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ホーチミン茶旅2023(2)老舗茶荘へ再び

市場の横まで戻ると細い道にはハラール料理屋などが並んでいる。インド系だけではなく、マレー系などもいるのだろうか。それともムスリム観光客向けの店なのだろうか。よくよく見ていると謎は結構深まっていく。そして2つ目のモスクに辿り着く。こちらは中に人が結構いたので遠慮して外から眺めていると、おばさんが『中に入りなよ』という感じで招き入れてくれた。

マリアマンという名前らしい。こちらは観光客も立ち寄るようで有名な寺なのかもしれない。すぐ近くに日本のカレー屋、ココイチがあるのは関連あるのだろうか??それにしてもホーチミンにインド系がそんなに住んでいるとは思わなかった。確かにその昔の貿易都市だから、華人とインド人がいてもおかしくないが、インド系はベトナム戦争などによってどのような影響を受けたのだろうか。そんな歴史が無性に知りたくなる。

ホーチミン郊外に滞在中のNさんがやってきた。Nさんとはヨーガ繋がりで、沖縄やバンコクで知り合い、台湾で茶旅を一緒にしたこともある。取り敢えず今日も茶旅ね、ということで、前回一度行った茶荘を訪ねることにした。まずは市場の横にある松記へ。オーナーは覚えていてくれ、また女性のNさんが一緒だったこともあってか、前回よりかなり対応が柔軟になっており、歴史的な話や家族のことなど色々としてくれた。このお店、いつまで続くだろうか。

続いて、前回一度行って、もう一回来るからと言いながら、突然の帰国となり行けなかった新生茶荘に向かう。ここのオーナーも覚えていてくれ、歓迎してくれた。なぜか六堡茶を飲みながら、情報交換を進める。このお店の間取りが独特で面白い。ベトナム北部の老茶樹についても、知り合いを紹介してくれるという。何と有難いことか。ベトナム高山茶を買って帰る。

お昼はその近くの華人系食堂で食べると、何となくホッとする。そこから車を呼んでショロンへ移動した。前回の旅はショロンに泊まったが、不完全燃焼に終わったので、ちょっと覗いてみる。天后廟などを見たNさんは『こんなホーチミンがあるとは』と驚いている。ザビエル教会なんかもあるので、面白い街ではある。

だがわたしが探したいお茶屋の場所がなぜか分からなくなっていた。もしやすると閉店してしまったのかもしれない。今回はNさんと一緒なので、もう少し話が聞けるかと期待していたが、かなり歩いても見つからない。代わりに高山茶と書かれた紙を見付けたので華語で声を掛けたが、返ってきたのは広東語だった。その店も40年ほどの歴史だというが、雑貨屋さんなどもやっている。結局車で宿に戻り、Nさんと別れた。

夜は前回初めて会ったIさんと再会して、また歴史談義を始めた。場所は宿からほど近いフードコート。かなりきれいで外国人観光客を当て込んで作ったのだろうが、いまやベトナムの若者もかなり酒を飲んでいる。料金はそれなりに高いので、ベトナムの消費力向上が窺える。歴史の話しは果てしなく続き、どんどん遠くへ飛んでいく。

11月10日(金)再会

朝はさわやかなので、朝食後は散歩に出る。今日は北の方にある教会を目指した。30分ぐらい行くと、かなり立派な教会が道路沿いに見える。その建物の形が良く、周囲の目を引く。ホーチミンも本当に色々な宗教が点在している。帰りにトイレに行きたくなり、公園へ駆け込む。ホーチミンの公衆トイレも今やきれいで驚く。その周辺にはバイク配送の人々が大勢待機している。

帰りがけに郵便局に寄る。ここはフランス時代の建物で、郵便を出すというより、観光地として大いににぎわっていた。隣の大聖堂はあいかわらず改修中で姿を現さないが、写真を撮る観光客で溢れている。何とか宿に帰り着くと、意外と疲れてしまい、休む。そこへ旧知のKさんがやってきた。

ホーチミン茶旅2023(1)再びホーチミンへ

《ホーチミン茶旅2023》  2023年11月8₋12日

チェンマイ滞在中にホーチミンを再訪した。これは先月のハノイ旅が非常に簡単だったことと、7月のホーチミン訪問が途中で中断したことにより、やり残しことがあったためだった。

