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広東客家茶旅2025(1)九龍城へ飛ぶ

《広東客家茶旅》  2025年7月7日‐15日

台北に滞在しているが、中抜けして香港へ出た。目的地は広東省梅州。もう6‐7年前から行きたくて仕方がなかった場所。コロナを経て今回ようやくたどり着いた客家の里。果たして客家はどんなお茶を作り、どんなお茶を飲んでいるのか。台北で難を逃れた台風がまさかのV字旋回で広東へ。

7月7日(月)香港 九龍城で

香港空港でもスムーズに入境した。まずはシムカードを手に入れる必要がある。前回(2年前)ここで失敗し、実名登録が出来ずに繋がらなかった苦い思い出があり、何とか二の舞を避けようと店を探してみたが、やはりセブンしかなかった。仕方なく入り、シムカードが欲しいというと、シムが渡され、「手続きが分からないなら向こうにいる担当がサポートする」と言い、その女性があっという間に登録を完了して、使えるようになった。やはりトラブルが多かったんだな、と分かる。98香港ドルで中国と香港で使えるというのは便利だ。

空港バスで尖沙咀に向かった。バスは快適に走り、天気はすごく良い(暑い)。約1時間でネーザンロードに着き、降りた。今日の宿はペニンシュラーの裏なのですぐに到着したのだが、何とチェックインに大行列が出来ていた。午後2時前から30分以上かかってようやく部屋まで辿り着く。部屋は古びているが、まあ仕方がない。立地が良いのでお客が押し寄せている感じだ。

すぐに外へ出た。近所の茶餐庁で噂の叉焼丼を食べようと思い探してみると、何と市場の跡地?にフードコートのような場所が出来ていて、色々好きなものを選んで食べられる。まあ立地上観光客向けだとも思うが、意外と地元民も食べている。私も慣れない広東語で叉焼飯と凍檸茶を注文し、頬張る。ちょっとは気分が出て良かったが、私がなぜ昔から叉焼飯を食べなかったのがよく分かった。米が合わないのだ。

そこから歴史博物館まで歩こうとしたが、あまりの暑さに途中でバテテしまった。ちょうど銀行の手続きが必要だったので、中へ入ると涼しい。だが非常に混んでおり、何と1時間も待つハメになってしまった。おまけにその手続きは元々不要だと分かり、本当に避暑のための滞在となってしまう。

気を取り直して博物館まで歩き、何とか中へ入る。ここは8年ぶり。残念ながら昔の面影はまるでなく、香港の歴史に関する展示はほぼ無くなっていた。代わりに展示されていたのは偉大なる中国史。何となく中国内の博物館と似ている感じとなっており、そそくさと退散した。香港の現状を垣間見た思いだ。

一度宿に戻り、疲れを癒す。しかしこの暑さは異常だろう。夕方MTRに乗って九龍城へ向かう。さすがに5時台になり少し暑さが和らいでいた。九龍城付近も少しずつ変化があり、店なども代わっていた。昔よく行った茶荘も場所が少し変わっており、老板もいなくて店員は追い出さんばかりの対応でちょっと残念だった。

時間が余ったので九龍城公園を歩いていると、今年大ヒットした映画のセットを再現した場所があり、係員が「今ならすぐに入れるから見て行って」と整理券をくれた。この映画、私も東京で見たのだが、最近目が弱くなっており、アクション物は見ていられなくて困った。だが日本人でこのセットを目当てにわざわざ香港まで来る人がいると聞いており、一応チラッと覗いてみた。午後7時までやっているのは素晴らしい。それから公園を散策していたら、やはり汗をかいてしまった。

夜7時半、楽口福というレストランへ行く。ここもあの映画のロケ地らしく、雰囲気は良い。今晩は先週台南でマンゴーを一緒に食べたメンバーと再会した。先週も潮州の話しで盛り上がっており、この場所が設定されたようだ。だが映画のヒットで日本語メニューなども出来ていたにもかかわらず、お客さんは多くなかった。この辺のギャップが良く分からない。1954年創業のこのお店。ちゃんと工夫茶が出てきて嬉しい。滷味も美味しく、魚も美味なのになぜお客がいないのか。台南に引き続き、楽しい夜を過ごす。

上海・浙江美食旅2025(9)オールド上海散策

5月21日(水)上海散策

爽やかな朝、外へ出る。まずは朝ご飯を探す。この付近、庶民的な店は減っているようだ。何とか食堂に入り、葱油拌麺と湯包を注文。実にシンプルだがこういう朝が欲しかった。静けさの中で麺を食すのは良い。食後は散策。孫中山故居を探しながら、何とも雰囲気の良い昔の風景を垣間見て歩く。あれだけ発展した上海の中に、38年前を思い出せる場がまだあることに少し感動する。更には錦江飯店の敷地内を散策し、多くの面影を確認して脳が喜んでいた。若き日の思い出は老いてこのように蘇るのかとびっくりした。

