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天津・大連・北京周遊茶旅2018(5)9年ぶりの大連へ

12月19日(水)
大連へ

今朝も相変わらず寒い。今日は大連に移動だ。天津にも慣れてきて、好きになって来ただけに残念だ。最後にまた豆腐脳を食べて天津を終わろうと思ったが、何と売り切れで食べられず。どうしても次回また来なくてはならなくなる。代わりに近所の食堂に入り、煎餅と卵スープを頼む。十分満足。

 

ホテルをチェックアウトして、地下鉄駅まで荷物を引きずる。これが遠いのは玉に瑕。まあ仕方がない。それでも地下鉄を乗り継ぐと1時間弱で天津空港まで行けるのは有り難い。恐らく初めて乗る天津空港。天津航空の大連までのチケット代は僅か200元と格安。LCCかと思い、荷物代を払っても+50元だから嬉しい。しかもチェックインのところで見るとどうやら預け荷物も15㎏だと無料らしい。払い過ぎたか?更には預けずに機内に持ち込めるというので驚く。

 

国内線だから余裕があり、搭乗ゲート近くでPCなどをいじっていると、いつになっても搭乗開始にならない。何故だろうかとカウンターに近づいて見て驚いた。何とゲートが変更になっているではないか。そんなアナウンス、あったのだろうか。慌てて走って変更ゲートに向かう。既に搭乗は始まっており、何とか間に合う。いつか乗り損なう日が来るような気がする。

 

初めて乗る機体は新しく、機内はきれい、CAも笑顔がありよい。僅か1時間のフライトで、そのサービスのほどは分からなかったが、メジャーエアラインに比べて、きめ細かいサービスと笑顔は期待できそうだ。あの安い料金でかなり乗っているのは何故だろうか。経営の方が心配にはなる。

 

大連の街
大連空港に降り立つのは約9年ぶりだろうか。荷物を持ち込んでいるのでスムーズに外に出る。意外と寒い。地下鉄が通っているのだが、一度空港ビルから外へ出て地下へ潜る。何故だろうか。天津も大連も10年近く来ていなかったので、地下鉄が走っていて便利だと感じられる。しかも大連駅まで乗り換えなしに行けるからよい。

 

地下鉄はとてもきれいだった。そして乗客は殆どいなかった。市内に近づくにつれて乗ってくる人はいたが、天津同様混雑はなかった。駅で降りたが、大連駅までは少し距離があった。天津で気に入ったチェーンホテルを大連でも予約したが、その場所は大連駅の横だったのだ。

 

そこまで行くのに狭い道を通る。何となく古い街がそこにあった。何故駅前にこんな建物があるのだろうか。実はそこが日本時代に賑わった連鎖街という日本人の街だったのだ。歴史的建造物として残されるのだろうか。駅前の道には路面電車も走っており、何となくレトロな雰囲気が漂う。

 

ホテルはデザインなどは天津とほぼ同じだったが、料金は3分の2で済んだ。やはり大連の宿は安い。検索してみると昔出張で泊ったシャングリラホテルでも700元程度で泊れる。いくら古くなっているとしても、今の中国では考えられない料金だ。天津でこの宿を利用したこともあり、さらに割引になったりもする。部屋からは大連駅がよく見える。

 

窓の外を眺めていると急速に闇が迫って来た。大連は天津よりだいぶ東にあるのだろう。同時に腹も減ってくる。今日はちゃんと食事をしていなかったので急いで外へ出る。連鎖街の食堂を探したが、ローソンが光っているだけ。寒いので地下道に入り探すも、衣料品店が多く、ピンと来る店がない。折角大連に来たのだから、餃子が食べたい。

 

地下鉄の隣の駅まで歩いてしまい、外へ出て探す。こうなると意地だ?10年前に大連に来たら、餃子の店は沢山あったはずだが、今は食にバリエーションが出ており、韓国料理屋やフランスパンの店など、実に多彩になっている。イルミネーションもキラキラしているのだが。

 

ついに小さな食堂を見つけた。麺屋と書かれていたが、水餃子があったので頼んでみた。私の好物のセロリと豚肉入りの餡だ。以前大連で餃子を頼む時は、一斤か半斤単位で食べ切れなかったが、この店は適当な量が皿に載って来た。代金は13元、昔に比べれば高くなったものだ。

 

餃子はまずくなかったが、その店の雰囲気はほぼ最悪だった。おじちゃんたちがぼそぼそ話しながら麺を啜っている。そして何と言っても皆がタバコを吸っている。ええ、中国の食堂って、禁煙ではなかったのか。しかも後から入って来た若い女性2人も席に着くなり、タバコに手が伸びる。ここはタバコ部屋なのだ。煙草をあまり気にしない私も、これには参ってしまい、早々に退散した。

 

大連駅を含めて周囲のライトアップはきれいだった。部屋に戻ると、発展した大連を上から眺めた。床に就くと、かすかに列車の音がする。鉄道好きの人にはちょうど良いロケーションなのかもしれない。元々はどんなホテルだったのだろうか。鉄道ホテルか?

天津・大連・北京周遊茶旅2018(4)広東会館から河沿いを行く

12月18日(火)
今日も天津を歩く

翌日は、午前中人民大会堂で行われた改革開放40周年式典をテレビで見ていた。科学者、文学者、政治家、技術者から、金メダリストなどスポーツ選手、アリババのジャックマーのような企業経営者まで、まあ、実に様々な功労者が紹介され、表彰されていた。確かに鄧小平が行った改革開放により、これまで人類史上稀にみる発展を遂げた中国、それを誇る気持ちはよくわかる。こういうパフォーマスンは意外と大事なのかもしれない。これまでの高速発展から安定的な発展へ、果たしてうまく舵を切ってくれるのだろうか。中国の動向は我々にも大きく影響してくる。

 

昼前に外へ出た。一昨日ちょっと目に入った広東会館に行って見たくて検索すると近くのバス停からバスが出ていると分かる。だがそこへ行くとなぜかその番号のバスはなく、仕方なくタクシーに乗る。そして鼓楼が見えたので、そこで降りて歩く。平日の昼間、人は殆どいない。

 

