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茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(5)雅安茶廠と茶馬古道

3月22日(金)
雅安茶廠と茶馬古道

今日はホテルをチェックアウトしなくてよい。茶葉ホテルには2泊するので、それだけでも気が楽だ。茶葉枕も快適のようでよく眠れた。これからこの旅の最終目的地、雅安茶廠に向かう。ここが昔から蔵茶を作っている拠点だ。外側から見ると、トレードマークの『中国蔵茶』も見える。

 

メンバーにはあまり自覚はないと思うが、蔵茶もある意味で国家の戦略物資、湖南省安化のように、『国家機密だから見学できない』といわれそうな場所。しかも雅安といえば、チベットとの最前線という感覚もあり、ちょっと緊張する。『謝絶参観』の文字まで見える。だが我々の前に既に上海から来たという団体が、中に入っていく。

 

まずは蔵茶の製造法を説明した展示室へ。この茶作りが如何に力仕事であるかを示している。明代から作り始めたというこのお茶、歴代の茶葉が展示されている。1970年代製造の蔵茶も飾られているが、そこには『川』の文字が。これは湖北省趙李橋で作られるお茶と同じマークか。何だか色々と歴史的な資料があり、とても時間内で見て回れるものではない。

 

マニ車が設置されるなどチベット色も出ている。実際の製造工場も見学できるというので驚きながら中を見る。作られた茶葉は長く保存されるため、竹?にくるまれて積み上げられていく。この茶は如何にしてチベットまで運ばれたのか、実に興味深い。お茶を飲みながら説明を聞く。説明者は地元出身でアメリカ帰りの若者。広報担当だという。ネット販売に力を入れるという。これからの雅安茶廠はどんどん変わっていくかもしれない。

 

バスは高速道路を走っている。これからどこへ行くのだろうか。途中のサービスエリアでランチを取るという。皆がバスを降りて行った時、私はあることに気を取られており、一番後ろの席で、身をかがめていた。少し経ってバスを降りようとしてビックリ。何と既にバスは施錠され、外へ出ることが出来ない。閉じ込められてしまったのだ。メンバーは既にトイレなどに行ってしまっている。遠くに鉈先生の姿が見えたが、叫んだところで聞こえない。どうしたものかと悩んでいると、スマホで連絡することを思いつき、スンでのところで救出された。

 

まあ運転手もガイドも、まさか人が残っているとは思わなかっただろうが、こういうことは過去一度もないと言われると、私の方が悪いのだろうか。確かに出発前の乗車確認はするが、降車確認はしたことないかも。今後気を付けよう。ランチはビュッフェだったが、それほど食欲はなかった。それにしても高速道路のSAも少しずつ質が向上しているような気もする。

 

それから約1時間、ゆるゆると山道を登っていくと、とある街に着いた。既に標高は2000mに近く、小雨が降っていて肌寒い。そこから更に少し上がった村、そこに茶馬古道の起点、といわれる場所があった。ただこの村、村人の服装は昔のままなのに、住宅の建物がやけに新しく、車も停まっている。古道とマッチしていないように見えた。地震後の補助で再建したのだろうか。

 

その先の何もないところに、石が敷かれた道があり、そこが起点だという。どうも観光用として整備されたとしか思われないが、往時この辺りに茶葉を担いだ人足が行き来していたのだろう。茶馬古道は茶葉を馬が運んでいく場面もあるが、実はその多くは人が担いで行く。茶と馬は交易市場の交換商品という意味だとは意外と知られていない。人足のその苦労は想像できないほどであったろう。

 

今日も吹きっさらしの高地は、凍えるほどの寒さで、チベットの方を指して歩いて行く気量はない。防寒対策なしの我々は早々に撤退を余儀なくされる。帰りの道を見ると、政府の奨励で花椒がたくさん植えられており、今や名産品となっているという。また桃の花などがきれいに咲いており、特産品と観光地化を進めている様子も見えた。

 

街に戻って来た。今晩は食べ過ぎなので軽い物が良い、というのでホテルに帰る前に麺を食べることになった。昔某総書記もここで麺を食べたという食堂。地元の人が入れ代わり立ち代わりやってくる中、団体さんが席を占めてしまうのは申し訳ない。辛いのは避けたところ、なかなか美味しい麺が出てきて満足。

 

夜は茶葉ホテルの上の階にあるお茶部屋?に案内される。ここから見る夜景はきれいだ。このホテルの女性社長の招待。2004年のお茶会議に合わせて作られたという部屋は、まさにお茶だらけで、その香りに包まれていた。そこで美味しいお茶を飲みながら、蔵茶の歴史に思いをはせる。社長も2000年頃始まった西部大開発プロジェクトで浙江省からやって来た一人だという。これももう一つの歴史になりつつあるが、西部も常に進化を続けている。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(4)蒙頂山で、そして雅安へ

3月21日(木)
蒙頂山で

翌日もまた朝粥を食べてホテルをチェックアウト。毎日ホテルを変わるのは意外と疲れる。今日は峨眉山から蒙頂山へ移動する。天気は今一つの中、バスは高速道路を走り、1時間半ほどで、蒙頂山と書かれた門をくぐった。そこからすぐのところに、今日の訪問先があった。

 

躍華茶業とは4代目で、ここの茶業を改革開放後に発展させたお父さんの名前が付けられている。とてもきれいな展示館には、茶業の歴史などが書かれ、昔の文物が展示されている。炒青の実演なども行われる。蒙頂山の緑茶も近年かなり有名になってきており、団体のお客が次々にやってくる。外には樹齢100年を越える茶樹が移植されていた。

茶工場の見学、前日同様見学ルートが決められておりそこを歩く。マイクロウエーブ殺青という機械が目を引く。これで鮮やかな緑色を保持するらしい。昨日の工場にもあったので、昨今の流行りだろうか。工場は大型投資により現代化され、展示室にある製茶道具が遠い過去に思える。

 

