インドで自然療法2018(8)お仲間がやって来た

何だかとても元気になって来た。元気になれば腹が減る。これほどまでにフルーツに力があるとは思わなかった。フルーツダイエットに挑戦してもよいかもしれない。午後のトリートメントに行ってみたが、何と今日は日曜日で午後はどこも完全休養だった。私も休養することして、また残りのパパイヤを食べてしまった。うまい。

 

夕方やることがないなと思っていると、オリンピックの小平奈緒のレースが始まった。前日羽生君と宇野君のワンツーがあったが、それよりも私は最初から小平の500mに注目していた。真の王者は常に負けない。彼女はそれを証明してくれた。苦労は並大抵のもではなかったと思う。基本的にマスコミはとにかく盛り上げようと、なんでもメダル候補にしてしまうが、結果としてはやはり、これまで相当の実績を積んだ者だけが、その位置についている気がする。

 

急いで夕飯に出掛ける。今晩はもう、ノーマルフードにしよう。気持ちが盛り上がり、ドクターの指示を無視して、食べる。何となく美味しく感じるのは罪悪感からだろうか。7時頃にはジュディがにこやかに回診に来た。昼ご飯を食べずパパイヤを思いっきり食べた、というと、笑いながら、明日ドクターに話してね、と言って帰っていた。夜は深夜特急を読み進む。やはりインドは、地べたを這って歩かなければならない、と感じる。次回はブッダガヤ方面に巡礼に行こう。

 

2月19日(月)
お仲間登場の7日目

今朝は何気なく、5時半には起きた。夜9時睡眠だからほぼ正常に戻っている。7時過ぎに飲み物をもらいに行くまで、ボーっと過ごす。こんな日も今日で終わりかもしれない。今日からお仲間がやってくる。ただ今回お目当てのニサル先生が来られないのは何とも残念だが、これもインドだろうか。

 

8時半にこちらからマッサージ室へ出向く。こんなことは初日以来だ。ただマッサージ師の名前を聞かれても答えられない。確かに彼に聞いていなかった。チャンドラカント、という名であることがようやく分かり、彼が出てきたがマッサージ中であった。仕方なくオフィスへ行き、昨日彼に現金を支払ったことの可否を尋ねた。親切なウデイクマ氏が出てきて、『あなたに問題なければ二重請求はしないよ』と言ってくれたので安心して、マッサージを受けた。

 

それからドクターのところへ行き、この2日のいきさつを話すと『あなたみたいに反応が早い人は珍しい。想像以上だ』と驚かれる。そしてあと1週間あるなら、と、フルーツダイエットを試してみることになる。まあ折角来たのだから、やってみるか。私は好転反応という言葉すらしないでここにやって来たのだが、睡魔の下痢はA師が言う通り、良い兆候だったわけだ。反応が人より早いのはマッサージの質のせいだろうか。私はセンシティブなのだろうか。

 

朝から突然人が呼びに来た。ルームメイトが来たというのだ。確かに今日来る人はいたが、こんなに早いはずはない。部屋に行ってみると、見知らぬ男性が日本語で『ルームシェアしろと言っている』というではないか。彼は半年も前に2000ルピーのシングルルームを予約したという。ただこちらもグループなので、と説明して、オフィスに戻ってまた説明する。ウデイクマ氏は本日2回目のグループ人数を確認して頷いた。

 

その男性もすでにここに10数回来ているとかで、かなり慣れており、何とか相部屋を避けてシングルを取ろうと交渉を重ねていた。彼によればシステムは毎年変わり、料金も上がってきたが、昨年から外国人に対しては相当に厳しくなり、最高ランクの部屋しか提供しなくなったという。だから特に驚いている様子もなく、淡々としているのが面白い。

 

そのどさくさの間に列車で二人の日本人女性が来ていた。Kさんは英語も堪能で、どんどん資料記入を進め、交渉事も慣れていた。インドにはここ5年、毎年来ているらしい。もう一人のTさんは、ちょっとせき込んでおり、しんどそうだった。よく聞けば二人はプネーではなく、リシュケシュから電車で1日以上掛けてやってきたというのだ。すごいバイタリティーだ。とても真似は出来ない。

 

彼女らのチェックイン作業は遅々として進み、12時半には何とか終了。ご飯も食べられてよかった。ここまでやってカギをもらわないと部屋にも入れないのだから、一安心だ。ご飯を美味しいと言って食べている。私には味気ないのだが、市井の脂っこい、スパイシーな料理を口にしてきた身としては、体に優しいと感じるとか。Kさんは穂高養生園のキッチンスタッフだと後から聞き、納得。

 

2時半頃、A師一行が到着し、すぐにチェックイン手続きが始まる。ラトールさんは咳き込むTさんの通訳サポートに回る。大丈夫だろうか?参加者の一人Yさんとはカンボジア以来、3年ぶり。同室のWさんは初めての出会い、鍼灸師さんらしい。受付は混みあっており、相当の時間を要する。

 

Tさんは初めてのインドでちょっと強行軍だったらしい。A師は『辛ければあまり我慢しないで、日本に帰国した方がよい』と勧める。この言葉は一見厳しく聞こえるが、これまでの長いインド経験で、『大丈夫』と言いながら頑張ってしまい、結果的に大ごとになってしまうことは多々あること、そしてインドではそうなったら、対応が難しいことを指していた。更には、本人は2度とインドに来たくなくなるだろうし、家族など周囲の人も『インドだからこうなった』と一方的にインドのせいにする傾向があるのも事実。これからインドへ行こうという人々の妨げにもなってしまうことがある。

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