横浜歴史旅2022(2)掃部山公園と音楽堂

中華街をよく見ながら歩くと、かなり古い建物が見られる。そういえば半年前に閉店した老舗の聘珍楼、既に店があったことも分からないようになっていた。賃料が高額で負担できなかったとの話もあるが、本日見る限りかなりの人出があり、コロナがもう少し早く収束していれば、あるいは生き残れたかもしれない。これも中華街の栄枯盛衰か。最近はレストランではなく、占いコーナーがすごく増えたと感じるが、これもまた世の流れだろうか。

お昼はお知り合いのKさんと食べる。Kさんが選んでくれた店は、まさかの東北料理。いや、これまで中華街のイメージは広東中心の南方系が主流だったが、最近は中国人のための中華ニーズからか、東北系の進出が目立っているようだ。午後1時頃でも店は満員。店員は勿論お客も中国人が多く、中国語がそこかしこで飛び交う。これもまた新たな中華街だろうか。中華街は食べ放題の店が増えてしまい、観光客向け。ここで働く人などの食事も必要だ。

そこからKさんと散歩がてら、桜木町駅方面へ向かう。横浜公園を通り掛かったので、横浜開港初期の功労者の一人、英国人土木技師ブラントンの胸像を紹介する。長く横浜界隈に住んでいても、公園を散歩することがあっても、この胸像には気が付かなかったと。歴史とはそういうものだろう。

桜木町駅でKさんと別れた。この駅の横に操車場?があり、その跡地で中国鉄道展が開かれ、30日間東京の王子から毎日バイトで駆り出されたのは、あれはちょうど40年前の夏休みだった。懐かしいというか、あれは何だったのだろうかと思ってしまう。初めて中国人民(運転手さん)と中国語で言葉を交わした思い出の地。

そこから少し坂を上っていくと、神奈川県立音楽堂がある。この付近に横浜の大茶商、大谷嘉兵衛の屋敷があったらしいが、今やその痕跡は全く見付けられない。音楽堂の裏は掃部山公園と書かれている。掃部山というぐらいだから、日米修好通商条約の井伊直弼ゆかりだろうか。直弼も幕末の大茶人だから、茶の歴史とは深い関係にあるが、今日はこの公園をパスした。因みにここは明治5年の鉄道開業に際して、外国人技師の官舎などが建てられていたらしい。今年は鉄道開業150年、何かしらの因縁を感じる。

更には立派な能楽堂という建物もある。ここは旧前田家の敷地だったらしい。その横に目的地の県立図書館があった。この図書館が出来た経緯なども知りたいと思い、入ってみたら、何と月に一度の特別休館日。何と間の悪い日に来てしまったのだろうか。後悔先に立たず、だな。

仕方なく市立図書館へ回ってみる。所在地は野毛山。戦前は原善三郎や茂木惣兵衛など、大物の屋敷があったと書かれている。今は動物園か。こちらは普通に開いていたので、調べ物をする。少しのつもりが意外と時間を取り、外へ出たら既に真っ暗。トボトボ桜木町駅方面へ歩いて行くと、その辺は野毛の飲み屋街。何だかなあ、と思いながら、電車ですぐに帰った。

ところが東横線で渋谷まで来るうちに、すごく腹が減ってしまい、渋谷で夕飯を探す。ふらふらと川沿いを歩いていると、『とん汁定食』という文字が見えたので、古い定食屋かと思い入ってみた。その文字とは裏腹に、かなりおしゃれなお店で、店員も若者、お客も若者という、イメージとは違う店だった。

何だか旨そうなアジフライもあるというので、セットにして食べる。豚汁は野菜がゴロゴロ入っており、意外といける。ご飯も選べるし、雰囲気も良い。何だかよくできているなあと思って調べてみたら、かつやの系列店だった。なるほどと妙に納得して帰路に着く。まあ1000円は決して安くはない。

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