昼前に宿を出て車を呼んで宿を移る。移らなくてもよかったのだが、何となく散財しないようにという自制と、洗濯したいという衝動が、宿の予約サイトに繋がった。その宿は定宿チェーン店なのだが、どう見ても設備が古びていて、色々と問題がありそう。部屋に至っては何と窓が無く、久しぶりの安宿空間だった。ただ窓がない部屋は嫌いではないので一晩泊まろうと決意を固めるも、何とネットが全く繋がらない。

仕方なくフロントに伝えると、さすがに窓のある部屋に変えてくれた。そんなに安くない部屋に結構な料金を払うことには抵抗があった。ただスタッフたちはその辺の弱点がよく分かっており、非常に臨機応変に対応してくれた。洗濯も結局洗濯して畳んでおいてくれて助かった。

昼ごはんを食べようと麵屋に向かって歩いて行くと、なんとクラシック音楽などが聞こえてくる。優雅な雰囲気で、しかもレトロな建物がずらっと並んでいるので嬉しい。杭州で味をしめ、爆醤猪肝腰花麺を頂く。これは本当に私に合った濃厚な味で、しかも内臓系が驚くほど旨い。

午後は交通大学へ行ってみた。なぜ行こうと思ったのは分からないが、昨日の華東師範と脳の関連ではないだろうか。やはり38年ぶりだが、ここの記憶自体は殆どないので、懐かしさは乏しい。郊外の復旦大学から見えれば、都会だったとの記憶だけがある。歴史も復旦とほぼ同じで、それなりの建物も残っている。外へ出て道を渡ると、そこに李鴻章祠があるとあったので行ってみたが、何と復旦公学の古い門が建っていた。母校は今年120周年を迎えると再認識した。

宋慶齢故居に向かって歩いていたら、何やら交差点付近に人が集まっており、皆が上を向いて写真を撮っている。武康大楼というY字路に立つ100年前の建物。なぜ人はY字路に立つ建築物に魅せられるのだろう、などと思ってしまう。所謂インスタ映えスポットらしい。結局故居の方は通り過ぎ、その先の駅から地下鉄に乗り、宿へ戻る。夜もまた飽きずに大腸拌麺を食べて大満足。

5月22日(木)東京へ

ついに最終日の朝。この宿には朝飯があるのだが、一階の狭い空間で食べるのは気分の良いものではなく、すぐに退散して外へ出た。何となく静安寺の方へ向けて一駅歩いてみる。地図を見ると静安寺の横に愚園路という道があるのが気なる。なぜ愚園という名称なのか知りたく、歩いてみるもほぼ分からず。ただ何となくいい雰囲気の横丁などが多く、感じはいい。

暑くなってきたので静安寺から一駅地下鉄に乗り、昨日音楽が流れた道の更に南を行く。ここに白公館と呼ばれる古い建物があったが、予想通り閉鎖中で立ち入りは出来なかった。ちょっと横に回り、何となく立派な建物の横側を撮る。ここは国民党の重鎮、一時は蒋介石の右腕とも言われた白崇禧将軍の邸宅だったようだ。白崇禧は結局台湾に渡り、不遇のうちに亡くなった。お墓は台北郊外の回族墓地に立派なのが建っている。

宿に戻り、チェックアウトして浦東空港に向かい、地下鉄に乗る。既に駅にも慣れていて、入り口やエレベーターの場所も把握しており、スムーズに乗れた。一度乗り換え、2号線でひたすら向かったが、途中駅で一度終点を迎え、更に乗り継いでいく。1時間半近くかかるが、料金は7元というのが良い。今回の2週間の旅を回顧しながら進む。

空港では搭乗ゲートが遠く、いつの間にか出来たシャトルに乗るのに戸惑うが、まあ許容範囲か。フライトはそれほど混んではいないが、なぜか私の列は3人座っており、ちょっと窮屈。まあ3時間もかからないので良しとする。でもエアチャイナには珍しく、機内食は軽食だった。

成田に着くとちょっと風があり涼しく感じられた。前回同様京成線を八幡で降り、都営線に乗り継ぐ途中、日高屋に寄りタンメンと半チャーハンを食べて〆る。これが恒例となるとは?まあ美味しければよいか。揚州炒飯を食べに行き、日高屋炒飯で終わる旅、美食家的にはないだろうな。

上海・浙江美食旅2025(8)錦江飯店と国際青年茶会

5月20日(火)華東師範大学の国際茶会

朝散歩に出た。こんなところにかつやがあって驚く。朝ご飯を食べたかったが、何だかちょうどよい店が無く、そのまま宿に戻り、チェックアウトして杭州東駅へ向かう。この旅では何度も列車に乗っているが、今日初めて駅舎内の食堂でご飯を食べてみた。インスタント麺の康師傳経営で牛肉麺が売りのようだった。値段も高くて味もイマイチ、ということで、勉強になる。

