「タイ」カテゴリーアーカイブ

カンボジア・タイ 国境の旅2016(14)パタヤの夕日

 夕焼け

部屋でエアコンを掛けて、昼寝した。一人旅でのリゾート地滞在は予想以上に厳しい。ここには見るべきものがなく、寝るぐらいしかすることもない。その後部屋から外をボーっと眺める。ホテル群の向こうに海が見える。少しずらしてみると、マンションの建設なども行われている。パタヤはタイを代表するリゾート地であり、バンコックからも一番近いリゾートだというのに、実は20数年、来たことはなかった。発展したものだな、という思いと、自然が薄れたなという思い、それぞれの感じを持つ。

 

段々夕方になってきた。暑さも少し和らいだ頃、もう一度外へ出た。風が心地よい。ビーチは既に黄昏だった。雲が垂れ込める中、強い光がそろそろと降りていく。ビーチに腰を掛け、それを見るともなく見ている。歩いている観光客もちらちらと見ている。そのうち大勢が足を止め、見入るようになる。皆が海に吸い込まれていく。

 

私はなぜパタヤに来たのか。それはやはりこの夕日、この光景を眺めるためだったのだろう。私は以前から夕日好きで、様々な夕暮れを見てきたが、この眺めは結構上位に入る。喧騒から一転、静寂の訪れ。そのギャップがよいのかもしれない。ただ日が落ちるのが何とも速い。至極の時間はあまりにも短く、日が落ちてしまうと、また喧騒が広がっていく。私もしばらくして無念の思いで腰を上げる。

 

そのままビーチの端から端まで歩いて見る。高級リゾートホテルが立ち並び、外国人観光客が多いが、中国人がやはり目立つ。2-3年前まで多かったというロシア系の姿は殆ど見られない。バーなど夜の部が開くのはまだ早く、買い物をする姿が多い。レストランを探したが、一人で入るような手軽なところはビーチ沿いにはない。少し奥に引っ込んで歩いて見ると、声を掛けられたので、すっとそこへ入る。

 

そこで焼き鳥を頼むと、ちゃんとご飯が付いてきて、飲み物を合わせても70bで済んでしまった。自動的にコーラが付いてきた。何だか面白い。しかもこの鶏肉が意外とうまい。言うことない。腹一杯食べてしまい、フラフラとまた歩き出す。特に寄る所もなく、何かしたいこともなく、ホテルに戻り、また外を眺めたが、夜景は特になかった。パタヤは何とも所在ないところだった。

 

83日(水)
バスターミナルまで

翌朝は早めに起きて、朝食へ。いいホテルの朝食は美味しいはずだ、ということで、そそくさと食事に行き、思いっきり食べた。昔家族旅行でアジアのリゾート地を回った頃も、ホテルの朝食が好きだった。北京に住んでいた頃も、わざわざ高級ホテルの朝食を食べる会を結成しようとしたこともある。ただ今回のホテルはフランス系なのに、パンも普通で期待には添わなかった。むしろおかゆを食べている方が落ち着いたはなぜだろうか。

 

荷物をまとめてチェックアウト。フロントでバスターミナルまでのトゥク料金を聞くと30b前後とのことだったので、ドアマンに呼んでもらったが、来たバイタクは60bだと言って譲らない。ドアマンもバイタクの味方となり、料金交渉には一切手を貸さない。とうとうバイクは去ってしまった。またいやな思いをした。仕方がないから自分で道路へ出て拾おうかと考えたが、ここではカルテルが成立しており、どうやってもうまくは行かないだろう。自分で歩いてバスターミナルまで行くか。かなり遠いし、道も分らない。

 

その時、日本人の家族が出てきて、ソンテウに乗り込もうとしていた。声を掛けると、150bでチャーターしたという。確かに日本円にすれば大した額ではない。私も50b支払うことで、一緒に乗せてもらうことにした。その家族には小学生ぐらいの女の子が2人いた。大阪から観光できたらしい。楽しい旅だっただろうか。奥さんが積極的で旅をリードしていた。パッケージ旅行ではなく、個人旅行をしており、色々と事前に調べて、前に進んでいた。

 

ターミナルではバンコック行バスが頻繁に出ており、すぐに出発するバスのチケットが確保できた。これまでのロットゥとは違い、大型バスで座席も広い。常に満員の盛況であり、パタヤの人気が分る。このバス、どこかで見たことがあると思っていたら、私がバンコックを拠点にしていた場所の近くを何時も通っていた。そう、いつかパタヤへ行こう、と思いながら、ついにいかなかったことに思い至る。では今回なぜパタヤに至ったのか。これも一つの流れなのか。目をつぶっていると、時が流れ、バンコック市内に入っていく。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(13)ブランドホテルに泊まるも

 82日(火)

翌朝はゆっくり起きる。やはり歩き回るとそれなりに疲れてくる。ホテルの朝食ではお粥とスープを取ったが、このスープが何とも優しく旨かった。タイのスープは辛めのものもあるが、大根などの根菜を煮込んだ、煮物のようなものもある。朝から食べ過ぎの気もするが、食べられる時に食べておく、それは旅の鉄則かもしれない。

 

11時前にホテルをチェックアウトして、パタヤへ向かう。フロントで聞くと、やはりバスターミナルからバスに乗るのがよいという。親切に教えてくれたうえ、ターミナルまでホテルカートで送ってくれた。これは本当に助かる。1㎞以上の道のりを荷物を引いていくのはかなり大変だから。ターミナルではパタヤ行バスがすぐに見つかり、120bで乗り込む。ロットゥは本当に便利な乗り物だ。

 

1時間半、昨日と同じような風景の中、バスは国道を走っている。結構乗り降りがあり、チャンタブリー‐ラヨーンより幹線であることも分る。ロットゥは私を国道脇で落とした。ホテルでも丁寧に『ロットゥを降りたら、トゥクトゥク乗り場へ行け。ビーチ付近まではかなり遠いよ』と説明されていた。バス停付近にはバイタクのおじさんたちがいたが、私には見向きもしなかった。こちらから声を掛けてみても、『そこで待て』と素っ気ない。

 

そこへ一台のソンテウがやっていた。ビーチまで20bで行くと聞こえたので、後ろに乗り込んだ。バイタクのおじさんがなにか叫んだが聞こえなかった。途中で中東系の一家を更に乗せたトゥクは幹線を左折し、街のような通りを通り過ぎ、ホテルなどがあるところを走っていく。私はどこへ泊ろうかと目を凝らしたが、いつまで経っても停まらないので、こちらから合図した。

 

