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広東客家茶旅2025(8)魚生から茶葉世界、そしてKCRで湾仔へ

車に1時間乗り、河源市内に戻る。今朝チェックアウトした宿にまたチェックインする。全く同じ部屋にまた入る。安定感が良い。夜は陳さんが魚生を食べに連れて行ってくれた。潮汕地区では生の魚を食べると知っていたが、まさか客家地区でも食べるとは驚きだった。勿論あちらは海の魚、こちらは川魚の違いはある。

店はかなり繁盛しており、地元民が普通に刺身を食べている様子が分かる。我々のテーブルにもすごい量の魚(一匹分)が乗せられる。魚は非常にしまっている。そこに生姜やピーナッツ、ゴマなどをかけ、最後に茶油を垂らして食べると旨い。勿論醤油とわさびで食べても良いというので、驚くほどの量を食べてしまった。これは良い経験だった。

7月13日(日)深圳経由香港へ

河源最後の朝。宿でご飯を食べてから散歩に出た。ここに来てからずっと陳さんにお世話になっており、最後は一人で歩きたかった。街中なので大きな公園を目指した。朝は幾分爽やかだった。公園はかなり広く、朝からマイクで歌っている人々がいた。多くの塑像が置かれているのが目を惹く。

宿に帰る前にコンビニに寄った。何気なく店に入り、ポカリを持ってレジへ行ったが、誰もいなかった。レジ台には自動レジが置かれていたので、何とか微信で決済した。さあ、宿へ帰ろうとドアを押したが開かない。何度やってもダメ。狭い店中を探したが店員はどこにもいない。どうすればよいか分からず焦ったが、自動レジに呼び出し機能があり、ちゃんと人が話し始めた。何と店を出るには微信でQRコードをスキャンする必要があったのだ。まさかこんな仕掛けとは思わず、本当に焦ってしまった。無人店舗、店のドアに注意書き位貼って欲しい。

宿を出て車を呼び、駅へ行く。もう慣れたもので何の心配もなく高鉄に乗れる。深圳北駅まで約1時間。行きは直通だったが、帰りは羅湖に寄るため、ここで下車する。深圳の地下鉄網は発展し過ぎて、どれに乗るか迷う。何とか乗り換えて羅湖まで30分ほどかかる。腹は減っていないので、そのまま茶葉世界に入っていく。

鳳凰単叢の李さんとの約束時間には少し早かった。ちょっとフラフラしていたら、何と旧知の春桃と出会った。台湾茶の店はもう息子夫婦に譲ったと聞いていたが、この日は店に彼女しかなかったので、昔話をした。ところが私が梅州、河源で客家茶の歴史を見てきたというと彼女は「私の祖籍は河源。私の一族はそこから江西に移動した客家」というではないか。知り合ってから25年も経っているのに、実は何も知らなかった。次回チャンスがあれば、彼女の故郷へ行ってみたい。

李さんの店へ行き、鳳凰単叢を購入する。3月に一度来て持って帰った宋種という単叢がとても評判がよく、また買いに来たわけだ。ちょうど常連客がやってきて、お茶を飲みながら一緒に話をした。お茶だけでなく、日本への興味も相当あるようで、話があちこちに飛んでいく。その合間を縫って何とかお茶を購入したのだが、その支払いに支付宝を使ったところ、香港に渡ってから、支払いが出来ていないと連絡があり焦る。それでも何とか支払いが出来て信用を保てた。これも微信のお陰だった。

日曜日の夕方、羅湖には香港へ帰る人々が多くいた。それでも以前に比べれば入出境はそれほど混んではいなかった。それでも香港側の羅湖駅には乗車を待つ人が大勢いたので、今回は奮発して頭等車に乗り込み、何とか席を確保した。次の上水駅では頭等も立っている人がかなり出た。やはり週末は混んでいる。

慣れ親しんでいるKCR(現在はMTR)だが、今日の宿がある湾仔へ行くにはどこで乗り換えるのか思い出せず、GoogleMapに頼る。すると思いもかけないルートが出てきた。何とこのまま乗っていれば湾仔に着き、予約した宿まで駅から歩いて数分だというのだ。調べてみると湾仔のコンベンションセンターに駅が出来ていて、羅湖からホンハム、そしてハーバーを渡って湾仔、金鐘が終点となっていた。これには驚くしかない。

広東客家茶旅2025(7)龍川 桂林茶の産地へ

昨晩張会長が話してくれた茶亭。今も現存している場所に案内された。そこは田畑の続く道の先にあった。この道自体が歴史を感じさせる石を敷き詰めた道であり、その昔は旅人がここを通っていたという。そこにある茶亭とは、旅人が一服する場所であり、休息を取り、茶を振舞われた。往時は何百という茶亭があったらしいが、今は歴史遺跡としていくつかが残されていた。中は意外と広く、湯を沸かした場所もあった。夏休みで帰省していた若夫婦と子供たちが遊んでいたが、これは何とも絵になる風景だった。茶亭は日本の四国の茶堂(お接待の場)を思い起こさせる。またお接待といえば「奉茶」と繋がるだろうか。

