華人と行く安渓旅2019(1)安渓の伝統工芸 竹藤編

《安渓厦門茶旅2019》  2019年6月12-19日

何と驚いたことに3か月連続で福建省にやってきた。しかも3か月連続の厦門。確かに台北との行き来では厦門は便利ではあるが、これだけ続くのにはそれなりの訳がある。今回は本来KLで会おうと思っていた陳さんの里帰りに同行するという稀有な体験が目的であった。ついでに茶の歴史の一端でも見られるとよいのだが、さて、どうだろうか。

 

6月12日(水)
厦門へ

今回は厦門航空の夜便で厦門へ向かった。単純な台北-厦門の往復便だが、料金は意外と高く困った。金門経由も早い段階で売り切れており、この路線を使う人が多いことを窺わせた。松山空港発は夜便しかない、という不便さだが、桃園に行くよりはよい。まあ、今日は着いて寝るだけと諦めるしかない。

 

空港内では、なぜか日本の茶碗展示が行われている。それもかなり大規模な数で驚いた。台湾人の日本への興味はこのようなところへも波及している。夜便で短距離だからご飯も出ないだろうと思い、空港内でワンタンメンを食べてから乗ったら、機内でもちゃんとご飯が出てきた。

 

夜9時には厦門空港に到着。荷物を預けていないのでさっさとイミグレを通過して、タクシーに乗り込む。今晩は陳さんの親戚が予約してくれたホテルに宿泊するので、そこまではタクシーでないと難しい。実はよく見ると、そこは金門島から来るフェリーが着くターミナルのすぐ近く。こんなことなら、何としても金門経由を予約すべきだったと思ったが、後の祭りだ。

 

ホテルは豪華5つ星。いつもは泊まらないのだが、陳さんのお供だから仕方がない。ロビーも広くて、チェックインにもまごつく。だが、通された部屋を見てびっくり。何と若夫婦と子供が泊まるためのファミリールームだった。子供用に小さなテントまで用意されているのだが、私が必要としているデスクがない。折角広い部屋で申し訳ないけれども、デスクのある部屋と交換してもらった。一体なぜ男一人のお客をこんな部屋に通したのだろうか。翌朝陳さんの部屋に行ってみるとまさにその部屋だったので、単に広い方がよいと思った、ホテル側の配慮だったらしい。

 

6月13日(木)
安渓へ

翌朝は陳さんと朝食を一緒に取った。彼と会うのは雲南省大理以来6年ぶりだろうか。あの時はお茶の買い付けに行く陳さんに付いて行き、色々と体験させてもらった。実は陳さんには昨年久しぶりに連絡を取った。理由はマレーシア華人の大茶商を探すため。彼ならいいネットワークを持っていそうだったのだが、2月は旧正月だから難しいと言われ、8月に行くと言ったら、KLには居ないかもしれないと言われてしまう。

 

今回はそんな陳さんが祖先の故郷である安渓に行くというのを捕まえて同行することになった。これも華人が故郷に帰る、とどうなるのか、その繋がりを見る良い機会だと思っている。ついでに安渓の茶業についても何かしら得られるものがあればよい、という程度でやってきた訳だ。

 

陳さんの親戚という人が車でやってきて我々を乗せて安渓に向かう。この道はもう何度も通っているので、親しんでいる。今は高速道路のような立派な道があり、厦門-安渓間はわずか1時間ちょっとで行けるが、100年前、海を渡ろうとした人々は歩いて2-3日掛けて山の中から厦門の港に出てきたという。それだけでも大変なのに、ここから船に乗り、未知の東南アジアへ渡っていったのだから、それは物凄い覚悟だと思うし、やはりそうするしかない事情もあったのでは、と考える。

 

車は安渓の街に入った。前回は旧市街に泊まったが、今回は少し離れた街一番のホテルというところにチェックインする。また別の親戚という人が現れ、早々に外に連れだされた。街で流行っていそうなレストランで昼食をとる。結構いい料理が出てきて喜んでいたが、なぜか陳さんは不機嫌だった。『俺はお前の家でご飯が食べたいんだ』と言っている。どうして?

 

午後は学校へ向かった。華僑職業学校と書かれている。立派な建物だ。その中を行くと、陳さんの親戚で、竹藤編名人がいた。もう80歳近いというのに、伝統工芸の第一人者ということで、この学校で教えている。その作品が沢山展示されていたが、実に見事で驚く。1960年代既に彼の作品は海外要人向け土産として、送られるほど認知されていたらしい。それがここ安渓の主要物産品となっている。これまでお茶のことしか見てこなかったが、安渓には他にも色々とあるのではないか、との予感がする。

 

更には別の親戚の鉄工場にも行ってみる。鉄を使った家具、インテリアを作り、欧米にも輸出しているらしい。シンプルなデザイン、簡易な商品、こういうのがウケるのかもしれない。だが老板は『現在の米中問題が長引けば、中国での生産、輸出は難しくなる。東南アジアなどへのシフトを検討するかも』といい、陳さんに相談を持ち掛けようとしている。確かにそうだな。

 

夜は先ほどの竹藤編名人を含めて、親戚と友人が集い、宴会となる。陳さんは私に『宴会要員(酒飲み)』を期待していたようだが、私がもう酒は飲めないと言うと、かなりがっかりして、自ら相当に飲んで、酔っ払っていた。ここに昨年安渓で会った華僑史の専門家、陳克振先生がいたのには、驚いた。親戚ではないが、マレーシア華僑の陳さんの家の歴史もかなり研究してきたという。ご縁というのはすごい、そして嬉しい。

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