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マレーシア茶旅2024(4)ペナンからタイピンへ

それから町中の薬局に立ち寄る。80代のお爺さんが迎えてくれた。元は潮州から船で来たという。薬局ではあるが、六堡茶は商っていたと言い、美味しいお茶を淹れてくれた。急須などの茶道具にも凝っており、面白い。ここ数年、六堡茶がブームになり、中国や香港、台湾から茶商が古い六堡茶を買い付けに来たというが、こういうところに眠っていたのだろうか。

もう一軒、昨日は日曜日でお休みだったペナン一の茶荘、天一銘茶へも行く。老舗らしい建物の中で、オーナーとお茶を飲みながら話していると、この店が1983年開業であり、当初は台湾の天仁銘茶の代理店として烏龍茶を売っていたことなど、興味深い歴史を聞く。向こうの方には白人が数人来ており、彼らは取材だという。オーナー夫人はもっと詳しいらしいので、次回は話を聞いてみよう。

ようやく快晴の中、橋を渡り、ペナンを離れた。これからタイピンへ向かうと思っていたが、車はなぜか反対方向へ走る。高速を30㎞以上走ってスンガイパタニという場所に着いた。ここにローカルな茶荘があった。柯さんがここに来たのは、古い急須に出物があるとの情報からだったが、この店には六堡茶など相当古い茶が沢山置かれており、どんどん飲ませてくれた。こんなところに簡単には来られないな、と柯さんに感謝する。

そしていよいよ車はタイピンへ向かう。既に日が暮れかかっている。ケルビンがなぜ柯さんを紹介してくれたのか、その意味が分かる。もしバスでペナンから向かっていたら、10㎞以上街から離れたバス停で降ろされ、そこからまた自力で街へ行かないといけないのだ。タイピンの街に入ると、既に周囲は暗くなっていた。

まずは腹ごしらえ。柯さんは仏教徒でベジタリアンなのだが、なぜか海鮮料理屋へ入っていく。おかしいなと思っていると、店の中が仕切られており、奥にベジレストランが併設されている。ここで美味い豆腐と野菜を食べた。ベジは疲れた体に優しいのでとても良い。勿論オーナーも華人だ。

そのオーナーが経営しているという湖畔の宿へ向かった。タイピンといえば湖、その景色を楽しむリゾート地として、知られている。宿代はそれほど高くなかったので、シンプルな部屋を取って落ち着く。夜のタイピン湖を柯さんと少し散策したが、涼しい風が吹き、今日の疲れが癒える。

周囲にコンビニはあるかと聞くと、街の方へ行けばある、というので、歩き出す。10分もせずに街の真ん中に来たが、コンビニは遠い。フードコートやホテルがある先を行くと、古い町並みが登場した。広東会館などと書かれ建物もある。さすがに華人の街タイピン。今年で街が開かれて150周年だという。

1月30日(火)気持ちの良いタイピンで

翌朝は気持ちよい朝を迎えた。1階で朝食のサンドイッチを食べて、すぐに湖へ出掛けた。徒歩1分で湖周回路へ。多くの人が朝の散歩を楽しんでいる。このゆったり感、何とも言えないリゾート感。道路に大木が倒れ掛かり、その間を抜けて行くのは楽しい。さすが、マレーシアで一番住みたい街に選ばれるだけのことはある。

取り敢えず駅に向かう。この地ではバスは役に立たないと分かったので、次の訪問地、イポーには列車で行くことにした。街中を通ると、漢字が非常に目に付く。古びたいい感じの建物も多い。ちょっと時間が止まったような雰囲気もある。駅に近づくと1915年に建てられた立派な英国式学校もあった。タイピンは1874年に炭坑開発で街が出来、華人が労働者として大量に入植したと聞いた。その先に駅があり、何とここがマレーシア初の鉄道であり、鉄道駅であると書かれていて驚く。駅舎は新しくなっているが、その横に今や食堂となっている旧駅舎が残っている。新駅舎でイポー行きのチケットを手に入れた。

マレーシア茶旅2024(3)ペナンで食べる

宿に戻って休息していると、ケルビンが迎えに来てくれた。今回は茶旅ではないのだが、4年前にお世話になったので、何となく会いたくなって連絡した。彼は車で来たが、おじさんが一人横に乗っていた。取り敢えず郊外の茶荘へ向かう。雰囲気の良いお店で、茶芸を見る。ここのオーナーは1990年頃から台湾茶芸を習って今があるのだと説明される。飲んでいるお茶はやはり黒茶だった。マレーシア茶復活の歴史の一端を見る。生徒は華人が殆どらしい。