6. パタヤ
豪華なホテルに泊まるも

ソンテウを降りて20bを支払おうとすると、運転手がすごい剣幕で200bと言っただろう、言い出す。これには驚いた。確かに20bは安すぎるのかもしれないが、200bとはまた何とも高い。観光地のボッタくりだ。こちらも引く気はなく、にらみ合いが続く。後ろに乗っている中東系も、何が起こったのかと、興味深そうに見ている。私は運転手に20bを押し付けるように渡し、彼はそれをかたくなに拒否した。5分位そうしていたら、彼は捨て台詞を残して去って行った。20bは最後まで受け取らなかった。

 

何が正しいのかよくわからないが、タイの観光地、プーケットもチェンマイも、このような交通利権が蔓延しており、折角楽しい観光に来た人が嫌な思いをする。わざと交通を発展させず、古くからの利権を守る人々、タイも時代が変わり、このような状況を是正しなければならないはずなのだが。特に物価が上がってきた今日、昔のような安いから許す、というレベルではなくなってきている。

 

さて、ここはどこだろうかとみると、ビーチ方面は高級リゾートホテルが並んでいる。ビーチの北のはずれに近いらしい。またここから交通手段を見付けて乗るのは、さっきの経験から言って、あまり好ましくない。仕方なく、一番安そうなフランス系のホテルへ行ってみる。ところが『本日は満員です』というではないか。さすがパタヤ、平日でも混んでいる。フロントで聞くと、系列ホテルが後ろ側に2つあり、すぐ前の方が、それほど高くないというので行ってみる。

 

そこは昔ジャカルタで泊まったことがある、ちょっとおしゃれなホテルだった。フロントの愛想もよいのだが、料金は2500b。これまで泊まってきたホテルの3倍近い。まあ、1泊ぐらい経験だと思い、チェックインすることにしたのだが、朝食も付けて、最終料金は2900bにもなっている。これまでのホテルは税サも込みで、話しているのだが、ここではルームレートのみ。ちょっと後悔したが、今さら仕方がない。

 

その部屋からはパタヤのビーチが見えたのでちょっと満足したが、広くもなく、機能的にもすごく優れているようには見えない。これで3倍払うのなら、ラヨーンのホテルに戻りたい。観光地価格、ブランド価格、色々とあると思うが、このような形で比較すると、どのホテルが価格に値するのか、もう一度見直す良い機会となる。

 

街歩き

既に昼を過ぎている。腹が減ったので、外へ出た。先ほどロットゥを降りた時はトラブルで気が付かなかったが、唐人街なる場所があった。ランチでもと思ったが、なんとも観光客用の場所で面白くないし、客も殆どいなかった。ふらふら歩いていくと、通りの横道でタイ料理の屋台などがあったが、何となく麵が食べたくなり、そこも通り過ぎた。観光地で一人ご飯は意外と難しい。

 

誰も観光客など通らない道に麺の屋台があり、そこで食べた。ある意味で、わざわざ観光地まで来て、どこでも行けるような屋台に行くのはどうかとも思うのだが、それが私の旅らしい気もする。おばさんも英語などできないが愛想がよく、好ましい。具もたくさん入っていて60bは安いのか高いのか。外で食べるのは暑かったが、それもまたよい。

ファミマで水を買い、ビーチサイドを少し歩いて見たが、やはり暑いので疲れてしまった。自分には観光地は面白みがない、ということだろうか。歩いていてもウキウキしない。高いホテルの部屋でホテルライフを楽しむ方がよさそうだった。だがプールへ行きたくとても、水着も持っておらず、一人で何をしているのかと、いやになる。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(12)ラヨーン 驚きのホテルサービス

5. ラヨーン
驚きのホテルサービス

時刻は1時近かったのでまずは腹ごしらえをしようと、その辺の店に入る。そして定番のカオマンガイを頂く。腹が減っていると特にうまい。ガイドブックを取り出すと、この大通りがパタヤを通過してバンコックまで行くことが分かった。明日はパタヤへ行こうと思いながら、まずは今日の宿の確保だ。バンコック方面に歩いていくと、日本人出張者が多く泊まるホテルがあると出ていたので、それを目指していく。

 

ところが荷物を引いて大汗をかいても、なかなか着かない。段々建物が少なり、心配になり出しても、ホテルは見えなかった。15分以上歩いて疲れ果てた頃、目指すところとは違うが道端に一軒のホテルがあったので、そこへ飛び込んでみた。こぎれいなホテルだったのでここに泊まろうとフロントで声を掛けるとなんと『今日は満室です』と英語で返ってきた。そんな馬鹿な、こんな外れたホテルがなぜ、と言っても仕方がない。疲れも手伝い完全に途方に暮れた。

 

念のため、当初目指していたホテルの場所を聞くと、『通り過ぎていますよ』と教えてくれ、『あそこなら空いているかもしれません』と言って、私のスマホの電話機能が壊れていることを知ると、自ら電話をしてくれた。そして『空いていましたよ、1100b/泊ですが、良ければ予約しますよ』とまで言ってくれる。有り難いと思い、予約してもらう。私が礼を言って歩き出そうとすると『ちょっと待って。うちのホテルカートでお送りします』とまで言い出す。

 

正直タイで、いやアジアでも宿泊客でもない人間に、ここまでサービスしてくれるホテルがあるだろうか。疲れ果てた外国人を見かねてしてくれた行動だろうが、これぞタイのおもてなし、と言ってもよいのかもしれない。ホテルカートは実に快適に道を走り、5分もしないうちに目的のホテルに到着した。運転してくれたスタッフも笑顔で去っていく。次回はぜひこのホテルに泊まってみたいと思わせるに十分の出来事だった。

 

更には到着したホテルでチェックインしようとすると、なぜか『あなたの予約した部屋は1100bではなく、950bでよい。もし大型ベットを希望すれば1300bになるがどうか』と聞かれ、迷わず安い方にした。え、こちらのホテルでもおもてなし?恐らくは競争が激しい地域なのだろう。部屋に行ってみると、周囲に高い建物もなく、部屋は相当に広く、NHKのワールドプレミアまで見られて、朝食も付き、バスタブまで完備されていて、日本円で3000円程度とは、多少古いホテルとはいえ、有り難いことだ。

 

街歩き

電気ポットがあったので、お湯を沸かし、インスタントコーヒーを飲んでみる。普段日本なら飲むこともない砂糖とミルク入りの3in1というタイプだが、これが東南アジアで疲れた体に入れると実にうまく感じられる。やはり飲み物はその土地と大いに関係している。最上階の廊下の窓からはラヨーン市内が一望できる。高いところは嫌いだが、何となく晴れ晴れしていて、心が落ち着く。

 