真っすぐ行くとそこに鼓楼があった。ただ昼の12時からは係員のランチ休憩で登ることは出来なかった。その横に目指す広東会館があった。ここも休みかと思ったら、寒さのためチケット売り場の窓口を固く締めているだけだった。窓を叩くと中のおばさんに突然『65歳以上なら、早く身分証出してよ、割引だから』と言われたので、本当に驚いた。自慢ではないが、最近実年齢より若く見られることが多いので、まさか65歳以上と思われるとは予想外だった。帽子を取って顔を見せると、おばさんも笑っている。

 

広東会館というのだから、その昔は港町の広東商人などが集う場所だったはずだ。ところが建物に入って見てびっくり。そこは立派な劇場で、ちょうど相声という漫才が行われており、大勢の観客が笑い転げて、熱気で溢れていた。周囲には京劇の人形などもあり、時間によっては京劇が上演されていることも分かる。僅か入場料10元で、このタイムスリップ感とコスパの良さ、すごい。

 

1907年に建てられたこの会館。広東人で中華民国初代総理の唐紹儀が中心となり建設された由緒ある建物で、その一部がほぼ完全な姿を残している。かつては300室もの部屋を備え、多くの広東人が集まって来たという。また梅蘭芳など有名な役者がこの舞台に立ったとある。今はこの舞台のある建物を中心一部が残されているということだろう。

 

広東会館を後にする。台湾の王さんが言っていた、河沿いを歩いて行くと勧業場に着く、という言葉に従い、海河沿いを歩いてみる。天気は良いのだが、風はかなりあり、ちょっと寒い。河の向こう側にはいくつもの洋館が立ち並び、往時の繁栄を忍ばせる。王さんもこの景色を見ながら歩いたのだろうか。橋を途中まで渡ったが、前回も歩いたので、今回は断念する。

 

更に歩いて行くと、おしゃれなストリートの中に勧業場の尖った建物が見えてくる。ここまで約30分、王さんの言っていた通りだった。多倫道付近を歩いてみると多くの小さな日本料理屋がある。本当に天津は日本料理ブームなんだな。それも若者向けで可愛らしい。この付近、昨日も一昨日も歩いたが、何となく落ち着く。やはり日本租界だからだろうか。

 

今日は最後に、紹介されたお茶屋さん?お茶教室?にお邪魔した。天津大好きというYさんが通う店だった。お店はマンションの一室なので、連絡を入れて店員に迎えに来てもらい、何とか中に入る。店内はお茶と茶器に囲まれた素敵な空間。店主の張さんとは初め中国語で話していたが、突然『日本語とどっちがいいですか?』と流ちょうな日本語で聞かれ、日本語になる。

 

張さんは大学で日本語を専攻して、卒業後貿易関連の仕事をしているうちに、お茶に嵌ったらしい。これだけの日本語を話せれば、日本人の生徒も多いだろうと思ったが、天津には上海や北京ほどには、日本人はいないようだ。お茶の品ぞろえも実に豊富でよい。お茶を飲みながら1時間半ほど天津のお茶の歴史などを聞く。

 

帰りはちょっと歩いて地下鉄東南角駅へ行く。この付近には地下鉄駅がなく若干不便だ。バスも退勤ラッシュに掛かり、乗り難い。何とかホテルに帰り着くと薛さんから夕飯を食べようと誘われる。最後の晩餐だ。奥さんは風邪をひいてしまったようで、二人で近所のきれいな北京料理屋へ行く。

 

好きな物を頼め、と言われたので、炒腰花と木須肉をチョイス。この店の味付け、北京よりうまいのではないだろうか。具材も新鮮だ。ご飯ではなく、煎餅を頬張ると、余計に北京らしくなる。今晩は私が支払いをしようとスマホを取り出し頑張ったが、やはりスピードが遅く、薛さんに払われてしまう。本当に今回、薛さんにはお世話になった。有り難い。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(3)五大道を行く

12月17日(月)
五大道を行く

今朝はかなりゆっくりと起きた。そして食べ過ぎの為、朝食を抜いた。9時頃には薛夫妻が来てくれた。今日は五大道に連れて行ってくれるという。ここの管理委員会の主任が薛夫人の同級生で会ってくれるらしい。天津の歴史の一端を知る上で重要な場所であり、訪ねてみた。

 

管理委員会の場所、そこは大きな競技場のように見えた。コロッセオとでもいうのだろうか。ここは1920年に建設が始まった総合運動場だった(2014年に全面改修が終了)。この運動場の建設には天津生まれのイギリス人、1924年のパリ五輪、400m走で世界新記録、金メダルのエリック・ヘンリー・リデルも関与していた。リデルはその後も天津に住み、日本軍により強制収容所に入れられ、そこで死亡したという。両親が宣教師で、義和団事件直後の天津で生まれたリデルの物語は実に興味深い。

 

この運動場を囲む建物の中には博物館があり、まずはそこを見学した。100年以上前の天津の生活、薬局やレストラン、カフェ、写真館や日本人が開いた床屋までが再現されており、展示されていた。往時如何に天津には海外から人々が集まり(後の米国大統領など著名人も多く含まれる)、暮らしていたのか、その様子がよくわかる。

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見学が終わると、主任が登場。博物館に併設されたカフェ、キースリンでお茶を頂きながら、五大道の説明を聞く。主任にとってはこの地区を世界に知らしめ、観光客を呼び込むことも重要な任務の一つであり、その魅力を語ってくれた。天津には1000もの歴史的建造物が保存対象となっているが、その内半数近くがこの地区にあるという。因みにこの建物の中には北欧などのブースがあり、今やインバウンドではなく、海外旅行誘致が盛んだ。

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旧イギリス租界の一角にあった五大道は、成都、重慶、常徳、大理、睦南及び馬場の5つの街道からその名が付けられた。車で案内しようと言われ、専門家の金先生まで登場して、詳しい説明が始まる。全部の道を歩いたら20㎞近くあるようで、今回は車で30分程度、簡単にぐるっと回っただけだったが、戸建ての立派な家が多かった。

 

清朝瓦解後、天津に逃れてきた貴族や金持ちが住んでいたと言い、洋風の建物が多い割には、実は中国人の街だった(日本人も僅かに住んでいた)。今でも著名人の末裔たちがひっそりと暮らしているともいう。金先生の説明が早口である以上に、あまりにも歴史が多過ぎて、完全な消化不良のまま、車を降りた。

 

昼は運動場にあったイタリアンレストランに入る。主任は『五大道は今や日本食ブームだよ』と言っており、多くの日本料理屋の看板が見えていたが、薛さんは敢えて『五大道では洋食だ』と言って入っていく。レストランの内装などには雰囲気があるが、正直パスタもピザも味はイマイチ。

