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バンコック ヨーガの旅2016(3)異空間に身を置き考える

ワンサニット1日目

川を渡るとそこは異空間。それは10年前に初めてここに来た時と何ら変わらない。ここで初めてA師に会った。同窓ということで紹介されて、訪ねて来たのだが、その発する言葉が魅力的で、余りにも印象が強く、常人離れした人に思えた。しかもこの空間で遭遇すれば、更にその感覚が高まる。私にとって、刺激が求められる人だ。

 

まずは荷物を部屋に入れる。私は男子一人であり、個室に入る。5年前は隣にK和尚がいた。彼は当時タイのお寺に入っており、上座部の僧侶として、袈裟2枚の姿でそこにいた。彼と1週間いただけで、タイの僧がどのような生活をしているのか、どのような扱いを受けているのかなどを知ることができ、大変ためになった。部屋は5年前と特に変わってはいなかった。今回隣はいないようだった。

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すぐに昼ごはんとなる。ワンサニットのご飯はベジタリアン。肉や魚は出ないが、味は非常に美味しい。自分の好きな量だけ取るビュッフェ形式だが、女性ばかりなので、私は余らないように沢山取る。それでも恐らくは1週間後、体重は軽くなり、体脂肪はかなり落ちているはずだ。油の使用が少ないのだろうか、普段一体どんなものを食べて生きているのか、間食が多過ぎると、反省する。

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午後はイントロダクションがあり、13名の参加者が自己紹介した。前回は殆どがヨーガインストラクターだったが、今回は数名、ヨーガを職業としていない人がいて助かった。私のような怠け者には、突然高度なプログラムはきつい。A師も参加者の顔ぶれを見て、内容を検討しているようだ。

 

その後、実習がある。ヨーガというと、きれいなポーズや柔らかい体、などを想像しがちだが、アーサナは何のためにあるのか、何するものなのかを、教えてくれる。これも何度も聞いている話であり、参加者はプロが多いにも拘らず、毎回頷いて聞いている人が多いのには驚くし、日本のヨーガスタジオは世界が違うのかな、思ってしまう。

 

実際の実技でも、『体を前に曲げすぎない』ないために座布団をお腹に挟んだりする。基本的には体が前にピタッとつく人ばかりだが、このポーズの意味はその曲げる姿勢にあるという。私などは全く体が前に行かないので、むしろ更に沢山の座布団をもらい、その姿勢を保つようにする。

 

夕方5時過ぎに実習が終了すると、夕飯までの間にシャワーを浴びる。このシャワー、お湯は出ない。タイ人にとっては何でもないことかもしれないが、日本人にとって水シャワーはきつい。11月末、気温はそれなりに高いとは言いながら、この付近は都会より気温は低く感じられる。だがこれも一つの修行だと思えばよい。更に石鹸やシャンプーも周囲の環境に配慮した物が提供される。木の小屋から流れ出す汚水は直接下へ落ちていくので、実感が沸く。

 

夕飯は軽い物が出る。今晩は麺だった。これも合宿での配慮だった。やはり普段食べ過ぎなのだろう。腹が減るのでお替りする。パイナップルなどフルーツが出るのが嬉しい。この程度の食事で済ませることが内臓の負担を和らげると思う。もう一組、数人のグループが食事をしているがメニューは同じ。白人、韓国人などの混成チーム、英語で話しているが、何の目的で来ているのであろうか。

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夕飯が終わるとまた講義がある。NHKスペシャルなどの番組を見て、周辺理解を深めるというプログラムになっている。これが終わるのが夜9時過ぎ。暗い中、部屋に戻り、歯をみがくと、既にぐったり。部屋はかなり涼しいので、そのまますぐに寝込んだが、こんな季節にも蚊の来襲があり、慌てて蚊帳をセットして再度寝る。薄い上掛け一枚ではどうにも寒い。翌朝見てみると、何と窓が開いていた。普段如何に生活に注意を払っていないか、快適な生活を送っているかを実感する。

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1128日(月)

2日目

ワンサニットの朝は早い。まだ夜が明けない午前5時起床。もう鶏は大声で鳴いている。支度をして5時半にホールへ向かう。参加は自由だが、30分間の瞑想がある。心が静かになり、朝をこのように始めることの良さが分かる。寝ている間、私は何をしているのだろうか。夢など見ていないのだが、心がざわつくことでもあるのだろうか。

 

夜が少しずつ明けてくる。6-8時は実習。体を少しずつ緩めていく。私は無理をせず、出来ることだけをゆっくりやっていく。ここでは他人と競争する必要もないし、指導者から、何かを強制されることもない。疑問があれば聞くことができ、大きく外れていれば、教えてくれるだけだ。

 

このようなやり方、インドでも体験したが、今の日本の教育に必要ではないだろうか。個性を引き出すなどと教育現場では言っているようだが、教師が教え込めば個性は消えていく。マニュアルを暗記するだけ、出来たか出来ないかだけを競うことになりかねない。そのようなものは教育とは言わないのでは、とここでは思わせる。

 

朝飯にお粥が出た。タイ料理ではあるが色々な面で中国を感じさせる。タイという国も南北に長い。北の方は中国の影響が強く、その食文化も随所に中国的である。我々日本人はこれらのミックスされたタイ料理を食べるとホッとして、美味いと感じる。しかもここの料理は肉食を抜いているので、体に優しい食べ物が残る。健康の源についても考える。

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バンコック ヨーガの旅2016(1)北京経由でバンコックへ

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今年はとにかく大旅行が続いたので、疲れていた。疲れたと言っても何もしないのも疲れる性分。特に心の疲れを癒す方法はないかと考えていると、数年前に一度参加したバンコックのヨーガ合宿のお知らせが舞い込む。基本的にヨーガはやらない私だが、これまで沖縄久高島の合宿も3年連続出席していた。一度は捨てた?バンコックだが、取り敢えず行って見ようと思う。

 

1126日(土)
バンコックまで

合宿参加者は基本的に26日中にバンコックに入り、27日の朝、車で郊外のワンサニットに向かうことになっていた。大抵の人は、東京や大阪からの直行便でバンコックに向かうので、大体同じ時間に到着するのだが、私は北京経由を選んだ。理由はあまりにも安かったから。何しろ直行便が5万円台なのに、エアチャイナの経由便なら3万円だった。実は最初にネットで調べた時は往復2.4万円だったので、驚いてしまったのだが、さすがのそのチケットはすぐに無くなっていた。

 

