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上海・浙江美食旅2025(1)39年ぶりの寧波で

《上海・浙江美食旅2025》  2025年5月14-22日

前編は「上海・江蘇美食の旅2025」。後半は浙江省に入り、寧波、上虞、杭州、上海を旅していく。ちょっと刺激があり、またちょっと疲れてゆっくりした旅となる。食事は麺が中心となり、胃袋の疲労感は半端ない。またいいホテルに宿泊して何とか凌いでいく。

5月14日(水)寧波で

寧波駅は実に39年ぶり。勿論全てが変わっており、キョロキョロするしかない。まずは地下鉄があるというのでその乗り場を探すが、表示が上手く読み取れず、まごつく。何とか地下に行くと切符売場に路線が5つぐらい書かれていたから、結構発展していることが分かる。ただ見覚えのある地名などは出て来ない。

取り敢えず2駅行く。そこから歩いて10分ほど、川にほど近い所の宿を予約していた。ホテル名からして昔からあると思っていたが、39年前にこの宿はあったのだろうか。かなりの高層ホテルだ。今日はちょっと広めの部屋を予約していたが、行ってみるとかなり広かった。よく表示を見ると25㎡ではなく、55㎡となっており驚く。ただ広いのだが無駄なスペースが多い。そして最近改修したのか、トイレが全自動であったり、湯沸かしが上手く使えなかったりと、なかなか厄介だった。

夕方寧波の街に飛び出した。まずは近所の天一広場を歩き、その近くにあるペルシャ関連の史跡を探した。だがなかなか見つからず、何とか石碑を探し当てるも、ほぼ文字が読めなくなっていて、歴史が埋もれていることを感じる。広場からちょっと見えた古めの教会へ行ってみたら、かなり荘厳で素晴らしい。だがここまで歩いてみても、私の中にあるはずの記憶は全く作動しなかった。

とにかく寧波に来たら、焼きそばを食べてみようと思っていた。それは東京で戦前、神田神保町付近に中国人が多く、中国料理店も多かったらしいが、その多くは寧波出身の料理人、経営者だったと「あんかけ焼きそばの謎」という本で読んだからだ。今も神保町に残る老舗数店は寧波人経営らしいし、そのあんかけ焼きそばも神保町で食べられていたようだが、私は中国で揚げ麺にあんかけが乗った焼きそばを食べた記憶はなかった。

ネット検索で海鮮麺などの店が集中している地区まで歩いてみた。古びた店舗で美味そうに鉄板で炒飯を作っている店があり、そこの焼きそばは美味いだろうな、想像したが、何となく海鮮麺の店に入ってしまった。メニューを見ると炒麺類に、鶏蛋肥腸があったのでそれを頼もうとしたが、何と麺の代わりに年糕でも作れると聞き、喜ぶ。昔上海留学中に餅が食べられると喜んだことが蘇る。勿論それは日本の餅とは少し違うが、それでもないよりはかなりマシである。出来上がった焼き年糕は、実に美味そうに見え、実際にその味付けが美味かった。日本人好みの麺類?ということだ。

食後もまだ明るいので散策。近所に国医堂という建物があり、薬関連の名前の道もあり、ここが中医薬などでも栄えたと分かる。川沿いに出ると、古い建物が並んでいる。その先には米系大型ホテルがひときわ高く聳えていた。川の流れがきれいで空も青く、写真写りがすごく良い。部屋に帰って暗くなると、夜景がきれいでこれもよい。ただ部屋が広過ぎて落ち着いて眠れない。

上海・江蘇美食旅2025(9)鎮江 西津渡を歩く

取り敢えず外へ出てみた。曇りでそれほど暑く感じられないので歩き始めた。すぐに古い列車の車両が見えてきた。なんだろう、この一帯はかなり整備された観光地のように見える。西津渡という古代からある鎮江の港が今、きれいに改修され、観光地化されていた。何となくフラフラっと入っていくと、なかなか面白いので進んでしまう。観光客も意外といて、食べ物屋なども開いている。

元代の石塔があるかと思えば、近代の教会もある。そしてずっと奥まで行くと、何と英国総領事館跡が開放されていた。10元払って中に入ると、思いの外多くの建物がきれいに残っていて驚く。これらの建物は少なくとも1876年には既にあったらしい。鎮江の地理的重要性が分かる。

実はこの建物群は全て鎮江博物館になっていて、一番端には現代的なモダンな建物も建っており、そこに展示がある。こんな大掛かりな博物館は恐らく見たことはない。外へ出て更に回り込むと、博物館の全容が見えたが、私の関心はその道の反対側になった広肇会館だった。中国国内でも同郷会館を見たことはあるが、ここに広東商人が来ていたことは、食文化的には重要なような気がするが、会館内に基本的に孫文中心なのは仕方がない。