街歩きに出た。まだ暑い時間だったが、この街にいるのは正味半日だから、特に観光地はないと思うが、一応歩いて見ることにする。まずはバスターミナルの確認。目印になるテスコまで行き、その横を通り過ぎると、大型バスが通っていく。その先にターミナルがあり、当然ながらパタヤ行は頻繁に出ていた。直接バンコックに帰るにしてもかなり近づいている。ちょうど下校時の中高生で付近は溢れかえっていた。

 

ふらふら歩いていくと道路沿いには大きな病院があり、ここもかなりの人がいた。その先を少し入ると静かな寺院が見える。ここがワット・プラドゥーという、有名な涅槃仏の横たわるお寺らしい。中に入って見学すると、優し気な眼差しを持つ仏だが、何となく違和感があった。バンコックのワット・ポーなどいくつかの涅槃仏を拝む機会があったが、ここの仏は寝姿が普通と反対だった。これはタイでも極めて珍しいようだが、その理由はしかとは分らない。

 

この寺の敷地は広いが、本堂横にはなぜかウルトラマンが飾られている。タイのお寺で可愛らしいマスコットのような像が置かれているケースはまま見るのだが、ウルトラマンが登場したのは初めてだ。この理由も全く分からない。誰かが寄進したのだろうか。境内を散策後、外へ出る。近くには年代物の時計台があり、この辺が昔はどういう位置づけだったのか考えてみたが、思い浮かばない。

 

もう一つのお寺はひっそりとしていた。そこにはタクシン神社とも呼ばれる廟があり、中にはタクシン王の像が置かれている。タクシン王はここラヨーンに滞在してその後挙兵、トンブリ王朝を打ち立てた人物。彼は華僑だったという。その像の前にタイ人の若い女性二人が座り、熱心に祈りを捧げ、最後にスマホで記念撮影。タクシン王はタイ人にとってどのような存在なのだろうか。どうしてもタクシンといえば、今世紀のタクシンを思い出してしまうが、彼もまた華僑だったな。

夕日が沈むころ、プラプラ歩いて帰り、そしてホテルの上から夕暮れ風景を眺めた。これはなかなか見られない大きな夕暮れだった。暗くなるとホテルの裏へ行く。ここには日本食屋が2軒あった。その一つに入ると日本人がオーナーでタイ人スタッフも日本語ができた。久しぶりにかつ丼が食べたくなり注文。160bはお値打ち品だった。日本人駐在員と出張者、取引先などが食事をしていた。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(11)タイ人と華人のコントラスト

教会を抜けて歩いていくとそこには古い民家が並んでいた。そのままくねくねと進んでいくといつの間にか、川に出た。遠くに教会が見える。そこには宮があった。この辺は華人が住むのであろうか。橋を渡るとまた原石市場へ。なかなか面白い。原石市場を通り過ぎるとそこはチャイナタウン。観光用に整備された雰囲気で、古い家はあるが、きれいになっている。今やアジアのどこでもチャイナタウンはきれいになり、観光地化されている。ちょっと残念な気分になる。

数種類の色の芋を焼き芋にして売っていたので思わず手が出てしまった。売り子はタイ人女性で明るい。こうなると焼き鳥、焼き豚にも手が出てしまい、沢山持ち帰って部屋で食べることになった。この街並、川のすぐ横を平行に走っており、往時はこの川を利用して交易が行われていたと容易に推測できる。原石は川で運んだろうか、いや小さくて価値のあるものは別の運び方があったのではないか。華人は川と共にある、とはバッタンバンも同じだったな。

部屋で結構休息し、夜外へ出たが、飯を食べる場所が意外となかった。結局また麺を食べることになる。だが麺一杯だけではどうしても物足りず、ウロウロと探すと華人系の店があったので入る。そこのおばさんはつっけんどんにメニューを渡し、あまり金にならない客だとみると邪険な対応だった。料理もなぜか辛くて食べにくかった。華人はどこでも厳しい感じだが、タイ人はにこにこしていてこのコントラストはいつ見ても面白い。

 

81日(月)
朝から歩く

朝は早めに起きたが、8時前に外へ出る。何とも解放感に溢れる旅、予定もない、会うべき人もいない、見なければいけないものもない、これがこんなにも気持ちを楽にしてくれるとは正直思ってもいなかった。考えてみれば今年に入り、ミャンマー、ラオス、スリランカ、そして3月のシベリア鉄道+α、4月の雲南ラオス、福建、5月の台湾、6月の内モンゴル、湖北など、比較的激しい旅が続いてしまい、体が対応できない状況に陥っていたのかもしれない。たまにはこんな旅をして、旅の原点に戻り、リフレッシュもしよう!

 

朝ご飯はホテルの横にあるカフェに入ってみた。明るい感じの店、トーストが食べたくて入ったのだが、残念ながら英語が通じず、トーストも砂糖と蜂蜜たっぷりの代物だった。だが対応は丁寧で、コーヒーもゆっくり淹れてくれた。こんな雰囲気もまた嬉しい。この店は靴を脱いで上がるシステム。これがまたタイらしくて好ましい。料金も安くて満足した。

そのまままた散歩に出る。昨日行き損ねたお寺へ向かう。そこには涅槃仏があるというのだが、川を渡り行ってみると、そこは何と昨日も通ったところだった。ただ建物が開いているとは思わず、しかも中に大きな仏が寝ているなど想像もしなかったのだ。だが今朝はまだ早いのかどこにも入る所がない。下で若者に聞くとちょっと待て、という。少し待つとおばさんが花を持ってやってきて、鍵を開けてくれる。中の仏はまだ眠っているように見えたが、目はしっかりと開いている。

それからまた昨日の教会の前を通る。今朝は信者がテーブルを出して食事をしていた。何か集まりでもあったのだろうか。川を渡り、チャイナタウンを抜けたが、人通りは殆どなかった。既に日差しは相当に強く、歩くのも苦痛になる。急いでホテルに戻り、シャワーを浴びてチェックアウトの準備をする。10時過ぎにはホテルを出て、暑い中、荷物を引いて、バスターミナルへ向かう。

この時点までどこへ行くか決めていなかった。一番早く乗れるのがよい、と思っていたが、あまり遠いと疲れるので、それを考慮した。ターミナルでどこへ行くんだ、と声を掛けられ、なぜか口からラヨーンという言葉が出た。自分でもちょっと不思議だったが、地図で見ていたので頭に残っていたらしい。ラヨーンと言えば20年以上前、前の仕事でタイを担当した時、日本企業が沢山進出を始めた場所であり、また石油化学などの産業が発達する機運が高まっていたのをよく覚えている。きっとそのことが頭にあり、行ってみたいと思ってしまったのだろう。確かに一度も訪れたことはなかったはずだ。

 