佗城の街中はいい感じに古びていて、中国のどこの街にある老街とは異なり、昔のままであった。陳さんの知り合いの店を訪ねると、以前街のリーダーだったという男性が色々と話をしてくれた。この近くの桂林という村でかなり茶が作られているという。いつでもどこでも濃い緑茶は飲まれている。今回は地元新聞の記者が同行しており、かなり細かい話をヒアリングしていた。

その桂林村へ向かった。また小雨が降り出したが、何とか到着。そこには77歳の欧陽老師が待っていてくれ、まずはランチを食べる。田舎の食堂と侮るなかれ。トマトスープは濃厚な味わいがある。豆腐冬瓜豚肉鍋は極めて滋味深い。ここの地鶏も肉と骨がきっちり付いており、歯ごたえがすごい。飯を頼まず、おかずだけをひたすら食べ、大いに満足する。

そこから山道を狭い道を走り、義都鎮へ入った。本当に昔ながらののどかな村であり、斜面の所々に茶樹があった。欧陽老師が老茶樹を指さして、斜面をどんどん上っていく。雨がかなり強くなり嵐のようになる中、我々も続いて登ったが、途中からかなり危険な状態となる。それでも這って登り切り、何とか記念写真に納まる。喬木、樹齢200₋300年らしい。

そこから降りるのはもっと大変だったが、皆さんの助けを借りて、何とか降りきる。村人の家に入ると、何ともいい雰囲気の木のテーブルがあり、村人と共に濃いお茶をだらだらと飲む。全て手作りの家具。雨で涼しくなった室内には、なんとなく温もりがあった。標高はそれほど高くないが、冬は寒いだろうか。

更に近くの茶工場を見学する。新しい機器を入れ、規模を拡大して、桂林嶅顶峰茶を製造している。そして皺老板と欧陽老師に連れられて山道を車で登っていく。かなり高い山、標高1000mあたりに茶畑が広がっていた。ただ強烈な雨が降り出して、車から出ることも出来なくなる。これは台風の影響だろうか。

少し小雨になったところを見計らって、建物内に入る。ここは山の上の小さな茶工場。製茶はほぼ全て手作業で行われるという。聞いてみると、ここのお茶も昔から釜炒りであり、晒青緑茶はない。茶畑を見て売ると老板が茶樹の下の土を掘り起こし、「茶樹に適した土。福建の岩茶のような場所」との説明がある。更には霧がすごく、雲霧茶とも呼ばれている。確かにこの風景は素晴らしいが、この急斜面の茶摘みは相当大変だろう。

雨が止み、下山する。山の上はかなり涼しかったが、いや寒かったが、村は暖かかった。帰り際に欧陽老師の家に寄り、その茶工場を見学する。こじんまりした手作り感が素晴らしい。77歳になっても様々なお茶を学び、作り、それを伝えている様子に感動する。村から出る所に、急須のモニュメントがあり、桂林茶を売り出そうとする行政の様子も見て取れた。

広東客家茶旅2025(6)河源で客家茶の歴史を聞く

約1時間で河源東駅に着く。途中にあった龍川西駅がちょっと気になる。駅には陳さんが迎えに来てくれた。陳さんは広州茶市場で出会った李さんからの紹介だった。河源市茶葉協会の秘書の女性が車を運転してくれた。何とも有難い。街に入るとそれなりに発展しているのだが、陳さんは「河源は発展が遅れ、生活はかなりスロー」という。そこが魅力なのでは、と感じる。

小雨が降っていることもあり、茶畑見学は明日となり、茶荘に入る。そこにいたのは茶の歴史についても詳しい邱さん。10年以上前に作られた釜炒り緑茶が振舞われ、「釜炒り緑茶は老茶になっても美味しく飲める」との説明を受ける。確かにこの緑茶、何となくミャンマーシャン州で昔飲んだ緑茶に似ているかもしれない。

更に客家擂茶について聞いてみると、「この地域には擂茶の習慣はないが、私の生まれ故郷にはある」といい、なんとその場で擂茶実演会が開かれてしまう。邱さんはじめ、陳さんなども実にうまく大きな擂こき棒を操るが、私は昔台湾の北埔で経験はあるものの、ほぼ腰砕けとなる。この様子を見ていると、確かに客家の一部に擂茶の習慣がある、と言われれば頷いてしまう。そして擂茶を飲んでみると、何とも美味しいのが印象的だ。

次に向かったのは百信という茶荘。ここは標高800mの山中で茶業と民宿を経営しており、茶畑もそこにあるという。ここもお茶は釜炒り緑茶が中心。煮出して飲む方法が一般的だったというのは先ほどの茶荘と同じ話だが、最近は椀で淹れる人が増えているという。椀で淹れた茶の方が滑らかな感じがする。本当は山の上の民宿を訪ねたかったが、今回その機会は得られなかった。