蒙頂甘露などのお茶が出され、試飲する。ちょうど新茶のシーズン、すっきりした味わい。蒙頂黄芽という珍しい黄茶も作られており、台湾人にぜひ買ってきて欲しいといわれる。それほど珍しいお茶ということだろう。5代目、イケメン社長が登場して、更に説明してくれる。メンバー女子のテンションが明らかに上がっているように見え、お買い物もヒートアップ。まさかこんなに細かな注文を、しかも現金払いで、10人以上から受けるとは思っていないスタッフは大混乱に。

 

それからバスに乗り、少し山を上がっていく。『茶之都』という石碑が見える。その付近の斜面には茶畑が広がり、茶摘みしている人が見える。1軒のお茶屋さんに入り、そこで昼ご飯を食べる。いわゆる農家菜。地元で採れた野菜中心の優しい食事を味わう。毎日食べてばかりだが、カボチャやゼンマイなど胃腸にも良さそう。何だか食べている皆も、ちょっとホッとしている様子が窺える。

 

そしてここからが今回の旅のハイライトの一つ、中国最古の茶園、を訪ねる。しかしその道のりは想像以上に険しかった。ロープウエーがあるのは分かっていたが、皆歩いて登るという。大きな急須のモニュメントの脇を通り抜け、その急な階段を一体何百段登ったのだろうか。足が痛い鉈先生はお留守番で、逐次メッセージで状況を伝える。こちらまで膝が痛くなってきた。途中の廟で少し休むも、体力の衰えを痛感する。

 

30分ぐらいかかっただろうか。石の門が見えた。潜ると井戸が見えた。古蒙泉とある。その辺には観光客がちらほら歩いている。石の壁には茶が運ばれる様子などが描かれているが、これは後世の物だろうか。治水の神様、大禹像も登場してくる。茶畑は斜面に続いている。

 

ついに皇茶園に到着した。7株の茶樹が植えられているが、周囲は壁で囲まれており、少し高い位置でないと写真には入らない。ここが文献上、人が植えた茶畑で最古だということだが、確か日本でも最古の茶園という石碑を三か所で見た記憶がある。歴史は歴史、物語は物語。呉理真という人の名前も出てくるが、正直あまりしっくりとは来ない。それは私が不勉強だからだろうか。

 

足も痛いので、帰りはロープウエーに乗せてもらう。2人乗り、スピードが速いので、乗り損なう危険あり。高い所は嫌いだが、この程度なら問題はない。まあ脚で登ってこそ、価値があると思うので、この選択は妥当かな。お茶屋に戻ると、なぜか四川茶芸の練習をしており、鉈先生もその人々とお友達になっている。

 

そこからバスで30分ぐらい行くと河沿いで停まる。今日の宿に到着。部屋に入ると、何と蔵茶が置かれている。よく見ると壁にも茶餅がはめ込まれており、いい香りがする。これが噂の茶葉ホテルか。食事のためにホテル内のレストランに行くと、もっとすごかった。至る所に茶葉があり、お茶に埋め尽くされているようにさえ、思えるほどだった。そしてここで頂くのは、やはり茶葉料理。きれいに盛り付けされた全ての料理に茶葉を使っており、その徹底ぶりは見事といえる。

 

食後は小雨の降る中、河沿いを少しお散歩。辿り着いたのは1軒のお茶屋さん。入っていくと、オーナーが出てきて、色々と話してくれる。出てきた蔵茶を飲むと、妙にスッキリしており、イメージが違う。『これは2000年以降、漢族に飲ませるために開発した蔵茶だ』というではないか。

 

確かに長年チベットに運ぶために作られてきた蔵茶は、正直質の良くない茶だった。だが、茶業が民営化されると、儲からないチベット向けではなく、漢族向けに商売するのは道理だろう。ただ小声で『今でもチベット向けの蔵茶は政府の要請で作り続けている。これをしないと事業は続けられないよ』と漏らす。メンバーも蔵茶に対する認識が一変し、美味しい、飲みやすいという。製法も変化しているようで、次回はこちらの工場にも行って見たいと思った。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(3)庶民の茶文化に触れ、そして峨眉山へ

3月20日(水)
茶文化に触れ、峨眉山へ

翌朝は7時にホテルで朝食。前日食券を渡されたのに、鉈先生はなくしたと言い出すが、フロントに言うと難なく再発行。どういう管理になっているのだろうか。とにかくお粥を食べて1日が始まる。外へ出ると濃い霧に覆われており、視界はあまりない。これはスモッグだろうか。

 

ホテルをチェックアウトしてバスに乗り込む。日本人の団体だから時間に遅れる人はいない。まずは朝の人民公園に乗り込む。庶民の茶文化体験ということだが、天気も良くなったので、屋外で茶を楽しむのはとても気分が良い。そして池のほとりでお茶を飲み始めると、隣に座っていた老人たちと何となく交流が始まってしまうのが、何とも面白い。

 

一人は息子が日本にいると言い、簡単な日本語を話し、スマホで家族の写真を見せ始める。もう一人は中医の医者だといい、朝から何やら難しい本を読んでいる。中医学を勉強している人はすぐにそこで即席の勉強を始めて、教えを乞う。庶民が安い料金で皆が仲良くお茶を飲み、談笑する。これは私が思う茶文化の一つの形であり、決してお茶は高貴なものではない、と考える所だ。ただここのお茶も随分をいい値段を取っている。お湯だけでも10元する。

 

成都にはこのような茶文化が残っていて、何と羨ましい限りだ。実は中国でも以前あった厦門の路上茶や広州の廉価な飲茶がどんどんなくなってきており、とても残念に思っている。経済成長と共に、儲かるシステムが優先され、金の取れない従来のスタイルは淘汰されている。ある意味では仕方ないことだが、結局誰のためにもならないことのように思えてならない。そんなことを考えながら、緑茶を啜る。

 

1時間ほどそこにいた。今日はずっとここに座っていたかったが、茶旅行には日程が決められており、そんな自由は全くない。歩いて正門から出る。ガイドはスルーしたが、そこには抗日兵士の像が立っていた。路上では新疆のウイグル人が旨そうなナンを売っている。これも一つの現代の光景だ。

 