するとおじさんが今出るロットゥがあるから急げ、という。100bで何とか乗り込む。相変わらず私の荷物は邪魔になるが、誰も文句を言わない。ここがタイの凄いところだと思う。車は快適に国道を走る。後ろの男子三人は中国人、中国語で話している。どこへ行くつもりかと思っていると、1時間半ぐらいで、バンペーというビーチリゾートの島へ行くフェリーターミナルで降りた。ここからサメット島へ行けるらしい。私もここで降りてもよかったが、どうもビーチリゾート気分になれず、そのまま乗車した。車内もだいぶ空いてきて、ポロポロ降りる人も出てきた頃、車は市内に入り、バスターミナルより前で私を下ろして走り去った。ロットゥはどこ行きだったのだろうか。そしてここはどこなんだろうか。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(10)チャンタブリーの原石市場と巨大教会

 4. チャンタブリー
国境を通過して

運転手が車を国境内へ入れる。この車はタイにも自由に行けるのだろうか。そう思っていると車を駐車して、私の荷物を持って先に進む。そこにはこれがイミグレーションかと思うような、誰もいない質素な建物が建っており、カンボジア出国は呆気ないほど簡単に終わってしまった。ああ、やはりこの国境を通る人などいないのだ、と勝手に勘違いしながら、更に先を歩いていくと、次の建物には沢山の人が列をなしている。

 

タイ側の国境にはカンボジア人とタイ人が溢れており、外国人用窓口などあるはずもなく、列の一番後ろに並ぶ羽目になる。運転手はどこかへ行ってしまった。途中なぜかトイレに行きたくなったが、荷物もあるし、列を離れる訳にも行かない。困ったな、と周囲を見ていると、運転手が遠くに立っているのが見えたので、何とか呼び寄せ、列に並んでもらい、トイレを探した。

 

結局30分以上かかって、イミグレのハンコをもらい、無事タイに入国した。運転手の誘導で先に進むと(彼は入国手続きなどしていないのだが)、そこはタクシー乗り場になっており、チャンタブリーまでの料金も明示されていた。運転手が声を掛け、1台の車に荷物を積み込み、そこで別れる。恐らくはそこからチャンタブリー行のバスもあっただろうが、人が集まらないと出発しないと言われ、ちょっと体調も心配だったので、指示に従った。1300bは決して安くはないが、まあ仕方がない。

 

チャンタブリーのどこへ行くんだ、と運ちゃんが聞いた気がする。だがタイ語なので何ともよくわからない。『町の中心』と英語で行ってみたが、彼は首を振り、そして携帯を取り出してどこかへ電話した。電話が繋がると私に携帯を渡す。耳に当てると、日本語が聞こえてきた。『どこへ行きますか』『町の中心のホテルへ』『いくらぐらいのホテルですか』『リーズナブルな料金で』『11000bでいいですか』、こんなやり取りが行われた。

 

一体この人はどこで電話に出ているかと聞いてみるとなんと『横浜』というではないか。実は彼女はこの運ちゃんと妹で、10年以上前に日本人と結婚して日本に住んでいるのだった。何とも便利だったが、それ以上に、このカンボジア国境の街から日本へ渡ったタイ人、その人生に興味を惹かれた。ただスカイプでの会話はすぐに切れてしまい、一体どのような経緯で横浜にいるのかなどは、全く分からなかった。世界が狭くなったのか、日本も国際化したというべきなのか。

 

その後ウトウトしていたら、車は既にチャンタブリーの街に入り、きれいなホテルの前に停まった。運ちゃんに礼を言って別れる。ホテルは本当にきれい、スタッフの愛想もとてもよく、気に入る。料金は1900b、部屋はコンパクトでちょっとロッジ風。窓からは遠くの教会が見える。リゾートホテルのように、吹き抜けの廊下があり、なんとも心地が良い。

 

街歩き
取り敢えずよくわからないので、バスターミナルへ行ってみる。ホテルから真っすぐ10分ぐらい。そこにはタイ各地に行くバスが出ており、明日はどこへ行こうかと迷ってしまう。まあバスが沢山あることは分り、安心して近くの麺屋でお昼ご飯を食べる。肉とすり身が入ったタイの麺、なんとなく懐かしい。カンボジアではやはりコメが主食だったが、こちらは麺もかなり多い。

 

曇り空で歩きやすいと踏み、そのまま散歩へ。大きな公園には池があり、景色がよい。街中へ戻ると漢字がちらほら見えており、やはり国境近辺には交易をする華人の姿が見え隠れする。学校や相互扶助会など、多くの華人が住んでいることが分かる。歩いている人も一目で中国系に見える。

 

フラフラっと迷い込んだ道、そこはかなり異様だった。宝石屋の看板を見たかと思うと、急にインド系やアラブ系の男たちが周囲に目立ち始め、その内ビルの中で、そして屋外で、皆が何かを覗き込んでいた。歩いている人たちも懐に何か忍ばせている。近づいてきた男が私に『これを買わないか』と差し出したのは、よくわからない石ころ。これが宝石の原石であり、ここが原石のマーケットだと理解するのに少し時間を要した。

 

そういう目で見てみると、ここは確かに市場であり、原石を鑑定している風景があちこちで見られる。チャンタブリーは17世紀ごろには現在のカンボジアあたりの山で採れた原石が集積され、世界的なマーケットが形成されていたらしい。それで華人だけでなく、インドやアラブの人々も大勢ここに集まり、商売していたということだ。この辺にそんな宝石が埋まっているのだろうか。そういえば、バンコックでも宝石の売り買いが盛んだったような記憶があるが、いまでもそうなのだろうか。

 

そこから少し歩くと川があり、橋を渡るとそこには大きな教会が建っていた。これがタイでも最大級のカソリック教会だという。初めは300年前に建てられ、1834年に現在の位置に移動、1906年に今の建物になったとある。チャンタブリーの街が300年前にはすでに宣教師が来るような街だった、そして様々な人々が行き交ったことを物語る教会ではなかろうか。それにしても教会内は天井も高く壮麗で、見ごたえがある。タイ人観光客もここを訪れ、感嘆の声を上げていた。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(2)バンコックの一日

726日(火)
バンコックの一日

翌朝はいつものようにYさんと朝のアメリカンコーヒーを飲み、それから馴染みのおばちゃんのところへ行き、コムヤーンを食べる。これがなぜか美味い!私だけでなく、食べた人間は殆どが病みつきになる。だがおばちゃんはなぜか機嫌が悪く、ぷいと向こうに行ってしまった。もう一人のおばちゃんが後を取り仕切る。言葉は全く通じないが、私のしたいことは皆わかっている。店などない。そこにあるテーブルを使い、椅子を探して座り、カオニャオをもらって、一緒に食べるだけ。150円払えば腹一杯で幸せな気分が訪れる。

