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チェンマイ滞在記2024その4(2)チェンマイをフラフラ

9月11日(水)マック

今朝も雨が降っている。雨期なので仕方がないが、洗濯も出来ずに困ってしまう。いよいよ困ったら、洗濯屋さんに出せばよいのだが、折角10バーツコインを貯めているのだから、下の洗濯機を使いたいものだ。そして食事に行くのも困ってしまう。雨に濡れないように、止んだ時を狙って、急いでいく。今日の昼はカオマンガイになる。

何だか最近雨が多い。昨年もこの時期からチェンマイに住んでいたが、何かが違うようだ。夕方小腹がすく。そうなるとマックへ行く。これも一つのルーティーン。相変わらず99バーツセットは、チェンマイ大学医学部の横のマックにはある。フィレオフィッシュを偶に食べるとなぜか美味い。元気が出る。

9月12日(木)チケットを買いに

週末はミャンマー国境へ行く予定になっていた。バスチケットはネットでも買えるのだが、いつものことながら、何だか心配になり、バスターミナルへ買いに行くことになる。Boltで車を呼んでいくのだから、何ともバカバカしいのだが、安心感はある。通称アーケードと呼ばれるメインバスターミナルまでは、車に乗ってしまえば15分ぐらいで着いてしまう。

今回の目的地はメーソット。これもグリーンバスの売り場に並ぶ。当初聞いた時は1日1本、午後スタートしかなかったが、ここへ来て見ると午前9時発の便があった。週末だけかもしれないが、こういうのが現場に来る利点かもしれない。バス代は意外と高いが、シートは快適そうだ。

チケット購入が終わると特に用事はないので、フラフラと散歩を始めた。ターミナル周辺をよくよく見たことはなかったが、立派なお寺があり、そこに隠れるように宿もあった。ちょっと楽しくなり、歩き続けていると、途中にいい感じの食堂があった。如何にも華人系の店で、旨そうな豚足を見てしまい、思わずランチとなる。こういうのがいい。

暑いのにその後も歩いていると、川の東側には、高級ホテルやリゾートマンションなどが並んでいることを知る。そしてなんとピン川まで歩いてしまう。何となく水が多いなと思う川を渡り、旧市内へ入ると、今度は何となく華人系の店が目に付く。その辺を曲がると、日本語エリアもあった。『全盛期』という、どう見ても全盛期を過ぎた店がある。『Wazato』とローマ字で書かれると、『わざとらしい』を思い出してしまう。ソンテウを拾って散歩は終了した。

かなり疲れたので休んでから夕方食事に出た。腹が無性に減ったので、いつも行く食堂で、いつもより多めに注文して思いっ切り食べた。気持ちよく食べていたら、何だかすっきりした。最近食が少し細ったように感じていたので、サクサク食べているだけで、気持ちに反映するのだろうか。この食堂、オープンエアなので蚊に刺されるのは嫌いだが、味は悪くない。

9月13日(金)雲南朝市へ

昨日に続いて朝から遠出した。Boltを呼んで、雲南朝市に出掛ける。昨年1度だけ行ったチェンマイ中心のモスクの脇で開催される市場だ。出店数はあまり変わらないが、何となくお客が少ないような気がする。やはり中国人観光客の数が伸びていないのではと思ってしまう。

売っている物も特には変わらない。中秋節が近いので月餅などが並んでいるぐらいか。食べ物を売る店は結構混んでおり、席を見付けるのが大変だった。雲南麺はクイッティアオを食べて続けていると、ちょっとホッとする味だ。スパイシーでないのは、ここがタイだからだろうか。

食後、ちょっとモスクを見て散歩する。いつの間にかターペー門を越えて城壁内に入り、ワットチェンマーンに辿り着く。ここはチェンマイで最初に出来たお寺と言われており、なぜか私のお気に入り。今回はまだご挨拶にも来ておらず、ゆっくりと拝観することにした。帰りにAISショップで、先月買ったシムカードの支払いを確認したが、イマイチよく分からない。まあ、使えているからいいか。

チェンマイ滞在記2024その4(1)雨季のチェンマイでふらふら

《チェンマイ滞在記2024(4)》  2024年9月7日‐9月24日

9月7日(土)焼き魚

香港から何とか帰国したが、疲れが出ていた。まさかシグナル8に遭遇するとは想像もしていなかった。香港には雨季があるかもと考えたことはない。チェンマイは相変わらず雨季のようで、曇っていたり、雨が降ったり、あまり心が晴れない日々が続いている。

今朝も朝は晴れていたので、買い物に出て、パンとフルーツを買い、牛肉麺を食べて帰る。最近はいい意味で安定した生活、悪く言えば変化に乏しい生活が続いていると感じてしまう。そして週末はスポーツなどが見られれば、それで午後をつぶしてしまい、歴史の勉強は一向に進まない。