最後に茶葉協会会長張さんのところへ行く。彼は市議会の代表も務めているようで、会議が終わると戻ってきてくれ、河源茶の歴史について熱く語ってくれた。沢山の資料もくれた。梅州ではこのような専門的な人と逢わなかったので、これは大変有り難く、客家茶全体の歴史を理解する上で大いに役に立った。客家山歌や茶亭の話などは特に興味をそそられる。

更に張会長が晩御飯をご馳走してくれた。苦瓜、豆腐、河魚、春雨など、実に味付けの良い料理が並んで、美味しく頂く。これらの料理はかなりの日本人が好きだと思うが、日本には客家料理専門店を見かけないので、ここで思いっきり頂く。張さんは酒も飲まずにず、ひたすら私に茶歴史を語ってくれ、本当に有り難い。

宿は茶葉協会がアレンジしてくれた。洗濯機があったので洗濯を試みたが、乾燥機が小さくてなかなか乾かない。するとホテルスタッフが色々と気を使ってくれ、部屋で乾燥できるものまで持ってきてくれたのは有難かった。更にはドリンクを買おうとしたら、無料のドリンクを出してくれるなど、サービスは手厚い。やはり外国人が来ることなどほぼないからだろうか。

7月12日(土)龍川のお茶

翌朝も陳さんが迎えに来てくれ、車で1時間走り、龍川という街へ行った。客家はかなり以前に中原からやって来た、という説があるが、南部へ移動後、落ち着いたのが龍川だったという話しがあった。調べてみると紀元前秦国時代に南海郡が置かれ、後に南越国を建国する趙佗などが嶺南一帯を統括した。佗城鎮には今もその頃の城跡が残っている。

また街中には「越王井」という場所があった。趙佗に関する井戸が今も置かれており、水も出ている。ここはベトナムのキン族などの祖先と言われている百越の地。百越は非漢族系民族とも言われ、往時の南部には漢族は多くはなかった中、客家との関連をどのように考えるべきだろうか。

広東客家茶旅2025(5)梅州を離れる

そのまま車で帰路に就く。途中潭江鎮でランチを食べることにした。適当に見つけた食堂に入ると、何だかいい匂いがしてきた。まずは豚肉スープから始まる。スープが重要でしかも安いのは、ここも同じ。更に周囲の人も食べていたのは、何と水煮魚。四川料理の代表銘柄だが、この店の看板メニューだという。しかも食べてみるとかなり美味しい。やはり山間の街なので、川魚を使った料理として取り入れられたのだろうか。老板娘が先ほど行った村の茶を飲ませてくれた。

帰りは雨も止んで快適だったが、この雨をもたらしたのが台風だと聞き、ちょっと驚く。こんなところに台風が来るのだろうか。しかも調べてみると、私が台北を出る時に出会った台風が、何とその先でV字に進路を変更して、劇的に梅州方面へ入ってきたというのだから、これはもう因果応報だろうか。お陰で涼しかったとも言えるが、ダムの貯水量はかなり増していた。

梅県まで辿り着くと雨も上がっていたので、客家祖祠に行ってみる。そこは意外と大きな敷地があり、客家百姓と書かれたボードには漢族の主要な姓が網羅されている。客家とは何か、さっき畲族村で持った疑念が、違う形で膨らんでいくのを感じる。何となく分かるのは、「よく分からないのは、民族間の融合がかなり進んだ結果」ではないか、ということだろうか。

夜は梅県中心部、繁華街へ行ってみた。車を降りるといきなり「犬肉」の表示があり、ちょっと驚く。客家は犬肉を食べるが畲族は伝統的に犬を食べない(言い伝えでは犬が祖先)ので、この辺りから違いが見出せるのかもしれないが、既に同化して久しい場合はどうだろうか。

繁華街は、今や中国のどこにもあるような、少し古い町並みを利用して飲食店や土産物屋が並んだ老街だったが、雨のせいか、観光客は非常に少なく、閉まっている店もあり、なかなか食事にありつけない。結局一周回って、また手作り麺とスープに落ち着く。しかしこれが美味いので満足して帰る。

7月11日(金)河源で客家擂茶

梅州最終日の朝、トミー家の近所で朝食を取る。折角なので麺以外で探すと、やはり腸粉が目に入る。これは潮州式腸粉だろう。ついでにワンタンスープも頼む。これはかなりボリュームがあって旨い。店内を見ると午前9時頃でもほぼ満席の盛況。人気店だと分かるが、ここの人たちは朝ご飯に時間をかけている。