 

部屋に戻ってダラダラしていると、昼前になり、NHKのお昼のニュース、そして朝の連ドラの再放送を見ると、もうランチに行く時間になってくる。今日はここをチェックアウトするのだが、昼ご飯後でよいというので、Yさんたちとランチに出る。今日は久しぶりの鴨肉麺を食す。ここのおばさんたちも相変わらず元気な様子。初めて行った5年前から時間が止まっているようだ。その後またアメリカンを飲んでいると、時間はすぐに過ぎていく。

ホテルをチェックアウトして、タクシーを呼んでもらう。明日の早朝、カンボジア国境に向かうため、Tさんから指示のあったオンヌットの宿に移った。スクンビット通り沿いにあったが、車からは見過ごしてしまい、歩いて何とかたどり着く。フロントの女性はにこにこと愛想がよい。Tさんの定宿だけあって名前を出すとさらに笑顔になる。部屋はツイン、実はシングルの部屋があるのだが、ネットで予約する場合、ツイン以上の部屋しか取れないらしい。1800b。シングルなら600bなので、次回は直接電話して予約してね、と言われる。

 

Tさんにチェックインした旨をFBで告げると、『今日高校生二人と引率の大人一人がそこに泊まるから、明日一緒に来て』と連絡がある。Tさんの村には日本から高校生までが来るのかと感心する。だが、フロントでいくら聞いても、そのような日本人の予約はないという。まあ直接来るのかと思い、宿を出て、まずは明日バスに乗る場所を確認する。BTSの駅の前に大きなスーパー、テスコがあるのだが、そこの駐車場から乗るというのでちょっと驚く。勿論この時間に行ってもバスがいる訳でもなく、なんとも腑に落ちないが、まあ指示通りにしよう。

 

それからBTSに乗り、プロンポンへ。相変わらず車内が寒い。かなり混んでおり、乗り込んでからスマホをいじっているうちに、何と駅を乗り過ごし、アソークまで行ってしまう。慌てて戻り、何とか約束の時間に待ち合わせの場所に着いた。駅構内にHISのショップがあったが、貼り出されている広告は日本行きばかり。それなりに高い料金だが、今年はタイ人が日本に100万人訪れると言われており、その勢いは十分に感じられる。

 

今日はバンコック茶会の主催者Mさんと会うことにしていた。もう一人も参加され、三人でお茶を飲む。場所はオーガニック野菜を売り物にするレストラン。日本人がタイで有機栽培の農業を始め、そのアンテナショップとして開いたお店。1階では作られた野菜などを直接買うことができる。日本人だけでなく、欧米人にも人気、そして最近は意識の高いタイ人も来店している。タイで日本人が農業することは色々な意味で充分な可能性を感じる。もっと多くの人がチャレンジすればよいなと思う。そしてその対象顧客は日本ではなく、地元に住む人々。これからそういう時代だ。

 

昨年バンコックを離れてから開けていないバンコック茶会。メンバーも続々帰国しており、再開は難しいかもしれない。やはりバンコックでも日本人は減少傾向にあるらしい。これもまた経済の影響が大きいようだ。バンコックは恐らく世界一日本人が住んでいる都市だと思うが、駐在員もリタイア組も、タイ経済の低迷、爆弾事件などテロの再発などに苦しんでいるようだ。まあ、お茶の香りのしないバンコックで中国茶などの会を開くこと自体、かなり無理があったかもしれない。

 

帰りにオンヌットのテスコ内にあるフードコートでカオマンガイを食べた。ここには何度も来て食べた記憶がある。50bあれば、蒸した鶏と揚げた鳥の両方が入って、お腹いっぱい食べられる。やはりバンコックの物価は上がったと言ってもまだまだ安い。一時の円安も少し戻ってきたので、円換算すると安く感じられる。拠点をそろそろ海外に設ける必要性がある。

 

外に出てみると夕日がとてもきれいだった。多くのタイ人がスマホで写真に収めている。宿に帰ったが、やはり日本人は来なかった。結局はTさんの記録が一日間違っており、明日は一人で向かうことになる。午前4時半にはバス乗り場へ行かなければならないが、そんなに早くに行く必要があるのだろうか、などと考えているうちに、珍しく眠れぬ夜を過ごす。

カンボジア・タイ 国境の旅2016(1)チャンスの訪れ

《カンボジア・タイ 国境の旅2016》  2016725-84

 

7月はケニアに行けるかと思ったが行けず、東欧に行く予定が無くなり、モンゴルの話も立ち消えた。何となく長い休みを取った。茶旅も5年を超え、かなりの疲れが見えてきた。この疲れは肉体的な疲労でもなく、嫌でやっている訳でもないので、精神的なものとも考えにくい。結果として、お茶を追いかけすぎた、やりたいことが多くなり過ぎた、そのプレッシャーに少し行き詰ったという結論に達し、お茶とは無縁の旅をしようと決めた。

 

2014年にカンボジアのプノンペンで行われた『ドリームガールズプロジェクト』というイベントに勝手に行き、参加した。このイベントは1年に1回、カンボジアの女性にデザインを描いてもらい、優秀な作品を選び、それを企業に売り込んで、商品化し、彼女らに仕事の機会を与えようというものだった。会場のホテルには200人以上が集まり、熱気に包まれていた。

 

そこにはカンボジアで活躍する日本人が数人、プレゼンターとして呼ばれていた。イベント後、打ち上げがあり、そこにも参加させてもらった。その時出会ったのがTさん。私より一回り以上歳上だが、非常に情熱的な元自衛官で、タイとカンボジアの国境で、ポルポト時代に埋められた地雷を処理していた。処理するだけでなく、その跡地にキャッサバを植え、キャッサバ焼酎を作っているという話が気になった。その焼酎は私が会社を辞める直前、2011年に頼まれて買ってきたカンボジア土産だったのだ。

その後Tさんとは、FBでは繋がっていたものの、直接のコンタクトはなかった。ところが突然メッセージが来た。『クラウドファンディングに参加してほしい』、以前の私であれば、断っていたかもしれない。いや、返事すらしなかった可能性もある。だがここ数年アジアを歩いていて分かったこと、『ご縁は大切にする』『頼まれたことはピンチではなくチャンス』という考え方から、賛同の意を表して、早々に参加した。その特典として、『カンボジアの村に泊まれる』というのがあったのだ。

 

すぐにTさんに連絡を取ったが、彼もとても忙しい方で、実現しないかに思われた。だが7月終わり、ぽっかり時間が空いていた。ここしかない、とカンボジアの村へ行くことを決意した。カンボジアへは何度か行っているが、陸路で行くのは初めてだった。何だかバックパッカーになった気分で、まずはバンコックに向かった。

