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ヤンゴン茶旅2020(6)チン州のこと、そして

1月22日(水)

チン州を思う

昨晩Iさんに教えてもらったので、川沿いにあるブリティッシュ・カウンシルへ行ってみた。ここには図書室があり、英語で書かれたミャンマーの歴史などがあるだろうというのだ。ストラッドホテルの隣に英国大使館があり、その横に附設されている。セキュリティーはさすがに厳しいが、パスポートを提示するだけですぐに入れてくれた。

にこやかな老人がこちらを見ていたので尋ねようとしたところ、横から女性係員が『係員は私です』と言って私が探している本の内容を聞いてくれたが、『お茶関連の本はない。歴史本なら多少』という感じだ。ここは元々英語教育の教材などを提供する場らしく、英語を勉強する若者が来ていた。それでも2階でミャンマーの歴史に関する古い本を紐解いて、参考にした。

続いて、ダウンタウンに華人図書室を探す。ここは前回訪ねていたが、場所が分からなくなっていた。先日Tさんに再度確認して行ってみるとちゃんとあるではないか。階段を上ると漢字の本がズラッと並んでいる。その中から、華人関連の歴史を探してみる。壁には華人の集合写真などもあり、ここの歴史が少しみられた。ここの利用者は極めて少ない。既に若い世代は漢字が読めないのだろうか。

宿に戻る途中に、昨日誰もいなかったチンレストランの前を通ると、従業員がいたので入っていく。お目当てのサブティを注文すると、オーナーが出てきて流ちょうな英語で、チン州の魅力を話し出す。やはりチン州は今、コーヒーであり、茶はほぼないという。サブティはチンの雑炊だろうか。チキンを入れてもらったが、かなりさっぱりしていて食べやすい。

私は今回の旅の初めから、インドのアッサム、インパールを目指したいと思ってきた。インド、ミャンマー国境は長年、第三国人(外国人)の通行が制限されてきたが、昨年ぐらいから陸路通行が可能になったらしい。もし国境を越えるなら、ミャンマー側はチン州になるようなので、期せずしてチンに入ることは出来そうで、今から楽しみだ。夢は大いに膨らむ。

午後は疲れたので部屋で過ごす。日本と2時間半の時差があるので、相撲中継は1時半から3時半まである。今日も炎鵬が勝ち、徳勝龍、正代も勝った。果たして誰が優勝するのか、益々楽しみが増えていく。後は帰りの準備をするだけだ。ちょっとスーパーでティーミックスを買い足しておく。これがあれば体調が悪い時などに重宝する。それでもスーツケースはガラガラだ。

夜飯を暗くなってから探しに行く。近くに野菜や果物、魚を売る露店が並んでいる。最後の夜なので薄暗い屋台で食べたい物を注文して食べる。魚の煮付けと煮卵、味が濃くてご飯に掛けると何ともうまい。これぞミャンマーに来た感じがする。何だか昔のミャンマーの思い出に浸る。

1月23日(木)

バンコックへ

翌朝は朝食をしっかり食べてから、チェックアウト。気が付けば1週間、ずっと同じ宿に居た。タクシーは1万チャットですぐに来てくれ、早々にお別れだ。朝の渋滞もそれほど激しくはなく、思ったより早めに空港に着いてしまった。何とタイスマイルのチェックインは2時間前からでまだ始まっていない。

空港内、きれいなカフェなどが増えている。2時間前に行くと既にチェックインが始まっているのがミャンマーらしい。出国審査も簡単に終わってしまい、時間が余ったので、搭乗ゲートより前の店をフラフラ見て回る。空港でもティーミックスは売っているが、市内の1.5倍から2倍ほどする。やはりスーパーで購入して正解だ。

その先に本屋があったので、立ち寄ると、洋書ばかりが置かれている。書店の名前を見てびっくりした。何と紀伊国屋ではないか。なんでこんなところに紀伊国屋があるのだろうか。店員に聞いてみると、ヤンゴン市内に店舗はなく、ミャンマー唯一の店舗が空港だというのだ。そして日本の本は全く置かれていない。一体どんな戦略でここへ出店したのか、是非聞いてみたい。

バンコックにもある和食屋、山小屋もこの空港内に出ている。このミャンマー出国直前に和食を食べる人はいるのだろうか。またタイの国民ドリンク、Cha-Thaiも出店している。東南アジア戦略を加速するこの会社、ミャンマーで果たしてタイ茶は受け入れられるのだろうか。

搭乗時間になり、機内に入ると、中国人観光客がCAからマスクをもらっている。この時点で、中国でのコロナウイルス関連の情報が既に開示され、旧正月前日の今、武漢は封鎖されたと聞く。だが東南アジアの片隅にまで、その影響が及んでくることは、およそ想定で来ておらず、白人も我々もマスクをする人はほとんどいなかった。

ヤンゴン茶旅2020(5)ヤンゴン大学を訪ねるも

『口福』という同じ名前の店が二つ並んでいるが、今日はカジュアルな方へ入る。店内は中国人観光客で満員だ。前回もお会いしたGさん夫妻が待っていてくれた。Gさんは写真家であり、現在はブログなどでミャンマー情報を発信している。更にはインド国境を度々訪れて写真を撮っているということで、非常に有益な旅及び民族情報を幾つも教えてもらった。そしてミャンマーではなぜ茶をラペッというのか、という根本問題にもヒントを頂き、感激。

 

果敢レストランということで、前回は敢えてケシの実スープなども飲んでみたが、特に中国料理と大きくは変わらない。ただ果敢地区はミャンマー側から外国人は実質入れないし、中国側からも簡単には入れないと聞いており、その名に惹かれてやってくる客が多いのは事実だろう。

 

帰りもフラフラと歩いてみる。公園を通りかかったので、ちょっと寄ろうとしたが入場料がいるというので止めた。この近くには餃子の王将が店を出していた。あまりに疲れたので、冷たいコーラを飲んで休む。ひと息つくとすぐに元気になるのはすごい。最後は前回も行ったピンピンの火鍋屋の前を通る。横には新しくマッサージ屋が併設されており、更にビジネスを拡大したことが分かる。若いのにやはり彼女はやり手だ。