何だか急に腹が減った。道で何度も見た鍋蓋麺を食べてみることにした。麺に何を入れるか、1つか2つかで値段が分かれるという。折角なので長魚と肥腸を選んでみる。出てきた碗にはかなり黒いスープに細い魚と腸、そしてコシのあるちじれ麺が入っていた。これが思いの外うまい。地元の酢が独特なのだろうか。38元、いい感じだ。

更に所謂老街が続いていたが、途中で川の方に行ってみる。38年前、上海から鉄道で鎮江に着いた後、昼ご飯を食べられずにそのままバスで長江を渡って揚州に入ったことは忘れられない。その渡し船はどうなったのかを見たいと思ったのだ。川沿いはキレイになっており、私が覚えている風景は見当たらない。川に船が浮いている感じもない。

遊覧船が出ており、そこにいたおじさんに聞いてみると、「よくそんなことを覚えているな」という感じで、「ずいぶん昔になくなったよ。今ホテルになっているところが渡しの場所だった」と懐かしそうに言う。そのホテルは結婚式などの大型宴会が出来ると書いているが、どれほど活用されているのだろう。とにかく川沿いの公園にはいい風が吹いているが、渡し船にバスまで乗って川を渡るなんて、やはり夢だったのかと思ってしまう。

宿へ帰って休む。休むというか、今日の目的は洗濯。1階のランドリーに行くとスタッフがサポートしてくれ、非常にスムーズに洗濯が進んだ。こういうサービスは私にとって実に有り難い。衣服はすっきりしたが、私の腹はすっきりせず、夕飯を食べに行くことはなく、ドリンクだけを買いに夕方外に出た。しかしやはり少し腹が減り、夜9時半に宿で提供される粥を食べた。意外と食べてしまい、また腹が重い。

5月14日(水)鎮江から寧波へ

翌朝、何となく腹が重かったのに、宿に付いている朝飯を食べてしまった。何とか体調をよくするため、また散歩に出た。最初は観光地区を歩き、庭園などを見ていたが、その内、中山路に出たので、昔の面影を求めて、広い道を歩いた。ただ特に目に付くものもなく、グルっと回っただけで宿に戻る。

車を呼んで駅に向かった。昨日は北口を見たので、今日は南口に回ってみた。こちらは更に発展していて、38年前の姿はみじんもない。駅自体は大きくなく、入り口で身分証チェックが無く、荷物検査だけで中に入ってしまった。中国も様々な改正が行われており、少しずつリーズナブルな対応になっている。

鎮江駅から列車に乗り、僅か30分で南京南駅に着く。ここで乗り換え口から出て、40分後の寧波行きに乗り換えた。駅にはランチに良さそうなファーストフード的な食事が並んでいたが、結局食べずに乗り込んだ。この列車はGの二けたで速い。停まったのは杭州東駅だけで2時間かからずに寧波に着いてしまった。

上海・江蘇美食旅2025(8)揚州から鎮江へ

5月13日(火)揚州から鎮江へ

今日もいい天気だ。部屋から外が良く見えるので、暑くなりそうだと分かる。揚州を離れる日なので、やっておくべきことを考えてみたが、まあ早茶を食べることぐらいしか思いつかない。所謂飲茶は明代の揚州が起源だと聞いたことがあったのだが、この地に来てもそういう話しは出ていない。ただ早茶、の文字はよく見かける。

揚州大学の門の前にあった早茶屋に入ってみた。何とものんびりした店内で、お客は多くない。おばさんは実に気のいい感じで好感度は高い。点心として五丁包(前回は三丁包)を頼み、主食を考えていると、麺にしろ、という。そこで目に着いたのが腰花煨麺で、思わずそれを注文した。

五丁包は三丁より何が二つ多いのかよく分からなかった。というか、皮が厚いので、食材の味がどうも口に伝わらない。一方煨麺の麺を一口食べてスープを飲んですぐに気が付いた。この麺のふにゃふにゃ度合、鶏のいい感じの出汁が出たスープ、これは香港などで食べていた麺だ。何でこんなところにあるんだろう。いや、元はこちらから香港や広州へ伝わったのでは、と頭が忙しくなる。まあご多分に漏れず麺の量は非常に多いので苦労する。

そこから車を呼んで大運河博物館に行ってみる。どうも気乗りがしなかったのだが、ちょうど時間があったので訪ねてみたのだが、これは完全な箱物行政で、郊外の広大な敷地にバカでかい博物館が建っている。車を降りてから5分以上歩かないと建物にも近づけない。そして何と入り口を見ると長蛇の列。まあゆうに40‐50分待ちだろうと思い、一気に萎える。周辺をちょっと散策して、また車を呼んで宿に戻ってしまった。