 

725日(月)
1. バンコックまで

夕方の便でバンコックに飛ぶため、いつもの電車に乗り、成田空港へ向かう。ところが乗換駅では、何のアナウンスもなかったのに、新宿まで来たら、行先で人身事故が発生していた。電車が2分遅れると謝るくせに、もっとも大事なことは乗客に伝えない、とはどういう訳だ。お陰で、先に進めず、20分間駅で待ち、しかも荷物を持った私は満員で乗れない。この状況が分かっていれば、突然別の路線に乗ったのに。

 

だが、何とか電車に乗り込み、少しでも早く行こうと、急いでいると、何と予定時間より早く着いてしまった。実は今日は時間があるので、一番安い方法で成田を目指そうとしたのだが、そのルートは安いが時間はかなり掛かることが分かった。僅か150円程度の違いで、30分以上早いなんて、成田エクスプレスなど使う必要もないな、と思ってしまう。

 

そして空港にはタイ航空のカウンターが開く前に着いてしまった。既にWEBチェックインを済ませているというと、チェックイン開始30分前から荷物預けはOKと言われ、ホッとする。このサービスは良い。すでに何人もの人が荷物を預けるために並んでいた。それにしても出発3時間前に着いてしまうとは、とほほ。それから長いこと空港で時間をつぶした。

 

定刻に出発したフライト。ここ数回乗っているお馴染みの新しい機体。きれいでよい。それにしてもタイ航空、機内プログラムがいつも同じで変化なし。日本映画は前回同様、小栗旬の『信長協奏曲』だけ。仕方なく、音楽を聴くが、これも前回と何も変わっていない。昨年から一度も入れ替えていないのではないだろうか。それでも私は竹内まりあのアルバムに聞き入る。彼女の音楽、基本的に変わっていない。特に『いのちの歌』はNHKドラマの主題歌、確か満島ひかりが主演だったと思うが、なんともいい。

そんなことをしていると、時間が過ぎて行き、空港に着いた。荷物を受け取ると、すぐにシムカードを買う。10日間で449b。円高にもなっており、1500円でネット使い放題だ。今回の目的地はカンボジアだが、タイとの国境らしいから、恐らくはこれが使えるだろう。それにしてもタクシーはいつも悩みの種。空港タクシーは料金をごまかすか、態度が悪いか。今回は久しぶりに4階の出発ロビーに行ってみる。そこにもタクシーがおり、こちらは愛想がよい。

 

2.バンコック

夜の高速はガラガラ。30分でいつもの定宿に着くと、フロントも笑顔で迎えてくれる。そして何と1年前から荷物を預けたままのKさんに連絡を取り、東京から持ってきた大型スーツケースを更に預けた。今回の帰りに荷物を入れて持ち帰るためだ。今回の旅のもう一つの目的、それがこの荷物引き取りだった。それにしてもこの宿の弱点はネットが弱いこと。ところが私のスマホではデザリングが出来ず、これが問題となる。今回は何とか解決策を見出そう。

 

バンコックお寺巡り2014(3)地下鉄工事で大渋滞

ワットサケット

陽が西に傾き始めた。カオサンから今日最後の訪問先であるワットサケットまではちょっと距離がある。街歩きが仕事のような私は疲れを覚えたが、Iさんは驚くほどに元気だった。これもヨーガの成果なのだろうか。道もちょっと分かりにくかったが、運河を越え、何とか辿り着いた。タイの寺はタイ語の看板しかないところ、また俗称を使っているところもあり、ここが本当に目的地なのか、迷うことがある。この寺もそうだった。

DSCN2232m

 

ここは小山の上に本堂がある。登り口で入場料を支払う。ちょっと奇妙な置物などもある。そして意外や登っていく人が多い。その理由は登って行ってみて分かった。眺望がよいのだ。欧米人などはここから夕陽を見ようと頑張っている。しかし登るのはそれなりに大変。頂上までの高さは78mほどある。

DSCN2234m

DSCN2237m

 

堂内にも沢山の仏像が安置されている。一周回ってみる。更にてっぺんに上ることが出るようだが、遠慮しておいた。外にも仏塔があり、実に多彩だ。これまで歩いてきたどの寺とも違う。何故だろうか。ガイドブックにも要塞のような寺、となっている。これには何か訳があるのではないか。だが特に何の説明もない。

DSCN2236m

DSCN2241m

 

もう時刻は4時を過ぎた。そろそろ帰宅ラッシュが始まりそうな気配がある。丘を降りて、寺を後にし、広めの道路に出ると、既に車が詰まり始めていた。ここでタクシーが拾えないと大変だと思い、周囲を見渡すと、ちょうど1台見つかり、乗り込む。これで安心。ホテルには予定より早く着いてしまうが、それもまたよし、などと勝手に思いを巡らした。

 

地下鉄工事で大渋滞

ところが事態は驚いた方向へ進む。車が全く動かないのだ。初めはちょっとした事故でもあったのかと思ったが、10分で100mも進まないことにイライラしてくる。勿論運転手もそうだろうが、タイ人はこのような時にイライラしているという様子を決して見せない。ここが中国人との決定的な違いだ。中国人の方が我々により近いと感じる瞬間だ。

 

30分経過しても殆ど動いていない事態にはさすがのタイ人も苦笑する。それでも運転席から外へ出て、事情を確認しようとしない姿勢は凄いとしか言いようがない。タイ人の真骨頂はズバリ忍耐、だ。逆に忍耐強いIさんが『私は歩いていきたい』と言い出す。私もそうしたいのだが、BTSの最寄り駅まで何キロあるのかさっぱり分からない。下手に降りてしまえば、あとでタクシーを拾うことも難しく、道を間違えればそれこそ路頭に迷うので自重した。

 

Iさんとの会話もなくなり、ただ時間だけが過ぎていく。タイに来てこんなことは初めてだ。そしてついに渋滞の原因に行き着いた。そこは地下鉄工事現場となっており、今日の作業の撤収が行われていた。その作業の間、通行が遮断されただろうし、そもそも道が片側通行だった。これはかなりひどい工事だと思うが、タイ人は慣れっこのようだ。しかしそこを過ぎても直ぐには着かない。約束の6時は過ぎてしまい、ホテルで待ち合わせているIYさんには携帯で遅刻を告げる羽目になった。

 

タクシーに乗り込んでから、何と2時間後、ようやくBTSのサラデーン駅に着いた。当初はサパンタクシン駅へ行くはずだったが、そこの渋滞を避けた結果だが、とにかくタクシー内が寒いので、早く脱出したいという事情もあった。足が凍り付いたように動かず、上手く歩けないほどだった。一種のエコノミー症候群かもしれない。それでも歩き出すと何となく元気になっていた。

