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青春18きっぷで行くいわき・山形2021(1)初めてのいわき

《青春18きっぷで行くいわき・山形2021》2021年12月21-23日

青春18きっぷを使った旅。何と北陸にJRの姿はなく、更に雪で長岡から逃げ帰り、切符5枚の内、使ったのは2枚だけという惨状となる。期限もあり、正月も近いので、すぐにもう一度態勢を立て直して出掛けた。今回は元々行く予定だった福島いわき、山形をちょっと回るだけの2泊3日。そして3日間で青春きっぷの残りを使いり切る。

12月21日(火)いわきへ

冬の関東は毎日いい天気だ。一昨日長岡から逃げ帰ったが、すぐに気を取り直して出掛ける。実は今日の夜、元々の予定でいわきの宿に予約を入れていたので、これを生かすべく、いわきを目指した。前回と違って朝ゆっくりと新宿へ行き、更に東京駅に回った。常磐快速で水戸へ向かう。

師走と言いながらも平日。車両は15両もあるが、乗客は少ない。上野、北千住、松戸、柏あたりまで、懐かしい駅が続く。大学生の頃、毎週松戸までバイトに出掛けていたことが思い出される。茨城に入ると、急に地名が分からなくなる。水戸まで2時間強。ちょうど1年前、水戸に一泊したが、謎の頭痛で偕楽園も見ずに引き返したのが思い出される。

水戸から直ぐにいわき行に乗り換える。乗っているのは高校生が多い。景色は冬枯れの田舎。嫌いではない。勿来、などという駅名を見るとちょっと降りたくなる。途中から海沿いを走る。先日の日本海側とは同じ海とは思われないほど、風景が明るい。約1時間半でいわき駅に到着した。

取り敢えず予約した宿に荷物を置き、ランチを探す。残念ながら駅前に目ぼしいところはなく、ショッピングモールの上の食堂へ行く。海鮮丼を注文したが、これが予想外に立派で美味しく、コスパも良く、大満足。駅の観光案内所へ行ってみたが、昼休憩なのか人がおらず、地図だけもらう。

その地図を見ていると、ちょっと遠くに国宝白水阿弥陀堂があったので歩いてそこを目指そうとしたが、ちょうど駅前からバスが出ていることを知り、慌てて乗り込む。ローカルバスは色々と分かり難いが、今回は運転手が親切で、阿弥陀堂の最寄りで降ろしてくれた。それでもそこから10分ほど歩いていく。

田舎道を行くと、突如向こうに浄土が見えた。だがその前まで行くと、何と拝観休止中。これがコロナの恐ろしさだが、仕方がない。外から外観を見るだけでも素晴らしい浄土庭園が広がっている。国宝阿弥陀堂を中心に池と山を拝した借景も美しい。写真を撮るには絶好の場所だった。

それから近所のパワースポット神社を参拝する。またバスで戻るのはつまらないので、いわきの隣駅、内郷駅まで歩いてみる。30分ぐらいだが、夕日がいい感じで、気持ちの良い散歩となった。駅は下校する高校生で溢れていた。ここでも18きっぷを使い、無駄な支出を防ぐ。

いわき駅まで戻り、まだ明るかったので、駅の裏手の小山に磐城平城跡を回る。城は全くないので、あくまで跡だけだった。宿に行ってチェックインしてから、夕飯を食べに行く。この辺にはあまり食べるところがないとわかっていたので、迷わず中国料理をチョイスして、久しぶりにレバニラ炒め?を思いっきり食べる。

12月22日(水)仙台経由で

今朝は早起きした。宿のご飯を食べるとすぐに駅へ向かう。8時前に電車に乗り、仙台方面へ向かう。地方都市は登下校の時間帯には電車があるが、その後数時間空白が生まれることがある。今回はそのため通学時間帯に乗る。原ノ町まで1時間ちょっとだが、その間にJビレッジ、富岡、双葉、浪江などの駅名が続いていく。2011年の東日本大震災以降、ずっと見てきた名前だった。駅は何となくきれいになっているが、周囲ではまだ復興が続いているとの印象だった。

原ノ町で40分ほど待ち時間があったので、少し街を散策。ここは相馬野馬追で有名。それから仙台まで乗った電車での出来事には、ちょっと涙してしまったが、詳細は別のところに書いたから、ここでは敢えて書かない。少なくともいえることは、震災復興は10年経っても道半ばであり、更に言えば、『みんな流されちゃったのよ』という言葉、失われてしまったものを取り戻すことはもう不可能だということだ。それでも人間は生きていく、とはどういうことかを、車内で考えさせられた。

青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021(6)雪の長岡で奇跡の遭遇

12月18日(土)長岡2日目

今日は雪の予報だったが、朝起きて外を見ると降ってはいなかった。取り敢えずゆっくり朝ご飯を食べて様子を見る。朝からへきそばからデザートまで食して大いに満足。そして急いで外へ出る。昨晩少し雪が降った跡があった。歩いて数分の昌福寺という寺へ行ってみたら、突然すごい勢いで雪が降り始めた。まさにあっという間に積りだして驚いた。屋根の下に逃げ込んだが、雪は降る降る。

これが雪国なのだろう。無理して道路を歩くと、路面から水のようなものが噴出しており、これが雪を凍結させないための知恵なのだとは分かったが、非常に歩きにくくて難儀した。それでも何とか河井継之助の墓がある栄凉寺に辿り着き、その墓に参った。ここが継之助の墓だという表示がわざわざ建っている。墓を作った当時、河井継之助という名前を彫ることが出来ず、戒名だけで表示したせいではないだろうか。その頃にはもう完全な雪景色になっており、墓石にも雪が積もる。

もう帰ろうかと思ったが、山本五十六の墓だけ参って行こうと線路を越えて更に歩く。それほど遠くないところに長興寺があった。まず目に入ったのは詩人堀口大学の墓。その近くに山本家の墓がいくつも並んでおり、五十六の墓が特に大きいわけではない。山本家は武田信玄の軍師、山本勘助の系統とあり、五十六は養子に入っている。

