極寒北京旅2023(2)懐かしい北京

取り敢えず空港タクシーに乗る。本当はアプリで呼びたかったが、待ち合わせが難しいと聞いていたので、仕方なく乗る。年配の女性運転手だったが、訛りが酷くて半分も分からなかった。真っ暗な中、車は何となくいつもと違う道を進んでいるような気がする。コロナで4年ぶりの入国だから景色も変わっただろうか。予約した宿に着くと、料金は100元近くなっており、更に運転手はチップをくれてせがむ。もうこういう時代遅れな運転手は空港ぐらいしか商売できないのだろう。

宿に入ると、『昨日は金曜日で本当に満室だったので、まだ部屋の準備が出来ていない。午前9時にもう一度来て欲しい』と言われる。日本だったら午後3時に来てくれだから、やはり中国のサービスは良い。荷物を預けてカフェにでも行って待つことにしようと外へ出た。まだ零下6度の表示、夜明け前の街だが、何故かそれほど寒さを感じない。

懐かしい亮馬橋までやってきた。この辺にマックがあるのだが、何となく地下鉄に乗りたくなり、駅へ降りていく。自販機で切符を買おうとしたが、何と身分証をかざさないと買うことが出来ない。仕方なく窓口を探して買う。駅名を言わないといけないので、思いつくまま国貿と言ってしまう。北京市民はQRコードで乗車しているらしい。

さすがに土曜日の午前7時前。地下鉄は空いていた。老人が多い気がしたが、彼らはほぼマスクをしていた。コロナに加えてインフルも流行しているとの話があったが、チェンマイでマスクをしなかった私はそのままにしていた。国貿で降りて、中国大飯店のロビーを通り、懐かしいその辺の道を歩いてみた。勿論ビルは変わっていないが、店などは大きく変わったように思われる。

歩いていると少し寒さを感じてきたので、急いでマックに入った。朝食セットとして、お粥とマフィンがあったので、それを注文してゆっくりと食べた。ダラダラしていると宿に戻る時間となり、また地下鉄に乗って戻る。何と小雪が降り出した午前9時過ぎ、無事にチェックインして部屋に入り、とにかく疲れたので寝ることにした。

11時半に部屋を出てまた亮馬橋方面へ向かう。燕沙から歩き、光明飯店まで。25年の昔毎日のように歩いた道だった。勿論今や立派なビルが並んでいるが、その道自体それほど変化はない。光明飯店は当時オフィスがあった場所であり、私が中国を学んだ辛く厳しい学校だった。3階に行ってみると、全く雰囲気は変わっていたが、建物の構造は一緒なので、何となく懐かしい。

地下1階に何軒かの日本料理屋が入っている。その中の一軒でTさんと会った。そこにはMさんも同席していた。この店はTさん経営であるが、コロナ禍を潜り抜けるのはさぞや大変だっただろう。そんな話やら、旅の話しやらを長々としてしまった。立派な天丼もご馳走になった。

夕方の北京は風も出てきて、寒くなっていた。また地下鉄に乗り、10号線、1号線、4号線と乗り継いで、西四駅で地上に上がると、既に暮れかかっていた。何だか懐かしい北京の下町風景が蘇る。高層ビルやきれいなショッピングモールではなく、20₋30年前の古き良き北京がそこにはあった。

今晩はKさん、Iさんと砂鍋居で食事となった。この店に来たのは10数年ぶりだろうか。以前から西側にはあまり来ないので随分とご無沙汰した。砂鍋白肉など美味い食べ物がいくつも出てきて嬉しい。やはりこの濃い味付けが無性に食べたくなる時があるのだ。白菜と辛し、ナス炒め等、何気ない物が特に美味いと感じられるのは、少し感傷的になっていたからだろう。

Kさんはコロナ禍の4年ほど、北京から動かなかったようで、さすが北京好きとは思ったが、その実は相当大変だっただろう。Iさんはコロナ禍に北京に復帰していたので、これはちょっと驚いた。私は南方人なので、決して北京が好きだとは言わないが、北京に良い所がいくつもあるのは知っている。帰りはKさんに車を呼んでもらい、宿へ戻る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です