タイ最南部からマレーシア2022(3)早茶を食べて国境へ

ランチを食べていなかったので昨日の店へ行く。食べたかった豚足は残念ながら売り切れており、チキンとチャーシュー半々のライスを頂く。60bでこちらも満足する。この店の人達、みんな華語は得意ではない。広東系の一家なのだろうと理解した。 

午後は郊外のモスクに向かって歩き出す。大通り沿いには、4階建ての福建会館、広西会館、八桂会館が並んでいる。いずれも立派だ。広西会館前にお婆さんが座っている。話し掛けると華語はかなりうまい。両親が広西から70₋80年前に渡ってきたという。当時林業など仕事は何でもあった。おばあさんはここの生まれ。広西系はベートンの一大勢力らしいことが分かる。

歩くこと20分。郊外にようやく小さいモスクが現れる。ハラール料理の店が見える。ベートン人口の半数はイスラム系と聞いていたが、そのプレゼンスは大きくないように見えた。ただヒジャブを被ってバイクに乗っている(3₋4人乗り)女性がやけに目立つ。所謂タイ人らしき人はほぼ見られない。

夕方外を歩いているとあの市場の傍でタクシースタンドを見つけた。昨日旅行会社の女性が言っていたのはこれか。だが国境まで乗せてくれというとやはり300bだという。これは完全に価格統制が敷かれている。更に行くとロットゥもあることが分かる。ただこれはハジャイまで行くもので、5時間かかるらしい。料金は280bで一日数本出ている。これしかこの街から脱出方法がないと分かり呆然としたが仕方ない。

夕飯は潮州系の焼麺を屋台で食べた。既に腹は一杯だったが、それでもいつものようにうまい。時計台のライトアップがきれいだった。部屋に戻り、ちょっとPCをいじってすぐに寝る。夜はぐっすり10時間寝られた。昨晩の睡眠不足を一気に解消する。赤蟻がいない、窓がない、そして電気ポットがなく、お茶を飲まなかったことが安眠に繋がった。

10月11日(火)マレーシアへ

朝6時前起床。気持ちの良い朝。ベランダから街を眺める。ドミトリーに泊っていたタイ人女性もヨーガのポーズで景色を眺めている。旅行でバンコクからソンクラーへ飛行機で行き、そこからレンタカーを借りてここまで来たらしい。もう一人男性がいた。パッタニ県でカフェを経営しており、ここに2店舗目を出すべく、視察に来たらしい。パッタニもベートンも彼にとって極めて安全な場所だという。二人とも英語が旨い、慣れた感じの旅人だった。

朝ご飯に出掛ける。目をつけていた早茶屋、6時半ですでにほぼ満員。何となくおじさんの集まり(奥さんや家族にはお土産持ち帰り)が多い。自分で点心を選んで蒸してもらう。 1皿15b?店主に華語で菊普茶を注文。美味い(砂糖も入っている)。叉焼包、チャーシューと言ってしまうと広東語が飛んでくる。ゴーヤー肉団子巻きが渋い。全部で100bの極めて優良な朝ご飯は、満足な上、何とも楽しい。

8時前に宿に戻ると、宿の女性が待っていてくれた。コロナ禍でカフェとホテルを開いて大変だった話などを聞いていると、彼女が予約してくれたトゥクトゥクが登場した。たった 5㎞で国境へ行けるのに300bも取られるのは納得できないが、Grabなども使えない国境特有の料金設定で他の手段はない。

トゥクはあっと言う間にタイ国境に到着したが、誰もいないので出国審査は実に簡単に終わる。中立地帯へ出たが、誰もいない。その途中までトゥクで行けたが、マレーシア側手前で降ろされ、その先は歩いてイミグレへ。立派な建物が見えるが人も車もほぼ見えない。僅かに石碑が見えたので行ってみると、1968年の反共闘争で命を落としたマレー側の人たちを追悼するものだった。この辺にこの付近の歴史がにじみ出て来る。

ペンカランフル、と書かれたマレーシア側国境。マレーシアからの観光客がバンで1₋2台来ているだけで、マレーシアに入国するのは私だけ?だった。スマホアプリもワクチン接種証明も提示など求められない。ただ『どこへ行くの?』と聞かれたので、取り敢えず『コタバル』と答えると、イミグレのヒジャブを被った女性は一生懸命行き方を考えてくれた。こんな国境初めてだ。

彼女は最後に『向こうにタクシーがいるはずだから相談して』と入国スタンプをサラッと押す。こんな誰もいない所にタクシーなんか本当にいるのかと不安が過ったが、まだ午前中なのでかなりの余裕をもって歩いて行く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です