ある日の台北日記2019その2(17)中壢へ

6月10日(月)
中壢へ

月曜日になったのでまた鉄道に乗る。今年前半の台湾滞在は秒読み段階となり、やるべきことを1つでも多くやっていく時期になっていた。今日は台湾で亡くなった可徳乾三について調べるつもり。行く場所は、彼が日本台湾茶業を退職後に茶舗を開いたと言われる埔心駅前だ。

 

埔心に行くには、区間車に乗ればよいのだが、1時間もかかり何となくかったるい。自強号に乗ると中壢で乗り換える必要がある。そうだ、それならいっそ中壢も散歩してみよう、と思う。中壢は私にとっては35年ぶりの場所だ。初めて台湾に来た時、東京の下宿で隣だった陳さんの家を訪ねたことがある。そこが中壢だったのだ。今覚えているのはお兄さんが医者で、遠東百貨の横に病院を持っていたことだ。

 

中壢駅で降りてみても、思い出すことは何もない。そうだ、あの時はバスで来たのだ。駅前から遠東百貨を目指して歩く。いくつかの古い建物が残っており、保存対象のようだ。勿論今や遠東百貨もなく、以前の場所は別の店が入っていた。そしてその周囲には病院はなかった。私の思い違いでなければ、病院もどこかへ移転したのだろう。陳さんはニューヨークへお嫁に行ったので、ここには居ないだろう。駅の横のバスターミナルが僅かな記憶に引っかかるが、結局何の手掛かりもなく、中壢を後にする。

 

埔心にはわずか1駅で着く。8年前、埔心に徐英祥先生を訪ねたことがある。あの時は黄顧問が書いてくれた地図を頼りに、駅前から歩いて先生の家に向かった。初めて訪ねて来た者に対して、80歳の、足の悪かった先生が自ら運転して、改良場を案内してくれた。魚池改良場にも自ら電話して、訪問を手助けしてくれた。あの出会いがあって、今日の私の歴史調査がある。その5か月後にまさか先生が亡くなるとは。まさに一期一会。

 

8年前と比べて駅は何となくきれいになっている気がする。徐先生の家のほうに歩いて行き、そのまま改良場まで歩いて行こうか、などと考えていたが、それは甘かった。雲行きが怪しかった空が、ついにうなりを上げた。強烈な雨が降り出し、傘をさして歩くことが難しい。仕方なく、駅前を探索。

 

可徳乾三の茶舗は駅前にあったと言うが、彼が亡くなったのは1926年。その後家族が茶舗を継いだとは聞いていない。取り敢えず古そうな薬局に入ってみる。お婆さんがいたので聞いてみたが、『私が生まれる前のことなんてわからないよ。台湾人がこの辺でお茶を売っていたという話なら聞いたことはあるけど』と一蹴される。それはそうだ、約100年前に無くなった店を探すのはやはり困難だ。

 

腹が減ったので、隣の弁当屋に入る。この店の弁当は50元、やはり地方都市は安いということだろうか。お客がやってきて、自分独自の注文をし、あれはないのか、などと聞いているのは微笑ましい。折角ここまで来たのだが、雨も止みそうにないので、今日の調査は終了して台北に戻る。

 

6月12日(水)
王添灯の孫

今日の夜は厦門に行くというギリギリの日に、昨年からお世話になっている黄さん夫妻と会うことになった。場所は黄家近所のカフェ。台湾プラスチックビルの前でバスを降りると、何やら反対運動が展開されている。大企業にはよくあることだろうが、王永慶という名前も出てくる。台プラ創業者の王の家も日本時代は茶農家だった。そしてこれから会う黄さんのお爺さんである王添灯の家とは茶で繋がりがあったと聞く。双方ともに新店郊外の出身だ。

 

カフェでは黄夫妻が待っていてくれた。今日は昨年、天津と大連に行った時のことを報告をすることになっていた。日本時代にこの両地に作られた文山茶行の支店や家族の住んだ場所など、勿論現在はすっかり変わってしまい、見付からないのだが、そこを歩いてきた話をした。

 

話しているうちに、王家の重要人物が誰であるかという話になり、実は光復後の茶業界においては、王添灯の長男である王政統氏の名前が挙がる。政統氏については、製茶公会の黄顧問も話していたので、気にはなっていた。すると黄さん、何と電話を掛けている。相手は政統氏の長男で、もうすぐここに来てくれるというではないか。

 

ここからは政統氏の話、そして王家そのものの歴史について、詳しく話を聞いた。彼自身もアメリカ暮らしが長く、茶業そのものについてはそれほど詳しくないが、貴重な話が沢山出てきた。やはり身内に話を聞くことは大切だと思う。これでようやく王添灯とその一族について、何かしら書ける目途がついたような気がした。

 

皆さんと別れてすぐに西門町に向かった。というのは、政統氏が光復後に買って、家族が住んだという西門町の家は、まだ建物が残っている、と聞いたからだ。これも機会を逃すと行けないので、善は急げと進む。行ってみると、確かにそれらしい建物は残っていた。これもまた歴史の一コマか。帰りのMRTで、何と出勤するSさんと乗り合わせた。これもご縁か。

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