ラオスポンサリー茶旅2016(8)即席茶園ツアー

即席茶園ツアー

今日は体調が悪いので休養日にあて、明日の長距離バスの旅に備えようと思ったが、ツーリストオフィスに貼ってある茶畑の写真が気になってしまう。これは習性だろうか。何となく聞いてみると、茶畑に行くツアーはないが、ソンテウをチャーターすればそこには行けるという。体調が悪いはずなのに、ムクムクと行く気になってくる自分が怖い。だが料金は30万k。これはさすがに一人で借り切るには高過ぎた。『他の人とシェアすれば安くなる』と言われ、誰か来ないかなと思ってしまう。そして突然『そうだ、ヨセフに声を掛けてみよう』と思い付き、例のレストランへ戻る。そこでは皆が集結していた。ヨゼフに今日の予定を聞くと、『明日からのトレッキングのアレンジ』との答え。茶畑に行こうと思うんだけど、というと、『ぜひ一緒に行こう!』と言ってくれる。

 

しかもそこにいたドイツ人、オランダ人、イギリス人カップルも行きたいという。これで6人になった。10:30にツーリストインフォメーションに集合する、即席茶畑ツアーが完成した。料金は当初の30万から42万に上がったが、それでも一人頭7万kと、ぐっと安くなった。これは面白くなってきた。体調が悪いことも完全に忘れてしまっていた。10:30に行ってみると、ソンテウは来ていない。まあ、ラオスの田舎だから仕方がない。メンバーは徐々に集まってきたが、ヨセフが『アメリカ人の若者も行きたいらしい』という。席はあるのだろうか。ソンテウが来ると、何とか座れる。これで一人頭の料金は6万kまで下がった。なんと素晴らしいツアーだ。このツアーにはガイドもなく、単にツーリストインフォメーションの女性が言ったとおり、歩いてみるだけなのだが、それでもちょっとワクワクする。

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ソンテウはボコボコの山道を30分近くも走った。大型バスではそれほど揺れが気にならなかったその道が、ソンテウでは相当に堪える。こんな遠くに茶畑があったのだ。停まったその場所には確かに茶樹があり、運転手が『そこを登っていけ』とジェスチャーで示す。行きがかり上、私がガイド役になり、皆をまとめていく。この辺の茶樹は予想に反して整然と植えられており、それほど古いものではなかった。石の階段もついており、人工的な畑だった。丘の上にまで登ると、遠くが見渡せ、空気もよく、皆がトレッキング気分でその環境を楽しんだ。同時に『この茶樹でどんなお茶ができるだ?』などの質問が出てきたので、私が即席解説者になり、お茶について英語で話すことになった。英語で茶を語る、香港以来実に久しぶりではないか。単語などかなり忘れてしまったし、聞いている方も茶の知識は基本的にないので、どこまで通じたかは分らないが、私にとっては新鮮な時間だった。

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更に歩いていくと、茶工場らしきものが見えた。行ってみると誰もいない。この時期、茶は作っていないようだ。張り紙には中国語が書かれており、ここは中国人が投資した茶工場であり、荒茶を作る場所であることが推測で来た。4月から製茶作業があるらしい。大鍋もあり、釜炒りが行わる模様だ。雲南省のプーアール茶は有名であるが、その原料は不足しているので、それを求めて、ここまで来ているのかもしれない。近くには茶樹と思われる大木もあったが、それは先日ベトナムで見た茶に近いタリエンシスであろうか。

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よくわからないまま、やはり体調が悪いと言っていたアメリカ人の若者が先を行く。ドイツ人のおじさんも着いていく。ふと細い道を下っていくと民家があり、おばさんが手招きしていた。袋から何か取り出している。どうやら茶葉のようだ。興味を惹かれてそこへ行ってみる。言葉は通じないがおばさんが茶葉を売ろうしていることが分かったので、記念に買うことにした。代金は分らないので、1000k札を出してみると結局6枚要求された。まあそんなものだろうと支払い、小袋に茶葉を詰め込む。でも、何となくここで飲んでみたくなり、おばさんに言うと、家に入れという。

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他のメンバーも興味津々で付いてきた。家の中は質素だが、冷蔵庫もテレビもある。既に電気は通っており、奥には囲炉裏もあったが、電気ポットで湯を沸かしていた。このほうが早くて楽だ。コップはかなり汚かった。白人たちも床に座り込み、おばさんが茶を淹れているのをじっと見ている。果たして彼らはこの環境で手を出すのだろうか。ヨゼフが飲み始めた。するとほかのメンバーもトライする。

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更におばさんが自家製の漬物を出してきた。私は腹の調子から遠慮したが、彼らは臆せず口にしている。ポンサリーの街では例のレストランしか行けない彼らが、ここでは大変身!さすがに皆、来た目的がトレッキングだけのことはある、と妙に感心した。そして家を出る際、誰ともなく声を掛け、一人2000kを集めておばさんに渡した。ささやかなお茶代だったが、おばさんからしたらうれしい臨時収入だろう。この辺、欧米人は慣れている。日本人ではなかなかこうはいかないだろう。支払うなら、もっとたくさん集めてしまうはずだ。

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丘を降りるとそこには道があり、ソンテウが待っていた。そしてシガーティーと呼ばれる竹筒茶のようなものが売られていた。一応興味を示して聞いてみると5万kだという。これはいくら何でも高いと思い、通り過ぎた。ソンテウに乗ろうかと思ったが、その向こうの道を行くと展示館があるという。地元民が鍵をもって先導したので、付いていく。その道端でも女性がシガーティーを売っていたので聞いてみるとはじめ3万kだったものが、1.6万kでよいというので購入した。緑茶として飲むらしいが、後発酵茶の香りがする。

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パビリオンと書かれたその建物中には英語でこの付近の茶の歴史が記されていた。この村はコーマンというらしい。プノーイ族という少数民族の住んでいる場所で、1888年にイギリス人がここまでやってきたらしい。元々はケシ栽培で生計を立てていたが、1990年ごろ、ケシ撲滅運動で茶を植え始めたとある。如何にもタイ北部、ミャンマー北部と同じような場所だった。

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