その近くの茶畑の一角には、べにほまれの畑もあった。ここは奇跡の会が管理しているという。F4は残念ながら、脚光を浴びる品種ではなかったが、べにほまれは品種登録1号として、戦後紅茶の主力品種だった。だが紅茶自由化以降、緑茶への転換が図られ、残念ながらその多くが抜かれてしまった。一部残っていたべにほまれを探しだし、和紅茶ブームの中、亀山の茶農家が復活させたということだ。

昨日会ったNさんが「良かったら茶業研究室に来ませんか」と誘ってくれたので、行ってみた。ここを訪ねるのは4年ぶり、前回は森永紅茶の歴史で大いにお世話になった。敷地内にはお茶室もあり、その一角には資料室もあった。そこには三重茶業にまつわる歴史を示されており、大いに勉強になる。

続いて、茶畑へ行き、静岡から分譲されたF4の後継の畑を見学した。勿論ただ行っても全く分からないので、そこはNさんの説明に感謝しかない。因みに違う時期に導入された台湾山茶も植えられており、試験場というのは、本当に多様な品種を管理していると知る。また三重という場所が一般人の思っている以上に、日本茶業にとって重要だということも分かる。

お昼は街中に戻り、皆で食べる。エビフライ定食がお勧めだということで、頼んでみると、本当に大きなエビフライがやってきて驚く。7人でやってきて皆がエビフライを頼んだので店の人も驚いたかもしれない。ここでまたNさんと少し意見交換して、その後別れた。

午後は茶農家Dさんの家に向かった。Dさんご主人は不在だったが、奥さんが対応してくれた。奥さんは何とブラジルから来ており、ご縁あってDさんと結婚し、今は2人で茶業をしているという。今年の尾張旭の紅茶フェスでグランプリをとったという茶を飲ませてもらい、更にブラジルのお菓子まで驚く。D家は奇跡の会の中心メンバーでもある。

そこからD夫人の車に乗せてもらい、川戸さんの家に行く。4年前に茶業研究室でお会いし、お父様について色々とお話を伺った。お父様、川戸勉氏は戦前台湾で日東紅茶、戦後は三重に戻り、森永紅茶を作った人。恐らく戦後の日本で紅茶作りが一番上手かった人ではなかろうか。
それをコラムに書いて息子の利之さんに送ったことを覚えてくれていて、懐かしい再会となった。Oさんも含めて、森永紅茶の歴史をもう一度振り返った。大変楽しいひと時を過ごした。最後に庭に植えているべにほまれを見せてもらった。お父さんの時代にべにほまれは全て抜いてしまったので、家にも全くなかったが、最近植え直したらしい。

今回の亀山茶旅、全日程を終了して、D夫人の車で最寄り駅まで送ってもらう。実はJRより近鉄の方が便利ということで向かったが、途中で渋滞にはまった。今日が今年の仕事納めという人が多いのだろうか。当初の目的駅より前の平田町で降ろしてもらい、電車に乗る。途中で混雑する電車に乗り換えて、何とか名古屋まで辿り着いた。

そこでちょっと用事があるというOさんと別れ、一人新幹線で品川まで戻った。新幹線に乗ったら急に腹が減り、品川駅で改札を出て食事をしようとしたら、何と山手線内同一運賃の特権がはく奪されるというので?駅ホームでかき揚げそばを食べてから、トロトロと帰宅した。これで2024年の茶旅は全て終了した。疲れた。