12時前にチェックアウトして車を呼ぶ。駅は先日の揚州駅ではなく、揚州東駅という反対側だった。鎮江まではすぐだったので、切符は手数料をケチってネットで買わなかった。ところが駅に切符売場が無い(正確には売り場はあるが人はいない)。慌てているとその辺のおじさんが「駅の中へ入れ」というので荷物検査を受けて入ると、何とインフォメーションで売っていた。いよいよ駅で切符を買う時代は終わり、小さな駅では効率化が始まったらしい。実際にはここで切符を買う人も稀で、その多くは変更などで立ち寄っていた。

高鉄はスムーズにやってきてスムーズに私を運んだ。日本の新幹線とほぼ同じような時間管理になっている。40分後に鎮江の駅に着いた。南口が中心のようだが、敢えて北口から出た。それは38年前上海から乗った列車を降りたのが北口だったのでは、と思ったからだ。北口周辺も当然きれいになり、完全に面影はなかったが、何となくここで腹を空かせて国営食堂を茫然と眺めている自分がいたような気になる。

当時の国営食堂の昼は11₋13時と決まっており、13時5分に着いた我々は完全に飯を食べ損ねた。そしてそのままバスに乗り?船に乗って川を渡って、揚州まで行ったのだ。今回はその川の近くに宿をとったが、車はあっと言う間にやってきて、あっという間に川近くに置いていかれた。

その宿は定宿チェーンだったが、入り口で猫が迎えてくれた。そして何となく猫が付き添ってくれている。眠そうにしているが、置物のように座っているかと思えば、ちょこちょこ動き回っている。よく見たら2匹いた。そして何とここの飼い猫だと分かる。チェーンホテルで猫を飼っているなんて、何となく家族経営の宿のようだ。

実は部屋に行くと冷蔵庫が無かった。暑さが増していたので困ったな、とフロントに行くと、すぐに部屋を変えてくれた。元のカギを持って部屋で荷物を整理していると、何とロボットが新しい鍵を持ってやってきた。新しい部屋はかなりアップグレードされており、広くて有り難い。

上海・江蘇美食旅2025(7)揚州 大明寺と東関街散策

5月12日(月)揚州散策2

朝はさわやかに鳥の鳴き声で目覚めた。朝飯は部屋についていないが、まだ腹は減らない。老化は本当に激しい。また園内を散歩する。そのまま外へ出て行き、大明寺を目指して歩き出す。約3㎞、38年前朝から何も食べずに、この寺を歩いて目指した光景が微かに思い出される。今は道も良く、木々が茂っていて日差しも遮られ、快適な散歩となる。この一帯も観光地としてかなり開発されている。

ゆっくり1時間ほど歩くと何とか大明寺に着いた。入場料が必要だが、全てスマホ(微信)で購入するシステムで人はいない。これまでは何度かトライして途中で断念、係員を探していたが、ついに一人で買うことが出来た。しかも半額券とは嬉しい。微信の使い方に慣れないと本当に中国では不便なので勉強しよう。

大明寺といえば鑑真和上。鑑真を祭る建物を建てたのは梁啓超の息子、梁思成というから、やはり日本とのご縁は深い。大きな塔も建っている。鑑真戒壇院という建物の中には回廊に多くの風鈴?が置かれ、風が吹くと何ともいい音を出している。38年前はどんな光景だったか、ボケが始まっている今やほぼ覚えがない。

帰りに唐代の遺跡を見て行こうと思ったが、ボーっと歩いていると反対に行っており、帰る方が近いからとそのまま宿に向かった。何とか11時に辿り着いたので、そのままレストランへ行き、念願の揚州炒飯を揚州賓館で食べられた。ここも量は多かったが、何とか完食。とろみのある豆腐スープも好みの味で感激。

12時に部屋を出て、また元の宿に引っ越した。揚州賓館は落ち着ける場所だったのだが、何だかちょっと寂しい。一方米系の宿は何となくネットが繋がりそうでもあり、バスタブもあったので(料金も比較すると安い)、面倒ながら引っ越した。38年前の回顧は一晩で十分だろう。

でもまだ元気だったので暑いのに外へ出た。少し歩くと交差点に文昌閣という古い建物がある。何だかタイなどにあるクロックタワーのように見える。更に進むと東関街という観光地で食わす。急に人が増え、にぎやかな通りで、両側には土産物屋や食べ物屋が並んでいる。今の中国、どこにでもある観光地だ。その中にいくつか古くて大きなお屋敷があり、塩商人などの邸宅が有料で開放されていた。

