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スラバヤ・メダン 突撃インドネシアの旅2019(4)どこの国でもない一夜

8月28日(水)
どこの国でもない一夜

翌朝は早起きして6時にホテルをチェックアウト。頼んでいたタクシーに乗り込み空港に向かう。渋滞の激しいスラバヤ、飛行機に間に合うようにするには何時間前に出発すればよいのか分からず、4時間前にホテルを出た。案の定、途中でかなりの渋滞に巻き込まれたが、何とか1時間ちょっと空港まで辿り着いた。

 

今日は何とマレーシア航空でKLに飛び、そこからメダンを目指す。何故そんなことになったのか。それはそのルートが一番安かったからだ。インドネシア国内を旅するのに国際線に2回乗って行く。もうネタとしか思えないルートだがちょっと興味はあった。それにしても第2の都市から第4の都市に行く国内線直行便がないインドネシア。広すぎると言うべきか。

 

チェックインを済ませて、出国手続きに向かう。何と審査官は、あの3日前に長時間やり取りしてビザをくれた人だった。彼も私に気が付き、『なぜ3日で出国するんだ』と聞いてきたので、『安いから』と答えると、心底不思議そうな顔をしながら、出国スタンプを押してくれた。確かにこの行動、普通は理解できないだろうな。

 

そこまでは順調だったが、予定時間になっても搭乗のコールがない。どうやら飛行機の到着が遅れているらしいのだが、何のアナウンスもないので事態は掴めない。ようやく飛行機に乗ったのは予定時刻を1時間も過ぎていただろうか。そしてまた延々3時間もかけてKLを目指す。機内食を食べると眠りこける。

 

ふと気が付いてみると、すでにかなりの時間が経っており、よく考えてみると、KLでの乗り継ぎに間に合うのだろうか、心配になる。実は乗り継ぎ時間は1時間ちょっとしかないのだ。CAに聞いてみたが、空港でスタッフがアレンジしてくれる、としか言わない。どうみてもメダン行きの便に間に合いそうもない。それでも後続の便に乗ればよいと気楽に考えていた。

 

KLに着いた時にはすでに私が乗るべきメダン行きは出発してしまっていた。乗り継ぎカウンターに行くと、『明日の朝便に振替です』とあっさり言われ、唖然とする。『エアアジアなどの便があるだろう』と食い下がると、『他社便への振替はできません』と淡々と言われる。確かに空港も違うので面倒だが、ではどうするんだ。

 

係員は本当に淡々と、『あなたにはホテル1泊と食事3食が提供されます』という。そこで『私はマレーシアに入国したくないので、エアポートホテルに泊めてくれ』と言ってみるとすぐにアレンジしてくれたので、今晩は空港に泊まることになった。こんな経験できるものではないし、第一メダンの予定は何もないのだから気楽なものだ。因みに同じフライトで11名がここに泊め置かれたらしい。

 

そのエアポートホテルは空港の隅の方にあった。入ってみるときれいなところで、部屋は勿論個室、それなりに整っており、これまで私が泊まってきたホテルより良いのではと喜ぶ。Wi-Fiが若干弱かったが、マレーシアのシムカードも持っているので、問題は特に何もない。

 

設備の整ったマレーシアの空港でWi-Fiが弱かったのは、実は10日以上前に空港のシステムが全てダウンして、数日手作業で空港業務を回すという異常事態があった余波らしい。私がスラバヤに行く時も懸念されたが、既に治っていたので気にならなかったが、こんなところに影響があるとは。これはテロだったのだろうか。

 

ちょっと腹が減ったので、まずは1枚目のクーポンを使う。空港内のショップで20リンギ以内のご飯が選べる。麺からご飯まで様々な店があったのだが、貧乏性な私はぴったり20リンギの食べ物を探し、結果バーガーキングのセットになってしまった。まあ偶にはコーラにポテトも良いか。

 

それを食べていると、インド系の乗客が10人ほど入って来て、飲み物だけを頼み、自分たちが持ち込んだ食べ物を食べている。これ、良いのだろうか、と思ったが、食べられるものが限られているのなら、仕方がないということか。寛容な国マレーシア、店の採算はどうなるのか。しかし外食で苦労する人は多いのだろうな。

 

空港内を散策する。広いことは広いが特にすることもなく、夕日が落ちるのを眺めていた。私は今一体どこの国にいるのだろうか。インドネシアを出国したが、マレーシアには入国していないぞ。真空地帯に放り込まれているのか。推理小説に使えそうだな。夕飯はホテル内の食堂で食べる。ちょうどサッカー中継などがあり、それを見ながら黙々と済ませ、早めに就寝する。特に飛行機の音がうるさいなどはない。

スラバヤ・メダン 突撃インドネシアの旅2019(3)チャイナタウンに突撃

8月27日(火)
再び安渓会館、そしてチャイナタウンへ

翌日もう一度安渓会館を訪ねるべく、昨日と同じ道を歩く。道が分かっていればかなり早く着ける。この会館の向かいは墓地だった。きれいに墓石が並んでいる。昨日と違い、門は開いていたので、中に入って華語で呼びかけた。すると華語で返事があったので、それだけでもうホッとする。

 

ここの世話人さんが、相手をしてくれた。ただこの会館も20年ほど前にできた(その昔は別にあったかもしれないが)ということで、その歴史は古くはない。そして予想した通り、会員に茶を商っている人はいない、との答えが返ってきた。元々スラバヤは華人比率が低く、茶荘は成り立たなかったのではともいう。老人に聞いてみれば、もう少し昔のことが分かるかもしれない。日曜日の午前中に集まりがあるので参加してみれば、と言われたが、私にはその時間はなかった。

 

もう一度福建会館の場所を聞くも、昨日と同じ場所を言われたので、諦めた。これまでシンガポールやマレーシア、タイなどでは、同郷会館に行けば、なにがしかの情報は得られたのだが、ここインドネシアは様子が全く違うことを改めて思い知り、私の挑戦は終了した。

 