しかもエアチャイナは羽田から北京に飛ぶのでこれまた便利。8:30発で行き、昼頃着いて午後便でバンコックへという完ぺきなスケジュールだった。当日は空港までの交通機関にも問題がなく(東京は人身事故などで電車が遅れることがある)、順調に機内に乗り込み、すぐに寝入った。ところが1時間ぐらいして、ふと目を覚ますと、何と飛行機は動いていなかった。北京空港から離陸許可が下りていなかったらしい。道理でぐっすりと眠れたわけだ。

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しかし笑ってはいられない。このフライトがこれ以上遅れると、北京での乗り継ぎが出来なくなる。慌ててバンコックのA師に念のためメッセージを入れた。その途端、機体が動き出す。以前乗客は爆買い?中国人が多かったのだが、このフライトでは白人が目立っていた。日本人でも中国へ行くというより、北京経由でバンコックなど他国へ行く人が見受けられた。確かにこれだけ安いと乗客も変化してくる。皆大人しくしていた。

 

そして北京到着時間が気になり始めた頃、何人もの乗客が前の方に席を移し始めた。彼らの乗り継ぎ時間は相当に厳しいらしい。私はこの時から『今回の旅はなるようになれ』と思い、一切急ぐことをしないと決めた。北京空港に降り立ったのは、私のバンコック行フライトの出発時間の1時間ちょっと前だった。

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北京空港では国際線乗り継ぎが必要。入国審査横にある特別ゲートでチェックを受ける。そこには先発した白人が既に並んでおり待つ。そこを通過すると、セキュリティチェック。出発まで間がない人が優先的に通っていくが、私がチケットを見せると係員は『まだ時間があるな』と言って、優先させてくれなかった。ということは、十分間に合うのだろう。

 

ところがこの列がなかなか進まない。中国の荷物検査はなぜここまで厳しいのだろうか。そしてチケットに不備のあるアラブ系が引っかかってしまい、更に時間が過ぎていくが、ただ泰然としていた。そこを通過した時には、ちょうど搭乗時間になっており、結果的にはジャストタイミング。昔の自分であれば、相当イライラしただろうが、なるようにしかならない、と思えば何でもない。

 

バンコックまでのフライトは順調で結果的に定刻前に到着した。今日は指定のホテルに入るだけなので、急ぐことはないのだが、土曜日の夜はエアポートリンクで行っても、その先の道が渋滞するとの情報だったので、空港からタクシーに乗る。運転手に住所を見せると『分った』というので一安心。

 

ホテル到着

でもそこはタイ。大きな通りは分ってもホテル名など見てはいなかった?全く違うホテルに連れていかれ、あれ。ここで運転手がどう出るかと見ていたが、いい人だったようで、ごめん、と言いながらホテルのフロントに場所を聞いてくれた。空港タクシーの運ちゃんには時々痛い目にあうのでラッキー。そして何とかホテルを探し当てる。

 

2012年の合宿に参加した時、泊まったホテルだったが、かなりきれいになっている。部屋もちょっとモダンに変身していた驚き。フロントには中国語も見えるから、お客は中国人だろうか。いや、車が沢山停められるスペースがあるから、タイ人向けか。立地がよい訳ではないのに、それなりの料金が取れるらしい。

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夜も8時を過ぎていたので、陸橋を渡ったところで、カオマンガイを食す。蒸したのと揚げたのをミックスしてもらう。もう私のタイでの定番メニュー。スープも付いて45bは安い!その後近くを少し散歩。イスラム料理屋があった。かなり広い敷地、お客が沢山いた。最近テロなど事件も多くなっているが、バンコックに住むイスラム教徒はどのような状況なのだろうか。気になるがホテルへ帰る。

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1127日(日)
出発

翌朝は8時出発と聞いていたので7時に起きて、準備を始めた。ところが7時半前にドアをノックする音がする。しかも『どうしました?出発ですよ』というA夫人の声だった。急いで荷物を持って部屋を出た。既に庭には皆さんが集合しており、ロットゥーも2台来ていた。私が最後のチェックアウトとなった。どうやら集合時間が違っていたらしい。まあ、こんなものか。このグループ、A師と私以外全員女性。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(15)バンコックでiPhoneを買う

7. バンコック2
スマホを買いに

エカマイのバスターミナルまで約2時間、懐かしいスクンビット通りを通り、昼前にバンコックに着き、その場でタクシーを拾い、定宿に着いた。部屋に入るとすぐに、この宿内で荷物を預けているところへ連絡を入れ、それを受け取った。これでついに1年以上に渡って預かってもらっていた荷物を解消することができた。安堵。

 

ちょうど昼時であり、お知り合いのYさんたちとランチへ行く。4人で食べる食事は一人よりずっといい、いつもの美味しい料理を食べて落ち着く。それからコーヒーを飲んで旅の報告を行う。明日日本に帰るのだが、汚れた衣服を洗濯に出す。このランドリー、昨年もお世話になったので顔馴染み。お願いして、乾燥機にもかけてもらった。これならすぐに乾いて、干す必要もない。後で取りに行くとちゃんと畳まれていた。有り難い。

 

そして外出。いつものようにボロバスに乗って、アソークへ行き、いつものように120b床屋で髪を切る。これがよいのかどうかわからないが、どうせ切るだけだから、ということで愛用している。それからまたバスで一駅行き、プロンポンの銀行を訪問。いつもは混んでいて1時間も待つのに、今日は誰もいない。どうしたんだろうか、経済的には止まっているのかもしれない、タイ。

 

夕方になり、Yさんがやってきて、エンポリアムの向かいに出来た新しいショッピングモールに行く。私はYさんとは何十回も会っているが、外で二人だけで会うのは初めてかもしれない。珍しいことだ。今日はYさんの先導でスマホを買いに行く。私のスマホ、奥さんのお古で、既に電話の音声が聞こえない。このままではすぐにつぶれてしまい、データさえも取り出せなくなるので、早めに買えた方がよいという助言に従うことにした。

 

AISのショップへ行き、旧型のiPhoneを買う。日本で買うよりはるかに安いらしい。小型だ。Yさんは何とここのVIPメンバーであり、奥のラウンジを使えるので、ジュースを飲みながら、手続きを待つ。私はもっと安いスマホでよいと思ったのだが、流れでこうなった。スタッフはタイ語しかできないからすべてはYさん頼み。因みにYさんはスマホには相当詳しいので、色々とアドバイスもしてくれる。これは有り難い。タイのシムカードを入れると、非常に快適に動く。嬉しい。日本のIPは未だにシムフリーでないものを売っているらしい。また同じ機種でも海外に持っていくと作動しない機能もあるとか。日本は不便だ。

