ベトナム南部茶旅2023その2(3)引き続き1区を散策する

7月3日(月)1区を散策する

今回の宿は、古めかしいが部屋も広くて快適である。朝食も付いているので食べに行くと、ほとんど人がいないので、また快適である。何となく一通り食べて、ベトナム珈琲飲んで、和む。ここは以前日本人も多く泊まっていたようで、日本人への接客に慣れている印象がある。

外へ出た。天気も良く実に快適。宿から直ぐ近くのロータリーに、あのベトナムの英雄、チャンフンダオの立派な像が立っている。この人が元寇でモンゴル軍を払いのけ、結果日本が助かった(元寇の再来はなかった)と聞いたが、そうだとすれば日本にとっても英雄だろう。しかし写真を撮るとその背景にハノイの高層ビルが移りこむのは何となく笑える。

懐かしのマジェスティックホテル(ルーフトップバーでミスサイゴンを飲んだのはいつのことだろう)を通り過ぎ、ホーチミン税関の建物にやっていた。昨晩Iさんから教えてもらった建物。ここに150年前、大物華人の邸宅があった場所だった。今もベランダの模様に、その名残があるようだ。そこから海と反対に歩いて行くと、何とちょっとした華人街があって驚く。旨そうな店がいくつかあった。

その先の角に茶荘があった。恐る恐る入って行くと老板と目があった。華語で話し掛けるとすぐ返事がある。私が日本人だと告げると驚いていたが、店の歴史を聞きたいというと『まあ、座れ』と茶を淹れ始めた。ここは解放直前に開店したそうで、広東系だという。開店してすぐは順調だったが、サイゴンが陥落して・・?

オーナーは非常に気さくな人で、話はどんどん展開していく。そこへお客が入ってくる。主人とのやり取りは最初は英語だったが、やはり華語で会話する。シンガポールから来た若いカップルはベトナムコーヒーを買いに来たのだが、そのパッケージを見て、ベトナム茶も合わせて購入していく。今はこんな商売だよ、笑っているが、本業は茶の卸しらしい。

しばらく話してから、そこの路地を入る。道の両側に屋台の店が出ており、野菜などが売られていた。その陰に隠れるように、『西貢廣肇中華理事会館』の文字が見えた。門は閉まっているが、察するに普段は華語教室などに使われ、会合がある時だけ広東会館になるのだろう。やはりこの付近は潮州系ではなく、広東系が多い場所だと分かる。民国32年改修などの字が見えたが、戦時中壊れたのだろうか。

そこからふらふら歩いて、ベトナム戦争証跡博物館へ向かった。その昔も来た記憶はあるが、随分ときれいになっている。そして外国人観光客がすごく多い。ベトナム戦争に関する詳細な説明があり、日本での反米運動なども写真付きでいくつも紹介されていて驚く。ダラットなどでの活動も見ることが出来、如何に広範囲で戦いが行われていたのかも見られた。あの頃、日本は揺れていたな。

続いて、統一会堂に向かう。戦前は大統領府。サイゴン陥落時の重要拠点として知られている。今は広々とした庭、立派な建物がきれいに残されているが、中の展示はそれほど充実している訳でもない。裏にカフェなどがあったが、観光客用で興味が失せ、何もせずに去る。そこからとぼとぼ歩いて宿へ戻る。

夕方また外へ出て夕飯を探す。午前中に行った広東人街?の食堂に入り、鶏肉飯にスープを食す。これは予想以上に旨い。広東風だ。こんなところに広東が残っているとは。ホーチミンはなかなか複雑だと思われる。主人はちゃんと華語を話す。ちょっと疲れてしまい、明日に備えて早く寝る。

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