取り敢えず外へ出てみた。曇りでそれほど暑く感じられないので歩き始めた。すぐに古い列車の車両が見えてきた。なんだろう、この一帯はかなり整備された観光地のように見える。西津渡という古代からある鎮江の港が今、きれいに改修され、観光地化されていた。何となくフラフラっと入っていくと、なかなか面白いので進んでしまう。観光客も意外といて、食べ物屋なども開いている。


元代の石塔があるかと思えば、近代の教会もある。そしてずっと奥まで行くと、何と英国総領事館跡が開放されていた。10元払って中に入ると、思いの外多くの建物がきれいに残っていて驚く。これらの建物は少なくとも1876年には既にあったらしい。鎮江の地理的重要性が分かる。

実はこの建物群は全て鎮江博物館になっていて、一番端には現代的なモダンな建物も建っており、そこに展示がある。こんな大掛かりな博物館は恐らく見たことはない。外へ出て更に回り込むと、博物館の全容が見えたが、私の関心はその道の反対側になった広肇会館だった。中国国内でも同郷会館を見たことはあるが、ここに広東商人が来ていたことは、食文化的には重要なような気がするが、会館内に基本的に孫文中心なのは仕方がない。



何だか急に腹が減った。道で何度も見た鍋蓋麺を食べてみることにした。麺に何を入れるか、1つか2つかで値段が分かれるという。折角なので長魚と肥腸を選んでみる。出てきた碗にはかなり黒いスープに細い魚と腸、そしてコシのあるちじれ麺が入っていた。これが思いの外うまい。地元の酢が独特なのだろうか。38元、いい感じだ。


更に所謂老街が続いていたが、途中で川の方に行ってみる。38年前、上海から鉄道で鎮江に着いた後、昼ご飯を食べられずにそのままバスで長江を渡って揚州に入ったことは忘れられない。その渡し船はどうなったのかを見たいと思ったのだ。川沿いはキレイになっており、私が覚えている風景は見当たらない。川に船が浮いている感じもない。

遊覧船が出ており、そこにいたおじさんに聞いてみると、「よくそんなことを覚えているな」という感じで、「ずいぶん昔になくなったよ。今ホテルになっているところが渡しの場所だった」と懐かしそうに言う。そのホテルは結婚式などの大型宴会が出来ると書いているが、どれほど活用されているのだろう。とにかく川沿いの公園にはいい風が吹いているが、渡し船にバスまで乗って川を渡るなんて、やはり夢だったのかと思ってしまう。

宿へ帰って休む。休むというか、今日の目的は洗濯。1階のランドリーに行くとスタッフがサポートしてくれ、非常にスムーズに洗濯が進んだ。こういうサービスは私にとって実に有り難い。衣服はすっきりしたが、私の腹はすっきりせず、夕飯を食べに行くことはなく、ドリンクだけを買いに夕方外に出た。しかしやはり少し腹が減り、夜9時半に宿で提供される粥を食べた。意外と食べてしまい、また腹が重い。

5月14日(水)鎮江から寧波へ
翌朝、何となく腹が重かったのに、宿に付いている朝飯を食べてしまった。何とか体調をよくするため、また散歩に出た。最初は観光地区を歩き、庭園などを見ていたが、その内、中山路に出たので、昔の面影を求めて、広い道を歩いた。ただ特に目に付くものもなく、グルっと回っただけで宿に戻る。

車を呼んで駅に向かった。昨日は北口を見たので、今日は南口に回ってみた。こちらは更に発展していて、38年前の姿はみじんもない。駅自体は大きくなく、入り口で身分証チェックが無く、荷物検査だけで中に入ってしまった。中国も様々な改正が行われており、少しずつリーズナブルな対応になっている。

鎮江駅から列車に乗り、僅か30分で南京南駅に着く。ここで乗り換え口から出て、40分後の寧波行きに乗り換えた。駅にはランチに良さそうなファーストフード的な食事が並んでいたが、結局食べずに乗り込んだ。この列車はGの二けたで速い。停まったのは杭州東駅だけで2時間かからずに寧波に着いてしまった。

