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初の中央アジア カザフスタンを行く2014(6)アルマトイ 民族服会社の女性社長

民族服会社の女性社長

それからまたぐるぐると周囲を回り、ようやく目的地に着いた。そこは立派なお屋敷の敷地の様で、木々が生い茂っていた。横断幕には女性社長が映り、ナザルバエフ大統領も映っている。これがカザフでも有名な女性実業家ということか。

 

オフィスに入ると、あでやかな民族衣装がズラッと並んでいた。結婚式の衣装から子供服まで、民族衣装ではカザフNo.1の会社である。その女性社長パリーダさんはやはり中国系カザフ人で中国語を解した。華のある社長だ。94年にアルマトイに来て、97年に起業。大統領のお気に入りとして、イギリスのチャールズ皇太子、ロシアのプーチンなど世界の有名人がカザフへ来ると、ここの民族衣装がプレゼントされる。いわば御用達である。

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それでも08年のリーマンショックの影響でそれまでの従業員200人を50人まで減らした。現在再起を図っており、キルギスに工場を建設、これからはトルコなどへの輸出を進めるつもりだ。尚中国には多くのカザフ人がいるが、輸出はしないという。これが社長個人の事情なのか、国家政策なのかは不明。

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デザインのアイデアは社長自らが出し、デザイナーに競わせ、いい物を買い取る。パテントもしっかり登録しているという。コートの中には金や銀をあしらって200万円もするものもあるという。スタッフの給与は普通の人で700‐900ドル、意外とコストも高い。

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ベシュパルマック

夕飯はシャルハル家で食べる。やはり客が来たら羊だ、ということで、今日はカザフの伝統料理ベシュパルマックをご馳走になる。これは羊肉を茹でて、肉をナイフで削ぎ落とし、きしめんような平べったい麺の上に乗せて食べる。これは豪快で実に美味い。如何にも遊牧民の料理、という匂いがする。

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肉を茹でたスープもまた絶品だ。私はこれまで新疆で事あるごとにこれを飲んできたが、今日もまた濃厚で美味い汁が出ている。ジャガイモや玉ねぎは特に入っていないが、スープを飲みながら、麺を食べるとこれまたウマイ。

 

N教授はビールからウオッカにグラスを変えていた。相手はイエルン氏しかない。あとは皆チャイを飲んでいる。因みにウイグルでは食べる前のお祈りは長老が行っていたが、ここでは誰でもいいらしい。ウイグルとカザフ、同じように捉えていたが、ある意味でウイグルは商人、カザフは牧民、全く性格も違えば習慣も異なることが分かってくる。

 

夜ホテルに戻ると断水しているという。シャワーを浴びたかったが、そのまま寝てしまった。断水は時々あるらしく、手を洗う水は別途手当していた。電気などは豊富に見えるカザフだが、社会インフラは旧ソ連のままで意外と整っていない。建国20年ではまだ難しいのだろうか。

 

8月1日(金)

トヨタディーラーショップ

今朝もシャルハル家で朝食を取る。いつものようにパンが出て卵が出たが、何と真ん中にはケーキが出てきた。昨晩食べなかったからということだが、ロシア方式では朝から甘いケーキも食べるのだという。テーブルには中国製の落花生、カザフ製の干し果なども並び、日本の朝食とはだいぶ様相が違っている。

 

今日はトヨタのディーラーショップへ行ってみる。実はバンコックの同級生で自動車部品を作っているOさんから『カザフへ行くならトヨタのフォーチュナという車種の写真を撮ってきて欲しい』と言われていた。彼の作る部品がこの車に搭載されているというのだが、何とこのフォーチュナは最近カザフでノックダウン生産が始まったというので、興味をそそられた。

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郊外の道路脇に各社のディーラーショップがずらりと並んでいた。トヨタの他、日産やスバル、三菱などが見えた。現代やプジョーなど外国勢もある。トヨタのショップは実に大きくて、見学に来た人々が休める場所などもあり、居心地がよさそうだった。

 