更に雪は強くなり、宿へ帰ろうとしたが、寒さのためか尿意に堪えられず(歳は取りたくないもの)、公園のトイレを借りた。出て来ると、目の前に立派な建物があり、そこが図書館だとわかった。どうせ宿に帰っても何もすることがないので、図書館で疑問について調べてみることにした。

この建物、1階に図書館があったが、郷土史関連は2階だと言われ、上がっていく。そこは互尊文庫という場所だった。学芸員の方がおり、私が知りたかった『梛野家』に関する資料を求めると、いくつもの本を出してきてくれた。実は台北に住む友人の先祖がこの一族らしいと聞いていたからだ。

更に河井継之助の妻が明治にどうなったか、も意外な展開(札幌農学校校長に付いて札幌に移住)があり、驚いてしまった。全てが茶の歴史調査に重なる部分なのである。私は何と図書館に4時間以上もいた。それほど興味深い歴史が見えたのだ。そして極めつけは最後に、『そういえば、長岡でも明治初期に紅茶を作っていた記録がある』と言われ、その現物を見て絶句した。これは大久保利通が命じた紅茶製造指示に呼応した結果だった。雪がもたらした恐ろしいほどのご縁である。

外へ出ると、何と晴れ間が見えていた。ここを訪ねたのは、やはりお茶の神様がくれた奇跡だったように思う。それから駅近くの、長岡城跡を巡り、駅でうどんを食べてから、ゆっくり宿に帰った。お城は今、イベント会場になっており、バスケットボールの試合が行われていたようだ。宿の風呂場、お湯が実に柔らかく心地よい。

12月19日(日)東京へ逃げかえる

本来であれば、今日こそは18きっぷを使って、山形方面へ向かう予定だった。しかし天気予報は雪、しかも荒れ模様とのこと。朝見た感じでは問題なさそうだったが、昨日の雪を見てもどう転ぶかわからない。しかも新潟から山形方面の在来線は、海沿いを走り、一旦荒れると運休もあり得ると駅で言われてしまった。ここはネタを取るためにも。敢えてチャレンジすべきだったが、車内に閉じ込められる恐怖に、どうにも気力が沸かず、何と東京に逃げ帰ることを決意する。

朝ご飯を食べてすぐに駅へ向かい、水上行きの電車に乗る。小千谷あたりで少し吹雪く。それでも電車は止まらない。その先の風景を見ると、家々に雪が覆いかぶさっており、相当に雪が降ったことが分かる。ところが途中山を越えると急に晴れ間が出て、2時間かかって何とか水上駅へ着いた。そこでは雪のため電車の遅れが発生しており、日曜日ということもあってか、多くの人がホームにいて驚いた。

新前橋で両毛線に乗り、高崎から湘南新宿ラインに乗る。高崎で降りて、ちょっと散歩でもしようかと考えていたが、そんな気力もなくなり、ただただ揺られていく。それにしても長岡からのあの寒空に比べて、埼玉の何と暖かい日差しだろうか。これが雪国と関東の違いだとしみじみ感じながら、心地よく転寝する。新宿に着くと、なぜか『豚肉と玉ねぎのカレーそば』が目に入り、それを啜って帰宅した。私の青春は敢え無く、いやあっけなく終了した。

青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021(5)青春できない JR廃線を行く

12月17日(金)長岡へ

翌朝、実は3つある朝食の選択肢(近所の市場で朝食など)、私は説明をされなかったので、館内で立派なご飯を食べた。そして電車の時間を見計らってチェックアウトしようとしたが、ここでもまた出来なかった。係員を呼ぶと、何だか宿の偉そうな人が名刺を差し出し、昨日のことを謝ろうとしていたが、私には彼に構っている時間はなかった。振り切るような格好で雨が降る外へ飛び出し、何とかバスを捕まえて駅へ向かった。このホテルチェーン、京都でも同じことがあったが、なぜお客のことを優先(お客の時間に配慮)して考えられないのだろうか。さすがにひどい対応だと言わざるを得ず、久しぶりに憤る。

駅に着いて、今日こそ18きっぷを使おうと思ったが、何と私が向かう富山方面に行くJRは新幹線しかない。窓口で聞くと、『金沢から18きっぷは実質使えない。どうしても使うなら、米原方面に戻り、東京から回るしかない』と言われ唖然とする。確かにきっぷをよく見れば、この路線が使えないことは書かれているが、老眼の私は注意書きをいちいち確認しなかった(還暦は青春できない)。確か8年前はJRで富山を旅したのだが、その後新幹線開通と共に、第三セクターに移行していたのだ。

仕方なく、切符を購入して(切符も途中の市振までしか買えない)IRいしかわ鉄道に乗る。行き先は泊。あの懐かしいバタバタ茶の町だった。高岡、富山と過ぎていき、途中からあいの風とやま線に入る。終点泊駅まで約2時間、そして直江津行ときめきえちごライン(名前が今風)への乗り換え時間20分。この駅は2番ホームに金沢行と直江津行が同居している。

直江津までは1時間ちょっと。その間、日本海を眺め、山を眺めて過ごす。確か筒石というトンネル内に駅があったが、今回は気が緩んでいる間に通り過ぎた。直江津までは新幹線を避けて各駅停車の旅をしたが、18きっぷを使えないのだから、ダラダラ鈍行に乗る必要性はなく、直江津から長岡は特急に乗った。途中雨が強くなり、日本海は全く見えなくなった。

長岡で

今回長岡に来たのは、一度も来たことがなかったという理由だけだった。ただ長岡と言えば二人の英雄がいるので、行けば何かあるだろうという程度のノリだった。駅にある観光案内所に立ち寄り、『河井継之助と山本五十六記念館に行きたい』と告げると、何と電話を掛けて予約を取ってくれた。これもコロナの影響だろうか。そして地図をくれて、親切に色々と教えてくれた。

