昼過ぎに外へ出て、ご飯を探す。飲食店が多い道を歩いていると、陳村麺という文字が見え、何だろうと思っていると、老板娘が「これ美味しいよ、入って」というので、釣り込まれる。店は繁盛しており、まあ安心かな。牛腩蒸陳村麺を注文すると老板娘が「麺と一緒に魚皮も食べるといいよ」というので、「一人では多過ぎる」というと、「順徳名物魚皮はサラダみたいなものだから大丈夫」というので食べてみることに。

確かに魚の皮とピーナッツなどを混ぜて食べる、かなりあっさりした食べ物で美味しい。麺は想像通りボリュームがあったが、それでも何とか食べられてしまった。この老板娘、かなりの勧め上手、商売上手。他のお客にも巧みに色々と売り込んでいるが、決して嫌みが無く、素晴らしい接客と言える。最近こういう人を見かけることは日本でも中国でも少なくなった。


腹が一杯になり、散歩が必要だと痛感する。宿のはす向かいには、順徳慈善会という洋風の建物が立っていたが、その裏山に革命烈士記念碑があるというので、登ってみる。これがかなり急な坂道、階段の連続でバテル。息が上がった状態のまま記念碑の写真を撮ると、またすぐ下へ降りた。実は下に古そうな建物群が見えたので、気になってしまう。


そこはお寺だった。西山廟は明代創建で、元は関帝廟だった。桃園の誓いなど、関羽絡みのモニュメントも壁に付いている。境内には道光年間に作られたという大砲も飾られている。アヘン戦争などでこの地が戦乱に巻き込まれたことが想起される。恐らくはこの寺は文革で破壊され、改革開放後現在の姿になったのだろう。


何だかそのまま観光に行きたくなり、車を呼んだらすぐ近くにいた車がぐるりと周辺を回ってきたので、ちょっと驚く。恐らくナビの指示通りに運転しているのだろうが、客が見えているのに通り過ぎるのはどうだろうか。ルートを外れると会社から怒られるのかもしれないが。
30分ほど車に乗る。昨日降りた高鉄順徳駅をさらに越えて行ったから、かなり遠かった。そこは「碧江金楼」と呼ばれる大邸宅だった。ただ遠いこともあり、昨日の清暉園と同様の規模を誇る素晴らしい庭園もあったが、観光客の姿はまばらだった。ここも科挙合格者を出していたようで、教育の重要性が現れていた。メインの金楼、確かに2階の扉などはかなり金で覆われていたが、何となくしっくりこない雰囲気は何だったんだろう。


金楼を出て、大通りを端から端まで歩き、周囲を散策してみたが、観光地に人は殆どいなかった。店の人たちも手持無沙汰で、眠ったような場所だった。今の中国の観光地は二極分化しているのかもしれない。入口の門まで歩き、車を呼んだ。このまま宿に帰るのも何なので、地図で見付けた天后宮へ寄ってみた。ところが午後3時過ぎで門は既に閉まっていた。

横に古い建物があったのでそちらを見ていたら、横から天后宮に入れた。中では数人が集まって何か話していたので、静かに拝んで退散した。ここも明末に創建されたようだが、幾多の混乱の後、現在の姿になっているようだ。そこから歩いて宿まで帰るつもりが、チェーンホテルのもう一つ方に歩いて行ってしまったことに気が付いたが既に遅い。
