキーだった。もし今日ウドムサイへ行けなければ、明日の朝のポンサリー行には乗れないため、一日ロスしてしまうところだったのだ。人生はなんとなく上手くできている。転んでもまた起き上がれる。このバスは満員でもなかったので、ちょっとゆったりできた。少しく行くと、左へ曲がれば中国国境のボーテン、右へ行けばウドムサイ、という表示が見えた。すでに中国国境は近かったが、私の目的地ははるかに遠い。むしろここから中国へ抜け、雲南省から帰りたい心境だったがミッション第一!

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先ほどよりは、少し山道が多くなる。ラオスの内陸部へ入った感じだった。窓の外を見ても、山か畑ばかり。のどかといえばのどかだが、退屈といえば退屈な旅である。歳のせいか、トイレが近いのがとても気になり始める。休憩はあるのかないのか、全く分からない。ウドムサイまでも4時間と聞いていたいのだが、急いで乗ったため、トイレに行っていない。

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どうしよか。などと考えていると、何と18:00頃に『ウドムサイに着いた、降りろ』と声がかかる。なんとそこで降りたのは私だけで、乗ってくる人は誰もいない。そうか、このバスはウドムサイを本来通過するのだが、ターミナルへ入らずに私を道端に落としてくれたのだ。これは何とも有り難い処置だった。おまけに僅か、2時間半しかかからなかったのは、幸運というしかない。ああ、今日のバス旅は何とか終わった!明日はどうなるのか?

ラオスポンサリー茶旅2016(2)タイ-ラオスの国境を超える

旅行会社の店主は既に店を離れており、彼のパートナーのタイ人女性が対応してくれた。彼女はなぜこのチケットを買うのだろうかという顔をし、『ラオスの国境を越えたら、ファーサイでバスを待つのよ』と念を押した。私には状況がよくわからないが、行くしかミッションを果たせないので、言われるままに頷いてチケットを受け取る。旅行会社を出て、歩いていくと、さっきの店主がほかの西洋人とカフェでビールを飲んで、話し込んでいた。なんだか楽しそうな人生を送っており、ちょっと羨ましい。まあ、私の生活も他人から見ればかなり羨ましいのかもしれないが。隣の芝生、という奴だろうか。

 

既に時刻は夜の8時過ぎ。さすがに腹が減る。考えてみれば今日はラショーで麺を2杯食べただけだ。チェンライに来るといつも行く、華人の店があるのだが、かなり広いその店はなんと満員盛況だった。これまではほぼシーズンオフに来ていたのだが、今日は全く様相が違っていた。ホテル代もかなり高いが、レストランまで混んでいるとは。チェンライ自体は何もないところだと思うのだが、なぜこんなに観光客がいるのだろうか。

 

仕方なく、別の店を探すと、簡単な鶏肉ご飯を出す店があった。腹が減っていたので、あっという間にかき込んだ。それでも収まらず、また麺を注文してしまった。今回の旅はちょっとサバイバル的な様子があり、食べられる時に食べてしまおうという感覚になる。ホテルに戻り、シャワーを浴びると疲れがどっと出る。そのままベッドに倒れ込むと、寝入ってしまった。

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1月31日(日)

ファーサイへ

翌朝は5時に起き、支度をして、6時前にホテルをチェックアウトした。ツアーの迎えのミニバンは6時から6時半の間に来るというので、ホテル前のカフェで待つ。このホテルの朝食はカフェで6時半から。タイ人だからゆっくり来るだろうと期待していると、結局迎えが6時20分に来てしまい、朝食は食べられずに終わる。このミニバンの運転手は明るい性格で、流ちょうな英語を話し、テキパキと行動している。そしてツアーの客はなんと全員が白人だった。ドイツ人、スイス人、スエーデン人など。確かにフランス人が経営する旅行会社を通したのだからそういうことだろう。すでに全員が乗車しており、私が最後の客だった。

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にぎやかな英語の会話が少し続いたが、朝日がきれいに上がっていく中、その後は完全に寝落ちる。冷房が効きすぎていたが、お構いなし。それほど疲れていたのだろう。ふと気が付くと、すでにチェンコーン。1年前に来たことがある、その見覚えがある道を行くと、すぐに国境のゲートに着いてしまった。僅か1時間半でここまで来た。路線バスだと3時間かかるとの話だったので驚く。

3.ラオス国境越え

国境に着くと、まずはトイレへ駆け込む。それが済むと国境ゲートへ進んで行ったが、白人たちは何やらお金を支払っている。ビザの関係だろうか?私は不要らしく、通り過ぎた。当たり前だがタイ出国はスムーズだった。出国してどうするのかと思っていると、ちゃんとガイドがいて、シャトルバスに案内する。通常25bかかるらしいが、費用はツアー代に含まれている。ここを通過する全員が乗り込むまで待つ。その間に、ラオキープの両替も受けてつけている。ビエンチャンなどでは米ドルが使えるかもしれないが、田舎は分らないので、レートは悪いだろうが、日曜日ということもあり、少額両替した。

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バスで橋を渡り、ラオス側へ。ここも立派なイミグレの建物が建っていた。後で見ると中国政府の援助により建てられたとある。バスで来た人以外は殆どいないため、ここもスムーズだった。白人たちは、まずはビザを申請する必要があり、急ぐ旅でもないので、ゆっくり申請書とにらめっこを始めた。私は入国書類だけを書いて、一番でイミグレを通過したが、反対側のブースにも行け、と言われる。

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何事かと寄ってみると、なんと今日は日曜日なので、残業代だとして40bを請求された。ここには英語の表記があり、バーツ払いなので、外国人のみに適用されているのだろうか。それにしても週末と夜間は残業として、通過者から金をとるというのは、アジアで初めて見た光景で驚いた。ラオスの社会主義的な一面と、そしてなにより財政難を少し見たように思う。