11月8日(水)再びホーチミンへ

先月のハノイ行はエアアジアだったが、今回はベトジェット。ほぼ同じ時間にチェンマイ空港に到着したのに、今回は1階のチェックインカウンターがかなりの行列。そして2階の出国審査、荷物検査の入り口に着いて驚いた。ものすごい大行列。まさかと思ったのは前回ほぼ人がいなかったからだ。チェンマイが乾季となり、急に観光客が増えたからだろうか。同時にタイ人の出国者も増えているのはなぜだろうか。何とも不思議な感じで行列の後ろに並ぶ。

何と荷物検査場に入るまでに40分近くかかった。これならバンコクと変わらない混雑ぶりだ。検査が済むと出国手続きはあっと言う間ではあった。少し余裕を持ってきていたからよかったが、もしギリギリに宿を出ていれば、かなり焦っただろう。待機場には中国人と韓国人の団体が多く見られた。やはり中国人が少しずつ増えているということか。次回も余裕をもって空港に来ることとしよう。

機内はそこそこ混んでいた。そしてあの制服のCAさんたちが動き回っている。前回のハノイまでは1時間ちょっとだったが、ホーチミンまでは2時間かかり、到着したら、もう日が西に傾いていた。入国審査の前にシムカードを売っていたので買っておいてよかった。入国審査も30分はかかっており、その間スマホを眺められたのは良かった。次回からはタイシムカードのローミングを使う方が良いだろうか。

空港を出るとGrabを呼ぶ。ここでは車が空港駐車場に待機しているのをすでに勉強しており、捕まえた車を探しに動いた。何とか見つかったので良かったが、大きな荷物でも持っていたらどうするんだろうか。夕方のラッシュ時に近く、バイクがすごく多く、車の窓の脇まで溢れる。

それでも市内まで近いのが良い。今回予約した宿はベンタン市場のすぐ近く。ただ改修中でちょっとわかり辛かった。ここも窓のない部屋となっている。安い部屋を予約すると最近こんなことが多い気がする。気を取り直して夕飯を探しに行く。取り敢えずベンタン市場を通ってみたが、腹をそそられる食べ物は見付からず、通り抜けただけに終わる。

そこから大通りをちょっと行き、裏通りを歩くと、何となく良さそうな店が目に入った。ちょっと覗くとおばさんが『食べていきなさいよ』と言っているように見え、そのまま席に着く。ここは華人の店だった。メニューを見ると英語があり、麺とトッピングを選ぶようになっている。フウティウ、内臓ミックスを選び、ゆっくりと待つ。何とティシュ2000ドンがメニューにあるのはご愛敬か。この麺、あまり食べたことはないが、内臓好きには堪らない。帰りに店の前をよく見ると、確かに内臓がぶら下がっている。

11月9日(木)インド系と華人

朝ご飯は宿についていたのでそこで食べた。いつものようにオムレツを作ってもらう。それから散歩に出た。昨晩ちょっと検索していたら、宿の近くに、モスクがいくつかあると出ていたので、興味を持った。ベンタン市場の向こう側に、1つ目のモスクはあった。小さな入り口を入ると、その建物はかなり立派。誰も人はいなかったのでゆっくりと見学した。しかしいつ作られたのか分からない。

ハノイ茶旅2023その2(3)民族博物館からブンチャーへ

10月11日(水)民族博物館へ

朝は気持ちが良い。すると朝ご飯をまたまた食べ過ぎてしまう。何とか腹ごなししようと、宿を出て散歩する。キンマー通りをロッテデパートの方へ歩いてみると、確かに日本料理店が何軒かあった。だが一部は営業していないようにも見えた。コロナ禍の影響か、それとも日本人勢力の衰えか。

40分ほど歩いて民族博物館に着いた。ところが入り口は学生で大混雑。秩序もなくチケットがいつ買えるか分からない状態となっており、その先の窓口で訴えると、優先して切符を売ってくれた。建物の入り口まで進むと、今度は可愛らしい幼稚園児が手を繋いで入場している。ここは子供たちの勉強の場となっている。

中の展示は、民族ごとにかなり詳しい説明書きや写真などがあり、予想以上に内容だった。ヤオやモン、タイなどの民族を集中的に眺めてみるとやはりタイやラオスのことが思い出される。南部では華人が目立つ形で説明されており、マイノリティーとしての漢族が興味深かった。

外に出ると広い庭がある。本当に天気が良くて空が青い。Grabで車を呼んで宿へ戻ろうとしたが、何とピックアップポイントが自分のいる場所に設定されておらず、車を探すことが出来なかった。いよいよ困って色々とやってみると何とか設定が変えられたが、かなり時間をロスした。