N教授はいつものバイタリティーで、この店の責任者を探す。出てきたのはトルコ系の男性で英語を普通に話した。ただトヨタに関することはネットで検索すれば出て来るし、日本人ならアルマトイに一人常駐者がいるので、そこにコンタクトして欲しい、と丁重に言われた。確かに車を買う訳でもない人間と話す時間などないのだろう。(帰国後大学時代の集まりに行った所、カザフのトヨタ駐在員は大学の1年後輩だということが判明。世の中狭い。彼は7月に怪我をして日本に帰国中でいずれにしても会えなかった)

 

トヨタ車はやはりランドクルーザーが人気。またビジネス車としてはカムリを売り出している。カムリはセール中で31,000ドル程度、ランクルは5万ドル以上する。お目当てのフォーチュナも展示されており、写真を撮って目的を果たす。ただこの車は生産が始まったばかりで、路上では1台を見つけるのが精一杯。折角高いお金を出すなら、輸入車を買う、ということだろうか。フォーチュナの工場はコルタナイというアルマトイから東北部へかなり離れたモンゴル、ロシア国境付近にあるらしい。何でそんなことへ作ったのか是非聞いてみたいところだ。

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因みに自動車ローンもトヨタモーターファイナンスが進出しており、ファイナンスも可能だとか。ただある人に聞くと『金利が高過ぎるし、条件も悪い』とのこと。まあ、この国のファイナンスは始まったばかりなのだろう。

 

まだ時間があったので、少し離れたスバルのショップにも行く。日系ではトヨタ、日産に次ぎ3番目に人気があると聞く。そして車そのものへの評価が非常に高いのだという。これはちょっと意外だったが、面白い。車は全て日本からの輸入だというが、どうなのだろうか。フォレスターという車高が高い車を売り出していた。カザフでも舗装道路を走るとは限らず、草原などでは車高は重要なのだろう。その辺の他社比較も付いており、面白い。一般車もトヨタよりは安く設定されており、市場参入を狙っている。自動車ローンは頭金50%、期間1年のみ。金利も15%以上とかなり高い。

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初の中央アジア カザフスタンを行く2014(5)アルマトイ 2度も警察に出くわす

7月31日(木)

駅で私服刑事のチェックに遭う

翌朝はイエルン氏と息子がアルマトイからアスタナへ行く長距離列車の切符を買いにアルマトイ駅へ行ってみた。ホテルから市内中心部まで渋滞もあり、結構時間がかかった。どこをどう走っているのかはさっぱり分からない。

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駅は予想外に近代的な建物、中の天井が高い。ただ中国のように乗客でごった返しているようなことはなく、整然としていた。切符売場へ向かうと、如何にもずるそうな男が近づいてきて、何か話しかける。最初は相手にしなかったが、売り場を一周して、イエルン氏は何らかの交渉を始めた。売り場に人はそれほど多くないので、並び屋ではなく、切符の代行業者のようだ。パスポートを渡すと、彼が窓口で手続きしている。

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我々は暇なので駅の中を見学し始めた。すると突然男が声を掛けてきた。シャルハル氏がちょっと緊張する。男は警察の身分証のようなものを提示し、我々にパスポートの提示を要請した。私服刑事だった。一瞬緊張したが、パスポートを見ると一言、『日本人はビザ免除なのか』と聞き、すぐに行ってしまった。ガイドブックにもアルマトイではよく警察のチェックを受け、金銭を要求されるケースもあると書いてあったので心配したが、何事もなかった。あとで聞けば、『中国人が不法に入国しているのを取り締まり、金銭を要求することが多い』とのこと。ということは我々も中国人に間違われ、日本人と分かると興味を失ったということか。

 

駅のホームには自由に入ることが出来た。古い列車が停まっている。シャルハル氏によれば、この車両はカザフ製、石油などを運ぶため必要な車両は自国で製作したという。何となくこの列車に乗ってどこかへ行ってみたいと思ったが、確か聞いたところではカザフの列車は非常に遅く、1000㎞走るのに1日掛かるとか。恐らくは景色も変わらず、飽きてしまうだろう。

 

7駅のみの地下鉄

それから地下鉄が走っているというので乗ってみた。中央アジアでは2都市にしかないらしい。地図で見ると駅の横から出ているので、近いと思ってリクエストしたのだが、シャルハル氏は車に乗り、どんどん進んでいく。おかしいな、と思った頃、ようやく駅が見えた。実際に2011年に開通したのは僅か7駅だったが、シャルハル氏は自分が気に入った駅に連れて行ったようだ。