列車に乗るべく改札に並ぶ。15分前になっても改札が開かず、2₋3分遅れて列が動き出した。私は自動ゲートを通れないので人がチェックする列に並んでいる。当然移動により時間がかかる。何とか潜り抜けてホームに降りようとしたら、ものすごい人がいて驚く。何と既に乗車する列車は到着しており、大勢の人がホームに降りていた。その人たちをかき分けて何とか自分の車両まで辿り着く。かなり疲れた。

約1時間乗って上海虹橋駅に着いた。そこから地下鉄で街中へ行く。下車して地上に上がるとどちらの方向に行くべきか全くわからない。だが突然目の前に「国泰劇院」の文字が見えると、自然と方向が分かってしまう。1986₋87年上海に留学していた頃のことを脳が覚えているというのは何とも驚きだ。

体が進む方向に行くと左にガーデンホテルが見えた。ホテルオークラ、留学中はずっと建設中だった。右を向くと懐かしの錦江飯店の門が見える。今日は38年にぶりにここに泊まるべく予約した。予約したのは南側の錦楠楼、小雨の中懐かしい径を歩き、何とか辿り着いた。勿論ロビーはキレイになっており、フロントの英語もきれいだった。

だが何と部屋が自動でアップグレードされ、敢え無くカートで錦北楼へ移動させられた。その階段を見るだけで自然と「北楼」と浮かんでしまう。ここもきれいに改修されていたが、何となく雰囲気はある。そして部屋はかなり立派で嬉しくなる。38年前に泊まった時は今や無き中楼で、完全フランス式の部屋だった。バスルームから反対のドアを開けるとそのまま廊下へ出てしまったのは忘れられない。北楼には今も四川料理屋があった。

午後はさっきとは別の地下鉄駅から、華東師範大学を目指していく。ここも38年ぶりだろうか。勿論地下鉄で行くのは初めて。本当に便利になったものだ。このキャンパスといえば、大連行きの飛行機が飛ばずに、空港からここへ来て泊めてもらった記憶はあるが、どんな所だったかはほぼ記憶がない。入口で身分証提示を求められ、パスポートを見せて登記して入る。

今日は先日会った王さんから教えられ、こちらで開催されている国際青年茶会にやって来た。勿論私は青年ではないのだが、上海茶の歴史に詳しい方が来るというのでその紹介を受けるためだった。だが会場がどこか分からず、取り敢えず広いキャンパスを歩いてみる。随分奥の方に毛沢東像があった。ここは何となく記憶がある。その近くの川沿いにイベントが見えた。

各国の留学生が中国各地から参加していた。イラン女子がチャイを淹れており、美味しく頂いた。茶畑の話も聞きたかったが、英語と中国語が混在して意外と難しかった。日本チームは学生ではなく、上海在住者が中国茶芸を披露していた。そこに座っていたのが、華東師範大学卒業生で先生もしていたというOB達。この人たちの話を聞いていると、昔の学生は教養豊か、博識だったなと思い出す。

夕飯に誘われて、その人々について行く。何とこの建物の横に大学の食堂があり、美味しいご飯が出てきて驚く。更にいきなり漢詩が出てきて、日本語出てきて、言語学から民俗学、音楽やアメリカの話題にもなる。久しぶりにこういう知的な会話に遭遇して、何となく嬉しい夜を過ごした。帰りはまた地下鉄に乗り、フラフラと戻り、部屋でゆったりと疲れを癒す。今日の疲れは何となく心地よい。

上海・浙江美食旅2025(7)杭州散策

5月19日(月)杭州散策

朝この宿の屋上に登る。そこにはマルコポーロの説明書きと共に像が置かれており、一緒に西湖を眺め、記念写真を撮るのは良い。ちょっと湖の周辺を散策したい気分になり宿を出ると、ちょうど朝ご飯屋がやっていたのでフラッと入る。自分の食べたい物を取るスタイルだが、糖酢里肌と筍、そして白粥をとって精算したら、何と55元もして驚く。ここは観光客用食堂だと分かったが後の祭り。

そこから西湖沿いに昨日と反対の道を歩いて行く。朝から人が多く、地元民は踊りや歌で元気だ。観光客は天気が良いので船に乗り込んでいく。私はただひたすら歩く。実は38年前もここを歩いたと記録にあるが、思い出せない。青い空、湖面に浮かぶ船、柳など眺めながら1時間半ほど歩いて、何とか観光地である雷峰塔まで辿り着いたが、疲れてしまい見学を辞める。さすがに歩いて戻る気力はない。帰りはバスに乗って宿まで戻る。

宿に戻るすぐ手前に友好飯店があった。昨日気が付いたので今日はここに宿を移動した。この宿は38年前泊った思い出の場所。その前年に開業した岐阜県の合弁ホテルで、電話予約でき、すごく安く泊まれたのが印象深い。10数年前も一度泊まっていたが、また機会が訪れたのは嬉しい。部屋は日本のビジネスホテルほどの広さしかないが機能的。NHKも見られた。湯船も深い。