気分転換しようと思い、先日行った和食屋に出向いてみる。夕方早い時間なのでお客はまばら。ここで鮭塩焼き定食を注文してみる。ドリンクは無料なので、緑茶を飲みながら待つ。何だかとても言い感じの鮭がやってきてテンションが上がる。日本でもなかなか食べない種類(自宅で偶に食べるか)のものだ。モリモリ頂く。気分がすっきりした。夕暮れ前の空が実にきれいな雨季のチェンマイ。

9月9日(月)

ミャンマー料理とお茶屋

なんとなく散歩していると先日も入った店の前を通りかかり、華人と思しきおばちゃんがいたので、また入ってしまった。オーダーは料理を指さし。イカのカレー炒め、たまご炒め、煮卵等がとても美味しい。スープとご飯が付いて、これで75バーツなら御の字だ。幸せなブランチにありつく。

午後は暑いので部屋で物書き。全然進まない。夕方ニーマンの方を散策していると、思い出したようにミャンマー料理屋が出てきた。茄子の煮込みが旨いんだが、もうちょっとパンチが欲しいような気もする。豆のスープは相変わらず美味い。これでブランチより安いのなら、文句はない。もっと通わなければ。

食後ブラブラしていると、ちょっと和風の装飾が見えた。カフェのようだが、完全な和を基調としている。畳の小部屋もあり、茶道でもするのだろうか。抹茶などを売っているらしいが、顧客の対象は勿論日本人ではなく、欧米人らしい。そこへタイの若者なども興味を持って入ってくるという構図だ。まあスタバでコーヒーを飲んだと思えばよい料金なので、気軽に入ってくる客はいるだろう。

9月10日(火)パッタイ屋でパスタ

いつもニーマンの方に歩いて行く時、ちょっと気になる小さな食堂があった。先日訪ねてみたら、女性が出てきて『今日は夕方からお休み』というので、今日は昼に行ってみる。なぜか欧米人が多く入っていくのだが、看板にはパッタイの店となっている。中に入ると結構おしゃれな造りで、バーのような感じもある。

メニューを見るとパッタイもあるが、パスタが何種類かある。白人さんはこれを目指してきているようだ。私もパッタイを捨てて、パスタに走ることになる。いい感じのパスタが出来上がってきた。ちょっと塩気が強いのは、そういうものなのだろうか。コーラを飲みながら、パスタを頬張った。次回はパッタイに挑戦してみよう。

夕方Mayaに用事があり、小雨の中を歩いて行く。何となく腹が減ったが、フードコートの気分でもなく、はちばんらーめんに突入した。今回は五目ラーメンと唐揚げを注文してみる。ラーメンは相変わらず優しい味であり、唐揚げは相変わらず、ラーメンを食べ終われないと出て来ない。まあ、そんなもんさ、と何度言ったことだろうか。Asian Booksがあったので本を見てみたが、目が悪くなっていて、良く見えず、すぐに退散した。

香港マカオ茶旅2024(5)シグナル8発出

少し風が強くなってきた。まだシグナル8には間がありそうだったので、なんとセントラルに戻り、スターフェリーに乗りに行く。だが乗り場すら忘れてしまっており、右往左往する。ボケとは恐ろしい。何とか辿り着くとそのままアッパーデッキに乗ってしまう。10年ぶりだろうか。景色がいつものより良く見える。ハーバーは波もなく快適な10分間だった。5ドルなら次回からアッパーか。

TSTを散歩して、さっきの宿へ戻り、チェックイン。なかなかいい部屋で外の景色が良く見える。テレビを点けっぱなしにして、これまでの旅のまとめをしていると、いよいよ台風ヤギが接近してきたので、近所のスーパーに買い出しに行く。といっても明日の午後には香港を離れる予定なので、カップ麺とビスケットだけ買う。更に夕飯をどうしようかと考えていたら、すぐ近所に弁当屋があり、そこで適当に弁当を買う。これは安上がりだった。

今晩会う予定だったOさんと連絡を取り、残念ながら取りやめとなる。まあシグルナ8には慣れており、昔と違ってネット繋がるので特に問題はない。時折強い風が窓をたたくが、それほど恐ろしいこともない。雨はそれほど降らなかったようで、夜中に一度窓をたたいた程度で済んだ。香港の被害は最小限に止まった。

9月6日(金)香港空港へ

朝起きてもシグナルは出続けており、会社も学校も今日は休みが確定した。12時過ぎにシグナル3になると言っているのは、相当の配慮だろう。昔なら株式市場や為替市場が大きな問題になっていたが、今はそんなこともないのだろう。小売業や飲食は大きな影響があったかもしれないが。私は午前中ゆっくりと過ごす。

10時過ぎて雨も降っていないので外へ出てみた。まだ8だから、ネーザンロードも車は殆ど走っていない。観光客が多少歩いているだけで、勿論店も全て閉まっている。バスも動いていないので、空港へはMTRしかないだろう。その空港も情報によると正常通り動いているらしい。

