ベトナム南部茶旅2023その2(4)ショロンを巡る

7月4日(火)散歩してから空港へ

今朝も宿で腹一杯食べてから出掛けた。ホーチミン1区をふらふら歩くにはちょうど良い。次々に何かしら興味があるものが登場してくる。結局目的地の歴史博物館まで歩く。隣は動物園だろうか。仏像などが多く飾られ、また漢族の展示や説明が目を引く。恐らくハノイにはないだろう。

そこを出て学校の前を通ると、バイクが沢山止められており、大人たちが大勢屯している。今日はきっと何か学校行事もあり、そのお迎えだろうか。今やアジアでは学校の送り迎えは家族が行うようになっている。日本は安全な国ということだろうか。金魚売りのバイクに何となく目が止まる。

宿へ帰って時間まで休み、Grabを呼んで空港へ向かった。今日はこれからマレーシアのクアラルンプールへ行く。なぜそうしたのかは分からないが、まあホーチミン滞在が14日というのは長すぎると感じたからだろう。空港はそれほど乗客もおらず、チェックインから出国までスムーズでよかった。KLも4年ぶりだな。

7月7日(金)ショロンへ

夕方KLからホーチミンへ戻った。今晩の宿はチャイナタウンのショロンを予約していた。ようやく本腰を入れて、ホーチミンの華人調査を始めるのが目的だ。空港でGrab車を呼んだが、一向にやって来ない。Grab画面の車が動かないのだ。私は右往左往してみたが、何ともならずキャンセルした。

しかしショロンまでどうやって行くのか。仕方なく再度Grabに手を伸ばす。捕まえた車の運転手から『駐車場にいるから来い』とのメッセージが来た。何と無礼な、と一瞬思ったが、あの空港出口の混雑を考えれば、駐車場へこちらが行くのが効率的かと思い直し、荷物を引きずって行く。何とか車が見付かったので良かったが、雨など降れば大変だ。

車は順調に走り、夜道を軽快に行く。バイクのライトが眩しい。ショロンに入ると、予約した宿はすぐに見つかったが、受付の華人にーちゃんにパスポートを渡すと『チェックアウトまで預かる』と言い張るので驚いた。確かに10年前のベトナムではそのようなこともあったが、未だにそんなことをしているのか。それだけでもう明日は他を探す決意をする。

部屋はそれほど広くなく、なんとアカ蟻が出てきたので困った。取り敢えず外へ出てさっき見たコンビニを探して歩き出す。暗い夜道の中、結構大きなファミマがあり、ドリンクを買うと、レジ袋をくれる。何となく懐かしい光景だった。

7月8日(土)ショロンを巡る

朝起きてすぐに歩き始めたのは、宿の部屋に居るのが嫌だったからだ。まず目指したのは先日訪ねた際は閉まっていた老舗茶荘。行ってみると、何とか扉は開いており、声を掛けると中年の女性が出てきた。華語を話したので話を少し聞いてみた。奥には彼女のお母さんと思われる女性もいて、何か言いたそうだったが、結局一言も発しなかった。

『福利茶荘』は福の字が付いたので福建系かと思っていたが、どうやら潮州系らしい。少なくとも解放後の1980年代初めには、この地で茶荘を開いていた。それ以前のことはよく分からないというが、潮州系ということもあり、ほぼ間違いなく、解放前は別の場所で、もっと手広く商売をしていたと考えられる。多分私が2008年にホーチミンを訪ねた際も立ち寄っており、その頃はまだ活気があった。今はコーヒーの片手間に茶を売る状況に見えた。

それからチャーダム教会へ行く。教会前の道は両側生地屋だ。この教会、何故か漢字が書かれている。『方済各天主堂』、方済各と言えば、あのフランシスコザビエルのことだから、元はザビエル教会だったのだろうか。なぜチャイナタウンに教会があるのか、ザビエルとの関係は、と思いを馳せるが、残念ながら英語は中国の説明は一切ない。ただ美しい教会が立っているだけだった。

そこから二府会館や天后廟などを回ってみる。さすがチャイナタウンなので、いくらでも漢字が出て来るし、興味深い建物も見えてくる。ただその歴史を知りたくても、それほど説明もないので、ここからは自力で探さなくてはならないだろうか。朝市で買い物している人たちも華人顔が多い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です