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この地下鉄は韓国のODAで出来た。韓国とカザフは歴史的に朝鮮族や韓国人の移住者がいる関係もあり、昔からかなり緊密。独立時にも韓国はかなりの援助をして、韓国の物資を大量に入れた、との実績もあるようだ。サムソンの家電、携帯、現代の車はここでもポピュラーだ。

 

運賃は一律80テンゲ。自動改札はあるが、トークンを入れてしまう方式はトルコ以来か。ホームは非常に広く、見たことはないがロシアを想起させる。防空壕の役割もあるのだろうか。韓国ならやりかねない。車両は現代製できれい。乗客は少なく、空間に余裕がある。確かに7駅だけなら、使い勝手が悪く、駅で降りてもまたバスに乗らなければならない。全線開通するのだろうか?1駅だけ乗って、折り返し、乗った駅で停めてあった車に乗り込む。

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WIFI、ハラールとビールの昼飯

市内中心部で車を停め、大きなモスクを見学。駐車場がないアルマトイでは路上駐車して、目的地までかなり歩く。まあ、この散歩は悪くはない。暑くもないし、なかなかいい街並みを歩ける。それからきれいなショッピング街を通過。マックがあるのかと思ったら、ドネルケバブの店が『マクドネル』とパクっていた。面白い。この辺はビジネスエリアで不動産もかなり高い場所。20年前5000米ドルだったアパートが今は100倍するとか。

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そしてランチを食べることに。私は2日以上もネットに接続できていないのでWIFIのあるレストランを希望した。N教授は相変わらずビールが飲めることが条件。残り2人はハラール食品しか食べない。まあレストランは沢山あるし簡単に見つかると思っていたが、そう簡単ではなかった。

 

こぎれいなカフェに入りたかったが、シャルハル氏は許さない。彼らの食べられるものがないという。更にビールのある店はイスラムではないため、ハラールもない。2者は元々相容れない関係だった。これではいくら探しても見つかる訳がない。結果的にハラールが譲った。N教授は早々にビールを頼み、私はバーガーを注文して、ネット接続を試みる。彼らはパンやケーキだけを口にした。

 

ところが、この店でもネットが繋がらない。これには本当にイライラした。ここまでやって来て、人に譲ってもらって、それでもできないとは。店員も若者なので何度もトライしたが、繋がらない。やけ食いでもするかと思っていると、シャルハル氏のスマホが繋がった。一時的にダウンしていたらしい。私は食べるものもそこそこにやるべき作業を黙々とこなした。結局1時間ほど皆を待たせて、久しぶりにネット空間に戻った。

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道に迷い一通を逆走して捕まる

そして午後は初の会社訪問となる。腹が満たされ、ネットにも満たされた私は車の中でうつらうつらしていた。突然起き上がると目の前は緑が深い高級住宅。巨大な幼稚園の前に車が停まった。そこで道を聞いてまた走り出したが、そこからが大変。同じ道を何度行き来し、電話で連絡を取るも一向に着かない。

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そして両側に路上駐車の車がある道で、突然前を遮られる。制服の警官に捕まった。どうしてだろうか?どうやら一方通行を逆走したらしい。警官は先ずは車の向きを変えさせ、適当な場所に停めさせると、シャルハル氏とどこかへ行ってしまった。10分ほどで戻ってくるとまた何事もなかったように運転している。『1年の免停だと言われたが、何とかした』と。これがカザフ方式だろう。

 

初の中央アジア カザフスタンを行く2014(4)アルマトイ カザフの国家政策とは

中央バザール

中央バザールへやってきた。大きな体育館のような所に、食品関連の店がドーッと並んでいる。ナッツやドライフルーツを売る店のにいちゃんが英語で声を掛けてきた。中には日本語を一言二言話す者もいた。ここだけは国際市場のような雰囲気だった。

 

N教授は匂いを嗅ぎつけ、クムスと呼ばれる馬乳酒のコーナーへ突進していた。ここで馬乳酒を売って20年という皺の深いおばさんが、椀を突き出してきた。飲むとかなり酸っぱい。ここではチーズの他、チーズを固めたようなカートと呼ばれる固形の食べ物も売っている。時々かじりながらチャイを飲むのだろうか?