宿に戻って荷物をまとめた。しかしどうしても食べたい物があり、荷物を宿に預けて再び歩き出す。ハノイの道はやはり複雑でGoogleの力をかなり借りたが、そのお陰もあり、路地を見たり、中越戦争前に華人が住んでいたであろう建物の跡をいくつか見ることが出来た。これはこれでとても面白い体験だった。

最後に食べたかったブンチャーの店に辿り着き、勢い込んで腹に収めていく。さすがに11時頃なので、お客は殆どいなかったが、肉が焼かれる姿がよい。そして何とも言えない味わいがよい。7万ドンと代金は来るたびに上がっているようにも思えるが、これを食わないと居られないから仕方がない。帰りもまた路地を通過して、ハノイを味わった。

宿に戻りGrabを呼んで空港に向かった。何となく名残惜しいが、また来ればよいか。空港まで30分、ハノイの街を眺めていた。空港に着くと、エアアジアのチェックインは始まっていたのだが、何と私のWebチェックインは出来ていなかった。実は帰りは有料で座席を買おうとしていたのだが、何故か決済が上手くできずにいた。係員は実に手早く支払いに誘導して、あっという間に完了させてくれた。この辺は如何にもエアアジアだろうか。

かなり時間は余っていたが、出国審査を行い、後はひたすら飛行機が来るのを待っていた。この空港、さらに拡張工事が行われており、近い将来更なるフライトが増便されるのだろうか。結局出発30分前になってようやく飛行機がやってきた。すると何故か搭乗手続きが始まる。どう考えてもまだ飛行機の乗客が下りていないのに、と思っていると、何と手続きの終わった乗客全員を通路に立たせて待たせているではないか。そうだ、いつかマレーシアのどこかの空港でも見た光景だった。これもまたエアアジア流、こんなことで遅延していないと言い張るのがすごい。

ようやく機内まで辿り着くと疲れが出てしまった。ただドリンクを買っていなかったので喉が渇いたが、お金を払ってまで機内でドリンクを買うのもなんだと思い、我慢した。僅か1時間ちょっとのフライトが意外と長く感じられたわけだ。まあ、チェンマイ空港に着くと、あっという間に入国審査を通り、またあのまったりした日常に戻っていった。

ハノイ茶旅2023その2(2)ベトナム華人の話しで盛り上がる

まあ歴史談義はどこまでも続いて行くということだろう。適当にカフェに入ったら、すぐに店員が外の椅子を片付け始めた。オーナーらしい男性が我々に向かい『ポリス』と話し掛けてきた。何だか懐かしい路上取り締まりの光景だ。ただ実際にポリスが来ることはなかった。コーヒーを飲みながら話しはゆっくりと、しかしどんどん広がっていく。

昼間になり、近くの酒家に移動する。ここは広東系レストランだと言い、粥麺や飲茶などで人気の店だった。Iさんが予約してくれなければ、とても入れなかっただろう。店員からも広東語が聞こえてくる。Iさんは華人研究などをしているので、この辺りの話は専門家だ。私は来年ベトナム華人の歴史を勉強したいと考えており、彼に色々と聞いてみた。『カントーを拠点に歩いてみるのがベトナム華人研究ではお勧めだ』とのこと。ホーチ民からも離れたその町へ行く、そのチャンスはあるだろうか。何とかNさんを巻き込まなければなるまい。

腰片湯麺などという珍しいメニューがあり思わず注文する。腸粉や焼売もオーダーして、美味しく頂く。何となく懐かしい味がするのは気のせいだろうか。食後は横のカフェに移動して時間一杯まで話しを続ける。ベトナム華人の歴史もまた話が尽きない。かなり複雑だ。来年また来て話そうと思うが、果たしてどうだろうか。

そこからGrabを呼んで、少し離れた場所に向かう。午後は前回突如再会した蔡君が開いたという茶空間を訪問した。驚くほど立派な郊外の有名なマンション群の中にそれはあった。まだ正式オープンでもないらしく、ようやく用具が並べられただけのシンプルな空間がそこにあった。それはそれで実に蔡君らしい感覚だと思う。

ここで台湾茶やベトナム茶を淹れながら、茶文化をベトナム人に発信していく予定らしい。将来を見据えた投資の始まりだろう。お茶屋さんをやるわけではなく、ベトナムの若者と共に茶についての勉強を続けていくという。何ともいい空間だが、果たしてベトナム人にどこまで響くだろうか。