そのまま郊外のお寺へ行ってみる。ここは一昨日行った雁南飛の近い所で、同じ道を走っている。約30分で到着、運転手は待っていてくれるというので帰る心配はなくなった。小雨が降る中、傘をさして霊光寺を目指す。周囲を山に囲まれているが、その斜面に茶畑が見える。ただ茶畑まではかなり距離があり、しかも急斜面のため、下から見上げるだけにした。ここも一種の観光茶園になっている。

寺に入ると、かなり新しい雰囲気がした。1980年代、恐らくは文革の被害に遭った寺を再建するために寄付したのは、海外に移住した人々だった。壁に描かれたプレートでそのことが分かる。所謂探親が始まり、華人が故郷を訪れる機会が増え、貧しい故郷に金を置いていったのかもしれない。客家もかなりの人口が海外に出ている。

寺から市内に戻り、荷物を持って車に乗る。ついに梅州を離れることになった。3泊したが、予想以上の成果があった。しかしそれ以上に謎は深まったように思う。小雨の中、梅州西駅に辿り着く。「客都」という文字が見られ、ここはやはり客家の里だな、と思いながら、高鉄に乗り込む。さすがに乗客は多くはない。

広東客家茶旅2025(4)鳳坪畲族村の茶

また従妹の店へ行った。そこから郊外の観光地、雁南飛へ向かった。車で30分ほど行くと、山深い中に観光施設があった。残念ながら雨が降り始め、建物の中に逃げ込む。そこはお茶の試飲を勧める他、お茶や茶器を売っていた。かなり広いスペースで眺めも悪くない。そこで従妹の娘とその友達も合流した。

彼らと一緒に傘をさして茶畑を見に行った。かなり深い森の中で、茶畑は良く見えなかったが、ここでお茶が生産されている様子は分かった。もとは釜炒り緑茶、今は紅茶でも白茶でも何でも作っている。やはり釜炒り緑茶だけでは利益は上がらないようだ。

夕飯はそこのホテルのレストランで食べた。昨晩食べなかった梅菜扣肉、釀豆腐、塩焗鶏(これらは香港では広東料理の店でも提供されている)など、客家の名物料理が次々登場した。前菜の蘿蔔干はたくあんのようで、実に美味い。勿論スープとお粥も忘れられない。保存食の概念からか基本的にしょっぱいのだが、私にはとても合っている。

7月10日(木)鳳凰山の裏山へ

翌朝はトミーの従兄弟が車を出してくれ、かなり遠い場所へ行くことになった。まずは梅県を出たあたり、高速に乗る手前で朝飯を食べる。客家腌麺は昨日の朝も食べたが、是非もう一度食べたいと思っていた。ただ本日は麺ではなく腌粉であり、豚肉の入ったスープ麺だった。これまた旨い。テーブルに昔のポットが置かれており、お茶が入っていた。やはり客家は日常的に茶を飲んでいる。

昨晩雨が降ったので山路は難しいだろうと高速道路に乗り、潭江鎮まで行く。ここは川が流れており、集落が大きい。そこから山沿いを走り、約2時間かかって豊順県鳳坪畲族村に辿り着いた。ここは潮州鳳凰山の裏側に当たるが、ここまでは梅州の管轄だという。梅州は広い。

畲族村なので、畲族の説明書きが広場にあり、中には「中国畲族故里」とも書かれている。鳳凰山石古坪との関連はどうなっているのだろうか。そこには鐘氏祖祠が建っており、近くには藍氏祖祠もある。如何にも畲族の村だが、人口1000人の内、畲族は600人余り、残りは漢族(客家)らしい。この広場から上は畲族、下は客家と住み分けされている。

周囲には茶畑もあり、建物はかなり立派で裕福な感じがする。ちょうどバイクで通りかかった人が声を掛けてくれ、取り敢えず彼の家で茶を飲むことになる。場所からして客家の人なのだが、苗字は鐘だという。「あなたは客家?」と質問すると一瞬迷いながら「そうだ」と答えたが、「実は畲族の家に婿入りした漢族の子孫の苗字は鐘を名乗るのだ」という謎の説明があり、戸惑う。畲族の姓は藍、雷、盤、鐘の4つだと言われているが、その中にも区別があり、また漢族との同化を示すヒントがあるということか。

この鐘さんの自宅兼茶工場はかなり立派な建物だった。聞いてみるとやはり若い頃は深圳で出稼ぎしており、数年前にこちらに戻ったらしい。それは鳳凰単叢ブームと関連がありそうで、単叢を作ってかなり儲かったという。確かにこの辺は梅州とは言っても、ほぼ潮州エリアであり、土壌、気候も鳳凰山と変わらないため、高騰した鳳凰単叢の廉価版として茶がかなり売れるらしい。鐘さんの家族は梅県に住んでいるというから、子供の教育にもお金がかけられるのだろう。