更にはパーツのショップへ行き、画面を保護するカバーをつけてもらった。これなど私には思い付かないが、画面が割れない方がよいので、お願いした。それが終わると、次の課題へ。日本のシムカードを新しい機種に入れることができるのか。カードは明らかに大きく、IPに入れるのは最も小さい形のようだった。これは電脳街へでも行かないとできないと言われ、BTSへ乗る。そこですごい雨が降ってきた。取り敢えずアソークでモスバーガーに入り、腹ごしらえ。最近食べ過ぎで、すぐに腹が減るから困る。

 

地下鉄に乗り換えたが、ラマ9駅へ向かう列車のホームは人で溢れかえっていた。どうしても乗れそうにないので、反対向きの電車に乗り、一駅戻ってから乗り直した。バンコックでもこんなことがあるんだな。退勤時刻と雨が重なり、一度に人が集まり過ぎたためらしい。ラマ9駅で地上に上がると、まだ雨は降っていたが、目の前のビルに飛び込む。

 

電脳街へ行き、カードを見せて、シムカッターで切ってもらおうとしたが、どこでも『この日本のシム、切ると使えなくなるかも』と言われ、誰もやってくれなかった。ここの店はプロたちの集団だ。その彼らがお客を前にやらないというからには、相当のリスクがある、ということを示していた。敢えてそうできない様に、日本の携帯会社が細工をしているとしか思えない。アジアでは既に電話用、スマホ用、IP用に3つの大きさが揃っているシムカードが多いという中、日本だけがこのような遅れたサービスでお客を縛る、ある意味で許せない。

 

雨が止んだ中、しょんぼり帰る。部屋に戻ると早速、買ったばかりのIPを使い、PCとネットを共有してみた。これはいつもSさんがここでやっているというので、是非トライしたかっただが、その快適さには驚いた。私のシムは10日有効、容量無制限だから、いくら共有してもお金は同じ。そして快適なネット環境が約束された。前のスマホにはこの機能すらなかったのだから、買い替えた意味は大きい。勿論電話の声もクリアーになり、晴れ晴れした。

 

84日(木)

朝はいつもの通りYさんとコーヒーを飲み、昨日の報告をした。それから朝ご飯として、コムヤーンを食べに行く。これも定番。そして荷造りをして、この宿にも別れを告げた。大きな荷物を抱えて空港へ向かい、そして後はいつも通り。タイ滞在もあっという間に終了した。さあ、これからリオのオリンピックが始まる!

カンボジア・タイ 国境の旅2016(14)パタヤの夕日

 夕焼け

部屋でエアコンを掛けて、昼寝した。一人旅でのリゾート地滞在は予想以上に厳しい。ここには見るべきものがなく、寝るぐらいしかすることもない。その後部屋から外をボーっと眺める。ホテル群の向こうに海が見える。少しずらしてみると、マンションの建設なども行われている。パタヤはタイを代表するリゾート地であり、バンコックからも一番近いリゾートだというのに、実は20数年、来たことはなかった。発展したものだな、という思いと、自然が薄れたなという思い、それぞれの感じを持つ。

 

段々夕方になってきた。暑さも少し和らいだ頃、もう一度外へ出た。風が心地よい。ビーチは既に黄昏だった。雲が垂れ込める中、強い光がそろそろと降りていく。ビーチに腰を掛け、それを見るともなく見ている。歩いている観光客もちらちらと見ている。そのうち大勢が足を止め、見入るようになる。皆が海に吸い込まれていく。

 

私はなぜパタヤに来たのか。それはやはりこの夕日、この光景を眺めるためだったのだろう。私は以前から夕日好きで、様々な夕暮れを見てきたが、この眺めは結構上位に入る。喧騒から一転、静寂の訪れ。そのギャップがよいのかもしれない。ただ日が落ちるのが何とも速い。至極の時間はあまりにも短く、日が落ちてしまうと、また喧騒が広がっていく。私もしばらくして無念の思いで腰を上げる。

 

そのままビーチの端から端まで歩いて見る。高級リゾートホテルが立ち並び、外国人観光客が多いが、中国人がやはり目立つ。2-3年前まで多かったというロシア系の姿は殆ど見られない。バーなど夜の部が開くのはまだ早く、買い物をする姿が多い。レストランを探したが、一人で入るような手軽なところはビーチ沿いにはない。少し奥に引っ込んで歩いて見ると、声を掛けられたので、すっとそこへ入る。

 

そこで焼き鳥を頼むと、ちゃんとご飯が付いてきて、飲み物を合わせても70bで済んでしまった。自動的にコーラが付いてきた。何だか面白い。しかもこの鶏肉が意外とうまい。言うことない。腹一杯食べてしまい、フラフラとまた歩き出す。特に寄る所もなく、何かしたいこともなく、ホテルに戻り、また外を眺めたが、夜景は特になかった。パタヤは何とも所在ないところだった。

 

83日(水)
バスターミナルまで

翌朝は早めに起きて、朝食へ。いいホテルの朝食は美味しいはずだ、ということで、そそくさと食事に行き、思いっきり食べた。昔家族旅行でアジアのリゾート地を回った頃も、ホテルの朝食が好きだった。北京に住んでいた頃も、わざわざ高級ホテルの朝食を食べる会を結成しようとしたこともある。ただ今回のホテルはフランス系なのに、パンも普通で期待には添わなかった。むしろおかゆを食べている方が落ち着いたはなぜだろうか。

 

荷物をまとめてチェックアウト。フロントでバスターミナルまでのトゥク料金を聞くと30b前後とのことだったので、ドアマンに呼んでもらったが、来たバイタクは60bだと言って譲らない。ドアマンもバイタクの味方となり、料金交渉には一切手を貸さない。とうとうバイクは去ってしまった。またいやな思いをした。仕方がないから自分で道路へ出て拾おうかと考えたが、ここではカルテルが成立しており、どうやってもうまくは行かないだろう。自分で歩いてバスターミナルまで行くか。かなり遠いし、道も分らない。

 

その時、日本人の家族が出てきて、ソンテウに乗り込もうとしていた。声を掛けると、150bでチャーターしたという。確かに日本円にすれば大した額ではない。私も50b支払うことで、一緒に乗せてもらうことにした。その家族には小学生ぐらいの女の子が2人いた。大阪から観光できたらしい。楽しい旅だっただろうか。奥さんが積極的で旅をリードしていた。パッケージ旅行ではなく、個人旅行をしており、色々と事前に調べて、前に進んでいた。