昼過ぎにまたバスに乗る。乗り場を間違えてちょっと混乱したが暑さのせいだろうか。いや、既に疲れがピークを迎え、脳の働きが極端に弱っている。まあバスに乗れば後はただ揺られていくだけ。これから観光地、霊隠寺を目指す。月曜日だがかなりの観光客がいてバスも混む。終点で降りたが、そこから随分と歩く。今の中国の観光地はどこも巨大化しており、車の侵入を防ぐためにかなり歩くのが普通だ。

ようやく寺に辿り着いたが、団体を中心にかなりの人がいて萎える。10数年前、お茶の関係のこの付近に来た時はこれほどの人出ではなかったように思うが、寺での会話で観光開発が話題になっていたのを突然思い出す。それが進展し、成功したのかもしれない。とにかく寺へは入らず、人のいない方へ歩いて行く。途中茶葉が干されていたり、売られていたりしたが、あまり興味はなく、一つの寺に入り口まで着くと、もう帰りたくなってバス停を目指した。

ところが何とかバス停に着くと既に大勢の人が列を作っていてまた萎える。日差しもかなり強いのに、遮るものが無い。その時、終点まで行かないバスが来たので、取り敢えず乗り込んだら何とか座れて助かった。結局このバスは西湖を回り、私の宿の一つ前まで行ったのでOKだった。

宿で相撲を見てから夕飯を探しに行く。あまり食欲もなく麺がいいやと思い、検索して近所の麵屋に行ったら、何と既に廃業していた。その近くに午後5時で満員の店があり、フラッと覗くと1席だけあったので、そこで猪肝拌川という麵に腰花を加えてみた。これがまた大当たりで実に好みの味。嬉しくなって一気に食べ切った。周囲は若者客で溢れ、帰る時には行列が出来ていた。夜はゆっくり湯船につかり体を休めたが、自分の年齢を思い知る日々となっている。

上海・浙江美食旅2025(6)杭州 茶葉博物館へ

車を呼んで茶葉博物館に向かった。恐らくここへ行くのは15年ぶりだろうか。運転手が話し掛けてきたが、安徽の訛りが強くて半分しか分からない。ただ彼が「何年か運転手しているけど、茶葉博物館まで客を乗せたのは2回目だ。あんたは何しに行くんだ」という言葉が印象的。決して多くの観光客が訪れる場所ではないということか。車は西湖の周りを走るが、日曜日ということか渋滞があり、なかなか進まなかった。

何とか博物館に着くと、周辺の茶畑に観光客がおり、ちょっとホッとした。入場料も取られず、名前とパスポート番号を登記すれば自由に見学できた。私は茶の歴史コーナーだけを丹念に見てみた。お茶の歴史も10数年前とはかなり状況が違っているはずで、やはりある程度新しい情報が反映されていた。最後に現代茶業に貢献した人々がイラストで紹介されていたが、その中心はやはり呉覚農だった。ここだけ見るのに1時間以上かかってしまう。

あとは、お茶の試飲をちょっとして、庭のようになっている敷地内を歩いていき、静けさの中を散歩する。これはこれでとても良い。ここは国家級博物館なので、さすがに展示内容も多く、敷地も広い。陸羽像もある。外には試験場のような茶畑もある。すぐ近所には龍井村もある。

ここからどうするかと悩んだが、車を呼んでも渋滞になるのなら、とバスに乗ってみた。市内は一律2元なので、現金で払ってみる。バスはそれほど混んでいなので座ってゆっくり行く。途中に岳王廟があったので降りてみたが、廟には寄らず、反対側の庭園に入り、散策する。西湖の周囲はさすがに見学に値する場所が多いので、そのままフラフラ歩いてみる。とてもいい風景が広がる。

また湖と反対側を歩くと杭州飯店がある。ここは38年前に泊まりたかったが、未だに泊まれていないホテル、シャングリラだ。この近くに有名はレストランがあったような気がする。100年以上前に開業した新新飯店(旅館)も建っている。更にはお寺の跡地がいくつかある。その中で少し奥に入ると瑪瑙寺と書かれた場所があり、観光客が入っていく。

ここには「連横記念館」との文字が見える。連横、どこかで聞いた名だと思い入ってみると、何と台湾歴史の展示館があるので驚く。同時に彼が「台湾通史」の作者であることも思い出す。この展示館、かなり詳細な台湾史の記述があり、日本統治時代についても書かれているので驚いた。そしてこの連横の子孫が連戦であり、ここにきた写真が飾られていた。庭園はキレイでなかなか雰囲気が良く、写真を撮るために入ってくる若者観光客が多いが、この微妙は雰囲気を感じることはないだろう。一本裏の道には歴史が溢れているように見えた。

そのままトボトボと歩いて行くと、湖から離れ繁華街に入った。何となく腹が減ったが観光客相手の店が多く、素通りしていく。随分宿の方まで戻ったあたりで、良さそうな食堂を見付けた。そこで「杭州の焼きそば」と頼んでみると、老板が「どっから来たんだ?」と聞くので「日本」と答えるとかなり驚いて、如何にも昔出くわしたおじさんの対応で自分の知っている日本を繰り出してきたので笑ってしまった。

