5月10日(土)体調不良で揚州へ
朝は起き上がれなかった。何とか立ち上がったが、今日揚州まで行けるのか心配になった。朝食もパスして寝ていた。ただ消化が追い付かなかったというだけだったので、その後何と立ち上がり外へ出てみたら、いい天気で少し暑さを感じるほどだった。天津路を西に行く。旧上海エリアには今も横丁が残されているが、いくつかの道は封鎖されており、入れなかった。

南京路は相変わらず観光客が多く歩いている。今日は土曜日だから上海人の子供連れもいたかもしれない。まあ30数年前の喧騒に比べれば今は歩きやすい。人民公園も懐かしい。ここで留学中ボーリングをしたのを思い出した。昔は競馬場、戦後も娯楽施設があったのだろう。その前に国際飯店があった。ここには北京料理があったはずだが、入り口のボーイは知らなかったので、自ら2階に上がり確認したところ、北京の豊沢園と提携した店がそのまま残っていた。次回はここで食べてみたい。


上海博物館に行った。建物はジョッキークラブの物を使っていた。博物館はかなり広く、時間があまりないので上海の近代史だけを見た。休日で多くの人が来ており、なかなか見るのが大変だった。上海開港から茶貿易、洋行といったテーマの展示はあまりなく、必要な情報は得られなかったが、何となく楽しい。


12時前に宿に帰り、チェックアウトして地下鉄に乗り、上海駅に向かった。勿論駅は変わっていたが、前の広場を見ていると、あの夜中3時に寧波から戻った時の暗い様子や66時間乗って昆明に行った時のことなど、40年近く前の光景がつぶさに思い出されてきて、自分でも驚いてしまう。今や高鉄は虹橋が中心だと聞いた。ホームへ降りると、反対側には懐かしい旧式の寝台列車が停まっており、何となくあっちに乗りたい気分に襲われる。


列車は超満員で立ち席まで売られていた。私はネット購入したら、真ん中のB席でやだなと思っていたが、仕方がない。そこへ夫婦が乗り込んできて私の両側に座ったので、通路側の席と交換出来てラッキーだった。といっても旦那の方はスマホで音を出して何かを見ており、貧乏ゆすりもあり、更にはヒマワリの種をボロボロこぼしながら食べるのでいい迷惑だったが、これまた仕方がない。
列車は38年前に走った蘇州、無錫、というルートではなく、北側の新しい?ルートだったので、張家港や常熟など知ってはいるが行ったことがない都市をいくつも通過していく。結局かなりの田園地帯を走り、時々川を越えて、何とか揚州駅まで辿り着いた。前回は鎮江駅まで行き、そこからバスに乗り、船で川を渡った旅だったので、かなりの変化だった。

駅前で車を呼び、予約した宿へスムーズに行けた。最近定宿も飽きたので、今回は米系の宿を使ってみる。米系といっても、お客の多くは中国人なので英語を話すわけでもないが、部屋もきれいでバスタブもあり、居心地は良さそうだ。もう夕方5時を過ぎており、朝から何も食べていない。

まあとにかく腹が減っていた。これは38年前と全く同じだった。そして食べたいものはやはり揚州炒飯だ。宿を出て周囲を見渡すと大きなショッピングモールがあったが、こういうところは地元民が地元以外の料理を食べる所なのでパスしてその向こうへ出ると、川が流れている。階段を下りて川レベルに来ると、ちょうど淮揚菜と書かれたよさそうなレストランがあった。