 

ターミナルではバンコック行バスが頻繁に出ており、すぐに出発するバスのチケットが確保できた。これまでのロットゥとは違い、大型バスで座席も広い。常に満員の盛況であり、パタヤの人気が分る。このバス、どこかで見たことがあると思っていたら、私がバンコックを拠点にしていた場所の近くを何時も通っていた。そう、いつかパタヤへ行こう、と思いながら、ついにいかなかったことに思い至る。では今回なぜパタヤに至ったのか。これも一つの流れなのか。目をつぶっていると、時が流れ、バンコック市内に入っていく。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(13)ブランドホテルに泊まるも

 82日(火)

翌朝はゆっくり起きる。やはり歩き回るとそれなりに疲れてくる。ホテルの朝食ではお粥とスープを取ったが、このスープが何とも優しく旨かった。タイのスープは辛めのものもあるが、大根などの根菜を煮込んだ、煮物のようなものもある。朝から食べ過ぎの気もするが、食べられる時に食べておく、それは旅の鉄則かもしれない。

 

11時前にホテルをチェックアウトして、パタヤへ向かう。フロントで聞くと、やはりバスターミナルからバスに乗るのがよいという。親切に教えてくれたうえ、ターミナルまでホテルカートで送ってくれた。これは本当に助かる。1㎞以上の道のりを荷物を引いていくのはかなり大変だから。ターミナルではパタヤ行バスがすぐに見つかり、120bで乗り込む。ロットゥは本当に便利な乗り物だ。

 

1時間半、昨日と同じような風景の中、バスは国道を走っている。結構乗り降りがあり、チャンタブリー‐ラヨーンより幹線であることも分る。ロットゥは私を国道脇で落とした。ホテルでも丁寧に『ロットゥを降りたら、トゥクトゥク乗り場へ行け。ビーチ付近まではかなり遠いよ』と説明されていた。バス停付近にはバイタクのおじさんたちがいたが、私には見向きもしなかった。こちらから声を掛けてみても、『そこで待て』と素っ気ない。

 

そこへ一台のソンテウがやっていた。ビーチまで20bで行くと聞こえたので、後ろに乗り込んだ。バイタクのおじさんがなにか叫んだが聞こえなかった。途中で中東系の一家を更に乗せたトゥクは幹線を左折し、街のような通りを通り過ぎ、ホテルなどがあるところを走っていく。私はどこへ泊ろうかと目を凝らしたが、いつまで経っても停まらないので、こちらから合図した。

 

6. パタヤ
豪華なホテルに泊まるも

ソンテウを降りて20bを支払おうとすると、運転手がすごい剣幕で200bと言っただろう、言い出す。これには驚いた。確かに20bは安すぎるのかもしれないが、200bとはまた何とも高い。観光地のボッタくりだ。こちらも引く気はなく、にらみ合いが続く。後ろに乗っている中東系も、何が起こったのかと、興味深そうに見ている。私は運転手に20bを押し付けるように渡し、彼はそれをかたくなに拒否した。5分位そうしていたら、彼は捨て台詞を残して去って行った。20bは最後まで受け取らなかった。

 

何が正しいのかよくわからないが、タイの観光地、プーケットもチェンマイも、このような交通利権が蔓延しており、折角楽しい観光に来た人が嫌な思いをする。わざと交通を発展させず、古くからの利権を守る人々、タイも時代が変わり、このような状況を是正しなければならないはずなのだが。特に物価が上がってきた今日、昔のような安いから許す、というレベルではなくなってきている。

 

さて、ここはどこだろうかとみると、ビーチ方面は高級リゾートホテルが並んでいる。ビーチの北のはずれに近いらしい。またここから交通手段を見付けて乗るのは、さっきの経験から言って、あまり好ましくない。仕方なく、一番安そうなフランス系のホテルへ行ってみる。ところが『本日は満員です』というではないか。さすがパタヤ、平日でも混んでいる。フロントで聞くと、系列ホテルが後ろ側に2つあり、すぐ前の方が、それほど高くないというので行ってみる。

 

そこは昔ジャカルタで泊まったことがある、ちょっとおしゃれなホテルだった。フロントの愛想もよいのだが、料金は2500b。これまで泊まってきたホテルの3倍近い。まあ、1泊ぐらい経験だと思い、チェックインすることにしたのだが、朝食も付けて、最終料金は2900bにもなっている。これまでのホテルは税サも込みで、話しているのだが、ここではルームレートのみ。ちょっと後悔したが、今さら仕方がない。

 

その部屋からはパタヤのビーチが見えたのでちょっと満足したが、広くもなく、機能的にもすごく優れているようには見えない。これで3倍払うのなら、ラヨーンのホテルに戻りたい。観光地価格、ブランド価格、色々とあると思うが、このような形で比較すると、どのホテルが価格に値するのか、もう一度見直す良い機会となる。

 

街歩き

既に昼を過ぎている。腹が減ったので、外へ出た。先ほどロットゥを降りた時はトラブルで気が付かなかったが、唐人街なる場所があった。ランチでもと思ったが、なんとも観光客用の場所で面白くないし、客も殆どいなかった。ふらふら歩いていくと、通りの横道でタイ料理の屋台などがあったが、何となく麵が食べたくなり、そこも通り過ぎた。観光地で一人ご飯は意外と難しい。

 

誰も観光客など通らない道に麺の屋台があり、そこで食べた。ある意味で、わざわざ観光地まで来て、どこでも行けるような屋台に行くのはどうかとも思うのだが、それが私の旅らしい気もする。おばさんも英語などできないが愛想がよく、好ましい。具もたくさん入っていて60bは安いのか高いのか。外で食べるのは暑かったが、それもまたよい。

ファミマで水を買い、ビーチサイドを少し歩いて見たが、やはり暑いので疲れてしまった。自分には観光地は面白みがない、ということだろうか。歩いていてもウキウキしない。高いホテルの部屋でホテルライフを楽しむ方がよさそうだった。だがプールへ行きたくとても、水着も持っておらず、一人で何をしているのかと、いやになる。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(12)ラヨーン 驚きのホテルサービス

5. ラヨーン
驚きのホテルサービス

時刻は1時近かったのでまずは腹ごしらえをしようと、その辺の店に入る。そして定番のカオマンガイを頂く。腹が減っていると特にうまい。ガイドブックを取り出すと、この大通りがパタヤを通過してバンコックまで行くことが分かった。明日はパタヤへ行こうと思いながら、まずは今日の宿の確保だ。バンコック方面に歩いていくと、日本人出張者が多く泊まるホテルがあると出ていたので、それを目指していく。