 

1月21日(火)
ヤンゴン大学へ行くも

そろそろ疲れがピークに差し掛かる。朝食にも少し飽きてきたので、食欲も落ちる。午前中は休むつもりだったが、何となく散歩に出た。いつもと反対方向へ歩いて行くと、立派な教会があった。モスクもヒンズー寺院もある。ダウンタウンは相当広いのだと分かる。ただ華やかさはない。

 

シティーマートがあったので入ってみる。どんなお茶を売っているか、見るためだ。例の張さんの鉄観音茶も、一番小さい袋は売っていた。果敢茶もあった。でも圧倒的に珈琲が多い。お茶では何といってもティーミックス。私も疲れた体に良いかと、ティーミックスを買って帰る。

 

ついでに昼ご飯を食べに行く。日本食の店で弁当という選択肢もあったが、時間が早過ぎて開いていなかった。結局先日行ったチン州レストランを訪ね、チンのかゆを食べようと思ったが、何と店は開いているのに、誰もおらず、湯気だけが立っていて、食べ損ねた。仕方なく、近くでモヒンガーを食べる。600チャットで、安定のうまさ。

 

部屋に帰ってテレビを見る。大相撲がいつになく面白い。白鵬も鶴竜も早々に休場。小兵力士が活躍し、幕尻力士が優勝争いの先頭に立つ。ここ数年の面白みのない、停滞した相撲界に下克上が起こり、ワクワクする。せっかくヤンゴンに居るのだからと言われても、面白い物を見たい。

 

相撲が終わったら、外へ出た。昨日教えてもらったヤンゴン大学の図書館を訪ねてみようと思ったわけだ。地図で見ると結構遠い。タクシーの運ちゃんは道が分かるというので乗り込む。渋滞もあり、1時間近くかかって、正門に辿り着き、そこで図書館の場所を訪ねて何とか行き着く。

 

図書館は立派だった。係員も英語ができたので、茶に関連した本を探していると告げると『まずはHPで検索してから来てね』という。折角ここまで来たのだからというと、『実は既に閉館時間で帰るところよ』と言われ、愕然。大学の図書館が午後4時過ぎに閉まるとは、学生はいつここを利用するのだろうか。

 

係員の女性たちは足早に立ち去り、電気も消されてしまった。仕方なくキャンパス内を散歩すると、ちょうど卒業シーズンなのか、記念写真を撮る学生たちがいる。学内は静かで居心地はよさそう。宿舎もあるようなので、もし図書館が役立つようであれば、ここに1泊してみたい気もする。

 

既に閉まっている横門を開けてもらい、外へ出た。ここにはインヤーレイクがある。ちょっと湖の写真に撮ろうと、セーリングクラブに入ってみる。さすがイギリス植民地だから、こういうクラブは沢山ある。更に先に行くと、湖の脇に散歩コースがあり、夕暮れ時、たくさんの人々が歩いていた。私もロッテホテルに向かって歩いてみた。

 

暗くなったので、今晩の待ち合わせ場所へ歩いて向かう。僅か15分ぐらいのお店だったので、楽勝と思っていたが、場所が分からず迷う。それでも予定時刻より早く着いてしまった。ここはこじんまりした、雰囲気の良いカチンレストラン。お知り合いのIさんが選んでくれたお店だった。カチン料理を味わう。日本人に非常に合う味だ。

 

お店でお酒が飲めないのも、私にとっては好都合。カチンの茶をお願いすると、緑茶が出てきたが、質が良い。店主はバンモーの出身だと言い、そこには茶畑もあると言うが、残念ながら外国人は入れないときっぱり。Iさんからも、ミッチーナには行けるけど、山の中はねえ、と言われてしまう。帰りはIさんにタクシーを拾ってもらって、何とか帰る。やはりGrabぐらい使えないと、色々と困る。

ヤンゴン茶旅2020(4)ヤンゴンに留まって

1月19日(日)
再びSSと

ヤンゴン4日目、そろそろ疲れが出てくるタイミングなので、午前中は休養日に当てた。このホテルもNHKワールドプレミアが映るので、先週の女子に続いてボーっと都道府県対抗駅伝を見て過ごす。福島がまさかの出遅れ、長野が劇的な逃げ切り。箱根や実業団駅伝ランナーが多数出てきて、面白い。高校駅伝を見ていなかったので、高校生はよく分からないが、栃木出身の松山君が学法石川所属のため、福島から出ているのがちょっと残念だった。

 

12時半にタクシーを拾う。今日はSSとの約束で、イタリアンレストランに向かう。運転手は分かったと走り出したが、着いたのはピザハット?仕方なくSSに電話して、何とか辿り着く。遅刻してしまったので、既にアイちゃんはピザを頬張っていた。スパゲッティやらサラダも出てきて、テーブルの上はかなり賑やかだ。昔はSSと言えばホットポットだったのだが、今やイタリアンが常道だ。

 

久しぶりのTTMもいた。確か高田馬場以来だろうか。TTMの御主人とも初めてお話しした。TTMは最近自由奔放に動き回っており、今回もバンコックから帰国したばかりであり、午後も集会が入っているという、慌ただしいスケジュールの中を会ったことになる。まあ二人の娘も母になり、自身も落ち着いたので、好きなことをしてもよいだろう。昔はかなり苦労したはずだから。

 

TTMたちとは別れて、またSSの家に行く。アイちゃんとも相当馴染んできており、遊び相手となる。5歳の女の子のことはよく分からないが、言葉が通じなくても非常に楽しい。何でも遊びになってしまうのもすごい。ニセ爺さんを2時間もやっていたら、疲労困憊になってしまうが、アイちゃんの勢いは全く衰えない。

 

結局SSが晩御飯を作ってくれて、それを食べてから帰る。SSは何と先日私がFBに投稿した内容を覚えており、『イカが食べたいんでしょう』と言って、イカ炒めまで作ってくれた。何とも有り難い。テレビではNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の初回が二週間遅れてスタートしていた。何だかきれいな大河ドラマだが、明智光秀の前半生を詳しく描くと言われており、ちょっと気になる。川口春奈も気になるが、やはり門脇麦が気になる。

