チェンマイ滞在記2023(5)タイの茶の歴史に新説??

1月24日(火)本当のタイの茶の歴史とは?

昨日出した洗濯物を取りに行く。お寺を通ると、バンミー屋がぽつんと営業している。何となく吸い寄せられる。おばさんはとてもいい人。バンミー20bは安すぎではないだろうか。お寺が無料で場所を貸しているからかもしれないが、何とも郷愁をそそる麺屋で味わいのある麺を啜る。

Tea Galleryで紹介されたP博士に会いに行く。何と彼のオフィスまで徒歩10分。なぜか富士山や鳥居?がある。建物の中には何と、日本の陶器、人形、着物などのコレクションが多数所蔵されている。博士は森林関連が専門で、京大との交流も多いという。また娘は阪大博士課程に在籍しているとかで、日本にも時々行っているらしい。

タイでは森林局、植物園、チェンマイ大学などに勤め、博士号はウエールズ大学で森林と茶に関する論文で取得している。ピサノローク出身で両親は潮州系だというが、華語は話さない。父はいつも茶を飲んでいたよ、と笑う。退職年齢を過ぎた今は、山岳民族系の健康食品、ドリンクを開発。LINEなどでタイ全土に販売しているという。

博士が講義を開始した。茶の起源はヒマラヤ山脈地域(中国とかインドとかではない)。現在タイ付近に住む山岳民族は基本的に茶を飲まないし、食べない。ヤオ、モン、アカなど中国系マイノリティが茶と関係がある。現タイ人は昔中国から南下する際、山岳生活で茶を飲んだ可能性あり。

13世紀クビライ時代のモンゴル。雲南ビルマ征服時に、軍人が山岳地帯の発酵茶を見つけて、持ち帰ったというのだが?山岳民族はそれまで発酵茶を酒造りの原料としていた??また医薬品としても使ってはいたが、茶として飲んでいない(これは今もずっと)。ミアンはビルマ人にニーズがあり メーソット経由でヤンゴンまで運ばれた。などなど、これまで聞いたことのない話が沢山飛び出し、かなり混乱する。これから1つずつ検証してみたい。

お茶を飲みながら、またお昼までご馳走になりながら、博士の講義は続いた。それから彼の車で外へ出た。チャンプアック門の外には、500‐600年前、ゾウが荷物を下ろし、人が城内へ運ぶ場所があり、今もゾウがシンボルになっていると説明してくれる。更に郊外のノンホー地区、現在はコンベンションセンターの広大な敷地となっている場所。ノンは池、ホーはホース??だといい、馬が水を飲むところであり、ここで大集団は荷下ろししたとの説明はどうだろうか。ノンホーは現在では中国漢人や雲南回族を指すとも聞く。

博士は国立博物館まで送ってくれて別れた。今日の話を踏まえてもう一度ここを見学しようとしたが、何と定休日。本当にこの博物館は鬼門だ。仕方なく車を呼んで宿へ帰る。夕方Mさんがチェンマイに来たと連絡がある。夜待ち合せて近所の食堂に入る。チェンマイ一カレーが美味しい店だそうだ。カレーがなぜチェンマイにやってきたのか、その謎は解けないが、料理は美味しい。

その後付近を散策すると、中国スーパーなどが目に入る。これはコロナ前の中国人観光客向けの店だったのか、それともこれから来る人を当て込んで新たに作られた店なのか。更には最近流行りの合法大麻の店はターペー門付近に沢山あることを知る。一人で歩いていても気が付かないのだが、Mさんといると、色々と勉強になる。最後にセブンに行ってペットボトルの和紅茶を買う。Oishiが発売したものだが、残念ながらそれほど美味しいとも思われない。どこの和紅茶を使っているのだろうか。

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