 

午後は薛夫妻と別れて、五大道を一人で歩いてみることにした。道は平行に走っており、歩きやすい。路地などはほぼ無くなっている。慶王府のような中国風の建物も見られるが、洋館が多い。保存はかなり行われており、状況の良い建物が多い。有名人の各家の前にはプレートが掛かっており、説明も付いている。私にはよく分からないが、中国人ならすぐわかる人が多いのだろう。買弁、商人、軍人、医者など、様々な職業の人々の家がそこにあった。10年前に来た時に入った茶楼もそのまま残っていて驚く。

 

3時間近く休みもなく歩き続けてしまった。暖かな日差しがあるとはいえ、気温は零度をちょっと上回った程度。さすがに体がこわばり、休みを欲していたので、この街を離れることにした。地下鉄駅まで何とか歩いて行く。先ほど博物館にあったキースリンの本店、立派な建物が見えた。帰ろうと思ったが、すぐ近くに静園があることに気づき、地下鉄を降りて向かう。

 

ラストエンペラーが住んだ静園には10年前に来たことがあった。今回はもう一つの張園が見てみたくて探す。静園のすぐ北側にその建物は見えたが、改修中で入れなかった。張という山西人が1916年に建てた私邸だというから、相当の金持ちだ。茶葉貿易にも絡んでいたのかと思ったが、調べてみると清末の軍人、湖北提督だった。この園、ずっと未開放で数年前に開放されたと聞いたのだが、また閉鎖されたのは残念。この付近は五大道とは違い、日本租界の雰囲気が漂っており、古い建物も多く残っていた。

 

仕方なく静園に入る。溥儀の一生が詳細に展示されており、ちょっと興味深い歴史をいくつか発見した。ここで一緒に暮らし側室、文繍に訴えられ、慰謝料を払って離婚、中国史上初の離婚歴のある皇帝となった。文繍の暮らした部屋も公開されている。紫禁城と比べれば、決して広くない家に正室婉容と側室が同居、問題が起こらない方がおかしい。その他の女性関係も細かく展示されているのが面白かった。

 

地下鉄でホテルに戻る。夕方5時を過ぎていたが、何と部屋の掃除がされていない。そのことでひと騒動あったが、今の中国ホテル業界の厳しい競争を肌で感じ、それはそれでよい経験だった。掃除班長からの差し入れ、水4本を大切にして、トワイニングの紅茶で今日一日の疲れを取る。夜はホテル近くの食堂で簡単にご飯を食べて休む。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(2)オールド天津を散策

12月16日(日)
オールド天津を散策

翌朝起きてみると天気は良いがガスが掛かっていた。氷点下6度、寒い。だが外へ出てみると、それほど寒いとは感じられない。朝ご飯を探して、集合住宅を歩いてみると、煎餅の屋台があった。大きな餅に卵を入れている。美味しそうで思わず購入。食べる所がないので後ろを見ると、何だかスープのようなものを売っていたので、それも買って、その店の席で座って食べた。それはスープではなく、豆腐脳だった。柔らかい豆腐と何とも言えないタレが絶妙に絡み合い、絶品。これは毎日食べたい。合計僅か7元の幸せ。

 

 

10時前に薛さんと奥さんが車で迎えに来てくれた。奥さんとは数年前長崎で会って以来、久しぶりだった。まずは薛さんが現在勤める南開大学のキャンパスを見学する。中国ではどこでもそうだが、ここも非常に広く、歩くのは大変だ。周恩来など幾多の人材を輩出した名門は、来年100周年を迎える。それ時代の建物や100年近い食堂など、歴史的な建物も多くあり、興味深い。普通は毛沢東像がある場所に周恩来がいるのが珍しい。

 

それから旧市街地に向かう。日曜日だから交通量はそれほどでもなかったが、駐車場がなかなか見付からない。こういう時、車は不便だ。何回も同じような場所を巡って探すことになる。最後は駐車場の係員の好意で、特別に停めさせてもらって、何とか先に進むことができた。この辺の薛さんの交渉力は凄い。

 

今回は先日台湾で出会った王さん(1947年頃天津に1年住んでいた)の記憶をもとに、その話に沿って歩いてみる。先ず訪ねたのは針市街。ここは70年前、大きな市場があった場所だというが、今回行って見ると、ほぼ閉鎖されていた。聞けば、新中国後に一度再開発され、今回もう一度開発すべく、店舗なども全て追い出したらしい。だが資金難なのか、工事は進んでいない。この区画の中に80年前の建物が一部残っているとの話もあったが、確認する術はなかった。

 

その向かい側に唯一残っていたのが、鍋店街。こちらは古い商店街のようになっており、衣料品店などが多かった。中には国営と書かれた葬儀服専門店もあり、ちょっとビックリ。そしてある建物には山東の茶行の文字が見え、昔は茶も売られていたことが分かる。角の一軒は史跡指定を受けており、ここは残るかもしれない。

 

続いて勧業場に向かう。車を動かしたくないので、観光用のオート三輪をチャーターして向かう。運ちゃんがガイドも兼ね、20分ばかり走り、色々と案内してくれる。正直半分程度しか聞き取れないが、何となく面白い。80年前日本人が沢山住んでいた場所なども通り過ぎ、歴史的な建物も残っていることが分かる。本当は降りて歩いて見たかったが、まずは目的地優先、後日時間があれば来てみよう。

 

勧業場は、1930年代、斬新な百貨店だったらしく、王さんもよく覚えていた。その建物は90年を経てそのまま残っていた。中身も百貨店のままだった。勧業場の後ろ側は、おしゃれなストリートになっているが、反対側、向かいには天津ダックの老舗があり、横には天津名物、麻花という菓子の老舗もあり、昔の風情を少し残している。薛さんがその横で天津甘栗を買ってくれたが、これは日本からの逆輸入だろうか。

 

そこから少し歩くと、あの天津名物、狗不理包子がある。私は2000年頃ここに来て食べた記憶があるが、従業員の態度は最悪で、肉まんも特にうまいとも感じず、散々だった思い出がある。今日行って見ると、店内はとてもきれいになっており、従業員の対応も悪くはなかった。肉まんも美味しく頂き、その変化には驚く。勿論料金は数倍になっている。

 