これまで聞いた限りにおいては、やはりスハルト時代の影響が大きく、華語禁止などにより昔の資料は何も残っておらず、華人自身も華人の歴史に関心を持つことはなかったと言ってよい。その中で120年前の華人茶商の足跡を追うことは、研究者などがいない限り困難だとはっきり言える。

 

昨晩、パサールアトム辺りがいわゆるチャイナタウンだ、と教えられたので、そこまで歩いてみる。ホテルからはどんどん離れていく。その市場、前面は古い感じで、後ろは新しく付け足されたモールのようだった。特に華人色が強いとは感じられない。昨日教えてもらった地元料理、食堂で名前を言い食べて見るとどれもおいしい。侮れない、インドネシア。

 

別の道をトボトボ歩く。どこかからバスで帰れないか探したが、どれに乗れば良いか全くわからない。運転手に聞いてみても、私が行きたい場所が通じない。ふらふら歩いて行くと、昨日と同じような路地があり、そこはなぜかオアシスのように心地良い。本当に不思議な空間だ。

 

更には鉄道の線路も見えてきた。駅があるだろう方向に歩き出すと、線路沿いは低所得者が住むバラックのような家が多かった。庶民の暮らしといっても、この国には信じられないほどの格差があるのだろう。駅が見えてきたが、列車に乗るわけでもないので、また宿の方向に歩き出す。何とカメラのカードが満杯になり、写真も撮れなくなる。

 

かなりの疲れを覚えながら帰路に就いたが、途中で疲れがピークに達する。そこにリキシャーの運転手が声を掛けてきたので、遂に乗り物に乗ってみることにした。ホテル名は分かったようなのであとは料金交渉だ。向こうが指を3本出したので、こちらは1本だし、最後は2本で折り合った。これが高いのか安いのか分からないが、乗ってみるといい風が顔に当たり快適で、もう歩く気がしない。

 

午後気を取り直して出掛ける。ネットで検索したところ、チャイナタウンはあの市場の更に向こうにあることが分かり、リキシャーに乗ればさほどの労力もいらないことを知ったので、再チャレンジに出た。リキシャーがなかなかいなくて、少し歩いて拾う。やはりかなり遠い。

 

ようやく川を渡り、それらしい感じが出てくる。橋の所で車を降りた。赤い橋、ジュンバタン・メラ。確かインドネシア独立戦争の火ぶたが切られた歴史的な場所だ。その向こうには門が見え、ここがチャイナタウンだと分かる。古い建物が続き、港が近いためか、商店や倉庫が立ち並び、かなり活気がある。これぞ私が求めていた場所だった。

 

更に歩いて行くと、いつの間にか雰囲気がかなり変わり、アラブ人街に入っていた。狭い路地に店がひしめき、人の往来も多い。通りに車が列をなし、歩く人々も滞る。まるで映画のワンシーンのような光景だった。ここスラバヤが往時、貿易で栄えたと実感できる雰囲気がここにはある。

 

そこから大人しくリキシャーを探して帰ればよかったのだが、またフラフラ歩き出してしまう。かなり長い距離をひたすら歩いた。途中に沢山モスクがあり、英雄記念塔などもあった。何だか楽しくなり歩いてしまったのだが、かなりのダメージだった。最後はホテルマジャパヒまで歩きつく。日本軍占領時代の旧大和ホテル。歴史的な雰囲気はあり、かなり格調高くて、きれい。次回はここに泊まりたい。夜はフードコートで地元料理を満喫。疲れたのですぐに寝る。

スラバヤ・メダン 突撃インドネシアの旅2019(2)福建会館はいずこに

8月26日(月)
福建会館はいずこに

翌朝は天気も良かった。スラバヤにある安渓会館の住所という、ほんの僅かな情報、を基に調べを開始した。交通機関は全く分からないので、スマホ地図に住所を入れて歩き始める。道はかなり広く、横断は難しい。途中にA&Wがある。見るのは沖縄以来か。20分以上歩いたが、目的地は見つからない。地図上では着いているのだが、ここスラバヤでは漢字の看板が殆どない。英語もないので、この建物が安渓会館かどうかもわからず、しかも鍵がかかっていて、聞くこともできなかった。

 

周囲を歩いてみると、何だかお寺があるらしい。行ってみると、鄭和基金会と鄭和清真寺いう文字が見えて驚く。なんでここに鄭和が出てくるのだろうか。入り口から入ると、老人がいたので、華語で話しけると華語で返事があり、ホッとした。ここの創設者だという老人が、話をしてくれたが、このお寺と基金会は2000年頃に創設された比較的新しいものだった。

 

インドネシアにおける華人のプレゼンスは僅か5%程度で非常に低く、しかも何度も華人排斥運動が起こり、アジア通貨危機後の混乱でも、様々な困難があった。スハルト政権は30年以上に渡り華語を禁止したため、漢字の看板は極めて少なく、また今の30-50代の華人は華語を学習していないという。

 

そんな中でスハルト後にインドネシアのイスラム教徒との融和を図るために作られたのが、この施設だという。因みに鄭和とは明代に大航海をした人物だが、ここスラバヤに寄ってはいないらしい。ただ彼は雲南の回族出身で、イスラム教徒ということで、ここに名前が使われたという。

 

お茶について尋ねてみたが、ここスラバヤに中国茶を扱う茶荘は全くないという。恐らくは1960年代スハルトの弾圧があった頃までには、全ての個人の茶荘は無くなっていただろうともいう。現在華人、特に老人が飲んでいる茶は、スーパーなどで売っている中国茶になる。この茶もスラバヤで作られているものはない。

 

この付近一帯には、ほんの少し中国語の看板が見られる。中国語学習の場もあるようだ。だがそれ以外には漢字がない。先ほどの安渓会館について聞くと、恐らく明日は誰かいるだろうという。そして福建会館の場所を聞くと、正確な位置を教えてくれたので、今日はこちらを当たることにした。

 

だがこれもまた困難を極める。最初は道を間違えて路地に入り込んでしまう。そこで英語ができる人に言われて、その先の道を探す。教えられたとおりの建物の前まで来たが、こちらも看板はなく、門も閉ざされており確認しようもない。近所のおじさんに聞くと確かに華人の集会所だとは言うのだが、それ以上踏み込む余地がない。疲れ切って、宿の方へ歩いていく。