サロンを辞して、MRTの駅へ向かう。周囲は新しく開発されたようで、きれいなのだが、何となく味気ない雰囲気が漂う。その向こうの川の周辺は正直きれいとは言い難いが、これがベトナムっぽいと思ってしまう。夕方のラッシュ時、何とか車とバイクをよけながら、駅まで辿り着く。前回来た時乗った路線だが、ここへ繋がっているのか、という感じ。郊外の住宅街を走っていることがようやく分かってきた。残念ながら帰宅時間だが、乗客は多くはない。

終点のカットリン駅で降りて、歩き出す。方向を間違えてしまい迷っていると、何だかとても明るいレストランがあった。いわゆるインスタ映えするスポットだが、食べている客はいるのだろうか。宿まで辿り着く前に腹が減ってしまい、適当な麺屋に入り、適当に注文してみた。よく分からない麺が登場したが、たくさん入っている具が意外と美味しく頂けたのは良かった。衛生的な店というのもポイントは高いかな。今やハノイの麺の価格は最低5万ドンになっている。

ハノイ茶旅2023その2(1)再びハノイへ

《ハノイ茶旅2023その2》  2023年10月9₋11日

チェンマイからハノイへ行く。ハノイへ行くのはバンコクへ行くのと時間的には変わらない。チェンマイは空港も近い。わざわざラオスへ行くよりずっと近い気がして、まずはトライアルで行ってみることとした。

10月9日(月)ハノイへ

チェンマイ空港は街中にあり、本当に便利だ。フライトの2時間前にBoltで車を呼び、5分で到着。そこから空港まで約10分。荷物もないので、スマホ搭乗券を持てば、カウンターに行かず、検査場・出国審査も難なく終わってしまい、時間が余る。バンコクのあの面倒な車の手配、大行列のイミグレを考えると、実に簡素で有難い。

久しぶりのエアアジア。これだとハノイ往復が1.2万円程度で、国内線並みの安さなのは実に有り難い。そして何より近いのが良い。僅か1時間ちょっと、バンコクへ行くのと変わらない。ビザのつなぎが必要であれば、ハノイへ行くのが一番近くて便利だと分かる。

ノイバイ空港に着くのは今年2月以来。入国審査も簡単で、ノービザ期間も45日に伸びている。今回2泊3日というのがもったいない気がする。両替して、SIMを買って、Grabを呼ぶ。ベトナムにはかなり慣れが出てきたので、気楽でよい。車もすぐに見つかり、スムーズに市内へ向かう。日が西に傾いているが、まだまだ午後の半ばだ。

今回はキンマー通りにあるくれたけインに泊まってみる。ここは最近私が静岡駅付近で常宿にしているホテル。それがハノイにもあるというので来て見た訳だ。如何にも日本です、という飾りがある。フロントの女性は日本留学経験があり、日本語が上手い。部屋に窓が無いのはよく眠れるだろう。流し台あり、浴槽が深いのに、更に大浴場も完備されていてよい。もう10年も前からあるとは知らなかった(コロナで2店舗の内1店舗は閉鎖)。

取り敢えず外に出て、コンビニにドリンクを買いに行く。意外とないので少し遠出する。買い物が終わり、ちょっと近道しようかと路地に入る。しかしベトナムの路地は行き止まりが多い。するとちゃんと私と同年輩の人が出てきて、道はあっちだと教えてくれる。ただ私がその路地から出るまで、ずっと付いてきたのは、ちょっと中国的(監視)だった。

夕方Nさんが来てくれた。今回ハノイに来た目的、それはNさんと話すためだった。ビアホイでコーラを飲んでつまみ系の食べ物を食べながら、歴史談義はいつまでも続いて行く。ベトナムから東南アジア、そして中央アジアへと、それは壮大で果てしなく、永遠に尽きない話となる。こんな楽しい夜はない。来てよかった。

10月10日(火)歴史談義は続く

朝は目覚めが良かった。この宿は何と日本のテレビ番組がほぼ見られるので、朝から眺めていると、何とベトナム話をやっているから面白い。朝ご飯は宿についているが、なかなか充実している。しかし納豆、そして生卵が置いてあるのにはちょっとビックリ。納豆まではイケルが、さすがにベトナムで生卵を食べる日本人はいないような気もするが。

散歩しながら目的地まで行く。ハノイの街は歩いていてとても楽しい。途中で来たことがある場所を見付けて驚く。地理が全く頭に入っていないことが良く分かる。団体観光客がバスから降りてきたが、中国人は珍しい。ハノイで一番よく見かけるのは韓国人だろう。約1時間歩いて昨日も散々話したNさんと落ち合う。