取り敢えず予約した宿に向かった。駅前は冬の対策か、雨に濡れないようにアーケードなどがある。それに沿って歩いて行ったが、乗るエレベーターを間違えてしまい、変な所へ出た。何と市役所だった。そこで宿の場所を尋ねると、係の女性がわざわざ私を正しいエレベーターまで誘導してくれた。長岡の人は親切だ。

宿に荷物を置いて、早々に出掛ける。まずか河井継之助記念館へ。小雨が降る中、徒歩10分で到着する。ちょうど団体の見学が終わったところでよかった。この記念館は、河井継之助邸跡に建てられているらしい。河井と言えば、幕末幕府側として戦った長岡藩のリーダーであり、郷里の英雄。

だが明治初期は、長岡をどん底に落とした男として恨まれていたらしい。それを司馬遼太郎が『峠』で、その崇高な精神を褒め称えたことから、今では英雄扱いになっている。来年また映画化されるらしい。1階と2階に展示があり、戊辰戦争までの経緯や、如何に戦ったかが、詳細に説明されている。

だが興味を惹いたのは戦死した継之助ではなく、生き残った妻(すが)だった。名前からして興味を持つが(西郷隆盛の最初の妻もすが)、彼女の実家は梛野家だったことだ。そして彼女はどうなってしまったのか?取り敢えず、写真撮影が許されている継之助像を撮って退散した。

そこから5分ほど歩くと、今度は連合司令長官山本五十六の記念館がある。こちらも、戦死した際搭乗していた機体の一部など、五十六関連の展示品が多くあった。だが私が興味を持ったのは、藤原銀次郎からもらったという茶道具。学芸員の方に尋ねてみたが、五十六が茶人として有名だったとの話はないとのことだった。そしてここでも五十六の知人に梛野という人物が出てきた。近所に山本五十六の生家跡が公園になっており、庭に像があった。

暗くなり始めたので、宿に戻る。腹が減ったので外へ出たが、雨模様だったので、駅のところでチャーシューメンを食べて退散した。宿は函館で泊ってよかったチェーンを使ってみたが、函館ほど快適ではなかった。それでもゆったりと湯に浸かれるのは、この寒さでは有難い。

青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021(4)33年ぶりの金沢

12月16日(木)福井2

朝は宿でたらふく朝食を食べた。そばやすし等、立派な朝だった。午前中は福井の町を歩く。まずは福井城へ向かう。今は県庁になっており、家康の息子、結城秀康の像がある。福井城は結城氏、そして松平氏の居城だった。今はその石垣の一部が残されているだけ。折角なので、郷土歴史博物館へ行く。館内には橋本左内と共に弟の橋本綱常の胸像もある。綱常は明治初期にヨーロッパへ留学、軍医総監、初代赤十字病院長などを歴任、早くに亡くなった兄に代わり、名を残した。そして表には松平春嶽の像も見られる。

更に歩いていくと、公園に『山本条太郎誕生地』という碑を見つける。山本条太郎は明治期に三井物産で頭角を現し、その後満鉄社長なども務めた人物。お城近くに戻ると福井神社があり、立派な松平春嶽像がある。やはり幕末史では、もう少し橋本左内と松平春嶽の活動を評価すべきではないかと常々思っている。

広場に岡倉天心像もある。そして熊本から招いた横井小楠の教え子、三岡八郎(由利公正)もここの人だった。新政府では財務担当、あの『五か条のご誓文』を起草したと言われる。さすが福井は様々な人物を輩出していると感心するが、現在あまり知られていないのは残念だ。

金沢へ

昼前にJRで金沢を目指す。今回も僅か1時間半の旅で、18きっぷの出番はない。金沢駅にやってきたのは、実に33年ぶりではないだろうか。特に用事もなく、訪れる機会がなかったので、金沢にも1泊しようと考えた。新幹線の開業した金沢、駅もちょっと複雑になっていた。取り敢えず観光案内所に立ち寄ったが、都会の案内所という雰囲気で効率重視。今日の宿までのバスを聞いても、『後ろの掲示板を見て』と言われ、そこには分刻みでバスが出発しており、どれに乗ってよいかわからない。何だか第一印象は良くない。

なんとかバスに乗ったが、Suicaは使えなかった。新幹線で東京方面とのリンクを謳っている割に、仕組みができていないと感じる。宿に荷物を預けて外へ飛び出す。午後は雨の予報なので、雨が降るまで歩いてみようと少し焦る。

宿を出るとすぐに尾山神社があった。神社に用はないと思ったが、その異様な、洋風な建物に思わず引き込まれ、階段を上る。神社の祭神は前田利家とまつだと書かれており、二人の像もある。そこから裏を回っていくと、いつの間にか道路を隔てて、お城に辿り着く。

金沢城に来るのも33年ぶりで、全てを忘れている。加賀百万石の、かなり広い敷地を無暗に歩き回って疲れる。前田利家以降の前田家の歴史、もっと勉強しておけばよかった。と言ってももう遅い。お城の脇から兼六園が覗いており、吸い込まれるように入る。ここは本当に立派な庭園、日本三名園だ。昨年偕楽園に行こうと水戸に泊まったが行かなかった。岡山後楽園は2度行った。

兼六園も2回目だ。ここを歩いていると、なぜか癒される。庭がこれでもかと出て来るので、ついつい歩いてしまう。木々は雪支度をしているが、降っていないようだ。疲れたので、あんころ餅を食べてお茶を頂く。何とも幸せな時間だった。

兼六園でも雨は降らず先に進む。金沢の歴史を知るために石川県立博物館に行ったが、何と休館中で入れなかった。ここは赤レンガミュージアムと呼ばれており、歴史的建造物の中に博物館があるので、入ってみたかった。今度は鈴木大拙館を目指す。博物館から近いとGoogleは言っていたが、実はかなり急な坂を下りたところにあった。ところがここも展示替えで臨時休館だった。これは誰のせい?コロナ?更に雨でも耐えられるように、県立図書館へ向かったが、何とここも移転のため閉館中とある。さすがに諦めて宿に戻る。