ここでお茶がいつから作られているのかは分からない。ただ石古坪にも烏龍茶発祥の地だという人がいるので、ここも数百年前から茶樹はあったことだろう。そして現在は梅州管轄だが、潮州の管轄だった時期もあるに違いない。釜炒り緑茶でなく、烏龍茶系が作られていてもおかしくはない。確かに鐘さんの単叢は美味しい。

鐘さんに教えられて、山を更に登っていくと、そこにはインスタ映えする茶畑が広がっており、単叢の製造過程が壁に描かれている。この道をそのまま登っていくと鳳凰山の山頂に到達し、反対側を降りれば、鳳凰鎮へ行けるというから、本当に近い所へ来た感触がある。鳳凰単叢がブームになり、茶畑が拡大している様子が顕著だ。

広東客家茶旅2025(3)梅県清涼山を冒険する

7月9日(水)梅州清涼山へ

朝は気持ちよく目覚める。この宿は恐らくマンションを改造して作った宿泊施設で、大きな湯舟があるほか、何となく無駄な作りが多い。宿の朝ご飯、客家腌麺を食べてみる。他の麺と違って、麺を茹でてそこにネギをちょっと乗せただけの実にシンプルな汁なし麺が出てきて驚く。でもこの麺がなぜかうまい。梅州では常にこの麺にお目にかかり、常に美味しく頂いた。

それからトミーと落ち合い、車を呼んで郊外の茶産地を目指した。車は少し走るといきなりわき道から山を登り始めた。梅県市内からこんな近くに山があり、そこがかなり厳しい坂だと知り、驚いた。道路は舗装されており、走るには問題ないが、人も車も全く見られない中、車はどんどん上っていく。思いの外山深い、民家もほぼない場所まで我々は連れていかれた。

山の斜面に茶畑が見られた。2軒ほど茶農家らしい家もあった。そこで我々は車を降りた。私は帰りを大変心配したが、トミーは「冒険しよう」と言い、運転手は何も言わずに去っていった。昨日はかなり暑かったが、今日は曇りで暑くはないのでフラフラ歩いてみる。トミーは小型ドローンを飛ばして遊んでいる。標高800m、山の斜面に茶畑が徐々に広がっていく。

少し歩いて行くと立派な建物があり、その横には公衆トイレまであった。ここは村の茶業会社の建物のようで、中に人がいたので入ってみた。お茶を淹れてくれた男性は50歳程度で、子供の頃からお茶作りをしているという。この地域の茶の歴史は古く、明末か清初には茶樹があったと聞いているらしい。ただ古い茶の木は既に無くなっているという。

ここでは伝統的に釜炒り緑茶が作られており、1970年代の茶工場が建てられ、商業生産化がなされた。近年は同じ広東省英徳の茶師から指導を受け、紅茶生産も始まったという。飲ませてもらったところ、緑茶はかなり渋みがあり、昨日飲んだ客家茶、という感じがする。紅茶は生産開始後数年しか経っていないが、意外に香りがあり、美味しい。

お茶を少し購入させてもらい、また歩き始めた。向こうに茶畑が良く見えるテラスがあり、写真を撮った。ここに「1968年ここに知識青年が文革で下放されてきたこと、その後茶工場が建てられた」ことなどが説明されていた。確かにここは街に近い割に奥深い山だからちょうどよかったのかもしれない。最後の知識青年が帰ったのは1982年、そして現在その青年たちが昔を懐かしみ、ここを訪れているらしい。この付近には民家があり、民宿もある。

歩いてもと来た道を戻る。雨が降ったら困ると思ったが、何とかもっている。しかし車は1台も通らない。人もいない。これで帰れるのかかなり心配になる。ずっと歩いて行くと、家があり、その横に小さな茶工場があった。覗き込むと製茶している。話を聞くと、茶を飲ませてくれると言い、家に案内された。

梁さんは40歳。幼い時から茶に親しみ、若い頃は深圳に働きに出ていたが、志を持って帰農した。お茶作りにはとても熱心で緑茶の渋みを取るために、黄茶の製法を一部取り入れた茶を作っていた。家の前には鶏がゆっくり歩いているが何とも良い。雨模様になった時、梁さんが「街まで送って行こう」と言ってくれ、我々は無事の帰還を果たした。

広東客家茶旅2025(2)初めての梅州

7月8日(火)いざ梅州へ

朝は早く起きて、外へ出た。Iさんと8時に早茶する約束でネーザンロードを歩いて行く。ちょうど行列が出来ていたので「飲茶は朝から行列か、さすが尖沙咀」などと考えていたら、8時ちょうどに列が動いた。ところが何とその列は無料の新聞を貰うために並んでいたと知り、ちょっとビックリ。

何とか広東レストランに辿り着き、Iさんと再会。何とここにはお客はほとんどおらず、またビックリ。好きな点心を注文して、ポーレーを飲み、実にゆったりと早茶を楽しむ。Iさんの健康状況などの話を聞くと、明日は我が身か、と思える内容。貰った新聞を広げる暇はなかった。