次に向かったのは、昔の陝西会館。今はホテルになっているようで、その奥には改修中の古い建物が残っていた。1885年に建てられたものだとある。今回のメンバーの中には、『なんでこんなところに来たんだろう?』と首を傾げた人もいたと思うが、陝西商人が四川茶、蔵茶に果たした役割が分からなければ、確かにそうだろう。そして全中国になぜ陝西会館、山西会館があるのか、お茶とどんな関係にあったのか、それは旅に出る前、事前に学習する必要がある事柄だろう。ここは私の茶旅、茶の歴史を追う場所としては必須の地である。唯一中国茶の歴史を研究しているI先生だけが大きく頷いて、石碑をじっくりと眺めていた。

 

成都市内を離れ、高速道路に乗る。2時間ほど走って、サービスエリアで停まる。何とここは、あの天福銘茶が作った、お茶がテーマのSAだった。中では子供たちのケーキ作り教室が行われており、賑やかだ。ここには茶畑、博物館、お茶屋などが併設されており、このSAに入れば、お茶のことが一通り分かるシステムとなっている。しかも規模がデカい。我々は時間が無いので、ここでランチを食べ、ちょっとお茶を見ただけ。博物館は入場料30元も取るらしい。天福の中国ビジネス、スケールが大きい。

 

さらにバスは1時間走り、峨眉山に到着した。山の中に入っていき、峨眉雪芽と書かれた看板を目にする。有機茶園に桃の花が咲いており、何ともきれいな光景だ。建物もきれいで、ここがある意味で観光茶園であることが分かる。最初にちょっと茶工場を見学すると、メンバーは早々に茶摘み体験に繰り出したが、私はMさんと足の悪い鉈先生と残り、お茶を頂きながら、下の茶畑の活動を見ていた。40分ぐらいすると、摘まれた茶葉が運ばれ、すぐに鍋で炒め始めた。店長自ら炒めたが、その手つきは慣れてものだった。子供の頃からやっているのだという。

 

元々ここは国営茶廠が母体。2006年に峨眉市の旅行会社が出資して、茶業が民営化された。だから観光茶園に力を入れているのだと分かる。峨眉市にはもう一つ、今回は行かなかったが竹葉青という有名ブランドがあり、街中に大きな茶工場が見えた。この街の二強らしいが、広告宣伝では完全に竹葉青が全国展開して有名になっている。メンバーはお買い物タイムとなり、張り切ってお茶を買い込んでいる。

 

それから山を下り、市内のホテルにチェックイン。どこのホテルもまあまあキレイだ。夕飯もホテルのレストランで食べる。ここでもきれいに盛り付けされた料理が出てきたが、やはり辛さはない。旅行会社とホテルの契約があり、最低消費に満たないと言われ、料理がいくつか追加される。この辺が団体旅行だ。食後は特に予定はなく、早々に部屋に戻り、眠りに就く。このホテルには温泉もあると聞いたが、見てみると、中庭に小さなプールのような場所。勿論入っている人などいなかった。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(2)成都 お茶も見ずにパンダ見学

3月19日(火)
いざ成都で

翌朝は5時台に起床、6時過ぎにはホテルをチェックアウト。まだ薄暗くて周囲の景色も見られない。残念。この時間だとバスは期待できないので、フロントでタクシーを呼んでもらい、昨日来た道をまた空港に引き返していく。何だかとてももったいない気分になるが、仕方がない。

 

国内線空港は国際線よりはかなり大きい。確か5年ほど前にこの空港が霧に包まれ、フライトがディレーして北京で東京行きに乗り継げなかった悪夢を思い出す。今日はそんなことないよな。中国の国内線は、国際線同様に2時間前に行くことが基本になっている。チェックインの行列に加えて、荷物検査が厳しく、相当に時間が掛かるからだ。

 

ところが朝が早かったからか、さほどの行列もなく、荷物検査の混乱もなく、搭乗ゲートに辿り着いてしまった。仕方なく、朝ご飯を食べようと、店に入る。粥やまんとうを売っているが、正直美味しいとは言えないし、結構高いが、ここでPCをいじって、時間を潰して待つ。

 

搭乗時間が近づいても、飛行機が来ていない。これはディレーか、と焦っていると、なんとゲートから下に降り、そこからバスで駐機している場所まで向かった。何故ここに飛行機を停めないのか、と考えるより、遅れないでよかった、と思う。フライトはほぼ満席状態だ。

 

中国南方航空のサービスはエアチャイナより笑顔があってよい。それとこちらが言わなくても飲み物を頻繁にくれるので有り難い。といっても朝早いのですぐに寝入ってしまった。ところで、なんで南方航空がこんな北の方を飛んでいるのか。思い出したのが、ここは北方航空と合併したからだろう。何ともややこしい。

 

約4時間の飛行時間で、ほぼ定刻に成都空港に着いた。荷物は預けていないので、そのまま外に出た。待ち合わせ場所は国際線到着ロビー。ところがターミナル間はかなり距離があるらしい。どうやって行けるのか聞いてみるとシャトルバスがあるというので、1回出たターミナルにまた入ると荷物検査が面倒。それでも係員が親切に案内してくれて感激。シャトルバスは小さかったが、1㎞以内を走行して、無事国際線ターミナルに到着。

 

そこで北京から来ていた旧知のMさんと合流。その10分後にはM会長率いる茶旅の会ご一行が成田から到着し、何食わぬ顔でお出迎えしたが、内心はギリギリでかなりホッとしていた。今回の一行10数名、半数以上はお知り合いなので、緊張感はあまりない。ガイドが先導して大型バスに乗り込む。

 

茶旅の会なのに、なぜ最初の訪問地がパンダ基地なのか、という疑問は封印した。ご一行の大きなスーツケースを見た時から、『これは私がいつも行っている茶旅ではなく、茶旅行(団体旅行)だな』と感じていたので、既に諦めていた。1時間半ほどでパンダ基地に着くと既に夕方になっていた。

 

そこにはパンダが沢山いて、しかも上野と違って動いているので、皆さん大はしゃぎで歓声を上げている。周囲の中国人から『あれ、誰?』という目を向けられても『可愛い』を連発して、写真を撮っている。我々は韓国人と間違えられていたフシがあり、それほどに日本人観光客を見ることは少ないのだな、と痛感する。閉館時間までたっぷりパンダを味わった。

