《昔の東南アジアリゾート紀行1989》台湾 墾丁ビーチ

《昔の東南アジアリゾート紀行》

1989年12月 墾丁ビーチ

(1)台北赴任

私は1989年8月に台北に赴任した。87年7月に上海留学を終えた後、どうしても中国で業務に就くのには抵抗があった。帰国後健康診断をしたところ、極度の貧血になっており、ユニットバスに入ると良く滑って転んでいた。また体重も留学前より7kgも痩せてしまい、体調は最悪であった。

そんな中、台北駐在の話があり、飛びついた。実際には89年6月に天安門事件が起こり、中国駐在員は一時全員帰国するなど、中国ビジネスは大きな打撃を受け、私のような若輩者が赴任する必要は無かったのであるが、台北赴任はその前に決まっていた。本来は6月に赴任するはずであったが、その時偶然台湾より研修生を受け入れることになり、そのお世話をする為出発が8月にずれ込んだ。

(2)お誘い

赴任して3ヶ月が過ぎたある日、その東京でお世話した台湾人研修生張さんから電話があり、『クリスマスに一緒に墾丁ビーチに行かないか?』とのお誘いを受けた。張さんは既に結婚しており、子供もいる女性であったので、このお誘いにはちょっと戸惑った。家内は妊娠中で私は単身赴任中であったのだ。

取り敢えず行くと答えたもののその後も迷っていたが、張さんからは一向に連絡が無く、やはり止めたのかと思っていた。ところが出発予定前日になって電話があり、航空券を予約したので、明日松山空港に来るようにとの連絡があった。結局行くことになってしまった。

(3)高雄

国内線専用の松山空港に行くと、張さんと10歳になる娘さんが待っていた。どうやらこの3人で旅行するらしい。旦那さんは仕事だと言っていた。何だか変な感じではあるが、既にサイは投げられた、のである。高雄までは僅か45分。空港では張さんの親戚が出迎えてくれた。そう、高雄は張さんの故郷なのである。それを知ったのも飛行機の中という不思議な旅である。

夜張さん一族の宴会に紛れ込んだ。張さんの両親はじめ沢山の人が居て、誰が誰だか分からない。皆日本人である私には好奇の眼を向けているが、尋ねる者も無い。私は国語が多少出来たが、この宴会は殆ど台湾語で行われており、何が何だか分からない。時々年配者が日本語で『食べろ、飲め、』等と言ってくれるのみ。

当時台北でも勿論台湾語は使われていたが、一応台湾では公式には国語を使うことになっており、外国人が入る宴会では国語が主流であった。ところが南部は違う、大違いである。この時初めて北部と南部の差を感じた。

泊まりは張さんの仕事の関係者が手配してくれ、ビジネスホテルに泊まった。ところが、日本人ということでそのホテルで一番良いスイートに通され、非常に気を使ってくれた。南部は情が濃い(?)ところである。

(4)東港

翌日車で墾丁ビーチに向けて出発。高雄港を過ぎ、海沿いに進むと直ぐに東港という小さな港がある。何故か車が止まる。レストランに入る。地元の人々が待っており、昼から宴会である。それも刺身が中心の恐るべき宴会である。

ここ東港はマグロの水揚げが多く、新鮮な刺身が食える所として有名であったのだ。ところが私は当時台北の台湾海鮮料理屋で刺身を食べて中った経験があり、なかなか箸が出ない。おじさんに無理に食べさせられると、これが美味い。最後にはたらふく食ってしまった。現在でも毎年5月頃になると台湾中の人がマグロを食べにくるようである。

(5)墾丁ビーチ

東港を出ると一路墾丁ビーチへ。確か2時間ほど掛かったと思う。途中に『恒春』などという南国らしい名前の街があったりする。常に春、一番良い言葉ではないだろうか?尚恒春の近くには『四重渓』温泉がある。戦前故高松宮が好んだ温泉として知られる。静かな昔ながらの温泉であるようだ。未だ訪れていないので、是非次回行ってみたい。

墾丁ビーチに到着。今晩の泊まりは当時唯一の高級ホテル、シーザーホテル。日系建設会社が出資している高級リゾートホテルである。部屋も高級感があり、非常に良い。外へ出るとリゾート用のプールがある。但し今は12月。幾ら台湾最南端とはいえ、プールに入るにはちょっと涼しい。

ビーチに行ってみても、寒々としている。やはり12月には泳げないらしい。私は一体何の為にここにやってきたのか分からなくなった。ここに連れてきてくれた張さんの仕事関係者は反対に私の存在は不思議であったようで、とうとう『張さんとはどういう関係か?』と聞いてきた。聞けば今回張さんの依頼により、このホテルを無理に取ってくれたらしい。

夕食の時間に張さんと娘、私の3人でクリスマスディナーを食べた。娘は凄く喜んでいた。ホテル内には大きなクリスマスツリーあり、サンタクロースあり、賑わっている。多くがカップルである。やはりかなり違和感がある。28歳の私と30台の張さん、10歳の娘。周りの人は家族だと思っていただろうか?

翌朝墾丁国立公園を見学。最南端オランピの岬は素晴らしく眺めが良かった。元は米軍の保養施設だったというオランピ活動中心には、広々とした高原があり、放牧でもしたらよさそうな雰囲気があった。

思い切って張さんにこの旅行の目的を聞いてみた。『娘が来たがったから。』との答え。日頃忙しい張さんは十分に娘の面倒を見ることが出来ていないと感じており、今回娘の希望を叶えたのだという。もう1つは私が日本で張さんの面倒を見たお礼だという。

私は張さんのお礼を素直に受け入れた。但し私のような外国人を連れていると皆が何かと便宜を図ってくれることを彼女が計算していたことは事実のようである。つまりは私はだしに使われたのだ。台湾人の強かさを感じた瞬間である。

(6)リゾートの鉄則2

リゾートには目的は要らない。但し相手は選んで行くべきである。

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