ミャンマー紀行2004(24)ヤンゴンで涙する

11.ヤンゴン3

(1)CD

実はヤンゴンでは人が待っており、一緒に夕食を食べることになっている。私は時間が相当遅れていることを気にしていたが、お土産にCDを買いたいとTTMに告げていた。TTMは良く覚えており、先にCD屋に行こうという。時間を気にすると『ミャンマーでは遅れてしまった場合は10分でも30分で同じです。問題ありません』と言われる。妙に説得力があり、従う。

 

事務所の近くにヤンキンセンターというショッピングセンターがある。昨年は水を買いに来たところだ。地下にシティマートがある。外国のものが沢山置いてあり、日本の食品も買うことができる。その横にCD屋がある。SSに頼んでミャンマーで流行っている音楽のCDを紹介して貰う。

 

SS自身は恐らく外国の音楽を聴くので、実はミャンマーの音楽は好きでないかもしれないが、一生懸命選んでくれて、おまけに『これはお土産です』と言って買ってくれた。本当はそんな負担をかけるべきではないのだが、有難く受け取る。奥さんに良いお土産が出来た。

 

(2)夕食

急いで事務所に戻る。TTMのお父さんが留守番してくれていた。そしてお客さんが2人。一人はメイミョー在住のKさんの奥さんで、ミャンマー人のMさん。もう一人は現在メイミョーに住むスウエーデン人、ノレン氏。何故かメイミョーではなく、ヤンゴンで会うことになった。

 

旅行中にTTMから話は聞いていたが、何となく不思議な気分。何しろ日本語ペラペラのミャンマー人と英語を話すスウエーデン人とヤンゴンで一緒に食事をすることになったのだから。しかもこの2人は何と大阪で知り合ったのだと言う。ノレン氏はスエーデンの世界的企業、エリクソンの元技術者。サウジアラビア、台湾、スペインなどに駐在し、大阪と横浜にも住んだことがあった。

ミャンマー 215m

 

ノレン氏は現在メイミョーの我々が訪ねた中国系寺院の直ぐ近くに住み、三食をあの食堂で食べている。ミャンマーで今後も暮らすかどうかは未だ決めていないが、今のところ生活できている(サバイブ)と言う。メイミョーの環境は抜群だ。これまで住んだ海外にも引けを取らない、ともいう。

 

彼は色々なアイデアを持っているようでミャンマーの為になるような提案をどんどんしていきたい、今はインターネットも通じず、衛星放送も見られないが、今後政府に提案して便利にしていきたいという。ここにも一人夢を持って異国で生きる人がいる。簡単なことではないが、生きたい場所で生き、死にたい場所で死ぬ、何と人間らしい生き方ではないか?

 

Mさんもヤンゴン出身ながらご主人(日本人)Kさんの仕事(設計師)の関係でメイミョー在住。明るい性格で楽しく暮らしているように見える。日本語研修に行き大阪在住11年。今のご主人と知り合い結婚。次回は是非訪ねてみたい。きっと面白いことがあるに違いない。

ミャンマー 214m

 

因みに食事の場所はあのSSのセブンアップ。最後の晩餐に相応しい有意義な話で盛り上がる。次回またこの人々に会えるのだろうか?SSはエビやカニを頬張る。ヤンゴンに戻ってホッとした様子が、可愛らしい。かなり雨が降っていたが、店を出るときにはきれいに上がっていた。

 

8月13日(金)

(3)最後に  

翌朝7時起床。相変わらず良く眠れる。疲れているだろうにTTMがキチンと迎えに来てくれている。事務所に向かう。旅行の精算をする。お金の精算だけでなく、思い出の精算(整理)を始める。SSが何か持ってくる。紫の餅?何とそれは昨日シャン州でTTMが買って持って帰ったもち米を使ってSSが作ったおかきであった。途轍もなく美味かった。涙が出てくる。この心遣いには表現を失う。こんな気分になったのは久しぶりである。TTMやSSのこの気持ち、大切にしたい。

ミャンマー 216m

 

空港に向かう途中、TTMが『その人のことを知りたければ一緒に旅行するのが良いといいます。今回一緒に旅行してあなたのことが良く分かりました。』と言う。彼女は私の何が分かったのか、言ってはくれなかった。一体何だろう?薄っぺらな、宗教も信念も無い行動だろうか?

 

私もTTM、SSと旅行して分かったことが一杯あった。だが、それは口に出して言えるものではない。また多くのミャンマーの人々の心、気持ちが少しは分かったような気がする。そしてそれが私にとっては色々なことを考えさせ、色々な体験をさせてくれた。ミャンマー、それは私にとって既に掛替えの無い国になっている。次回は何時行こうか。

 

(完)

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