ラオスポンサリー茶旅2016(7)あっという間にミッション終了

ミッション

5分ぐらい歩いていくと、別のホテルがあった。そこの看板を見ると漢字の名前が指示されていたものだった。実はセンサリーはホテルの名前ではなく、このあたりの地名だったことが分かる。ついにここまでやってきたか。入っていくと、女性がいたが、英語も中国語も全く通じなかった。次に出てきた足の悪い男性はほんの少し英語を使ったが、やはり要領を得なかった。そして最後に呼ばれてきた若者は英語が話せた。しかし写真を見せると『ここにはいない』とあっさりいうではないか。問い詰めると、写真のばーさんはここのオーナー夫人で、ご主人と一緒に、今はビエンチャンに行っていることが分かった。さて、どうするか?

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更に一緒に写真に写っている男性、この人は中国人の茶商だとSさんは言っている。彼が見つかれば、お茶が手に入る、とも書かれていたが、これまたあっさりと『あー、アーワンはもうここにはいない。どこにいるかもわからない』と取り付くしまもなかった。では『この店に茶葉はあるだろう』と聞くと、それは『全くない』とか『倉庫の鍵はオーナーが持っている』とかはっきりしない。私は一体ここまで何をしに来たんだろうか。Sさんに踊らされて、よくわからずに来てしまったが、これはトンデモナイことになった。

 

困った顔をしていると、若者が『携帯電話を持っているなら掛けたらどうか』と助け舟を出してくれた。そうだ、昨晩ウドムサイでシムを手に入れ、電話だけはできるようにしてきたではないか。彼に掛けてもらい事情を話してもらうと、オーナーが直接電話で話すという。彼は普通に中国語を話した。ラオ人だというが中国語名も持っている。元は中国系なのだろう。国境の街ポンサリーで中国関連の商売をしていることは明らかだった。これは期待が持てる、とこちらの要件とSさんの話を持ち出す。Sさんについては全く覚えていないようだった。

 

そして彼もまた『今、お前がほしいといった茶は在庫がない。そしてそれは貴重な茶でとても高い。4月になれば新茶が入ると思うが、今年は雲南でも雪が降った。収穫量がどれほど確保できるのか心配だ。勿論価格も今は分らない』というではないか。ようは4月にここに来て、運が良ければ買えるよ、というメッセージをもらっただけに終わる。そンなことのためにここまで来たのか、となんだか気が抜けてしまった。仕方なく、宿に帰り、この情報を早々にSさんに流した。私のミッションはあっという間に終わった。

 

夕飯

非常に疲れてしまった。今日は体調が悪く、ほとんど何も食べていないのを思い出した。だがこの街、とても小さい。そして暗い。店も思ったほどない。何となく宿から下っていくと、そこに1軒のレストランがあった。比較的きれいそうだったので、中に入ろうとすると、向こうから笑顔が飛んできた。あのドイツ人、ヨゼフが座っていたのだ。彼は一言、『待っていたよ、こちらにどうぞ』と手招きして、席を勧める。

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彼とはさっきのホテルで、出くわしていた。彼らは最初に降りた場所のGHが気に入らず、私が泊まっているセンサリーまで重い荷物をもって上がってきたが、婆さんに満室だと断られたらしい。それで更に上のあのホテルに投宿した。1泊10万kだという。私は自分が間違った宿に入ったと思っていたが、結果としては、良い宿を選択したことになるらしい。取り敢えず、ビールで乾杯した。ヨゼフはドイツの田舎町で教師をしていたが、すでに定年退職。年に1度はアジアにトレッキングに来ているという。今回は3か月の日程で、タイ・カンボジア・ミャンマーなどを一人で回っている。こんな白人さんが実はかなり多い。

 

そこへ白人女子3人組が来た。更にはイギリス人、スエーデン人も来た。ヨゼフによれば、『この街で白人が食べられるレストランはここしかない。英語のメニューがここにはある』というのだ。だからあのバスを降りた白人全員が、必ずここへやってくることを知っていた。日本人の私が来ることも十分に予想していたようだ。何とも面白い。彼らはパンと卵か、チャーハン、そして麺類しか食べられないらしい。

 

私はチャーハンを頼んだ。味はまあまあだったが、腹が減っていたので、すぐに平らげた。そこへアメリカの若者がやってきた。時刻は既に9時近かった。声を掛けたが、従業員はテレビを見ており、まるでやる気がなかった。彼らが何か注文しても、全く反応しなくなっていた。きっと店との契約ですでに休み時間に入ったのだろう。だが店は11時までやっていると書いてある。アメリカ人は怒って出て行ってしまった。ヨゼフがその背中に『あいつは今晩メシ抜きだな』と、つぶやく。まるで映画のようだ。

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宿に戻ると、部屋の下のところで、ラオ人が10人ぐらいで宴会をしていた。それが結構騒がしい。相当酒も入っており、男女の声がすごく大きい。まあ10時ぐらいには終わるだろうとたかを括っていたが、なんと12時近くまで続いていた。ベッドに潜り込むと、その声がだんだん遠のく。浅い眠りに入っていたが、どうも体調がおかしい。自分の体が深い闇に落ちていく感覚があった。

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2月2日(火)

体調不良に見舞われて

朝早く、何度も起きてトイレに行く。腹の調子が悪くなっていた。これは相当疲れた時に起こる現象だったが、その程度はかなりひどい。熱はなく、単なる疲れだとは思うが、体がだるくて、起き上がる気力が出ない。昨晩は宴会の嬌声、今朝はどこでけたたましい音楽を流している。せっかくこんな田舎に来たのだから、鳥のさえずりを聞き、静かな環境でゆっくりしたいのに残念だ。

 

食欲もなかった。ただ水分が欲しかった。コップがあったので、それをもって婆さんのところへ行き、『湯を入れてくれ』というジェスチャーをすると、分ったと言って、コップをもって奥へ引っ込んだ。そしてコップを戻してくれたのだが、なんと中には茶葉も入っていた。これは有り難いと飲んでみたが、濃い緑茶で、腹にはさらに良くない。湯はない、水は飲みにくい、これは困った。

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仕方なく、外へ出て、また例の店へ行く。すると図ったようにヨゼフがいて、『おはよう』と挨拶する。私は熱い紅茶を注文する。リプトンティバッグだが、これは緑茶と比べればかなり胃腸にやさしい。ヨゼフはトーストを食べている。他にも数人が集まってきた。やはりここしかないのだ。私は今日完全休養のつもりでいたが、明日戻るための算段が必要だった。できれば飛行機で帰りたい。もうバスには乗りたくない。疲れている。ヨゼフが『ここの下にツーリストインフォメーションがあるよ』と教えてくれたので、そこへ行ってみた。

 

既に先客の女子3人組がいた。彼女らはトレッキングツアーの相談をしていた。担当女性は英語が普通に話せた。『ビエンチャン行のフライトはあるか』と聞くと、『今日はあるけど、この天気では来るかどうか?明日はないわね』と素っ気ない。確かに天気は曇り、というより霧がかかっていた。私はどうしても5日にはバンコックに戻りたかった。フライトが飛ばない可能性が高いのであれば、他の方法を探すしかない。『バスしかない』とこれもきっぱり。ビエンチャン行夜行バスは午後2時にここを出て、24時間かかるという。乗り気にはとてもなれなかったが、他に方法がない。明日の出発を決意した。

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