静岡茶旅2023 その2(4)川根へ

K先生の車で金谷駅まで送ってもらい、JRで焼津に戻る。またSさんにピックアップしてもらい、Sさんのお寺へ向かう。ご住職でSさんのお父様のお話を聞く。曹洞宗大覺寺全珠院、日本一の千手観音を持つ由緒あるお寺だった。お寺とこの付近の歴史も極めて興味深いが、基礎知識が無いため、なかなか消化できない。とにかく歴史は古く、そして複雑に絡まっている。

夜は美味しいうなぎをご馳走になる。Sさんの妹さんとそのお子さんも参加する。何だかうなぎのフルコースを頂いたようで、満足この上ない。お話を聞いていると、日本のお寺というのはなかなか難しいものだと思う。それでも相応の歴史を有してきたということは、それに何らかの意味があるということだろう。帰り際、小雨が降り出す。

8月31日(木)川根へ

本日は東京へ帰る日。何となくMさんに会いたくなって川根へ行くことにした。Sさんが車を出して連れて行ってくれた。元々は金谷から大井川鉄道に乗るつもりだったが、何と先日の災害で、途中駅までしか運行していないらしい。まずはいつものような焼津に出勤し、そこから川根を目指す。意外と時間が掛かる。

何とか川根まで辿り着いたがMさんの家が分からない。8年前に一度お邪魔したが、道など全く覚えていない。最後は連絡して救出してもらう。M家でお茶を飲みながら、森薗さんの話などを聞いた。印雑や藤かおりなど、Mさんは10年も前から香り品種に取り組んでいた。今回飲んだ烏龍茶、ウンカが噛んでおり香りがすごかった。

茶畑も案内してもらい、おしんの畑(おしんのモデルになった人物がこの付近で茶畑をやっていた?)などの説明を受ける。Mさんはいつも実に色々な試みをしており、感心してしまう。取り敢えず現在の茶業界に一石を投じたいという気持ちが良く伝わる。もう10年も前に日本茶の歴史をライターに語っており、その取り組みの速さが注目される。

そこから静岡駅方面へ戻る途中、山道を走ってもらい、聖一国師生誕地を訪ねる。この前は国師のお墓を訪ねたが、そこはバスで行けた。今回の場所はバスでは難しそうだったのでお願いした。栃沢、『径山茶伝来の地』などと表示がある。浙江省径山へ行ったのはもう6年位前か。

山の中ののどかな集落という感じの場所には、茶畑もあり、生誕地の石碑も立っている。『幻の茶 伝説の彩』などという看板も立っている。最近は聖一国師の伝説も注目されているのだろうか。まあ彼が中国から持ち帰った茶を栃沢に植えた、というのは色々無理がある、というのが専門家のお話ではあるが、どうだろうか。国師が持ち帰ったものとしては、うどんやそば、味噌などの方が有名かもしれない。

車で静岡駅まで送ってもらい、Sさんと別れた。今回は彼女のお陰でいつもより沢山の場所へ行くことが出来た。感謝しかない。取り敢えず昼ご飯を食べていなかったのでエキナカで寿司を頬張る。それから京王バスのチケットを買い、午後早い時間ながら東京へ戻る。実は本当は県立図書館で調べものする予定だったが、なんと月末休館日で叶わなかった。

バスは半分も乗客はおらず、ゆったりと座っていく。順調に走行し、途中の休憩所では、夕暮れの富士山を拝んだ。新宿駅まで僅か3時間半で到着。なんだかんだで新幹線に乗るのとそれほど変わらない。料金は半額だから、これからはこちらを主に利用しようか。

静岡茶旅2023 その2(3)焼津から金谷へ

その後歴史民俗資料館を再訪して、その資料を再度眺める。その脇に蓮華寺という由緒ある寺があったので、ついでに覗いてみる。ここは家康ゆかりの寺だというが、静岡には家康ゆかりの場所は多過ぎて、今回の大河ドラマでも取り上げられることはないだろうという。家康の死因は本当に天ぷらだったのだろうか。

Mさんと別れて、森の石松の墓に詣でる。6年ぶりだが、何となく変わった感じがする。説明書きが増えたのか、囲いが出来たのか。まあ森町と言えば森の石松、伝説の人物だが茶との関わりもあり、無視できない存在だ。博徒が往来していた街なら、それなりに栄えていた証拠にもなる。大洞院はかなり古びた建物で、その風情が何となくよい。静岡の宿まで車で送ってもらい、この日は疲れたので大浴場に入り、宿のカレーを食べて寝てしまう。やはり久々の旅は疲れる。