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肉のコーナーは凄まじい。羊も牛もきちんと部位ごとに切られて飾られている。働いている人は殆どが女性、カザフの女性は良く働くらしい。驚いたのは、豚肉コーナーがあったこと。イスラムの世界ではあり得ないと思っていたが、こちらはロシア人が捌いて売っている。

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魚コーナーでは川魚を燻製して売っている。サーモンに見える魚の切り身、実に美味そうだった。N教授は促されて、酒のさかなとして買い込む。これは本当に美味だった。お茶のコーナーは殆どなく、ただ薬草として、多くの草花が売られていた。帰りがけ、物乞いをする女性がいた。首を振るとすぐに行ってしまったが、彼女はジプシーだった。

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WIFIの無いホテル

夕方、と言っても現地時間で9時ぐらいまで明るいアルマトイだが、ホテルへ戻る。このホテルには広いリビングがあり、冷蔵庫もある。シャルハル氏の指示でビールが買い込まれ、冷やされる。サーモンも入れられる。N教授にとっては理想的な状況だ。だが私にとってはWIFIがないことがある意味で致命的。

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ホテルの横には広い駐車スペースがあり、裏では拡張工事が行われている。あと6部屋増やすそうだ。アルマトイではホテルが不足しているらしい。1階のレストラン前ではカバブーが焼かれていて美味しそうだ。肉のぶつ切りを焼いており、何とも豪快だ。あれが食べたいと思ったのだが、イエルン氏とシャルハル氏は『近くのWIFIがあるレストランへ行こう』というので、そちらへ向かう。

 

そのレストラン、パラダイスは、きれいなところで、この辺では一番のレストランのようだった。だが・・、WIFIはなかった。これには頭を抱えた。毎日一度はメールチェックをしなければと思っているのに、近くにWIFIの繋がる場所がない。明日からWIFIを訪ねる放浪の旅が始まる。

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食事はラグメン、そして私の希望でマンティになった。マンティは要するにマントウだ。かなり時間はかかったが、出てきたマンティは羊肉の肉汁たっぷりで美味しかった。この店にはピザなどもあり、夕食を楽しむ地元の人々で混んでいた。ここは食事の拠点になりそうだ。

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シャルハル氏は元新華社のカメラマンで、カザフ情勢もニュースなどでかなり理解しており、N教授のインタビューが始まる。なぜか彼は中国語で話し、私が通訳した。カザフ人ながら北京育ちの彼の母語は実は普通話のようだ。彼は私が普通話が出来ると分かると喜んでこれを使い、如何にも中国人が話すように、力を込めて、どんどんスピードを上げて熱弁をふるう。こちらは疲れ果てる。イエルン氏はビールを飲んでいる。彼は10年前に日本に2年留学したが、その後日本語を使うこともなく、今リハビリ中だ。

 

『カザフの国家政策は脱資源、そのために中国の商品を排除し、ロシア、ベラルーシと関税同盟を締結。カザフの工業化を図るため、シムケントの綿花を利用して、トルコ企業と繊維産業育成を進めようとしている。同時に農業分野では独立後放棄された旧ソ連の農業用地を県レベルでほぼ無償で払い下げ、担い手を募集している。工業、農業共に様々な優遇政策がある』

 

食事が終わってホテルに戻ると、下のレストランが大騒ぎしていた。大音響の音楽、そしてお客の若者達が踊り狂っていた。私は疲れており、すぐに寝てしまったのだが、翌日聞けば夜中2時頃まで続いたようで全く眠れなかった人もいたようだ。折角の静寂の地、アルマトイで何で?