 

途中で、道端にあったファーストフード店のようなきれいな店に入る。スラバヤには屋台もいつも出ているが、どうも入る気になれない。この店、やはり言葉は通じずに、写真でメニューを選び、片言英語で何とか店員との意思疎通を図る。向こうもまさかここに外国人が来るとは思っておらず、かなり慌てていた。食べ物は意外に美味しく、甘いドリンクは無料で提供された。

 

そこから博物館があるというところまで歩いて行った。かなりの距離があるが、乗り物に乗れないので仕方がない。博物館は立派な建物の中にあったが、今日は閉まっているようだった。それでも囲いがないので大体の展示物は見えてしまう。あまり必要な物はなさそうだと判断して去る。

 

その後路地に紛れ込む。これがなかなか楽しい。意外と清潔なのはイスラムの伝統だろうか。鉢植えの植物が多く置かれ、鳥かごが掛けられているのは中国的かな。何となく風までさわやかに感じられてくる。インドネシア第2の都市であるスラバヤだが、やはり首都ジャカルタとは大きな違いがある。

 

一度宿で休息して、午後4時前に宿を出た。今日は先日KLで出会ったMさんの昔の同窓生を紹介してもらい、郊外のショッピングモールで待ち合わせていた。だが路上にタクシーはなく、向かいのモールの警備員に頼むと親切にも一生懸命探してくれて有難かった。

 

夕方のスラバヤ、かなりの渋滞になっていた。指定されたモールまで、約1時間もかかる。それでも車代は空港から来た時の半額だった。それにしても名前からしてでかいこのモール。本当に広くて驚く。2つのモールが繋がっており、ただ歩いても端まで2㎞ぐらいある感じだった。何とか落ち合うことが出来たのは奇跡的だ。

 

彼女はここで台湾人学校に勤めているという。台湾人学校といっても台湾人より現地華人の子弟が多いらしい。フードコートで地元の名物、ビーフボールとカレー、油条などをご馳走になる。これは確かにうまい。その後ご主人も合流して、スーパーで売られているお茶などを観察する。華人の雰囲気を出しているパッケージだが、中身はどうだろうか。更には実際にドリンクスタンドで薬用茶を買って飲んでみる。

 

ご主人が態々、宿まで車で送ってくれた。この夫婦は郊外に住んでおり、別々の車で通勤し、夜ここで落ち合って食事・買い物してから帰るらしい。ご主人からは現在のインドネシア情勢やスラバヤのことなど、非常に有意義な話を車中でたっぷり聞いた。こういうことがないと、現地に来ても何も分からないな、ということがよく分かった。

スラバヤ・メダン 突撃インドネシアの旅2019(1)スラバヤ空港の珍事

《スラバヤ・メダン 突撃インドネシアの旅2019》  2019年8月25日-9月1日

インドネシアを訪ねたのはもう6年も前のこと。ジャカルタの渋滞に嫌気がさし、言語の通じなさを嘆いて、それ以来脚が遠のいていた。だが、台湾茶の歴史には必ずインドネシアが出てくる。今回は何の足掛かりもないまま、取り敢えずビザ免除にもなっているので、第2の都市スラバヤと、第4の都市メダンを訪ねてみることにした。かなり困難な旅が予想されるが、果たしてどうなるのか。

 

8月25日(日)
スラバヤで

KLを離陸したエアアジアに乗っていた。スラバヤまでの飛行時間は約3時間。そんなに遠いのかと思い地図を広げると、確かにジャワ島の東の端だから、遠いのだ。6年前は香港人のトミーの後ろに付いて、ジャカルタ入りしたのだが、今回は一人。しかも何の情報もない中を行く。ただ一つ、日本人はビザ免除になっているのが救いだった。

 

だがインドネシアはそれほど甘くはなかった。スラバヤ空港は大きくなく、すぐにイミグレに辿り着く。パスポートを出したところ、『帰りのチケットは?』と聞くではないか。『これからメダン経由でKLに戻るので帰りは未だ手配していない』というと、すぐに別室に案内されてしまった。これは恐ろしいことになるかもしれない。最悪KLに戻ることになるかも、と悪いことが頭を過り、緊張が走る。

 

それからさんざんすったもんだの挙句、ビザ免除のスタンプを得たのは1時間後だった。預けていた荷物も無事に回収できた。昔のインドネシアなら、わいろを要求されるところだろうが、今はきちんと正規の要求、手続きをしてくれたのは良かった。まあ、旅にはトラブルが付きものであり、また何とか解決法があるのだ、と久しぶりに旅の醍醐味を感じる。

 

出口を出て、まずはスマホシムカードを探す。色々と手続きがあるとか聞いていたのだが、あっという間に購入完了。すぐにスマホは起動した。そしておじさんがタクシー要るかと聞いてきたので、一応料金を聞くと、15万ルピア。ちょっと高そうだったので、断って背を向ける。するとすぐに言い値が下がり、見事にタクシーゲット。スラバヤ空港も市内行バスはないとのことで致し方ない。

 

スラバヤ郊外は緑豊かで快適だった。日曜日のせいか、道は比較的空いており、1時間弱で市内に予約しておいたホテルに入った。大型の古めのホテル、料金はそれほど高くなかったが、何だかビジネススイートという部屋に通される。入口に机があり一部屋だが、使うことはない。それでも居心地は悪くなさそうだ。

 

隣にショッピングモールがあるというので行ってみる。かなり小さな店が入っている、タイなどによく見られるタイプだ。両替所でもあれば、と思ったのだが、何とエスカレーター故障で上の階に登れず。ATMの機械に銀聯カードなどを差し込んでみたが、空港同様現金は出てこない。

 

急激に空腹を覚えたので、そのビルにあった吉野家に駆け込む。インドネシアで牛丼か。メニューを見ると、チキンやベジもある。私は迷わず、マヨ玉牛丼をチョイスした。ここでこれが食べられるとは何だか幸せだ。このメニュー、日本にはあるのだろうか。マヨ玉、やはり美味い。インドネシア入国初日にこれはないだろうか。