 

ところが荷物を引いて大汗をかいても、なかなか着かない。段々建物が少なり、心配になり出しても、ホテルは見えなかった。15分以上歩いて疲れ果てた頃、目指すところとは違うが道端に一軒のホテルがあったので、そこへ飛び込んでみた。こぎれいなホテルだったのでここに泊まろうとフロントで声を掛けるとなんと『今日は満室です』と英語で返ってきた。そんな馬鹿な、こんな外れたホテルがなぜ、と言っても仕方がない。疲れも手伝い完全に途方に暮れた。

 

念のため、当初目指していたホテルの場所を聞くと、『通り過ぎていますよ』と教えてくれ、『あそこなら空いているかもしれません』と言って、私のスマホの電話機能が壊れていることを知ると、自ら電話をしてくれた。そして『空いていましたよ、1100b/泊ですが、良ければ予約しますよ』とまで言ってくれる。有り難いと思い、予約してもらう。私が礼を言って歩き出そうとすると『ちょっと待って。うちのホテルカートでお送りします』とまで言い出す。

 

正直タイで、いやアジアでも宿泊客でもない人間に、ここまでサービスしてくれるホテルがあるだろうか。疲れ果てた外国人を見かねてしてくれた行動だろうが、これぞタイのおもてなし、と言ってもよいのかもしれない。ホテルカートは実に快適に道を走り、5分もしないうちに目的のホテルに到着した。運転してくれたスタッフも笑顔で去っていく。次回はぜひこのホテルに泊まってみたいと思わせるに十分の出来事だった。

 

更には到着したホテルでチェックインしようとすると、なぜか『あなたの予約した部屋は1100bではなく、950bでよい。もし大型ベットを希望すれば1300bになるがどうか』と聞かれ、迷わず安い方にした。え、こちらのホテルでもおもてなし?恐らくは競争が激しい地域なのだろう。部屋に行ってみると、周囲に高い建物もなく、部屋は相当に広く、NHKのワールドプレミアまで見られて、朝食も付き、バスタブまで完備されていて、日本円で3000円程度とは、多少古いホテルとはいえ、有り難いことだ。

 

街歩き

電気ポットがあったので、お湯を沸かし、インスタントコーヒーを飲んでみる。普段日本なら飲むこともない砂糖とミルク入りの3in1というタイプだが、これが東南アジアで疲れた体に入れると実にうまく感じられる。やはり飲み物はその土地と大いに関係している。最上階の廊下の窓からはラヨーン市内が一望できる。高いところは嫌いだが、何となく晴れ晴れしていて、心が落ち着く。

 

街歩きに出た。まだ暑い時間だったが、この街にいるのは正味半日だから、特に観光地はないと思うが、一応歩いて見ることにする。まずはバスターミナルの確認。目印になるテスコまで行き、その横を通り過ぎると、大型バスが通っていく。その先にターミナルがあり、当然ながらパタヤ行は頻繁に出ていた。直接バンコックに帰るにしてもかなり近づいている。ちょうど下校時の中高生で付近は溢れかえっていた。

 

ふらふら歩いていくと道路沿いには大きな病院があり、ここもかなりの人がいた。その先を少し入ると静かな寺院が見える。ここがワット・プラドゥーという、有名な涅槃仏の横たわるお寺らしい。中に入って見学すると、優し気な眼差しを持つ仏だが、何となく違和感があった。バンコックのワット・ポーなどいくつかの涅槃仏を拝む機会があったが、ここの仏は寝姿が普通と反対だった。これはタイでも極めて珍しいようだが、その理由はしかとは分らない。

 

この寺の敷地は広いが、本堂横にはなぜかウルトラマンが飾られている。タイのお寺で可愛らしいマスコットのような像が置かれているケースはまま見るのだが、ウルトラマンが登場したのは初めてだ。この理由も全く分からない。誰かが寄進したのだろうか。境内を散策後、外へ出る。近くには年代物の時計台があり、この辺が昔はどういう位置づけだったのか考えてみたが、思い浮かばない。

 

もう一つのお寺はひっそりとしていた。そこにはタクシン神社とも呼ばれる廟があり、中にはタクシン王の像が置かれている。タクシン王はここラヨーンに滞在してその後挙兵、トンブリ王朝を打ち立てた人物。彼は華僑だったという。その像の前にタイ人の若い女性二人が座り、熱心に祈りを捧げ、最後にスマホで記念撮影。タクシン王はタイ人にとってどのような存在なのだろうか。どうしてもタクシンといえば、今世紀のタクシンを思い出してしまうが、彼もまた華僑だったな。

夕日が沈むころ、プラプラ歩いて帰り、そしてホテルの上から夕暮れ風景を眺めた。これはなかなか見られない大きな夕暮れだった。暗くなるとホテルの裏へ行く。ここには日本食屋が2軒あった。その一つに入ると日本人がオーナーでタイ人スタッフも日本語ができた。久しぶりにかつ丼が食べたくなり注文。160bはお値打ち品だった。日本人駐在員と出張者、取引先などが食事をしていた。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(11)タイ人と華人のコントラスト

教会を抜けて歩いていくとそこには古い民家が並んでいた。そのままくねくねと進んでいくといつの間にか、川に出た。遠くに教会が見える。そこには宮があった。この辺は華人が住むのであろうか。橋を渡るとまた原石市場へ。なかなか面白い。原石市場を通り過ぎるとそこはチャイナタウン。観光用に整備された雰囲気で、古い家はあるが、きれいになっている。今やアジアのどこでもチャイナタウンはきれいになり、観光地化されている。ちょっと残念な気分になる。

数種類の色の芋を焼き芋にして売っていたので思わず手が出てしまった。売り子はタイ人女性で明るい。こうなると焼き鳥、焼き豚にも手が出てしまい、沢山持ち帰って部屋で食べることになった。この街並、川のすぐ横を平行に走っており、往時はこの川を利用して交易が行われていたと容易に推測できる。原石は川で運んだろうか、いや小さくて価値のあるものは別の運び方があったのではないか。華人は川と共にある、とはバッタンバンも同じだったな。

部屋で結構休息し、夜外へ出たが、飯を食べる場所が意外となかった。結局また麺を食べることになる。だが麺一杯だけではどうしても物足りず、ウロウロと探すと華人系の店があったので入る。そこのおばさんはつっけんどんにメニューを渡し、あまり金にならない客だとみると邪険な対応だった。料理もなぜか辛くて食べにくかった。華人はどこでも厳しい感じだが、タイ人はにこにこしていてこのコントラストはいつ見ても面白い。

 

81日(月)
朝から歩く

朝は早めに起きたが、8時前に外へ出る。何とも解放感に溢れる旅、予定もない、会うべき人もいない、見なければいけないものもない、これがこんなにも気持ちを楽にしてくれるとは正直思ってもいなかった。考えてみれば今年に入り、ミャンマー、ラオス、スリランカ、そして3月のシベリア鉄道+α、4月の雲南ラオス、福建、5月の台湾、6月の内モンゴル、湖北など、比較的激しい旅が続いてしまい、体が対応できない状況に陥っていたのかもしれない。たまにはこんな旅をして、旅の原点に戻り、リフレッシュもしよう!