焼きそばは牛肉が入っていてなかなか美味しい。味付けがちょっと日本人好みかな、と思う。老板はしきりにうちの看板は牛肉麺と言っていたが、スープ麺も美味しかったかもしれない。因みにうちは老舗だから、と何度か言っていたが、創業は2008年で老舗とは言い難い。いや、動きの速い中国で15年以上営業しているのなら、それはそれで素晴らしい。そのまま繁華街を抜けて宿まで帰り、疲れたのでゆっくりと休んだ。

上海・浙江美食旅2025(5)上虞から杭州へ

昼も過ぎていたのでどこかで食事をしたかったが適当なところが無く、老街の外へ出て探すと食堂があった。入っていくとちょうど昼営業が終わり片付け中だったが、食べさせてくれた。そこに残っていたおかずとスープ、ご飯で20元。何となく昔の国営食堂を思い出したが、国営はそんなに親切ではなかったが、ここの人は実に気さくだった。少し冷えた飯を掻き込む。それもまたよし。

車を呼んで宿へ戻る前に博物館へ行った。ここで上虞の歴史を学ぶ。上虞が古代から地理的に重要な場所であったことを理解する。最澄がここで灌頂を受けたことなども展示されており、また茶を持ち帰ったとも書かれている。また呉覚農についてもかなり詳しい展示があり、さすが地元、という感じだった。この博物館の周辺もまた、観光開発された場所のようだったが、かなり暑くなっていて歩くのもしんどく、取り敢えず曹娥廟だけちょっと見てすぐに退散した。

宿へ帰ると快適な部屋が待っているのは何とも有難い。おまけにNHKも見られたので久しぶりに大画面で相撲を堪能した。それから湯船に長く浸かり、旅の疲れを癒した。夕暮れ時には夕日がきれいに見え、もう外へ出る気が無くなった(外へ出ても食堂があるのか分からなかった)。少し長い旅にはこういう日があっても良い。

夕飯はルームサービスを頼んだ。本当はクラブサンドイッチが食べたかったのだがなかったので、パスタとサラダにしてみた。注文も全て微信で行い、配送時間も指定出来たので楽々だった。パスタは普通の味だったが、中国に入って長い間中国料理しか食べていなかったので、何となく新鮮で美味しく感じられた。夜も広過ぎるベッドで安らかに眠った。特に夢は見なかった。

5月18日(日)杭州の茶葉博物館へ

朝はホテルの朝食を優雅に頂いた。お客も少ないのでかなりゆったりと料理を選び、広々とした席でゆっくり食べたのは実によかった。ただこういう五つ星ホテルにはオーダーすると目玉焼きを焼いてくれるシェフがいるものだが、ここにはおらず、既に焼かれた卵が置かれていたのはちょっと残念だった。まあ食事代がバカ安だった(宿代に30元足しただけ)ので、十分満足した。

部屋に戻ってソファーに転がり、ゆっくりと時間まで時の流れを噛みしめた。宿を離れ、昨日の紹興東駅まで戻る。この駅はホームが2階建てになっており、かなり簡易な作りだと分かる。乗客も多くはない。そして僅か30分乗ると杭州東駅まで来てしまう。さっきの駅とは違って、ここは大きなターミナルステーションで、出口から出るとすぐに迷う。

何とか地下鉄乗り場を見付けて乗り込む。上虞の人が言っていた通り、杭州は人が多過ぎ、不動産も高過ぎなので、上虞に家を買う人が多いというのは何となく納得できる。6つ目の龍翔橋駅で下車すると、何故かコスプレした若者が大量にいて驚く。近所でコスプレ大会でもあるのだろうか。

少し雨が降っていたが駅から近い宿をとっていてよかった。今日の宿名は何とマルコポーロホテル。ロビーにもマルコの像が置かれており、ちょっと驚く。かなり古い宿だが、コンパクトで使い勝手は良さそうでバスタブもある。さっきまで居た宿とは比べられないが、料金は半額(朝食なし)だった。但し少し虫が出たので一泊で退散した。

上海・浙江美食旅2025(4)上虞に呉覚農を訪ねる

昼を過ぎていたので腹は減る。宿近くのチェーンレストランで鶏肉を食べようと入っていくと、何とキャフェテリア方式で食べたい物を取る。何だかよく分からないが、最後に無料ドリンクがあって、好感度高し!周囲で食べている人は従業員か宅配バイクの人ばかり、というのがかなり疑問だった。まあ鶏スープが飲めれば何でもよかった。

かなり疲れてしまい、午後は部屋で休息した。早めの夕食をとろうと思っていたが、午後5時頃激しい雨が降り出す。もう寧波で食事しなくてよい、というお告げかとは思ったが、最後にどうしても食べたいものがあり、雨の中、傘をさして一番近くの食堂へ向かう。何とその食堂はかなり込み合っており驚く。