 

ホテルのフロントに聞くと、両替は1㎞ほど歩いたショッピングモールにあるというので、散歩がてら出掛けてみる。すでに日は暮れていたが、交通量は多く、信号などはないので歩行者にはかなり厳しい環境だ。それでもライトアップされた古い建物もあり、歴史を感じさせる。ようやくたどり着くと、そこは立派なモールで、日本関連の店もいくつもあった。

 

ただ両替所では『米ドルの旧札は両替しない』と言われてショック。空港では両替してくれたのになぜと聞いても取り合ってくれない。取り敢えず持っていたマレーシアリンギを両替した。さっきのモールでドリンクを買おうとしたが、レジが大行列だったので、こちらのスーパーで買う。既にインドネシアの国民飲料となっているポカリスエットは勿論、ビタミンウオーターなど日本製のドリンクが並んでおり、日本より安いのがよい。きっと生産はインドネシアで行われているのだろう。

 

部屋に帰って何気なくテレビを点けると、バドミントンの世界選手権を生中継で放送していた。昔バドミントンはインドネシアの国技とも呼ばれていたが、最近は日本の方が上回っている。男子の桃田は圧勝、女子の奥原はなぜかインド選手には勝てない。女子ダブルスは日本勢同士の対決となり、最後の男子ダブルスでインドネシアペアーが日本を下して、実況席も大騒ぎになった。こんなのをインドネシアで見られるとは面白い。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(8)KLをフラフラ

他に当てもないので、バス停に戻ろうとしたが、途中にショッピングモールがあり、タクシーがいたので、クラン港まで乗せてもらった。今やマレーシアでも普通の人はGrabでタクシーを呼ぶので、彼らもその料金を念頭に請求してくる。運転手は日本に行きたい、などと言いながら陽気に運転する。港まで5㎞もあった。そして港はほとんど見えない。観光船が出るターミナルで降ろされる。

 

何だかフェリーに乗って海鮮食べに行く、という感じらしいが、どうも今日はそんな気分でもない。天気も曇りで心も晴れない。取り敢えず腹が減ったので付近を歩いていると、マレー料理があったので、そこでチキン麺を食べた。これが意外とうまく、またマレー系は優しいので、ちょっと癒された。

 

クラン港駅はすぐそこにあったので、列車で帰ることにした。一応バスターミナルも見たのだが、KLまで行くバスはここからは出ない。というより、この付近、殆ど人家もなく、何とも寂しいのだ。列車は朝も乗ったので、途中で地下鉄に乗り換えて、別ルートで帰ったが、路線図が頭に入っていないので苦労した。初めてのクランの旅は完全に空振りに終わった。

 

今晩は、以前台湾で一度会っただけの知り合い、Iさんと会う約束になっていた。彼女は台湾の後、メキシコで働いているとばかり思っていたが、いつの間にか、KLにいたようで、連絡があり、再会した。場所はKLセントラル駅。何だか丁度良い店がなかったので、華人系の麵屋に飛び込む。麺をすすりながら気が付けば3時間近く話しており、店の客も全員帰っていた。メキシコからKLに移り住む、凄い。更には行ったことがない南の島に移住するとか、彼女の話は面白過ぎる。

 

宿へ戻る時、前を盲人が歩いていた。実はここに来てからずっと気になっていたのが、盲人が沢山歩いていることだった。しかも必ず誰かが肩を貸すなど、ごく自然にサポートに入っているのがよい。日本はなかなか優しくなれない社会であるが、ここには優しさがある。盲人が多い理由は、どうやらこの付近に盲人按摩の店がいくつもあるかららしい。それで夜も出歩いていることが分かる。

 

8月24日(土)
KL散歩

今日は午前中特に予定がなかったので、適当に動いてみることにした。まずは博物館に行こうと思い、パサールスニの先でバスを降りたが、なかなか見つからない。観光客向けの道があり、更に行くと大きな広場があった。そこに博物館はあったのだが、何とそれは繊維博物館?のような専門的な物だった。

 

ここで無料バスに乗り、国立博物館に向かおうとしたが、バスの乗り場が分からず、結局歩くことになった。2駅ほど行くと、古めかしい建物が登場する。元々鉄道局のビルだったようだ。その向こうにはマジェスティックホテルがある。KLの老舗ホテルで恰好がよい。

 

晴れてはいなかったが、汗だくになってようやく博物館に到着した。ここも敷地が広く、入り口を探すのも苦労した。入場料10リンギ、先日のシンガポール博物館の5分の1以下だ。中の展示はかなりまとまっており、マレーシアの歴史の外観は掴めた。1階では子供向けの絵画教室が行われており、皆楽しそうだった。

 

無料バスを見つけて乗り、駅の反対側まで来た。腹が減ったので、そこにあったケンタッキーに入ったが、そのサービスは良くなかった。マレーシアのファーストフードにサービスを期待する方が間違いだろうか。午後は地下鉄でKLCCまで行く。旧知のHさんとの待ち合わせは、紀伊国屋。

 

だがそこから延々歩いてブキビンタンまでやってきた。以前も行った肉骨茶屋に入る。以前ミャンマーにいたHさん、そこのミャンマー人店員と親しくなっていた。やはり肉骨茶はうまい。実は昨日行ったクランが発祥と言われているが、食べなかったので、ちょうどよかった。帰りはモノレールで帰る。夜は腹一杯で食べず、早く寝ようとしたが、何と外でお祭りのパレードが始まる。鳴り物の音がすごい。

 

8月25日(日)
スマトラへ

今日はインドネシアに向けて出発するため、宿をチェックアウトした。空港へはバスが安いのでそれに乗る。1時間ほどで到着。エアアジアのチェックインと預け荷物の処理は全て機械化されている。最初は戸惑うが、慣れると早い。ただイミグレはとても混んでいて、30分以上通れなかった。シンガポールほどではなかったが、それでもなかなか機能的な空港ではある。これから6年ぶりのインドネシア、そして初めてのスラバヤへ行く。どうなるのか、ちょっとワクワクだ。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(7)クランの老舗茶荘を訪ねるも