途中に門があり、謝馥春と書かれている。ここは老舗の化粧品屋さんらしい。その名前が如何にも良い。奥まで歩くと博物館のようにもなっており、揚州の老舗商店として現代でも存在感を放っている。道を川まで歩くと東関があり、そこで観光は終了した。ただ折角なので江沢民故居を探してみる。意外と分かり難い所にあり、探すのに苦労した。おまけに入り口が分からない。何と今日は月曜日で休館日と分かる。更に朱自清という人の故居にも行ったがやはりお休みだった。

横の細い道にはモスクがあるというので探してみたが、清真寺と書かれた場所はあったが、一般開放はされていないようだった。その道の名前が馬家巷だったので、もしやここは回族商人が住んでいた場所で、塩の取引等をしていたのではないかと思い当たる。ちょっと散策のつもりが気が付けば2時間以上歩いてしまい、陽が西に傾く頃、ようやく宿に戻った。

夜はさっき散策中に見つけたチェーン店へ。いい所でばかり食べていると量的にも厳しいし、何より揚州の人が何を食べているかよく分からないので、入ってみた。注文は微信だが何とかクリアーした。獅子頭はやはり美味しい。揚州湯包は薄い皮に豚肉と蟹味噌がとろけて、肉汁がたっぷり包まれている食べ物。これは台湾で食べる小籠包より美味いかも。でもうまく食べないと蟹味噌はすぐに外へ出てしまう。もう一つはエビワンタン。ワンタンが小さくていくつも入っている。スープがちょっと辛くて意外な感じが良い。ちょっとだけ夜景を眺めながら帰る。

上海・江蘇美食旅2025(6)茶社で食事 懐かしの揚州賓館へ

昼までの時間、部屋で休んでからチェックアウト。今日は朝から何も食べていなかったので、宿の2階の「茶社」で揚州名物を食べてみる。実は街中でも茶社という文字をよく見かけた。これは揚州独特の「茶楼」なのだろうか。歴史もかなり古そうで、メニューを見ると、本格的なレストランだった。スタッフの対応は実に良く、心地よい。

料理を頼むとお茶は自動的についてきた。花茶だろうか。料理は焼売と三丁包という点心、そして主食に淮揚煮干絲にしてみた。いずれも揚州料理だという。焼売は肉が入っていないタイプ、形は火口型。三丁とは鶏肉や筍の角切りを入れて蒸した包子。特に美味しいと感じたのは煮干絲。豆腐の細切りをスープで煮たようなものだが、このスープが実に味わい深い。淮揚菜はスープが良い。どんな風に作るのか、いつか勉強してみたい。

そのまま車を呼び、今日の宿へ移動した。揚州賓館!38年前、腹を空かせて辿り着いた宿だったはずだ。今回の目的はずばりここで炒飯を食べるという一点だったのだ。揚州賓館は1985年開業となっているから、私がここに来た1987年5月は確実に存在していた。ただスタッフによれば、本日宿泊する建物「万芳園」は1997年に建てられ、現在の揚州賓館では一番古いという。ということは全面改装されてしまい、もはや面影はない。ただ極めて広い敷地にちょっと思い出せるところがあるかもしれない。

部屋は一階で、広いが何もない感じは昔のような雰囲気でよい。冷蔵庫に無料のドリンクが入っており、更に無料のスナックがテーブルに置かれていた。スタッフの対応もかなりよく、38年前からの進化がが感じられた。まずは車を呼んで揚州博物館に行ってみる。ここは揚州駅に近いので5㎞ほど離れているが、日曜日でも車はスイスイ走るので良い。

何処もそうだが、ここの博物館も建物がデカい。揚州の歴史に絞って見ていくが、展示はかなりある。隋代の運河開通、そして明清代の塩業、南北貿易で栄えた街ということだろうか。勿論それにより食もかなり発達している。淮揚菜は長江流域の広い範囲を指すようだが、宋代には既に北方、四川と並んで中国三大料理に挙げられていたらしい。

博物館の横には湖があり、湖畔を散策する。ランニングする人、ショートトラックの練習をする人など、思い思いの週末だ。それにしても今日はかなり暑い。私も疲れが相当に出てきたので、車を呼んで宿へ帰る。宿で少し休息後、宿の敷地散策をした。とにかく昼ごはんから腹が減らないのだ。だが暑さのために途中で歩くのも大変になり、車を呼んで帰還してしまう。

宿で休息。夕方宿の敷地内を何気なく散策。ところがこれが驚くほど広い。途中からは痩西湖が登場し、趣園という歴史的な場所と一体となっているので、全部歩いていたら2時間ほどかかってしまった。恐らく38年前もこの湖のほとりで時間をつぶし、食堂が開くと同時に炒飯を食べたのだろうが、今やその面影は全くない。