私が頼んだもの、それは魚羹だった。ついでに紅焼肉も頼んで席に着く。メニューなどない、その場で素材を見て調理法で注文するシステムだった。予想はしていたのだが、当然一人では食べ切れない量だったが、食べたいのだから仕方がない。いやー、このとろみのある優しいスープが好きだ。小碗で何杯もお替りしたが、結局残した。それでも悔いはない。

5月17日(土)上虞に呉覚農を訪ねる

翌朝は晴れていた。宿の朝飯を軽く取り、宿を出て地下鉄で寧波駅まで行った。もう高鉄に乗るのも慣れてしまい、緊張感はない。今日は紹興東駅まで僅か40分の旅だ。まあ週末なので乗客は多いかと思っていたが、空席が結構あった。降りる時大量に人が乗って来たから、紹興や杭州から上海に行く人々がチケットを買ったのかもしれない。

紹興東駅で車を呼んだのだが、一向に見つけられず困った。ほぼスマホに表示された位置にいるのに車はいない。もしやと思い地下へ行ってみたが駐車場だった。結構困って上を見上げたら、駅の入り口は2階、行ってみるとちゃんと車が待っている。私の問題は登録している電話番号のシムを使っていないため、運転手が電話しても出られないことだと気づく。

車は郊外の何もない地帯を走っていく。そしてほぼ何も無いところに予約した宿があった。今日は田舎だからか、米系有名ホテルが意外と安かったので、泊まってみることにしただ。さすがに立派な宿で、しかもお客は多くないらしく、アップグレードされた部屋は相当立派で嬉しくなる。何より眺めが抜群。バスタブもあり、そこからの眺望もよい。勿論部屋は広い。スタッフがお菓子やフルーツまで持ってきてくれてテンション上がる。

そこで車を呼び、呉覚農故居へ向かう。かなり遠いようで車が来るか心配だったが、すぐにやって来た。そしてこの旅で初めて運転手から話し掛けられた。「日本から来た」と言うとすごく驚いて「私の車に外国人が乗ったのは初めてだ」と喜んでくれた。そしてこの上虞という街が「意外と消費レベルも不動産価格も高い。杭州などより静かでいいらしい」という。

呉覚農故居まで車で1時間弱かかった。さすがにここで車を返して良いか迷ったが、行ってみると豊恵古鎮という老街が出来ており、心配は杞憂だった。車が入れるギリギリで降りると住民がこちらを見ていたので「呉覚農故居」と言ってみると、すぐに向こうを指した。その先から老街が左右に広がっており、私はなぜか左に行った。そこから運河沿いに長い老街を歩いた。

予想外に雰囲気のある道、歴史的な橋などもあり、純粋に楽しめた。結局端まで行ってまた戻り、ようやく故居に辿り着く。家自体は閉まっており参観できないが、隣に記念館が建っており、時間外ながら開いていたので見学した。展示は先日上海で見たものとほぼ同じだった。ただなぜ呉覚農がこの街から出て全国的な指導者になったのか、その一端を垣間見たような気はした。この付近は100年以上前、紹興や杭州に繋がるこの川でかなり栄えていたのだ。

上海・浙江美食旅2025(3)寧波のお寺巡り

夜7時前に昨日とほぼ同じ場所にある海鮮麺屋に行ってみた。ところが店内は満員、ふと一席空いたのでそこへ座ろうと思って入ったが、店員から「まずは注文」と言われ、ボードを見て「精緻黄魚麺」にしてみる。豪華という更に上もあったが、どんなものか分からないので、まずは中から。席は相席で、若者がエビの皮を飛ばしながら、懸命に食べていた。

この麺、凄く具材が詰まっていて、椀からはみ出している。魚以外にエビ、貝、白菜などがのり、スープは白湯かな。とにかく海鮮の味がしみ込んでいて実に美味しい。全部食べられないだろうと思っていたが、何と完食してしまう。まあこれだけ混んでいるんだから美味いのは間違いない。寧波で海鮮は鉄板なのだろう。

5月16日(金)寧波のお寺巡り

朝から雨の予報だった。それでも私には行きたいところがあった。天童禅寺。実は39年前寧波で3日待ったが車が手配できずに行けなかった寺だった。あの頃は郊外に行くのに車しかなかった(いや実はバスはあったのかもしれないが、外国人が乗る感じはなかった)。ところが今や車は呼べばすぐに来る。しかしそれでは詰まらないと思っていたら、何と途中までは地下鉄が通っているではないか。

鼓楼駅から1号線に30分ほど乗って宝幢駅まで行く。昨日もそうだったが、寧波の地下鉄は空いている。空いているのだが、何と若い女性が床にしゃがみ込み、座席にバッグを置いて入念に化粧を始めたのには驚いた。周囲の女性も驚いていたから、これは特殊なケースだとは思うが、東京の車内で化粧が始まったのはいつだったろうかと記憶を巡る。