8月22日(木)
陳さんと

翌朝は、まず宿の前の店に入り、カヤトーストとコーヒーで朝食をとる。これはマレーシアの定番朝ごはんだと思うが、ここで食べている人はほぼ観光客。そして店員のサービスレベルはかなり低い。早々に退席する。そして宿をチェックアウトして、近くの別のホテルに移った。まだ朝10時前なので、チェックインできるとは思わなかったが、ここのフロントの対応は非常によく、そのうえ部屋が空いていたので、荷物を入れることが出来た。

 

そこからまた元の宿に戻る。今日は知り合いの陳さんと会うことになっており、陳さんにはチェックアウトしたホテルの場所を教えていたからだ。車で迎えに来てくれ、どこへ行きたいかと、私の希望を聞いてくれる。私が、イポーの梁瑞生さんから教えられた茶荘の名を告げると、家の近くだと言って、まずはそこに向かった。

 

九鼎香茶荘は、ケポンという場所にあった。ここはプーアルなど黒茶類がかなり置かれており、老舗という感じはなかった。聞いてみると、1990年代に店を開いたという。ただ以前、茶葉が足りない時代にキャメロンハイランドで茶摘みをしていた人はいた、ということで、昔からお茶に関わっていると思われているようだった。マレーシアのお茶は紅茶だけだと思っていたが、この茶葉で烏龍茶なども作っていたらしい。

 

残念ながら早々に退散して、陳さんのオフィスへ向かう。彼は既にリタイアしているが、勿論今でも彼の会社である。若者が出てきて話をしてくれたが、なんと彼の息子だった。後継者として修業中。しかし話の内容は、日本大好き。特に仮面ライダーなどに興味があるというので、今度うちの息子を紹介して、一緒に秋葉原へでも行ってもらおうかと思った。

 

そうこうしているうちにお昼になる。当初は陳さんと二人で麺でも食べて軽く済ませようと話していたが、最近滅多に顔を見せない陳さんが来たということで、スタッフと一緒に食事をすることになる。潮州料理屋で美味い飯にありつく。だが不思議なのは、潮州料理屋なのに、店主は広東語を使い、客も広東語で答えていること。

 

しかもボスの陳さんは福建人なのに、皆で広東語を使いあっている(ほぼ全員が福建語もできるはずなのだが)。そして中華料理なのに、箸は出てこない。皆フォークとスプーンで食べている。何だか頭がさく裂しそう。でも逆にマレーシアの言語、華人の生活習慣などにとても興味を持ってしまった。来年はマレーシアにも長く滞在して、こういった些細な謎を解き明かしたいものだ。

 

昼ご飯の後も、陳さんのオフィスに行き、美味しそうなお茶をたくさん飲んで、ダラダラと雑談していた。さすがに眠くなったので、車で送ってもらい、新しい宿へ帰った。陳さんは今や悠々自適、この前まで中国を1か月旅し、今週末からは家族でバリ島に行くらしい。まさに悠悠で、羨ましい。

 

夕方までゆっくりと休む。このKLセントラル駅前、手軽で美味い店をなかなか見つけられずにいた。今晩は軽く、と思っていたのに、突然インド系の店に乱入して、魚、鶏肉など3品もメインを頼み、大盛りの飯も付いてきて、食べるのが大変だった。それでも完食してしまうのは、かなり問題だ。どこかストレスでもあるのだろうか。

 

8月23日(金)
クランへ行くも

今日は建源茶荘に教えてもらった、クランの老舗茶荘を訪ねてみることにする。地図で見ると、列車でクラン駅まで行き、そこからバスに乗るらしい。特に連絡もせず、突然訪ねるのだが大丈夫だろうか。行きつけるのか、ちょっと心配だ。KLセントラルから、クラン港まで列車が出ている。これで約1時間、ダラダラと乗って行く。朝8時台でも特にラッシュはない路線のようだ。どの列車に乗ればクラン港に着くのか迷うが、駅員に聞いて事なきを得る。

 

早めにクラン駅に着いたが、駅舎は工事中。バスはどこに来るのか分からない。2-3人が立っていたので、そこにいると10分ほどでバスがやってきたので乗り込む。料金をどのように払うのか聞くと『これは無料バスだ』というではないか。素晴らしい。それから20分ほど乗って、かなり郊外のバス停で降りる。

 

しかしどう見ても目的地ではない。私はスマホ地図に入れる住所を間違えてしまい、かなり歩く羽目になる。だがその目的地に着いても、どう見ても高級住宅地(パスポートを見せてようやく敷地内に入る)であり、茶荘があるようには思えなかった。そしてその番号の家へ行ってみたが、やはりただの住宅で、看板すらない。この一帯は華人のお金持ちが住んでいるようではある。途方に暮れる。

 

そこで初めて電話してみた。女性が出たが『何で自宅に来たの』と向こうも戸惑っている。遠くにある工場にいるらしい。彼女も困って、息子に電話しろ、と番号を教えてくれる。掛けると、いま遠くにいるので迎えに行くこともできない、と言われたが、その声はかなり好意的。後日にして欲しいと言われ、1週間後に再設定した。それにしてもこんな遠くまで来て、誰もいない、というのは茶旅でも珍しい。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(6)KLの老舗茶荘

8月21日(水)
KLの老舗茶荘

翌朝、もう一度パサールスニに向かった。朝10時前だったが、広滙豊という昨日発見した店に乗り込んだ。古い六堡茶なども置かれており、確かに店内を見ても歴史が感じられる。確か6年前にもこの店に入り、マレーシア華人は六堡茶を飲むんだ、と再認識した記憶が蘇る。

 

店員に聞いてみると、やはり100年近い歴史はあり、KLで最も古い茶荘と言われているという。だがオーナーは来ていないので、詳しい話は分からない。そこで若旦那の電話番号を聞いて、掛けてみるも、歴史なら父親に聞くしかないが、現在国外にいるというので、日を改めて訪問することにした。

 

そちらは諦めたが、店員から広滙豊が現在の会長を務める茶商公会の冊子をもらい、現在のマレーシアの茶商リストを手にすることが出来た。これまで行ったペナンやイポーの茶商の名前も載っており、その役割と共に掲載されているので、これで大体の感じは掴めた。更にこの付近の老舗茶商を紹介してもらい、そこまで歩いて行って見た。