宿に戻り、チェックアウト。これは簡単でよかった。そのままMTRで一駅、オースティンへ行く。ここと西九龍駅は連結しているので、とても楽だ。西九龍駅はいつできたのかも分からず、初めて利用する。かなり大きなターミナル駅であり、しかも北京や上海など、中国全土にここから行くことが出来る。何と香港出境だけでなく、中国入境手続きもここで行うので、後は列車に乗るだけでよい。昔のホンハム‐広州より更に簡易だ。

ここでトミーと落ち合った。彼は回郷証などを持っており、更に入出境は簡単だと言い、出発ギリギリに現れた。車内はそれほど混んでおらず快適。最初はトンネルが多かったが、深圳からは見慣れた風景。そして僅か2時間半ほどで梅州西駅まで来てしまった。さすがに西九龍‐梅州西は1日1本しかないが、深圳経由は頻繁に列車があり、非常に便利だと分かる。

駅で車を呼び、トミーの従妹のところへ行った。お茶を売る店だった。そこで遅い昼ご飯を頂く。梅州の中心地、梅県では、昼過ぎは店が閉まってしまうというので、弁当を買っておいてくれたのだが、このご飯(魚飯)が実に美味かった。鶏肉なども新鮮で、かなりの量があったが、あっという間に食べてしまった。梅州の食事にかなりの期待を持つ。

そして梅州のお茶として出てきたのは、釜炒り緑茶だった。かなり濃い目で、日本的には食後の番茶を頂いているような感じがした。茶荘で売っているのはプーアル茶などが多いようだが、地元のお茶は炒緑だそうだ。台湾に渡って来た客家の人々に炒緑を飲む習慣はあるだろうか。

車を呼んで客家博物館へ行く。梅州は基本的に客家の街であり、台湾の桃園、新竹、苗栗あたりで茶作りをしている客家の故郷もこの辺が多いと聞いていた。博物館は古めかしい建物にあり、最近の中国の現代的、大型博物館とはちょっと違っていてよい。中の展示は、勿論客家の歴史が詰まっており、勉強になることが多い。梅州には元々瑶族や畲族が住んでいたとも書かれており、古代から融合が始まっているように思えた。ただ客家とは何者か、という基本的な問いに完全に答えてくれているようにも思えない。

一度従妹のところに戻って、また茶を飲んで過ごす。夜は古い街中にあるレストランで客家料理をご馳走になる。客家もスープは欠かせない。そしてこれが実に美味しく、広東料理、また潮州料理に通じるものがあるだろう。客家料理の定番を外してもらうと、見たことが無い物が並ぶが、いずれも味がしっかりしており(少し塩気が多い)、美味しく頂く。

夕食後、従妹のお兄さんが車で梅県を案内してくれた。川沿いを歩いていると風がとても気持ちが良い。この川沿いには新しいショッピングモールなどが建ち、上はマンションにもなっている。ただ梅県全体では、その発展スピードは他地域と比べてゆっくりであり、それゆえ、私などはどこかホッとしてしまう。この従兄弟はかなり海外に興味があるようで、色々と聞いてきて面白い。新市街地にあるホテルまで送ってもらう。梅県もかなり広域になっている。

広東客家茶旅2025(1)九龍城へ飛ぶ

《広東客家茶旅》  2025年7月7日‐15日

台北に滞在しているが、中抜けして香港へ出た。目的地は広東省梅州。もう6‐7年前から行きたくて仕方がなかった場所。コロナを経て今回ようやくたどり着いた客家の里。果たして客家はどんなお茶を作り、どんなお茶を飲んでいるのか。台北で難を逃れた台風がまさかのV字旋回で広東へ。

7月7日(月)香港 九龍城で

香港空港でもスムーズに入境した。まずはシムカードを手に入れる必要がある。前回(2年前)ここで失敗し、実名登録が出来ずに繋がらなかった苦い思い出があり、何とか二の舞を避けようと店を探してみたが、やはりセブンしかなかった。仕方なく入り、シムカードが欲しいというと、シムが渡され、「手続きが分からないなら向こうにいる担当がサポートする」と言い、その女性があっという間に登録を完了して、使えるようになった。やはりトラブルが多かったんだな、と分かる。98香港ドルで中国と香港で使えるというのは便利だ。

空港バスで尖沙咀に向かった。バスは快適に走り、天気はすごく良い(暑い)。約1時間でネーザンロードに着き、降りた。今日の宿はペニンシュラーの裏なのですぐに到着したのだが、何とチェックインに大行列が出来ていた。午後2時前から30分以上かかってようやく部屋まで辿り着く。部屋は古びているが、まあ仕方がない。立地が良いのでお客が押し寄せている感じだ。

