ヤンゴンの茶商を訪ねて2018(6)モウラミュイン散策

10月10日(水)
モウラミュイン散策

昨晩の雨はいつの間にか上がっていた。部屋からはきれいなリバービューが拝めたが、船も殆ど航行しておらず、とにかく何もない、という雰囲気が強い。1階に降りて朝食を頂く。一応何でもあるビュッフェだ。意外と宿泊客は多く、何と日本人ビジネスマンも泊まっていた。私は既に少し暑くなりかけた外でゆっくりと食べた。

 

それから外へ出てみた。街という程の物かどうかわからないが、メインストリートの1つと思われるところを歩くと、やはり華人の足跡が見えた。先日訪ねた張彩雲氏兄弟も、100年前にここへ上陸して、農業労働者をしていたらしい。水運はかなりあったのかもしれないが、今や寂しい港町になっている。

 

かなり歩いていくと、川沿いに市場が見えた。魚市場とは別に生活用品も売っている。ヤンゴンの発展が急激だっただけに、他の都市の発展は完全に置いてけぼりとなっている。まあ、それは静かな街の環境を守るという意味では決して悪くはない。仏教寺院があるのは当然だが、大きなイスラム寺院もある。また1800年代に建てられた教会もある。この地は1826年にイギリスが乗り込んできたので、その時からあるのだろう。往時は相当に多国籍で活発な貿易、商売が行われていたのかもしれない、この街は。

 

この街にも博物館があったので入ってみた。外国人だけが5000チャットの入場料。これは高過ぎるだろうと思う。モン州の紹介などがされているが、あとはお決りの古い仏像が沢山飾られていた。私は仏像を見るのは嫌いではないが、さりとて研究者でもないので、こんなに沢山見る必要もない。もっとモン州の歴史について、細かく展示・説明して欲しいところだ。

 

かなり歩き回って疲れた。なぜか朝から何度も会うバイクのおじさんがいた。彼は英語で話しけて来ており、しきりに『バイクの後ろに乗れ、色々と連れて行っていってあげる』と誘ってくる。正規のバイタクはちゃんとゼッケンをつけているから、白タクなのだろうか。それにしても人は良い。もし元気なら少し付き合ったかもしれないが、そんな元気もなくなり部屋に引き上げた。

 

そしてポカリスエットを飲むとベッドに倒れ込む。明るい午後の日差しが部屋にも差し込んでくる。思わずカーテンを閉め、寝込む。気が付くともう夕暮れ時だった。夕日の写真を数枚撮ると、また眠くなって寝込む。完全に体調が悪くなっている。こんな時はひたすら寝るに限る。熱はなかったが、汗はかいた方がよい。水分だけ時々取って、食事は抜き、寝続ける。結局翌朝まで12時間以上眠ることが出来て、かなりの回復を見た。

 

10月11日(木)
ミャワディへ

朝食に麺を食べ、水分はジュースで補強した。今日はホテルで前日に手配してもらっていた乗り合いタクシーでミャワディに向かう。実は今回の旅では、ノービザ確認のため、ヤンゴン空港から入ってどこか陸路から抜けてみるつもりだったが、ミャワディは8月にも行ったばかりだし、ススたちも忙しいそうだったので、遠慮していたのだ。

 

ところがミャンマー南部、最南端から抜けるためにはヤンゴンからバスで36時間以上乗らないのと辿り着かないと知り、さすがに取りやめにした。ススたちからも『ミャワディに来い』と言ってもらえたので、モウラミュイン経由でミャワディが選択されたわけだ。ところが驚いたことに、ミャワディ行きの公共バスはここからは出ていないと分かり、愕然となる。

 

ミャワディはタイとの窓口で、ヤンゴンとの中間を為すここにバスルートがないとは信じられなかった。ホテルでも調べてもらったが、バスターミナルへ行き、乗合タクシーを探すしかないと言われて更に落ち込む。最終的にホテルまで車が迎えに来て、15000チャットという手配となった。

 

かなり寝たので体は楽になり、また助手席を与えられたので問題ないとたかをくくっていたが、現実は甘くない。モウラミュインを出るとすぐに、道はかなり凸凹になり、舗装もされていない。一部には雨水が残っており、車の行き来が滞る場所もある。これが幹線道路なのだろうか。トラックなど物資を運べる道はもう一つあると聞いたがどうだろうか。そして果たしていつミャワディに着くのか、不安が募る。

 

3時間ぐらい走った頃、ススはメールが来た。何時着くか分からない、と返事をしたところ、何と急に舗装道路に入り、車のスピードが格段に上がった。『そこから45分で着く』と言われたが、本当にそれまでが何だったのか、と思うほど、快適なドライブとなった。約100㎞の道のりを最初の3時間で60㎞、後の1時間で40㎞以上走った計算になる。

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