シンガポールで老舗茶商を探す2019(1)6年ぶりのシンガポール

《シンガポールで老舗茶商を探す2019》2019年7月29日-8月4日

確か3年前にシンガポールの空港に降り立ったことはあった。だがそのまますぐにジョホールバルに抜けてしまい、シンガポールに泊まったのは、もう6年も前になる。そしてその時の物価の高さ、特にホテルのコスパの悪さに嫌気がさしてこの街を敬遠してきたのだ。だが今回は東南アジアに渡った華僑の中で、大茶商になった人々の調査という目的があった。取り敢えず1冊の本を頼りに、どこまで調べることができるのか。

 

7月29日(月)
シンガポールで

シンガポール航空のサービスはやはりきびきびしていてよいと思った。日系航空会社のほっこり系とは異なり、ビジネスライクで気持ちがよい。業務をサクサクこなす姿勢はシンガポールを象徴しているともいえる。それでも料金的には、預け荷物代なども考慮するとそれほど高くはないので、LCCではなく、こちらを選んでしまう。これは厳しい競争に晒されているともいえるが、このようなサービスを求めている乗客にとっては有難いことだ。

 

バンコックからシンガポールは2時間ちょっとの旅だった。空港に降り立つと、まずはシムカードを探す。実は6年前は何も調べずにシムを買ったらかなり高かったので、今回はちゃんと事前調査していた。安いシムを買うには、普通のブースではなく、むしろ両替所へ行くのがよいと聞いていたが、それは正解だった。S$15で手に入る。

 

次は交通カードだ。6年前に買ったカードは既に失効していたので、これも新調する。カード代S$10を支払っても、シンガポールではこのカードは役に立つ。料金も割引になるので、頻繁に使えば十分に元は取れる。この辺はあまり変わっていないようだ。今回はバンコックで会ったSさんから『シンガポールの安い宿はゲイラン』と言われたので、地下鉄でゲイランに向かう。

 

ゲイラン、初めてシンガポールへ行った頃、その地名は聞いていた。川向う、などとも呼ばれ、正直いかがわしい場所、というイメージが強く、行ったことはなかった。もしSさんに紹介されなければ、今回も行くことはなかっただろう。ゲイランは空港からも比較的近いので、タクシーを使う手もあるが、折角交通カードを買ったこともあり、また荷物も少ないので地下鉄で向かう。

 

何となく記憶のある乗り換えをして、ゲイラン近くの駅に到着した。まだ日も高く、正直暑い。その中スマホ地図を頼りに歩き出す。周囲には四川料理など、中国料理屋がいくつもあり、大陸中国人観光客が多く来る場所、というイメージを持った。同時にいかがわしいという印象はなく、むしろ郊外のさわやかな住宅地と言った雰囲気も漂う。

 

Sさんが紹介してくれたホテルはすぐに見つかった。その周辺には同じようなホテルがいくつもあり、価格帯もほぼ同じようだった。昔はいわゆるラブホとして使っていたところを、観光客用に改装した感じだ。平日はS$50で泊まれる。部屋は6年前のチャイナタウンよりかなりゆったりしており、デスクや冷蔵庫もあり、装備としては特に問題ない。周囲も静かそうだ。

 

既に夕暮れが近づいていた。今晩は北京つながりのNさんと会うことになっていたが、彼女は3週間前に香港から転勤でシンガポールへ来たと言い、取り敢えず家が決まるまでの滞在先は何とゲイランだった。優良企業で働く人材がゲイランに住む、そういう時代なのだろうか。

 

というわけで、歩いて15分ぐらいのところにあるホーカーで待ち合わせた。物価の高いシンガポールで、一人で気軽に食べられる場所と言えば、ホーカーが一番だ。行ってみると、料金は6年前とそれほど変わっていない。他のアジア諸国の物価が上がる中、シンガポールはちょっと立ち止まった、ということだろうか。

 

焼きクイッティアオなどを食べながら、Nさんと近況を話し合う。外資系に転職した彼女の職場は、香港から完全撤退したらしい。そして東京も縮小、シンガポールへの統合が進んでいくようだ。これが今の世の流れだろうか。マネーもそうだが、企業も東京から去り、そして中国系を除いては香港からも離れていく。

 

北京を知っている彼女にとっては、香港には慣れやすいが、シンガポールとはちょっと心理的な距離もあるらしい。確かに人のマインドも異なるし、他民族により社会習慣もかなり違っている。同じ華人中心社会でも、香港とは違うし、英語ができるのであれば、慣れればむしろシンガポールの方が住みやすいのではないだろうか。1年後の彼女の動向が見てみたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です