 

朝ご飯はホテルの横にあるカフェに入ってみた。明るい感じの店、トーストが食べたくて入ったのだが、残念ながら英語が通じず、トーストも砂糖と蜂蜜たっぷりの代物だった。だが対応は丁寧で、コーヒーもゆっくり淹れてくれた。こんな雰囲気もまた嬉しい。この店は靴を脱いで上がるシステム。これがまたタイらしくて好ましい。料金も安くて満足した。

そのまままた散歩に出る。昨日行き損ねたお寺へ向かう。そこには涅槃仏があるというのだが、川を渡り行ってみると、そこは何と昨日も通ったところだった。ただ建物が開いているとは思わず、しかも中に大きな仏が寝ているなど想像もしなかったのだ。だが今朝はまだ早いのかどこにも入る所がない。下で若者に聞くとちょっと待て、という。少し待つとおばさんが花を持ってやってきて、鍵を開けてくれる。中の仏はまだ眠っているように見えたが、目はしっかりと開いている。

それからまた昨日の教会の前を通る。今朝は信者がテーブルを出して食事をしていた。何か集まりでもあったのだろうか。川を渡り、チャイナタウンを抜けたが、人通りは殆どなかった。既に日差しは相当に強く、歩くのも苦痛になる。急いでホテルに戻り、シャワーを浴びてチェックアウトの準備をする。10時過ぎにはホテルを出て、暑い中、荷物を引いて、バスターミナルへ向かう。

この時点までどこへ行くか決めていなかった。一番早く乗れるのがよい、と思っていたが、あまり遠いと疲れるので、それを考慮した。ターミナルでどこへ行くんだ、と声を掛けられ、なぜか口からラヨーンという言葉が出た。自分でもちょっと不思議だったが、地図で見ていたので頭に残っていたらしい。ラヨーンと言えば20年以上前、前の仕事でタイを担当した時、日本企業が沢山進出を始めた場所であり、また石油化学などの産業が発達する機運が高まっていたのをよく覚えている。きっとそのことが頭にあり、行ってみたいと思ってしまったのだろう。確かに一度も訪れたことはなかったはずだ。

 

するとおじさんが今出るロットゥがあるから急げ、という。100bで何とか乗り込む。相変わらず私の荷物は邪魔になるが、誰も文句を言わない。ここがタイの凄いところだと思う。車は快適に国道を走る。後ろの男子三人は中国人、中国語で話している。どこへ行くつもりかと思っていると、1時間半ぐらいで、バンペーというビーチリゾートの島へ行くフェリーターミナルで降りた。ここからサメット島へ行けるらしい。私もここで降りてもよかったが、どうもビーチリゾート気分になれず、そのまま乗車した。車内もだいぶ空いてきて、ポロポロ降りる人も出てきた頃、車は市内に入り、バスターミナルより前で私を下ろして走り去った。ロットゥはどこ行きだったのだろうか。そしてここはどこなんだろうか。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(10)チャンタブリーの原石市場と巨大教会

 4. チャンタブリー
国境を通過して

運転手が車を国境内へ入れる。この車はタイにも自由に行けるのだろうか。そう思っていると車を駐車して、私の荷物を持って先に進む。そこにはこれがイミグレーションかと思うような、誰もいない質素な建物が建っており、カンボジア出国は呆気ないほど簡単に終わってしまった。ああ、やはりこの国境を通る人などいないのだ、と勝手に勘違いしながら、更に先を歩いていくと、次の建物には沢山の人が列をなしている。

 

タイ側の国境にはカンボジア人とタイ人が溢れており、外国人用窓口などあるはずもなく、列の一番後ろに並ぶ羽目になる。運転手はどこかへ行ってしまった。途中なぜかトイレに行きたくなったが、荷物もあるし、列を離れる訳にも行かない。困ったな、と周囲を見ていると、運転手が遠くに立っているのが見えたので、何とか呼び寄せ、列に並んでもらい、トイレを探した。

 

結局30分以上かかって、イミグレのハンコをもらい、無事タイに入国した。運転手の誘導で先に進むと(彼は入国手続きなどしていないのだが)、そこはタクシー乗り場になっており、チャンタブリーまでの料金も明示されていた。運転手が声を掛け、1台の車に荷物を積み込み、そこで別れる。恐らくはそこからチャンタブリー行のバスもあっただろうが、人が集まらないと出発しないと言われ、ちょっと体調も心配だったので、指示に従った。1300bは決して安くはないが、まあ仕方がない。

 

チャンタブリーのどこへ行くんだ、と運ちゃんが聞いた気がする。だがタイ語なので何ともよくわからない。『町の中心』と英語で行ってみたが、彼は首を振り、そして携帯を取り出してどこかへ電話した。電話が繋がると私に携帯を渡す。耳に当てると、日本語が聞こえてきた。『どこへ行きますか』『町の中心のホテルへ』『いくらぐらいのホテルですか』『リーズナブルな料金で』『11000bでいいですか』、こんなやり取りが行われた。

 

一体この人はどこで電話に出ているかと聞いてみるとなんと『横浜』というではないか。実は彼女はこの運ちゃんと妹で、10年以上前に日本人と結婚して日本に住んでいるのだった。何とも便利だったが、それ以上に、このカンボジア国境の街から日本へ渡ったタイ人、その人生に興味を惹かれた。ただスカイプでの会話はすぐに切れてしまい、一体どのような経緯で横浜にいるのかなどは、全く分からなかった。世界が狭くなったのか、日本も国際化したというべきなのか。

 