 

ご縁

BTSに乗ろうとすると、携帯電話が鳴る。既にほぼ電池切れ状態だったが、その電話は和尚からだった。帰りにレモンかライムを買ってきて欲しい、というもので、相当に弱っていた。一日寝たのに治らないらしい。明日は8時間のバスの旅と聞いている。大丈夫か?ホテル近くのショッピングセンターのスーパーに寄る。レモンを探したが、何と2個で360バーツ、日本円で1000円を超えていたので驚いて持った手を離した。何でこんなに高いんだ。確かにタイでレモンは殆ど見ない。高級輸入食材らしい。横にライムがあり、小さい物が4つで35バーツだったので迷わずそちらを買う。

 

ホテルに戻り、和尚の部屋を訪ねると、多少回復した様子の和尚が出てきて少し安心した。が、引き続き物は食べられないというので、そこで別れた。そしてロビーへ戻り、待ち合わせたIYさんに連絡する。彼女はこのホテルの横のマンションに住んでいるのである。実は2か月前にIさんから『バンコックで泊まるホテル』を教えられた次の日、たまたまIYさんの家を訪ねた所、何と横にそのホテルがあったのでビックリしたのだ。

 

そしてよく考えてみれば二人とも兵庫県西宮付近の人。IYさんは日本茶アドバイザーで私のお茶会のサポート役、これも茶縁というのだろうか。そこで二人を引き合わせることにし、3人で楽しく食事をした。だが、私は疲れからか、またタクシー内の寒さからか、体調がすぐれずに十分に食べることが出来なかった。もしやするとランチの食事のせいかもしれない。帰りのBTSでは疲れのあまり、不覚にも寝入る。明日の夜行便で日本へ帰るのだが、果たして大丈夫なのか。和尚の心配どころではなくなっていた。

バンコックお寺巡り2014(2)心地よいカオサンのお寺

ワットアルン

続いてワットアルンに向かう。ワットポーから川へ向かい、そこから渡し船に乗る。暁の寺、と呼ばれるワットアルンは、三島由紀夫の小説で有名。私も中学生の頃に読んで、ちょっとタイに思いを馳せたことがあったのを思い出す。初めて実物を見たのは夕暮れ時で、川の上から夕日に輝く仏塔を眺め、美しいと思った。

 

今回は昼間であり、特に情緒もなく、到着してしまう。近くへ行ってみると何と修復工事中で、足場が組まれていた。前回来た時はチケットを買うのにすごく並んでいたので、裏側に回り、裏門入場したが、今回はその必要もないほど空いていた。入場料50バーツ。いつもは高いところには上らない私だが、今日はIさんのお伴ということで、ある程度登ってみる。川がよく見える。意外と景色が良い。普段と違うことをするにはやはり他力本願?だな。

DSCN2210m

 

それにしてもこの仏塔には小さな像が一体いくつ安置されているのだろうか。この細かさ、それはタイ特有のモノなのだろうか。ちょっと不思議な感じがする。何か目に見えない、何かがあるのでは、と考えてしまう。三島由紀夫もここへ来て、何かを見たのだろうか。エメラルド仏をワットプラケオに持っていかれた、その寂しさが現れているのだろうか。

DSCN2213m

 

日差しがかなり強くなってきた。小舟で対岸に戻る。そろそろ昼の時間だ。この辺にレストランはあるのだろうか、と思っているとIさんが『ここでいい』という。それは渡し船の船着き場にある店。欧米人が沢山食事をしていたが、決してきれいとは言えない。それでもチャレンジしてみることにした。

DSCN2216m

 

炒飯とスープ、そして野菜炒めを頼んだが、なかなか運ばれてこない。明らかに店が回っていない。お客が多い上に効率が悪い。ようやく来た炒飯、どう見ても70バーツの価値はない。ここは場所で持っているのであり、競争原理が働いていないのが良く分かる。華人と思われる女主人が切り盛りしているが、こういう店には気を付けたほうが良い。衛生管理も十分ではない。

 

ワットマハタート

午後はラーマ1世が建立したワットマハタートからスタート。王宮の脇を通り、立派な寺院が見えたので入って行く。団体観光客が列をなして入っていき、記念写真を撮っている。何だここは。何となく違うぞ。そう、何とワットプラケオに入ってしまったのだ。この辺が俄かガイドの悲しさ。エメラルド仏が安置されている本堂は、特に中国人観光客に人気のようで、そこかしこで中国語が飛び交う。

DSCN2219m

 

我々はすごすごと退散する。何しろここは王宮とセットとは言え、入場料500バーツは高いし、和尚の指示にない寺だった。さらに北上する。王宮前広場の脇を歩いていると、小さな門があり、そこを潜ると寺があった。ここがタイ仏教界の多数派、マハーニカイの総本山とはちょっと思えない規模だ。先ほどのワットプラケオの方が遥かに立派に見える。そしてどこが本堂か分からず、まごまごしていると、タイ人の女性がこちらだ、というポーズをして中に入って行く。

DSCN2223m

 

我々も続いて中に入ると、そこには黄金の仏像が安置されている。思わず前に乗り出すと『そこはお坊さんが座る場所』と指示され、後ろに下がり、仏を拝む。3人しかいない、静かな世界。完全に世俗から離れた一瞬を感じた。その時、一番偉いお坊さんが座るであろう椅子に、猫が我が物顔に座っていた。その顔には明らかに『ここは俺の席だ』と書いてある。この猫、只者ではない。誰かの生まれ変わりなのだろうか、それとも乗り移り?