そして事件は起きた?宿でチェックインしようとしたが、フロントの女性は私に館内や朝食の説明を全くせず(隣の女性客には懇切丁寧に案内がされている)、こちらから要請するも、まさかの『お部屋に置いている説明書きをご覧ください』と私を追いやった。さすがに驚いて、マネージャーなる人に説明を求めたが、最初は『それでは今から、私がご説明します』という頓珍漢さで、対応に苦慮した。まあ、もうどうでもよくなり、流れに任せることにする。

夕方雨の中、高岡在住のYさんと会った。今回は富山を素通りしますと、連絡したのだが、金沢まで来てくれるとは何とも恐縮。そして彼女の車で向かった先は、何とモンゴル料理屋さんだった。実は以前富山でパキスタン料理を一緒に食べに行ったこともあり、この意外性には驚かない。

Yさんとは北京繋がりだが、こちらのオーナー、モンゴル族のAさんも北京繋がりだという。ご縁があって日本にやってきて、金沢の方と結婚したらしい。スーヨーティーがめちゃくちゃ懐かしく、何杯も飲んでしまった。そして羊肉のソーセージやボーズが異常にうまい。自分が羊に飢えていたことを実感する。

Aさんはユニークな人で、モンゴルやチャの話だけではなく、様々なことに興味を持っていた。翻訳業などもしているようで、非常に幅広い知識を持っていて、話していて飽きることはない。何とも楽しい、意外性のある一夜を過ごすことができたのはやはりYさんのお陰だ。

青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021(3)福井 一乗谷と北の庄

12月15日(水)福井へ

朝ご飯は昨日より格段に良かった。やはり昨日の宿が特殊だったようだ。ゆっくり食べてバスに乗り、京都駅へ。ホームまで行くと敦賀行新快速は遅れていた。向かいの特急も来ていない。まあ急ぐ旅でもない。本当は今日も18きっぷを使いたかったが、各停料金と18きっぷ1日分がほぼ同額なので、ここは温存してSuicaで行く。

敦賀までは琵琶湖畔を走るのだが、徐々に風景が寂しくなっていく。湖西と湖東が近江今津駅でドッキングしてすぐに敦賀となる。だが新快速が遅れており、敦賀から福井行への乗り継ぎが不安になる。車掌に聞いても、さあ間に合いますかな?とつれない返事。1時間半以上掛かって敦賀駅まで行くと何とか福井行に間に合い、また揺られていく。

福井までは1時間弱。途中の駅名がユニークになってくる。眼鏡で有名な鯖江は別として、王子保、大土呂、越前花堂など、何と読んでよいかもわからない。福井駅に到着すると、駅前には松尾伝蔵の胸像と岡田啓介像があった。岡田は首相になった人物だが、松尾はその義弟で、首相秘書官となり、何と二二六事件に際して、岡田と間違われて命を落とした人物だった。

駅前の観光協会に寄って地図をもらう。ついでに一乗谷と永平寺への行き方を聞いた。すると『今日と明日、永平寺はお休みです』というではないか。テーマパークではない、寺がお休み?何と官長が亡くなり、その葬儀が取り行われるため、拝観停止なのだという。隣に座っていたおじさんが思わず、『何と運のない』とつぶやき、皆で笑う。確かに葬儀はそうそうあるものではなく、こんな時に来るとは我ながらすごいと思う。

取り敢えず予約した宿に荷物を置いて、また観光協会に戻る。一乗谷行バスチケットが安く買えるという。駅の反対側から出るのでそちらへ行くと、観光協会の人が追いかけてきて、バスの降りる場所についてアドバイスをくれた。何とも素晴らしいサービスだ。バスまで少し時間があり、駅をうろつくと駅そばがあり、思わず入って食べてしまった。越前はやはり蕎麦だな。

バスは永平寺まで行くらしく、お坊さんが二人乗っていた。あとは観光客数人。30分ほど乗っていると資料館が見えてきたが、現在改修中なのでここで降りないで先へ進め、というのが先ほどのアドバイス。確かにそこから2㎞以上行ったところに一乗谷の見学入り口があった。

一乗谷は朝倉氏の居城として名は知られているが、実は最近発掘調査が行われ、概要が明らかになったという。この間NHKのブラタモリでもやっていたので、興味が沸く。山に囲まれた狭い谷、そこに朝倉氏の屋敷があり、家臣の住居がある。一乗谷滅亡後、埋もれていたものを最近掘り出して、一部が復元されている。

橋を渡って向こう側へ行くと、朝倉氏遺構がある。朝倉義景が暮らした館跡、墓もある。少し上に上がると、庭園跡がある。ここからの眺めは良かっただろう。雨が降り出して足場が悪いので、その上には行かなかったが、横に歩いてみても、それなりの広さがある。ここに明智光秀も度々来たのだろうか。更に歩くと、いくつかの館跡、初代の墓なども見られた。

雨が強くなり、それ以上歩くのは止めて、バスが来るのを待ち、大人しく駅まで戻る。一乗谷の概要は何となくわかったが、やはり解説がないと全体像は分かり難い。ブラタモリを思い出しながらの散歩となった。恐らく博物館が完成すると、そこで掴めるようになるのだろう。

駅へ戻ると雨は上がっており、また歩き始めた。折角なので、一乗谷の後、北の庄へ向かう。ここは柴田勝家の居城で、秀吉に敗れてお市の方と共に散った場所だ。駅からそう遠くはない場所に、柴田神社があった。何とそこには『お市さん モテ祈願』などと書かれていて驚く。更に娘三姉妹の像まである。どうなっているんだ、この神社?