 

タクシーを呼んでもらい、宿に戻る。NHKを点けると、何と夜中に卓球全日本選手権の男女シングルス決勝が放映されている。男子は張本が、同年代の宇田に競り負けた。これではオリンピックどころではない。女子も準決勝で伊藤美誠を破った早田ひながその気負いのまま、石川佳純に勝ってしまう。オリンピックには一番調子のよい選手、中国人に勝てる選手を選ぶべきだろう。

 

1月20日(月)
まさにフラフラ

本来今日あたりはミャンマー北部へ出掛けているはずだった。そのためにバンコックへ帰る飛行機を23日にしてあったのだ。ところが当てが外れる。出来れば初めてカチン州に踏み込みたいと考えていたのだが、カチン州は現在でもその多くの場所が外国人立ち入り禁止区域になっており、許可がなければ茶畑に入ることもできない。そもそもどこに茶畑があるのかも分からないのだから話にもならない。

 

都市であるミッチーナぐらいにはせめて行きたいと思ったが、そもそもミャンマー国内の飛行機代は非常に高い。国際線であるバンコック行きの2倍ぐらいするのだから驚いてしまう。そして正味二日ぐらいいるだけで、茶畑があっても山に入ることはできないでは、コスパは非常に悪い。これは一度撤退だろう。

 

何かミャンマー史や北部山岳民族の歴史などでヒントになるものはないかと思い、すぐ近くにあるさくらタワーに行く。そこには日本人会があり、ミャンマー関連の図書もあると聞いていた。行ってみると何と同じフロアーには、昔お訪ねした人材紹介会社のオフィスが規模を拡張してそこにあった。

 

図書室にはかなり本が置かれていた。その中でミャンマー関連の物も一か所にまとめられており、さすが日本だ、効率的で有り難い。係員に断ると、自由に閲覧できた。そして何冊か気になる本を見つけた。借りることは出来ないので、その場で読んでいく。ミャンマー史は通り一遍のものも多いが、かなり詳しい物もあり、参考にする。特にミャンマー人が書いた現地史には、これまで知らなかったことが多く書かれていた。

 

それからゆっくり歩いて博物館を目指した。日差しはそれほど強くはないのだが、歩いているとジワジワと汗が出てくる。鉄道の線路を越えて、西の方へ向かう。30分以上も歩いて博物館に辿り着いたが、何と今日は月曜日で休館日だった。仕方なく、ランチの約束場所がある、更に西に向かった。

 

そこは前回も来た果敢レストランであったが、よく見るとすぐ近くに大きな中国大使館があった。更に少し行くと、何とヤンゴン環状線の鉄道駅もあるではないか。これなら鉄道に乗って来ればよかった、と思ったが、後の祭り。まあ電車もいつ来るか分からないが、歩きで疲れ果てた。

ヤンゴン茶旅2020(3)懐かしのヤンゴンを歩く

1月18日(土)
ヤンゴンをフラフラ

翌朝も宿で朝食を食べてから、外へ出た。今日も香港から来ているIさんと一緒にヤンゴンを歩くことにした。彼女のホテルのすぐ近くには、100年ぐらい前に建てられた教会があったが、そこには厦語教会とも書かれており目を惹く。19世紀半ば以降、厦門には教会が出来、そこで英語を学んだ若者がおり、彼らは台湾や香港など海外に雄飛したとも言われている。もしやラングーンにもやって来て、その支部がここに建てられたのだろうか。その横にはヒンズー寺院があり、インド系との境目になっていた。

 

スタンドで売られている新聞に目をやると、スーチー氏と習近平氏が握手していた。私は知らなかったが、習氏はネピドーを訪問していたようだ。だがその記事はとても好意的な内容とは思われず、今日ヤンゴンでも反中デモが行われるという話まであった。ミャンマーの苦境に忍び寄る中国、という構図だろうか。

 

チャイナタウンを歩くということだったが、何となく東の方に足が向き、インド人街を抜けて、川の方へ向かっていた。昨晩話に出ていた国立図書館のきれいな建物が見えたが、警備員から『オープンは4か月後だよ』と教えられる。ミャンマーのことを調べるためには一体どこへ行けばよいのだろうか。

 

クラシカルな建造物エリアに進む。レトロ郵便局は土曜日だからか人がいない。ストラッドホテルではハイティーが20ドルと書かれていたが、朝からやっているわけはない。まあ、それほど暑くないので、川沿いの重厚な建物を見て回るのは悪くないが、やはり疲れてくる。

 

私の宿に戻った。今日は旧知のTさんと会う約束だったが、昨晩メールで会う場所を変更した。が、Tさんからは何の連絡もなく、どちらに来てくれるのか分からないという事態が発生した。電話も掛けたが繋がらない。こういう場合は、やはり元の場所の方が無難だと思い、待っていると、ちゃんとTさんが現れたのでビックリ。何だかスマホも携帯もない時代に戻った気分だ。

 

昼ご飯は、近くのシャンカオスイの店へ行く。普通のカオスイも美味しいだが、折角なので、トウフヌエを頂く。シャン州に行ったら必ず食べたい麺だった。ついでに揚げ豆腐も頼んだが、こちらはシャンとは少し味が異なっていた。Tさんは最近モン州に引っ越しており、たまたまヤンゴンに出張で来ていて再会できた。ミャンマーのことにはとても詳しいので何でも聞いてしまう。

 

チン州の話が出たところで、場所を移してチンレストランでコーヒーを飲むことにした。話しているとそれが目の前に出てくる、やはりTさんと一緒だと世界が変わる。牛干し肉がなぜか出てきて、コーヒーを一緒に食べる。まあ、ビーフジャーキーかな。こんな組み合わせ、見たことがない。

 

Tさんと別れて、ボージョーマーケットへ行く。2003年の初ヤンゴン以来、何度も行ったマーケットだが、最近は買い物に行くこともない。Iさんは雑貨や服、織物などを物色している。そういえば、ここでチン州の物品を扱っている店があり、昔チンの茶をご馳走になったことを思い出す。あの店まだあるのかな、と思っていたら、Iさんが目指す店はそこだった。だがチンの若者は『チンにはコーヒーはあるが茶はない』ときっぱり。

