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シンガポールで老舗茶商を探す2019(6)チャイナタウンで

8月3日(土)
散策3

今日はついに疲れ果て、朝はゆっくり起きて、部屋に居た。この宿も気が付けば6日目。今日の夜は何と週末料金が適用され、S$20も値上がりするので、ちょっと他のホテルをのぞき見しても良いかと考えたが、今更他に移る気もないので、ここに留まる。明日の出発に備えて、残った菓子や飲み物を処理する。昼前に宿を出てまたバスに乗る。

 

今日はNさんとチャイナタウンを歩く約束をしていた。地下鉄駅で待ち合わせて、例のコンプレックスに向かう。先日訪ねた店は週末休みのようで、扉は閉まっている。1階の小売りの店は開いており、すぐに優しいオーナーが相手をしてくれ、お茶が振る舞われ、会話が始まる。王三陽、こちらも安渓人である。戦後店舗を構えた後発で、現在も小売りがメインのようだ。以前は福建茶を多く商っていたが、今ではプーアル茶などがよく売れるらしい。

 

腹が減ったので2階のホッカーで食事を探す。珍しい麺があったので食べてみる。肉と水餃子と麺が1つの皿に載っている。特性のたれはやや甘めだが私の好みだ。それから先日も訪ねた路面店、白三春に行ってみる。残念ながら今日もオーナーはおらず、歴史の話は結局聞けなかった。ただシンガポールに来たばかりのNさんにとっては、誰かを案内する時、こういう小売りの店を知っていればいいのかなとは思う。

 

それからTea Chapterに行く。昨日は1階のショップに立ち寄っただけだったが、今日は2階に上がっていく。ここでは靴を脱ぐ。座敷もあるが、テーブルにする。隣はエリザベス女王が座った場所らしいが、特別料金がかかるので止める。ゆっくりと自分で茶を淹れて飲む。人のために茶を淹れるなんて、一体何年ぶりだろうか。色々と話しているとすぐに時間は過ぎていき、日が傾いてくる。この店は相変わらずお客が多く、シンガポールの若者も茶芸には興味があるようだ。

 

歩いて地下鉄に向かう途中、なぜか和食の店が並んでいる一帯があった。海外に活路を求めた日本人が開いたのか、はたまた商機を感じたシンガポール人が経営しているのか。ここなら客単価は高いだろうが、店舗賃料や人件費など、コストも高いに違いない。収支は見合うのか。

 

地下鉄で一本、宿の最寄り駅まで戻る。Nさんと一旦分かれて宿で休み、夜また再会して四川料理屋へ。ゲイラン中華ツアーも最終日だ。ところが店に入ると、何とまさかの日本人団体の宴会中。何かの打ち上げなのか、酒が入って大騒ぎ。まあ貸し切りに近いので良いのかもしれないが、どうせなら貸し切りにして欲しい。隅っこの我々はどうなるのだろうか。

 

麻婆豆腐が出てきたが、どうもその辛さ、ちょっと雰囲気が違う。水煮牛肉、色が違うし、肉の歯ごたえも違う。何だか中国で食べる四川料理とは思えない。ここは湖南の人がやっているのだろうか。それでもちょっと違う気がする。ゲイランは全て本格的な中国料理かというと、かなりアレンジされたものも混ざっているということだろう。

 

8月4日(日)
ペナンへ

今日はついにシンガポールを離れる。1週間も泊っていると宿にも愛着がわく。そういえば、滞在中はずっと天気が良く気持ちがよかった。雨も一度スコールが来たほかは、殆ど降らなかった。今は雨期ではないのか。これは日頃の行いがよかったということだろうか。宿をチェックアウトして地下鉄駅に歩いて向かう。

 

空港までは簡単に行けたのだが、今日乗る飛行機はエアアジア。それは第4ターミナルだと言われるが、どこにあるのだろうか。昔はなかったターミナルに何とバスで移動したが、そこは新しくて、きれいだった。エアアジアは大きなスペースをとっているが、基本的にチェックインは機械だった。最初は不慣れで戸惑うが、慣れるとこれは便利だ。後は如何に慣れている人の後ろに並ぶかが勝負だった。預け荷物も機械で預けるので最初は戸惑う。

