ラオスポンサリー茶旅2016(2)タイ-ラオスの国境を超える

旅行会社の店主は既に店を離れており、彼のパートナーのタイ人女性が対応してくれた。彼女はなぜこのチケットを買うのだろうかという顔をし、『ラオスの国境を越えたら、ファーサイでバスを待つのよ』と念を押した。私には状況がよくわからないが、行くしかミッションを果たせないので、言われるままに頷いてチケットを受け取る。旅行会社を出て、歩いていくと、さっきの店主がほかの西洋人とカフェでビールを飲んで、話し込んでいた。なんだか楽しそうな人生を送っており、ちょっと羨ましい。まあ、私の生活も他人から見ればかなり羨ましいのかもしれないが。隣の芝生、という奴だろうか。

 

既に時刻は夜の8時過ぎ。さすがに腹が減る。考えてみれば今日はラショーで麺を2杯食べただけだ。チェンライに来るといつも行く、華人の店があるのだが、かなり広いその店はなんと満員盛況だった。これまではほぼシーズンオフに来ていたのだが、今日は全く様相が違っていた。ホテル代もかなり高いが、レストランまで混んでいるとは。チェンライ自体は何もないところだと思うのだが、なぜこんなに観光客がいるのだろうか。

 

仕方なく、別の店を探すと、簡単な鶏肉ご飯を出す店があった。腹が減っていたので、あっという間にかき込んだ。それでも収まらず、また麺を注文してしまった。今回の旅はちょっとサバイバル的な様子があり、食べられる時に食べてしまおうという感覚になる。ホテルに戻り、シャワーを浴びると疲れがどっと出る。そのままベッドに倒れ込むと、寝入ってしまった。

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1月31日(日)

ファーサイへ

翌朝は5時に起き、支度をして、6時前にホテルをチェックアウトした。ツアーの迎えのミニバンは6時から6時半の間に来るというので、ホテル前のカフェで待つ。このホテルの朝食はカフェで6時半から。タイ人だからゆっくり来るだろうと期待していると、結局迎えが6時20分に来てしまい、朝食は食べられずに終わる。このミニバンの運転手は明るい性格で、流ちょうな英語を話し、テキパキと行動している。そしてツアーの客はなんと全員が白人だった。ドイツ人、スイス人、スエーデン人など。確かにフランス人が経営する旅行会社を通したのだからそういうことだろう。すでに全員が乗車しており、私が最後の客だった。

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にぎやかな英語の会話が少し続いたが、朝日がきれいに上がっていく中、その後は完全に寝落ちる。冷房が効きすぎていたが、お構いなし。それほど疲れていたのだろう。ふと気が付くと、すでにチェンコーン。1年前に来たことがある、その見覚えがある道を行くと、すぐに国境のゲートに着いてしまった。僅か1時間半でここまで来た。路線バスだと3時間かかるとの話だったので驚く。

3.ラオス国境越え

国境に着くと、まずはトイレへ駆け込む。それが済むと国境ゲートへ進んで行ったが、白人たちは何やらお金を支払っている。ビザの関係だろうか?私は不要らしく、通り過ぎた。当たり前だがタイ出国はスムーズだった。出国してどうするのかと思っていると、ちゃんとガイドがいて、シャトルバスに案内する。通常25bかかるらしいが、費用はツアー代に含まれている。ここを通過する全員が乗り込むまで待つ。その間に、ラオキープの両替も受けてつけている。ビエンチャンなどでは米ドルが使えるかもしれないが、田舎は分らないので、レートは悪いだろうが、日曜日ということもあり、少額両替した。

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バスで橋を渡り、ラオス側へ。ここも立派なイミグレの建物が建っていた。後で見ると中国政府の援助により建てられたとある。バスで来た人以外は殆どいないため、ここもスムーズだった。白人たちは、まずはビザを申請する必要があり、急ぐ旅でもないので、ゆっくり申請書とにらめっこを始めた。私は入国書類だけを書いて、一番でイミグレを通過したが、反対側のブースにも行け、と言われる。

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何事かと寄ってみると、なんと今日は日曜日なので、残業代だとして40bを請求された。ここには英語の表記があり、バーツ払いなので、外国人のみに適用されているのだろうか。それにしても週末と夜間は残業として、通過者から金をとるというのは、アジアで初めて見た光景で驚いた。ラオスの社会主義的な一面と、そしてなにより財政難を少し見たように思う。

 

残念ながら、いつまで経ってもツアー客は出てこなかった。私は一人、ゲートから外を眺める。トゥクトゥクがラオス人乗客を運び始めた。中にはこれに乗ってどこかへ行く外人も見られた。私も早くここから脱出したいと思うのだが、ツアーだから仕方がない。このツアーの問題点が徐々に浮かび上がってきた。しかしチェンライから普通のバスでここに来たのでは、こうスムーズではなかっただろう。

 

待つこと30分以上。ついに一団が現れ、そしてどこからともなくラオ人ガイドもやってきて、ソンテウで運ばれる。どこへ行くのだろうか。ソンテウは町の近くに行ったが、ある家の前で停まる。そこがツアーの拠点になっており、英語での説明が始まる。そこに集まった観光客は、なんと私以外全員がスローボートでルアンプラバーンへ行くツアー客だった。最後に『そういえばナムターへ行く人がいますね』と言われて、初めて私はたった一人のツアーだったと気付いた。皆がフランスパンを買っていたので、私も朝食を取ろうとしたところを、連れ出され。車に乗せられた。運転手は英語も出来ない。

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1 thought on “ラオスポンサリー茶旅2016(2)タイ-ラオスの国境を超える

  1. 経験された通りメサイからチェンシーンへチェンライを迂回するのは時間的にも費用的にも全くメリットはありません。今は道も良くなりましたから川沿いの山道をチェンシーンに直行すべきです。橋が出来た反動でチェンシーンは少し寂れましたが宿泊施設などは十分あります。

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