そして今日のクライマックス、王さんが72年前に住んでいたという場所を探す。住所は分かっていたが、まさか今もその道があるとは。しかも王さんの記憶の通り、勧業場のすぐ近くにその道は存在した。だがその番地の場所は既に建て替えられ、集合住宅に変貌していた。昔の痕跡は何もない。少し歩くと、如何にも昔の風情を備えた路地があり、往時はこんな感じだったに違いないと思いながら、帰途に就く。

 

この付近から先ほどの車を停めた場所まで行く交通手段が意外と難しい。地下鉄でも乗り換えないといけないし、駅までも時間が掛かる。場所的には近いのに困った。タクシーを待つがなかなか捕まらない。最後は配車アプリで何とか乗車して戻る。やはり天津も忙しい社会になっている。

 

夕方、南開大学で薛さんの教え子との懇談会に出席した。私の方から簡単にお茶の旅と歴史について話しをした。学生は中国全土から来ており、中国各地のお茶についても言及した。ここに集った学生は基本的に院生であり、極めて優秀な人々であることがすぐに分かった。中には世界数学コンテストで入賞した人までおり、やはり中国の人材の厚みを感じざるを得ない。お茶は薛夫人が淹れてくれた。2時間以上の時間があっという間に過ぎてしまい、皆忙しいので記念写真すら撮らずに別れた。残念。

 

 

夜は大学内のレストランで食事をした。レストランの入り口に英語表記があり、ここは昔外国人専家と呼ばれた人々が食事をした場所であろうと想像した。1980年代は様々な分野の専門家が招聘され、日本人も多かっただろう。現在では専門家はおろか日本人留学生すら、数えるほどしかいないという現実がある。

天津・大連・北京周遊茶旅2018(1)北京空港から天津へ

《天津・大連・北京 三都茶旅2018》  2018年12月15-26日

実はハバロフスクに行こうと思っていた。どんなに寒くても行く価値があると思っていた。ただ偶々先方の都合が悪くなり、それは来年に延期された。その過程で、どのようにハバロフスクに行くかを検討していたら、北京経由のフライトが出てきた。ただ冬とはいえ、東京-北京の飛行機代は高い。そこで思い付いたのが、天津経由で北京に入る方法だった。天津には格安のLCCが就航しており、天津₋北京間も近い。

 

更に日本統治時代の台湾人で天津、大連に支店を出し、台湾茶を売っていた人々を追うこという活動もしていた。具体的な70数年前の思い出を聞くうち、結局天津、大連、北京を周遊することに決めたのだが、天津から入って北京から出るチケットはなぜか高い。最後には東京-北京の往復航空券を買ってスタートした。

 

12月15日(土)
北京経由天津まで

土曜日の昼前、羽田空港に向かった。電車は空いており、楽ちんだった。今日は久しぶりのエアチャイナで北京に向かう。機内は満席でもなく、機体は新しく快適だ。映画を見ながら過ごす。少なくとも東京便に関しては、和食も出るし、サービスはかなり改善されていると見てよい。

 

午後5時過ぎに北京空港に到着した。手荷物だけなのですぐに外へ出たのだが、この空港から出る天津行バスの乗り場を探すのに少し手間取る。何とか見つけたが、17:40分のバスがタッチの差で行ってしまい、40分待つことになる。チケットは82元だから、北京市内の南駅まで行って高鉄に乗るよりは、安いと思う。問題は天津までどれぐらいかかるかだ。2時間半と言われたが、渋滞があれば5時間かかるとの話もあったが、果たしてどうだろうか。

 

時間があったので、飲み物を買うため空港内をウロウロしたが、コンビニのような店はない。ちょうど自販機があったので、水を買おうとしたが、いくら紙幣を入れても、跳ね返されてしまう。よく見ると横にもう一台機械があり、こちらがスマホ決済用であることを発見。これであっという間に水が買えた。スマホ決済がないと何かと不便な中国の、ささやかな一例だ。

 

バスは定刻にやってきた。乗客は半分にも満たないので、悠々と座る。北京空港内、ターミナル1,2でも乗客を拾っていく。その後はかなり順調で、ほぼ渋滞もなく、PMによる視界不良もなく、バスは高速道路を進んでいった。2時間後には天津に入り、ほぼ2時間半で、バスターミナルに到着した。思いのほか順調で少しびっくり。ただ気温は氷点下、やはり東京よりはかなり寒い。

 

天津では旧知の薛さんにお世話になることになっていた。ホテルも彼が予約してくれ、地下鉄も指示されていた。ただバスを降りたところがあまりにも何もなくてびっくり。地下鉄はおろか、タクシーを拾える感じもない場所だった。どうしようかと迷っていると、バスを降りた数人が歩き始めたのでそれに着いて行くと、エレベーターがあり、そこを降りると、何ときれいな地下鉄の駅に繋がっていた。びっくり。

 

その地下鉄6号線に乗り、指定された駅で降りると、薛さんが車で迎えに来てくれた。地図で見ると駅からホテルまでは近いのだが、大きな道路を渡れるところがなく、すごく遠回りをしなければならず、車は助かった。ホテル自体はチェーン店だが、ロビーフロアーに図書コーナーがあるなど、若者向きの明るくきれいなところだった。

 

私がいつも泊まるホテルより価格は高いが、外国人の宿泊問題はない。部屋のデザインもよく、広さも十分で快適に過ごせそうなので、気に入ってしまった。その日はもう遅いので薛さんと部屋で簡単に打ち合わせをしただけ。無料の飲み物がトワイニングのアールグレーとイングリッシュブレックファーストの2種類だけ、というのも、中国のホテルとしては相当に珍しく、目を引く。普通は中国茶が置かれるはずなのだが、なぜだろうか。おしゃれ?一杯紅茶を飲み、暖まった後、ゆっくりと寝入る。

香港でちょっと茶旅2018(3)懐かしい人々と会う

12月12日(水)
懐かしい再会

今朝はホテルの朝食でスタート。やはりここのご飯はそれなりに充実している。常に混んでおり、席の確保が大変だ。ビジネスマンがさっさと食べている傍らで、妙齢の女性がゆっくり食べている。中国人男性はここでも山盛り、そしてスマホで電話しまくる。洋食からインド系、和食まで、何でもあるので私は食べまくる。部屋代は朝食込みながら、一応サインをさせられるとドキッとするのも変わらない。

 