 

建源茶行は、チャイナタウンの端の方にあり、今まで気が付かなかった。入っていくと店主らしき人が、ヨーロッパ系の女性に英語でお茶を説明している。若い3代目許さんが私の相手をしてくれた。この店は戦後、1945年創業となっており、祖父が自転車で茶を売り始めたという。

 

1960年、中国茶を輸入するために茶商たちが設立した会社、岩渓茶行には、聯隆泰(貿易専門会社)という別会社で参加しているので、始めたよく分からなかった。福建茶などの卸を主に、現在も営業を続けている。彼らはとても親切で、茶の歴史にも興味があると言い、お茶を飲みながらいろいろな話をした。

 

そして彼は2つの老舗茶荘を紹介してくれた。1つは巴生(クラン)にあるというので後日行くことにした。もう一つはここから歩いて15分ぐらいだというので、そのまま行ってみた。チャイナタウンを過ぎて、インド系の匂いがしてくれる。元々マレーシアでは華人とインド系は貿易などを行う上で、港の近くのほぼ同じ場所に店を出していた。

 

高泉發、その店舗は暗くて、営業しているのかどうかさえ定かでなく、恐る恐る入っていく。ここは卸が中心だな、とわかる店の作り。往時は相当な茶業だっただろう。店員に話しかけると、中から70歳代の夫人が出てきた。彼女が3代目の奥さん黄さんで、残念ながらご主人は昨年87歳で亡くなっていた。

 

最初はあまり話に乗り気ではなかった彼女。私が高という苗字なら安渓大坪出身でしょう、と聞くと、日本人がなぜそんなことを知っているのか、と驚いた。そして私が大坪の張彩雲の歴史を調べたことを伝えると、『うちの主人とは同郷で、親戚の中には張家から船賃をもらってマレーシアに渡った者もいる』と急に親しげになり、その後は何でも話してくれた。因みに黄さんは安渓人ではなく広東の客家の出だという。この2人が結びついた経緯などにも興味があるが、それは説明してもらえなかった。

 

日本人も昔はよく店に来てお茶を買って行ったが、最近は来ないという。景気が悪いのかなというので、素直に頷く。マレーシアの茶業もすでに転換期を過ぎ、今後どれだけ続いて行くのかは分からないと言い切る。こういう老舗が続いてほしいとは願うものの、一方で消費者の好みの変化などを考えると致し方ないのかなとも思ってしまう。それでも4代目が既に店は継いでいるという。

 

茶荘を出ると腹が減る。午後1時を過ぎているのに、満員の店があったので覗き込むと店主が華語で話しかけてきたので吸い込まれた。またまたチキンライスを食べる。私は基本的に1日2食ならチキンライスだけ食べていれば十分だ。活気がある店で食べるとその味がまた良くなる。

 

この付近には大きなマスジットジャメ・モスクもある。かなり美しい外観で引き付けられた。1909年建造とあり、KLの中心的なモスクだ。地下鉄も通っていたので、チラッとモスクを見てから、と思ったが、手続きしている人を見ていて面倒になり、そのまま宿に戻る。そして宿の斜め向かいにあるコインランドリーで洗濯。

 

夜はたまたまKLに来ていたMさんと再会する。場所はまたチャイナタウン。何と2日で3回目だが、これもご縁というものだろう。中華レストランで観光客的な料理を食べながら、マレーシア事情などについて話す。Mさんは多言語を操り、旅好きで、非常に興味深い人物だ。初めて知ったのだが、彼は昔KLに3-4年住んでいたらしい。色々と詳しいわけだ。勉強になる。3時間以上話し込んで、夜遅くに地下鉄で帰った。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(5)イポーからKLへ

一度部屋に戻り休息する。その後気を取り直して、宿から近くにある、洞窟寺院を訪ねてみた。そこは炭鉱の町イポーらしい、岩肌が見える小山に横穴を掘り、そこに寺院が作られていた。中に入るとひんやりとした空気が心地よく、ロウソクの火が微かに揺れる中、お参りする。

 

ただ外には犬が何匹もおり、激しく吠えてくるのですぐに退散する。その横には立派なヒンズー寺院も見えたが、閉まっており見学は出来なかった。更に山沿いに回り込むと、古い寺院が遠くの方に見えたが、これは何のためにあるのか分からず、途中で引き返してしまった。

 

街の方に戻ると、なぜか腹が減ってしまい、少し早いのだが、晩御飯とする。カレー麺と揚げ物を注文して食べたが、かなりスパイシーだった。お客は華人だけでなく、マレー系、インド系の家族などもおり、具が自由に選べるので、ベジタリアンにも受け入れられるのが分かる。多民族融合の食べ物として定着しており、マイノリティーである華人の商品開発力を見る思いだった。

 

8月20日(火)
クアラルンプールへ

翌朝は早起きした。実は昨日の午前中に知り合った人の食堂にカレー麺を食べに行く約束をしていたのだ。そこは宿から歩いて20分以上あったが、さわやかな朝なので気持ち良い散歩となった。お店は既にかなりお客がいて、人気店であることは一目で分かる。お勧めの麺を出してもらったところ、カレー麺と福建麺が半々で、カレーなどを少しずつ混ぜて食べるとなぜか絶妙な味になる。スープもうまい。更にはカレーの原汁もちょっと飲ませてもらうが、それほどスパイシーではなく程よい。何とも驚きの麺であり、次回も必ず食べたい麺として記憶に残った。デザートの煮卵、余りスープに入っており、こちらもうまい。

 

宿まで帰ると、朝食付きだったことを思い出し(わざわざ交渉して朝食を付けた)、もったいないのでコーヒーとフルーツをまた頬張る。そうこうしていると時間になり、呼んでもらったタクシーで駅に向かった。今日は12時発の列車でKLに行く。この列車のチケットは事前に購入しておかないと席は確保できない、イポー-KL間の直通列車だ。

 

