ラオスポンサリー茶旅2016(6)3日目にしてポンサリー到着

確かに長い旅だった。このバスには数人の白人の他、外国人は私だけだと思っていたが、一人だけ中国人が乗っていた。彼はアメリカ人の若者とつるんでいた。話し掛けると、『今日のバスは出発も遅かったし、休憩も長い。ポンサリーに着くのは夜だな』と嫌なことを言う。暗くなる前に着きたい、という希望は叶えられるのか。

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彼はポンサリー近くに中国が投資して造っている水力発電所建設のために働きに来ているという。もう2年も住んでいる。『ここに発電所が出来れば、電気の通っていない山間部の多くの村に灯りが灯る。これは素晴らしいことだ。我々はラオスに大いに貢献している』と胸を張って話す。確かに電気が通れば多くの人々の生活が変わるだろう。だがそれは果たして本当に良いことなのだろうか。地元の人はどう思っているのだろう。

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彼とは言葉も通じるし、ポンサリーに着いたら、彼を頼ろうと思っていたが、なかなか上手くいくものではない。16:30に到着した最後の休憩所、ボーヌアで、何と彼に迎えの車が来て、あっという間に去ってしまったのだ。水力発電所建設地はこの近くにあるらしい。彼の生活も大変なんだな、と思ってしまう。そしてポンサリーまで、まだ50㎞もある。なんだかかなり寂しい気分になってきた。それでもバスに乗るしかない。旅は続く。

 

あたりが少し暗くなり、またウトウトしてしまった。確かにこれは夜になるな、と諦め、気を緩めていた。するとガソリンスタンドが見てきて、バスはそこへ入った。これはもう長期戦を覚悟しなければと思い、トイレに行こうかと思うと、降りるな、という。なぜ?と思っていると、数百メートル行って、バスターミナルに入った。また休憩所かと外を見ると、皆が降り始めるではないか。17:30、何と突然定刻にポンサリー着いたのだ。

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驚きながら、有り難いと勇んで降りる。荷物が降りてくるのを待つ間、ソンテウのおじさんが声を掛けてくる。例のドイツ人、ユセフが『これに乗って街へ行くんだ』という。一人1万k、彼は2年前にもここへ来ており、すでに慣れていた。迎えが来ていない者はこれに乗る以外、他に車はない。白人全員と私、そして地元民が2人乗り込んで、ソンテウは出発した。如何にもバックパッカーの旅、という感じだった。3㎞ぐらいで街に入る。ソンテウが停まると、皆が降りて行った。ただ私は行くところが決まっていたので、運転手にその場所を告げると、もう少し先だというので、残念ながらここで別れた。

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 6.ポンサリー
センサリーGH

私の目的地はセンサリーだった。これはミッションをくれたSさんが送ってきた名刺に書かれていた地名だった。ソンテウが停まる。そこにはセンサリーゲストハウスという看板があった。これだ、やっと着いたという感慨が沸きあがる。思えばミャンマーのラショーを出て3日目、本当に長かった!中に入ると皆が食事をしていた。ラオ人のお婆さんが出てきて、『部屋は7万kだよ』と片言英語で言ってどこかへ行ってしまった。

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まあとにかくまずはここに泊まるしかないと思い、部屋に荷物を置く。部屋はかなり小さいが、一応トイレとシャワーがついていた。そして充電するためのコンセントもあった。バスの旅から考えれば、これで十分満足できる。あとは熱いお湯が出れば!と思い、捻ってみるとちゃんと湯も出た。完璧だ!すぐにシャワーを浴びた。昨晩お湯がなかったため入れなかった、そして何よりもバス旅の疲れがとれた。

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気分が爽快になると急に元気になる。やはりミッションが気になってくる。Sさんからは写真が送られてきており、『このばーさんに聞いてくれ』とメッセージが書かれていた。ばーさんとは『馬さん』という中国名だろうか、などと考えていたが、何と『婆さん』の意味だとか。正直Sさんの指示を見ても、私には要領を得ない。でも面白いから、それに乗ってやってみる。普通の日本人なら絶対にやらないだろう。

 

ここではWi-Fiも問題なく使える。日本や中国では辺鄙な場所にはフリーWi-Fiなどないことが多いので、何とも有り難いことだ。PCに写真を取り込み、皆が食事している場所へ行き、中国語で話しかけると、おじさんが中国語で反応した。しめたと思い、写真を見せると『このばーさんなら、もう少し上にいるよ』というではないか。あれ、ここはセンサリーではなかったのか。よくわからないが、取り敢えず暗い中、言われた通りに行ってみることにした。

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