初の中央アジア カザフスタンを行く2014(1)ビザ免除になったカザフ

《初の中央アジア カザフスタンを行く2014》  2014年7月29日-8月9日

 

中央アジアへの憧れ、それは昔からあったのだろうが、ここ3年間で3回の新疆訪問により、更にそれに拍車がかかっていた。勿論一人で行くことも出来ただろうが、ちょうどそんなタイミングでいつものN教授から『次の夏はカザフスタンだからね』と言われ、2つ返事で了解してしまった。

 

6月に入り、日本に戻ると旅行作家のSさんから『カザフはビザ、厳しいよ、3年前はビザ取れなくてウルムチまで行ったんだから』と言われ、慌てて東京のカザフ大使館へ赴く。既にバンコックーアルマトイの航空券は発券してしまった。もしここでビザが取れずに行けないようであれば、大損だ。だが中央アジアの未知の国、一体どんな対応になるのだろうか、と緊張して神谷町へ向かった。

 

ところが当日何と大使館は休み。水曜日が定休日の大使館なんてあるのか、さすが中央アジア、一筋縄ではいかないなどと、妙に感心してすごすごと引き下がる。翌日出直すと、何ともあっけなく申請が受理され、1週間後の受け取りが約束される。拍子抜けだ。

 

そして何と受取日前日ネット情報で『カザフの観光ビザは7月15日から免除(15日以内)』を見て卒倒する。大使館では私のパスポートにビザが押されていたが、その後正式にビザ免除が発表され、N教授はビザなしで入国を果たした。なぜ急にビザ免除になったのか、良く分からないが、アジアでは少し前の情報は既にあてにならず、情報は常にアップデートする必要があることを再認識した。

 

尚アルマトイ行のフライトはカザフの航空会社、エアアスタナがある意味で独占しており、バンコックから行くフライトはこの航空会社しかなく、料金も割高だった。まあ直行便だからいいや、と思っていると、ある日突然、『ホーチミン経由に変わった』と連絡があり、何と出発時間も変わっていた。やはり簡単な国ではない、と思うとちょっと心配。

 

だが今回は現地でカザフ人のPさんが待っていてくれるのでその点は安心だった。彼女はウルムチの大学の先生だが、日本への留学経験もあり、カザフ族ということでアルマトイに知り合いもいるので問題なさそうだった。実はもう一人、北京在住のHさんという女性が参加を希望していたが、仕事の都合で来ることが出来ず、今回はN教授と私の2人旅、かなり気楽になってしまった。

 

7月29日(火)

1.アルマトイまで

バンコックの朝は意外と涼しく、歩いても汗を掻かない。それでも荷物は出来るだけセーブして大きなスーツケースは避けた。これだと宿泊先を出てからも、歩くのに不便はない。しかもこんな日はちゃんと門の所でタクシーが待っており、順調に空港へ着いてしまう。

 

エアアスタナのカウンターはスワナンプーンの端の方にひっそりとあり、そこへ向かう人以外は恐らくは気が付かないだろう。勿論並んでいる人もおらず、すぐに手続き、ビザを持っているというと係の女性はちょっと怪訝な顔をしたがすぐにニッコリして終了。

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これから10時間以上の旅、食事も出るのかどうか分からないため、腹ごしらえとして、ファミマでチキンバーガーと肉まんを買い、ベンチで食べた。そして残さないように水をぐっと飲み込み、イミグレを通過。空港内でWiFiを使おうとパスワードのカウンターへ行くと、何と仕組みが変更になり、パスワード不要、自分でチェックインすることになっていた。色々と変化がある。

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エアアスタナの比較的きれいな中型機に乗り込むとほぼ満席。顔だけ見ても何人か分からない乗客とCAが乗っており、ちょっとビックリ。ホーチミンまで1時間強のフライトではスナックと飲み物だけが提供され、やはり食事はなかったが、CAの対応は悪くはなかった。

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ホーチミンでは殆どの乗客が降りて行き、ごく少ない乗客が機内に取り残される。そこへベトナム人の清掃員が乗り込んできて、掃除を始める。何となく腰が痛いと感じる私は機内を歩き回る。そして清掃員が下りた頃、トイレを使おうとしたが、CAに『離陸後20分まではダメ』と怖い顔で言われ、ちょっとショック。離陸してからトイレに行くとそのCAが『ようやく入れたわね』と笑顔で行ってくれたので、何となく親しみが出る。

 

アルマトイ行は本当に満席だった。隣にはカザフ人親子4人のうち、父親と息子が乗ってきた。母親と娘は後ろの席だ。父親は初めから流暢な英語で話し掛けてきた。最初ぐっすり寝ていた私が起き上がると待ちかねたように話し出す。彼は日本に強い関心があり、ラストサムライや北野武の映画などをよく見ているという。日本に関する質問が矢継ぎ早に出る。

 

『日本にはいまだに武士や芸者はいるのか』『日本人は本当に馬の肉を食べるのか』『日本は英語が通じる国なのか』『どうしてソニーはダメになったのか』などなど、質問は多岐に渡る。そして『どうしても日本へ行ってみたい』といい、その理由は『どうして資源の殆どない小さな島国があれだけの科学技術を生み出し、強い精神力を持って、世界に伍して行けるのか、この目で見たいんだ!』と言い出す。その裏返しのように『カザフは国土も広く、資源は豊富だ。だが、創造力のある工業は起こらないし、資源に依存し過ぎて、一部の国民は怠惰に陥っている』と国の現状を嘆いた。それでも『カザフはいいところだ、きっと気に入る』とも言う。

 

長い間ソ連邦に組み込まれ、宗教も否定され、カザフ語も禁止、今でも彼の息子などは実はロシア語しか話せないという。CAが食事のメニュ-を配ったが、そこにはカザフ語、ロシア語、英語が併記されていた。CAと乗客の会話の多くは実はロシア語だったらしい。因みに食事はタイ風のパスタ。牛肉か鶏肉を選ぶもので、ベジタリアンは少ないように思えた。アルコールを飲んでいる者も多く、『ラマダンなんて関係ないよ』という言葉が聞こえてきて、これは新疆とはかなり違う、と認識した。

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因みに車はトヨタがアセンブリーを始めたようだが、彼はカムリを買ったらしい。35,000ドル。決して安い額ではないが、これが買える層はかなりいるらしい。やはり資源国家、お金持ちなのだろうか。

 

最後に彼は『我が国はロシアに靡いているが、賛成できない。中国が近づいてくるのも避けなければならない。日本と協力するのが良い』と締めくくった。何と7時間のフライト中、5時間以上は話していたことになる。寝ることはできなかったが、お蔭でカザフの基礎知識を得ることが出来た。飛行機は午後8時過ぎ、まだ暮れていないアルマトイの空港に着陸した。

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1 thought on “初の中央アジア カザフスタンを行く2014(1)ビザ免除になったカザフ

  1. ところ変わればとあるように
    お国によってはかなりの違いがありますね
    日本の情報もあてになりませんね

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