8月30日(水)焼津から金谷へ

朝静岡駅へ行くと女子高校生が公衆電話で電話を掛けていた。スマホ携帯禁止なのかな。今日も焼津へ。もう通勤電車気分だ。駅の南口を降りると、そこにはなぜか小泉八雲の記念碑がある。読んでみると晩年八雲はこの地が気に入り、東京帝国大学講師となってからの数年間、頻繁に訪れていた。ここに移住することも考えたがその前に亡くなったらしい。

今日は焼津市の歴史民俗資料館で焼津茶のお勉強。先日訪問した製茶会社のT社長夫妻、3日連続のTさんも参加する。実は茶業関係者でももう焼津茶の歴史はよくわからなくなっているらしい。ご担当から焼津市誌などを中心に色々と教えて頂く。更には資料館内をご案内頂き、中世の城から意外と多くの出土品が出ているのに驚く。その中には茶碗など茶道具もあり、今川氏の影響が強く感じられた。焼津はヤマトタケルから始まり、戦国時代まで極めて重要な要所だったことを知る。

横には小泉八雲記念館もあったが、時間の関係で次回に回し、車で焼津港近くまで送ってもらう。ここでK先生と待ち合わせていた。K先生とはイベントなどで何度かお会いしているが、二人で会うのは初めてだった。時々ツイッターにコメントを頂いたり、前回県立図書館ですれ違ったりしていたので、一度ゆっくりお話しを聞くこととなった。

その食堂で焼き魚を食べる。確か水曜日は問屋が休みとかで、刺身類はない感じ。それでも美味しい魚を食べ、楽しい歴史話を聞いていると、何だか嬉しくなる。K先生はお茶の専門ではないが、行きがかり上かなりお茶の歴史もやっており、またお茶以外の角度からの豊富な歴史知識、深い洞察を伺えるので、何とも有難い存在だった。

それから先生の車で、茶の都ミュージアムへ向かう。そのルートを見ていると何となくいつもJRでぶつ切りに通っている茶の歴史がはっきりと見えるような気がした。私の茶歴史は鉄道駅中心であり、静岡の地理が分かっていないと痛感する。空港の近くを通ると、牧之原の広さも実感する。

ミュージアムで、まずは図書室に入れてもらい、先生と一緒に資料を探す。取り敢えずここに何があるのか確認するのが目的だった。私の知り合いのHさん、いやSさんとも色々とお話しする。それから展示室を見学した。世界のお茶が紹介されており、充実した内容となっている。私ももう少し幅を広げて世界のお茶を見るべきかもしれないと思う。

静岡茶旅2023 その2(2)焼津から掛川・森町へ

8月29日(火)焼津から掛川・森町へ

朝起きて宿のご飯を食べる。ここの朝食は地元料理など、かなり充実しているので、ついつい食べ過ぎてしまう。今日もまた焼津へ向かう。午前8時台のJRでもラッシュという感じは全くない。駅で拾ってもらい、少し走って、少し上ったところに、林叟院という立派なお寺がある。風がさわやかに吹いている。

1471年創建の曹洞宗の古刹。長谷川次郎左衛門(鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵の先祖)が開基という。1573年には武田軍により寺は消失してしまうが、江戸時代徳川家光から朱印状を受けるなどして、現在に至る、とある。

ご住職は今日からアメリカへ行くというのでお会いできなかった。現住職の実父であり、先代住職の鈴木俊隆師は、アメリカ西海岸で禅の教えを広めることに心血を注ぎ、曹洞宗では海外布教の第一人者と言われているという。アップルの元最高経営責任者、故スティーブ・ジョブズ氏もまた俊隆師や、俊隆師によって招かれた乙川(知野)弘文師から学んだ多くの生徒の一人だというから、その繋がりに驚く。

奥様からお話をちょっと聞く。ここから登る高草山一体は戦後一面の茶畑で、摘まれた茶を持って、走り降りてくる男たちがいたのをよく覚えている。それも昭和40年高速道路が通った頃から下火になり、いつの間にか茶畑は少なくなってしまった。まあ今でも茶作りをしている檀家さんはいるが、その数は極めて少ない。

そこから車で山を登っていく。上るのは簡単だろうと思っていたら、意外と道に迷う。更に老人が散歩させている犬が道をふさぎ、車はなかなか進まない。ようやく頂上までやってくると、何とも天気が良く、見晴らしは抜群、太平洋が良く見える。その前の斜面には茶畑がある。一部在来種で、一部はやぶきたらしい。この茶畑と太平洋を眺めながら、お茶を飲んだらいいだろうな。茶屋は出来ないものだろうか。笛吹段公園という名前も見える。

