《台湾温泉巡り2002》(7)関子嶺

1.2002年3月29日(金) 関子嶺

(1) 高雄
家族は春休みで日本に戻っていた。来週はイースター休暇の4連休だと思った瞬間、旅行社に電話した。『どちらに?』と言われて、はたと困る。『一番近いところは?』『高雄です』『じゃあ、それで』何と言う安易な決定だろう。何も考えずに空港へ。ドラゴンエアーが飛んでいる。昼過ぎ香港を発ち、僅か1時間で高雄着。考える暇も無い。空港でどうしようかと思っていると市内行きバス停が見える。残念ながら今行ったばかりの様だ。仕方なくタクシーを捕まえ、高雄駅へ。取り敢えずそれしか行き場が無い。

高尾駅に着くと駅舎が新しくなっている。古い駅舎は保存するのか、そのままの姿であるが、横に新品がある。何となく体育館を思わせ、情緒も無い。その無機的な建物に入ると切符売り場がある。思わず近寄る。突然思い立ち嘉義行きの切符を購入。3時20分の自強号に乗る。2時間で嘉義に到着。車中初めてガイドブックを開く。嘉義と言えば、阿里山の玄関口。嘉義に行くのはこれが初めてであるが、特に見るべきところも見当たらない。それより嘉義郊外に関子嶺という温泉地があるのが目に留まる。決まった、今夜はここに泊まろう。

(2)嘉義
嘉義駅前はよくある台湾の地方都市。300mほど歩くと関子嶺行きのバス停がある。残念ながらバスは1時間先。市内を歩き回るが、特に目を引くものは無かった。バス停では中高生が帰宅する為にバスを待っている。バスの横腹には温泉の宣伝があったが、温泉客らしい人は見当たらない。

バスに乗り込む。殆どが地元の人。途中白河というところでターミナルに入り止る。殆ど降りてしまい心配になる。この辺りまで来ると田舎である。白河を出ると川沿いの道となる。日は暮れかかり、人も殆ど降りてしまった。寂しさが募る。道が上りになり、小さなトンネルを潜るとそこに関子嶺はあった。

(3) 関子嶺
結局最後まで乗ったのは、孫とおばあちゃんの2人連れのみ。その2人も居なくなり、1人残される。仕方なく、前を見ると『仁恵皇家温泉渡暇山荘』と言う看板が光って見えた。宿の前に何と呼び込みのおじさんが前掛けをして立っているではないか?迷わず?入る。改装したばかりなのか非常に綺麗な内装で気に入る。

受付のおばさんに聞くと、平日は20%オフのNT$1,600で泊まれると言う。日本では金曜日の夜は平日ではないと思うが、安いので直ぐOK する。この宿には板敷きの大部屋、綺麗な小部屋など何種類かの部屋がある。私の部屋は昔の小学校の教室を思わせる作りで懐かしい感じ。シングルベットにバストイレ付き。これでこの値段は安いと思う。

呼び込みのおじさんが『食事は前の食堂で』と案内する。日本の温泉宿と異なり食事は付いていない。日本のあの食べ切れない食事にはいつも違和感があった私には、自分の好きなものを好きなだけ食べられる方がありがたい。

食堂には新鮮な野菜が並べられ、自分で選んで調理してもらう。私は地鶏の丸焼き?と豆腐スープ、そして日本には無い不思議な野菜の炒め物を頼む。地鶏が大きくて高くついたが、それでもNT$350。2階に上がり、隣を流れる川を見ながら食べる。非常に静かな光景だ。日本の温泉街の、あの煩さがここには無い。と思っていると何処かでカラオケが始まる。悪しき日本文化、ある台湾人が私に言った言葉。カラオケ、漫画、ゲーム、日本はどうして悪い文化を台湾に輸出するのか?確かにその通りである。しかし既に台湾文化になってしまった。この吸収力と加工技術が台湾のパワーなのである。

食後街を歩いてみるが、非常に小さな街であることが分かる。この温泉の歴史も古い。1898年に発見され、吉田という方が病気治療に訪れ、そのまま『吉田屋』という温泉旅館を開いたのが始まりと言う。その吉田屋が、今の静楽旅社であり、橋を渡った私の目の前にあった。如何にも古い感じの建物であるが、一度は入ってみたい気分になった。歴史が感じられるものはやはり良い。

散歩が終わると愈々温泉に入る。この宿で先ず目立つのは温泉プール。水着を着た子供達が大騒ぎをしている。しかしそのお湯を見てビックリ。まるで泥の中に入っているようだ。
流石にここには入れない。部屋の風呂場には何と大きな風呂桶があり、湯を溜めて入るようになっているが、そうすると洗い場は無い。

この宿にはもう1つ室内の大浴場がある。こちらは裸で入る。行ってみると日本的な洗い場と浴槽である。早々に湯に浸かると、何となく硫黄の臭いが漂い、かなり強烈である。更に透明度はゼロで、ドロドロとした感じ。アルカリ性弱食塩泉という珍しい泉質で、入ると細かい泥が指の間を抜ける。上がると肌が滑々する。何となく効き目のある温泉であることが感じられる。部屋に戻っても肌がつるつるしているようで、女性であれば喜ぶであろうなと思われる。湯は流し湯で新しい湯が供給されているようであるが、何しろ泥できれいかどうか見えない。

この宿は建物自体が面白く、階段を上がったり降りたり、して見て回る。茶芸館もあるが誰もいない。そうだ、この辺にも茶畑があるのではと思い、おじさんに聴いてみたが、『ここには茶畑は無い』と一言で言い切られてしまう。

翌朝起きると朝ごはんがあるという。簡単な粥を食べていると隣で呼び込みおじさんも食べている。従業員と客が一緒に食べているが面白い。おじさんが『茶畑に行きたいのか?』と聞いてくる。行きたいと言うと、何と阿里山中腹の茶農家を本当に紹介してくれた。この訪問記は別の機会に譲るが、これだから行き当たりばったりの旅行は面白い。

急いで嘉義に戻り阿里山に行こうとしていると、外が騒がしい。聞くと1年に一度のお祭り(?)のようで、拡声器で音楽を流しながら、山車が練り歩いてくる。台湾で郊外を車に乗っていると時折葬式に出くわすことがあるが、それに似ている。台湾の葬式は賑やかなのが基本で、沢山の車を連ねて通りを回る。故人の好きな出し物が車の上で催され、歌手が演歌を歌ったりしている。驚くのはストリップ嬢らしい人が水着姿で車に乗って踊っていたりする。聞くと死んだおじいさんが好きだったから、と言われ、度肝を抜かれたこともある。

この田舎の温泉町で山車が練り歩くところを見ると、何となく日本を思い出してしまう。小さいが素晴らしい街、関子嶺を後にした。

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