それからペナンの美味しい食べ物を食べに行く。日曜日ということもあり、昼下がりの市場は人が多い。焼きそばが特に美味い。こういうものが食べたかった。ケルビン、ありがとう。おじさんと話していると、何と1960年代に台湾の大学に行ったという。当時マレーシアには大学が少なく、簡単に入れる台湾へ行った、というのだが、その頃は反共政策で、東南アジアの若者華人を台湾で教育する、という歴史もあったようだ。これは思わぬところで貴重な話を聞く。

一度宿へ戻り、夕方また外へ出た。宿の裏にはユダヤ人墓地があった。ペナンも色々な人種を受けて入れてきた歴史を持つ。街中を歩くと、本当に様々な顔が見られる。そして様々な建物も建っている。30分ぐらい歩くと、中国人街が見えた。華人の建物も見え、チャイナロードと書かれていたが、その先に踏み込むと何とインド人街だった。

今晩はここにあるカレー屋でJさんと会う約束になっている。前回は確かKLで会った。彼女は色々と動き回っており、ここで再会となった。この店の面白い所は、竹筒に入ったライスが出されて、ルーをつけて食べる。これは意外と旨い。Jさんはもうすぐペナンを離れて、また放浪するらしい。ペナンはかなりいい所だと思うのだが、それでも放浪するのだから、放浪が好きなのだろう。またフラフラと宿に帰る。

1月29日(月)ペナンからタイピンへ

今日はペナンを離れることになっており、当初は朝バスに乗るつもりだったが、何とケルビンがタイピン在住の茶商を紹介してくれた。その人は午前中にペナンに来て仕事をこなした後、私をタイピンまで乗せてくるという、何とも有り難い話に乗った。それで午前中が自由時間となる。昨日ちょっと通った日本人街の方へ足を向ける。

日本人墓地にも関連するが、この道は戦前の日本人が多く住んでいた場所らしい。その面影はあまりないが、日本好きのマレーシアらしい感じはある。その付近で朝ご飯を探すと、また麺が目に入る。暑いからだろうか、マレーシアではとにかく汁なし麺が食べたくなる。甘めの味も好みである。更に猪腸粥が目に入ってしまい、そちらの店でも食べてしまう。本当に安くてうまい。

宿に戻り、柯さんの到着を待つ.ちょうど12時、チェックアウト前に柯さんは迎えに来てくれた。何とも有難い。まずはランチに行こうと連れていかれたのが、和食屋さん。メニューを見ると、何と抹茶があり、更にきつねラーメンが目に入る。この意外性が面白くて注文してみる。和といえば抹茶、というのは絵に描いたような日本イメージ。これは世界で繰り広げられている日本文化紹介で、『お茶といえば抹茶』を広げた結果だろう。

きつねラーメンについては日本にも殆どないと思う。ただその中身はラーメンにお揚げを乗せただけかな。実は帰国後近所に一軒あったので、訪ねてみたが、すごく精緻なきつねラーメンで、店主によれば『日本にはほぼないと思う』とのこと。マレー人はうどんが嫌いなのか、店の仕入れの関係でラーメンが良かったのかは分からないが、これが世界に広がっていく和食の一つではないだろうか。

マレーシア茶旅2024(2)ペナンに辿り着く

午後5時半、クアラパリス港に着いた。ネット検索によれば、この付近から午後6時にペナン方面へ行くバスが出ているらしい。一応一番先頭でフェリーを降り、早足にバス停を探すが見付からない。何とかフェリーターミナルを抜け、人に聞いてみると、バスターミナルはその向こうにあることが分かり一安心。

5時40分、バスターミナルのチケット売場で『ペナン』と叫ぶと、今出るところだ、とチケットを渡される。何とかドリンクだけを確保してバスに乗り込むと、あっという間に出発した。もし6時だと思ってゆっくり来ていたら、今日はこの街止まりだったかもしれない。これはもう運が良いとかいう問題はなく、何かに導かれた旅となっている。

バスにはほぼ乗客はいなかった。ゆったりとした気分でいると、すぐにバスは停まり、客を拾い始める。今日は土曜日、その夕方だから、街中は渋滞していて車の動きは悪い。しかも何か所にも停まり、クアラパリスの次の大きな街、アロースターまで何と2時間もかかってしまった。既にとっぷりと日は暮れている。

一体何時にペナンに着くのだろうかと心配し始めた頃、バスは高速道路に乗り、かなりのスピードで走り出した。結局ペナン島の対岸、ペナンセントラルのバスターミナルまで、4時間弱で到着した。思ったほどのロスはなくてよかった。しかしまだペナン島ではない。ここからGrabを呼ぶ手もあったが、折角なので本日三度目のフェリーに乗ることにした。