 

やっぱりパゴダも1つは行こうということになり、スーレーに向かう。ここに入るのは何年ぶりだろうか。ミャンマーのお寺は入り口で靴を脱がなければならず面倒だが、花を買うと靴を預かってくれるのは昔ながらで懐かしい。昔と言えばどんな時にも、参拝客で混雑していたヤンゴンのパゴダ。今や本当に訪れる人が減った。信心より金儲け、と言われて久しいが、ミャンマーらしさが失われていく。

 

お参りは、自分の生まれた曜日の前で行う。これもミャンマーを訪れると最初に知る習慣だった。何だか日本語を少し話すミャンマー人が、一生懸命にIさんに参拝方法を指南している。こういう人は、単なる親切なのか、何か目的があって近づいているのか、現在のミャンマーにおいてはその判断は難しい。

 

疲れてしまったので、カフェに入る。ヤンゴンは急速におしゃれなカフェが増えている。外国人比率が高い。2階はバーになっており、夕暮れ時、酒を求める人々も入ってくる。今日一日、Iさんには様々な情報が入ってきたかもしれない。しかしそれを吸収、消化するのは簡単ではない。ここで飲み物を飲みながら、頭を冷やす。

 

最後に串焼きストリートへ向かう。数年前から、チャイナタウンに、路上も含めて、ビールを飲み、串焼きなどを食べる一つの通りが出現した。そこに辿り着く直前、観音古廟から麒麟がお出ましになる。夜に一体どこへ行くのだろうかと、興味本位で付いて行くと、近くの別の廟へ向かっていた。これは練習なのか、本番なのか、何も分からない。折角なので、少し観音古廟も見学する。ライトの光で廟内はきらびやか、且つ幻想的だ。

 

土曜の夜で賑わうストリートに席を見つけて、その雰囲気を味わった。白人も多いが、ミャンマー人比率が上がっているように思われる。ヤンゴンの夜の観光名所として定着しているのだろう。

ヤンゴン茶旅2020(2)ヤンゴンの再会、そして茶旅報告会

1月17日(金)
ヤンゴンの再会、そしてお話し会

朝、ホテルで朝食をとる。ここは老舗だからやはり種類が多い。パンもあればお粥もあり、フルーツもそれなりにあるので十分だった。それから暑くなる前に外へ出た。1年2か月前、何度か歩いたダウンタウンだったが、既に土地勘が無くなり、思い出しながら歩いてみた。途中インド系の多いエリアでは、インド風のチャイが飲まれており、ミャンマーのティーミックスの起源かな、などと思う。それにしてもなぜヤンゴンにはインド系が多いのだろうか。

 

そうこうしているうちに、華人街に入り、漢字が増えてくる。その昔、張彩雲が開いた茶行、張源美のあった場所も懐かしく通り過ぎた。そして彩雲の孫が今も細々とやっている茶荘に何とか辿り着いた。丁国さんは私のことを忘れていたようだが、話をしながら書いた文章を渡すとにわかに記憶が蘇ったようで、嬉しそうに相手をしてくれた。

 

その後、少し離れたホテルに向かう。何と現在は香港在住のIさんが今朝バンコックから飛んで来ているはずだった。彼女と会うのは台湾の基隆以来だろうか。ちょうど到着したIさんと二人で慶福宮に向かい、そこに彩雲の息子を訪ねた。Iさんの北京時代の同僚で、ヤンゴン在住のICさんも加わった。

 

家栄さんも私のことなどすっかり忘れていたのだが、あれから厦門へ行き、安渓へ行き、遂には彩雲の長女にも会ったことを告げると、目を丸くして驚いていた。全てはこの宮から始まったのだ。もう一度会って話ができることは双方にとって何とも喜ばしいことであった。家栄さんがお菓子を勧めてくれたが、これは彼の息子が作っているらしい。やはり張家は実業家一家なのだ。

 

そこへ男性が入ってきた。聞けば家栄さんの長男だという。何と聴診器をぶら下げており、医者だとすぐに分かる。茶業で儲かった家は必ず子供によい教育をさせており、医者や弁護士が出ることは珍しくはない。このお医者さん、政府内幹部にも患者がいるようで、なかなか興味深い人物だ。

 

更に奥さんは華人ではなかった。どうして華人以外の人と結婚したのかと問うと『うちの嫁は美人なんだ』というからビックリしてしまったが、家栄さんも満更でもない、という顔をしている。後で知ったことだが、このお医者さんのお嬢さんは、ミスミャンマーやミスインターナショナルミャンマー代表などの栄冠に輝いた、自慢の娘だったのだ。張彩雲の曾孫はミスミャンマー、知っていればエピソードとして書いたのに、残念だ。次回は是非曾孫にインタビューしに行こう?

 

外を歩いていると、やはり旧正月が近いことが分かる。正月の麒麟舞(獅子舞?)の稽古が行われており、正月飾りなどが売られている。お昼はチャイナタウンで麺を食べる。汁なし麺。豚肉がうまい。スープはホーロー缶で煮込まれている。昨晩ほど高くもなく、満足できる味だった。

 

午後はもう一度丁国さんの店に行く。折角なので、ICさんたちにも、このお店を紹介しておこうと思う。今や張彩雲関連のお茶は、ほぼここでしか買えないからだ。以前はシティーマートに置かれていたが、一部を除いて取り扱われなくなったらしい。ここは看板も出ていないので、一見さんが来るのは難しい。丁国さんも来訪を喜んでくれたのでよかった。

 

ここでICさんとは一度別れて、Iさんと二人、フラフラ歩きながらホテルへ戻った。ロビーで待っているとジュースが振る舞われる。何とも有り難く、美味しく頂く。それから、今日の講座の会場へ向かう。タクシーに場所を説明して、何とか辿り着く。今やGoogleマップもあり、何とも便利になっている。

 

着いた場所は、ダウンタウンから少し離れており、周囲はお寺が多い場所だった。そこにベトナムで成功した日系ビジネスホテルが出来ていた。この宿にはホーチミンで8年ぐらい前に泊まり、経営者とも会ったことがあったので、懐かしかった。会場はその建物の一番上、夕日の沈む、そしてライトアップされたシェンダゴンパゴダがよく見えた。