12時に宿をチェックアウトして、駅に向かおうとしたら、凄い雨が降ってきて立ち往生した。8が3になる前の最後の抵抗なのだろうか。少し雨に濡れたが何とか駅に辿り着くと、結構乗客がいた。これから30分か1時間すると、出勤の人々が出て来るのだろうが、今はまだ少ない。

本来なら香港駅まで行ってエアポートエクスプレスに乗るのが速いのだが、フライト時間に余裕があるので、電車を2本乗り継いで空港へゆっくり向かう。茘景、青衣、このルートで行くのは全く初めてだ。それにしても青衣から空港まで僅かな時間なのに65ドルも取るのはボッタくりとしか言いようがない。まあ電車が動いているだけ有り難いということだ。

1時間半ほどかけて空港に着いた。中国方面のフライトはいくつか欠航になっていたが、かなりのフライトは順調だった。だが残念ながらチェンマイ行は2時間ディレーしており、更に空港で待ち時間が増えた。朝からあまり食べていなかったので、まずは腹ごしらえ。懐かしいレストランがあったので入ってみたが、小龍包4つと麺を1つ頼んだだけで軽く2000円は越えてしまった。恐ろしくて味も分からない。

出境はすぐに出来てしまったので、後はひたすら待つのみ。空港内はドリンクすら高いので何もできず、ネットを見て過ごす。ゲートは一番端で、今まで来たことがない場所。人も少なく静かでよかった。香港のLCCに充てられた場所ということか。大阪行きには多くの人が乗って行く。雨は断続的に降っており、シグナルは3のままだ。

結局4時間ほど待ってついに搭乗となる。乗客は7割程度だろうか。台風でもみんな観光旅行へ行くんだな。約3時間乗って、何とかチェンマイ空港に辿り着く。正直ほっとして腹が減る。宿の横の店はもう閉まっているかと思ったら、時差が1時間あり、何とか炒飯にありついた。こっちは野菜炒めも入れて、500円だった。

香港マカオ茶旅2024(4)消えゆく香港

宿で荷物を取り、もう一度バスに揺られて、フェリー乗り場へ取って返す。たいした時間でないからよい。買ったチケットの時間より2本速いフェリーがあり、それに簡単に乗れるのが香港式だ。ただフェリー自体の到着が遅れ、ちょっと時間はロスしたが、何とも懐かしい船旅となる。フェリー自体は特に変わっていないが、私が乗った船は遅い方だと気が付いた。

1時間半近くかかってようやく上環のターミナルに着く。実にスピーディな入境対応で有難い。出口を出ると、すっかり景色が変わっており、MTRの駅への道が分からなくなっていた。MTRも昔はここが始発だったのだが、現在は大勢の人がやってくる電車を待つ駅になってしまった。

たった一駅乗ってセントラルで下車。ここで今回の用事を済ませる。香港も色々と面倒になっていると感じる。そういえば、台風が近づいていた。既にシグナル1が出ており、明日は8になるだろうと言われると、何となくウキウキしてしまうのは昔の習慣だろうか。何しろ8が出れば会社は休みだったから。

目の前にマンダリンオリエンタルホテルがあったので、思わず入ってしまった。30年前シグナル8直前に帰宅する際は、いつもここのフルーツパウンドケーキを買ったものだ。2階にベーカーリーはあったが、フルーツは既にバナナに変わっている。これを聞いた年輩の店員に『よくご存じね』と言われたのは、ちょっと嬉しかった。

取り敢えず用事は終えたので、TST側の予約した宿へ向かった。昔からあるホテルだが、料金が昨年と比べたら半額だろうか。これも中国経済低迷の恩恵?と言っていいのか。かなり広い部屋で、かつ窓からの景色もあるのは嬉しい。これなら偶には香港へも来られるだろうか。

少し休んでから、またMTRに乗る。今晩はYさんと待ち合わせ。場所は初めて行く(いや、その昔は行った?)彩虹。駅を出ると、昔懐かしい香港の下町風景が現れる。そんな通りを歩いて行くと、古めかしい建物が見えてくる。今晩ご飯を食べる老舗食堂だ。遠くに高層ビルが見える中、平然としているようにみえる。この地域は開発から取り残されているが、いよいよ数年内には立ち退き、再建が始めるらしい。

昔は大賑わいだったというこの店、今日はなんだか空いている。景気低迷の煽りだろうか。クリスピーチキン、イカのフリッター、上湯野菜がテーブルの上に乗る。何とも嬉しい夕飯だ。1つずつの皿が大きいので、2人ではこれ以上食べられないのが残念だった。Yさんと近況を話しながら、ゆっくりと食べていく。もうこの風景は見られないかも、と思うと何とも悲しい。

9月5日(木)シグナル8発出

朝起きてテレビを点けるとシグルナ3になっている。しかも夕方には8が出るだろうと言っている。これは急がないと全てが止まってしまう。まずは今の宿を出て近所に引っ越した。さすが香港、昨日は安かったこの宿、今日は料金が跳ね上がっていた。仕方なく新しくできた宿へ荷物を預ける。今晩はここに籠城することになるだろう。