約2時間半でKLまで行ってしまう。料金はバスより高いが便利なのだ。ずっと田舎の風景を眺めていたが、最後に街に入るとKL駅があった。思わず終点かと立ち上がり荷物を下ろしていると、他の乗客が『終点はKLセントラルだ』と言ったので、荷物を下ろしたまま、腰も下ろす。そして終点で列車を降りる。KLセントラルには何回か来ていたが、実質数年ぶりでかなり迷う。

 

駅からすぐのところにはいくつも簡易なホテルがあり、その一軒に飛び込む。だがこちらもネットの方が安いので、ネットで予約し、代金支払いはセブンイレブンで行った。これだと現地通貨が使えるので、現金が余っている場合は良いことを初めて発見する。このホテル、装備は悪くないのだが、何と夜ダニか何かが出て痒いので2泊して出ることにした。

 

まずはKLでスムーズに動くため、交通系カードの入手に動く。スイカなどは駅でも買えるが、ここのカードは特定の場所に行かないと買えないらしい。そのショップがKLセントラルのモールにあるというので、行ってみた。10リンギ払ってカードを買う。有効期限は10年だが、1年に一度は使わないと失効するらしい。係りの女性から『今日という日を忘れないように。年に一度はKLへ』と言われ、笑ってしまった。

 

折角カードをゲットしたのですぐに使ってみようと思い、近くのバス停を探してバスに乗る。僅か一駅で見慣れた場所に着く。パサールスニ、いわゆるチャイナタウンだ。6年前に数日宿泊したので、何となく見覚えがある。チャイナタウンの中で老舗茶荘を発見したが、資料を持っていなかったので、明日再度来ることにする。

 

その並びに海南チキンライスの店があったので、まだ夕方だったが思わず入って食べる。蒸しと焼きを半々に注文したつもりが、2皿来てしまい、大量に食べる羽目になったが、これは嬉しい誤算だった。やはりマレーシアのチキンはうまい。その後もフラフラ歩き回り、地下鉄に乗って宿へ帰ったが、6年ぶりのチャイナタウンの大きな変化は見られなかった。夜はダニと格闘して眠りは非常に浅かった。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(4)イポーの老舗茶荘を見つけるも

イポーで

今回のホテルは珍しく、日本人客の評価が高い所にしてみた。予約はせずにタクシーで乗り付け、料金を聞いてみると、やはりネットより少し高い。そのことをフロントに告げると、『実はネットの料金はプロモーション価格だ』と言いながらも、ほぼその料金で2泊泊めてくれたので有難い。この辺の対応が高評価の一因だろう。

 

約100リンギの部屋、こじんまりしているが、ロッジ風で、バスタブがあり、NHKが見られ、何より落ち着いた空間がある。朝食も付いている。こういう部屋が日本人の好みだとよくわかる。ロケーションは駅からはかなり離れているが、街の中心部にあり、前回泊まった大型ホテルのすぐ近くにあり、やはり便利である。

 

まずは街の位置関係を確認するため、駅まで歩いてみることにした。少し歩くと屋台が数軒入った食堂に出くわす。確か前回もここに来た記憶があり、懐かしさもあって入ってみた。イポーは食の街であり、煮麺も名物の1つなので頼んでみる。老夫婦がやっていたが、おばさんは広東語で注文を聞き、こちらが華語で答えるとなんと流ちょうな英語で返してきた。この辺のやり取りが実に楽しい。

 

駅までは3㎞近くあったが、曇りで暑くもなく、ゆっくり歩いた。この街もレトロな雰囲気はあったが、特にある一角には保存された古い街が残っていており、カメラポットになっていて、観光客が訪れている。往時炭鉱の町として栄えたイポーの面影はある。その中にお茶屋を発見したが、今日は日曜日のせいか、閉まっていた。

 

駅は昔のままだが、そこにあった立派なステーションホテルはかなり前に営業を止めていた。駅の周囲には特に見るべきものはない。宿の近くまで戻ると、何軒か食堂があり、その中で目を引いた、魚片粉の店に入る。濃厚なスープに揚げた魚の塊が放り込まれており、何とも美味。かなり満足して宿に帰り、大河ドラマを見て寝る。

 

8月19日(月)
イポーの老舗茶荘はどこに

朝はホテルで朝食を食べ、暑くならないうちに歩き出す。特に情報もなく、何の当てもない散歩だった。昨日と違う道を歩いて行くと、横道にきれいなモスクが見えた。実は私はイポーの街歩きが大好きだが、その理由はおそらく『華人の街』だからではないかと思っている。マレーシアはマレー系が人口の7割近くを占め、華人はマイノリティーだが、ここイポーは華人人口が7割と言い、華人的なにおいが濃厚で、何だかホッとしてしまうのだ。

 

その中でモスクを見つけて近寄ったのは決して偶然ではあるまい。何か見えないものに引っ張られたのだ。そのモスクの向かいの建物には『珈琲茶公会』の文字が見えるではないか。思わずそのドアを叩くと、中から女性が出てきて応対してくれた。ところが茶公会のはずが、『イポーはコーヒーの街だから、会員の多くはコーヒー関係者』だと言い、何と老舗茶荘については分からないという。組合が把握していないのであればもう絶望的だ。

 

だがその女性はとても親切で、どこかに電話を掛けている。すぐに男性が車で駆け付け、私をどこかに連れて行ってくれる。しかも何とその女性も同行してくれた。車はちょっと郊外に出て、瀟洒なカフェに向かった。イポーは白珈琲の発祥の地であり、このカフェでその歴史が分かるという。平日の午前中なのに満席で、しばし古い道具などの展示物を見る。

 

白珈琲とカヤトーストを頂く。この男性は実はお茶ともコーヒーとも関係がなく、イポー名粒、カレー麺を作る食堂の三代目だった。今日はたまたま休日だったので付き合ってくれたというのは、何とも有り難い。彼の原籍は海南島であり、実はイポーで食堂やカフェをやっている人は海南人が多いという事実を知る。この白珈琲も海南人が始めたそうだ。これまで華人の中で海南人について調べたことはなかったので、今後は注意してみよう。

 