 

会には駐在員夫人や現地在住者など10数人が集まってくれ、かなり驚いた。これも主催者ICさんのネットワークの広さだと感心すると同時に、ミャンマーに住んでいるのだから、ミャンマーのことを知りたい、という意欲が他国よりも一層感じられた。話の内容はミャンマー茶の歴史及び華人茶商の歴史についてだったが、色々と質問も飛び出し、興味深い会となった。

 

その後場所を移して、夕飯を有志で食べた。中華料理とのことだったが、どこの料理かは分からない。そこでもミャンマー事情を伺うことができ、また少数民族のこと、茶の起源などについて、様々な情報が寄せられた。やはり現地でこのような問題提起の報告を行い、それによって皆さんの知識・経験などを呼び起こすことも大切かな、と思われた。

ヤンゴン茶旅2020(1)アイちゃんと赤ちゃん

《ヤンゴン茶旅2020》  2020年1月16-23日

娘のように長年付き合っているスス(以下SS)が昨年11月に二人目を出産した。可愛らしい赤ちゃんの写真が沢山送られてくる。ニセ爺さんとしては、孫の顔を見に行かねばならない。併せて、一昨年10月に訪ねた張彩雲氏の息子や孫も再訪し、既にまとめて発表した文章を届けてお礼を言いたいと思っていた。

 

1月16日(木)
ヤンゴンへ

タイスマイルはLCCではないので、一応サンドイッチ程度の食事は出た。座席も頼んではいないが、非常口の広めの席が用意され、隣もいなかったので、かなり快適な旅だった。と言っても、1時間ちょっとで着いてしまうのだから、どうでも良いか。中国で、新型ウイルスが流行っているらしいが、中国人もチラホラ乗っている。

 

ヤンゴン空港はどんどんきれいになっていくようだ。入国審査もスムーズでよい。預けた荷物もサッと出てくる。初めてヤンゴンに来た2003年から見ると、まさに隔世の感がある。出口を出るとすぐにシムカードを買う。これも前回から簡単に買えるようになり、有り難い。前の中国人が『本当に使えるのか』などと聞いているのが微笑ましい。だが私の番になり、シムを入れ替えた後、なんとタイのシムカードを捨ててしまったらしい。この辺がミャンマーの未熟さだろうか。

 

今日はまっすぐSSの家に行くことになっていた。何しろスーツケース一杯にお土産が詰まっているのだ。しかも一番は粉ミルクだった。どうしても日本の粉ミルクがよい、というので、運んで来たのだが、これは意外と重い。それでも赤ちゃんの貴重な食糧だと思えば、軽く持っていける。

 

空港のタクシースタンドで行先を告げると1万チャットと言われたが、8000チャットでしょう、と切り返すと、それでよいという。乗り込むと若い運転手が片言の日本語を話し出す。どうやら技能実習かなにかで半年ほど広島に行っていたらしい。一生懸命に話す姿が何とも微笑ましい。30分ぐらいで到着したが、結局彼にチップとして2000チャット渡す。

 

SSと娘のアイちゃんは、昨年タイ国境のミャワディからヤンゴンに引っ越していた。アイちゃんの幼稚園の都合らしい。この家には初めて来た。おばさんが来ており、子供たちの面倒を見ている。SSが作ってくれた料理を久しぶりに食べたが、美味しい。アイちゃんは遠くの幼稚園に行っており、夕方しか帰って来ないという。それまでSSと近況を話し、赤ちゃんの顔を見て過ごす。

 

おばさんが車で迎えに行き、アイちゃんが帰って来たのは、本当に夕方だった。車の渋滞もあり、通園時間は片道1時間、大変だ。1年会っていないと、幼女が少女の顔に変っているのは面白い。そして非常に活発になっている。遊ぶところがなくて、元気を持て余しているのだろうか。

 

アイちゃんの顔を見たので、帰ることにして、車で送ってもらった。今回は初めて泊まるダウンタウンの古いホテルを予約した。数年前はどこでも高かったヤンゴンのホテルが、今や軒並み安くなっている。こういうホテルは部屋が比較的広く、設備は古いが一通り整っているところが今の私には有難い。

 

夕飯を探しに外へ出てみる。以前この付近には泊まったことがあるが、何を食べたかは覚えていない。唯一覚えていたのは、レートの良い両替屋だけだった。ちょっと覗いてみるとやはり近所より多少はレートがよいようだったので、100ドル札を出してみると、『この札は10%カットだ』と言われ、ミャンマーの洗礼を浴びる。勿論慣れているので違う札を出して100%両替をしたが、もうそろそろこういう習慣、止めてもらえないかな。

 

その近所にうまそうな麵屋があったので入ってみた。女性は英語ができるので『チキンヌードルスープ』と注文したところ、出てきた麺は大盛りの上に、店にある具材を全種類入れたかのような特盛状態だった。まあなんて盛りの良い店だろうと感心しながら、懸命に碗を平らげた。

 

勘定を聞くと、何と3000チャットだというから驚いてしまった。さすがに『こんなにたくさん頼んでない』と反論するとすぐに『じゃあ、2500チャットでいい』と値下げするから、これはボッタくりだと思い、さらに値下げを要求したところ、男性が出てきたが、英語はあまりうまくなく、何だかにらみ合いになってしまった。

 

こうしていても仕方がないので、2000チャットをテーブルに置いて出てきたが、特に相手は何も言わなかったから、それでも儲かったのだろうか。ただ翌日地元民に聞くと、『今は麺一杯1000チャットなんてない。2000チャットは十分あり得る金額』と言われ、ヤンゴンの物価が1年で相当に高くなったことを実感した。

ヤンゴンの茶商を訪ねて2018(7)ミャワディで

ミャワディで
予定通り12時前にミャワディに着いた。運転手は迷わずに私を国境で降ろした。ここに来る外国人は漏れなくタイに渡るのだろう。ススに迎えに来てもらうまで、やはりのどが渇いて仕方がなく、コーラなどを買って飲む。この国境は前にも来ているので既視感があり、安心して待てる。

