階段をかなり上っていくと、大江広元の墓(祠のよう)が見える。その横には広元の四男、毛利季光が並んでいる。この毛利が、あの戦国、幕末の毛利の初代だという。三浦一族にくみして宝治合戦で敗れ、自刃したとある。広元は頼朝、義時の重臣。大河ドラマでは北条政子を想う男、として描かれていたような。
そこから島津の墓へは何と一度階段を下りて、もう一度上り直す必要があるため断念。横から写真だけ撮る。昨年12月鹿児島県出水市に行った際にも、忠久の墓に遭遇している。忠久は頼朝の命で九州へ行き、そこから島津家が始まったようだが、一説には頼朝の子ども、というのがあり、江戸時代に島津家がここの修繕をしたらしい。いずれにしても、幕末の薩長がここに並んでいるのが面白い。
ランチはMさんに連れられて、鎌倉駅近くで食べる。昼からカウンターで懐石風、を堪能する。そして何とこのお店の名物はラーメンなのだとか(別に大船でラーメン屋も経営)。最後に出てきて感激する。季節の野菜などを使って美味しいものを出しているのだが、狭い店内で、店員さんを何度も叱っているのは、今のご時世には合わないかな。Mさん、ご馳走様でした。
午後は寿福寺へ。ここも初めて。北条政子の寺と聞いていたが、栄西開山ということで、一度訪ねてみようと思った。ここは頼朝の父、義朝の館があった場所だともいう。ただお寺の境内には入れない。横の道を歩いて裏に回ると墓地がある。大佛次郎や高浜虚子などがここに眠っている。この奥の方の横穴に、北条政子と源実朝の墓があった。何だか呆気ないご対面となる。改めて政子と実朝の歴史に思いを馳せる。
帰りがけに坂を下っていると、昔のお屋敷を使ったレストランがあった。Mさんはここでお茶会などを開催しているようだが、本日は定休日で見学できず。次回もし開いていたら、中を覗いてみたい。旧家の庭、書斎や本棚を見るのが何となく好きだ。
最後にMさんのご自宅へ向かった。閑静な住宅街、こちらでお茶や書の教室が開かれ、沢山の生徒さんが通っているという。何とも言えないいい雰囲気の中で、お茶を入れて頂く幸せに浸る。西鎌倉といえば、以前何度かセミナーをやらせて頂いた場所のすぐ近くだと知る。
私は電車にしか乗らないので、鎌倉駅から西鎌倉は遠いと感じていたが、車だとかなり近いんだなと思う。そういえば、新入社員の研修で、この辺の資産家の家を回ったことを突然思い出す。何とも懐かしい。夕日が落ちる鎌倉高校駅前では、今もカメラを構えたアニメファンがいるのだろう。Mさんがわざわざ大船駅まで車で送ってくれた。今回はお世話になってしまい、恐縮至極。
帰りはJRでダラダラ行くつもりだったが、何故か川崎で降りてしまう。何となく行きと違うルートで帰りたかっただけなのだが、南武線の方に向かっていると、かき揚げうどんという文字が目に入る。ふらっと入っていくと、なんとカウンターの目の前でかき揚げを挙げているではないか。
ここは立ち食いうどん屋のコンセプトに、揚げたてを売りものにしており、ちょっと興味を引かれる。食べている人も半数は女性だったから、意外とうまくいっているのかもしれない。かき揚げ自体は、さすが揚げたてで美味い。そして大きい。スープも合格点なので、今後も近くにあれば行きたい店だった。それから稲田堤を経由して京王線で帰宅した。