すぐに外へ出た。近所の茶餐庁で噂の叉焼丼を食べようと思い探してみると、何と市場の跡地?にフードコートのような場所が出来ていて、色々好きなものを選んで食べられる。まあ立地上観光客向けだとも思うが、意外と地元民も食べている。私も慣れない広東語で叉焼飯と凍檸茶を注文し、頬張る。ちょっとは気分が出て良かったが、私がなぜ昔から叉焼飯を食べなかったのがよく分かった。米が合わないのだ。

そこから歴史博物館まで歩こうとしたが、あまりの暑さに途中でバテテしまった。ちょうど銀行の手続きが必要だったので、中へ入ると涼しい。だが非常に混んでおり、何と1時間も待つハメになってしまった。おまけにその手続きは元々不要だと分かり、本当に避暑のための滞在となってしまう。

気を取り直して博物館まで歩き、何とか中へ入る。ここは8年ぶり。残念ながら昔の面影はまるでなく、香港の歴史に関する展示はほぼ無くなっていた。代わりに展示されていたのは偉大なる中国史。何となく中国内の博物館と似ている感じとなっており、そそくさと退散した。香港の現状を垣間見た思いだ。

一度宿に戻り、疲れを癒す。しかしこの暑さは異常だろう。夕方MTRに乗って九龍城へ向かう。さすがに5時台になり少し暑さが和らいでいた。九龍城付近も少しずつ変化があり、店なども代わっていた。昔よく行った茶荘も場所が少し変わっており、老板もいなくて店員は追い出さんばかりの対応でちょっと残念だった。

時間が余ったので九龍城公園を歩いていると、今年大ヒットした映画のセットを再現した場所があり、係員が「今ならすぐに入れるから見て行って」と整理券をくれた。この映画、私も東京で見たのだが、最近目が弱くなっており、アクション物は見ていられなくて困った。だが日本人でこのセットを目当てにわざわざ香港まで来る人がいると聞いており、一応チラッと覗いてみた。午後7時までやっているのは素晴らしい。それから公園を散策していたら、やはり汗をかいてしまった。

夜7時半、楽口福というレストランへ行く。ここもあの映画のロケ地らしく、雰囲気は良い。今晩は先週台南でマンゴーを一緒に食べたメンバーと再会した。先週も潮州の話しで盛り上がっており、この場所が設定されたようだ。だが映画のヒットで日本語メニューなども出来ていたにもかかわらず、お客さんは多くなかった。この辺のギャップが良く分からない。1954年創業のこのお店。ちゃんと工夫茶が出てきて嬉しい。滷味も美味しく、魚も美味なのになぜお客がいないのか。台南に引き続き、楽しい夜を過ごす。

ある日の台北日記2025その3(4)図書館から木柵へ

7月4日(金)図書館から木柵へ

今朝は東門へ行き、扁食乾麺を食べる。暑いのでちょうどよい。それからバスで光華商場へ向かう。今回USBメモリを持ってくるのを忘れてしまい、まずはこれを入手してから図書館へ行こうと考えた。光華商場はキレイなビルになっており、昔のごちゃごちゃした雰囲気はもうない。11時開店で開いている店は少なく、その中でUSBを探したが、私が欲しい簡単なメモリは見付からず苦労する。

何とかゲットしてMRTに乗り図書館へ向かった。昨年の地震で閉鎖された6階はまだ修復されていなかった。取り敢えず頼まれた調べ物をしようと1階へ行ったが、何と図書館カードを忘れてしまった。カウンターで解決策を聞こうとしたが、何と「館内ネットワークがダウンしており、使えません」というではないか。

仕方なく2階で新聞を見ようと思って行ったが、100年前の新聞のコピーは非常に読みにくく、参考にはならなかった。そこでどうしても調べたい用語だけを係員に頼んで調べてもらったが、思うような答えは得られなかった。その後ネットは回復したようだが、私には時間が無く、調査は後日となった。

ここからMRTを乗り継ぎ、更にはバスにも乗って木柵まで行った。逆に早く着きすぎたので、政治大学内をフラフラしてから、茶荘に向かった。先日猫空で炭焙煎を見学し、そのお茶を手に入れるために訪問した。老板も出てきてちょっと話をしたが、何となく忙しいようだったので、早々に退散した。

帰りがけに馴染みの店へ行き、食べたい物を食べたいだけ注文した。今回の滞在はかなり食べ過ぎだとは分かっていたが、どうしても食べてしまう。魯肉飯にシラスをかけ、大根スープ、キュウリをバクバク頂く。やはりこういうご飯が安定しており、また台湾らしくて、美味い。夜は陸上日本選手権を見る。

7月6日(日)日本選手権を見ながら

週末の午後は陸上日本選手権を見ていた。女子100mハードルはかなりの接戦で見応えがあった。田中希美も良かった。でも全体的に見ると、世界で戦うのはかなり厳しい。今年の世界陸上は東京開催だから、一人でも多くの日本人選手を出場させたいところだが、単に出るだけでは意味がないように思う。