その後ウトウトしていたら、車は既にチャンタブリーの街に入り、きれいなホテルの前に停まった。運ちゃんに礼を言って別れる。ホテルは本当にきれい、スタッフの愛想もとてもよく、気に入る。料金は1900b、部屋はコンパクトでちょっとロッジ風。窓からは遠くの教会が見える。リゾートホテルのように、吹き抜けの廊下があり、なんとも心地が良い。

 

街歩き
取り敢えずよくわからないので、バスターミナルへ行ってみる。ホテルから真っすぐ10分ぐらい。そこにはタイ各地に行くバスが出ており、明日はどこへ行こうかと迷ってしまう。まあバスが沢山あることは分り、安心して近くの麺屋でお昼ご飯を食べる。肉とすり身が入ったタイの麺、なんとなく懐かしい。カンボジアではやはりコメが主食だったが、こちらは麺もかなり多い。

 

曇り空で歩きやすいと踏み、そのまま散歩へ。大きな公園には池があり、景色がよい。街中へ戻ると漢字がちらほら見えており、やはり国境近辺には交易をする華人の姿が見え隠れする。学校や相互扶助会など、多くの華人が住んでいることが分かる。歩いている人も一目で中国系に見える。

 

フラフラっと迷い込んだ道、そこはかなり異様だった。宝石屋の看板を見たかと思うと、急にインド系やアラブ系の男たちが周囲に目立ち始め、その内ビルの中で、そして屋外で、皆が何かを覗き込んでいた。歩いている人たちも懐に何か忍ばせている。近づいてきた男が私に『これを買わないか』と差し出したのは、よくわからない石ころ。これが宝石の原石であり、ここが原石のマーケットだと理解するのに少し時間を要した。

 

そういう目で見てみると、ここは確かに市場であり、原石を鑑定している風景があちこちで見られる。チャンタブリーは17世紀ごろには現在のカンボジアあたりの山で採れた原石が集積され、世界的なマーケットが形成されていたらしい。それで華人だけでなく、インドやアラブの人々も大勢ここに集まり、商売していたということだ。この辺にそんな宝石が埋まっているのだろうか。そういえば、バンコックでも宝石の売り買いが盛んだったような記憶があるが、いまでもそうなのだろうか。

 

そこから少し歩くと川があり、橋を渡るとそこには大きな教会が建っていた。これがタイでも最大級のカソリック教会だという。初めは300年前に建てられ、1834年に現在の位置に移動、1906年に今の建物になったとある。チャンタブリーの街が300年前にはすでに宣教師が来るような街だった、そして様々な人々が行き交ったことを物語る教会ではなかろうか。それにしても教会内は天井も高く壮麗で、見ごたえがある。タイ人観光客もここを訪れ、感嘆の声を上げていた。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(2)バンコックの一日

726日(火)
バンコックの一日

翌朝はいつものようにYさんと朝のアメリカンコーヒーを飲み、それから馴染みのおばちゃんのところへ行き、コムヤーンを食べる。これがなぜか美味い!私だけでなく、食べた人間は殆どが病みつきになる。だがおばちゃんはなぜか機嫌が悪く、ぷいと向こうに行ってしまった。もう一人のおばちゃんが後を取り仕切る。言葉は全く通じないが、私のしたいことは皆わかっている。店などない。そこにあるテーブルを使い、椅子を探して座り、カオニャオをもらって、一緒に食べるだけ。150円払えば腹一杯で幸せな気分が訪れる。

 

部屋に戻ってダラダラしていると、昼前になり、NHKのお昼のニュース、そして朝の連ドラの再放送を見ると、もうランチに行く時間になってくる。今日はここをチェックアウトするのだが、昼ご飯後でよいというので、Yさんたちとランチに出る。今日は久しぶりの鴨肉麺を食す。ここのおばさんたちも相変わらず元気な様子。初めて行った5年前から時間が止まっているようだ。その後またアメリカンを飲んでいると、時間はすぐに過ぎていく。

ホテルをチェックアウトして、タクシーを呼んでもらう。明日の早朝、カンボジア国境に向かうため、Tさんから指示のあったオンヌットの宿に移った。スクンビット通り沿いにあったが、車からは見過ごしてしまい、歩いて何とかたどり着く。フロントの女性はにこにこと愛想がよい。Tさんの定宿だけあって名前を出すとさらに笑顔になる。部屋はツイン、実はシングルの部屋があるのだが、ネットで予約する場合、ツイン以上の部屋しか取れないらしい。1800b。シングルなら600bなので、次回は直接電話して予約してね、と言われる。

 

Tさんにチェックインした旨をFBで告げると、『今日高校生二人と引率の大人一人がそこに泊まるから、明日一緒に来て』と連絡がある。Tさんの村には日本から高校生までが来るのかと感心する。だが、フロントでいくら聞いても、そのような日本人の予約はないという。まあ直接来るのかと思い、宿を出て、まずは明日バスに乗る場所を確認する。BTSの駅の前に大きなスーパー、テスコがあるのだが、そこの駐車場から乗るというのでちょっと驚く。勿論この時間に行ってもバスがいる訳でもなく、なんとも腑に落ちないが、まあ指示通りにしよう。

 

それからBTSに乗り、プロンポンへ。相変わらず車内が寒い。かなり混んでおり、乗り込んでからスマホをいじっているうちに、何と駅を乗り過ごし、アソークまで行ってしまう。慌てて戻り、何とか約束の時間に待ち合わせの場所に着いた。駅構内にHISのショップがあったが、貼り出されている広告は日本行きばかり。それなりに高い料金だが、今年はタイ人が日本に100万人訪れると言われており、その勢いは十分に感じられる。

 

今日はバンコック茶会の主催者Mさんと会うことにしていた。もう一人も参加され、三人でお茶を飲む。場所はオーガニック野菜を売り物にするレストラン。日本人がタイで有機栽培の農業を始め、そのアンテナショップとして開いたお店。1階では作られた野菜などを直接買うことができる。日本人だけでなく、欧米人にも人気、そして最近は意識の高いタイ人も来店している。タイで日本人が農業することは色々な意味で充分な可能性を感じる。もっと多くの人がチャレンジすればよいなと思う。そしてその対象顧客は日本ではなく、地元に住む人々。これからそういう時代だ。

 

昨年バンコックを離れてから開けていないバンコック茶会。メンバーも続々帰国しており、再開は難しいかもしれない。やはりバンコックでも日本人は減少傾向にあるらしい。これもまた経済の影響が大きいようだ。バンコックは恐らく世界一日本人が住んでいる都市だと思うが、駐在員もリタイア組も、タイ経済の低迷、爆弾事件などテロの再発などに苦しんでいるようだ。まあ、お茶の香りのしないバンコックで中国茶などの会を開くこと自体、かなり無理があったかもしれない。