反対側に回ると北の庄跡があり、ようやく柴田勝家像にご対面できる。今や石垣の一部などしか残っておらず、どの程度の規模の城であったかを知ることも難しい。扱いは柴田公園であった。実は時代劇では有名だが、北の庄についてはよくわかっていないらしい。更に先日東京で家の近所を散歩していたら、何と勝家の孫の墓があって驚いた。柴田家は滅亡しておらず、北の庄から落ち延びた孫が家康に認められて、江戸時代を生き延びたらしい。

そこから歩いていくと、グリフィス記念館という洒落た建物があった。外国人教師の洋館であり、中も見学できる。足羽川を渡ると、左内町に入る。越前藩と言えば、やはり橋本左内だろう。近くの公園内に墓所があり、立派な像が立っている。安政の大獄で犠牲にならなければ、もっと名を知られたであろう、活躍したであろう左内。さすがに地元での評価は高い。

青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021(2)京都を歩き回る

12月14日(火)京都2日目

本日も京都泊のため電車移動はお休み。一応体調を考えて、毎日8時間乗車などはしない。宿でトラブルが起こる。朝ご飯を食べようと、会場へ行くと『朝食券はないのか』と聞かれる。もらっていないというと、『えー』と言い、フロントに確認して『食べていいそうです』とあっさりいうので、こちらが『えー』となる。渡し忘れたのなら、もう少し申し訳なさそうにしても良いのではないだろうか。

そういう素振りをしたところ、マネージャーなる若者が食事中に現れ、頭を下げる。食事中だからというと、帰っていく。ところがチェックアウト時、この宿は機械で自動なのだが、カードを入れても数分間止まってしまう。フロントに声を掛けると先ほどの若者が飛び出してきて、またひたすら頭を下げる。こちらはバスの時間などを見て動いているのに、お客の都合など一向に気にしていないようなマニュアル対応に、驚いてしまった。

バスに乗り、四条から三条へ移動する。間の悪いことに、同じホテルチェーンの別の宿を予約してしまっていたのだ(京都内の同系列ホテルに宿泊すると特典があると言われて)。そこへ荷物だけを預けてすぐに飛び出す。バスで大徳寺へ向かう。大徳寺納豆の由来書きを読んでから、大徳寺黄梅院に寄る。ここは織田信長が父信秀のために秀吉に建てさせた寺で、信秀の他、毛利元就、小早川隆景、そしてお目当ての蒲生氏郷の墓がある。利休の庭園もあると書かれているが、なぜか入る気になれず、外の庭だけ写真に収めて去る。この扱いを見て、蒲生氏郷の地位が何となくわかる。彼が生きていれば歴史はどうなっていただろうか。

大徳寺を歩いていると色々な歴史が出てきて何とも楽しい。キリシタン大名大友宗麟の菩提寺瑞峯院、墓は十字架に見えるという。三玄院は石田三成ゆかりの寺で、古田織部、小堀遠州、千宗旦、沢庵和尚などが修行したとある。織部好みの茶室、そして墓もあるようだ。高桐院は細川家の菩提寺であり、出雲阿国の墓もあるという。総じて拝観料が高く(高桐院は拝観停止)、お墓の写真を撮る必要もなかったので、立ち去る。

そこから約1時間、鴨川を渡ってテクテク歩いていく。着いたのは宮本武蔵と吉岡一門の決闘で知られる八大神社境内、一乗寺下り松。武蔵のことは以前少し調べたが、ここは時代劇では必ず出て来る場所だった。意外に狭い敷地に武蔵像が建っている。ここで決闘前に神に祈ったという。

だが目的地はここではなく、更に坂を上っていく。詩仙堂、石川丈山が隠棲のために建てたと言われる。丈山は三河に生まれた武士で、徳川家康に仕えていたが勘気を被り?職を辞したらしい。江戸初期のことである。その後煎茶の奥義を極める??など、文人として余生を過ごした。煎茶道の祖とする話も聞いたが、少し違うようにも思う。ただこの落ち着いた空間を見ると、開祖という雰囲気はある。

拝観料500円を払って建物の中に入ると、いい空間が広がっている。そして座敷に座って庭を見ることができるのだが、その何とも言えない解放感、癒しの空間に、多くの人がじっと座っている。鹿威しの高い音が響き渡るが話声はない。庭に降りると、下りになっていて、下に庭がある。何とも贅沢な造りだ。すごく天気が良く、小春日和という感じで、テンションが上がる。ずっとここにいたと思える場所。

そこからまた銀閣寺の横まで歩いていく。哲学の道の脇に石川丈山の碑があった。更に歩いて泉屋博古館に行ってみる。ちょっと疲れたので休むつもりだったが、まさかの休館中。とぼとぼ歩いていると白河院という表示が目に入る。ここは元々藤原良房の別荘。それを白河院に献上したのだという。こういう場所がひょこっと出て来るのが京都らしい。宿の近くまで戻ると、みずほ銀行があったが、ここは三条南殿跡、そして平安博物館跡のようだ。ただ建物は新しくなっているように見える。

今日もかなり歩いて体力を消耗したので、夕飯はとんかつにした。近所のとんかつ屋へ行くと、ソーシャルディスタンスが十分に取られており、とんかつは普通だが、ゆっくり食事ができた。思わずキャベツとみそ汁をお替りした。帰りにコンビニでリプトンが新発売した練乳ミルクティーというのを買ってしまった。疲れた体に甘い飲み物は心地よい。

青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021(1)東京から京都へ

《青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021》  2021年12月13-19日

青春18きっぷ、という言葉には若い頃から憧れていたが、実は学生時分はそれほど旅が好きでもなく、この切符で旅に出ようと思うことはなかった。そして還暦を過ぎた、コロナ禍で海外へ出られない今こそ、ラストチャンスと思い?各駅停車の旅を楽しむことにしてみた。

12月13日(月)京都へ

これまで静岡辺りまで新幹線を使わずに在来線で行くことはよくあった。だが基本的には小田急線で小田原まで行って、そこからJRというのが、料金も安く、時間的にも早い。今回はほぼ始発で京都まで行ってみようと試みる。まずは新宿へ行き、ついに18きっぷを提示した。だが、湘南新宿ラインで行けるところまで行こうと思っていた目論見は見事に外れた。新宿からの始発は6時40分、仕方なく品川に回り、東海道線に飛び乗る。

幼い頃、辻堂に住んでいたこともあり、横浜、大船などを走ると、その頃のことをたくさん思い出した。昔の東海道線は混んでおり、小さな体は押しつぶされそうだった。亡くなった伯父さんに連れられて、江ノ島の花火の夜、東京へ行ったことなど、なぜか今でも覚えている。