 

出国審査は長蛇の列で疲れた。やはり外国人乗客が多い。シンガポール人はあっという間に抜けてしまうが、中東系の人などは時々別室に連れていかれている。30分以上かかってようやく解放された。ゲートまではかなりおしゃれなデザイン空間、色々と趣向を凝らしている。特に待合室の椅子のデザインが何ともよい。無味乾燥な同じ形のものではなく、皆独特で個性が感じられる。TWGの店舗も出店するなど、とてもLCCターミナルとは思えない。これならLCCに乗るとしても、気分良く出立できる。さすがシンガポール、この辺のサービス精神、きめは細かい。

 

シンガポールで老舗茶商を探す2019(5)教会とモスク

8月2日(金)
散策2

今日も昨日に続いて散策する。昨日暑さで最後にへばってしまったボッキーでバスを降りる。キャナルロード付近にも老舗茶荘が残っていると思われたので、その住所を訪ねてみたが、今は跡形もなくなっている。ただそのあたりには古い薬屋があり、潮州料理屋があることから、やはりこの辺に茶貿易のための茶荘があったことは容易に想像できる。

 

その道をふらふら歩いて行くと、5分ぐらいで、初日に訪ねた茶荘が入っているコンプレックスに出た。これで位置関係がはっきりする。やはりこの一帯なのだ。チャイナタウンを通っていくと、ヒンズー寺院があり、新しい中国寺院もある。このあたりの混沌ぶりが、往時の貿易基地を思わせる。

 

もう一つ住所が分かっていたところへ行ってみると、何と6年前にSさん一家と行った茶荘だった。Tea Chapter、ここはちょうど30年前にできた新しい茶荘。1階がショップで、2階でゆっくり茶が飲める。いわゆる茶芸が台湾から入り、新しい茶のスタイルの草分けとなった店、と言えるだろう。

 

1階に入っていくと年配の女性が流ちょうな英語で接客していた。私が華語で話しかけると、ちゃんと華語で返ってくる。話を聞くと、この店は数人のオーナーの共同主出資だが、コンセプトは30年変っていないという。30年前開店して10日目にエリザベス女王夫妻がこの店に来て茶を飲んだというからびっくりした。当時中国茶が飲める場所がなかったのだろう。店員の彼女も原籍は安渓だが、この店で働くまでお茶などほとんど飲まなかったらしい。この辺が一般的な茶の普及の歴史だろうか。

 

その店のすぐ近くに、昔よく言ったマクセルフードコートが見えたので懐かしくて行ってみた。改修中だったが、営業は通常通り。中はそれほど変わっていない。すでにお客が多かったが、鴨肉麺をゲットして、何とか席に着く。この鴨肉にかかったタレが絶妙で、麺にかけるとうまい。S$5程度で十分満足できるのがよい。

 

午後はこれまでバスで通り過ぎてきて気になっていた、教会とモスクを訪ねる。聖アンドリュー教会はとても立派な白亜の建物で、100年以上の間、目立っていた。内部で祈りを捧げる人々、壁のステングラスなども美しい。敷地も広いので出口を間違えると、そこには建設中のスタジアムが見えた。こんな街中にスタジアムを作るとは、さすがシンガポールだ。

 

そこの横からバスに乗り、今度はマスジットモスクに向かう。この建物も趣がありよい。周囲は急にアラブ人街になる。だが今日は金曜日、残念ながらイスラム教徒以外は中を見学できなかった。その横の方には博物館があり、そちらをチラッと見学する。周囲にいくつか歴史的建造物があり、古きシンガポールを残しているという。ただかなり改修されてきれいになっており、観光地化は否めない。

 

それからまたバスで図書館へ向かう。ここに入るとオアシスのように涼しく、快適だ。更に資料を読み込む。特に福建とシンガポールの茶貿易の歴史に興味が沸く。相変らず英語の感覚は戻らず、素早く資料を読むことができずに歯がゆいばかりだ。夕暮れが近づく頃、今日もバスで家路につく。

 