結局この日は腹が減らず、夕飯を断念。レストランには行ってみたが、炒飯300gと書かれていては、とても食べる気にはなれない。明日は何とかトライしよう。夜日記などを書いていると少し腹が空いたので、部屋にあったお菓子を食べて寝る。庭園ホテルなので、蚊がいるようで何だかかゆい。

上海・江蘇美食旅2025(5)揚州菜博物館

かなりきれいなところで、かつ新淮揚菜だ。だが何となく美味しそうだったので入ってみる。スタッフの対応が実によく、スキャンで注文できない私のためにちゃんとメニューをもってきて説明してくれた。隣では老夫婦が食事をしていたが、色々と注文しており、やはり一人よりは二人の方がいいな、とは思う。

獅子頭はそのあっさりしたスープが予想以上に美味であり、これをスープ代わりにした。量もちょうど一人分で何とも有難い。だが最大の目的、炒飯はやはり難敵だった。スタッフも「さすがに一人では食べ切れない」と言っていた量。見れば日本の二人前以上はある。揚州炒飯は五目炒飯であり、更に創作料理の傾向もあるので、彩が良く何とも旨そうである。

揚州炒飯は一般的にパラパラ系。卵(ここのはかなり細かくしてある)、エビ、ハム、キノコ、鶏肉、干し大根、グリーンピースなどで構成されている。メニューにはちゃんと米350gと書かれている。非常になめらかな炒飯という印象。塩気も抑えめながら、味はしっかりしていて、旨い。日本の町中華より上品な印象だ。

満足して外へ出て川沿いを歩く。今やよくある川沿いにおしゃれなレストランが並んでいる。その先まで行くと、庶民の道が出てくる。色々な料理屋が並んでいたが、既に腹はパンパンで何も入らない。ローソンでドリンクだけを買う。揚州城跡もあり、この辺が昔の中心だったようだ。少し行くと揚州大学もあり、食堂が並んでいた。

部屋は快適で、バスタブもあるのでゆったり過ごす。テレビでは陸上の世界リレー予選が放送されていた。広州で開催されているようで、中国チームも男子4X400mで奮闘して決勝に残ったが、なぜか日本チームは登場しなかった。代わりに4X100mリレーでは今季世界最高で予選を通過した。

5月11日(日)揚州散策

朝はまた腹一杯状態だった。朝食抜きの予約でよかった。取り敢えず淮揚菜博物館というのを見付けたので車で行ってみた。揚州は運河がいくつもあり、その大きな一つに沿って車は行く。着いてみると完全な観光地で驚く。今日は日曜日で、かなりの人が見学に来ている。広い敷地にはレストランなどもあるようだ。この博物館は塩商人として活躍した蘆氏一族の住居などの跡に作られたらしい。

揚州や淮揚菜の歴史がかなり詳しく展示されており、見ごたえがあった。揚州の歴史は古く、よって料理の歴史も古い。ただ最盛期は明、清代であり、それは塩業によってもたらされている。また大運河があり、交通の要所であるから、各地の人々が行き交い、各地の料理が流入している。飲茶の起源も揚州と言われていたが、ここにはその展示はなかった。

博物館を離れ、運河沿いを歩いてみる。公園になっており、気持ちの良い風が吹く。その先を曲がると店が並んでいる。揚州の茶、「緑揚春」などという文字も見える。そこには「何園」という、やはり塩で財を成した一族の屋敷跡があった。当然ながら財を成すと子女教育に力を入れ、洋務運動後は上海への投資なども行っていたらしい。こういう家が揚州にはいくつもあったはずだ。敷地は相当の広さがあり、観光客も多く、疲れてきて回り切れずに外へ出た。もう歩く気力もなく、車を呼んで宿へ避難した。

上海・江蘇美食旅2025(4)上海人民公園から揚州へ

5月10日(土)体調不良で揚州へ

朝は起き上がれなかった。何とか立ち上がったが、今日揚州まで行けるのか心配になった。朝食もパスして寝ていた。ただ消化が追い付かなかったというだけだったので、その後何と立ち上がり外へ出てみたら、いい天気で少し暑さを感じるほどだった。天津路を西に行く。旧上海エリアには今も横丁が残されているが、いくつかの道は封鎖されており、入れなかった。

南京路は相変わらず観光客が多く歩いている。今日は土曜日だから上海人の子供連れもいたかもしれない。まあ30数年前の喧騒に比べれば今は歩きやすい。人民公園も懐かしい。ここで留学中ボーリングをしたのを思い出した。昔は競馬場、戦後も娯楽施設があったのだろう。その前に国際飯店があった。ここには北京料理があったはずだが、入り口のボーイは知らなかったので、自ら2階に上がり確認したところ、北京の豊沢園と提携した店がそのまま残っていた。次回はここで食べてみたい。