バスターミナルからフェリーターミナルは繋がっているので、歩いて行く。フェリーはこの時間、1時間に一本だった。何と支払いはKLで使っていたタッチアンドゴーというカードで支払えた。2リンギ。このフェリーの乗客の半分はバイクに乗っていた。対岸が近づくと明かりが見える。香港スターフェリーをちょっと思い出す。

フェリーは僅か10分で対岸に着いた。ついにペナンに入った。サトゥーンの宿で出てから13時間が経過していた。ここでGrabを呼んで、予約した宿へ向かった。ジョージタウンも大きな街ではないので、10分もかからずに宿に着いた。ここは新しいが客はほぼ中国人という感じだった。

部屋も中国的。そこではたと思い出す。腹が減ったと。何と朝から何も食べていなかったが、時刻は夜の11時。外へ出てみたが、多くの店は閉まっていた。ただ向こうの方に明かりが見え、行ってみると24時間営業のインド系の店があった。その店頭でおじちゃんが焼いている物が実に旨そうで、それを注文した。モットバと教えられたので、そのまま発音するとウエイターも了解した。まあ、お好み焼きみたいなものだが、今日一日の大冒険、久しぶりに旅らしい旅をした気分に実に合う食事だった。

1月28日(日)ペナンに遊ぶ

何だか気持ちが高ぶって眠りが浅い。それでも天気が良さそうなので外へ出る。ペナンは散歩に適した街だ。車の量はそれほど多くはなく、そして何より歴史が感じられる。古い建物が並ぶ一角はなかなかいい。寺院や同郷会館も見られる。その先には4年前に訪ねた老舗茶荘、老翁茶の店があった。朝早くてまだ開いていないが、コロナ禍を生き抜いていて嬉しい。

今朝訪ねたのは、日本人共同墓地。ペナンにあると聞き、来てみたが、残念ながら鍵がかかっていて中には入れない。それでも墓石に日本語が見える。からゆきさんの墓が多いようだが、確認はできない。隣にはマレーシアの有名歌手の博物館があったが、こちらも時間的に早くて開いていなかった。帰りに古い建物の1階にあった食堂で汁なしワンタンメンを食べた。いい感じだった。

バスターミナル付近まで歩き、タイピン行きバスを探したが、よく分からなかった。銀行のATMでお金をおろした。ペナンではなぜかATMをあまり見かけず、探すのにかなり苦労した。宿の近くにはパキスタンモスクがあった。ペナンにはパキスタン人が多くいるのだろうか。

マレーシア茶旅2024(1)奇跡のランカウイ脱出劇

《マレーシア茶旅2024》  2024年1月27日₋2月5日

1月27日(土)ランカウイからクアラパリス、そしてペナンへ

タマラン港を出たフェリーは、ずっと陸地を見ながら進んでいく。途中少し波が荒い場所はあったが、順調に航行して、約1時間半でランカウイ島に到着した。ここで入国審査を受けるのだが、乗客が多く、列が長い。私は係のおじさんに『日本人は早く通れないか』と聞いてみたが、首を横に振る。だが彼は親切にも私の問いに答え『ペナンへ行く直行フェリーはない。ネット検索したら、今日のクアラパリス行きフェリーのチケットはすべて売り切れているぞ』と教えてくれた。

この情報は衝撃的だった。何とか入国するとすぐにフェリーチケット売場へ走ったが、既に窓口に『Sold Out』の文字が貼り出されていた。もう一つの半島の街、クアラケダー行きも同様だった。ということは、ペナンはおろか、半島側にも渡れず、ここで一夜を過ごすしかないのだ。思い余って飛行機のフライトを見てみると夕方5時にペナン行きが1便ある。当然チケットは高いが、それに乗るしかないと覚悟を決めた。

なぜそれほどまでにランカウイを嫌うのか。勿論明日ペナンで知り合いと約束があるからだが、もう一つの理由は、20年以上前にこの島に家族旅行に来た時の印象があまりよくなかったこともある。高級リゾートばかりで、つまらなかった、という思いが20年経っても消えていない。人の記憶とは一度刷り込まれると容易に消えない。

すると、背後から声が掛かった。『クアラパリスへ行く別のルートがあるよ』とその男は言う。どう見ても胡散臭いし、人の足元を見ているようでもある。だが彼は『実はここと別の港からカーフェリーが出る。そちらはネット販売もしていないから、チケットは買える』と言い切るのだ。フェリーの出発は午後3時らしい。