 

それから市内に戻ると夕方の渋滞に巻き込まれる。何とかたどり着いた、雰囲気のある老舗レストランで夕飯。そこには今回のコーディネーター王さんも来ており。いよいよ旅が始まる。ただ四川出身の王さんはなぜか辛い物が苦手らしく、出てくる食事は殆どが辛くなかったので驚いた。32年前、1年で2度訪れた成都では、辛くない食べ物を探すのは至難の業だったが、今は省外から来る中国人のためにこんな料理になっているのだろうか。薬膳スープの優しさが疲れを癒してくれた。

 

食後は夜のお散歩。レストランからほど近い、武侯祠の横にある錦里という観光街、老街を歩く。成都10年ぶりの私としては、見るもの全てが新鮮だ。本当に沢山の人が歩いていて、我々の団体もすぐに人込みに流され、離れ離れになってしまった。でも大したものは売っていない。中国人は何でこんなところが好きなんだろうか。今回久しぶりに同室となる鉈先生が、はぐれて集合時間に来ない。これももうお約束か。

 

夜10時前にようやくホテルに入る。正直お茶も見ていないのにもうクタクタ。鉈先生とは以前に2度ほど長い旅で同室になっており、そこは慣れたもので、すぐにお互いの寝る所も決まり、シャワーを浴び、あっという間に寝入ってしまう。最近いびきをかいているようなので、こちらが迷惑をかけている。

茶文化の聖地 四川を茶旅する2019(1)なぜかハルピン

《茶文化の聖地 四川を茶旅する2019》  2019年3月18-25日

1か月ぐらい前だろうか。突然Mさんからメールをもらった。『この度、茶旅の会を立ち上げるので参加してください』という内容だったが、何のことやらさっぱり分からなかった。ただ私が茶旅を長く続けているので声を掛けてくれたことは分かったので、端っこで参加することにした。

 

すると『第1回茶旅は3月に四川です』という。四川といえば、私の茶旅では未踏の地であり、茶文化発祥の地として、是非とも行きたい、確認したい場所であった。しかもナビゲーターは四川出身の王さん。王さんとは昨年大阪で四川について話していたので、益々行きたくなる。だが既にハバロフスク行きが決まっており、ハバロフスクからどうやって行くかが問題だった。

 

日程的には直接行けば何とかご一行と合流できる。検索してみると、何と韓国系エアラインは仁川経由で同日に着けるフライトを飛ばしているではないか。条件はそろった、これは行くしかない。だがハバロフスクで思わぬハプニングがあり、何と降りたのは仁川ではなくハルピンだった??

 

3月18日(月)
なぜかハルピン

オーロラ航空のフライトは順調の夜の空を飛行した。食事はやはりサンドイッチのみ。食べ終わると全員が目をつぶって寝入る。まるで夜行列車のような暗さだが、僅か1時間半でハルピン空港に到着する。またロシア人男性が列を押しのけて前に進もうとする。何か余程中国に対する恨みを感じする。昔たまにいた白人、中国ではこうするんだという無礼を見せつける態度だった。

 

ハルピン空港は恐ろしく小さかった。目の前にターミナルがあるのにバスに乗せられたのは、見栄としか思えない。ターミナルに入ると全員の動きが止まる。何してんだと思ったら、何とイミグレの部屋が小さすぎて満員で入れず、係員に止められていた。15分位足止めを食い、ようやくイミグレに並んだら、『外国人は一番端の1つだけ』という。

 

その列だけなかなか進まない。指紋取りに時間を食っているのだ。その機械、よく聞いてみると、パスポートによってその国の言語で指示している優れもの。ロシア語が多いが、なぜか韓国語も聞こえてくる。そして日本語まで。あれ、あの飛行機に日本人が乗っていたのか、と思ったがそんなはずはない。

 

私は何と最後になってしまった。手を機械にかざしていると、係員が『中国語できるか』というので『うん』と頷くと『お前はどっから来たんだ』と聞くので『ハバロフスクからさ』というと、『なんでそんなところから来たのか』と問われ、言葉に詰まる。私だってハルピンに来るとは思っていなかったからだ。どう説明しようかと悩んでいると上官が『もういいよ』といって、指紋も取らずに通してくれた。何だったのだ??

 

空港を出たが、そこには空港バスもなく、とても疲れていたので目の前のタクシーに乗った。運転手が『ちょうど韓国からのフライトと重なり、人が多かったよ』というのを聞いてようやくガテンした。ハバロフスクから来る日本人など皆無だから、係員が仁川から来たはずだと怪しんで、質問してきたのだ。まあとにかく外国人にとって中国はどんどん不便になっているのは間違いがない。それに物価はもう安くはない。それでも中国に行く理由、普通の人にはないだろうな。

 

運転手は陽気に話し続けていたが、その中国語は訛りが強く聞き取りづらい。ただ今日のハルピンも気温が急上昇して暖かかったことだけは分かった。ハルピン空港から市内は、車も殆ど走っておらず、相当にスピードで飛ばしていたが、それでも意外と遠かった。そして高速道路料金も高く、予約したホテルに着いたら150元近くになっている。今日のホテル、1泊225元だから、明日の早朝もタクシーに乗ると、そちらの方が全然高い。それなら空港で寝てればよかったかもしれないが、あんな小さな空港ではどうにもならない。

 

宿はいつものチェーン店を適当に予約したのだが、老街のすぐ近くだった。何となく腹も減ったので、親切なフロントでお勧めの店を聞いて、夜の街を歩き出す。すると老街のライトアップは見事であり、重厚な100年前の建築物はハバロフスクより輝いて見えた。ここももっと時間をかけて見るべきところだと感じるが、何せ、時間は今しかない。結局お勧めの店は既に閉店しており、その辺の店で食べて、明日は早いのですぐに寝る。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(11)即席茶会、開催される

