シンガポールで老舗茶商を探す2019(2)老舗茶荘で

7月30日(火)
老舗茶荘を探して

翌朝はゆっくり目覚める。これまでシンガポールといえば、狭くて喧騒の中にいる感じだったが、今回はゆったりとした気分。これならもう数日泊まれると判断して、フロントで延泊を依頼する。基本的に部屋は常に空いているようで、これまた有り難い。

 

これまで地下鉄を基本として移動してきたが、今回は地下鉄駅まで歩いて少し距離がある。スマホ地図で見ると、チャイナタウンまで行くには、バスが便利だと表示されていた。近くのバス停に行くと、大勢の人がバスを待っている。その1台に乗り込む。涼しいし、それほど混んでいないので快適。途中モスク、教会、運河が見える。シンガポールらしい景色を眺めながら、バスは快調に進んで行く。そしてチャイナタウン駅の横で降りる。地下鉄だと乗り換えが必要だが、バスだと一本、30分だから、やはりこちらの方が便利だった。

 

今回シンガポールに来た目的、それは老舗華人茶荘をさがすことにあった。実は先日厦門で、『新嘉坡茶商公会史略』という本を手に入れ、数年前の会員リストが掲載されており、何と住所まで書かれていたので、それほど苦労なく探し出されると踏んでいたのだ。

 

チャイナタウン駅からリストの一番上に書かれた茶荘の住所を地図に入れて歩き出す。簡単に見つかると思ったが、なぜかその住所はない。似たような住所にコンプレックスがあったので聞いてみたが、あっさり『ここじゃない』と言われてしまう。まさかシンガポールで道に迷うとは。

 

言われた方に歩いて行くと、確かにそこは住所通りの場所だった。駅の裏のコンプレックス。1階には老舗茶荘がちゃんと店を構えていたが、私が当初目指した茶荘は3階にあるというので、そこへ上って行く。途中もう一つの有名茶荘を見つけたが、固く扉は閉ざされており、既に営業は辞めているようにしか見えなかった。

 

ついに源崇美を探し当てた。このコンプレックでももっと分かり難そうな裏手に位置しており、どう考えても小売りメインではないようだ。店に入っていくと店員の女性が怪訝そうに応対してくれる。『茶の歴史を調べていますが、オーナーはいますか?』『今忙しい』こんなやり取りが繰り返された後、何とかそのオーナーに出てきてもらった。

 

ここの3代目、顔明福さん。源崇美は来年創立100周年を迎える。顔さんの祖父が安渓からシンガポールに渡り設立した。そして1928年の新嘉坡茶商公会設立にも関与して、2代目も含めて会長職に就くなど、長年会を支えてきた存在だ。詳しくはこちらに既に書いている。

http://www.peopleschina.com/zlk/cha/201909/t20190923_800179196.html

 

それにしても、最初はどうなるかと思ったこの訪問、2時間も話をしてくれ、昔の茶やその包装、貴重な写真を見せてくれた。そして何より極めて貴重な資料(2代目が書いた資料を含む)を幾つも頂いたことには感謝しかない。これからのシンガポール、マレーシアの調査を行う上で極めて有益だ。淹れて頂いたお茶がプーアル茶というのも、今のシンガポールを表している。

 

朝ごはんを食べていなかったので腹が減った。12時半を過ぎていたが、このコンプレックス内のホーカーはかなり混みあっていた。オフィス街のランチ、という感じで、きちんとした身なりの人々が、数人でテーブルを囲み、楽しそうに食べている。私はほぼ並んでいないところから麺を調達して、何とか座って食べた。食後にお茶を飲もうと思い、『茶』とだけ言ってみると、出てきたのは、アイスミルクティーだった。

 

午後も引き続き、このコンプレックスの住所を訪ねた。だが2つは既に閉まっており、人の気配がなかった。わずか数年で、店がどんどん閉まっていく様子が何となく分かる。5階まで上がると一軒の骨董屋が目に入る。何とそこは黄春生という茶荘だった。ちょうどオーナーがいたので、少し話を聞いてみたが、今年が設立100週年だという。

 

『お茶屋だけで食べていける時代は過ぎている』と言い、今は昔から残っている老茶を中心に、健康茶のコンセプトで若者向けに販売しているという。同時に若者が興味を持ちそうな骨董などを並べて、来客を促している。オーナーは『最近中国人が来て、骨董を買い漁っており、無断で写真を撮ってSNSに上げているので、写真撮影は断っている』と言い、私の質問にも極めて慎重に応対していた。

 

次にすぐ近くのストリートを目指す。白新春という、今や珍しい小売りの店があると聞いたので、行ってみる。店には観光客が来ており、何語でも対応できそうなおばさんが仕切っていた。オーナーは不在で話は聞けず。それにしても、このご時世に、女性が手で茶葉を紙に包む作業をしているのには驚いた。これでコストは合うのだろうか。是非記念に買いたいと言ってみたら、50袋入りの缶しかない、と言われ断念。

 

その先を歩いていく、安渓会館がある。アジア各地にある同郷会館、これがとても役に立つので、入ってみる。茶荘について聞いてみても今一つ良い返事はなかったが、そこに客としてきていた男性が親身になって探してくれた。福建会館の方が見つかるだろうと電話してくれたが、資料はないと言われてしまう。安渓会館でもいくつかの茶荘の名前は出てきたが、全て本に載っているもので、唯一の救いはオーナーの携帯番号が分かったことぐらいだった。

 

その後近くの天福宮に歩いていく。これも福建系の廟だと分かっていたので、何か掴めないかと思って行ったが、単なる観光地となっていた。その付近の通り沿いは、何となく福建系の匂いがプンプンしており、よく見ると廟の前には立派な福建会館もあった。まあ初日としては上出来だったろう。

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