今は1時半だと思っていたら、何とマレーシアとタイには時差が1時間あり、既に2時半。ここから別の港まで車で約20分だという。瞬時の決断が必要だった。私はこの男に賭けることにした。タクシー運転手だと名乗っていたが、どうやら元締めのようで、私をタクシー乗り場へ連れていき、一番前に並んでいた若者に私を託した。

ランカウイの道はきれいで、実にスムーズだった。建物も洗練されていて、ここに一泊するのも良かったのではと思うぐらいだった。だが私はリスクを抱えて車に乗っている。20分後タクシーは港に着いた。運転手は私をチケットオフィスに連れていき、無事にチケットが買えた。タクシー代が30リンギで、フェリー代は25リンギだったが、これは仕方がない。

あと10分で出航だったが、何と私の前に税関が立ちはだかった。一人でスーツケースを抱えて慌てている男は怪しく見えたようで、ケースの中を全部開けられ、チェック(主に酒類らしい)された。それでも何とか船に乗り込み、事なきを得た。いや、あの状況から考えて、奇跡が起こったというべきだろう。

船は大型船。席は8割がた埋まっており、マレーシア人の家族連れやカップルが乗っている。一時は拉致されて貨物船にでも乗せられるかと心配した??のだが、全くの杞憂に終わる。彼らは恐らく半島側から遊びに来て、帰るところではないか。車社会のマレーシアで、船を降りても車が必要なはずだ。だが、カーフェリーの速度は遅い。先ほどの港から出るフェリーなら1時間ほどで到着するはずだが、こちらは2時間半もかかってしまった。その間ボッーとしていたが、水分補給が必要となり、売店でドリンクを買おうとしたが、何とミロしか売っていない。ミロ、懐かしい。

バンコク・ハジャイ旅2024(6)

部屋は先ほどより狭かったが、電気ポットなど必要なものはちゃんとそろっており、十分だった。夕飯を食べようと再び外へ出たが、アテがない。ネット検索すると少し離れた場所に良さそうなレストランがあったので、そこまで歩いて行く。途中華人系寺院などに寄り道する。夕日が西に傾いてきた。

そのレストランはオープンな感じでとても良かった。オーナーも華人で愛想がよい。何か面白い物はないかと探していると『日本人なら天ぷらを食べれば。ついでに地元の野菜炒めもお勧めだよ』といってくれたので、それを注文してみる。料理が出て来るとビックリ。海老の天ぷら?エビが7本も皿に載っている。だが天つゆはないので、塩を貰いつけて食べると旨い。野菜も卵と絡まって実に旨い。気さくなオーナーと英語で言葉を交わして、名残を惜しんで店を後にした。

それからまた街の中心に戻る。中華公会の建物があったので、覗いてみると、何と絵の展示が行われている。何とも優しい絵で、ちょっと見入る。2階に上がると、そちらにも展示があったが、壁には公会歴代会長の写真が飾られており、ここが今も華人の集まりに使われていることが分かる。絵を描いた女性は、ここの生まれでバンコクで長く暮らしていたが、やはり故郷が良くて戻ってきたという。サトゥーンの街の特性など、色々と教えてくれた。こういう何気ない交流は温かい。

1月27日(土)ペナンを目指して

夜は風が強くて、5階にある部屋の窓枠がガタガタ鳴っていたように思われたが、翌朝は気持ちよく目覚めた。天気は上々。9時前に宿を出て、言われた通り、大通りを南へ向かう。セブンのところまで来ると、ちゃんとソンテウが1台おり、タマラン港まで、というと、100バーツで行ってくれた。ソンテウは一路南下して10分ちょっとで、港に着いてしまった。

まずはマレーシアのランカウイ行きフェリーが11時半に出ることを確認した。その上で旅行会社の人に『他にマレー半島に行く方法はないか』と聞いてみたが、全員が首を横に振る。コロナ以前はボートさえ確保できれば、越境して半島を南下で来た、ランカウイへ行く必要はなかった、との情報もあったが、今や完全に閉ざされているようだ。

もう一つ、ランカウイからペナンへ行くフェリーはあるか、と尋ねてみたが、こちらも首を傾げられたのには驚いた。もしランカウイ経由でペナンへ行くとしたら、もう一度フェリーに乗って対岸のクアラパリスへ行き、そこからバスで向うしかないらしい。いやもう一つあるのは飛行機で飛ぶことだというが、それは面白くない。

調査は簡単に済み、ランカウイ行きフェリーチケット(450バーツ)も簡単に買ってしまうと、もうやることもない。周囲をフラフラしていると、地元のおじさんは桟橋まで出て釣りをしている。その辺にボートはないかと未練を残したが、無駄だった。仕方なくお茶を飲みながら、じっと待つことにする。