宝幢駅に到着。かなり郊外の駅だった。ここで車が来るかと呼んでみるとすぐに来た。そして天童禅寺まで20分ぐらいかかったろうか。最後の方で山路を入り、気分が出てくる。確かにここにバスで来るのは少し難儀かもしれない。何となく小雨が降る中、天童禅寺に到着した。そこから少し歩くと、入り口があり、観光客は観光車に乗って寺へ登るらしい。

私は傘をさして歩いて上り坂を行く。ゆっくりと味わいたかったのだ。涼しい風がほのかに吹く中、人が少なく静かな参道を上るのは何とも良い。傘で手がふさがっており、写真も撮らないのが尚よい。39年前、もしここに来ていたなら、どんな風景だったろうかと想像するのが良い。

約20分で、仏塔が見えてきて何とか寺までやって来た。今から1700年ほど前に出来たという寺の紹介には日中の有名な僧侶の名前が沢山出てきた。雨がしとしと降る中、まばらな観光客に交じり、雨を避けながら歩いていると静かに僧侶がやってくる。その静けさがたまらなく良い。久しぶりにお寺に来た、という感覚になる。山に囲まれた古びた建屋、大仏殿を拝みながら奥へと進む。如何にも禅寺といった趣がある。

寺から離れて、仏塔に向かう。ここに来る観光客はいなかった。千仏塔の説明には栄西が59名の僧と共に日本から巨木を運び建てたとある。その塔は明代に消失してしまったが、この辺にも日本との関係が窺われる。本当に山の中にある寺、そして塔。修行の場に相応しい佇まいと言える。

帰りは雨もやみ、ゆるゆると下っていく。途中にこの地域から排出された状元の人々の説明がある。往時この地はかなりの文化水準を誇り、中国でも一流の地だったことだろう。下まで降りていき、また車を呼ぶ。車はすぐに来たのでホッとして乗り込む。次は阿育王寺に向かう。ここは39年前にどうした訳か連れて行ってもらった場所だ。

阿育王寺は大きく変貌しており、寺の入り口すら分からなかった。とてもきれいになっており、私の記憶とはまるで違っていた。2000年頃大改修があったらしい。僅かに仏塔が80年代にあったとある。文革から10年ほどでは、多くの寺が破壊に遭い、修復もままならない時期だったことに思い至る。折角やって来たのだが、サラッと見学して横の門から車で地下鉄駅へ戻り、宿の方へ帰る。

上海・浙江美食旅2025(2)寧波散策

5月15日(木)寧波散策

朝は気持ちよく目覚め、全自動でカーテンを開けると、そこには素晴らしい風景があってテンションが上がる。外へ出て、川沿いを散歩している内に、橋を越えて向こう側に行ってみた。寧波の外灘と呼ばれるエリアで、租界地もあり、古い建物、立派な教会も建っていた。ここはアヘン戦争後、五大通商港のひとつとして開港され、そこにイギリスやフランスが居住した場所だった。

寧波は元々海運の街、寧波商人は海運の他、銭荘などで財を成し、新興の上海へ流れていって一大商人集団を作る。川沿いには銭業会館も保存されていた。これが上海の繁栄にも大きく寄与し、更に食の世界でも上海料理の原型に寧波料理が強く影響していると思われるのは、興味深い。宿の方に戻ってくると途中に「海上茶路啓航地」という大きな碑があった。明州(寧波)より、茶が東南アジアへ輸出されていった、と書かれているが、これはいつの時代の話しなのだろうか。

一方この碑の説明には、唐代に最澄がこの港から茶種を日本に持ち帰ったともある。その確たる資料は存在するのだろうか。その先を歩いて行くと、「道元禅寺入宋記念碑」という碑も置かれている。鑑真も唐代にここから日本へ渡っている。寧波と日本の繋がりは深いが、その実態を勉強していなかった不明を恥じる。

ここから車を呼んで「寧波菜博物館」へ行ってみる。そこは「南塘老街」という作られた観光地の中にあり、非常に簡単な展示内容で、寧波菜について深く知ることは出来なかった。仕方なく老街を歩いていると「袁牧之故居」と表示があったので、その隨園別単を書いた袁牧の生家かと喜んで行ってみると、何と袁牧之という映画監督・俳優の家で非常に驚いて退散した。

宿に戻ってチェックアウトしてホテルを替わった。歩いてすぐの定宿、しかしやはり冷蔵庫が無い。一応訴えると部屋を変えてくれたが、いちいち面倒くさいの、私の中で定宿認定を取り消さざるを得ない。まあ部屋自体は外が良く見えて申し分はないのだが、スタッフは「とにかくホテル評価を最高にして」と何度も言う。

昼ご飯は近くのチェーン店へ行く。紅焼魚飯という文字に惹かれて入ったが、やはりファーストフード感満載。ただスタッフの感じも良く、静かで清潔、特に問題はない。米にこだわっているとの表示が何となく日本人には嬉しいし、実際他のチェーン店よりは米の質が良いように思われた。