昨日支店で断られたHSBC、今日はわざわざ本店に行って見る。すると対応がまるで違う。ただATMで現金が引き出せなかった原因は『カードの破損』と認定され、再発行になってしまった。ところが別の部署でこの話をするともう一度確認すると言ってカードをATMに入れると見事にお金が出てきた。『カードは壊れていないが、すでに再発行が行われたので、すぐにこのカードは使えなくなる』とは困った。

 

因みにHSBCは外資銀行だ、とのコメントを頂いたが、香港に10年住んだものとしては、最大の発券銀行であり、名前に香港が付き、何より地元民が『香港バンク』と言っているHSBCこそ、地場銀行の代表だと勝手に考えている。この銀行の長い歴史を考えると、往時は茶葉金融もかなりやっており、興味は尽きない。

 

昼頃、今回のメインイベントに出掛ける。場所は懐かしの?日本人クラブ(移転後2回目の訪問)。久しぶりに事務局のSさんにも会って昔話に花が咲く。今日はアジア情勢というより、お茶から見るアジア、アジア茶の現状をお話ししたが、果たしてどれほどお役に立っただろうか。

 

それから中環へ向かった。ちょっと慌ててMTRに乗り込んだのだが、中環駅で降りると、オクトパスカードがない。最近のボケはここまで来たか。遅れてはいけないのでかなり焦ったが、窓口で失くしたことを話すと、即座に臨時カードで出してくれ、改札を出られた。新しいカードを買うと『今回は災難でしたね、次回気を付けて』と言って今回の乗車運賃は取られなかった。日本なら説明だけで大変だっただろうな、さすが香港。

 

香港に来る前、Wさんという方からメールをもらった。香港に来るなら会いたい、という。誰かと思っていたら、北京でご一緒した方で、アメリカに行っていると思っていたら、何と2週間前に香港に赴任していた。そのWさんは今や香港日本人社会のトップだった。ちょっと緊張してエクスチェンジスクエアーに伺ったが、偉くなられても相変わらず気さくで柔和。そして滋賀のお茶をアメリカに売り込んだと言い、お茶の勉強までされており、お茶談義をしてしまった。確かに北京でうちのお茶会にも時々来て頂いていたが、実に多趣味だ。

 

中環から上環まで歩いて行く。もう夕方だが、旧知の堯陽茶行に行き、いつもの王さんに挨拶しながら、鉄観音茶の香港での歴史を聞く。彼らは安渓の出身だが、元々鉄観音の取り扱いは多くはなかったようだ。1970年代までは炭焙煎だったが、量が増えて電炉に変わったという。先日訪ねたバンコックの集友茶行や王有記ともやはり繋がりはあった。

 

更にはお向かいの林奇苑に飛び込み、ちょうどいた先代老板(以前に何度も会ってはいる)にいきなり、『林奇苑という名はどこから採ったのか』と不躾な質問を始めた。実はこの名前、戦前厦門の大茶商であったことは、先日のバンコックで確認していたが、今の老板は潮州人。やはり何の関係もないことが分かり、すぐに退散。

 

部屋に戻って最後の夕日を眺め、夜7時に銅鑼湾のタイムズスクエア―に行く。今晩は北京繋がりで、最近香港に越してきたIさんと会う。市場の横の食堂で海鮮を食べるというので、旧知のOさん、Yさんにも声掛けし、更に知り合いの知り合いというO夫妻も加わり、賑やかに食事をした。Iさん以外は香港歴20年以上のベテランで、香港話の内容もそれなりに濃い。涼しいので鍋が体に沁みる。

 

12月13日(木)
茶縁坊に寄って

今朝はエクセルシオールにお別れした。実にあっけない。まあこういうものが歴史になっていく。荷物を引いてバスに乗り、また上環に向かった。高さんには連絡してあり、香港を離れる前にちょっとの時間を茶縁坊で過した。こことのお付き合いももうすぐ20年になる。やはり老舗お茶屋の話や鉄観音の話を聞く。

 

香港の喧騒の中で、ここにいる時は何とも落ち着くのがよい。安渓大坪からも沢山の華僑が排出されており、先日のヤンゴン、張源美のように有名になった茶商もいる。だが大多数は無名で終わる。ただその人々にも人生があり、日々の営みがあったのだ。歴史はそれを全て掘り起こすことは出来ない。自分が今体験している付き合いでしか、分からない。

 

空港に行く時もやはり空港バスに乗ってしまう。先日に失敗があったものの、上環からなら、渋滞も避けられるので問題はなかった。今回の3泊4日の旅はあっという間に過ぎてしまった。やはり香港にはなにがしかの愛着があり、もう少し長居したい場所だ、としみじみ思いながら、帰路に就く。

香港でちょっと茶旅2018(2)観塘の出会い

12月11日(火)
大学駅へ行くはずが

今回1泊したホテルは近くのホテルの系列店として出来たばかりでとてもきれいだったが、如何にも香港らしくかなりコンパクトな作り。ボーイのおじさんは日本語を話しているので、本店から回って来たのだろう。部屋の冷蔵庫の飲み物は無料だったが、やはり4本中2本はビール。お客の嗜好に合わせて替えて欲しいな。わがままか。

 

朝部屋をチェックアウトして、荷物を預けて、バス乗り場に向かう。この時期の香港としては気温がかなり低く、厚着が必要だった。今日は新界まで行くので、バスでハーバーを渡り、そこから列車で大学駅まで行くつもりだった。100番台のバスは全てハーバーを越えると思い込み、来たバスに乗ったのだが、どうも様子がおかしい。香港島の中へ切り込み、ついにはアバディーントンネルに入ってしまった。

 

完全に方向を間違えたと思ったが、トンネルは長い。どこで降りれば反対方向へ行けるか考えているとトンネルを抜けた。そこにはなんとMTRの駅があるではないか。海洋公園、そんな駅、いつから出来たんだ。祈る思いでそこへ行き、このMTRの行先を確認すると金鐘だった。しかも乗車僅か10分で金鐘に着いてしまった。さすが香港のスピード感。

 

金鐘で満員のMTRに乗り換えて、旺角でも乗り換えて、何と約束時間の少し前に大学駅に着いてしまった。これには正直驚いた。バスの時間が読めないので少し早く出たとはいえ、こんなことってあるのだろうか。それにしても、バスを乗り間違えるとは本当にボケが進んでいる。

 