朝ご飯を近所で探し、パッと入る。50ドル近くする立派な朝飯セット。まあボリュームもあるので満足せざるを得ない。宿の料金は乱高下するが、物価は急には下がらない。MTRでまた香港島へ渡り、昨日の続きの所要を済ませる。そしてそのままトラムに乗り、上環へ回る。

福建茶行、5年前にミャンマー華商の調査で突然訪れた茶行。すると何と中に知り合いが座っていてびっくりしたという思い出がある。その時に会ったオーナーの楊さんと再会したが、私のことは覚えていなかった。それでも1950₋60年代の香港茶市場の様子を色々と話くれたのは、何とも有難い。台湾白茶、プーアル熟茶、六堡茶など、貴重な証言を得る。

ついでに近所の堯陽茶行にも立ち寄る。番頭さんと挨拶して、オーナーの王さんに色々と聞いてみたが、王さんが茶業の携わったのは遅かったので、昔のことはあまり知らないという。もうこういう歴史調査も限界が来ていると感じる。特に香港のようにビジネス第一の世界では歴史を辿るのは難しい。

香港マカオ茶旅2024(3)マカオ散策

これでマカオでのミッションを果たしたので、ここからは自由だ。バスに乗って林則徐記念館を目指した。蓮峯廟というかなり古い寺があり、その敷地内にあった。マカオ返還直前に建てられたこの記念館、やはり中国の息がかかっている。マカオでもアヘン貿易はかなりあっただろうから、この辺の歴史が中心だ。

それから反対側の古廟を見て、坂をだらだら上っていく。モンハの丘、と呼ばれ、アヘン戦争当時砦があった場所だ。この上からはマカオが良く見えたが、今は何もない。この下で1844年にアメリカと望厦条約(中国がイギリスと南京条約を結んだことに習う)が締結された歴史的場所でもある。20年前にマカオ歴史散歩をやった時に歩いているはずだが、何も思い出せない。

そこからバスに乗り、タイパ島に向かった。10数年ぶりだろうか。バスをちょっと乗り間違えて、目的地から少し離れた場所で降りたら、そこには教会があり、結婚写真を撮るカップルなどがいる。こんな場所もあるのかと、初めて知るが、観光客も多い。その先に昔行ったポルトガルレストランがあったはずだが、どうしても見つからず、迷子になる。

この付近は観光客が多くて疲れる。取り敢えず適当にポルトガルレストランと書いてある店に入ったら、ちゃんと1席だけ空いていた。面倒なのでセットランチを頼んだが、残念ながらそれほど美味しいとは思われなかった。アラカルトで頼めばよかったのかもしれないが、それだと昼から大盤振る舞いになるので止めた。店員が私に広東語で話し掛け、英語で返すと首を傾げていた。

その辺をフラフラしたが、疲れてしまい、またバスに乗る。橋を渡るとリスボアが見えたので思わず降りてしまう。私が1987年に初めてマカオに来た時、ここのカジノで訳も分からず『大小』をやってちょっと勝ったいい思い出がある。中に入ってみると、その昔とは雰囲気ががらりと変わり、観光客が行き交う場所になっている。その数もずいぶん減っているように見えたがどうだろうか。

ナタを売る店は相変わらず客でごった返しており、お気に入りのホートン図書館へも行ってみたが、残念ながらエアコンもなく、暑くて退散した。宿で休んでから夕方出てみるとちょっと涼しくなっている。麺でも食べようかと歩いていると、潮州系の魚蛋麵があった。ただなんとカレーも付いているのは、マカオ風に仕立てたということだろうか。

9月4日(水)香港へ

今日は香港への移動日。朝ちょっとだけ媽祖廟に寄りたかったのだが、何と道路工事で大渋滞が発生していた。仕方なく、反対側のバスに乗り、フェリー乗り場を確認しに行く。1990年代から2005年まで、一体何度このフェリー乗り場にやってきたことだろう。だが今や橋も出来て、タイパ島も大いに発展しており、このフェリー乗り場は何となく寂しい。バスも何だか遠くに停まってしまい、10分も歩いて何とか到着。折角なのでチケットを購入しておく。

帰りのバスも渋滞だったが、なんとか宿近くまで戻ると、ちょうど如何にも前世紀の遺物という感じの餐庁が出現した。ちょっと迷ったが、思い切って入ってみる。そこにいる客はおじさんのみ。朝から酒を飲んでいるグループすらある。店主も広東語で応対する。何とも懐かしい風景だった。

細い麺の焼きそばと点心を2つほど頼み、後は茶を飲んで過ごす。この点心と茶の組合せは絶妙(昔から食べなれているから)で、今や香港ではあまり見られない風景がマカオに乗っていることに涙する。ただ料金だけが数倍に跳ね上がっており、また基本的にマカオパタカで計算するのが祖国復帰後のマカオだった。

