5月9日(金)呉覚農を調べる
目覚めると雨は降っていない。窓からはオールド上海が見える。何となくいい気分で迎える朝。ただ宿に付いている朝ご飯を食べに行ったが、特に上海らしいものはなく、お粥などで軽く済ませる。この宿のお客は華人などが多そうだ。今日は天気が良いので、すぐに外へ出る。南京東路をブラブラしてみると、当たり前だが歴史的建造物のオンパレードだ。私が上海留学中の38年前に見たくすんだ建物が、今は輝いている。

外灘まで歩いてきた。懐かしい和平飯店が見える。中に入ってみるとかなりきれいになっているが、ジャズバーは朝食を提供している。博物館があるようだったが10時からというので後にした。聞けば今も上海料理が8階にあるという。ここで38年前に人生初、しかも偉い人の通訳を経験した。「プラタナス」という木の中国語名が言えなくて恥ずかしかった。勿論食べ物の味など何も覚えてはいない。因みに我々がいつも食べていたのは南楼1階のレストランだった。


その横には中国銀行上海支店が今もある。東京からの送金を受け取りによく来た。あの頃銀行内では現金を投げており、自分のお金が無事に窓口まで到着するか気が気ではなかった。また白人優先、黒人蔑視もここで学んだ一つだった。お金を下ろして外へ出ると、ウイグル人が「チェンジマネー」と言って近づいてきたのも忘れられない。兌換券(FEC)は当時人民元の1.5倍で取引されていたから、兌換券しか持たない我々は常に優遇されていた。

今日外灘に来たのは、「宝順洋行」のあったと言われている場所を確認するためだった。ある資料に外灘14₋15号とあったのでそこへ行ってみると、100年ほど前の建物が建っており、そこには説明書きもあったが、残念ながら1870年頃に倒産した宝順については触れていなかった。

15号は1900₋02年に建造されたとあり、銀行が入っていたらしい。今は外貨交易センターになっている。この辺のバス停を見ると、55番とある。留学時代は大学から都会へ出る唯一の交通手段だったので、38年経ってもこの番号は忘れない。14号はかなり新しく、1948₋49年に建てられた。元は交通銀行だったが、上海市総工会になっている。いずれにしても宝順は往時かなりの規模だったことだけは分かる。因みに27号にはジャーディンがあった場所と紹介されている。

北に向かって歩いて行くと英国総領事館跡の広い庭が見え、その先に外白渡橋、その向こうには古ぼけた上海大廈が見えてきた。1907年に作られた外白渡橋といえば、戦前「犬と中国人は入るべからず」の看板が立っていたと言われる租界の名所。さすがに今それは無いが、何となくここに来ると緊張する。上海大廈は周囲がどんどんきれいになっているのに、ボロボロのままなのが何となく愛おしい。上海大廈には淮揚料理で有名な店があったが、今も存在はしているらしい(ドアボーイは自分の勤めているホテルに何料理があるのか知らなかった)。

上海大廈の横のビルに入っていく。今日はお茶の専門家である王さんを訪ねた。復旦大学修士卒の王さんとは同窓という関係で東京で親しくなったが、会うのは何と9年ぶりだ。しかしビルの警備員のおじさんが「不動産屋の王さん」と呼んだのでちょっと驚いた。コロナも経て、人には色々と変化がある。

ただ我々二人が会えば、話はほぼお茶になる。色々と聞きたいことが溜まっていたので、上海の茶貿易や台湾に渡った人々、更には王さんのお父様のことなど、あっという間に2時間ほどが過ぎてしまった。ランチはデリバリーを利用してワンタンをご馳走になる。ワンタンもスープが美味いと更に引き立つ。これも美味しい上海料理だ。最後は午後に予定のアレンジまでしてもらい、別れる。