上海博物館に行った。建物はジョッキークラブの物を使っていた。博物館はかなり広く、時間があまりないので上海の近代史だけを見た。休日で多くの人が来ており、なかなか見るのが大変だった。上海開港から茶貿易、洋行といったテーマの展示はあまりなく、必要な情報は得られなかったが、何となく楽しい。

12時前に宿に帰り、チェックアウトして地下鉄に乗り、上海駅に向かった。勿論駅は変わっていたが、前の広場を見ていると、あの夜中3時に寧波から戻った時の暗い様子や66時間乗って昆明に行った時のことなど、40年近く前の光景がつぶさに思い出されてきて、自分でも驚いてしまう。今や高鉄は虹橋が中心だと聞いた。ホームへ降りると、反対側には懐かしい旧式の寝台列車が停まっており、何となくあっちに乗りたい気分に襲われる。

列車は超満員で立ち席まで売られていた。私はネット購入したら、真ん中のB席でやだなと思っていたが、仕方がない。そこへ夫婦が乗り込んできて私の両側に座ったので、通路側の席と交換出来てラッキーだった。といっても旦那の方はスマホで音を出して何かを見ており、貧乏ゆすりもあり、更にはヒマワリの種をボロボロこぼしながら食べるのでいい迷惑だったが、これまた仕方がない。

列車は38年前に走った蘇州、無錫、というルートではなく、北側の新しい?ルートだったので、張家港や常熟など知ってはいるが行ったことがない都市をいくつも通過していく。結局かなりの田園地帯を走り、時々川を越えて、何とか揚州駅まで辿り着いた。前回は鎮江駅まで行き、そこからバスに乗り、船で川を渡った旅だったので、かなりの変化だった。

駅前で車を呼び、予約した宿へスムーズに行けた。最近定宿も飽きたので、今回は米系の宿を使ってみる。米系といっても、お客の多くは中国人なので英語を話すわけでもないが、部屋もきれいでバスタブもあり、居心地は良さそうだ。もう夕方5時を過ぎており、朝から何も食べていない。

まあとにかく腹が減っていた。これは38年前と全く同じだった。そして食べたいものはやはり揚州炒飯だ。宿を出て周囲を見渡すと大きなショッピングモールがあったが、こういうところは地元民が地元以外の料理を食べる所なのでパスしてその向こうへ出ると、川が流れている。階段を下りて川レベルに来ると、ちょうど淮揚菜と書かれたよさそうなレストランがあった。

上海・江蘇美食旅2025(3)呉覚農記念館から上海老正興へ

10分ほど歩いて地下鉄に乗り、1度乗り換えて、かなり郊外へ行く。午後は呉覚農記念館へ行こうと思っていたが、常に開いているか分からないとのことで、王さんが知り合いに連絡してくれていた。結果1時間ほど地下鉄に乗り、無事に百仏園という場所に到着した。ただかなり広い敷地でどこに記念館があるのか分からない。手前に急須博物館があったので、そこに吸い込まれたところ、紹介してくれた人と会えた。

この敷地は許四海という人のもので、彼は急須作りと収集を行い、膨大な収集品をここに展示していた。7階建ての塔の1階の展示をちょっと見たが、これは許氏の工場で製造されたもので、買うことが出来るという。尚許氏は5年ほど前に亡くなり、今は息子が跡を継いでいる。

そこから紀念館へ移動した。そこには呉氏の一生涯の歴史と「現代の茶聖」と呼ばれた功績がかなりの熱量で展示されていた。ここを見れば彼の一生がどのようなものかが分かるのだが、若い頃に日本に留学し、静岡の試験場にいた時のことは、静岡側には何も残っていないとのことで、こちらの資料はかなり貴重だ。ざっと30分ほど見学した。外にはなぜか坦洋工夫茶の説明が沢山あった。習近平氏が福建にいた頃、この紅茶を称賛していたようだ。

元来た道を1時間戻って宿へ帰った。ちょっと疲れてしまったので休息をとる。2時間ほど経って、夕方また外へ出た。昨晩は徳興館だったので、今晩は上海でもう一つの老舗、老正興に行ってみることにした。実は「しゃんはいろうせいこう」と日本語読みすると、突然香港で90年代、かなり通った店が上海老正興だったと思い至り、どうしても行きたくなったのだ。