香港マカオ茶旅2024(2)マカオ英記茶荘を再訪する

何とか見慣れた通りでバスを降りたが、目指すホテルが全く見付からない。多少土地勘はあるのだが、なんだかおかしい。道路工事の影響だろうか。適当に歩いていると、あるはずのない所にホテルが忽然と現れて救われる。フロントの女性は最初から普通話を使い、パスポートを見せると『あんた、英語も出来るの、凄いね』という。きっと中国からの出稼ぎだろうが、愛想がよくて楽しい。

部屋は思ったより新しくきれいでよい。コロナ前はマカオのホテルも高騰していたが、今は中国の不景気のせいか、随分安くなったと感じる。有難い。そこから早めの夕飯を、と思い、昔行ったマカオレストランを探すがやはり見つからない。フラフラ歩いていると、十月五初街に出た。昔見た廟があり、明日行く予定の茶荘も健在のようだ。

その先をずっと歩くと、カレー屋があった。マカオ返還直前に出来た店で、実は結構有名らしいが、それほど客はいなかった。ここでも最初から普通話で話し掛けられ、鶏撈麺と凍寧茶を注文する。何となくアフリカンチキンと広東麺という組合せが好きだ。久しぶりに凍寧茶も香港を思い出させる。ただ料金はこれで日本円1300円を越える。やはり物価は高い。

日暮れ前のセナド広場に行くとさすがに観光客が多い。中秋節、如何にもここは中国だ。銀行で香港ドルを引き出そうとしたが、銀聯カードを使ったが出て来ない。理由は不明だが、機械に身分証をかざすところなどもある。懐かしい鉅記に入ると、蛋餅が売っており、つい買いこんでしまう。店の女性が『あんた、なかなか通だね』と言われてちょっと嬉しい。

9月3日(火)老舗茶荘へ

朝飯を探して外へ出てみる。まずは香港ドルを確保する必要があり、宿の横にあった両替所で持っていた人民元を変えてみる。最近マカオの料金表示はマカオパタカが多い。それをまた香港ドルに少し修正するのは面倒くさい。それでもマカオは香港ではない、という主張だろうか。

坂を上っていくと、食堂があった。何となくフラッとは入ってしまう。観光客が多いマカオ中心部で、ここは地元民もかなり来ている店。白粥と書かれていたが、滷肉拌腸粉に惹かれた。これは肉みそが実に美味い。この食べ方は潮州だろうか。粥と茶を入れても、それほど高くないのがよい。

そこから歩いて十月五初街へ。昨日も来たが、よく見てみると、まだ古い茶楼が残っている。ここで1960年代に六堡茶が飲まれていた、との記述を先日見ていたので、ちょっと感慨深い。その先にはその茶を供給したであろう、英記茶荘が見える。まだあってよかった、と中へ入ると、9年前に会った夫妻がいた。私は前回香港長洲島のお爺さんに言われて、ここのお爺さんに会いに来たのだが、お爺さんは何と昨年末95歳で亡くなっていた。

息子夫妻が店を引き継ぎ(9年前にはもう引き継いでいただろう)、今も昔ながらの商売をしていた。創業は1932年、この付近で唯一残っている老舗茶荘だ。息子にいくつか質問してみたが、前回のお爺さん同様、あまり明確な答えは得られなかった。正直茶の歴史についてはあまり興味がない、というのが本音ではなかろうか。

ただ白茶は政和産を以前から扱っていること、プーアル熟茶は散茶状態で雲南から仕入れて、マカオでも常連さんは散茶を買っていくことなどは分かった。以前は日本人客も多く買いに来ていたが、今やほとんど来ないともいう。私は前回買ってとても良かったプーアル散茶と壽眉を購入した。あまりたくさん買うと持って帰れないので少ししか買えなかったのは残念だった。

香港マカオ茶旅2024(1)香港空港からマカオへ

《香港マカオ茶旅2024》  2024年9月2日‐9月6日

チェンマイへ来て1か月。ちょっと外へ出てみようと思い、用事のある香港行チケットを取った。するとマカオの茶荘の歴史が知りたくなり、引き寄せられるように香港空港からマカオへ直行する。懐かしいマカオフェリーで香港へ上陸するも、これまた懐かしいシグナル8に遭遇し?さて、どうなる。

9月2日(月)チェンマイからマカオへ

朝起きるとすぐに朝食を食べに行く。今日は香港へ行く日なのだが、なぜかカオマンガイを食べている。いつものようにBoltで車を呼び、空港へ向かった。香港エクスプレス、今回私は予約間違いを起こしてしまい、多大な損害を被った。その一端はこの航空会社にも責任あると思うのだが、やはりボケの進行は深刻だった。そして香港は油断できない場所だったと改めて思い返して、地団太を踏む。

チェックインはスムーズで、香港・マカオのシムカードもAISで購入した。本当は中国・マカオのシムカードは既に買ってあったのだが、マカオから香港へ移る際にまた変更するのが面倒だったのだ。これで中国シムは期限が過ぎてしまうので、無駄になってしまったが、今やそんな頭も回らないので、シンプルに動くしかない。