表示では11時にならないとイミグレは始まらないとなっていたが、意外や10時半には人が並び始め、すぐに出国審査が行われた。後は船に乗るだけだった。フェリーは中型船、乗客は半分ぐらいか。その多くがマレー系に見えたが、どちらの国の人だろうか。勿論観光と思われる人はいない。そこからダラダラと乗船していき、11時半になっても船が出る気配はない。何しろ1日にこの一本しかないのだから、多少は待っているのだろう。10分過ぎて船が動き出す。さあ、マレーシアへ渡るぞ。しかしそこからどうなるのだろうか。

バンコク・ハジャイ旅2024(5)初めてのサトゥーンで

『ペナンに行くには?』と窓口で聞いてみると『フェリーはランカウイ行きしかない。それも1日1便だけだ』といい、それ以外の手段はなく『早く行きたいならハジャイに戻れ』とまで言われてしまう。更に『もし今から行くなら200バーツ出せば送ってやる。フェリーの出航時間は11時半だぞ』とも。時計を見るともうすぐ11時。ここから港まで10分、チケットを買い出国審査はちょっと面倒なので、一度サトゥーンの街へ行くことにした。この街は陸の孤島だったのだ。

出口にはおじさんがぽつんと座っていた。バイタクのおじさんだったので40バーツで行ってもらう。街の真ん中の宿で部屋を頼むと680バーツ。部屋からの眺めも良いのでここに泊まることにした。しかも何と洗濯機が置いてあったので、まずは洗濯に励む。天気が良く風も吹いているので気持ちがよい。部屋に電気ポットが無いのでおばさんからお湯を貰う。ついでにペナン行きの相談をしたが、やはり答えは一緒だった。どんづまりに来てしまったわけだ。

仕方なく外へ出てランチを探す。日差しが何となく強く、暑さを感じたので、時計台の横で早々に見つけたマレー系料理屋に入る。言葉は通じないので、魚と野菜を指さしてよそってもらう。ちょっとスパイシーだが、十分に美味しい。また外へ出ると、先ほどドリンクを飲んでいなかったので、雑貨屋でコーラを買う。何と小さなペットボトルで10バーツ。景気が悪くなると小分けで売る、ということだろうか。

その先にサトゥーン博物館があった。その建物が何とも良い。元々ラーマ五世の南部視察に合わせて建てられたらしい。1902年以降は地方事務所となり、第2次大戦中は日本軍の本部として使われたとある。現在は博物館となっており、サトゥーンの歴史を学ぶことが出来る。

その近くを歩いていると、刑務所跡があった。かなり立派な壁が連なっており、ちょっと見学してみたくなる。正門を見付けて入っていくと、警備員が『どこへ行くんだ』と聞いてくる。『ちょっと中に入りたい』というと、エッという顔をして周囲の同僚に向かって『中に入りたいんだって』とおどけた表情をした。皆がどっと笑ったので、ここが刑務所跡ではなく、現役の刑務所であることを初めて悟り、私も大笑いした。

市内をフラフラ歩いていると、勿論モスクもあるが中国系寺院なども見られ、この街もまたかなりミックスされた世界であることが分かる。まあマレーシアとの国境の街だから、当然ではあろう。街は小規模なのである程度歩くと一回りできた。部屋に戻って休んでいたが、シャワーを浴びたくなる。だが何とお湯が出ない。

フロントに聞きに行くと『実は昨日から壊れていて、今日直る予定だったが、業者がチェックした結果、今晩熱いお湯は出ない』と説明される。何とも景色の良い部屋だったので、一晩ぐらいいいかとも思ったが、何だかシャワーが頭から離れず、ホテルを替わることにしてしまった。

そして裏のもう少しだけいいホテルへ荷物を引きずる。フロントで料金を聞いてみるとネットよりかなり高い。交渉していると『とにかくネットで予約すれば』というので面倒になって予約ボタンを押すと、何と料金は現金フロント払いになっているではないか。希望通りで喜ぶ。更に先ほどの宿と同様、親切なおばさんが出てきて、明日のペナン行きの方法を色々と考えてくれた。だがこちらはどうしてもいい方法は見付からない。

