ベトナム南部茶旅2023その2(5)突然帰国となる

腹が減ったので適当に食堂に入った。メニューはベトナム語以外に英語と中国語があったので、何とも有難い。豚腎筋麺というのを頼んでみる。コリコリした触感の肉の塊にクリアーなスープ。驚くほど美味しいと感じてしまった。豚腎筋はあまり見たことがないが、普通の中華食材なのだろうか。5.5万ドン、また明日も来たい。

昼前にチェックアウトして、新しく予約した宿へ移る。歩いて15分ぐらいなのだが、雨が降った後で歩きにくい。何とか辿り着くとすぐにチェックインできた。きれいな部屋でよかった。目の前を見ると洗濯屋があり、1㎏2万ドンで洗濯してくれるというので、明日出すことに決める。

昼めしは近所の海南鶏飯館へ向かった。漢字が書かれているので華語が通じると思って行ったが、甘かった。海南チキンライスの味はまあまあだったが、なぜかキムチが出てきた。まさか韓国系の経営だろうか。更に歩くと、粥屋があり、そこの主人は華語が出来たので、思わずピータン痩肉粥を食べてしまった。こちらは美味かった。

突然の帰国となる

フラフラ宿に戻る。ここに何泊かして、ショロンをゆっくりと見て回るつもりだった。そこへ突然親族からメールが届く。身内に不幸があったのだ。外は急に雨が降り出し、外出もできない。葬儀日程が送られてきたので、それに合わせて帰国することにした。フライトを見ると片道料金はベトナム航空が安い。

日系をキャンセルして、0:10発の便を抑えた。その確認書を見ていて驚いた。私は7月10日に東京に着くつもりだったが、なんと予約したのは今夜発の便。零時10分という紛らわしい表記で混乱してしまった。折角きれいな宿にチェックインしたのに、今晩ここに寝ることもなく、チェックアウトとなってしまった。まあこれも天命か。

取り敢えず、ショロンを見て回ろうと雨上がりの街に出た。華人の街なら寺も多いだろうと歩いてみると、結構新しい寺がある。これは解放後、どこからか入ってきたものらしく、ビルの中にあったり、妙にきれいだったりする。まあ、今回はここまでとして帰国準備に取り掛かる。

夜、腹ごしらえはしておこうと、もう一度外へ出た。ごく普通のコムタムを食べたかったが、意外とその店がない。何とか見つけた店は安いらしく、宅配が沢山来ていた。ここのコムタムは残念ながらちょっと物足りなかったが、確かに安い。暗い夜道をとぼとぼと帰っていく姿は妙に寂しい。

9時頃涙でチェックアウト。Grabを呼んで難なく空港へ到着。空港は意外と混んでいたが、まあ時間の余裕もあり、出国してフライトを待つ。隣に1時間前に出る日系の飛行機が見える。本来はあれに乗って帰るはずだった。ただ考えてみればちょうど比較ができるとも言える。

深夜12時の少し前、搭乗が始まる。やはりベトナム人が多い。結構家族連れなどもいるので、日本に観光に行くベトナム人が増えているのだと感じられる。乗り込むとすぐに灯りは消えて、皆寝入る。そして着陸1時間半前ぐらいに少し明るくなり、必要な人に朝食が配られる。私はパスしてお茶だけもらう。隣の白人女性は着陸30分前まで横になって熟睡していたが、当然起こすなどという野暮はなし。この辺が日系と明らかに違う。

7月9日(日)帰国して

ほぼ定刻に成田空港に着いた。成田空港に来たのは5年ぶりだろうか。最近はとにかく羽田の方が便利で安いので、成田には縁がなかった。あまり人の気配がなく、実にスムーズに入国した。これなら外国人でもそれほど並ばなくて済むだろう。勿論店が開いている時間でもなく、すぐに電車に向かう。

Suicaを取り出し、京成特急に乗ろうとしたのだが、何と入り口を間違えてJRへ行ってしまった。係員に事情を話して取り消してもらったが、『結構多いんですよね』というので、思わず『もっと表示を工夫したら』などと言ってしまいそうになる。やけに電車が空いているなと思ったら、今日は日曜日だった。でもそういうことだろうか?

何となく、ボーっとしていたが、ちょっとホーチミンが心残りだ。もう一度行くと言ったお茶屋にも行けていない。早めにリベンジしよう。それにしても腹が減ったが、京成から都営に乗り換える駅の日高屋すら、まだ開いていない。

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