12月25日(火)
即席お茶会

翌日はゆっくり起き上がり、またホテルの朝食を食べた。昨日の疲れもあってか、動きが鈍い。今日は昼と夜の予定があったが、その間は何をするかも考えていなかった。ちょうど昨日のセミナー関係者が微信グループを作ってくれ、写真のアップや感想などが来はじめる。そうだ、今日の午後は、このメンバーに先日案内してもらった茶荘を紹介しよう。そう思い立ち、突然ながらお声掛けしてみた。思いがけず反応があり、今日の午後と明日の午前、2回の即席お茶会の開催が決まる。さすが北京。

 

取り敢えず午前をゆっくり過ごし、ランチの約束に向かう。場所は望京の韓国焼き肉屋。望京と言えば、10年前はコリアンタウンとも言われ、多くの韓国系、朝鮮系が住んでおり、それに合わせて韓国料理屋が繁盛していた。今では地下鉄も開通して、簡単に行けるようになっていたが、訪れるのは10年ぶりだろうか。やはり韓国語の看板は多い。

 

お会いするのは北京在住35年?というAさん。北京で会うのはこれで2度目だが、いつもFBで近況は見ているので、久しぶりと言う感じはない。中国人の奥様、そのお子さん、お孫さんの話から、今の中国の一面が見えてきて非常に面白い。当然80年代の昔話も出てくる。昨晩の交流会メンバーとも大体お知り合いという、北京の超有名日本人なのだ。ご馳走になり、誠に申し訳ない。

 

地下鉄でホテルに戻ると、すぐに茶荘へ行く。バラバラと参加者が集まり、岩茶などを飲み始める。今日の今日なのに、皆さん予定をやりくりしてきて頂いたので、当然ピタリ集合は難しい。それでもお茶飲んで、無駄話しているだけだから、時間は気にならない。このお店も、日本人客を増やしたい、北京の日本人にもっと岩茶や紅茶など、福建茶を知ってもらいたいという思いもあるので歓迎される。

 

全員揃ったところで、会員制の茶空間に移動して、またお茶を飲み続け、話し続けた。こういう会は気楽で有難い。聞く方も、聞きたいことが思い切って聞けて良いのだろう。話はどんどん弾む。皆さん、この付近に住んでいる方が多いので、今後も利用してもらいたい。尚この会員制個室は、全ての部屋がお客で埋まっていた。やはり密会?のニーズは高いということだろう。

 

夜6時過ぎ、外へ出ると零下10度の表示に凍える。今晩は旧知のTさんと会う約束があり、そこへ向かうのだが、地下鉄は不便、タクシーは渋滞なので、2㎞ほどの道を歩いて行く。風がかなり強く、これが何とも寒い。日壇公園の北側にあるロシア料理店、と言われていたが、危うく行き過ぎる。どう見てもロシアっぽくないし、店名がMangoだからタイ料理と間違える。

 

この付近、ロシア人街で、革のコートなど、ロシア製商品が売られていた場所だったが、今はどうだろうか。中に入るとクリスマスムードが漂う。ロシア教会のクリスマスって今日なのか?既に沢山のお客で満員盛況。Tさんの他、旧知のNさん、そして大学の先輩ながら殆ど面識のなかったOさん他と一緒にロシア料理を食べ、ディナーショーを見た。中国人もこのようなショータイムに興味津々なのか。ショーの時間が長いので、あまり話も出来ずに会食は終了。帰りはOさんの車で送ってもらい、寒さなしでホテルに戻る。

 

12月26日(水)
北京を去る

翌朝も10時からお昼まで、第2回即席茶会を行う。今日も数人が参加してくれ、昨日と同じような感じで、お茶を飲み、話した。もう年末ということで、日本に帰国してしまったとか、バケーションに出掛けてしまった人もいた。もう年の瀬なのだ。休みだと聞いていた店長が突然登場して、自らの好むお茶を淹れてくれた。また北京に来たら、是非立ち寄ろう。

 

北京空港までは、またお車で送ってもらった。今回は本当にお世話になり、気持ちの良い北京滞在となった。誠にありがたい。北京空港は大連のようなサービスはないが、乗客は予想外に少なく、イミグレ、荷物検査共にサクサクと終了した。今回12日前に北京空港に降り立った旅は、ここ北京空港で終わろうとしている。お茶と直接関連の少ない北の地域にも、時々来てみるのも良いかと思う。お茶の歴史、それは探せばどこにでもある。

 

帰りのエアチャイナの機体はとてもきれいで、資金力豊富な中国系の力を見せ始めていた。夜、暮れの羽田に帰り着くと、どこの企業も御用納めなのか、ほろ酔い気分のサラリーマンが沢山電車に乗っていた。日本は平和だというべきだろうか。2018年の旅も今日で終わった。2019年はどんな旅が待っているのだろうか、楽しみだ。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(10)北京で即席セミナー

12月24日(月)
即席セミナー開催

朝起きて窓の外を見ると、ややガスっているがCCTVのビルが見える。このビル、10年前の完成直前に、元宵節の花火で火災が起き(実際は後ろのマンダリンオリエンタル)、焼け落ちたのが記憶に残っている。今は完成して立派な本社ビルになっているようだ。まあ、窓からこんな景色が見られるのも喜ばしいことだ。

 

朝ご飯はホテルで取る。さすが5つ星だけあって、メニューが充実している。意地汚い私は、パンとお粥、オムレツと卵など、乱雑に食べたい物を取り、思いっきり食べてしまった。こんな生活をしていては、いくらお茶など飲んでも何の足しにもならないと分かっていても止められない。美味しい!