 

車の迎えがあり、アイちゃんとも2か月ぶりの再会となる。ちょっと見ない間に大きくなっているから子供は凄い。先日高熱で入院したと聞いて心配していたが、元気そうでよかった。まずは昼ご飯を食べに行く。今回はタイのメーソット側へは行かず、ホテルもミャワディに取ってもらったので、レストランもこちらで。ただ完全復調ではないので、食べる量は極端に少なかった。

 

その後ススたちの倉庫を見学する。8月の大洪水では物資が止まり、水害の恐れさえあったというから、無事で何よりだった。それから予約してもらったホテルに連れて行ってもらった。午後は休みにしてもらい、エアコンが効いた部屋で、また夕方まで思いっきり寝る。やはり悪路のドライブも堪えているようだ。

 

辺りが暗くなった頃、迎えが来た。以前も行った頃がある国境カジノへ向かった。ここへ行く道は全く改善されておらず、すごいデコボコだ。わざと治さないという話もある。そこを通り抜けると、突然煌びやかなネオンに迎えられる。このギャップは凄い。ここにはカジノの他、ホテル、レストラン、免税店などが並んでおり、タイ人客を狙って建てられたが、ミャンマー人が多いようだ。

 

川の向こうはタイ、というロケーションで豪華な料理を食べた。スス旦那のお客さんが来ていたので一緒に食べた結果だ。残念ながら私は依然食欲がなく、アイちゃんはフライドチキンとアイスしか食べない。体力がない時に、こういう場所に来るのはちょっと堪えるかと思ったが、案外元気は出た。その夜も何もないガランとした部屋で、熟睡は出来ないながら、かなりの時間眠った。

 

10月12日(金)
バンコックへ

翌朝はすっきり目覚めた。天気も良いので、ちょっと周囲を散策する余裕が出てきた。歩けば3分で国境に出てしまう場所、それでも裏通りにはお寺があり、庶民の生活があった。国境には川が流れており、朝早くからタイ側へ向かうミャンマー人が橋を渡っていくのを下から見上げた。

 

ホテルに戻ると朝食があるというので、ちょっと食べてみることにした。温かいご飯に塩気があるのが妙に気に行ってしまい、目玉焼きと共に結構食べてしまう。水分補給のお茶も熱くてよい。ものすごく調子が悪いというより、このまま何もしなければ悪くなる、という予感がしたので、慎重に対応する。

 

迎えが来た。この時間アイちゃんは幼稚園に行くはずだが、今日は休んで見送りに来てくれた。すぐに国境ゲートにやってきて、外国人の私は個室に入る。そこには2人の係官がいたが、担当官が『ノービザ』と言い、上官が頷き、あっという間に解放された。これで今回の目的、ノービザは陸路でも使えるか、については結果が出た。

 

メーソットへやってきたが、まだ時間が早いというので、朝ご飯を食べる。タイ式モヒンガーだ。わんこそばのようになっている麺を取り、好みのたれをつけて食べる。普通ならこれはかなり美味しく感じられるはずだが、既に朝ご飯を食べていたので、ほとんど食べられなかったのは、何とも残念。

 

それから車で送ってもらい空港に着いた。アイちゃんと一緒に写真を撮ろうと思ったが、恥ずかしい、と言って逃げられてしまった。先月4歳になったばかりの彼女、写真を撮られるのが大好きなのに。会うたびに変化しているのが面白い。この空港、現在隣に新空港建設が始まっている。次回来る時にはアイちゃん同様、大きく変わっているかもしれない。

 

バンコック行のフライトはノックエアが飛ばしている。2か月前はこの便でバンコックからやってきたが、今回はバンコックへ向かう。実は南タイへ行きたいと思っていたが、フライトは基本的にバンコック行なので、一度バンコックで静養してから向かうことにした。フライトはちょっと揺れたが目をつぶっていると、すぐに旧知のドムアン空港に降り立った。

ヤンゴンの茶商を訪ねて2018(6)モウラミュイン散策

10月10日(水)
モウラミュイン散策

昨晩の雨はいつの間にか上がっていた。部屋からはきれいなリバービューが拝めたが、船も殆ど航行しておらず、とにかく何もない、という雰囲気が強い。1階に降りて朝食を頂く。一応何でもあるビュッフェだ。意外と宿泊客は多く、何と日本人ビジネスマンも泊まっていた。私は既に少し暑くなりかけた外でゆっくりと食べた。

 

それから外へ出てみた。街という程の物かどうかわからないが、メインストリートの1つと思われるところを歩くと、やはり華人の足跡が見えた。先日訪ねた張彩雲氏兄弟も、100年前にここへ上陸して、農業労働者をしていたらしい。水運はかなりあったのかもしれないが、今や寂しい港町になっている。

 

かなり歩いていくと、川沿いに市場が見えた。魚市場とは別に生活用品も売っている。ヤンゴンの発展が急激だっただけに、他の都市の発展は完全に置いてけぼりとなっている。まあ、それは静かな街の環境を守るという意味では決して悪くはない。仏教寺院があるのは当然だが、大きなイスラム寺院もある。また1800年代に建てられた教会もある。この地は1826年にイギリスが乗り込んできたので、その時からあるのだろう。往時は相当に多国籍で活発な貿易、商売が行われていたのかもしれない、この街は。

 

この街にも博物館があったので入ってみた。外国人だけが5000チャットの入場料。これは高過ぎるだろうと思う。モン州の紹介などがされているが、あとはお決りの古い仏像が沢山飾られていた。私は仏像を見るのは嫌いではないが、さりとて研究者でもないので、こんなに沢山見る必要もない。もっとモン州の歴史について、細かく展示・説明して欲しいところだ。

 

かなり歩き回って疲れた。なぜか朝から何度も会うバイクのおじさんがいた。彼は英語で話しけて来ており、しきりに『バイクの後ろに乗れ、色々と連れて行っていってあげる』と誘ってくる。正規のバイタクはちゃんとゼッケンをつけているから、白タクなのだろうか。それにしても人は良い。もし元気なら少し付き合ったかもしれないが、そんな元気もなくなり部屋に引き上げた。

 