このまま小田原まで行こうかと思っていると、電車は国府津駅に入る。すると向いに御殿場線が停まっていたので、いきなりそちらに乗り換えた。いつもなら時間と料金から、こんな選択はしないのだが、今回料金は気にならない(時間的には20分ほど長い)ので思い切る。これが青春だろうか。

御殿場線、途中で小田急線とクロスする。学生など乗客は意外と多い。山北など、神奈川の茶産地も通り過ぎていく。御殿場が近づくと、富士山がどんどん大きくなり驚く。沼津に近づくにつれて、乗客がまた増えてくる。毎日乗っている人が多いのか、乗り込んですぐに日よけを下ろしたりする。沼津まで1時間10分ほどの旅だった。

沼津から豊橋行の電車に乗り込む。乗り換えなしで3時間進めるのは、荷物を持つ者としては有難い。この路線は時々利用しているので、駅名にも風景にも馴染みがあり、何となく落ち着く。車内に盲導犬が乗っており、実に大人しくお座りしている。静岡、掛川と過ぎていくと、何となく腹が減る。

浜松で降りてしまった。前回浜松に来た時、うなぎを食べたが餃子は食べなかったので、ランチは浜松にしようと思ったのだ。駅に餃子屋があることも分かっており、途中下車しても料金は変わらないのは気楽だった。ところが餃子屋は閉まっていた。何と11時開店、あと5分だとわかり、並ぶ。チャーハンと餃子10個セットを掻き込み、また電車へ戻る。餃子の味は覚えていない。

天気が良いので浜名湖がきれいに見える。新所原駅では天竜浜名湖線の小さな駅が見える。ここから森町まで一両列車に乗ったのも良い思い出だ。終点豊橋で乗り換えるのだが、大垣行へのこの乗り換え時間が異常に短い。乗客も分かっており、皆ダッシュする。息が上がる中、座席にへたり込む。名古屋は素通りして1時間半ほど乗ると大垣まで来る。

昔の18きっぷは東京駅から出る大垣行夜行電車に揺られていったのだろうか。いや、それだと効率が悪かったのだろうか。今やそんなことも分からなくなっている。大垣から米原まで行き、また乗り換えて京都まで2時間。意外に早く着いてしまった感あり。

京都駅からバスに乗り、割引券のある宿に投宿。このチェーンホテル、気に入って使っていたのだが、何だかフロントのサービスがかなり怪しい。とっても腹が減ったので、紹介されていた食堂を目指す。近いと思っていたら、実はかなり遠い場所にあり、歩いて1時間の散歩となってしまった。まあ、一日中電車に乗っていたのだから、歩いた方が体にはよい。

ここでジャンボチキンカツを食べて腹がはち切れんばかりとなる。暗くなっていたが、当然帰りも歩きと思っていると、なぜかポツリと雨が落ちてくる。近くの嵐電の駅まで行って電車で帰る。しかし嵐電の駅は、これが駅なのかと思うほど分かり難く、暗い夜道では探すのが難しい。四条大宮からまたとぼとぼ歩く。宿へ帰って大浴場で疲れを癒す。在来線の旅は良いが、やはり寝床だけはバックパッカー宿とはいかなそうだ。

さしま茶旅2021

《さしま茶旅2021》  2021年12月9日

一昨日浦賀に行ったのには訳があった。それは『日本茶を初めて輸出した男 中山元成』を調べる過程で、中山が何とペリーと幕府の交渉の場に同席し、その様子を絵に描いていたというのを知ったからだ。そして今日は、中山の故郷猿島に赴く。

12月9日(木)古河へ

平日の通勤時間帯に電車に乗るのは久しぶりだったが、昔に比べれば乗客はそれほど多くないという印象を持った。これもコロナ禍のお陰であろうか。古河駅に降りるのは6年ぶりだった。今回もまたYさんが駅まで迎えに来てくれる。何とも有難い。Yさんの家は江戸時代から続く茶農家であり、良質のさしま茶を作り続けている。JR東北本線の車窓から茶畑が見える。

何とも歴史を感じさせる、美味しいお茶が出来そうな茶工場はそのままの様子だが、茶葉を販売するショップはきれいになっていた。Yさんの作るお茶の進化も素晴らしく、日本茶アワードなど数々の賞を取っており、様々なお茶が並んでいた。

昔の写真を見せて頂いた。大正時代に茶摘みから茶作り、製茶競技会までを写真に収めているとは、それだけでも当時の茶業の財力が分かる実に貴重な写真だ。そしてYさんが何気なく言った『この茶畑の端に写っているのは、太田義十さん』というのに驚いた。太田義十と言えば、戦前は熊本や茨城、戦後は埼玉の試験場で活躍した人物であり、ちょうど先日、40年前の彼のインタビュー記事を話題にしていたところだったからだ。

これは茨城の試験場にいた時、こちらに立ち寄った写真だろうか。もっと驚いたのは『横にいる女性は、Y家の人(おじいさんの妹)で、義十さんと結婚したと聞いている』というのだ。このY家は当地では相当のお家であり、仕事で出入りしている内に、そこの娘を見染めたということだろう。この辺については、Yさんのお父さんが詳しいというので、次回はこの話を聞くために再訪することとして、Y家を離れた。

Yさんの車で向かった先は、坂東地域農業改良普及センター。ここに1941年に建てられた中山元成の胸像があった。以前は茶業試験場だったという。元成は1859年、横浜の外国商会にさしま茶売り込みを成功させ、アメリカに輸出された最初の日本茶、という栄誉に輝いた。だがそれだけではなく、明治初期のこの地の茶業に大きく貢献したのだという。

更に元成の故郷、辺田に建てられている大きな『茶顛中山元成翁製茶紀功碑』を見に行く。しかしなぜこんなに大きいのだろうか。後ろに回ると、一面に人の名前が刻まれていた。よく見ると明治の茶業界の錚々たるメンバーではないか。中山元成がどんな貢献を日本茶にしたのかは、このメンツを見ればよく分かる。この石碑は今でも中山家が管理しているという。