 

いつものように建国門の銀行で用事を済ませる。最近は中国の銀行サービスも改善しているな、と感じることが多かったが、今日の担当者の対応はかなりひどかった。顧客の話を聞かない。まあ先日香港でも感じたが、『今の若い者は』と思ってしまうところに、自らの老いを感じる。

 

西単に行こうと思い、地下鉄はいつも混んでいるので、バスに乗ることにした。ところがバス路線は一本しかなく。激混みで驚いた。降りることが出来ない乗客が、ドアが閉まってから大声で不平を述べ始める。この路線は地下鉄と共に、天安門を一度は見たいという、いわゆるおのぼりさん路線なので、トラブルも多い。いや、地下鉄だと天安門が見えないので意外と人気なのかもしれない。

 

西単では、図書大廈に行く。先日の大連と違って、さすがにここには沢山の本が置かれていて、ホッとした。お茶の本を探していると、何と書棚2つ分のスペースに様々な本が置かれており、ワインや酒より多いのではないかと驚いた。以前と比べて中国でもお茶への関心が高まっているようだ。早々茶の歴史に関する参考図書を購入する。

 

朝ご飯を食べ過ぎて、昼になっても腹は減らない。そのまま地下鉄に乗り、魏公村へ向かった。予定の時間よりだいぶ早い。ふと思い出したのが、ここの銀行のカードを無くしており、未だに口座が回復できていないことを。ちょうどよい機会なので、銀行に寄る。何だか新しくなっているが、建て替えたのだろうか、この支店は。

 

これまで何度かチャレンジして、その度一からやる羽目になっていた。今回も覚悟していたが、まず客の数が少なく、すぐに案内された。窓口の女性も非常に丁寧で親切だ。だがやはり私の口座はないという。そんなはずはない、とパスポートを出してもダメ。ここは想定内で事情を説明していくと、開設時のパスポート番号がいるという。ところがそれは2つ前のパスポートで既に番号は覚えていない。

 

ここで万事休すかと思ったが、これからセミナーがあるためPCを持参しており、その中身を隈なく探してようやく見付かった。そして彼女も『口座ありました』というから、よし今回こそは、と思ったが、次の言葉に愕然。『あなたの口座はうちの支店ではなく、隣の支店ですから、そちらに行ってください』、えー、確かに雰囲気は違うと思ったが、まさかの失態。ここで時間切れとなり、また次回に持ち越す。

 

今回は突然北京に行くことになり、久しぶりに会いたいと思っていたOさんに連絡を取ったところ、『折角だからなんかやりますか』という話になり、僅か2週間前にセミナー企画が出来た。告知は僅か1週間前、しかも今日はクリスマスイブ。場所も日本人居住地から近くない。これだけの条件が揃えば、数人来て頂ければ御の字だと思っていた。

 

会場を探すが、私も道に迷ってしまった。何とかたどり着くと、そこはカフェ?バー?驚いたことに今日の参加者は20名近いという。どうやってそんなに集めたのだろうか、と思っているとMさんを紹介された。彼女はライターだが駐在奥さんとも付き合いがあり、声を掛けてくれたらしい。どうやって座るかで悩むとは嬉しい悲鳴。

 

だがもう一つ問題が。茶葉は私が持ってきたが、何と茶器などがない。誰が淹れるのか聞くと、なんと昔北京お茶会でお茶淹れをしてくれていた張さんにお願いしたという。慌てて張さんに電話して、茶器一揃えを持ってきてもらうように依頼した。何とかなってしまうところが北京だな。いやOさんの神業か。

 

今回は『中国紅茶の歴史』についてお話しした。うまく伝わったかどうか不明だが、中国に住んでいるのだから、知っていても損はない、という話をしたつもりだ(中国人も紅茶の歴史は知らない人が多いと思う)。元々茶芸などをやっている方も多く、ある程度参考になったかもしれない。参加者の中には10年前のお知り合いや、共通の友人がいる人やらで、何とも素晴らしい出会い、再会があった。現役の留学生も来てくれ、お茶に関心があるというのは心強い。

 

そのまま無駄話をしていると夜になり、Oさんの交流会が始まった。こちらも10数名が参加、昔の知り合いが会いに来てくれ、初めてだけど長い付き合いのような方もいて、驚きは続く。珍しくビールなんかも飲んでしまい、心地よい疲れが出た。クリスマスイブの夜は更けていく。帰りの地下鉄は終電まじかでちょっと焦った。こんな遅くまで遊んでいるのは滅多にない。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(9)北京へ

12月23日(日)
VIP待遇

今朝は6時に起きて、7時前にはホテルを出た。まだ周囲は暗く、人通りも殆どない。地下鉄駅がある地下に潜るまでの数分間は本当に寒かった。地下鉄にもあまり乗客はいない。日曜日だからだろうか。先日空港から乗った路線を引き返す。30分で空港に着いてしまうのは、何とも便利で有り難い。

 

空港に着くと正面にVIPカウンターがデカデカと見えた。こんな空港は初めてだ。そしてなぜか私の持っていたカードでもこの待遇がウケられ、チェックインはあっという間、いつもは手間取る荷物検査もVIP待遇ですぐに抜けてしまった。大連はこんな所のサービスにも力を入れているのだろうか。まあ、兎に角有り難い。

 

時間が余ってしまったので、本屋に入る。昨日のこともあるので期待はしていなかったが、驚いたことには日本関連の中国語本が多い。特に第二次大戦など歴史関連が見られるのは、中国人も日本の歴史を知ろうという意識の表れなのだろうか。歴史問題、確かに官製の歴史で海外に出ると色々と困るかもしれない。いやここに並んでいる本も官製か。フライトは順調で寝落ちている間に北京に到着。

 

大連空港だけでなく、今日の私は北京でもVIP待遇を受けている。慣れ親しんだ北京空港をサクサクと外へ出ると、そこには迎えが待っていた。そして車は快晴の北京市内、東三環路の5つ星ホテル、グランドミレニアムへ滑り込む。普段はもう泊まることなどない高級ホテルだが、これも全て先日の香港のご縁でなされたものだった。

 

部屋は広く快適。テレビを点けるとNHKが写り、少しだけ全国高校駅伝を見ることが出来た。そして香港オフィスから指令を受けた北京オフィスの人が連絡をくれ、ランチを一緒に食べる。このホテルのレストラン、飲茶が旨いことで有名で、10年ほど前にも当時ここに住んでいた先輩からご馳走になったことがあった。何故うまいのか、それはオーナーが香港の実業家だったからだと先日初めて知った。今日は魚料理と叉焼が絶品だった。

 