歩いて10分ほど、福州路を行くときれいな建物と持ち帰り用の店舗が見えてきた。2階に上がると、イメージよりかなりきれいで1人で入るにはちょっと勇気が必要だったが、スタッフは皆優しく案内してくれた。お客は年配者とその家族という感じだろうか。メニューを眺めると、一人で食べられるものは限られている。

前菜はやはり烤麸だろう。思っていたより甘く感じられる。どうしても食べたかった紅焼肉は柔らかかったが、塊が5つもあり、無理して食べた。最後にスープがやって来た。とろみのあるタラと青菜が入っている。これはあっさりしているが、当然紅焼肉の強い甘みには負ける。それでも思いっ切り食べて大満足だ。

腹がくちてしまい、散歩するしかない。老正興の近くには王宝和というかにで有名な店もあった。私の記憶に間違いが無ければ、1986年秋、この店で一度だけ「カニ尽くしフルコース」を食べた。料金は60元、当時の若手教師の月給の半分以上だった。前菜から最後のカニ雄雌2疋まですべてカニだった。最後のカニは面倒になり、脚を食べずに残していたら、隣の上海人から「そんなもったいないことをするな」と怒られたのは、よく覚えている。

福州路には書店がいくつかあった。これも昔の名残だろう。留学中は何度か外文書店に言った記憶もある。今の書店は現代的でものすごくきれいだが、欲しい本を探すのは至難の業だ。店員に聞くと検索してくれるが「茶の歴史の本」などといっても簡単に見つからずいくつものフロアーで探すことになる。そして結局フィットする本は見付からない。書店の中にカフェがあるのは普通だが、お茶漬け屋という店があったのは何とも不思議だ。

外灘まで歩いて行くと、浦東側のライトアップを写真に収めようと大勢の観光客でごった返していた。いつもは人込みを避けるのだが、何故か今日は参戦してしまい、なかなかに疲れた。そして宿に帰ってすぐに休んだのだが、夜中に腹が痛くなり、眠れなかった。やはり食べ過ぎは良くない。

上海・江蘇美食旅2025(2)懐かしの外灘を歩く

5月9日(金)呉覚農を調べる

目覚めると雨は降っていない。窓からはオールド上海が見える。何となくいい気分で迎える朝。ただ宿に付いている朝ご飯を食べに行ったが、特に上海らしいものはなく、お粥などで軽く済ませる。この宿のお客は華人などが多そうだ。今日は天気が良いので、すぐに外へ出る。南京東路をブラブラしてみると、当たり前だが歴史的建造物のオンパレードだ。私が上海留学中の38年前に見たくすんだ建物が、今は輝いている。

外灘まで歩いてきた。懐かしい和平飯店が見える。中に入ってみるとかなりきれいになっているが、ジャズバーは朝食を提供している。博物館があるようだったが10時からというので後にした。聞けば今も上海料理が8階にあるという。ここで38年前に人生初、しかも偉い人の通訳を経験した。「プラタナス」という木の中国語名が言えなくて恥ずかしかった。勿論食べ物の味など何も覚えてはいない。因みに我々がいつも食べていたのは南楼1階のレストランだった。

その横には中国銀行上海支店が今もある。東京からの送金を受け取りによく来た。あの頃銀行内では現金を投げており、自分のお金が無事に窓口まで到着するか気が気ではなかった。また白人優先、黒人蔑視もここで学んだ一つだった。お金を下ろして外へ出ると、ウイグル人が「チェンジマネー」と言って近づいてきたのも忘れられない。兌換券(FEC)は当時人民元の1.5倍で取引されていたから、兌換券しか持たない我々は常に優遇されていた。

今日外灘に来たのは、「宝順洋行」のあったと言われている場所を確認するためだった。ある資料に外灘14₋15号とあったのでそこへ行ってみると、100年ほど前の建物が建っており、そこには説明書きもあったが、残念ながら1870年頃に倒産した宝順については触れていなかった。

15号は1900₋02年に建造されたとあり、銀行が入っていたらしい。今は外貨交易センターになっている。この辺のバス停を見ると、55番とある。留学時代は大学から都会へ出る唯一の交通手段だったので、38年経ってもこの番号は忘れない。14号はかなり新しく、1948₋49年に建てられた。元は交通銀行だったが、上海市総工会になっている。いずれにしても宝順は往時かなりの規模だったことだけは分かる。因みに27号にはジャーディンがあった場所と紹介されている。

北に向かって歩いて行くと英国総領事館跡の広い庭が見え、その先に外白渡橋、その向こうには古ぼけた上海大廈が見えてきた。1907年に作られた外白渡橋といえば、戦前「犬と中国人は入るべからず」の看板が立っていたと言われる租界の名所。さすがに今それは無いが、何となくここに来ると緊張する。上海大廈は周囲がどんどんきれいになっているのに、ボロボロのままなのが何となく愛おしい。上海大廈には淮揚料理で有名な店があったが、今も存在はしているらしい(ドアボーイは自分の勤めているホテルに何料理があるのか知らなかった)。

