タイ最南部からマレーシア2022(2)ベートン ホテルを替わると

驚きの街から戻り、部屋でなでしこジャパン‐NZ戦を見る。何だかスピード感がない試合だった。最近女子サッカーに人気が無いのは、それも原因だろうか。有料観客数が僅か4410人とは悲しい。ただ若手の一部がのびのびプレーしているのがかすかな望みだ。女子選手は見た目やファッションなどでしか取り上げられないのは、マスコミにも大いに問題がある。

2時間経過して、3時からまた散策を続ける。この街は人口統計的には半数はイスラム教徒らしいが、街の中心部は完全に華人に制圧されている感がある。ただバイクに乗ったヒジャブ女性はかなり目立っている。マレーシアへ抜けるルートが分からず、旅行会社を訪ねたが、マレー人スタッフは英語も出来ず、何も分からず。いやただ『市場へ行け』とだけ言っていたが。

同窓生のOさんにベートンへ行く、と言ったら、20年ほど前タイで放映された『OK Betong』というドラマを紹介された。見ていないので内容は分からないが、その撮影地(写真スポット)まで30分、歩いて行ってみた。特に何があるわけでなかったが、タイ人が車から降りてきて何人も記念写真を撮っていたので、彼らにとって何らかの思い出はあるのだろう。 

また歩いて市内に戻る。さっき旅行社で言われたベートン市場に行ってみるが、当然ながら何も分からない。ただそこに同安堂があった。ここは菊普茶を売っている店として紹介されていた。店は1956年創業だが、菊普茶は2010年以降の商品であり、勿論ベートンに茶畑はなく、茶葉と菊花は全て中国から輸入しているという。それをここで漢方薬のようにブレンドして売り出したら意外と売れているとか。

夕飯の時刻となったが、腹の調子があまりよくない。それでも市場近くでカリカリ豚肉麵 50bを食べたら元気になり?更に向かいで鳥粥55bまで食べる。観光客がいるので活気があってよい。だが宿に戻るとマレーシアからの団体客がおり、何と部屋の両隣で深夜まで騒いで本当に困った。さすがに眠れず、夜中に部屋を変わる。ホテル側が抗議してもびくともしない奴らで本当に質が悪い。

10月10日(月)ベートン散策2

あまり寝ていなのになぜか目が覚めてしまった。眠気がないのは昨夜の大騒ぎのせいだろうか。6時間睡眠か。ちょっと厳しいが、仕方がない。8時過ぎに朝食会場に行くとかなりの混雑。やはり団体客が多い。騒がしさはまるで中国みたい。一人で食べているのは私だけという孤独感を味わう。粥が旨い。食後館内を歩くと立派なプールがあり、庭もあった。だがもうこのホテルにはいたくない。

取り敢えず散歩に出た。すぐ近くに観音寺があり、きれいな仏塔がかなり目立っていた。やはり街中は華人中心だ。更に中華園というところへ辿り着く。1923年開校の中華学校がある。来年創立100周年、意外と古い。ただ当初生徒は少なかったようで、50年代より移民が増えたとある。立派な校舎が建っており、教室ごとに各地域の名前が付いている。

ベートンの歴史を知りたくなり、職員室?を訪ねてみた。係の人は華語が出来たが、歴史と聞いて困っている。そしてバイクに乗ろうとしていた女性に声を掛ける。彼女は学校の教師だろうか。歴史について尋ねるとかなり慎重な対応を見せ、『いきなり来ても無理。歴史は複雑だから。簡単なことならネットで検索して』と断られる。街に図書館はあるがタイ語は読めず、博物館は閉まっていて何ともならない。ベートンの歴史、知りたい。

学校の横には思わず拝みたくなる大きな大仏がある。やはり華人の象徴だろうか。タイとも異なる仏像だ。大乗仏教の影響か。その近所にきれいなカフェがあり、そこが宿にもなっていたので、今晩はここに移動することに決定。安眠できそうだ。

部屋に戻って出雲駅伝を見る。今やネットで簡単に見られるのは良い。途中でチェックアウトの時間となる。フロントの態度は非常に悪く、無料だと思って飲んだ水代まで取られる。すぐにPCを抱えてカフェへ行き、駅伝の続きを見る。カフェラテを飲みながらチェックイン。駒大強し。

靴を脱いでスリッパで2階へ。部屋に窓がないので、今晩はよく眠れる予感。2020年12月開業ということで、狭いが非常にきれいな部屋。赤蟻がいないのも有難い。下に降りて抹茶ラテを注文すると何と茶碗と茶筅を使い、ミルクでかき混ぜている。茶道も習っているとかで本格的な雰囲気が面白い。当たり前だが抹茶の味がする。カフェには地元民がひっきりなしに来ている。人気店だ。

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