そしてポカリスエットを飲むとベッドに倒れ込む。明るい午後の日差しが部屋にも差し込んでくる。思わずカーテンを閉め、寝込む。気が付くともう夕暮れ時だった。夕日の写真を数枚撮ると、また眠くなって寝込む。完全に体調が悪くなっている。こんな時はひたすら寝るに限る。熱はなかったが、汗はかいた方がよい。水分だけ時々取って、食事は抜き、寝続ける。結局翌朝まで12時間以上眠ることが出来て、かなりの回復を見た。

 

10月11日(木)
ミャワディへ

朝食に麺を食べ、水分はジュースで補強した。今日はホテルで前日に手配してもらっていた乗り合いタクシーでミャワディに向かう。実は今回の旅では、ノービザ確認のため、ヤンゴン空港から入ってどこか陸路から抜けてみるつもりだったが、ミャワディは8月にも行ったばかりだし、ススたちも忙しいそうだったので、遠慮していたのだ。

 

ところがミャンマー南部、最南端から抜けるためにはヤンゴンからバスで36時間以上乗らないのと辿り着かないと知り、さすがに取りやめにした。ススたちからも『ミャワディに来い』と言ってもらえたので、モウラミュイン経由でミャワディが選択されたわけだ。ところが驚いたことに、ミャワディ行きの公共バスはここからは出ていないと分かり、愕然となる。

 

ミャワディはタイとの窓口で、ヤンゴンとの中間を為すここにバスルートがないとは信じられなかった。ホテルでも調べてもらったが、バスターミナルへ行き、乗合タクシーを探すしかないと言われて更に落ち込む。最終的にホテルまで車が迎えに来て、15000チャットという手配となった。

 

かなり寝たので体は楽になり、また助手席を与えられたので問題ないとたかをくくっていたが、現実は甘くない。モウラミュインを出るとすぐに、道はかなり凸凹になり、舗装もされていない。一部には雨水が残っており、車の行き来が滞る場所もある。これが幹線道路なのだろうか。トラックなど物資を運べる道はもう一つあると聞いたがどうだろうか。そして果たしていつミャワディに着くのか、不安が募る。

 

3時間ぐらい走った頃、ススはメールが来た。何時着くか分からない、と返事をしたところ、何と急に舗装道路に入り、車のスピードが格段に上がった。『そこから45分で着く』と言われたが、本当にそれまでが何だったのか、と思うほど、快適なドライブとなった。約100㎞の道のりを最初の3時間で60㎞、後の1時間で40㎞以上走った計算になる。

ヤンゴンの茶商を訪ねて2018(5)モウラミュインへ

10月9日(火)
モウラミュインへ

本日はヤンゴン最後の日。いつものようにホテルで朝食を食べ、そのまま近くのGHに向かう。午前9時に洗濯物を取りに行くことになっていたが、行ってみると洗濯物はまだ届いていないという。まあ想定内ではあるが、問題はどのくらい待てばよいかということだ。フロントの若者はどこかに電話を掛け、『今軽くアイロンをかけている』と説明する。

 

20分ぐらい待つと、洗濯物が無事に到着した。これで憂いは無くなった。一度ホテルに戻り、チェックアウト前の時間に周囲を歩き回る。もう一度モヒンガーを食べて部屋で出発の準備をした。チェックアウトは12時、何とエレベーターは30分だけの修理ために停まっていた。何との間の悪いことか。ボーイが私の荷物を担いで階段を降りてくれたので助かった。

 

ホテルの清算は、米ドルを支払えばお釣りも米ドルで返す決りらしい。お釣りがなく、チャットでもいいと言ったにも拘らず、ボーイが近所に走っていく。清算が済み、ホテルの外へ出る。郊外にあるバスターミナルへ行くため、バスではなく電車を利用してみることにした。電車駅はこのホテル近くの道路を渡るだけだから、いい選択に違いない。

 

困るのは文字が読めないこと。そしてどの電車に乗ればよいか分からないことだ。ヤンゴン中央駅は勿論長距離列車もあるが、ヤンゴンを巡る環状線もあり、私が乗るのはその環状線だから始末が悪い。更には空港の名前であるミンガラドンという駅があるが、そこで降りると空港には遠いと言われてしまうと、どうしてよいか分からない。

 

一応時刻表は確認済みだったのでホームの切符売り場に行くと、若い女性が英語で話しかけてきて、切符売り場でも世話を焼こうとする。何だろうと思っていると、水を買って欲しい、言い出したので、物売りだと分かる。でも一生懸命役に立とうとしてその上で商売をしているところは悪くない。200チャットの切符を買う。だが最後は誰もケアしてくれず、危うく乗り損なうところだった。何しろ私が乗るべき電車は別のホームには入って来たのだから本当に分からない。

 

慌てて走って電車に乗り込むと、結構な人が乗っており、席が埋まっている。空いているところでは、横長のシートに、数人がミャンマー座りで乗っているから面白い。外は雲行きが怪しくなり、途中で雨が降り出した。雨は最悪だが、仕方がない。これも旅だ。約1時間の列車の旅は、その殆どの場所で民家も見られず、ヤンゴン郊外の発展ぶりがよくわかる。

 

終点の駅で降りた。パユッセゴン駅というらしいが発音も出来ない。本当に何もない駅を出るとバイタクのにいちゃんが待っており、1500チャットというのでいい値で後ろに乗る。バイクはかなりのスピードを出し、大きな通りを走り抜けた。10分ぐらいで、バスターミナルに入り、私が乗るバス会社の待合室まで送ってもらった。ところがこのバス会社、向かいにもあり、そちらに誘導される。

 

一応VIP待合室があり、大人しく待つ。ちょっと周囲を歩いて飲み物だけを買った。いつの間にか出発の時間となり、バスに乗り込むと、確かにかなり広いシートで私は一人掛けだった。しかも車掌が珈琲を持ってくるサービスまで付いている。水とスナックは座席に置かれており、スマホの充電もできるようになっていた。中国製のバス、すごい。

 