昼時となり、近所のお蕎麦屋さんでランチを頂く。鴨そばをつるつる、旨い。こちらが案内してもらっているのにYさんにご馳走になってしまった。申し訳ない。

午後はさしま茶協会のI会長を訪ねて、さしま茶の歴史を聞く。協会では市にも働きかけ、さしま茶の歴史を大学と連携して研究し、中山元成の功績も明らかにしてきたという。更に元成の息子のこと、中山家は外国との付き合いが多かったことなど、色々なサイド情報を収集する。尚先ほど見た『茶顛中山元成翁製茶紀功碑』の名簿の中には、私が調べた知られざる明治の茶業者(可徳乾三や平尾喜寿ら)が数名載っており、その資料をお礼にご提供した。

幕末から明治にかけては、静岡よりもむしろ関東の方が一大茶産地であったというは面白い。確かに輸出が横浜から行われているのだから、港に近い方が良いという道理となる。それが明治30年代に清水港が開かれ、茶貿易は静岡が中心となっていく。それは『徳川慶喜が許され、東京に戻った。それに付随して静岡に茶貿易の利権を移した』という話もあった。更にはさしまで紅茶が作られた歴史がないかなども調べる。

Yさんは用事があって途中で帰ってしまったが、その後もずっとI会長と話を続ける。息子さんがチャレンジしている烏龍茶なども面白い。最後は車でわざわざ駅まで送ってもらった。境町の最寄り駅は東武動物公園。実は妻の実家の墓がこの辺にあり、車でその脇を通った。利根川が蛇行していることは知っていたが、昔は茶が運ばれていたことを初めて知る。

東武線も久しぶりで懐かしい。帰りはなぜか北千住で降りた。特に当てもなかったが、若い頃、この駅を毎日通り過ぎていたことがあった。その辺の食堂に入ったが、コロナのせいかお客はあまりおらず、ホルモンやレバーを黙々と食べた。

浦賀日帰り茶旅2021

《浦賀日帰り茶旅2021》  2021年12月7日

1853年ペリーがやってきた場所は浦賀だった。昔から時代劇に良く出て来る地名だが、行ってみようと思ったことすらなく、今日に至っている。冬の一日、今回は何となく浦賀に向かう。更には常々気になっていた金沢文庫にも寄ってみる。何かいいことはあるだろうか。

12月7日(火)浦賀

品川からいつも乗る京急。羽田空港に行く時使うので、蒲田以南は滅多に行かない。今回は特急に乗り、京急久里浜駅まで行く。駅前には商店街があり、そこをまっすぐ抜けて行く。15分ほど歩くと海まで出る。そこは久里浜海岸だったが、ペリー公園があった。ペリー上陸記念碑が実に大きい。そして片面に日本語(碑の文字は伊藤博文)、裏面?には英語が書かれている。米友協会(明治憲法にもかかわった金子堅太郎が会長)が資金を集めて明治34年に建てたという。

公園内にはおしゃれなペリー記念館もある。入口にはペリー提督と戸田伊豆守氏栄の胸像があった。戸田は浦賀奉行としてペリーを迎え、翌年には日米和親条約を結んだのだから、ペリーのカウンターパートである。2階建ての館内にはペリー来航時関連の展示が無料で見られる。

昼前となったので、公園近くの『黒船食堂』に入ってみる。お客は誰もいなかった。この名称の食堂だから、てっきり『ペリーカレー』なんてのがあるのかと思っていたが、全く普通の食堂メニューで逆に好感が持てる。私も普通のアジフライ定食を注文して、美味しく頂いた。

それから海岸沿いをずっと歩いてみる。ペリーが来航した時は、どんな風景だっただろうか。30分ほど歩いて灯明堂跡までやってきた。ここは江戸初期に作られた灯台?で、明治初期に廃止になった。この丘の上には台場が設けられ(週末のみ見学可)、1837年のモリソン号来航時に、最初にここから砲撃したと書かれている。またこの地は浦賀奉行所の処刑地でもあったようで、仏像や慰霊碑なども見られた。

そこから浦賀奉行所跡に回る。そこは何もない更地になっていて、何ともポカンとしている。以前はどこかの企業の敷地だったようだが、今後は何か建てる予定なのだろうか。一応説明書きがあるので、その場所だとわかるが、日本の近代が開かれた歴史スポットとしては、何とも味気ない。

浦賀駅の方に向かうと、海が青い。入り江に船番所跡など浦賀奉行所の出先があったことも表示されている。対岸に渡る、渡し船もあるようだが、『乗船の方はボタンを押して』と書かれていると、ちょっと興を削がれる。浦賀駅まで来ると、昨年が奉行所開設300周年だったことが分かる。

浦賀造船所はこの駅の目の前にあったという。ペリー来航後一度作られた造船所は、小栗上野介らが横須賀造船所を作ったため廃止されたが、その後時を経て復活。100年に渡って戦艦などを作り続け、住友重機械工業旧浦賀工場跡地として、最近横須賀市に寄贈された。

金沢文庫

浦賀駅から電車に乗り、雨も降らなかったので途中の金沢文庫駅で降りた(金沢八景で降りる人は多いが文庫は少ない)。歩いて10分ちょっとで金沢文庫に到着。鎌倉時代金沢北条氏によって収集された貴重な書庫であったが、幕府滅亡後書籍は散逸したらしい。お隣にある称名寺という寺と共に有名である。金沢北条氏と言えば、大河ドラマ『太平記』で児玉清が演じた執権北条貞顕が思い出される。

きれいな金沢文庫の展示を見学後、そのまま図書室に入り、資料を見せてもらった。鎌倉時代の茶に関する資料があると聞いていたが、過去の特別展などのカタログなどをいくつか見た。私は日本茶の歴史に詳しくないので、その価値はよくわからない。もっと的を絞ってから来るべきだったと後悔する。