DSCN2224m

 

タイ人女性は毎年チェンマイから必ずお参りに来るという。質素な身なりだが、きっと由緒ある家柄の女性なのだろう、と思わせる、何かを持っている。このお寺には観光客など一人もいない。ここに毎年わざわざ来るにはそれなりの理由があるのだろう。彼女は英語もできるのだが、そのような立ち入った質問をさせる雰囲気もない。

 

寺を出て更に北上すると、名門タマサート大学がある。国立劇場、国立博物館とマハタートに挟まれた小さい空間。ここに英知が結集している。何故こんなところに大学を作り、そして今もそのままあるのだろうか。その南側には昔の図書館のような建物もある。何か事情があるのだろうが、今は知るすべがない。

DSCN2227m

 

ワットボウォーンニウェート

暑さが相当に厳しくなってきた。王宮前広場の横には日差しを遮る場所が少ない。だがIさんは元気に歩いていく。私は彼女に付いていくのみ。道はカオサンに入って行く。バックパッカーの街、私には縁のないところであり、殆ど来たこともない。道沿いには安宿から旅行会社、両替所など、必要なものは何でも揃っているように見える。

 

疲れたので休もうということになり、スタバに入る。だが冷房が強すぎるという理由でそこを出た。そしてオープンカフェを探して入ると、何ともいい風が吹いていた。注文したコーヒーも美味しいとIさんは言う。疲れた体を労り、何だかとても幸せな気分になる。ここはカフェもあるが、ゲストハウスらしい。安宿ばかりではなく、ちょっとお洒落な宿も出来てきている。

DSCN2229m

 

そしてカオサン内にある有名寺院、ワットボウォーンニウェートへ行く。思い出したのは、一昨年一級寺院巡りをしていたS氏のお伴でこの寺に来たことがあるということ。カオサンにあるというだけで、何処か軽く見られがちだが、ラーマ4世による創建。ここはタイ仏教界の2大派閥、タマユット派の総本山であり、現プミポン国王が出家して修行された場所としても知られている。

 

このお寺の本堂に座るとどこからともなく、いい風が吹き込んでくる。ここに座っていたいという衝動が抑えられなくなる。それはどうしてなのだろうか。そのように設計されているからなのだろうか。何か、見えない何かがあるのは間違いがない。懸命に祈っている女性がいる。ずっと動かない男性がいる。信仰とは本来こういうものだよ、と見せてくれている気がした。

DSCN2231m

 

ずーっとここに座っていたかった。それは前回来た時と全く同じ感覚だった。不思議としか言いようがない。既に信仰心など殆どない私が落ち着く場所、それがここなのだ。お参りの人は三々五々やって来ては、座っている。自分のペースに合わせて座り、そして去る。恐らくは日々それを繰り返している。心地よいのだ。安定するのだ。

DSCN2230m

 

 

バンコックお寺巡り2014(1)ワットポーは気持ちいいのだ

《バンコックお寺巡り2014》  2014年12月23日

 

シェムリアップツアーからバンコックに戻った。明日の夜行便で日本へ帰り、4年ぶりに日本で正月を過ごす予定だ。だが、その前に1つのミッションがやってきた。先日バンコックエアーでシェムリアップに一緒に行ったIさんが、バンコックに来ていた。明日から瞑想センターに入るという。その前日バンコックのお寺巡りをしたいというので、付き合うことにした。

 

するとその瞑想センターには和尚も一緒に行くのだとか。それならバンコック案内も私ではなく、本業の和尚に任せることにして、私はランチあたりに合流しようと、シェムリで話は決まっていた。シェムリからバンコックに戻るフライトはIさんと和尚が一緒、私はまたまたバンコックエアーに乗り、別になっていた。明日は午前中、旅行記でも書いて、と思っていたが、世の中は思い通りには行かないものだ。

 

突然の電話

朝7時半前に電話が鳴る。この時間の電話はほぼ間違い電話。そう思って取ると、弱弱しい和尚の声が聞こえてくる。何と昨晩食中りを起こしたらしい。かなりの重症のようだが、責任感の強い彼は私にガイド交代を依頼してきたのだ。突然のことに驚いたが、まずはホテルへ行かなければならない。

 

ところが私の宿泊先から、Iさんと和尚が泊まる、リバーサイドのホテルまでは相当に遠い。時間を節約するために、いつもは乗らないバイクタクシーでBTSの駅へ行き、延々とBTSに揺られ、ホテルの最寄り駅で降りて、またバイタクを捕まえて乗る。何とか1時間で到着した。

 

ロビーにはIさんと和尚が待っていた。和尚は見た感じ、それほど具合が悪そうでもなかったので、今日の寺巡りの手順、彼の推奨するルートを聞き、更にはホテルから最寄りの渡し舟の場所まで案内してもらった。元々和尚がいた寺はこの近くであり、まあ彼の庭のような場所なのだ。

 

和尚に見送られて小舟に乗る。3バーツ。通勤や通学の乗客、全て地元民だ。チャオプラヤー川をすぐに渡り、対岸のサパンタクシンへ。ここでまた船を乗り替えて、北上する。ここには観光用ボートと一般人用ボートの2つがある。観光用は英語のアナウンスがあり、40バーツ。一般用は15バーツ。私は先日息子と乗ったばかりなので、一般用で十分と思い、こちらへ。前回はチャイナタウンで降りたが、今回はその先のワットポーを目指す。

DSCN2192m

DSCN2197m

 

ワットポー

突然のご指名でもワットポーぐらいは行ける。ということで、100バーツの入場料を支払い、中へ進み、有名な涅槃像を久しぶりに拝む。長さ46m、この堂の大半を占めており、写真を撮るにも、撮り難い。バンコックを拠点にしてから、この寺に来ることは一度もなかった。観光用の寺には用はなかった。だが、この涅槃像の足裏を見ていると、何だかクラクラ来た。自分が回っているような気分になる。突然赤塚不二夫の天才バカボンを思い出したのには、自分でも苦笑する。

DSCN2198m

 

朝方であり、お客はそれほど多くない。日差しもまだそれほど強くはない。無料の水が配られ、それを貰い木陰で飲むと涼しい。ご本尊を拝んでいるのはタイ人、そしてそれを眺める外国人。ゆっくりと寺院内を歩く。そんな経験もここ数年なかった。仏像の並ぶ伽藍があり、何となく琉球を想起される像があったりする。この像は何なのだろうか?どんどん歩いていくと僧坊の方に出てしまった。ここにも沢山の僧侶が暮らしている。和尚からは是非ここのマッサージを受けるようにと言われていたので、そちらへ向かう。

DSCN2204m

DSCN2202m

 

かなり広いスペースでマッサージが行われている。ワットポーマッサージといえば、タイマッサージの元祖とも言われ、スクンビットにも支店があるほど有名だ。変わり者の私は一度行った時に満員でマッサージを受けられなかったことを根に持ち?それ以降近寄ろうとはしなかった。今回は指示通り動く。予想外に待つことなく案内された。足マッサージ1時間、420バーツを頼むと、私はズボンを履き替えさせられた。

DSCN2205m

 

ツボの押し方は的確で、ちょっと驚くほど、気持ちが良かった。日本人客が多いのか、簡単な日本語を話す女性マッサージ師。何だかすぐに時間が過ぎていく。こんなに気持ちいいならもう1時間と思ったが、足が終わり肩を揉んでもらうために起き上がり、入口を見て驚いた。既に何十人もの人、特に欧米人が列を作って待っていた。我々が入った時点が最後の軌跡。ワットポーは朝の参観、そして歩き疲れたら、いや疲れてなくてもマッサージがお勧めだ。