バンコク・ハジャイ旅2024(4)ハジャイ食べまくり

夕方また外へ出た。タイ語が読めない私は、相変わらず華人系の建物が目に付いてしまう。苦瓜麺という文字が目に入ったので、思わず注文する。外のテーブルで待っていると突如雨が降り出したので、屋内に避難。すると店のおばちゃんが話し掛けてきたが、最初は華語だったはずなのに、途中から閩南語か潮州語に変わっている。それでも身振り手振りで何となくわかるので調子を合わせていたら、最後までずっとしゃべっていた。肝心の苦瓜麺の味はよく分からず終わる。夜は佐藤優が出ていたテレビ番組を見る。

1月25日(木)ハジャイ2日目

何となくすっきりしない目覚めだった。それでも外へ出て、何と朝から肉骨茶に挑む。昨日通り掛かった時、この店だけがなぜか混んでいたので入ってみることにしたのだ。朝も混んでおり、何とか一番奥の席に潜り込む。取り敢えず肉骨茶といってみると、実に立派なものが登場した。それなりに美味しかったが、お値段もそれなりだった。

また腹ごなしに散歩する。少し郊外へ向かうと教会が見える。モスクもあるようで、華人だけの街ではないことも分かる。そこで雨が降り出し、屋根の下で雨宿り。傘はあったが雨宿りしてみたかった。本当に10分ぐらいで止んでしまい、如何にも南国を感じる。何事もなかったように歩き始めると、華人が創設した学校なども見られる。

宿に戻ってもう1泊しようとフロントへ行くと何と『今日スタンダードルームは満室なので500バーツ高い部屋しかありません』というではないか。ここから慌てて近くの宿を探し始めた。一番近い所へ行くとネット検索よりかなり高いが、まけてはくれない。もう一軒訪ねたが、やはり同じだったので、仕方なく最初のホテルをネット予約したところ、何と現地払いで150バーツ安くなってしまい、また喜ぶ。フロントの女性たちも面白がって付き合ってくれ、皆で笑う。この雰囲気がとても良い。

朝結構散財したので、お昼は質素にお粥を食べる。しかしこの魚粥、何とも旨い。なぜだろうか。その後に昔泊まったハジャイ駅を見学していると、また雨が強く振り出し、慌ててロビンソンデパートに逃げ込む。地下のスーパーでドリンクなどを買っている内に小降りになったので、帰る。

夕方また空を見ながら外出。旨そうな福建麺の店があったので食べる。やはり旨い。だがその後フラフラしていると、フライドチキンで有名な店があり、お客も多かったので食べてみたくなり、ハーフサイズを頼んで完食した。もう腹一体で何ともならない。それでも帰りフルーツを買うとこれまた甘い。ハジャイは実にいい所だが、腹は極度に重い。

1月26日(金)サトゥーンへ

朝早めに起きて8時前にはチェックアウト。宿の前のトゥクトゥクに声を掛けてバスターミナルへ行こうと思ったが、ちょっと高い。市場の方で昨日来た料金が安かったのだが、そこへ行ってみても全員が100バーツだという。完全にカルテルだ。そんな中、一人のおじさんだけがなぜか60バーツというので乗り込む。バスターミナルは私が思っていたのより遠かったが、丁寧に送ってくれ、サトゥーン行きロットゥの場所まで教えてくれた。朝からおじさんを拝む。

100バーツでチケットを買うと10分でロットゥは満員となり走り出す。今日はいい天気で気持ちが良い。これも順調で2時間ちょっとでサトゥーンの街に入る。途中一人ずつ降りたいところで降りるので、最後に私は残されてバスターミナルに着いた。だがそこはあまりにも閑散として前途が思いやられる。

バンコク・ハジャイ旅2024(3)ハジャイへ

疲れたので、カフェアメゾンに入って休む。このプロンポーンにある間口の小さい店舗、実は狭いながらも2階、3階もあるのは、初めて知る。何となくだらだらしながら過ごす。でも若者が多く、居心地はあまり良くはないので、アソーク方面に歩いてみる。駅まで来ると地下に入る。

そこにはその昔のQBハウスがあった。今は別経営ではあるが、まだ存在していた。暇なので数年ぶりに入ってみる。何と代金の現金支払いはダメで、QRコード決済だけだった。この辺もコロナの影響だろうか。僅か10分で髪を切り終わる。私はこういうスピード感が嫌いではない。

そしてプロンポーンに戻り、Sさんと会う。Sさんとは前回初めて会ったが、何となくまた会いたいと思い、連絡した。昔話に花が咲く。場所は10年以上前に何度か行ったオーガニックフードを売る店。お茶なども売られているが、殆どが茶外茶だった。ここの2階はレストランになっていて、美味しいべジタリアンフードが食べられる。チャイも飲めて、楽しい夜だった。