彼の車で昨日行った古い町並みの所で降ろしてもらう。結局午前中は茶荘の情報は得られなかったので、ダメもとで昨日見た茶荘に行ってみる。今日は開いており、六堡茶などが店の前に出ていた。梁瑞生茶荘、雰囲気はかなり古い。三代目という若いオーナー易さんとそのおじさんが快く迎えてくれ、彼らの歴史を聞く。創業80年、広東出身のこともあり、ずっと広東系のお茶を中心に扱っており、紅茶粉は商わないらしい。

 

易さんはとても親切に、店にある沢山の資料を見せてくれ、色々なお茶を振る舞ってもくれた。更には易さんに教えてもらい、もう一つ老舗茶荘があるというのでそこまで歩いて行って見た。お店を見ると確かに老舗の匂いがプンプンする。中に入り女性に声を掛けると忙しそうに『オーナーはいない。私は歴史については何も知らないし、資料などの提供はしていない』ときっぱり言われる。

 

尚も取りすがるように『日本から来て、調べている』と訴えたが、『写真は自由に撮ってよい』と言われただけだった。仕方なく店内の写真を撮っていると、何とそこに、イポーの老舗としてリストに載っていた茶荘の名前を発見する。だが、なぜそこに名前があるのか、この茶荘とどんな関係にあるのか全く聞くことが出ず、退散するしかなかったことは残念でならない。まあこれもまた茶旅だ。

マレーシア老舗茶荘探訪2019(3)ペナンでお茶イベントに参加

8月17日(土)
ペナンの茶イベント

今回ペナンに舞い戻った理由、それは茶芸協会のケビンから『ペナンでお茶イベントがあるから来ないか』と言われたのがきっかけだった。ちょうどKLまでの道中なので、寄り道した。いったいマレーシアではどんなお茶イベントが開かれているのか興味があり、ちょっと覗いてみた。

 

会場は例のタイムズスクエアーだった。宿から歩いて10分ほどの場所にあり、しかも前回行っているので迷うこともない。10時開始だというので、10時頃行ってみると、皆さんまだ準備中だった。それでも10以上のブースが出ており、様々な茶が紹介され、販売されているのは面白い。

 

このイベントはマレーシアの数か所を巡回して、お茶を紹介しようというもの。ケビン達主催者は忙しいようなので、取り敢えず一通りブースを回ることにした。岩茶を扱うところ、六堡茶の老茶を淹れてくれるところ、緑茶を売っているところなど、KLの茶商を中心に、老舗ではなく、新興の人々が集っていて興味深い。そして何より、皆さん親切で丁寧に説明してくれ、お茶を淹れてくれた。

 

そのうち開幕式が始まり、ケビンが司会をしている。彼は器用で何でも屋だ。英語も中国語もどちらも流ちょうに話す。周囲を見るとお客(殆どが華人)が続々と集まって来ており、思ったよりずっと大きなイベントになっている。茶芸というコンセプトが入って20-30年。茶業についてはそれまでとは違う動きがマレーシアにあることが分かって来た。

 

昼の時間は抜け出して、宿の近くの鴨肉飯を食べに戻った。これがうまいんだ。昨日間一髪で閉まってしまったのは残念でならなかったが、今日はちゃんとありつけた。すでにかなりの量のお茶を飲みこんでいた腹には、アイスミルクティーが新鮮でよい。このあたりの建物も、かなり古い物が多く、見ていて飽きない。

 

午後はセミナーが開催されていた。最初は茶芸協会会長が、雲南などを旅した茶旅を、中国語で報告しており、近年流行りのプーアル茶についての紹介を行っていた。その後のブレイク中に、台湾茶や雲南茶などのブースを回る。2つ目のセミナーは茶葉の種類などの基礎講座であったが、華人女性が流ちょうな英語で説明を行っていた。こういう英語講座、日本では難しいだろうな。

 

そして最前列にはインド系女性が陣取り、その講座を熱心に聞いているのが目を引いた。終了後には色々な質問もしている。現在マレーシア茶業が必要なことは、非華人系のお茶好きを発掘することかもしれない。インド系が中国茶を飲みだすのだろうか。如何にも多民族国家らしい光景を見た思いだ。

 

かなりの時間イベント会場に居てお茶を飲みすぎ、腹が減る。帰りに海南チキンライスを食べて満足して、部屋に戻って休息する。明日はイポーを目指すので早めに就寝しようとしたが、なぜか午後9時過ぎてまた腹が減る。仕方なく外へ出たが、既に多くの食堂は閉まっており、困る。

 

かなり歩いて行くと、何と飲茶屋が店を午前零時まで開けている。自分の好きな物を注文するのだが、なぜか相当な量を頼んでしまい、それをまたペロリと平らげた。お茶も鉄観音茶を注文して、一人飲茶を展開する。腹が減っているせいか、この点心が予想以上にうまい。店員の華語が少しおかしいので聞いてみると、何とベトナム人だった。彼の友人の何人もが、今日本で働いており、彼も日本へ行きたいという。私には是非日本で働いてくれ、とはとても言えない。

 

8月18日(日)
イポーへ

翌日はイポーに向けて出発した。前回ハジャイ行きで使ったミニバスが、とても楽に国境越えが出来たのと、列車で行くのが面倒そうだったので、今回もバスで行くことにした。チケットを買い、バスを待っていると、他の家族と一緒に何とミニバンに押し込められた。これで郊外まで運ばれ、そこでまた客を拾い、何とバターワースのバスターミナルで降ろされた。

 

そしてイポー行きは1時間出ないというのでちょっと驚きながら、建物の中で待つしかなかった。騙された気分である。そのバスはイポー経由キャメロンハイランド行き。到着は更に40分遅れたがどうすることもできない。ここから約2時間半、このバスに揺られていく。

 

イポーのバスターミナルと言えば、6年前、マラッカでスリに遭い、失意のうちに辿り着いた場所で、いい思い出はない。あの時は夜10時頃に到着して、既にバスはなく、高いタクシーに乗った記憶がある。しかし6年経ってもバスは整備されておらず、昼間からタクシーに乗る羽目になる。運転手の言い値は25リンギ、6年前と変わらない。