夜はまたご近所のNさんからお誘いがあったので、ゲイランでご飯を食べる。今晩は東北料理屋。水餃子をはじめ、土豆糸、地三線など、いわゆる東北料理の定番をズラッと並べて悦に入る。シンガポールでもこんなものが食べられるんだ。うれしくなって、腹が膨れるまで食べ続けた。やはり一人では食べられないが、食事は2人いるとよい。

 

私は毎晩宿へ帰る前に、便利店に立ち寄る。シンガポールにもセブンイレブンはあるが、同じ飲み物でもなぜかかなり高い。そこで2日目からはインド系がやっている店でジュースを買っている。何日も通えば自然と会話も生まれ、日本人だと分かると、なぜか一層親しみを見せてくれるのが面白い。旅も1週間同じ場所に居れば、また違った景色が見られるというものだ。ただ当てもなく街に滞在する、沢木幸太郎の深夜特急を思い出す。

シンガポールで老舗茶商を探す2019(4)シンガポールを歩き回る

8月1日(木)
シンガポール散策

本日もまたバスに乗り、老舗茶商を訪問する。今回の場所はチャイナタウンからもかなり離れており、正直行けるのか不安だったので、事前に電話を入れてみた。これは安渓会館が役に立った。電話に出たオーナーは初めあまり乗り気ではなかったが、私が厦門の王さんとの繋がりで電話したと言うと、『会いましょう』と言ってくれた。こういうご縁も面白い。

 

バスはチャイナタウンを通り過ぎた。隣の華人女性が英語で『どこへ行くの?』と声を掛けてきた。観光客が行き先を間違えていると思ったのだろう。私がスマホで行先を見せると納得して『エンジョイしてね』と言いながら降りて行った。こういう親切も、日本ではなかなかない。

 

指定のバス停で降りてもそれらしい場所は見つからず、スマホ地図を頼りに歩いた。着いたのは完ぺきな工業団地の一角。目の前は倉庫だったが、会社名が私の目指したものだった。思ったより規模が大きく、従業員も何人もいる。何の用だと言われ、オーナーと約束していると言うと何とか通してくれた。事前に電話していなければ門前払いだったろうか。

 

オーナーの魏さんは例の『新嘉坡茶商公会史略』を編集した人で、公会にも大いに関わり、また歴史にも詳しい人だった。既に公会のオフィスもなくなった今、公会の資料、辞めていく茶商の残したものも含めて、後世に残そうとあの本を書いた。当然膨大な資料があり、それは大変な作業だったという。

 

だが最近は滅多に取材は受けないらしい。皆がいいように歴史を書いてしまう現実を好まないようだ。私も厦門の王さんがいなければ会うことはなかっただろう。王さんが魏さんを紹介してくれなかった理由も何となく分かった。それでも会ってしまう、それが茶旅というものだ。

 

 

 

 

魏さんの会社、南苑は1960年に設立された。それ以前から茶業は行われており、ちょうど対中国向け購買会社、岩渓茶行が設立された年だから、これと関連があるらしい。昔に比べれば規模は縮小しているようだが、小売りはせずに、卸に専念していて、業務は継続されている。ただ将来については、はっきりした展望は見えてこない。

 

魏さんと別れてまたバスに乗る。今度は国立博物館へ行こうと考えた。シンガポールのバスは本当に便利だ。また一本で近くまで行けた。既に昼は過ぎていたので、その辺でランチを食べる。どうやらチェーン店らしい。メニューにチキンカツ麺があり、思わず注文する。これがなかなかイケる。セットに付いてきたコーヒーとも合う。不思議な融合だ。

 

博物館は立派な、100年以上前の建物だった。ただ入場料がS$15もして、ちょっと躊躇したが、思い切って入ってみた。年代ごとにきちんと展示が分かれており見やすい。老舗茶商の展示などもある。コーラは1960年代には既にあったが、氷はいつ頃一般に普及しただろう?