 

初の中央アジア カザフスタンを行く2014(3)アルマトイ ゼンコフ教会

居留申請

シャルハル氏が言う。『カザフは居住管理が厳しい。うちは大きなホテルではないので、直接役所へ行って、居留申請を行う必要がある』と。車で街中の役所へ出向く。かなりの混雑をしているが、誰が申請しているのだろうか。モンゴル系、朝鮮系、アラブ系やヨーロッパ系の顔立ちも多いが、誰がカザフ人か、正直我々にはさっぱり分からない。

 

申請には申請書がいる。当たり前だが、この申請書が読めない。実はカザフなのに街中の公用語はロシア語、文字はキリル文字で、さっぱり。すると申請書代行屋があるというので役所の外へ。そこにはさらに多くの人が出入りしていた。言語を解さない、文字を解さない人々が大勢いるのだ、とこの時に分かる。

 

ようやく書類を整え、パスポートと共に申請した。1時間後に取るに来るように言われ、それまで街を散策することになった。N教授の基本パターンは『まずはその街の地図を手に入れること』であり、行動に出た。が、本屋はなかなかない。小さな市場に古本屋があり、そこに破れたアルマトイの英語の地図が1つだけ売っていた。500テンゲだった。まあ破れた地図など買っても仕方がないと、やり過ごしたが、その後どこへ行っても英語の地図は見付からなかった。仕方なく後でその古本屋へ破れた地図を買いに行った所『さっき売れちゃった』と言われ成すすべがなかった。

 

この街にはヨーロッパ風の路面電車が走っていた。街自体が緩いスロープになっており、緩々と電車が走る光景はいい。向こうの方には遥か高い山並みも見え、スイスあたりの情景に近いような気もした。ただその道路脇では水が大量に流れだしていた。恐らくは水道管が破裂したのだろう。我々のホテルでも何度か断水があった。社会インフラはソ連時代のままなのかもしれない。

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1時間後に役所に行くと、私のパスポートには居留許可の紙が挟まっていたが、N教授の方にはなかった。何とビザを取ってきた私は申請が必要で、ビザ免除で入国した人は申請不要だった。如何にも形式主義、社会主義的な管理手法だった。

 

ビールを求めて中華へ

アルマトイの街中は、もっと発展している=高層ビルが立ち並んでいるとばかり思っていた。資源大国であれば資金は潤沢で、その余剰資金が不動産開発に回る、それを当たり前のように考えていたのだが、ここは違っていた。ソ連時代の建物がそのまま使われており、店だけがきれいに改修されていた。KFCやピザ屋などが近代化の象徴にように見えた。

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道はきちんと整備され、ゴミなどもなく、歩きやすい。ただ全てがキリル文字の世界であり、英語を見つけるのも大変。バスに乗ることも難しそうだった。我々はN教授の希望を大いに尊重し、ビールが飲める食堂を探したが、意外となかった。というよりはシャルハル氏やイエルン氏のようにハラールの食事を求めると、必然的に酒は出て来ないということが分かる。

 

散々歩き回った末辿り着いたのは、中華レストラン。WIFIがなかったのは残念だったが、仕方がない。公主飯店、という名のそのレストラン、中国語が通じる訳ではなかった。魚香茄子やトマト卵炒めでもきくらげと豆腐でも殆ど味付けが同じ。どう見ても頼み過ぎで、大量に残ってしまった。イスラムの教えには確か『勿体無い』があったと思うのだが、これはお客を満足させるための注文だろうか。

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午後2時前に店に入ったのだが、我々が帰る頃までお客がやって来ている。箸を使う人は稀で、フォークとスプーンで食べている。これもロシア化なのだろうか。何だかヨーロッパの中華料理屋に入っているようで落ち着かない。部屋を使っていた女性たちはどうやら朝鮮系。ここにも様々な民族が行き交っていた。

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ゼンコフ教会

腹一杯になり、歩く。レストランの斜め前には巨大な建物があった。そこはサウナだという。フィットネスクラブとの表示もあるので、最近は西洋化したのかも知れないが、以前はサウナ好きのロシア人の嗜好を反映していたのではないか。

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サウナの前を通過すると道の向こう側には自然が満ちていた。文化人かと思う人の像がある。聞けば将軍だとか。更に行くと素晴らしい形の教会が目に入ってくる。ゼンコフ正教教会、1904年に創建され、釘は一本も使われていないという。1911年の大地震でも周囲が壊滅する中、倒壊しなかったという。ソ連時代は聖職者も追われ、博物館となっていたが、独立後再び教会となっている。