今日は旧知のKさんと会った。駅前の中文大学の施設、最近は試験シーズンとかで、かなりひっそりしていた。そこでブランチを頂きながら、話をした。ここ2回ほど香港に来ると必ず、彼に会っていた。何しろ話していると、歴史に関する新たな視点が見えてきて、とても面白いのだ。言語学、民俗学、アジアの歴史、凝縮された内容で、歴史は一方向からのみ見ていてはダメだ、と思わされる。

 

2時間はあっという間に過ぎてしまう。昼を過ぎて少し時間があったので、MTRでホンハムまで戻り、香港歴史博物館を訪ねてみた。前から行きたいと思いながら、なかなか時間が取れなかったので、いい機会だと思って勇んでいったが、火曜は休館日だった。何と間の悪いことだろうか。次回を期して、黙々と去る。

 

お茶ビルとの出会い
午後は観塘に向かう。25年来の知り合いであるNさんから先日『香港で茶のイベントをやっている人たちがいる。紹介しようか』という話が舞い込んだ。正直茶の歴史は、イベント活動とは、合わないのではないか、と思っていた。だが折角ご連絡を頂いたので、どんなところか一度訪ねてみることにした。

 

観塘は昔繊維などの工場が立ち並ぶ場所というイメージがあったが、訪れることは稀だった。駅前にはショッピングモールがあったが、ちょっと歩くと、昔の香港が少し垣間見られる。指定されたビルに着くと、やはり昔の工場ビルの雰囲気が残っていた。そこで日本人のHさん、Nさんと合流した。

 

お二人の香港歴は私より長く、既に30年に達していた。元はやはり繊維関連の仕事をしていたというのだが、それがどうお茶と結びつくのか。ビルに入ると、きれいなティーショップになっていて驚く。更に上の階に上がると茶館のようなスペースがあり、様々なお茶が飲めるようになっていた。

 

このビルのオーナーは不動産などで財を成した方で、香港だけではなく、北京の有名地区の開発も手掛けていた。そのお嬢さんがお茶事業を行っているという。元は福建出身で岩茶などがメイン、武夷山に茶工場も持っているという。そしてこのビル一棟のスペースを使い、茶館、イベントスペース、博物館などを作り、ビジネスを広げようとしていた。

 

特に私の目を引いたのが、お茶関連の骨董コレクション。昔の茶缶や茶などがふんだんに置かれており、ちょっと圧倒される。現在喫茶スペースを整理して、今後は定期的にイベントを行い、茶の普及に努めるという。何だかとても面白い、不思議な空間に紛れ込んだようで、興味をそそられた。Hさんはここで音楽と茶をコラボしたライブなどの開催で、検討が進んでいるようだ。会話は英語と普通話が半々。

 

観塘からMTRに乗り北角経由で天后に戻る。こういう便利なルートが出てきており、今まで遠いと感じていた観塘が非常に身近に感じられた。ホテルに荷物を取りに行き、そのままエクセルシオールに向かう。ここに初めて泊まったのは1980年代後半だろうか。場所が便利なのでここには何度も泊まった。2階のカフェにもよく行った。

 

チェックインは混んでおり、クリスマス前のこのシーズンは繁忙期だと分かる。部屋に入ると、ビクトリアハーバーが見えたので思わず写真に収める。いつの間にか日本人客用のグッズ(浴衣と煎茶)も届き、懐かしい雰囲気となる。夕暮れを見ながら、ゆっくりと部屋で過した。

 

夜は翌日の打ち合わせを兼ねて食事。銅鑼湾の海鮮料理屋で、蝦やホタテをご馳走になる。この会社の責任者がちょうど交代する時期で、ご挨拶を兼ねていたが、新任は女性だった。今はあいさつ回りの最中で、忙しい中、付き合って頂き、感謝。

香港でちょっと茶旅2018(1)波乱の初日

《香港でちょっと茶旅2018》  2018年12月10-13日

今年2回目の香港。30年以上前から泊まっていた銅鑼湾のエクセルシオールホテルがもうすぐ無くなると聞いた。閉鎖前に一度行って泊まりたいな、と思っていたら、ちょうどいいお話が飛び込んできたので、少しタイトなスケジュールの中、香港に飛び出してみた。

 

12月10日(月)
香港まで

香港行きのフライトは近年、中国行きや台湾行に比べて割安状態が続いていた。だが今回出発1か月前に日系航空会社を予約しようとすると、非常に高い。しかも某社はネットでは羽田往復の予約を受け付けず、片方が成田でなければチケットが買えないという前代未聞?の事態に遭遇する。ビジネスクラスを買え、とでもいうのだろうか。

 

仕方なくそれなりの料金を支払い、成田へ向かう。午前10時発の成田便に乗るには、始発に近い時間に家を出なければならない。そしてちょうどよい電車がないので、珍しく馬喰町からJRに乗ってみる。同じ成田に行くのに、スカイアクセスより時間が掛かる上、料金も高いのだから、乗る人は多くない。外国人が大きな荷物を持って、まごまごしながら、階段を下りてくる。エレベーターすらないのだろうか。

 

以前は日系航空会社に乗るのはある種のステイタスだったかもしれないが、最近はサービスの質の低下を感じることが多い。台湾に行くならエバ航空の方が余程気が利いているし、食事も美味しいと思う。日系がいいのは映画が充実していることぐらい、と知り合いが言っていた。今日は『日々是好日』という樹木希林の遺作であり、茶道が題材の映画をゆっくりと見る。

 

そうしているとなんとデザートにハーゲンダッツアイスが配られ始めた。この寒い季節にアイス?正直信じられない思いだった。私は意地汚いのでもらって食べたが、ちょっとお腹に堪えた。何人もの人、特に香港人、中国人は拒否していた。南国に行くわけでもないのになぜ、こんなものを出すのだろうか?ハーゲンダッツの時代は本当に終わったのだろうか。

 

香港初日は波乱含み
空港では今回、手荷物しかないので、あっという間に外へ出た。これは早くて助かる。香港用のシムカードを買いに中国移動のブースへ向かう。実はこの後すぐに、中国へ行くので、ついでに中国用を買うためだった。ところが私のスマホには中国移動の香港用シムスら適応しなかった。

 

何故だと聞くと、『時々そういうお客さんがいる。こちらでは対応しないので香港の会社へ行ってくれ』と追い出されてしまった。仕方なく香港キャリアに行き、香港シムを買い、合わせて中国シムもこちらで買ったが、何と8日間で238香港ドル、私は2週間の予定なので、2つ買わなければならなかった。すると店員が2つ目は半額だからお得だよ、という。何とも割り切れない思い。