そこからTさんのお店に戻り、また黒べにふうきなどの資料を頂く。何とも有難い。昨晩のIさんの話が更に鮮明に蘇る。そして車は掛川へ。Iさんの話で、清水俊二さんの実家が大須賀町の江戸期から続く海鮮問屋であったこと、そしてその邸宅が今も残っていると聞いたので、取るものも取り敢えず行ってみた。

確かにそこには立派な邸宅があり、今は掛川市に寄贈され、一般公開されていた。大きな池と庭園の奥に母屋があり、そこで係の人にお話を聞くと、色々と清水家についての資料を見てくれた。本家はすぐ横に今もあるが、当主は住んではいないようだ。俊二は次男だったので家を出ている。彼が茶の世界の入ったのは、この海鮮問屋と関わりがあるのだろうか。抹茶ドリンクを飲みながら考えるが、よくわからない。

昼ご飯は近くの和食チェーン店へ入る。この付近には昔ながらの食堂などもあるだろうが、地元の人のお勧めはチェーン店だった。まあ確かに何でも食べられるし、価格も手ごろということか。観光客が多い場所とは思えないが、街おこしのような古い町並み再現の店は割高ということか。

午後は森町へ向かう。文化会館にM館長を訪ねて歓談する。今度藤江勝太郎の講演会が開かれると聞き、何とも喜ばしい。藤江だけでなく、他の森町出身茶商についてもぜひ知りたいと思い、お話しを聞く。岡野利兵衛は何も出て来ないが、村松吉平は少しずつ何かが見えてくる。

静岡茶旅2023 その2(1)焼津のお茶

《静岡茶旅2023 その2》  2023年8月28日-31日

7月初旬にホーチミンから戻って以来、どうにも体調がすぐれない。肩から肘に掛けて痛みがあり、また7₋8月の異常気象、連日38度を記録しており、外へ出る気力もなかった(代わりに女子ワールドカップや世界陸上などを見る)。重い腰を上げたのは1か月半も経ってから。それも止む負えない事由で静岡に出掛けた。

8月28日(月)静岡へ

いつもは色々な行き方を考える静岡行きだが、今回は体調も考慮して、新幹線で楽に行くことにした。新宿駅のチケット売場へ行くと、外国人観光客が列を作っていた。私は自販機で購入できるが、初めての外国人には自販機操作も辛いだろうなと思う。日本という国は決して外国人には優しくない。そういえば私のクレカも一つ目は使えなかった。

東京駅まで中央線で行き、新幹線の自由席に乗った。8月末ということもあってか、席はかなり埋まっており、品川駅では自由席はほぼ満員となった。後ろにはスペイン系と思われる若い男女が乗ってきて、楽しそうに話しているが、横の日本人男性は不快そうに席を立ち、別の車両へ移動していく。ほんのちょっとした習慣の違いが、実はなかなか難しい。

約1時間で静岡駅に到着した。最近の定宿に荷物を置くとランチを探す。居酒屋みたいなところにお客さんがいたので、そこのランチを試してみる。日替わり定食は850円もするのに、ちょっと寂しいおかず。私の前に会計していたグループはインドネシア人労働者だろうか。何だか日本が寂しくなっていくのを感じる。

静岡駅へ行きJRに乗る。今日の目的地は焼津。初めて降りる駅だった。先日東京で知り合ったSさんが車で迎えに来てくれ、お茶屋さんでもう一人の女性Tさんをピックアップして、少し離れたところにある製茶会社さんへ向かった。社長のTさんから、会社の歴史などを伺う。奥さんがお茶を淹れてくれる。途中でお父様からも面白い歴史の話を聞く。実は静岡には茶産地が多過ぎて、焼津はノーマークだったが、やはりどこにでも茶の歴史は埋もれているものだ。

続いて、先ほどTさんをピックアップしたお茶屋さん(因みにTさんはここのお嬢さんで、後継ぎだという)に戻り、そこのご主人からも焼津の茶歴史を伺う。焼津は海というイメージしかないが、実は山があり、茶もかなり作られていた。海運を利用した茶の輸送など、その歴史を顧みる人はおらず、今や忘れ去られている。早い段階で茶の生産から茶商に転じた影響もあるようだ。