午後は寧波博物館へ行く。ちょっと郊外にあり、意外と遠い。そしてご多分に漏れず、建屋はデカい。寧波の歴史に絞って見ようと2階へ行くが、それでもかなりの展示があり、驚く。しかも鑑真から始まり、最澄、栄西、道元、雪舟、朱瞬水など、日本ゆかりの展示がふんだんにあり、勉強になる。円覚寺の無学祖元、建長寺の蘭渓道隆などの名もある。これだけいれば、日本との関係が浅いはずもなく、明治期に日本に渡った人々も少なくはないだろう。日本に留学後アメリカで医者になった中国人女性もいたとある。

さすがに疲れたが、近くに地下鉄駅があると分かり、歩いて向かった。10分ほど爽やかな風に吹かれていたら駅に到着した。この付近は立派な市役所などがある新興地帯のようで、歩いている人はほぼいない。地下鉄はキレイで乗り心地も良い。乗客も多くはない。一度乗り換えて天一閣へ向かう。この付近は旧市街地の古い建物が残っており、38年前の雰囲気を残していそうだったが、残念ながら記憶には全く引っかからなかった。

天一閣にも観光客が多くいて、広い敷地を一周してすぐに出てきてしまった。ただ周辺を散策すると、古い仏塔や倉庫など、ちょっと写真を撮りたくなる風景が広がり、楽しい。宿の方に戻ると、繁華街も見られ、観光客と地元民でごった返すエリアもあった。ただ寧波ご飯を食べるためには出掛けなければならない。

上海・浙江美食旅2025(1)39年ぶりの寧波で

《上海・浙江美食旅2025》  2025年5月14-22日

前編は「上海・江蘇美食の旅2025」。後半は浙江省に入り、寧波、上虞、杭州、上海を旅していく。ちょっと刺激があり、またちょっと疲れてゆっくりした旅となる。食事は麺が中心となり、胃袋の疲労感は半端ない。またいいホテルに宿泊して何とか凌いでいく。

5月14日(水)寧波で

寧波駅は実に39年ぶり。勿論全てが変わっており、キョロキョロするしかない。まずは地下鉄があるというのでその乗り場を探すが、表示が上手く読み取れず、まごつく。何とか地下に行くと切符売場に路線が5つぐらい書かれていたから、結構発展していることが分かる。ただ見覚えのある地名などは出て来ない。

取り敢えず2駅行く。そこから歩いて10分ほど、川にほど近い所の宿を予約していた。ホテル名からして昔からあると思っていたが、39年前にこの宿はあったのだろうか。かなりの高層ホテルだ。今日はちょっと広めの部屋を予約していたが、行ってみるとかなり広かった。よく表示を見ると25㎡ではなく、55㎡となっており驚く。ただ広いのだが無駄なスペースが多い。そして最近改修したのか、トイレが全自動であったり、湯沸かしが上手く使えなかったりと、なかなか厄介だった。

夕方寧波の街に飛び出した。まずは近所の天一広場を歩き、その近くにあるペルシャ関連の史跡を探した。だがなかなか見つからず、何とか石碑を探し当てるも、ほぼ文字が読めなくなっていて、歴史が埋もれていることを感じる。広場からちょっと見えた古めの教会へ行ってみたら、かなり荘厳で素晴らしい。だがここまで歩いてみても、私の中にあるはずの記憶は全く作動しなかった。

とにかく寧波に来たら、焼きそばを食べてみようと思っていた。それは東京で戦前、神田神保町付近に中国人が多く、中国料理店も多かったらしいが、その多くは寧波出身の料理人、経営者だったと「あんかけ焼きそばの謎」という本で読んだからだ。今も神保町に残る老舗数店は寧波人経営らしいし、そのあんかけ焼きそばも神保町で食べられていたようだが、私は中国で揚げ麺にあんかけが乗った焼きそばを食べた記憶はなかった。

ネット検索で海鮮麺などの店が集中している地区まで歩いてみた。古びた店舗で美味そうに鉄板で炒飯を作っている店があり、そこの焼きそばは美味いだろうな、想像したが、何となく海鮮麺の店に入ってしまった。メニューを見ると炒麺類に、鶏蛋肥腸があったのでそれを頼もうとしたが、何と麺の代わりに年糕でも作れると聞き、喜ぶ。昔上海留学中に餅が食べられると喜んだことが蘇る。勿論それは日本の餅とは少し違うが、それでもないよりはかなりマシである。出来上がった焼き年糕は、実に美味そうに見え、実際にその味付けが美味かった。日本人好みの麺類?ということだ。

食後もまだ明るいので散策。近所に国医堂という建物があり、薬関連の名前の道もあり、ここが中医薬などでも栄えたと分かる。川沿いに出ると、古い建物が並んでいる。その先には米系大型ホテルがひときわ高く聳えていた。川の流れがきれいで空も青く、写真写りがすごく良い。部屋に帰って暗くなると、夜景がきれいでこれもよい。ただ部屋が広過ぎて落ち着いて眠れない。