 

空港エクスプレスに乗ればよいのに、いつもの癖で銅鑼湾まで空港バスに乗った。午後4時前ならそれほど混んでいないだろうと思っていたが、それは大きな間違いだった。香港島に入ると渋滞が続く。途中で降りてMTRに乗ればよかったのだが、まさかこんなに渋滞とは予想せず、最後まで乗っていたら、何と2時間近くかかってしまった。後で聞くと近くで大きな事故があり、一時道が封鎖されていたらしい。

 

夜の予定があったので余裕を持った日程を組んだのに、時間がギリギリになってしまう。エクセルシオールの宿泊は明日からなので、今日は近くの新しいホテルに投宿した。ただちょうどチェックインが混みあっており、時間がもったいないので荷物だけ預けて、すぐに外へ飛び出した。

 

中環で約束があったのだが、その前にどうしてもしなければいけない手続きが銀行であり、結局待ち合わせに遅れてしまう。だが、HSBCなどの銀行は午後5時には窓口を閉める中、外資系は対応してくれているので、文句は言えない。しかもかなり親切で有り難い。後日、全く同じ手続きをしにHSBCの支店に行ったら、『こんなものは自分でやれ』と若い行員にいわれ、『でも外資は対応してくれたよ』というと、『我々はHSBCだ』と言い放ち、文句あるかという態度だったので、よほど解約しようかと思った。

 

夜はKさんに誘われてFCCで食事した。30年前の香港の話から、最近のトピックスまで、色々と教えて頂き、為になる。FCCと言えばやはりカレーなので、毎度のことながらこれを注文し、美味しく頂く。本当に昔と比べれば混んでいる。特派員の人はもういないのだろうか。

 

帰りは銅鑼湾駅より近いと思い、隣の天后駅で降りる。ここは4年間住んだ場所であり、とても懐かしい気分で、周囲を少し散策した。ほとんど店が変わっているように見える。唯一セブンイレブンだけが昔のままのようだ。不動産屋の看板を見ると、昔でも結構高かったが、今では日本人が住める家賃ではなさそうだ、この街は。

厦門で歴史茶旅2018(5)昔のアモイを思い出しながら

華僑博物館へ

午後はホテルで過すつもりだったが、やはり外に出てしまう。バスに乗って博物館へ行こうと思ったが、厦門には大きな博物館はないらしい。こういうところは福建省の省都は福州だ、ということだろう。検索すると近くに華僑博物館があったので、そこを目指す。

 

バスを待っていたが、博物館行きバスは一本しかなく、なかなか来ない。そしてようやく来たバスには多くの老人が乗り込んだ。なぜだろうか。バスは昨日行った張乃英さんの家の横を通り過ぎ、海辺を離れた。それからすぐに博物館に到着する。ここも午前中に行った集美大学を創設した陳さんが作った博物館らしい。陳嘉庚氏は東南アジアで一体どれだけの財を為したのだろうか。

 

立派な建物が建てられている。思ったより観光客が多い。中には日本人の団体もいて、ガイドが説明をしていたが、興味を持ってみている人は少ない。中国人でも田舎から来たちょっと金のあるおじさんが、大声で話して係員に窘められていた。展示物は陳さんを初め、東南アジア各国の華人に関するものが多く、特に福建から大勢の華僑が海を渡り、その内の一部が成功した様子を窺わせる内容だった。

 

中国、特に清朝時代には幾度も動乱があり、その度に民衆が移動を余儀なくされ、アメリカの炭坑や鉄道建設に行き、アジア各地で体を張って労働している。私個人は、成功した有名華僑より、海を渡った名もない人々がどうしたのかが気に掛かる。でもそのような人々の歴史は残されることもなく、消えていくのみだ。故郷に帰りたかった人もいるだろうが、当時故郷に錦が飾れたのは成功したものだけだった。

 

帰りはバスに乗らずに歩いてみる。途中まで行くと立派なお寺があり、入ってみたかったが、かなりきつい崖の上にあったので、下から眺めるだけに留めた。既に足が痛い。コロンス島の夕日を見ようと海辺に出た。この風景は18年前とそれほど変わっていないように思えるが、海沿いの道路脇は、観光客向けのきれいな店が並び、歩いている人もきれいな格好をしており、やはり大幅に違うのだな、と感じる。

 

夕飯は厦門らしいものを食べようと近所を歩き回り、蟹肉入りの小籠包、蟹黄湯包と牡蠣オムレツ、海蛎煎を注文した。どちらも一人分としては多い量だったが、完全完食してしまう。中国に来るとどう見ても食べ過ぎだろう。料金も観光地価格のように思えるが、今の中国は正直なんでも高い。

 

11月24日(土)
台北に戻る前に

今朝はホテルの朝ご飯を楽しみにしていた。これまで泊まっていたホテルでも朝ご飯は提供されていたが、ありきたりの物で、あまり満足できていなかった。このホテルは先ず1階のレストランの内装が良い。そして料理もかなりいいものが出てきて満足できる水準だった。

 

あとは時間までホテルでゆっくりしようと考えていたが、今日も何となく外へ出た。行くところもないので、30年前に行ったきりの古刹、南普陀寺へ行って見ることにした。バスは何と昨日の博物館行きと同じ、終点だったから、要領は分かっていた。今日は土曜日で更に観光客が多かった。

 

バスの終点に寺はあったが、その前には厦門大学の校門が見えた。ここも30年前にちょっと歩いた記憶がある。中に入ってみようかと思ったら、一般人は簡単には中に入れないことが分かり、諦めた。今は観光客が大学に押しかける時代だから、致し方ないだろう。向かい側の寺に向かって歩き出す。

 

ところが寺にも入れなかった。今日は何かイベントがあるようで、門の前では人が入れないように、係員がロープを持って立っている。観光客はそれを取り巻いている。信心深い人は外から祈っているが、多くは写真を撮るだけだ。それにしてもこのお寺もきれいになった気がする。経済力とは真に恐ろしい。

 

帰ろうとしてバスを待ったが、乗るべきバスは運転手が中にいるのにドアを開けようとせず(本人はスマホゲームに夢中)、更に彼は鍵を掛けてどこかへ去ってしまった。乗客が乗ろうと詰め掛けているのにこの態度はどうだろうか。一言いつ発車するというだけで待つ方も楽なのだが、そういう気づかいを中国のバスに期待するのは難しい。別のバスで途中まで行き、降りてまた散策する。