フライトは順調で、座席は非常口。ここは有料席なのか、誰も座って来ないので、3席を独り占めした。ただでさえ普通より広いのでかなり快適な空の旅となる。でももし万が一のことがあったら、非常口は私が開けなければならない。そう思うと、初めてまじめに説明書を読み始めた。LCCは食事も何も出ないので静かな2時間半が過ぎる。

時差が1時間あるので、到着したらもう2時半だった。慣れ親しんだ香港の空港だが、今回はここで入国せず、マカオと書かれた方向に進んでいく。香港入境直前のところに、マカオ行きのバスとフェリーチケット売場があり、ここでパスポートを出すと、何と無料チケットをくれる。これはマカオの観光キャンペーンで、もし普通に買えば5000円ぐらいするらしいから、何とも嬉しい。

指示された場所を降りていくと、シャトルがやってきてバスターミナルまで連れて行ってくれる。今回私は預け荷物が無いので、ターミナルに着くと、すぐにバスまで直行して乗ることが出来た。何ともスピーディな展開に、久しぶりの香港を感じて、これまた嬉しくなってしまう。

バスには数人しか乗っていない。まあ平日の午後だからこんなものか。香港マカオ大橋なるものが出来ても、一度も渡ったことがなかったので、これはちょうどよい機会だった。橋は長く、単調な走行が続く。車もあまり走っていない。まあ香港空港からそのままマカオへ行けるのだから、文句は言うまい。

約40分でマカオ側に辿り着く。イミグレに向かうと、向こうから出て来る人々が多い。昼間マカオでカジノにでも行って、香港に帰るのだろう。それに比べてマカオへ入国する人は少ない。なので、広い入境審査場も、パスポート保持者の列は1列だけだったが、すぐに通過した。

ここからどうやって市内へ行くのか分からなかったが、バスがあるようだ。ところが香港ドルの小銭が無いので、支払いが出来ない。コンビニに戻ってマカオパスなるものを購入したが、何と130ドルもする。デポが30ドルらしいが、これはどうやって返却されるのだろうか。説明などは当然何もない。

バスはリスボア方面へ行くらしいが、いきなり中国国境の横を通った。そうか、珠海にも行けるのだ。だが我々日本人はビザが無いと難しい。満員のバスはどこを走っているのかよく分からない。そして何だかGoogle Mapもちょっとおかしい。バス停などの表示が合わない。どうしてだろうか。

チェンマイ滞在記2024その3(4)チェンライ茶旅

8月30日(金)チェンライ茶旅

ついにこの日がやってきた。今日はドームの車でチェンライ方面へ行く。前回の温泉たまごの場所でのんびりしてから、メーカチャンという場所を通過した。その地名、何かあったぞ。そうだ、老舗茶荘があるはずだと探すと、その店は道路沿いにすぐに見つかった。店名に漢字があり、釜炒り茶などを売っている。

90歳近い創業者が生きているはずだと聞くと、何と隣の家にその人はいた。中国語で話し掛けるとちゃんと返事がある。この曽さんの人生が実に興味深い。潮州人で戦後バンコクに渡り、なんとあの三馬で焙煎師をしていたという。その後40年ほど前にここメーカチャンに移住して、紅茶作りを始めたというから驚きだ。今は引退して息子たちが別々に家業を継ぎ、訪ねた家ではあのタイ茶の粉を作って儲けていた。こんな出会い、考えられない茶縁。

そんなこんなで時間を使ってしまい、何と目的地には全然着かないことが分かって慌てる。チェンライ手前で山に入って行く。昨年も来たのでタカを括っていたのだが、意外や遠かった。予定時間より何と1時間近く遅刻してしまった。それでも老板は待っていてくれ、早々にプーアル茶の話が始まる。

今回のチェンマイ滞在の大きな目的がこのタイ北部で作られたプーアル茶の歴史解明にあった。最近は頭の回転も鈍くなり、なかなか点と線が繋がらない状態だったが、今日はどえらい線が繋がってしまい、我ながら驚く。この付近で作られたのはプーアル茶だけではなく、六堡茶もあったということか。

話し込んでいると昼になってしまい、次の約束に急ぐが必要があったが、ランチにと、麺が出てきた。雲南麺だろうか。この味が実に美味くて、何とお替りしてしまった。そしてまだまだ聞きたいことがあるので、10月末に再訪する約束をして、ようやく老李村を離れた。茶園は相変わらずきれいになっていた。

ここからチェンライ市内へ向かう。近道はドイチャーンの山越えだというので、それにトライするも、途中には水が溢れている場所があり、何とか通れたからよかったが、普通の車ではとても通過できない状況もあった。雨期の山はやはり怖い。元々2時に約束してが、3時過ぎに何とか市内に入り、店を探した。

