トルコの茶畑を訪ねて2012(11)イスタンブール ボスポラスクルーズでオスマン帝国を思う

7. イスタンブール2  チャイナタウンの無い街

イスタンブールの空港は2回目で慣れたので、電車に乗って市内へ出る。初めは地下を走るが直ぐに地上に出る。今日もいい天気だ、イスタンブールは。途中で路面電車に乗り換え。ここも意外とスムーズ。

陽が西に傾く中、昔の城壁跡が見える。かなりの規模だ。電車を降りて見に行きたい衝動に駆られたが、荷物もあり、断念。そして懐かしいスルタンアフメットに戻ってきた。今回はこの前泊まったホテルの2倍の宿泊代を払い、部屋を取った。だが、それでも部屋は広いとは言えず、イスタンブールの物価の高さを実感した。

部屋に居ても仕方がないので、外へ出た。どうしても気になることがあった。この国際都市、イスタンブールで中国料理屋を1つも見たことが無かった。チャイナタウンはない、と初日に言われたが、まさかレストランが1つもないことはあるまい、きっとどこかにあり、少なくとも中国人観光客は食べているはずだ、と思った。

そして観光地区をくまなく歩いたが、発見したのは、たった1軒だけだった。トルコ人店員に聞けば、オーナーは中国人だというが、不在で会えなかった。中国人の存在が薄い街、それもありかもしれない。豚肉の調達も難しく、中国人向きではない。

因みに翌日街の旅行会社で「中国語で来ます」という張り紙を見て飛び込んでみた。香港等に滞在したというトルコ人が普通話を話していたが、二言目には「絨毯、買ったか?」と聞いてきたのを見ても、中国人は単なるいいお客さんなのだな、と感じた。

10月1日(月)  ボスポラズクルーズ

朝、散歩に出た。昨日はかなり疲れが溜まっており、今日は一日休日にしようと思っていたが、起きてみると体調が良いので出掛けた。トプカプ宮殿の横の道を海の方へ下り、海沿いを歩いて見る。何となくスルタンアフメット2世のコンスタンチノープル攻略の地を歩いて見たかった。この付近は最後まで破ることが出来なかった場所。相当高い城壁と迫る海、天然の要塞だ。ここを今は電車が通っている。

20分ほど歩くと、フェリーターミナルへ出た。本当に偶然にボスポラズクルーズに乗らないかと声を掛けられた。ふらふらと乗り込む。そして気が付く。このクルーズは片道1時間以上かけて、アナドルカヴァウまで行き、そこで3時間休息し、戻ってくることを。しかし既に船は出てしまった。

ガラタ橋を横に見る。いい天気だ、本当に。風も爽やか、気持ちが良い。大きな客船が停泊している。流石国際港、イスタンブール。スルタンの居城、ドルマバフチェ宮殿。立派だ。アタチュルクはここで亡くなったようだ。オルタキョイ・ジャミイ、白いモスクは海に映えている。第一ボスポラス大橋も潜った。大きい。

そしてとうとうルメリ・ヒサリを見た。ヨーロッパ側の城、対岸にはアジアの城もある。 アナドル・ヒサリ。1452年3月マホメッド2世自らが指揮して建造。3班に分けお互いを競わせ、4か月で完成させた。全長250m、高さ15mの城壁、70mの塔が3つ。大砲で両岸から威嚇した。この城塞がコンスタンチノープルの運命を決定した。私は何故かこの風景だけが見たくて、この船に乗ったのだ。血が騒いだのは何故だろうか。

12時過ぎにアナドルカヴァウに到着した。折り返しの船は午後3時発。皆真っ直ぐに歩き始める。私は後をついて行く。ひたすら坂を上り、そしてレストラン街を抜けると頂上に到達する。そして遠くは黒海まで見える丘の上の立ち、遥かなる時を思う。僅かな城壁を残すのみだが、それはそれで風情がある。

船の乗客は思い思いのレストランに入り、ランチを取る。眺めの良い上のレストランで一人で食べるのは何故か憚られ、下に降りて、魚やイカを食べる。勿論ここは海鮮が売り物だが、観光客向けの食事というのはどこもそれほど美味しくはない。残りの時間を付近の散策にあて、時間を潰す。帰りは来た道を帰るだけで面白味はあまりない。

イシドロスの城壁

船を降りると午後4時を過ぎていたが、心は昨日路面電車から見た城壁の風景に飛んでいた。とにかく路面電車に乗り込み、あの城跡風景を追う。いくつ駅が過ぎただろうか。城が見えてきた。トプカピという駅で降りる。思ったより更に大きい。そして南北にずーっと続いている城壁。

イシドロスの城壁と呼ばれるこの地区は、コンスタンチノープル攻防戦の際、枢機卿イシドロスが守備した場所という。イシドロスと言えば、スルタンの侵略に対して、カトリックとギリシャ正教の東西教会統一を模索した人物。どのような思いで戦いの臨んだのだろうか。そして捕虜となり、命永らえたと伝えられるが、どのような思いだったのだろうか。

この戦いではモハメッド2世はまるで織田信長のように見える。ハンガリー人ウルバンの大砲を採用し、城壁を破壊する様子は日本でいえば信長の鉄砲。現在私の前に広がる崩れた城壁も大砲で破壊されたのだろうか。

隙間から城壁に上る。周囲が良く見える。夕陽が眩しい。ゴミ拾いのオジサンたちの基地があり、裕福とは思えない子供達の格好の遊び場となっている。ここには時代を超えた空間が存在している。500年以上前の戦闘後、何も変わっていないのかもしれない。例え周囲がきれいな公園になろうとも。

夕方の涼しい風が吹き抜けて行った。帰りの路面電車からモスクが見えた。ブルー・モスクに寄ろうかと思ったが、既にその気力は無かった。




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