ある日の台北日記2023その3(4)圓山大飯店

帰りに何か食べようと、さっきとは別の道を駅の方へ歩いて行く。途中に油飯という文字が見え、立ち止まる。菜頭湯と共に食べると何とも旨い。この何気ないご飯にありつけるのが台湾だ。よく見るとこの辺には旨そうな店が並んでいたが、腹が一杯で次回となる。東門旧趾と書かれた看板を目にする。1853年林家主導で作られたらしい。林家は一体いつから栄えていたのだろうか。

まっすぐ帰るのも何なので、コロナ禍に新しくできた路線に乗ってみる。その名も環状線。その一部が開通しているというので、MRTで新埔まで行き、そこから新線に乗り換える。だがその駅はかなり離れており、駅名も新埔民生だった(板橋駅で乗り換えた方がよかっただろうか)。電車は文湖線より少し大きいモノレール。最初に計画されてから30年(ということはこの路線が台北最初のMRTになるはずだった?)かかって開通に漕ぎ着けたらしい。

景安までゆっくり地上の景色を楽しみながら乗って行く。乗客はさほど多くはない。景安駅から中和線に乗り換えたが、ここもまたかなり移動距離がある。昔と違ってさすがに新線を作るのは簡単ではないことは良く分かった。更に全線が開通し、台北市、新北市をグルっと一周できる日が待ち遠しいが、いつになることやら。

夕飯は先日通り掛かったかつやに入ってみる。6時前ということか、お客は少ない。女性が一人カウンターでとんかつを食べる姿が何人かあったのは、日本とは違う光景だろうか。かつ丼自体はそれほど日本と変わらないように思うが、何となく満足感が薄いのはセットメニューなどが充実していないからだろうか。

5月4日(木)アメリカンクラブへ

今朝はゆっくり始動する。明日から出掛けるのでその準備をしてから、大直駅へ向かう。ここに来るのは何年ぶりだろうか。そこからバスを探して、圓山大飯店まで行く。もう30年以上前、仕事で住んでいた時、偉い人が来て、ここに宿泊したことがある。何と私はお付き部屋に泊まった。

車は一番良い所に停められた。帰ってくるとボーイが常に立っていて、用事を聞いてくる、まさにVIP待遇だった。朝食も部屋に繋がっているダイニングルームで食べていた。バスルームが広すぎて、パターゴルフが出来そうだった。勿論部屋から台北が一望できたのは良い思い出だ。このホテルの歴史は今でも興味を持っている。

バスを降りてGoogleで道を探すと、何と1時間かかると表示された。バスの道路からホテルへ上がれる道はなく、ぐるっと迂回するとそうなるらしい。だがそんなはずはないと、歩き出すと、やはりちゃんと登れる階段を見付けた。5分で到着する。Googleの限界がそこにある。

相変わらず圧倒的な建物だった。中に入ると以前より明るい感じがする。大勢の人がロビーで写真を撮っており、日本人観光客の姿もある。人気のレストランには行列が出来ていた。立派な階段を上り2階も見学できる。裏へ回ると、このホテルの歴史が展示されている。やはり日本との関係は深い。

今日は旧知のHさんのお招きで隣のアメリカンクラブへ行った。ここは初めてだった。カジュアルなダイニングは多くの人で賑わっていた。メンバーは今や台湾人が多いのだろう。Hさんとは香港で知り合ったが、台北に移ってもうずいぶんになる。仕事は順調のようで、台北に根を下ろしている。奥さんも相変わらず元気な様子で、台湾の変化などについて、活発に話してくれる。ちょっと近況を話しているだけで、時間はあっと言う間に過ぎてしまう。

帰りは圓山駅まで歩いてみる。歩けるのかどうかという感じで淡水河を渡る。昔より道が複雑になっており、景観も随分と変わっていて、良く分からない。何とか這い出して来ると花博公園が迎えてくれた。この付近も歴史的には色々とあるが、本日は疲れたので、MRTに乗ってまっすぐ帰った。

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