ある日の台北日記2023その(4)華新街と台湾大学

4月15日(土)ミャンマー人街へ

今朝もサンドイッチで朝を迎える。5月から値上げの表示が見える。最近この表示が目立つように思う。特に卵の値上がりが激しいのは日本と同じか。MRTに乗って中和の図書館へ行く。ここも前から良く通った場所。しかし3年半ぶりなので、PC操作の仕方などは完全に忘れてしまう。それでもここの係員は常に優しく、教えてくれる。

台湾日日新報の検索に励み、気が付くと4時間も座ったままだった。やはりこういう資料を見ているのが一番楽しい。台北の部屋に置いたままだった資料を思い出し、更にここで新たな記事を集め、実に地道な作業が続いて行く。この土台があってこその茶旅だと最近つくづく思う。

またMRTに乗り、終点の南勢角まで行く。ここから更に歩いて10分以上行くと、華新街に辿り着く。ここは台湾のミャンマー人街と呼ばれており、ミャンマー・雲南から台湾にやってきた人々が集まっている。そして人が集まれば食べ物もやってくる。通りは閑散としていたが、店はかなりあり、取り敢えず適当な店で麺を啜る。何となく雲南麺を思い出す味だ。

実はちょうどミャンマーやタイは水掛祭りの最中。ここでも午前中にイベントがあったが、午後は日常を取り戻しているようだった。昼下がり、ミャンマーミルクティーを飲みながら、話し込んでいる老人たちがいる。言語は中国語もあるが、時にビルマ語、シャン語などが耳に入ってくるような気がする。この付近が形成された歴史、人々の歴史を知りたくなる。私も紅茶とミャンマー菓子で寛いだ。

帰りにバスに乗る。ちょっと距離のあるバス。土曜日で道が空いており、かなりのスピードが出ている。突然ブレーキも踏むので、かなり危険な運転だ。といっても30十数年前の台北のバスに比べれば、まだマシだろうか。バス代は安いのだが、その危険度という意味ではMRTの方が乗りやすい。

4月16日(日)台湾大学へ

日曜日は原則外出しない、と以前は決めていた。やはり休みは重要だ。それでも体が外へ出てしまう。かなり天気が良く、暑さが気になる中、今日は台湾大学方面に歩いて行く。途中の団地では、お天気の中、老人たちが日向ぼっこしている。車いすに乗り、インドネシア人メイドに推してもらっている男性、よく聞いてみるとその会話はインドネシア語だった。彼は華僑なのだろうか。それとも仕事で言語を習得したのだろうか。

大きな道路に面して、温州大餛飩があったので入ってみた。ここではいつもワンタンメンを食べていた。午前中の中途半端な時間でお客は一人しかいない。お母さんが一生懸命ワンタンを1つずつ丁寧に包んでいるのが何とも良い。それを見ながら鮮肉餛飩湯と鶏絲飯のセットを注文する。何だかいつもと違う雰囲気。因みにこの温州大餛飩はフランチャイズ方式らしいが、店によってメニューがちょっと違う。

台湾大学まで歩いて行くとかなり暑い。まずは図書館に入る。以前はバッグを地下1階にあるコインロッカーに預けなければならなかったが、何と1階に移動されていて大いに助かる。入室は前と変わらず。だが、以前見ていた資料の場所が思い出せず、かなりまごつく。結局見たい資料の一部には辿り着かないという悲劇。

一応何とか任務をこなして外へ出る。何となく磯小屋の方へ向かう。入口がきれいになっている。建物は以前のままだが、表示なども増えているような気がする。蓬莱米の父とも呼ばれる磯永吉への関心も高まっているのだろうか。残念ながらちょうど昼時間で、中を見学することは出来なかった。暑いので早々に引き揚げる。

夕方はかなり涼しく感じられたので、また外へ出る。よく行っていた近所の食堂で夕飯を食べようと歩いてみたら、何と店が見付からない。まさか無くなったのかと不安になったその時、店の位置を間違えていたことに気が付く。なんとまあボケが進んだことか。店は昔のままだったが、オーダーはボードに印をつける、会計も機械化されていた。まあ味が変わらないので良しとしよう。

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