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中へ入ると、本当に鮮やかなステンドグラス、そして壁には金銀の装飾画が飾られており、圧倒される。アジアでいくつもの教会に入ったが、それに比べると重厚感がすごい。多くの観光客、そして信者が訪れており、椅子に持たれてうっとりしている人もいる。蝋燭を買って、火をつけて所定の場所に置くのも新鮮。

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外には爽やかな風が吹き、まさに市民の憩いの場、はとに餌をやったりしている。馬車も用意されており、乗りたい人は公園内を1周できる。この公園はパンフィロフ戦士公園という名で、第二次大戦時、ドイツに対抗してモスクワを防御したパンフィロフ将軍以下28名を記念して造られている。はとが一斉に飛び立つと、教会をバックによく映えていた。

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公園の向かいのKFCでトイレを借りる。フライドチキンの値段は日本より少し安い程度。若者や子供たちには人気で店内にお客は多い。因みにアルマトイは公共の場にトイレが少なく、やむなくお借りした。社会インフラはそれほど整っていないのかもしれない。

 

初の中央アジア カザフスタンを行く2014(2)アルマトイ チャイはティバッグ

2.アルマトイ

空港で

機内では入国カードすら配られなかった。ガイドブックに寄れば、入国カードに2つスタンプを押してもらわないと大変なことになる、とか、税関申告書に現金のほか、PCやカメラなど書いておかないと出国時にトラブルになる、などと書かれていたのでちょっと緊張。

 

取り敢えず乗客の後ろに着いて、列に並び、順番を待つ。審査はかなり素早く、すぐに私の順番が来た。私がカードを持っていないのを見ると係官は紙を差し出し、そこに名前など至極簡単な内容を書かせた。一方私がビザを持っていたのでちょっと怪訝な顔をしたが、そこにすぐにスタンプを押し、カードには2個のスタンプ。あっという間に解放された。そして手荷物しかなかったので、税関に向かい、申告書はと聞くと『早く荷物をX線に通せ』といい、通ると、早く出ていけ、という対応で外へ押し出された。大丈夫なのだろうか?すると目の前にPさんが立っていた。呆気ない再会。

 

それから1時間後にソウルからやってくるN教授を待つ。Pさんのご主人とアルマトイ在住のシャルハル氏も一緒だった。シャルハル氏は北京育ちのカザフ人で22年前にこちらにやって来て、既にカザフ国籍になっているという。彼は普通話を流暢に話すので、色々と話を聞くことが出来た。こういう時、普通話は便利で威力を発揮する。

 

空港はソ連時代に作られたものでそれほど大きくはなかったが、きれいではあった。携帯関連の商品を売る店と両替屋だけがやたらに目に付いた。この時間到着する便が何便かあり、迎えの人がかなり来ていた。

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N教授のフライトは定刻に到着し、韓国人が沢山出来てきたが、なぜか教授だけ出て来ない。このフライトではなかったのかな、と思うほど、最後の方にゆっくりと姿を現す。荷物が出て来なかったようだ。シャルハル氏の車に乗るため、外へ出ると、そこは人でごった返していた。そして表示が殆どキリル文字で何も分からない。三菱のマークを見つけて駆け寄ると自動車が展示してあった。何だかホッとした。

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遅い夕飯

車で宿泊先へ向かう。道はスムーズで街灯も明るく、15㎞と言われた道があっという間に過ぎた。かなり木々が生い茂った団地のような所へ入る。ここの1階にシャルハル氏の家があった。最近引っ越してきたばかりだという。奥さんのララさんが夜も11時だというのに遅い夕飯を作って待っていてくれた。野菜炒めなどをご飯で食べる。何となく中国風だなと思っていると、奥さんも新疆のイリで育ったカザフ人。Pさんとはウルムチで知り合い、仲良しだという。

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その日は夜も遅いので早々に引き揚げ、ホテルへ。何とララさんが経営しているのだとか。立派なレストランの2階部分に部屋が9室。清潔で申し分ない。だがWIFIが設定されておらず、これにはこの後悩まされ続ける。疲れたのか、シャワーも浴びずに寝てしまう。

 

7月30日(水)

チャイで目覚め

翌朝の目覚めは良かった。部屋の窓から高い山並みが見えた。ここは中央にリビングスペースがあり、その周囲を部屋が囲んでいる。リビングに出ると受付のおばさんと目が合う。横にはPさんのご主人、イエルン氏がチャイを飲んでいたので、思わずそれを頼む。チャイはスリランカ紅茶のティパック。これをストレートで飲むとさらに眼が冴える。