天元茶行の女性社長と会うのは4年ぶりだった。店に来たのは初めてで、品ぞろえがどんどん増えているのに驚く。そして彼女自身、ビジネスを広げて忙しく、なんとこれからバンコクに飛ぶというので、30分だけ話を聞いた。彼女の一族は雲南回族であり、先ほどのプーアル茶作りの一部も回族が担っていた。だが彼女自身はその歴史を知らないといい、親戚に聞いてみる、ということで面談は終了した。

帰りは夕暮れの道を走り、道に慣れたドームの快走もあり、僅か3時間でチェンマイまで戻ってきた。今日一日で大いに収穫があったが、折角チェンライまで行ったのだが、もう2₋3日調べてみたかった、というのが正直なところだが、車が無いと何もできないので致し方ない。

8月31日(土)近所のラーメン屋で

昨日の日帰りは意外と体に堪えた。昼前に麺を食べに出た。近所にある麵屋だが、朝は開いておらず、昼は満員でなかなか食べる機会が無かった。今日は席があったので鶏肉麺を食べてみる。木の枠組みが使われているなど、老舗なのだろうか。家族経営、華人系だろう。スープが美味い。そして麺はほぼ50バーツだから人気なのはわかる気がする。

夕方、もう一度出かける。ニーマンで何か食べようかと思って歩いていると、気になる看板が出ていた。ラーメン屋だった。タイ人経営だとは思うが、何となく日本的雰囲気もあるので、ちょっと覗いてみた。土曜日の夕方でお客が二組居たが、なんとどちらもロングステイの日本人年配者だった。『あの人病気らしいよ』とか『帰ってこないね』などの会話が聞こえてくる。ラーメンはシンプルで、餃子もそこそこ、代金も高くないのだが、何だか次に行こうとは思わない雰囲気で店を出た。日本語に嫌悪感でも出てきたのだろうか。

チェンマイ滞在記2024その3(3)食事のバリエーションが増えていく

8月26日(月)和食ランチとジョーク

何だか日はどんどん過ぎていく。それでいいのか、分からないが、ゆったりとした時間が流れているのは良い。今朝は朝パンを食べて11時前に先日の和食屋へ行く。昼はランチがあるらしい。しかも170バーツで、ドリンク無料。更に行ってみると一口カレーもセルフでよそえる。これは素晴らしいが、こんなに大盤振る舞いで大丈夫なのだろうか、経営は。豚肉味噌焼き、ちくわの磯部揚げ、トマト卵炒めが弁当箱に入っていた。何とも嬉しい昼ごはん。

今日は昼で満足してしまったが、夕方散歩に出た。お屋敷街にはリスが走り回っている。堀の方を巡っていると夕暮れが近づき、言い感じの景色が見られる。お寺の雰囲気も随分と変わる。堀沿いに歩いて行き、懐かしいお粥屋へ入った。本当は点心が食べたかったのだが、残念ながら夜はなかった。いつものジョークを啜る。夜の寺のライトアップがまた良い。これからは時々夜も散歩しよう。

8月27日(火)巨大なホテル

今朝はゆっくりして、昼ごはんにガイヤーンを食べに行った。ニーマンにあるこの店、白人さんたちも多く訪れており、満員盛況だ。最近は特にガイヤーンが食べたい、という気分にはならないのだが、煙が上がっているところに通り掛かると、何となく入ってしまうという悲しさ。まあ、旨いんだから文句はない。

食後は散歩を基本とする。ニーマン付近を歩いていたが、何となく堀の方向へ向かっていく。懐かしいヌードル屋があったので、次回は行ってみよう。その先に大きなホテルがあった。昨年知り合いの夫妻がここに泊まったのを思い出す。随分と立派なホテルだと外装から判断したが、料金はかなり安いらしい。

併設されていたショッピングモールが無くなり、表通りからも遮断され、一方大きな木々に囲まれており、夜ホテルに戻るのはちょっと怖いらしい。ホテルに入ってみるととても立派なロビーが待っていた。中国人観光客が泊っており、中国語が響いていたが、客は多くなさそうだ。この向こうには表通りに面した、昔の一流ホテルがあるのだが、この付近立地は悪くないと思うのだが、随分と落ち込んでいるようだ。

夕飯は近所の食堂に久しぶりに入る。ここも緊急時などに使うだけで、私の食事ルーティーンには入っていないが、偶に入っておこうと考えた。女性ばかりでやっており、白人さんも来ている店。タイ料理から、サンドイッチなどまでメニューは多い。今晩は魚フライサンドを食べてみる。私はマックで言えばフィレオフィッシュが好きなのだ。

8月28日(水)ラムカレー

今日も朝はパンをかじり、昼前に外出。近所には立派な邸宅だけが並ぶ地域があり、そこに住むタイ人女性は、道で会うと丁寧に挨拶してくれる。その付近を歩いていると、今日もリスが一生懸命走っていた。その向こうへ行くと、今度は猫が塀に登ってこちらを見ている。何とも豊かな光景だった。