お茶にも凝っている。以前来た時も北京では珍しいぐらいに凝っているな、特に緑茶ではなく、岩茶などが多いなとは思っていたが、これもまたこの企業集団が茶業も行っていたからだったのだ。そう思って見てみると、ロビーのカフェもアフタヌーンティが充実しており、ケーキもうまそうだ。クリスマスケーキまで揃っている。日本なら明日はケーキの日だが、北京ではどの程度だろうか。ロビーのクリスマスツリーもデカい。

 

このホテル、周辺にはサービスアパートを含む住宅と商業施設を同時に開発していた。ホテルの後ろ側にはショッピングモールがあり、茶荘も出店している。そこに案内され、お茶を飲む。かなりゆったりとして空間があり、落ち着いて茶を飲むには十分だ。奥には茶を飲むためのレンタルスペースも用意されている。茶葉は各種あるが、北京では従来花茶系が好まれていたが、今は紅茶類のニーズも高い。

 

そしてサービスアパートには最近プライベートな空間を別途オープンした。会員制の茶空間、ゆったりと部屋で茶を淹れて飲み、商談などにも使えるスペースを提供している。確かにこの辺はオフィス街であるが、会社でし難い話などをここでするというニーズはあるように思う。店長はお茶好きで、楽しくお茶話をした。

 

部屋に帰ると休む間もなく、建国門に出掛ける。既に10年以上前に作った脚マッサージの会員カードがまだ使えるのか確かめに行く。店はちょっと変わっていたが、カードは健在とのことで、早々足を揉んでもらう。思えば料金も高くなったものだ。技術が進歩するより物価上昇が急すぎた。夜寝る前の水分の取り方など、色々とご指導いただき、有り難い。

 

急いで地下鉄に乗り、夜の食事に向かう。昔一緒に働いた中国人と久しぶりに会う。日曜日なので彼の家に近い場所にしてもらった。ところが地下鉄の距離感を間違えてしまい、遅刻する。分かっているつもりでも、既に多くは過去の記憶、これからは一回一回確認して進まなければならない。

 

中国系金融機関に務める彼は、以前はとても羽振りが良かったが、今はかなり厳しい状況にあるという。経済低迷の影響で案件のリスクは高くなり、うかつには手を出せない。案件をやらなければ成績は伸びず、給与もいくらか減っているらしい。そしてこれまで日本に全く興味を持たなかった彼が、今年3回も日本に行っているのには本当に驚いた。

 

目的は不動産の購入。東京だけではなく、福岡にも足を延ばしたという。値上がり期待ではなく、人民元の下落に備えた逃避らしい。これまでの稼ぐ姿勢から、資産を守る態勢になってきている。奥さんは買い物が出来て大いに喜んでいるというから、いよいよ中国も大きな変化が起こるのだろうか。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(8)興工街、星海街へ

12月22日(土)
興工街、星海街へ

今朝はもう行くところもなくなったと思い、ゆっくり過ごす予定だった。だが寒さにも慣れてきたので、やはり外に出てしまう。大連駅前から待望の路面電車に乗るも、旧型の車両は来ない。仕方なく新型に乗る。思いの他混んでおり、まるでラッシュのようで驚く。地下鉄の認知度が低いのだろうか。取り敢えず終点の興工街まで乗っていく。1元。

 

興工街の北側に、かつての満鉄社員の社宅があると聞いていたので、探してみる。ちょうど次の駅との間辺りにその古い建物群は残っていた。一部は戸建ての立派なものだが、大半は団地のようなところだった。その古さのほどはよく分からなかったが、部屋の入口の戸が木造だったりすると、やはり日本時代かと思う。今でも人が住んでおり、寒い中、風など吹き込まないのかとちょっと心配になる。これらの建物は保存の対象になっている様子もなく、恐らくその内取り壊しになるのではないだろうか。正直これらの建物を全て保存するのは難しそうだ。

 

一つ北側の駅、中長街から地下鉄に乗る。今度は海の方へ行って見よう。会展中心という駅で降りて地上に上がっていくと、そこは高層ビルがいくつか建ち、歴史とは無縁のような、現代的な場所に見えた。だが道の反対側、星海街付近には上等な別荘風の家がいくつも立ち並んでいる。入って写真を撮りたいと思ったが、どうやら現在一部は軍関係の施設となっているようで断念する。ただこれを見ると、ここが日本時代の高級別荘地帯だと分かる。

 

その別荘の脇を抜けていくと、坂を下りる階段がある。昨日も甘井子で同じ印象を持ったが、この坂の様子はどこか韓国を想起させるものがある。どこがどうということはないのだが、既視感がある、というのだろうか。冬のソウルやプサンを歩いたのは3年前だっただろうか。人々の顔立ちや服装が似ているという点もあったかもしれない。

 

路面電車の駅から電車に乗ろうかと思い、ふと道の対面を見ると、『割烹清水』という文字と立派な構えの入り口が見えたので驚く。清水と言えば、私が上海留学中にどうしても行きたかった店。あの頃大連に来た理由は清水で刺身を食べるためだったと言ってもよい。今では考えられないことだが、1986年の上海にはまともな日本料理屋は一軒もなく、日本食を食べに、北京や広州、果てはシンガポールや香港にまで行く始末だった。

 

そんな時に誰かが、『大連の清水に行けば、新鮮な刺身がたらふく食えるぞ』と言ったから堪らない。すぐに飛行機の予約をしたのだが、何とこのフライトは3日間、上海から出発せずに断念(飛行機が墜落していたのでは、との情報あり)。それでも諦めきれずに、数か月後の東北一周旅の際、ついに大連に辿り着き、ここでランチを食べたのだ。その時の刺身定食の値段は確か20元。当時上海の一流ホテルの中華を4人で食べて10元ぐらいだったから、その高さが分かる。そして出てきた刺身は船盛。すべてをきれいに平らげた記憶が蘇る。

 

その清水が今目の前にあるのだ。それはここに入って食べろ、というメッセージ以外には思えない。偶然ではない。昨日の大名は予兆だったのか。店は昔とは違う場所になっている。今はビルの2階だ。入口は狭いが中は思いの他広い。土曜日のランチタイム、大勢の家族連れ、地元民で賑わっており、皆楽しそうに和食を食べている。恐らく日本人は私だけだろう。70元の弁当を注文する。もうこれで十分だ。何とも懐かしい、中国によくある日本食の定食だった。ここも既に日本人の経営ではないだろう。サービスは完全に中国化している。