上海大廈の横のビルに入っていく。今日はお茶の専門家である王さんを訪ねた。復旦大学修士卒の王さんとは同窓という関係で東京で親しくなったが、会うのは何と9年ぶりだ。しかしビルの警備員のおじさんが「不動産屋の王さん」と呼んだのでちょっと驚いた。コロナも経て、人には色々と変化がある。

ただ我々二人が会えば、話はほぼお茶になる。色々と聞きたいことが溜まっていたので、上海の茶貿易や台湾に渡った人々、更には王さんのお父様のことなど、あっという間に2時間ほどが過ぎてしまった。ランチはデリバリーを利用してワンタンをご馳走になる。ワンタンもスープが美味いと更に引き立つ。これも美味しい上海料理だ。最後は午後に予定のアレンジまでしてもらい、別れる。

上海・江蘇美食旅2025(1)雨の中いきなり老舗レストランと出会う

《上海・江蘇美食旅2025》  2025年5月8-14日

3月の広東旅、結局茶旅になってしまったが、美食も堪能できた。今回は8年も行っていなかった上海とその周辺を散策してみたい。上海留学以来38年ぶりの揚州、鎮江はどうなっているのだろうか。興味津々。

5月8日(木)8年ぶりの上海へ

上海行なら普通は羽田‐虹橋を選ぶだろうが、今回は敢えて成田‐浦東にしてみた。成田への行き方も3月とは変えてみた。何でも変化してみないと分からないことがある。成田のエアチャイナのチェックインは2時間半前からで到着が早過ぎた。荷物は3つ持っていたが、何も言われなかったので預けずにそのまま搭乗した。因みに空港自体はかなり空いていたが、その中で中国語が響いていた。

この便、意外なほど乗客が乗っている。日本人はほぼいないので、日本語が出来るCAがわざわざ接客してくれた。機内食はいつもの通りだったが、ハーゲンダッツのアイスを食べながら機内誌を読むと、中国人プロゴルファー、セキユウティンの広告が載っている。蘇州の碧螺春茶の記事もある。そんなものを眺めていると3時間で上海に着いた。雨が降っていた。

浦東空港は大きかったが意外なほどスムーズに入国審査に進み、気が付くと入国していた。係員がなぜか「中国語できるか?」「観光なのか?」と聞いてきたが、特に問題はなかった。そこから地下鉄2号線の乗り場まではかなり遠かったが、切符は広東同様現金で簡単に買えた。車両はキレイで乗客は少ない。

最初は田園地帯、少しずつ住宅が増えて行き、浦東に近づくと駅間隔が狭くなり、乗客がどんどん乗ってくる。それでも退勤前の時間なのでラッシュではない。約1時間で南京東路駅まで辿り着く。外はかなりの雨が降っており、傘を差しても濡れた。まあ駅近の宿を予約したので安心していたが、その場所に辿り着いても宿が無い。いやそこには「南京飯店」という別の名前が掲げられている。探しまくった挙句、そこの係員に聞いてみると予約があるというので驚く。ネット予約名取りあるホテルネームは是非一致させてほしい。

部屋はかなりクラシカル。建物も90年以上前のものらしい。それなりの料金なので、それなりの作りとなっており、特に外が見えるのが有難い。この付近には高層ビルは建てられないので、昔の上海の屋根が窓の隙間から見える。雨の中、夕飯を探して外へ出た。少し行くと雨が強まり、風も強くて吹き込まれ、コンビニに逃げ込んでドリンクを買う。

雨に降られて仕方なく宿まで戻ると、正面に中国老字号というレストランがある。こういう古いお店が私にはよかったが、一般中国人の評価は高くない。徳興館、1878年創業とある。伝統的な麺はと聞くと、三鮮麺を指す。小籠包と生煎包で生煎包を選ぶ。生煎包33元は4個皿に載って来た。大きめだが何となくぼんやりした味わい。汁はすぐに外へ出てしまう。

三鮮麺は醤油味のスープ。椀はかなり大きく、スープは飲みきれない量だ。麺はあのふにゃふにゃ麺。だから私は上海で麺を食べないのだ、と気づく緩さ。揚げ魚、タウナギ、鶏肉の塊が載っている。いや沈んでいるものもある。脂身は豚だろうか。まあ35元ならこんなものだろう。部屋に戻って料理の歴史の本を見てみると何と徳興館の名前が載っているので驚いた。それほどの老舗とは思えなかったが、何気なく残っているのが実に良い。