これまで2度行って、2度とも閉まっていた食堂に再チャレンジし、ついにご飯にありついた。ここは外国人にもかなり評判が良い店。何といっても、一膳めし屋ではなく、カフェ風の作りが良い。食事は置いてあるものから選び、ご飯を添えてもらって食べる。2品選んで、スープは無料、75バーツは言い感じだ。料理も悪くない。やはりメニューが分かり難い場合、目の前にあるものを指すのは確実だ。

午後ネット検索していると、突然チェンマイのカレー屋に行き着いた。見てしまうとどうしても食べたくなってしまい、夕方早い時間にその店へ行く。ニーマンにあるので歩いて10分ほどで着く。いつも通っていた道だが、インドカレー屋だとは気が付かなかった。こういう検索をやらないので、一向に店を知らない。

お目当てはラムカレー。ネットに書かれていたのよりかなり料金が高くなっていたが初志貫徹。タイでラム肉を食べるのはあまり記憶がないのでチャレンジだ。確かに美味しいのだが、コスパとしてはどうだろうか。そして隣に座っていた3人組は何と日本人で、インドに浸りたい私には日本語は結構邪魔だった。

チェンマイ滞在記2024その3(2)アカ族のタンブン

今回連れて行ってくれたのは、チェンマイ大学手前のレストラン。その昔はドイステープ帰りの外国人観光客で賑わったという老舗だった。だが土曜日でもお客は多くない。今や至る所におしゃれなカフェやレストランが出来ており、老舗は検索でも引っかからなくなっているのだろう。またチェンマイ大学へ向かう通りは土曜日の夕方大渋滞しており、これも一つの要因かもしれない。ただこの車もチェンマイ大学付近に出来た夜市に向かう渋滞のようだった。

メニューを見ると、サンドイッチなどの洋食系もあり、またタイ料理も多く載っている。タイ料理といっても華人系の料理が多く、結局日本人も欧米人も中国料理系が食べやすい、ということだろうと想像する。チャーハンや春巻きを頬張る。横にはパン屋が併設されており、ケーキやお菓子も売っている。懐かしいバタークリームが目を引き、思わず少し買って帰ることになる。

8月25日(日)アカ族のタンブン

朝ボーッとパンをかじっていた。今日は天気がいいな、と外を眺めていると突然Hさんから連絡が入る。『今からアカ族のタンブンがあるから来ませんか』と書かれており、ちょっと面食らう。私が知るアカ族はその多くがクリスチャンで、仏教徒の行うタンブンという言葉が相いれない。とにかく折角誘われたので、何事かと急いで出掛けることにする。

メージョー大学近くのアカ族村までBoltで行けるのかとても心配だったが、車はスイスイと進み、見覚えのある寺(週2回市場が開かれる)なども通り過ぎ、あっという間に寺の教会に到着した。前をちょうどHさんが歩いており、合流する。取り敢えず教会横の村のカフェでドリンクを飲む。何だか若い女子を中心に皆が集まっており、お客は多い。ドリンク代は安い。

そこからタンブンがあるという村人の家へ行く。そこでは何と、神父さんがミサを行っていた。これは日曜礼拝の続きをその家に移ってやっているらしい。外にも椅子が沢山置かれ、大勢の村人が話を聞きながら待っていた。今日のタンブンというのは、新車購入のお祓い、のようだった。これはタイのお寺でよく見かける風景だったが、この村はほぼクリスチャンなので、神父さんが代行しているという理解でよいのだろうか。この辺が地元の伝統信仰とキリスト教が混ざり合っている、ということなのか。

食事の時間がやってきた。テーブルに案内されると、数人が席に着く。向こうに座った若者が突然『アンニョンハセヨ』と言ってきた。彼は韓国に3年出稼ぎに行っていたらしい。振り向くと近くのゴルフ場でキャディの仕事を終えた女性が入ってきた。実は村人は色々な仕事を持っている。こういう場では村の様子が意外と見えて面白い。

食事は結構辛かったが、味は良くてご飯を一緒にバクバク食べてしまった。この日のために豚さんが天に召されたようだ。新鮮な茹でた野菜にタレをつけて食べると旨い。裏庭ではHさんの奥さんらが、豚の煮込みを作っている。これまでも山岳民族の食事を何度か頂いたが、なぜこんなに美味しいのだろうか。

食後Hさんが出掛けるというのでついて行く。車で向かった先は、何とメージョー大学近くのケーキ屋さん。奥さんの親戚の女性、今日が誕生日らしい。だがこのケーキ屋に売っているのは、ドラえもんなど描かれた子供用ばかり。それでもHさんはそれを買い、村に持ち帰ってさっきのカフェで彼女に渡している。大人の彼女だが、喜んで写真を撮っているのが良い。そこに奥さんが登場して『夜の誕生会のサプライズだったのに』と言って立ち去る。ここで私の滞在は終了となり、わざわざ車で送ってもらって、宿まで帰ってきた。