カンボジア・タイ 国境の旅2016(10)チャンタブリーの原石市場と巨大教会

 4. チャンタブリー
国境を通過して

運転手が車を国境内へ入れる。この車はタイにも自由に行けるのだろうか。そう思っていると車を駐車して、私の荷物を持って先に進む。そこにはこれがイミグレーションかと思うような、誰もいない質素な建物が建っており、カンボジア出国は呆気ないほど簡単に終わってしまった。ああ、やはりこの国境を通る人などいないのだ、と勝手に勘違いしながら、更に先を歩いていくと、次の建物には沢山の人が列をなしている。

 

タイ側の国境にはカンボジア人とタイ人が溢れており、外国人用窓口などあるはずもなく、列の一番後ろに並ぶ羽目になる。運転手はどこかへ行ってしまった。途中なぜかトイレに行きたくなったが、荷物もあるし、列を離れる訳にも行かない。困ったな、と周囲を見ていると、運転手が遠くに立っているのが見えたので、何とか呼び寄せ、列に並んでもらい、トイレを探した。

 

結局30分以上かかって、イミグレのハンコをもらい、無事タイに入国した。運転手の誘導で先に進むと(彼は入国手続きなどしていないのだが)、そこはタクシー乗り場になっており、チャンタブリーまでの料金も明示されていた。運転手が声を掛け、1台の車に荷物を積み込み、そこで別れる。恐らくはそこからチャンタブリー行のバスもあっただろうが、人が集まらないと出発しないと言われ、ちょっと体調も心配だったので、指示に従った。1300bは決して安くはないが、まあ仕方がない。

 

チャンタブリーのどこへ行くんだ、と運ちゃんが聞いた気がする。だがタイ語なので何ともよくわからない。『町の中心』と英語で行ってみたが、彼は首を振り、そして携帯を取り出してどこかへ電話した。電話が繋がると私に携帯を渡す。耳に当てると、日本語が聞こえてきた。『どこへ行きますか』『町の中心のホテルへ』『いくらぐらいのホテルですか』『リーズナブルな料金で』『11000bでいいですか』、こんなやり取りが行われた。

 

一体この人はどこで電話に出ているかと聞いてみるとなんと『横浜』というではないか。実は彼女はこの運ちゃんと妹で、10年以上前に日本人と結婚して日本に住んでいるのだった。何とも便利だったが、それ以上に、このカンボジア国境の街から日本へ渡ったタイ人、その人生に興味を惹かれた。ただスカイプでの会話はすぐに切れてしまい、一体どのような経緯で横浜にいるのかなどは、全く分からなかった。世界が狭くなったのか、日本も国際化したというべきなのか。

 

その後ウトウトしていたら、車は既にチャンタブリーの街に入り、きれいなホテルの前に停まった。運ちゃんに礼を言って別れる。ホテルは本当にきれい、スタッフの愛想もとてもよく、気に入る。料金は1900b、部屋はコンパクトでちょっとロッジ風。窓からは遠くの教会が見える。リゾートホテルのように、吹き抜けの廊下があり、なんとも心地が良い。

 

街歩き
取り敢えずよくわからないので、バスターミナルへ行ってみる。ホテルから真っすぐ10分ぐらい。そこにはタイ各地に行くバスが出ており、明日はどこへ行こうかと迷ってしまう。まあバスが沢山あることは分り、安心して近くの麺屋でお昼ご飯を食べる。肉とすり身が入ったタイの麺、なんとなく懐かしい。カンボジアではやはりコメが主食だったが、こちらは麺もかなり多い。

 

曇り空で歩きやすいと踏み、そのまま散歩へ。大きな公園には池があり、景色がよい。街中へ戻ると漢字がちらほら見えており、やはり国境近辺には交易をする華人の姿が見え隠れする。学校や相互扶助会など、多くの華人が住んでいることが分かる。歩いている人も一目で中国系に見える。

 

フラフラっと迷い込んだ道、そこはかなり異様だった。宝石屋の看板を見たかと思うと、急にインド系やアラブ系の男たちが周囲に目立ち始め、その内ビルの中で、そして屋外で、皆が何かを覗き込んでいた。歩いている人たちも懐に何か忍ばせている。近づいてきた男が私に『これを買わないか』と差し出したのは、よくわからない石ころ。これが宝石の原石であり、ここが原石のマーケットだと理解するのに少し時間を要した。

 

そういう目で見てみると、ここは確かに市場であり、原石を鑑定している風景があちこちで見られる。チャンタブリーは17世紀ごろには現在のカンボジアあたりの山で採れた原石が集積され、世界的なマーケットが形成されていたらしい。それで華人だけでなく、インドやアラブの人々も大勢ここに集まり、商売していたということだ。この辺にそんな宝石が埋まっているのだろうか。そういえば、バンコックでも宝石の売り買いが盛んだったような記憶があるが、いまでもそうなのだろうか。

 

そこから少し歩くと川があり、橋を渡るとそこには大きな教会が建っていた。これがタイでも最大級のカソリック教会だという。初めは300年前に建てられ、1834年に現在の位置に移動、1906年に今の建物になったとある。チャンタブリーの街が300年前にはすでに宣教師が来るような街だった、そして様々な人々が行き交ったことを物語る教会ではなかろうか。それにしても教会内は天井も高く壮麗で、見ごたえがある。タイ人観光客もここを訪れ、感嘆の声を上げていた。

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