 

ホテル近くの路地に入るとそこは別世界。道に迷ったかのように、30年前の中国の面影が次々現れ、何とも幸せな時間を過ごした。ほとんど開発されている中にも、一筋の道が残っていたとはすばらしい。空港に向かうまでの僅か時間、この路地で遊んでいた。最後は本当に迷子になってしまい、スマホを取り出すと現実に戻る。

 

ホテルをチェックアウトしてすぐ近くの乗り場から空港バスに乗り、1時間弱で空港に着く。チェックインはすぐに出来た。あまりにも時間があったので、出国審査後にバーガーキングで軽く食べた。他のレストランの食べ物はビックリするほど高かった。中国各空港の高額な食事料金は改めるべきだ。厦門航空便は順調に飛行して、松山空港に戻った。

厦門で歴史茶旅2018(4)漳平水仙、そして集美へ

今日重要な二人に会うことができ、今回の目的はほぼ達成され、気持ちはぐっと楽になる。というか、疲れているのにその興奮が収まらない。夜は以前魏さんから紹介されただけで、会うことがなかった、もう一人の張さんに会いに行った。彼の店は軌道で10駅ほど離れており、意外と遠かった。

 

スマホを使って何とか辿り着いた店に張さんはいなかった。夕飯を食べに出てしまったらしい。私も腹が減ったので一人で付近の店を探す。だが食堂はあまりなく、仕方なく、初めて沙県小吃に入って見た。ここはチェーン食堂で、中国ならどこでも見かける店だが、なぜか一度も試していない。だが何と東京にまで店が広がったと聞き、どんなところか見てみたのだ。

 

そこは店を改装してきれいになっていたが、メニューは完全な定食屋。何でもある感じで、纏まりはない。定番の西紅柿炒鶏蛋を頼んでみたが、量がやたらに多く、味はちょっと薄く、油は多い。ご飯が山盛りに盛られ、冷めたスープが付く。これで15元、何だか肉体労働者の食事で、食べ切れずに店を出た。

 

店に戻ると張さんがお客の若者と茶を飲んでいた。この店は漳平水仙を扱うことで有名らしい。張さんは漳平の出身で、その歴史も探求しており、話を聞く。最近日本でも話題になっているお茶だが、思ったよりも幅が広い。その歴史は100年を越え、地元には紙で包む時に押される印判が残り、型を取る道具も残されていた。

 

味は以前飲んだ物よりは美味しく感じられる。これは張さんの淹れ方か、茶葉が良好なのか。話題になっているということは少なくとも品質は向上しているのだろう。週末は漳平で水仙祭りがあり、張さんも明日から故郷へ帰るらしい。というか、今後は活動拠点を漳平に移し、用事がある時だけ厦門に来るというから、今日が最後の日だったのかもしれない。やはりご縁はあるものだ。

 

11月23日(金)
集美へ

もう厦門に用事はなかったが非常事態が起きていた。今日台北に帰るつもりだったが、昨日の段階で、金門経由の便はすべて満席、このルートは週末台湾旅行に向かう中国人に占拠されていた。いや、実は明日台湾で重要な統一地方選挙が開催されるので、台湾人が帰国するのかもしれない。いずれにしても満席、そして直行フライトは何と日本円で4-5万円もしている。とても帰れない。

 

日曜日に帰るフライトを予約し、さてホテルも延泊しようかと考えたが、何と部屋はあるが、料金は当初の2倍だという。元々今回の期間中、厦門では大規模ない医療関連イベントが開催され、ホテルが取れない状況だった。知り合いが何とか抑えてくれていたが、優遇レートは最初の1泊だけ、次の日は200元上乗せになっており、私はこのことすら知らなかった。そのことをきちんと説明してくれなかったと抗議したが、私は何も見ずに書類にサインしていたので、ホテルはそれを盾に、私が悪いという。

 

まあそんなホテルに泊まることは愉快ではないので、早々他を探したが、どこも軒並み高い。どうせ高いのならばと、18年前に泊まった思い出のある鷺江賓館を予約した。チェックインは12時以降なので、それまで天気も良いので時間潰しの旅に出た。軌道の駅へ行き、どこへ行こうかと見ていると、集美というのがあったので、そこを目指す。

 

軌道で40分ぐらい乗っただろうか。そこは随分と遠かった。しかも乗る線を間違えてしまい、大橋を渡ってから、思っていた方向と違う方へどんどん進んだので、慌てて降りた。だがそこは住宅以外全く何もないところ。タクシーすら走っていない。近くのバス乗り場から集美大学に行けるというので探したが、バス停すら見付からない。

 

かなり歩いてようやくタクシーを拾い、大学の門まで行った。ここがいつも車からきれいな校舎が見える大学だ、写真でも撮ろうと入って行ったが、とても広いキャンパスでまた歩いく羽目になる。ここはシンガポール華僑の陳さんが建てた学校でちょうど100周年を迎えるらしい。南国風のキャンパスと中国風の校舎、その取り合わせが面白い。バスケットとバレーのコートが20面ぐらいあって、その広さは尋常ではない。

 

結局あの川沿いのきれいな景色の場所へ出られず、写真も撮れず。正門から出てバスに乗り、宿へ帰る。何とバスは1時間近くかけて走る。これで2元。すごい。腹が減ったので、先日連れて行ってもらった店を再訪し、鴨肉などのセットランチを食べる。これで20元は価値がある。

 

それからホテルをチェックアウトして、またバスに乗り、鷺江賓館へ。外から見るとちょっときれいにお掃除した程度に見えたが、中は全面改修後で、18年前の面影はない。とてもきれいなロビーで驚く。今日の料金は18年前の3倍だが、まあ高くはないのかもしれない。私自身は会社を辞めてから中国で泊った最も高いホテルだろう。

 

窓のない部屋だがおしゃれに加工されている。古いホテルの部屋という印象だったから、かなりの変化に戸惑う。フロントの愛想が凄く良い。冷蔵庫のドリンクは無料だが、4本のうち2本はビール。ビール、替えて欲しいな。あの18年前、21世紀の最初の日を過ごした場所、1月1日に小三通の船が初めて台湾からやってくるというので大勢の人が港に溢れていた光景、もう完全に歴史だな。