 

シンガポールの大体の歴史が頭に入ってくる。1965年この国は独立したのだが、それはこちらの意志ではなく、マレーシアから捨てられた、という説明が意外だった。もう一度勉強し直す必要を感じる。当時の東南アジアの各国情勢は、決して今の尺度では測れないと思われ、この辺の都市間の歴史にも大いに興味を持つ。

 

ついでに近くにあるペラナカン博物館にも寄ってみようと出向いたが、何と改修工事中で閉鎖されていた。ペラナカンの歴史を合わせて考えれば、華人の歴史が自ずと見えてくると思ったので残念だったが仕方がない。更には1㎞以上歩いて、アジア文化博物館にも行ってみたが、疲れてしまい中に入らず、しばらくは外で川を眺めていた。ラッフルズがシンガポールに上陸して今年がちょうど200年であることを知る。

 

更には川沿いを歩いていき、ボッキーに出る。20年ぐらい前に家族旅行で来た時に、知り合いとここで食事をしたことが何となく思い出された。先日訪ねた源崇美など数軒の茶荘は、元々はこの付近にあったらしい。今はスイスホテルになっているところなど、如何にもそれらしい。貿易商は必ず川沿いを抑えるので、多分間違いはない。

 

最後にクランキー付近を散策した。かなりの暑さの中、よくもこんなに歩いたな、と自分で驚いてしまった。何とかバス停を見つけてバスに乗り込む。今日も図書館で勉強しようと思ったがその気力はなく、とにかく宿へ帰った。元は4日ぐらいで去るはずだったシンガポール。意外と楽しいので延泊することに決定。

 

夜は先日会ったNさんと待ち合わせて、ゲイランで飲茶を食べる。焼売も餃子も何となく美味しく感じられる。特に豚バラ炒飯がうまい。今日は相当体力を使ったので、食べ物がどんどん入っていく。ゲイランの夜に賑わいは相変わらずで、中国人観光客だけでなく、地元民、在住日本人もやって来る。やはり食事が安くて旨ければ人は集まる。

 

 

シンガポールで老舗茶商を探す2019(3)図書館のサービスが素晴らしい

7月31日(水)
肉骨茶と図書館

今朝も昨日と同じバスに乗る。今日は国立図書館へ行ってみることにした。実は昨日安渓会館で出会った男性が『国立図書館は本や資料が相当充実しており、冷房も効いて環境がよいから行ってみる価値はあるよ』と教えてくれたのだ。その場所を確認すると、ちょうどランチを約した場所に近かったので、覗きに行く。

 

バスをブギスで降りた。すぐそこに立派な建物が見えた。確かに室内は涼しい。エレベーターで上に上がる。荷物検査も簡単で預ける必要もない。書棚は充実しすぎていて、自ら探すのは不可能に見えたので、係の人に、必要な人物の名前や茶貿易と言ったキーワードを渡してみる。係員は華人で、英語でも中国語でも対応してくれる。そしてあっと言う間に取り敢えず2冊の本を探し出し、教えてくれた。

 

その本は英語だったが、私が必要としている内容がかなり含まれていて驚いた。検索能力が極めて高いのだ、と思われた。そしてそのフロアーはリサーチャー向けになっており、デスクもあり充電もできる。朝からここで勉強したり、資料をまとめたりすれば、効率が上がりそうだ。席についている顔を見ても、多国籍という感じで、研究者が集まっているようだった。

 

それから1時間半ほど、しっかり資料を読み込んでいたが、何しろ英語の資料は久しぶりで単語も忘れており、なかなか進まない。時間が来てしまったので、係に本を返しに行くと、『まだ使うなら保管しますよ』というではないか。夕方に戻ると約束して、預けて外へ出た。

 

図書館から近くにある有名な肉骨茶の店に行った。まだ11時半と早かったので、席は空いており、座ることができた。周囲を見ると中国人観光客が多い。今日は数年ぶりにFさんと会うことになっていた。彼女は結婚後シンガポールにやってきた。元は中国関係の人だから、この国は問題ないと思っていたが、意外と英語を使う機会が多いので疲れるという。

 

肉骨茶はマレーシア発だと思うのだが、シンガポール発だという人もいる。ご飯と漬物も頼み、美味しく頂く。スープのお替りも注いでくれる。お茶も注文できたので、烏龍茶を飲んでみたが、こちらはまあ、という感じだった。それでもランチ時間にお茶を飲ませてくれるだけ有難い。前回行った店は茶を飲ませてくれなかったので、それでは肉骨茶ではないだろう、と文句を言いそうになった思い出がある。