1月24日(水)ハジャイへ

朝まだ暗いうちに宿をチェックアウトして車を呼んでドムアン空港へ。かなり早い時間なので、スムーズに到着する。いつも使っているタイライオン、ここでトラブル発生。何と今回のチケットには預け荷物量が含まれていないので、1100バーツ払えと言われて愕然とする。これまで15㎏程度は無料だったので、今回も同じと思い込んでいたが、まさかの9㎏超過料金となる。これからはちゃんと確認しよう。因みに今回からチケットは機械で取得し、預け荷物はカウンターで。

悄然としても腹は減る。いつもの食堂でジョークを食べて息を吹き返す。荷物検査を終え、フライトを待っていると、さっき車を呼んだBoltからメールで領収書が送られてきた。驚いたのは、何と金額が支払ったものより100バーツ少ないのだ。まあ領収書は使わないので良いのだが、もしやすると私がボケて100バーツ多く渡してしまったのでは、と疑心暗鬼になる。

フライトは順調であっという間にハジャイに降りた。まだ朝10時過ぎだった。ここからGrabを呼ぼうかと思ったが、バスはないかと探してみると、出口を出た先にロットゥが停まっており、100バーツで市内へ運んでくれた。元々はミニバスが60バーツで運行していたようだが、ご多分に漏れずコロナで無くなっていた。

ロットゥはほぼ満員になり、すぐに出発した。15分ぐらいで街中に入り、殆どの人をロットゥ乗り場で降ろしてから後はゆっくり進む。私は適当なホテル名を告げてあり、そこまで運んでもらった。ホテルに入り料金を聞くと、ネット予約より高かったのでその旨を告げると、『特別価格ですよ』と言って、その料金になった。何だか気分の良いハジャイだった。

部屋に荷物を置いてすぐに散歩に出た。近所には福建会館、海南会館など華人の同郷会館がいくつか見られ、ハジャイも華人が多いことを示していた。何となく腹が減ったので、豚肉と鴨肉ご飯を食べる。こういうのがすぐに食べられ、普通に美味いのが良い。注文もタイ語ではなく、華語で出来るのは有難い。

食後の散歩に市場へ向かう。それから何となくお寺を見たり、時計台へ行ったりする。旧市街地はコンパクトなので、歩いて一通り行ける。最後に市場に戻り、何故か柿を買う。既に食べられるように剥かれており、久しぶりに柿を味わう。セブンでドリンクを買って宿で休息する。

バンコク・ハジャイ旅2024(2)スクンビットをうろうろ

Mさんが待っていてくれた。こんな場所を指定するとはさすがバンコクを知り尽くした男、Mさんと唸る。それからタイの中国系料理について、色々と尋ねる。実に面白いし、これまで誰もスポットを当てていない部分ではないだろうか。特に潮州系の多いタイにおいては、従来日本では見られない潮州料理に特徴が見いだされるので興味深い。

夕方になったので、カフェを出て夕飯を探す。話の流れ上、やはりタイ中華にしようと、トンローまでBTSで移動。行くべき店に6時前に到着したが、何と6時半開店と知ってショック。Mさんは開店まで待とうと言い、周囲の散歩を始める。そしてその辺の麵屋に入り、いきなりコーラだけを頼んで席に着き、時間をつぶす。この時間に麺を頼まないのは迷惑かと思ったが、店側も全然気にせず、氷なども出してくれる。こういうことは超人Mさんにしかできない技だ。

6時半過ぎに店に戻ると既にかなりの客がいる。何とか席を確保したが、後から後から客が入って来てすぐに満席となる。トンローということもあり、日本人客も結構いる。ここの料理、味付けがすごくいい。豚肉とキャベツ、タケノコ、小魚など甘くてうまい。これはやはり潮州系だとMさんは解説する。そう、この味だ。とても勉強になる。タイ人も日本人は潮州料理が好きなのだ。帰りにGrabで車を呼んだが、何故か来ない。空車は沢山通り過ぎるので、結果キャンセルして車を拾って帰る。何だか面倒だな。

1月23日(火)スクンビットをうろうろ

今朝はゆっくり起きて、Yさんとコーヒーを飲む。明日のフライト手配も終わる。昼前にまた赤バスに乗ってスクンビットへ向かう。なぜか今日の昼もトンローで待ち合わせ。Mさんとはずいぶん長い付き合いだが、とうとうバンコクを離れるらしい。それで最後のランチとなる。

ランチはなぜか韓国料理となった。昨晩も歩いたトンローの道を行く。この店にイカ炒めがあったので、すぐに注文する。韓国料理には副菜が沢山付いてくるのが良い(日本を除く)。Mさんとこの10年余りのお茶会の思い出などについて話が弾んだが、何となく寂しくなった。