駅まで送ってもらい、静岡駅へ戻る。今晩は現在私が調べている清水俊二という人に関して、その息子さんと関係があったIさんに連絡して、会ってもらうことにしたのだ。静岡駅で待ち合わせて、駅構内でコーヒーを飲みながらお話を聞く。その息子さんは京大農学部を出ており、茶の研究者だったようで、晩年黒べにふうきというお茶を作った。先ほど焼津で訪ねたお茶屋さんではこのお茶を商っており、そのお茶を生産していたのが、その前に伺った製茶会社さんだったというのは面白い。

Iさんと別れて夜の静岡駅を歩くと、家康と今川義元の像がライトアップされている。今年の大河は家康だが、もうあまりにも使われ過ぎているので、地元でもそこまで盛り上がりはないだろう。いや、地元は浜松?三河?夕飯は先日食べて気に入った、磯おろしそばと天丼セットを食べに行く。夜の静岡はかなり静かだった。

クアラルンプール茶旅2023(4)2つの天后宮へ

7月7日(金)ホーチミンに戻る前に

今朝はお目当ての朝食屋がまさか閉まっていた。仕方なく、MRTに乗り2駅行く。KLセントラルの隣の駅とは思えない閑散とした、未開発の空間に驚く。きっと何かいわくがあるのだろう。とぼとぼ歩いていき、坂道を登る。高級住宅はあるが、大都会とは無縁の静けさだ。

その先にお目当ての天后宮があった。思っていたよりはるかにデカい。観光バスがやってきて、大勢の華人観光客を下ろしている。そこには海南会館もあり、海南人が建てたものらしい。階段を上がると観音がいくつもある。外へ出ると、街が一望できる。結構高いところまで来たとの実感が沸く。

帰りは途中でバスに乗ろうと待っていたが、その付近は何だか工事中で、バスは一向に来なかった。仕方なくまた駅まで歩き、MRTに乗る。チャイナタウン付近で降りて、ランチに向かう。昨晩聞いていた、最近KLで流行りという蘭州拉麺の店に行ってみた。確かに昼時、店はかなり混雑していた。お客は中国系もいるが、何とマレー系女子もいる。蘭州拉麺は豚肉を食べないマレー系にうってつけの料理と言える。串羊肉も合わせて頼み、美味しく頂く。

今度は別の駅から別の路線に乗うろとGoogleの言う通り歩くと、何とキリスト教系の学校の中を突き抜けた。なぜだろうと思っていると、何と駅が学校の入り口に直結していたのだ。更にこの駅から2駅行こうと乗り込むと、何とひと駅で列車は止まり、反対側のホームまで階段を上り下りした。何と不便なのだろう。

何とか目的の駅に着き、歩き出す。そしてもう一つの天后宮へ行ってみた。こちらは午前のそれより規模がかなり小さく、庶民的だった。数十年前にここに移築されたようだが、そのいわれや歴史はよく分からない。そろそろ時間が来たので、バスで帰ろうとしたが、バス停というものが無く、どこで待てばよいか分からない。ちょうどお坊さんが立っていたので、その横にいるとバスが通り過ぎ、お坊さんが走り出したので驚いた。

何とか乗り込み、終点まで来ると、またチャイナタウンだった。この街を一周してみたが、特に面白い所はない。まあ観光地だから仕方がない。最後に初日の夜に外から見ただけの関帝廟に寄る。ここは広肇会館とも書かれており、KLに多い広東系の根拠地のようだった。宿に戻り、荷物を持ってKLセントラルを目指した。

KLセントラルからバスで空港に向かう。昔はよくこれに乗っていたのに、乗り場すら忘れてしまう。1階降りて何とかバス乗り場を見付け、チケットを買う。以前は10リンギだったと思うが、今や15リンギになっている。まあそれでも鉄道の50リンギに比べれば安いか。バスは満員の乗客を乗せて走り出す。

約1時間かかって空港に着いた。私が乗るベトナム航空はどっちのターミナルだろうか。何とかチェックインカウンターへ行き、チケットを貰う。出国審査は入国時よりかなり空いてはいたが、時々審査が滞り、列がなかなか進まない。それはミャンマーやバングラあたりの労働者が、不法滞在などを疑われてのことらしい。結構な確率で別室へ向かう。日本もこんな感じなのだろうか。

広いKLIAで時間を持て余す。LCCターミナルの方が楽しそうだったなと思い出す。KLはかなり多民族が行き交う場であり、彼らを眺めて過ごす。搭乗のコールがなかなかかからず、本当に時間を持て余す。何とか飛行機に乗り込み、機内食を完食するとホーチミンまで戻ってきた。今回のKL旅は何だったのだろうか、と思う間もなく、ホーチミンのイミグレはあっという間に通過できた。