インドで自然療法2018(17)娑婆に戻ったが

9時半にヨゲーシュが来て、『今日はバスティだ』という。いや、昨日も言ったが、私は10時半にはここを離れる予定だから、今日はトリートメントは要らないのだ。それでも『まだ時間はある、やろう』というから困ってしまう。きっと連絡がうまく伝わらず、わざわざ来てしまったので、どうしてもやりたかったのだろう。ただ10時半になっても迎えの車は来なかったので、やってもよかったかもしれない。どうせ料金は同じだろう。それがインド流かなとも思う。

 

ビレッチャナを迎えたWさんとドクターと3人で最後の話をしていた。結局A氏夫妻が現れたのは11時半近くであり、12時近くまでドクターと話し込む。今日はホーリーというインドの祭日で夜には火の周りを皆が回る儀式もあるらしい。祭日の日は交通状況が読めないので、早く先に進みたいと思っていた。

 

ようやくドクターに別れを告げて、車に乗り込む。そのホーリーの翌日はインドでもっとも危険な日だと聞く。若者たちが色水を使った水鉄砲で辺り構わず、掛け回るとか。バンコックの水かけ祭りのはるか上を行く凶暴さであり、A氏夫妻も明日は一日自宅に籠るらしい。私は今日が出国日で助かった。もうバカ騒ぎを喜ぶ歳ではない。

 

懐かしいゴレ家に寄った。郊外の村にあるゴレ家に2泊したのはもう4年も前のこと。ガンジー主義とは何ぞや、その一環を垣間見られたのは良い経験だった。あの時ゴレさんはアメリカに行っており、奥さんのレッカさんしかいなかった。よくまあ日本人のおじさんを引き受けてくれたものだと思う。夫妻は昨年ニサル先生一行と日本の旅に来ていたので、私は少しだけ東京でご一緒して以来だ。

 

アメリカにはよく行くゴレさんは、日本に行く前と後で印象がガラッと変わったようだ。『日本の技術は素晴らしい』と言い、新幹線博物館に感動した話をしている。確かに山手線に乗る時も、凄く熱心に見ており、写真を撮っていたのはゴレさんだった。何がそこまで彼を突き動かしたのか、今回はちょっとお昼ごはんを頂戴しただけでゆっくり話す機会はなかった。また次回どこかで会うだろう。その時に聞こう。

 

車はA夫妻宅で2人を下ろし、それから一路ムンバイに向かった。車は極めて順調に走行し、私は1時間完全に眠ってしまった。やはり疲れているのだろうか。気が付くと郊外に出ており、途中でトイレ休憩をして、3時間ちょっとでムンバイ空港に滑り込んだ。ムンバイ市内ではさすがに渋滞があったが、ラッシュアワーの前に何とかすり抜けた。

 

以前は空港に入るのも警備員とのやり取りが大変だったが、今は実に簡単だ。だがチェックインにはさすがに早過ぎた。ANAは3時間前からとのことで、シートに座ってPCを広げたら、怖そうなおじさんがやってきて、『セキュリティリーの関係でこのシートから立ち去れ』と言われてドキリ。こういう時はわがままなインド人もあっという間に移動するんだな、と分かる。

 

結局4時50分にチェックインが開始され、あっという間に済み、荷物検査、イミグレもそれほど混んでおらず、すぐに済んでしまった。ムンバイは空港もきれいだし、もう昔のインドの面影はどこにもない。ただ空港でWi-Fiを拾うことは出来なかったが、なぜだろうか。お土産物コーナーで紅茶などを眺めてみても、何ともおしゃれなパッケージになってきている。インドは着実に変わっている。

 

空港内で時間を潰す。何となく腹が減ったので、焼きそばやパスタ、ピザに手を出すと、これが殊の外うまく感じられる。冷たい飲み物など、ここ20日間、飲んでいなかったが、何とも言えない爽快感がある。これはまずい、折角の修行が台無しだ。既に娑婆に完全に戻ってしまった、と思ったが、もうあそこには戻れないのだ。

 

フライトはほぼ満員。離陸してご飯を食べると周囲は暗くなり、私も落語を聞きながら寝てしまった。行きは11時間近くかかったフライトも、帰りは風の関係か7時間程度で着いてしまう。朝方軽食が出ると、もう着陸。このくらいの長さなら問題はない。ただ成田空港でまたスマホがおかしくなり、何とか充電スポットを見付けて充電するも、またすぐに落ちてしまった。

 

第一ターミナルからだと、1000円で東京駅まで行ける格安バスは極めて乗りづらいので、今回は電車で帰ることにする。スマホが動かないので、時間すらわからなくなってしまう。何とも寂しい帰郷となるが、ちょうどインドの反省をする時間をもらったと思い、目をつぶって考えながら電車に揺られた。娑婆がいいとは思えないが、さりとて自然療法がよいとも言えない。現代は難しい。

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