 

帰りにまた路面電車に乗り、興工街へ向かう。出来れば本屋に行って、何か資料になりそうなものを探すためだった。検索すると新華書店があるという、そのショッピングモール、裏の方に書店街があったが、新華書店はわずかなスペースで出店しているだけだった。どの店も学生向けの受験用参考書ばかりが置かれており、一般書や専門書はほとんど見当たらない。これが今の中国の書店の現状だろう。きれいなショッピングモールを通り抜けて地下鉄でホテルへ帰る。

 

今晩は大連最後の夜だというのにどうも体に力が入らない。それほど寒くはない、などと思ってはいたが、やはり体にはこの寒さは堪えていたのかもしれない。明日は北京へ向かう上に、あちらでは色々と予定も入っていることから、ここはゆっくりと部屋で静養し、外へ出ることはしなかった。酒飲みでないのは本当に有難いことだ。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(7)ロシア街、南山、甘井子を回る

12月21日(金)
ロシア街、南山、甘井子を回る

今朝もまた歩き出した。大連駅の前を通ると、天津などへ出航する船のチケットを売っている。どうせなら天津から船で来ればよかった、などと飛んでもないことを思ってしまう。煙台という地名もあった。32年前、大連から船に乗って煙台に着いたことを思い出す。午前3時に着いてしまい、駅で野宿?した記憶がある。何とも懐かしい。

 

今日は駅の北側、ロシア街へ向かう。10分ほど歩くと、線路を跨ぐ橋がある。旧日本橋、現在の勝利橋だ。そこを越えると、ロシアが100年以上前に建てた船会社の建物がきれいに残っていた。今は美術館らしい。それをシンボルとして、ロシア風情街がスタートする。日露戦争以前、ロシアがここに来て東清鉄道を敷設する。大連の由来はダーリニー(遠い)というロシア語らしい。ロシア正教会のような建物も見える。

 

更に歩いて行くと趣が変わる。現在の上海路付近、こちらは日露戦争後の日本人街だった場所。当時のロシアと日本の国力はどうだったのだろうか。上海の日本租界でも思ったのだが、石造りの建物は100年を越えても立派だな。木造の家があったとしても、100年はもたないようだ。

 

そこから路面電車に乗りたくてフラフラ歩いてみたが、何と人民路まで歩いてしまった。出張の時に泊まったシャングリラなど高級ホテルがあり、さすがに今や立派な道になっている。その先には友誼賓館など懐かしい建物も見え、フェリーターミナルの方向へ。ただここで何を思ったのか、南山の方へ行きたくなり、バスに乗る。

 

南山路辺りを歩いてみると、かなり整備されているが、昔の建物が残っている。ここは32年前に泊まったところだが、あの南山賓館は見付からない。日本時代大連で名を成した台湾人医師、孟天成の旧居などを見る。この時代、特に日本に留学した台湾人は、台湾に帰っても日本人と同等の待遇が得られなかったので、満州に渡る者が多かったらしい。彼らについては実に興味深いがその真相はあまり明らかではない。

 

一度ホテルに戻ろうとバスに乗ったが、地図を見ているとある日本料理屋の名前が見えたので急いで下りた。大名、という名は、10年前によく行った場所だった。歩いて行くと、立派な店構えがあった。午後1時頃だったが、店内は満員のお客さん。ランチの立派な定食が55元で食べられるので、思わず席に着く。以前は日本人が経営していたが、今はどうだろうか。何とも懐かしいランチとなる。

 

大名の道を歩いて行くと、昨日の魯迅路に出てくる。この付近には満鉄関連の社宅があり、すぐ近くに本社、その横には満鉄陳列館があった。その向かい側に昨日の図書館もある。陳列館に入ろうかと思ったが、閉まっているようだったので、外から見て退散する。満鉄ファン、鉄道ファンがやって来るのだろうか。

 

かなり疲れたので、そこからバスを探してホテルに戻った。部屋で休息しようと思っていたが、なぜかホテルの前まで来て、横のバス停が目に入り、ちょうど来たバスに乗ってしまった。何故だろうか。甘井子、バスで30分以上かかる遠い所だったが、ここにも日本人街があったと聞いており、行って見たくなったのだ。

 

取り敢えずバスの終点で降りてその辺を歩いてみたが、ただの中国の田舎町だった。きっと坂の上に古い家があったのだろうと歩いて行くと、やはり一部戸建ての家が残っていた。今は数世帯が同居しているように見え、庭には野菜などを植えている。更に街から緩い上り坂を20分以上歩いて行くと、そこには日本時代の建物がきれいに残っている。一体なぜこんな甘井子の街からも離れたこんなところに家があるのだろうか。日本人は一体ここで何をしていたのだろう。

 

そのヒントは付近にあった中国石油の大工場。恐らくはこのエリアに石油や石炭などエネルギー関連の施設があり、多くの日本人が働きに来ていたのではないか、と想像する。このエリアは現在でも工場があるだけで開発から取り残されている。帰りはさすがにバスに乗り、甘井子の街まで出て、さらにバスを乗り継いでホテルへ帰った。なんだか不思議なタイムスリップだった。

 

バスは行きとは違うルートを通っていた。そして少し渋滞に嵌りながら、市内を目指す。大連駅前は通らずに隣駅付近に来たのでそこで降りた。バスに乗っていたのはいつの間にか私と母子だけになっていた。母親と小学生低学年の息子も一緒に降りたのだが、母親が息子に丁寧に話しかけ、寒い中、肩を寄せ合いながら歩いている姿に、突然軽い感動を覚えた。何故だろうか。

 

夕飯は何にしようか。まだランチの豪華定食の余韻(刺身が踊り、てんぷらが舞う)が腹の中にあり、どうにも食べる気が起こらない。ちょうどの目の前にパン屋(フランス風だが韓国資本)があり、そこに入って、パンを買い、持ち帰って部屋で食べた。ある程度調整しないと、中国では本当に体調不良になるまで食べてしまう傾向があり、怖い。