称名寺にも行ってみる。こちらは非常に落ち着いた雰囲気があり、ちょうど紅葉が終わったところで人影もまばら。寒くもなく散策にちょうど良い。山門やお堂も、雰囲気はいかにも鎌倉だった。もとは金沢北条氏(北条実時の像がある)の阿弥陀堂だったが、その後大造営が行われたという。特に金沢貞顕が作った浄土庭園は非常に趣があり、歩いていると心地よく、その雰囲気は今に繋がっている。

鎌倉幕府滅亡と共に激動の時代となり、江戸時代にはその維持も難しくなったと説明されている。室町、戦後時代に金沢文庫の書籍も持ち去られてしまうが、庭は残ったということか。中世史というのは、実はあまりよく理解されていないが、この辺りと茶の関連は興味深いのかもしれない。時間が許せば調べてみたいが、果たしてその時間はあるだろうか。

東北、北海道を行く2021(8)初めての旭川で

そこでちょっと休んでから、Tさんに会いに行った。Tさんも北京繋がりだが、東京でも何度も会っていた。お茶の関係で札幌に来る機会は少ないので、このチャンスに会いたいと連絡すると、平日は非常に忙しいという。彼も定年で転職し、今はコロナ関連の助成金申請作業などをしているという。

Tさんが連れて行ってくれたのは小さな居酒屋。コロナ禍もあり、きっと経営は大変なんだろうが、私はあまりお酒を飲まないうえ、昨日の食べ過ぎもあって、それほど店の売り上げに貢献できなかった。Tさんとは昔話などを楽しくお話して別れた。その足で宿に戻り、荷物を持って札幌駅へ向かう。

今晩は旭川に移動だった。何と駅ネットで特急を予約すると、45%割引と書いてあり、迷わず予約しておいた。ほぼ1時間に一本、札幌‐旭川間には特急カムイが走っているのは便利だが、その利用率は残念ながら高くはない。一応指定席だが、またガラガラの車両に揺られていく。途中富良野という文字が見えると、『北の国から』を思い出す。

1時間半弱で旭川駅に到着した。かなりきれいな駅舎だった。さすがに北の夜は寒い。今晩は駅前の宿を予約していたが、行ってみるとかなり若者向けな感じの宿で、チェックインも自動で行うようになっており、そのフロアーは広い共有スペースになっている。今日は土曜日の夜で特にお客が多いようだ。大浴場も完備しているが、かなり混んでいた。

11月21日(日)旭川で

旭川の朝は寒かった。そして小雨が降っていたので、ゆっくりと朝ご飯を食べて天候回復を待つ。この宿の人気の秘密は朝食ビュッフェにあるようだ。何しろ海鮮丼を自分で作れるように、イクラやサーモンがふんだんに置かれている。汁物もうまい。そして普通の朝メニューも充実している。昨晩は気が付かなかったが、家族連れ、老人たちも多く泊まっている。

取り敢えず雨が上がったので、街へ出てみる。旭川へ来た理由は特にない。来たことがなかったので来てみただけ。きれいな駅の観光案内所で地図をもらい、南の方へ歩き出す。川を渡って、旭川市博物館を見学する。正直あまり期待していなかったが、かなりの展示量があり、アイヌから開拓の歴史まで、充実した内容で、勉強になった。

それから駅の北側へ移動する。Google地図に『スタルヒン居住地』との表示が出たので、行ってみたくなる。実は多くの人が旭川といえば『動物園』が思い浮かぶらしいが、私が思い浮かんだのは『スタルヒン』だったのだ。戦前戦後のプロ野球で年間42勝、通算300勝を挙げた白系ロシアの血を引く大投手だが、既に忘れ去られているらしい。因みに駅前のバス乗り場に行列が出ていたのを見たが、それが動物園行だと気が付いたのは、帰りに空港に向かう時だった。

スタルヒン住居地はなかなか見つからなかった。ようやく見つけた表示板は、どこかの住居の柱にプレートが嵌っているだけだった。だがその通りには『八条スタルヒン通り』と書かれており、旭川はスタルヒンを忘れてはいなかった。彼は僅か40歳でこの世を去ったと書かれている。

もうこうなるとスタルヒン球場まで歩いていくほかない。途中石狩川を越えていく。球場の手前に、珍しい建物が建っていた。北鎮記念館と書かれているので、中へ入ってみると、ここは何と陸上自衛隊が運営(隣が旭川駐屯地)しているようで、受付の人からして、きびきびしている。

館内には屯田兵や旧陸軍第七師団の歴史が詳細に展示されていて、かなり興味を惹かれる。北海道に関する、松浦武四郎から北海道開拓、そして日清、日露戦など、様々な資料があり、時間を忘れて見てしまった。これで入場無料とはすごい。記念館の斜め向かいに球場があり、スタルヒン像を見ることができる。年に一度はここでプロ野球の試合もあったはずだが、今はひっそりとしている。その横には北海道護国神社が立派に建っていた。

そこから3㎞ほどをゆっくりゆっくり歩いて宿に戻る。さすがに今回の旅も歩き過ぎでバテテしまったので、早々に大浴場で体を休めた。そして夜、せっかくなので旭川ラーメンを食べようと、近所のラーメン屋に行く。麺にコシがあり、スープにコクがあり、うまい。これならもっと食べておけばよかったと後悔するがもう間がない。

11月22日(月)旭川2

今回の旅の最終日。朝からたらふくご飯を食べて、風呂に入ってホテルライフを満喫した。近所を少し散歩してから、空港行のバスに乗り込む。本当は郊外のアイヌ関連の施設にも行きたかったが、車でないと難しいと言われて今回は断念した。

空港に着くと、思いのほか乗客が多い。よく見ると、今日は平日だが明日は祝日なので、今日が休めれば4連休だった。そんな浮世とは隔絶した今回の旅、予想以上に面白かった。茶旅だけではなく、それ以外の歴史旅もどんどんやっていこうと思うが、果たしてコロナはどう動くだろうか、などと思いながら飛行機は東京に向かって飛んだ。