 

それからカフェに移動して更に話続けた。数年ぶりだと話すことは沢山ある。カフェもかなりおしゃれで、最近流行りというレインボーケーキまで食べる。やはりシンガポールは、若干のお金を払えば、快適な空間が保証されるような気がする。外は暑いが、室内はかなり涼しい。そのギャップで風邪をひかないように注意は必要だが。

 

3時ぐらいまで話し込み、次に向かう。地下鉄に乗るが、やはり複雑で乗り換えで迷う。それでも何とか待ち合わせのホテルまで辿り着く。午後は6年前にこの地で会ったSさんと再会した。いつも私のFBを見ていてくれるようだったので、連絡してみた次第だ。Sさんはシンガポール在住22年というベテラン。シンガポール事情を聴くにはうってつけの人物だった。

 

ホテルの最上階のラウンジでお茶をした。アイスティーを頼むと、出てきた紅茶専用メニューは何とTWGだった。今やシンガポールの名物なのだろう。ラウンジからは、セントーサ島などいい景色が見られた。港に船が停まっていたが、実は今この港は移転が決まっており、近日中に風景は一変するらしい。シンガポールは常に動いている。

 

この6年でシンガポールの不動産は値上がりが止まったという。さすがに高くなり過ぎ、中国マネーが注がれた香港の方が高くなったようだ。この国、不動産価格が安くなり、物価が安定すれば、住みやすい場所かもしれない。中国人投資移民の流入は食い止めようとしているが、適切なコントロールが出来ればよいかと思う。

 

Sさんと別れて、また地下鉄に乗り、図書館に舞い戻った。係員は代わっていたが、私が預けた本はちゃんと出てきた上、しかももう1冊本が加えられていた。どうやらさっきの係員が検索を加え、必要であろう本を探しておいてくれたらしい。こんなサービス、日本では考えられない。サービスの国、シンガポールらしい計らいに感激する。

 

 

 

 

シンガポールで老舗茶商を探す2019(2)老舗茶荘で

7月30日(火)
老舗茶荘を探して

翌朝はゆっくり目覚める。これまでシンガポールといえば、狭くて喧騒の中にいる感じだったが、今回はゆったりとした気分。これならもう数日泊まれると判断して、フロントで延泊を依頼する。基本的に部屋は常に空いているようで、これまた有り難い。

 

これまで地下鉄を基本として移動してきたが、今回は地下鉄駅まで歩いて少し距離がある。スマホ地図で見ると、チャイナタウンまで行くには、バスが便利だと表示されていた。近くのバス停に行くと、大勢の人がバスを待っている。その1台に乗り込む。涼しいし、それほど混んでいないので快適。途中モスク、教会、運河が見える。シンガポールらしい景色を眺めながら、バスは快調に進んで行く。そしてチャイナタウン駅の横で降りる。地下鉄だと乗り換えが必要だが、バスだと一本、30分だから、やはりこちらの方が便利だった。

 

今回シンガポールに来た目的、それは老舗華人茶荘をさがすことにあった。実は先日厦門で、『新嘉坡茶商公会史略』という本を手に入れ、数年前の会員リストが掲載されており、何と住所まで書かれていたので、それほど苦労なく探し出されると踏んでいたのだ。

 

チャイナタウン駅からリストの一番上に書かれた茶荘の住所を地図に入れて歩き出す。簡単に見つかると思ったが、なぜかその住所はない。似たような住所にコンプレックスがあったので聞いてみたが、あっさり『ここじゃない』と言われてしまう。まさかシンガポールで道に迷うとは。

 

言われた方に歩いて行くと、確かにそこは住所通りの場所だった。駅の裏のコンプレックス。1階には老舗茶荘がちゃんと店を構えていたが、私が当初目指した茶荘は3階にあるというので、そこへ上って行く。途中もう一つの有名茶荘を見つけたが、固く扉は閉ざされており、既に営業は辞めているようにしか見えなかった。

 