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朝食はシャルハル氏の家まで10分ほど歩いて行き、取る。この散歩がなかなか良いのだが、幹線道路は朝から渋滞していた。見るとこの地でもトヨタなど日本車が多い。ここは街の中心部ではなく、郊外だと分かる。

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朝食はパンやナンにバターを塗り、サラダとゆで卵。それにミルクティ、これはロシア式だという。ミルクは牛のミルクで毎日新鮮な物が供給されている。チャイはホテルと同じティパック。ホーローの薬缶にティパックを入れ、これを小ぶりのお椀に注いで何杯も飲む。濃くなるのを嫌がり、湯を注ぐのが普通のようだが、私には薄い。

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それから近所の両替所へ向かう。先ずは両替しないとお金がない。ドルやユーロ、そして人民元やヨーロッパの通貨の表示はあるが、日本円は受け付けないという。この辺に日本とカザフの関係の度合いが見て取れる。カザフの通貨はテンゲ。因みに他の人が両替した折、係員が先に手で数えた後、機械に入れたところ、2枚少なくなっていたという。理由ははっきりしないが、手で数える際2枚抜き取った可能性もあり、注意が必要だ。

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その近くのバス停付近に携帯のシムカードを買いに行く。シムカード500テンゲ、通話料1000テンゲ(日本円550円)を支払いうとすぐに使えた。カザフでも携帯は完全に普及しており、サムソンが目立っている。

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初の中央アジア カザフスタンを行く2014(1)ビザ免除になったカザフ

《初の中央アジア カザフスタンを行く2014》  2014年7月29日-8月9日

 

中央アジアへの憧れ、それは昔からあったのだろうが、ここ3年間で3回の新疆訪問により、更にそれに拍車がかかっていた。勿論一人で行くことも出来ただろうが、ちょうどそんなタイミングでいつものN教授から『次の夏はカザフスタンだからね』と言われ、2つ返事で了解してしまった。

 

6月に入り、日本に戻ると旅行作家のSさんから『カザフはビザ、厳しいよ、3年前はビザ取れなくてウルムチまで行ったんだから』と言われ、慌てて東京のカザフ大使館へ赴く。既にバンコックーアルマトイの航空券は発券してしまった。もしここでビザが取れずに行けないようであれば、大損だ。だが中央アジアの未知の国、一体どんな対応になるのだろうか、と緊張して神谷町へ向かった。

 

ところが当日何と大使館は休み。水曜日が定休日の大使館なんてあるのか、さすが中央アジア、一筋縄ではいかないなどと、妙に感心してすごすごと引き下がる。翌日出直すと、何ともあっけなく申請が受理され、1週間後の受け取りが約束される。拍子抜けだ。

 

そして何と受取日前日ネット情報で『カザフの観光ビザは7月15日から免除(15日以内)』を見て卒倒する。大使館では私のパスポートにビザが押されていたが、その後正式にビザ免除が発表され、N教授はビザなしで入国を果たした。なぜ急にビザ免除になったのか、良く分からないが、アジアでは少し前の情報は既にあてにならず、情報は常にアップデートする必要があることを再認識した。

 

尚アルマトイ行のフライトはカザフの航空会社、エアアスタナがある意味で独占しており、バンコックから行くフライトはこの航空会社しかなく、料金も割高だった。まあ直行便だからいいや、と思っていると、ある日突然、『ホーチミン経由に変わった』と連絡があり、何と出発時間も変わっていた。やはり簡単な国ではない、と思うとちょっと心配。

 

だが今回は現地でカザフ人のPさんが待っていてくれるのでその点は安心だった。彼女はウルムチの大学の先生だが、日本への留学経験もあり、カザフ族ということでアルマトイに知り合いもいるので問題なさそうだった。実はもう一人、北京在住のHさんという女性が参加を希望していたが、仕事の都合で来ることが出来ず、今回はN教授と私の2人旅、かなり気楽になってしまった。

 

7月29日(火)