それから3時間ほど、バスは舗装道路を快適に走行していた。ミャンマーのバスと言えば、デコボコ道を行く印象だったが、今は違う。バスも道路も新品だ。思わず寝入ってしまった。そして空が暗くなった頃、バスはサービスエリア?に入り休憩した。運転手の食事時間だろう。私は余り食べたくなかったが、焼きそばを頼んでみた。白人のカップルが同乗しており、何を食べてよいか困っている感じだったが、店員はちゃんと英語が出来た。

 

モウラミュインの夜

更に3時間、バスはいくつかの田舎町を通過していく。と同時に残念ながら雨が降り出す。それもかなり強い雨だった。先ほどの電車の時のように止んでくれることを願っていたが、それも空しく、夜9時半頃、バスはモウラミュインの街道沿いにあるバスターミナルに着いた。降りて荷物を取るとかなり濡れてしまい、訳も分からず、そこに来た白タクを捕まえて乗り込む。乗ってから価格交渉をするも立場は極めて弱い。そのまま予約した宿に連れていかれる。

 

その宿は、検索する限りモウラミュインの中ではかなり良い方のホテルだったが、行ってみると、それほどでもなかった。部屋はまあまあだが、エアコンの制御が難しく、部屋を替えてもらった。唯一良い所はリバービューなのだが、夜では何も見えない。腹が減ったのでレストランに行くとギリギリ閉店に間に合ったが、クラブサンドをルームサービスにしてもらった。とにかくのどが渇いたので、氷とコーラーだけを先にもらい、部屋でごくごく飲む。

ヤンゴンの茶商を訪ねて2018(4)ヤンゴンをフラフラ

10月8日(月)
今日もフラフラ

今朝も天気は良い。何となく洗濯したい気分となるが、ホテルに洗濯を出すのは料金の問題もあり気が進まない。東南アジアの都市には、1㎏いくらで洗濯してくれる、またはコインランドリーなどがあり、ヤンゴンはどうかと歩き回ってみたが見付からない。聞いてみると、近所にはいくつもゲストハウスがあり、そこで安くやってもらえそうだというので、泊る訳でもないのに、GH探しに切り替わる。

 

1つの通りに幾つもGHがあった。但し殆どが受付はビルの3階以上で、エレベーターなどない。しかも行ってみるとランドリーサービスがないなど、結構苦労した。ようやく見つけた1軒、スタッフは親切だったが、洗濯物は翌朝出来上がりだという。明日はヤンゴンを離れるのでちょっと不安だったが、思い切って出してみた。因みにシステムはホテルと同様だったが、非常に安くて驚いた。

 

それからスーレーの横を通り抜け、川沿いに出ていく。この付近一帯は全て植民地時代の建物が残っており、以前は汚いままだったが、最近はヤンゴン市が保存政策を打ち出したのか、かなりきれいな観光地と化している。午後にでもゆっくり散策することにして、また歩をチャイナタウンに向ける。

 

実は先日会った張さんより『チャウメイで茶業をしている息子がヤンゴンに来るので会うか』と聞かれたので、再度お寺を訪ねてみたのだ。ところが行ってみると張さんはいない。車の駐車スペースを探しているというのだ。ようやくやってきても『息子は来ない。今年はもう製茶はしないと言い出した。来年もやるかどうかは分からない』というではないか。何か事情が変わったようだ。

 

そんなことを話していると突然事務所に女性が飛び込んできた。大声で何か騒いでいる。張さんも事務所を飛び出していった。何とこの女性はひったくりに遭ったというのだ。防犯カメラもあり、画像から犯人を特定している。最近ヤンゴンも治安が悪くなったらしい。これも経済悪化の影響だろうか。

 

張さんとは収穫なく別れた。ホテルに帰る道すがら、気になったのが、ピンクの服を着た尼さんが沢山歩いていたことだ。どうやら雨安吾明けの活動があるようだ。托鉢している人々もいる。尼さんには失礼だが、とても華やかな感じがしてしまう。幼い子も尼さんになっているのが、かわいらしい。彼女らはどのようにして尼の道に進んだのだろうか。

 

昼になり、腹が減る。ホテルの近くに屋台があった。モヒンガーを出しているようだったので思わずそこの椅子に座ると、店主は身振り手振りで応対してくれた。恐らくは障害があるのだろう。こちらも手ぶりで入れて欲しいものを差し、食べる振りをすれば、モヒンガーは出てくる。この麺、スープが実にうまい。芋の天ぷら?が良い。ああ、これが食べたかった。500チャットは、やはり以前に比べて高くなっているが、それでもこれだけ旨いものがこの値段で食べられることは幸せだ。

 

それから川沿いを散歩した。郵便局やストラッドホテルなど馴染みの場所ではあるが、更に手入れがされ、いくつもの建物が輝いて見えた。ヤンゴン市が指定した保存建築の紹介がされた地図も作られており、外国人観光客誘致など、昔と比べて相当に意識改革された感じだ。暑いので、川を見ようと道路を渡ったら、そこは向こう岸に渡るフェリー乗り場。ちょっと覗いてみると『日本人は無料だから乗りな』と言われ、ビックリ。日本から寄贈された船だとか?!

 

歩き疲れたので、現代的なカフェに入ってみると、お客で混みあっており、やはり所得の向上と共に路上カフェが消え、クーラーの効いた涼しいところに集まる傾向を確認した。ドリンクは決して安くはないが、それにケーキなども合わせて食べているのを見ると、庶民のお金の余裕は実感できる。

 

カフェの横にバスチケット売り場があった。鉄道駅の前まで行かなければならないと思っていたが、英語も通じたのでここで明日のモウラミュイン行きのチケットを買う。洗濯物を午前に取るため、午後のバスにした。3列シートのVIPバスだというが、さてどうだろうか。そして問題は郊外にあるバスターミナルまで遠いということ。残念ながらここからの送迎はなく、自力で行けと言われる。

 

夜はTさんにモン州料理に連れて行ってもらった。民族色が強いかと思い行きや、非常におしゃれな店内で驚く。白人がよく利用する、英語も通じる店だった。明日行くモウラミュインもモン州らしいが、一人なのでよいものは食べないだろうと、イカ飯のようなものを食べたが、実にうまかった。オクラを揚げたものも美味。明日からのモン州が楽しみになって来た。