ついに源崇美を探し当てた。このコンプレックでももっと分かり難そうな裏手に位置しており、どう考えても小売りメインではないようだ。店に入っていくと店員の女性が怪訝そうに応対してくれる。『茶の歴史を調べていますが、オーナーはいますか?』『今忙しい』こんなやり取りが繰り返された後、何とかそのオーナーに出てきてもらった。

 

ここの3代目、顔明福さん。源崇美は来年創立100周年を迎える。顔さんの祖父が安渓からシンガポールに渡り設立した。そして1928年の新嘉坡茶商公会設立にも関与して、2代目も含めて会長職に就くなど、長年会を支えてきた存在だ。詳しくはこちらに既に書いている。

http://www.peopleschina.com/zlk/cha/201909/t20190923_800179196.html

 

それにしても、最初はどうなるかと思ったこの訪問、2時間も話をしてくれ、昔の茶やその包装、貴重な写真を見せてくれた。そして何より極めて貴重な資料(2代目が書いた資料を含む)を幾つも頂いたことには感謝しかない。これからのシンガポール、マレーシアの調査を行う上で極めて有益だ。淹れて頂いたお茶がプーアル茶というのも、今のシンガポールを表している。

 

朝ごはんを食べていなかったので腹が減った。12時半を過ぎていたが、このコンプレックス内のホーカーはかなり混みあっていた。オフィス街のランチ、という感じで、きちんとした身なりの人々が、数人でテーブルを囲み、楽しそうに食べている。私はほぼ並んでいないところから麺を調達して、何とか座って食べた。食後にお茶を飲もうと思い、『茶』とだけ言ってみると、出てきたのは、アイスミルクティーだった。

 

午後も引き続き、このコンプレックスの住所を訪ねた。だが2つは既に閉まっており、人の気配がなかった。わずか数年で、店がどんどん閉まっていく様子が何となく分かる。5階まで上がると一軒の骨董屋が目に入る。何とそこは黄春生という茶荘だった。ちょうどオーナーがいたので、少し話を聞いてみたが、今年が設立100週年だという。

 

『お茶屋だけで食べていける時代は過ぎている』と言い、今は昔から残っている老茶を中心に、健康茶のコンセプトで若者向けに販売しているという。同時に若者が興味を持ちそうな骨董などを並べて、来客を促している。オーナーは『最近中国人が来て、骨董を買い漁っており、無断で写真を撮ってSNSに上げているので、写真撮影は断っている』と言い、私の質問にも極めて慎重に応対していた。

 

次にすぐ近くのストリートを目指す。白新春という、今や珍しい小売りの店があると聞いたので、行ってみる。店には観光客が来ており、何語でも対応できそうなおばさんが仕切っていた。オーナーは不在で話は聞けず。それにしても、このご時世に、女性が手で茶葉を紙に包む作業をしているのには驚いた。これでコストは合うのだろうか。是非記念に買いたいと言ってみたら、50袋入りの缶しかない、と言われ断念。

 

その先を歩いていく、安渓会館がある。アジア各地にある同郷会館、これがとても役に立つので、入ってみる。茶荘について聞いてみても今一つ良い返事はなかったが、そこに客としてきていた男性が親身になって探してくれた。福建会館の方が見つかるだろうと電話してくれたが、資料はないと言われてしまう。安渓会館でもいくつかの茶荘の名前は出てきたが、全て本に載っているもので、唯一の救いはオーナーの携帯番号が分かったことぐらいだった。

 

その後近くの天福宮に歩いていく。これも福建系の廟だと分かっていたので、何か掴めないかと思って行ったが、単なる観光地となっていた。その付近の通り沿いは、何となく福建系の匂いがプンプンしており、よく見ると廟の前には立派な福建会館もあった。まあ初日としては上出来だったろう。

シンガポールで老舗茶商を探す2019(1)6年ぶりのシンガポール

《シンガポールで老舗茶商を探す2019》2019年7月29日-8月4日

確か3年前にシンガポールの空港に降り立ったことはあった。だがそのまますぐにジョホールバルに抜けてしまい、シンガポールに泊まったのは、もう6年も前になる。そしてその時の物価の高さ、特にホテルのコスパの悪さに嫌気がさしてこの街を敬遠してきたのだ。だが今回は東南アジアに渡った華僑の中で、大茶商になった人々の調査という目的があった。取り敢えず1冊の本を頼りに、どこまで調べることができるのか。