 

帰りにオンヌットのテスコ内にあるフードコートでカオマンガイを食べた。ここには何度も来て食べた記憶がある。50bあれば、蒸した鶏と揚げた鳥の両方が入って、お腹いっぱい食べられる。やはりバンコックの物価は上がったと言ってもまだまだ安い。一時の円安も少し戻ってきたので、円換算すると安く感じられる。拠点をそろそろ海外に設ける必要性がある。

 

外に出てみると夕日がとてもきれいだった。多くのタイ人がスマホで写真に収めている。宿に帰ったが、やはり日本人は来なかった。結局はTさんの記録が一日間違っており、明日は一人で向かうことになる。午前4時半にはバス乗り場へ行かなければならないが、そんなに早くに行く必要があるのだろうか、などと考えているうちに、珍しく眠れぬ夜を過ごす。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(1)チャンスの訪れ

《カンボジア・タイ 国境の旅2016》  2016725-84

 

7月はケニアに行けるかと思ったが行けず、東欧に行く予定が無くなり、モンゴルの話も立ち消えた。何となく長い休みを取った。茶旅も5年を超え、かなりの疲れが見えてきた。この疲れは肉体的な疲労でもなく、嫌でやっている訳でもないので、精神的なものとも考えにくい。結果として、お茶を追いかけすぎた、やりたいことが多くなり過ぎた、そのプレッシャーに少し行き詰ったという結論に達し、お茶とは無縁の旅をしようと決めた。

 

2014年にカンボジアのプノンペンで行われた『ドリームガールズプロジェクト』というイベントに勝手に行き、参加した。このイベントは1年に1回、カンボジアの女性にデザインを描いてもらい、優秀な作品を選び、それを企業に売り込んで、商品化し、彼女らに仕事の機会を与えようというものだった。会場のホテルには200人以上が集まり、熱気に包まれていた。

 

そこにはカンボジアで活躍する日本人が数人、プレゼンターとして呼ばれていた。イベント後、打ち上げがあり、そこにも参加させてもらった。その時出会ったのがTさん。私より一回り以上歳上だが、非常に情熱的な元自衛官で、タイとカンボジアの国境で、ポルポト時代に埋められた地雷を処理していた。処理するだけでなく、その跡地にキャッサバを植え、キャッサバ焼酎を作っているという話が気になった。その焼酎は私が会社を辞める直前、2011年に頼まれて買ってきたカンボジア土産だったのだ。

その後Tさんとは、FBでは繋がっていたものの、直接のコンタクトはなかった。ところが突然メッセージが来た。『クラウドファンディングに参加してほしい』、以前の私であれば、断っていたかもしれない。いや、返事すらしなかった可能性もある。だがここ数年アジアを歩いていて分かったこと、『ご縁は大切にする』『頼まれたことはピンチではなくチャンス』という考え方から、賛同の意を表して、早々に参加した。その特典として、『カンボジアの村に泊まれる』というのがあったのだ。

 

すぐにTさんに連絡を取ったが、彼もとても忙しい方で、実現しないかに思われた。だが7月終わり、ぽっかり時間が空いていた。ここしかない、とカンボジアの村へ行くことを決意した。カンボジアへは何度か行っているが、陸路で行くのは初めてだった。何だかバックパッカーになった気分で、まずはバンコックに向かった。

 

725日(月)
1. バンコックまで

夕方の便でバンコックに飛ぶため、いつもの電車に乗り、成田空港へ向かう。ところが乗換駅では、何のアナウンスもなかったのに、新宿まで来たら、行先で人身事故が発生していた。電車が2分遅れると謝るくせに、もっとも大事なことは乗客に伝えない、とはどういう訳だ。お陰で、先に進めず、20分間駅で待ち、しかも荷物を持った私は満員で乗れない。この状況が分かっていれば、突然別の路線に乗ったのに。

 

だが、何とか電車に乗り込み、少しでも早く行こうと、急いでいると、何と予定時間より早く着いてしまった。実は今日は時間があるので、一番安い方法で成田を目指そうとしたのだが、そのルートは安いが時間はかなり掛かることが分かった。僅か150円程度の違いで、30分以上早いなんて、成田エクスプレスなど使う必要もないな、と思ってしまう。

 

そして空港にはタイ航空のカウンターが開く前に着いてしまった。既にWEBチェックインを済ませているというと、チェックイン開始30分前から荷物預けはOKと言われ、ホッとする。このサービスは良い。すでに何人もの人が荷物を預けるために並んでいた。それにしても出発3時間前に着いてしまうとは、とほほ。それから長いこと空港で時間をつぶした。

 

定刻に出発したフライト。ここ数回乗っているお馴染みの新しい機体。きれいでよい。それにしてもタイ航空、機内プログラムがいつも同じで変化なし。日本映画は前回同様、小栗旬の『信長協奏曲』だけ。仕方なく、音楽を聴くが、これも前回と何も変わっていない。昨年から一度も入れ替えていないのではないだろうか。それでも私は竹内まりあのアルバムに聞き入る。彼女の音楽、基本的に変わっていない。特に『いのちの歌』はNHKドラマの主題歌、確か満島ひかりが主演だったと思うが、なんともいい。

そんなことをしていると、時間が過ぎて行き、空港に着いた。荷物を受け取ると、すぐにシムカードを買う。10日間で449b。円高にもなっており、1500円でネット使い放題だ。今回の目的地はカンボジアだが、タイとの国境らしいから、恐らくはこれが使えるだろう。それにしてもタクシーはいつも悩みの種。空港タクシーは料金をごまかすか、態度が悪いか。今回は久しぶりに4階の出発ロビーに行ってみる。そこにもタクシーがおり、こちらは愛想がよい。

 

2.バンコック

夜の高速はガラガラ。30分でいつもの定宿に着くと、フロントも笑顔で迎えてくれる。そして何と1年前から荷物を預けたままのKさんに連絡を取り、東京から持ってきた大型スーツケースを更に預けた。今回の帰りに荷物を入れて持ち帰るためだ。今回の旅のもう一つの目的、それがこの荷物引き取りだった。それにしてもこの宿の弱点はネットが弱いこと。ところが私のスマホではデザリングが出来ず、これが問題となる。今回は何とか解決策を見出そう。