 

残念ながら、いつまで経ってもツアー客は出てこなかった。私は一人、ゲートから外を眺める。トゥクトゥクがラオス人乗客を運び始めた。中にはこれに乗ってどこかへ行く外人も見られた。私も早くここから脱出したいと思うのだが、ツアーだから仕方がない。このツアーの問題点が徐々に浮かび上がってきた。しかしチェンライから普通のバスでここに来たのでは、こうスムーズではなかっただろう。

 

待つこと30分以上。ついに一団が現れ、そしてどこからともなくラオ人ガイドもやってきて、ソンテウで運ばれる。どこへ行くのだろうか。ソンテウは町の近くに行ったが、ある家の前で停まる。そこがツアーの拠点になっており、英語での説明が始まる。そこに集まった観光客は、なんと私以外全員がスローボートでルアンプラバーンへ行くツアー客だった。最後に『そういえばナムターへ行く人がいますね』と言われて、初めて私はたった一人のツアーだったと気付いた。皆がフランスパンを買っていたので、私も朝食を取ろうとしたところを、連れ出され。車に乗せられた。運転手は英語も出来ない。

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ラオスポンサリー茶旅2016(1)ラオスへの遠い道のり

《ラオスポンサリー茶旅2016》  2016年1月30日-2月5日

 1.タチレイから国境越え

1月30日(土)

タチレイ空港から

ゴールデンミャンマーは無事にタチレイ空港に到着した。預け荷物は前回同様リヤカーで引いてくる。それを人をかき分けて受け取り、乗り合いタクシーを見つけて国境を目指す。4000kが高いのかどうかわからないが、まあ仕方がない。タチレイ市内はラショーより大きい街に見え、タイ国境なのにより中国色が強く出ているようで不思議だった。正月飾りが多く売られている。漢字の看板も多く、ホテルはみな中国人観光客ように思えた。

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だが乗り合いなので大通りから逸れてわき道に入ると、そこはミャンマーだった。パゴダがあり、ゆったりとした家々が並んでいる。商売は華僑系が仕切っているこの街だが、やはりミャンマーやタイのにおいもする。次回はゆっくりここに泊まり、街歩きをして眺めてみたい。

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タクシーは全員を下ろし、最後に私を国境で降ろして任務が完了した。ここも慣れたものなので、ミャンマー側で手続きをした。タイ人はパスポートなしなので、私だけが窓口で出国した。だがなぜか向かい側にも行けという。また何かお金でも取られるのかと思ったが、なんだか登録をしているだけ。すでに出国した人間をまた登録するのか?意味不明だ。橋の真ん中、中立地帯では相変わらず、運び屋が行き交っている。観光客も多い。

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タイ側もスムーズに抜ける。半年前、ここに4日も滞在した懐かしい場所に出た。メーサイ、さて、ここからラオスへどうやって行けばよいのか。まずはメーサイのバスターミナルへ行くのに、ソンテウに乗る。横にいたタクシーの運ちゃんにチェンコーン(ラオス国境)まで行くかと聞くと、1800bなら行くとの答え。僅か1時間もない道、バスならいくらもしないだろうにと思い断ったのだが、これは今考えると乗った方がよかったのかもしれない。

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15bのソンテウでターミナルへ行くと、ちょうどチェンライ行が出たところだった。聞くと、ラオス国境へ行くためには、とにかくチェンライへ行かなければならいという。30分後、40bでチェンライ行バスに乗る。西洋人が数人、バックパックで乗り込んできたが、そのバックもあっという間に地元民の荷物で埋まる。バスは日差しを受けてかなり暑くなってきた。

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途中2度も検問がある。私はいつもチェンライからメーサローンへ行くので、その感覚でメチャンあたりに行くように思っていたが、国境の警備は予想以上に厳しく、警察が乗り込んできて、若者が2-3人バスから降ろされてチェックを受けていた。またこの辺はミャンマー人がかなり入っているので、このあたりのチェックもしていた。私は怪しまれることなく、パスポートの提示もなかった。

 2.チェンライ

チェンライターミナル工事中

何と2時間もかかってチェンライに到着。ところが慣れ親しんだバスターミナルには着かなかった。ここはどこだろうか、途方に暮れて聞いてみると、ターミナルは少し離れたところにあった。だがあった、というのが正しく、建て替え工事中であり、建物は跡形もなくなっていた。すぐ横にチケット売り場があった野江そこに並んで事情を聞いてみたが、英語はできるのだが、チェンマイ行のチケットを売るだけで要領を得ない。トゥクトゥクのおじちゃんたちも、『明日の朝早く来い』としか言わないので、分らない。

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まさに途方に暮れた。すでに周囲は真っ暗だった。ふらふら歩いていると、旅行会社の看板が見え、ルアンプラバーンへのボート旅を宣伝していた。ここならバスも手配できるかと思い、入ってみると、なんとフランス人が経営していた。彼らが言うには『これはツアーだが、そこに入ることはできる』という。ルアンプラバーンではなく、ルアンナムターへ行くツアーがあるというので、よくわからないまま、そのチケットを買おうとしたが、まずはホテルを決めてから来い、というので、以前も泊まった宿へ向かう。

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このホテルのサービスは良くないが比較的きれいだった。ただ料金がシーズンオフの600bから900bに跳ね上がっており、やめようかと思ったが、チケットのためにやむなく泊まった。私が泊まった部屋が最後の1部屋で満室になったという。フロントの女性は相変わらず愛想がなく、強気の態度が憎らしい。旅行社に戻り、1100b出して、チケットを買った。こんなことならチェンコーンまで1800bで行っていくべきだったか。どちらが良いのか判断は難しい。