 

7月29日(月)
シンガポールで

シンガポール航空のサービスはやはりきびきびしていてよいと思った。日系航空会社のほっこり系とは異なり、ビジネスライクで気持ちがよい。業務をサクサクこなす姿勢はシンガポールを象徴しているともいえる。それでも料金的には、預け荷物代なども考慮するとそれほど高くはないので、LCCではなく、こちらを選んでしまう。これは厳しい競争に晒されているともいえるが、このようなサービスを求めている乗客にとっては有難いことだ。

 

バンコックからシンガポールは2時間ちょっとの旅だった。空港に降り立つと、まずはシムカードを探す。実は6年前は何も調べずにシムを買ったらかなり高かったので、今回はちゃんと事前調査していた。安いシムを買うには、普通のブースではなく、むしろ両替所へ行くのがよいと聞いていたが、それは正解だった。S$15で手に入る。

 

次は交通カードだ。6年前に買ったカードは既に失効していたので、これも新調する。カード代S$10を支払っても、シンガポールではこのカードは役に立つ。料金も割引になるので、頻繁に使えば十分に元は取れる。この辺はあまり変わっていないようだ。今回はバンコックで会ったSさんから『シンガポールの安い宿はゲイラン』と言われたので、地下鉄でゲイランに向かう。

 

ゲイラン、初めてシンガポールへ行った頃、その地名は聞いていた。川向う、などとも呼ばれ、正直いかがわしい場所、というイメージが強く、行ったことはなかった。もしSさんに紹介されなければ、今回も行くことはなかっただろう。ゲイランは空港からも比較的近いので、タクシーを使う手もあるが、折角交通カードを買ったこともあり、また荷物も少ないので地下鉄で向かう。

 

何となく記憶のある乗り換えをして、ゲイラン近くの駅に到着した。まだ日も高く、正直暑い。その中スマホ地図を頼りに歩き出す。周囲には四川料理など、中国料理屋がいくつもあり、大陸中国人観光客が多く来る場所、というイメージを持った。同時にいかがわしいという印象はなく、むしろ郊外のさわやかな住宅地と言った雰囲気も漂う。

 

Sさんが紹介してくれたホテルはすぐに見つかった。その周辺には同じようなホテルがいくつもあり、価格帯もほぼ同じようだった。昔はいわゆるラブホとして使っていたところを、観光客用に改装した感じだ。平日はS$50で泊まれる。部屋は6年前のチャイナタウンよりかなりゆったりしており、デスクや冷蔵庫もあり、装備としては特に問題ない。周囲も静かそうだ。

 

既に夕暮れが近づいていた。今晩は北京つながりのNさんと会うことになっていたが、彼女は3週間前に香港から転勤でシンガポールへ来たと言い、取り敢えず家が決まるまでの滞在先は何とゲイランだった。優良企業で働く人材がゲイランに住む、そういう時代なのだろうか。

 

というわけで、歩いて15分ぐらいのところにあるホーカーで待ち合わせた。物価の高いシンガポールで、一人で気軽に食べられる場所と言えば、ホーカーが一番だ。行ってみると、料金は6年前とそれほど変わっていない。他のアジア諸国の物価が上がる中、シンガポールはちょっと立ち止まった、ということだろうか。

 

焼きクイッティアオなどを食べながら、Nさんと近況を話し合う。外資系に転職した彼女の職場は、香港から完全撤退したらしい。そして東京も縮小、シンガポールへの統合が進んでいくようだ。これが今の世の流れだろうか。マネーもそうだが、企業も東京から去り、そして中国系を除いては香港からも離れていく。

 

北京を知っている彼女にとっては、香港には慣れやすいが、シンガポールとはちょっと心理的な距離もあるらしい。確かに人のマインドも異なるし、他民族により社会習慣もかなり違っている。同じ華人中心社会でも、香港とは違うし、英語ができるのであれば、慣れればむしろシンガポールの方が住みやすいのではないだろうか。1年後の彼女の動向が見てみたい。