1.アルマトイまで

バンコックの朝は意外と涼しく、歩いても汗を掻かない。それでも荷物は出来るだけセーブして大きなスーツケースは避けた。これだと宿泊先を出てからも、歩くのに不便はない。しかもこんな日はちゃんと門の所でタクシーが待っており、順調に空港へ着いてしまう。

 

エアアスタナのカウンターはスワナンプーンの端の方にひっそりとあり、そこへ向かう人以外は恐らくは気が付かないだろう。勿論並んでいる人もおらず、すぐに手続き、ビザを持っているというと係の女性はちょっと怪訝な顔をしたがすぐにニッコリして終了。

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これから10時間以上の旅、食事も出るのかどうか分からないため、腹ごしらえとして、ファミマでチキンバーガーと肉まんを買い、ベンチで食べた。そして残さないように水をぐっと飲み込み、イミグレを通過。空港内でWiFiを使おうとパスワードのカウンターへ行くと、何と仕組みが変更になり、パスワード不要、自分でチェックインすることになっていた。色々と変化がある。

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エアアスタナの比較的きれいな中型機に乗り込むとほぼ満席。顔だけ見ても何人か分からない乗客とCAが乗っており、ちょっとビックリ。ホーチミンまで1時間強のフライトではスナックと飲み物だけが提供され、やはり食事はなかったが、CAの対応は悪くはなかった。

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ホーチミンでは殆どの乗客が降りて行き、ごく少ない乗客が機内に取り残される。そこへベトナム人の清掃員が乗り込んできて、掃除を始める。何となく腰が痛いと感じる私は機内を歩き回る。そして清掃員が下りた頃、トイレを使おうとしたが、CAに『離陸後20分まではダメ』と怖い顔で言われ、ちょっとショック。離陸してからトイレに行くとそのCAが『ようやく入れたわね』と笑顔で行ってくれたので、何となく親しみが出る。

 

アルマトイ行は本当に満席だった。隣にはカザフ人親子4人のうち、父親と息子が乗ってきた。母親と娘は後ろの席だ。父親は初めから流暢な英語で話し掛けてきた。最初ぐっすり寝ていた私が起き上がると待ちかねたように話し出す。彼は日本に強い関心があり、ラストサムライや北野武の映画などをよく見ているという。日本に関する質問が矢継ぎ早に出る。

 

『日本にはいまだに武士や芸者はいるのか』『日本人は本当に馬の肉を食べるのか』『日本は英語が通じる国なのか』『どうしてソニーはダメになったのか』などなど、質問は多岐に渡る。そして『どうしても日本へ行ってみたい』といい、その理由は『どうして資源の殆どない小さな島国があれだけの科学技術を生み出し、強い精神力を持って、世界に伍して行けるのか、この目で見たいんだ!』と言い出す。その裏返しのように『カザフは国土も広く、資源は豊富だ。だが、創造力のある工業は起こらないし、資源に依存し過ぎて、一部の国民は怠惰に陥っている』と国の現状を嘆いた。それでも『カザフはいいところだ、きっと気に入る』とも言う。

 

長い間ソ連邦に組み込まれ、宗教も否定され、カザフ語も禁止、今でも彼の息子などは実はロシア語しか話せないという。CAが食事のメニュ-を配ったが、そこにはカザフ語、ロシア語、英語が併記されていた。CAと乗客の会話の多くは実はロシア語だったらしい。因みに食事はタイ風のパスタ。牛肉か鶏肉を選ぶもので、ベジタリアンは少ないように思えた。アルコールを飲んでいる者も多く、『ラマダンなんて関係ないよ』という言葉が聞こえてきて、これは新疆とはかなり違う、と認識した。

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因みに車はトヨタがアセンブリーを始めたようだが、彼はカムリを買ったらしい。35,000ドル。決して安い額ではないが、これが買える層はかなりいるらしい。やはり資源国家、お金持ちなのだろうか。

 

最後に彼は『我が国はロシアに靡いているが、賛成できない。中国が近づいてくるのも避けなければならない。日本と協力するのが良い』と締めくくった。何と7時間のフライト中、5時間以上は話していたことになる。寝ることはできなかったが、お蔭でカザフの基礎知識を得ることが出来た。飛行機は午後8時過ぎ、まだ暮れていないアルマトイの空港に着陸した。

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