夜もまたプロンポーンで約束がある。一度宿に戻るのも面倒なので、この辺をフラフラする。まずはプロンポーンまで歩いて、ユニクロへ行く。どうしてだか冬の北京の服はちゃんと持って来たのだが、夏のバンコクの服を少し忘れていたのだ。2000バーツ以上買ったら、消費税が戻るというので、初めて還付手続してみる。

そこからバンコクの60バーツ均(日本の100均)の店へ行き、耳かきを買う。これを忘れると、ちょっと困るのだが、こういうものが簡単に買えるのは、やはりバンコクだ。更には北京で余った人民元の両替をしてみようかと考え、周辺の数軒の両替所を回り、レートを比較した。

以前はあった両替所がいくつも無くなっていた。コロナで無くなったのだろうが、その後も復活しないのはやはりキャッシュレスの進行だろうか。一番レートがいいのは、ショッピングモールの地下だったので、そこで両替を終えた。それにしても、北京でも感じたことだが、中国国内で実質使えない人民元現金が、海外では普通に両替できる、というのは、何となく違和感がある。

バンコク・ハジャイ旅2024(1)30度のバンコクに到着して

《バンコク・ハジャイ旅2024》  2024年1月21₋27日

極寒の北京から暑いバンコクへ。そこから南下して久々のハジャイを経由して、ペナンを目指すことになった。ただ通常ルートは面白くないと思い、初めてサトゥーンへ行くが、そこからのルートはかなり限られてしまい、袋小路にはまり込む。さて、どうなるのか。

1月21日(日)バンコク到着

快適なフライトでバンコクに着いた。入国審査は思ったほど時間はかからなかった。荷物は預けていないので、一目散にAISにブースに向かい、3か所目でようやく無料シムをゲットする。取り敢えずこれでスマホは繋がった。またタクシー乗り場から車に乗る。今回はいい運転手?で、メーター通りの料金で済んだ。これが普通だろうに。

いつもの宿にチェックイン。ここには随分と泊まったが、料金はどんどん上がっていく。円安もあって、もうリーズナブルな料金とは言いにくい状況だ。部屋もコロナ後は何となく格下げされた。これまでの部屋はもっと高くなっているのだろう。慣れているので居心地は良いのだが、これからどうするか、考えないといけない時期に来ている。

腹が減ったので外へ出た。まずは一食、と思うと、なぜかパッタイ屋に足が向いてしまう。おじさんとは顔が合うと挨拶する仲だ。何となくパッタイを食べてコーラを飲むとかなり落ち着く。日本人町でいつものパンを買ってから、暗い夜道を歩いて帰る。チェンマイに比べて車の多さが際立つバンコク。

1月22日(月)タイ中華の夜

朝はいつものルーティーンでコムヤーンを食べに行く。だが何と既にコムヤーンの姿はない。おばさんは『あの人が全部買って行ったよ』と指を指す。そのおじさんは大きな袋にコムヤーンサラダを詰め込んでいた。おばさんもサラダ作りに大忙しだったはずだ。それでも諦めきれない私。じっと空の籠を見ていると、コムヤーンのきれっぱしでサラダを作ってくれた。初めて食べるが、かなりスパイシーだった。それでも有り難い。

当たり前だが、北京の零下からバンコクの30度は体に堪える。部屋で休息していたが、シムカードをゲットする必要があり、外へ出る。Yさんのスタッフにタイ語で『シムカードの再発行』と書いてもらって行く。これがあれば、恐らく問題ないはずだが緊張はする。ロータスのAISブースに行って紙を見せると、担当者が流暢な英語で対応したので驚いた。そして実にスムーズにシムが再発行され、おまけに1か月200バーツの特別価格への設定までしてくれた。こういうサービスは実に有り難い。

昼はYさんといつもの食堂へ行き、いつもの物を食べる。これまで同様普通に美味しい。料金も変わらない。変化が無いのはここだけか。午後は赤バスに乗り、アソークまで出る。このバス、前より少なくなっているのか、なかなか来ない。まあ来れば速いからよいが。料金は8バーツだ。

アソークで降りると、ナナ方向に少し歩く。指定されたビルに入り、カフェアメゾンを探す。だがどこにあるのか分からない。インフォメーションの女性に尋ねると『そうですよね、分かり難いですね』と言いながら、自ら案内してくれた。それは1階の奥深く、階段の陰に隠れるように存在しており、このビルに来た人でも気が付かないだろうと思われる場所にあった。これからは隠れ家的カフェとして、使わせてもらおう。