広州炒飯を食べた。なぜ広州と付いているのか、基本は五目炒飯であり、そこにエビとハムが入っているのが広州だろうか。因みに広州炒麺という名前もあるが、何が入っているのだろうか。次回は試してみよう。肉羹も好きなメニューだが、食べる機会が無かった。広州炒飯の隣の店は昨年入ってイマイチだったが、いつの間にか店が変わっており、入ってみた。味はまあまあだった。

日曜日の夜は通常でも開いてみる店が減るのだが、何と台風が近づいており、天気が悪くなっていき、遠出は難しい状況となった。仕方なく一番近い麵屋へ行ったが、何と休みだった。その先に最近流行りの弁当屋があったので、買って帰った。キャベツがどっさり入っており、鶏肉が意外とおいしい。雨が強くなっていく。

7月7日(月)台風の中 香港へ

早朝は幸い雨が降っておらず、MRTで台北駅へ行き、そこから空港行に乗り換えて、桃園空港まで難なく着いた。空港は夏休みなのかかなり混んでおり、香港シムを買おうとしたがかなりの行列。しかもそのシムはかなり高くて買わずに通過する。荷物検査は日本に比べてスムーズでさほど時間はかからず、自動ゲートから直ぐに出国できた。

搭乗時間になると、雨風が相当に強くなり、出発が危ぶまれた。飛行機も動き出さず、一時はダメかと思ったが、何とは飛び立った。珍しく窓際の席に座り、外を眺めていたが、飛べばもう揺れもほぼない。僅か1時間ちょっとのフライト。一応ご飯は出たが、後は国内線のような感じで、ほぼ定刻に香港に到着した。

ある日の台北日記2025その3(3)苗栗 宝元紀を見学する

今日訪ねるのは世界の靴王と呼ばれた宝成の老板が最近作ったという施設。彼はビジネスで儲けた資金をかなりプーアル茶収集に充てたと言い、その一部が公開されているというので出掛けてみた訳だ。駐車場から入り口を入ると、そこは日本的な庭になっており、既に広大な敷地であることが分かる。案内の人に聞いてみたら、11haの敷地の内、現在使用されているのは2haだけだと言っていたが、それでも歩いて行くとのその広さが実感できる。そこには日本から庭師を招いて作った本格的な日本庭園があり、一部は台湾的な庭との融合も試みられていて素晴らしい。お茶を飲める空間もあり、遠くに高速道路が見えた。

建物に入ると、そこでお茶が供された。お茶を淹れてくれた女性はトミーやジャッキーを見てすぐに分かったようだ。やはり茶業界の有名人と一緒にいると対応が違う。ここにはお茶関連の本や可愛い文具なども売れられており、何だか誠品みたいな空間になっていた。日本語の本もあり、私が見知ったものも並んでいて驚いた。

お茶の展示はこちらのブランドのプーアル茶だけ(しかも2004年以降のもののみ)であり、沢山収蔵されたという古いプーアルは見られなかったが、現在別の建物を改修中で、将来はそこに展示されるのかもしれない。世界の喫茶文化を展示するコーナーもあり、ここが茶文化の発信基地を目指していることも分かる。

隣の建物に食堂があり、そこでランチを食べる。ハンバーガーとパスタがあり、パスタを選択する。ドリンクはサービスで提供された。茶葉アイスもあり、サンプルを食べさせてもらったが、なかなか美味しい。ここでオーナーの蔡さんを見かけた。既に80歳を超えているとのことだったが、お元気そうだ。実は私は30年前この靴王とビジネス上で少しだけ関係があり、蔡さんを見るのはそれ以来で、ちょっと感慨深い。

更に別の建物には喫茶コーナーがあり、実においしそうなケーキが並んでいた。何と日本人パティシエが企画に関わっているという。実はここは京都に支店があり、相当深く京文化を学んでおり、日本をかなり意識して取り入れている。次回は京都のお店にも行ってみよう。2階はセミナールームになっており、何でも出来そうだ。

4時間ほど滞在して、この地を離れた。トミーと別れてジャッキーの車で先日も行った頭份のバスターミナルまで送ってもらい、バスに乗って台北に帰った。一度部屋に戻り休息。夜は永和の韓国街へ行ってみる。中興街というのが名称だが、戦後韓国系の人々(山東から韓国経由も)が台湾に渡り、ここに住み着いたらしい。韓国系の店、服やコスメなどがいくつか見られたが、ミャンマー街ほどの賑わいはない。

ここにある山東水餃子の店でチャジャンミョンを食べてみることにした。ここのチャジャンミョンは韓国、中国とはちょっと違うとは思ったが、どう違うかは分からない。水餃子とチキンも食べてみたが、あまり海外感が無かった。帰りにミャンマー人のドリンクスタンドで飲み物を買い、外で風に吹かれながら飲んだ。何となくヤンゴンを思い出す。