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静岡茶旅2023 その2(1)焼津のお茶

《静岡茶旅2023 その2》  2023年8月28日-31日

7月初旬にホーチミンから戻って以来、どうにも体調がすぐれない。肩から肘に掛けて痛みがあり、また7₋8月の異常気象、連日38度を記録しており、外へ出る気力もなかった(代わりに女子ワールドカップや世界陸上などを見る)。重い腰を上げたのは1か月半も経ってから。それも止む負えない事由で静岡に出掛けた。

8月28日(月)静岡へ

いつもは色々な行き方を考える静岡行きだが、今回は体調も考慮して、新幹線で楽に行くことにした。新宿駅のチケット売場へ行くと、外国人観光客が列を作っていた。私は自販機で購入できるが、初めての外国人には自販機操作も辛いだろうなと思う。日本という国は決して外国人には優しくない。そういえば私のクレカも一つ目は使えなかった。

東京駅まで中央線で行き、新幹線の自由席に乗った。8月末ということもあってか、席はかなり埋まっており、品川駅では自由席はほぼ満員となった。後ろにはスペイン系と思われる若い男女が乗ってきて、楽しそうに話しているが、横の日本人男性は不快そうに席を立ち、別の車両へ移動していく。ほんのちょっとした習慣の違いが、実はなかなか難しい。

約1時間で静岡駅に到着した。最近の定宿に荷物を置くとランチを探す。居酒屋みたいなところにお客さんがいたので、そこのランチを試してみる。日替わり定食は850円もするのに、ちょっと寂しいおかず。私の前に会計していたグループはインドネシア人労働者だろうか。何だか日本が寂しくなっていくのを感じる。

静岡駅へ行きJRに乗る。今日の目的地は焼津。初めて降りる駅だった。先日東京で知り合ったSさんが車で迎えに来てくれ、お茶屋さんでもう一人の女性Tさんをピックアップして、少し離れたところにある製茶会社さんへ向かった。社長のTさんから、会社の歴史などを伺う。奥さんがお茶を淹れてくれる。途中でお父様からも面白い歴史の話を聞く。実は静岡には茶産地が多過ぎて、焼津はノーマークだったが、やはりどこにでも茶の歴史は埋もれているものだ。

続いて、先ほどTさんをピックアップしたお茶屋さん(因みにTさんはここのお嬢さんで、後継ぎだという)に戻り、そこのご主人からも焼津の茶歴史を伺う。焼津は海というイメージしかないが、実は山があり、茶もかなり作られていた。海運を利用した茶の輸送など、その歴史を顧みる人はおらず、今や忘れ去られている。早い段階で茶の生産から茶商に転じた影響もあるようだ。

駅まで送ってもらい、静岡駅へ戻る。今晩は現在私が調べている清水俊二という人に関して、その息子さんと関係があったIさんに連絡して、会ってもらうことにしたのだ。静岡駅で待ち合わせて、駅構内でコーヒーを飲みながらお話を聞く。その息子さんは京大農学部を出ており、茶の研究者だったようで、晩年黒べにふうきというお茶を作った。先ほど焼津で訪ねたお茶屋さんではこのお茶を商っており、そのお茶を生産していたのが、その前に伺った製茶会社さんだったというのは面白い。

Iさんと別れて夜の静岡駅を歩くと、家康と今川義元の像がライトアップされている。今年の大河は家康だが、もうあまりにも使われ過ぎているので、地元でもそこまで盛り上がりはないだろう。いや、地元は浜松?三河?夕飯は先日食べて気に入った、磯おろしそばと天丼セットを食べに行く。夜の静岡はかなり静かだった。

クアラルンプール茶旅2023(4)2つの天后宮へ

7月7日(金)ホーチミンに戻る前に

今朝はお目当ての朝食屋がまさか閉まっていた。仕方なく、MRTに乗り2駅行く。KLセントラルの隣の駅とは思えない閑散とした、未開発の空間に驚く。きっと何かいわくがあるのだろう。とぼとぼ歩いていき、坂道を登る。高級住宅はあるが、大都会とは無縁の静けさだ。

その先にお目当ての天后宮があった。思っていたよりはるかにデカい。観光バスがやってきて、大勢の華人観光客を下ろしている。そこには海南会館もあり、海南人が建てたものらしい。階段を上がると観音がいくつもある。外へ出ると、街が一望できる。結構高いところまで来たとの実感が沸く。

帰りは途中でバスに乗ろうと待っていたが、その付近は何だか工事中で、バスは一向に来なかった。仕方なくまた駅まで歩き、MRTに乗る。チャイナタウン付近で降りて、ランチに向かう。昨晩聞いていた、最近KLで流行りという蘭州拉麺の店に行ってみた。確かに昼時、店はかなり混雑していた。お客は中国系もいるが、何とマレー系女子もいる。蘭州拉麺は豚肉を食べないマレー系にうってつけの料理と言える。串羊肉も合わせて頼み、美味しく頂く。

今度は別の駅から別の路線に乗うろとGoogleの言う通り歩くと、何とキリスト教系の学校の中を突き抜けた。なぜだろうと思っていると、何と駅が学校の入り口に直結していたのだ。更にこの駅から2駅行こうと乗り込むと、何とひと駅で列車は止まり、反対側のホームまで階段を上り下りした。何と不便なのだろう。

何とか目的の駅に着き、歩き出す。そしてもう一つの天后宮へ行ってみた。こちらは午前のそれより規模がかなり小さく、庶民的だった。数十年前にここに移築されたようだが、そのいわれや歴史はよく分からない。そろそろ時間が来たので、バスで帰ろうとしたが、バス停というものが無く、どこで待てばよいか分からない。ちょうどお坊さんが立っていたので、その横にいるとバスが通り過ぎ、お坊さんが走り出したので驚いた。

何とか乗り込み、終点まで来ると、またチャイナタウンだった。この街を一周してみたが、特に面白い所はない。まあ観光地だから仕方がない。最後に初日の夜に外から見ただけの関帝廟に寄る。ここは広肇会館とも書かれており、KLに多い広東系の根拠地のようだった。宿に戻り、荷物を持ってKLセントラルを目指した。

KLセントラルからバスで空港に向かう。昔はよくこれに乗っていたのに、乗り場すら忘れてしまう。1階降りて何とかバス乗り場を見付け、チケットを買う。以前は10リンギだったと思うが、今や15リンギになっている。まあそれでも鉄道の50リンギに比べれば安いか。バスは満員の乗客を乗せて走り出す。

約1時間かかって空港に着いた。私が乗るベトナム航空はどっちのターミナルだろうか。何とかチェックインカウンターへ行き、チケットを貰う。出国審査は入国時よりかなり空いてはいたが、時々審査が滞り、列がなかなか進まない。それはミャンマーやバングラあたりの労働者が、不法滞在などを疑われてのことらしい。結構な確率で別室へ向かう。日本もこんな感じなのだろうか。

広いKLIAで時間を持て余す。LCCターミナルの方が楽しそうだったなと思い出す。KLはかなり多民族が行き交う場であり、彼らを眺めて過ごす。搭乗のコールがなかなかかからず、本当に時間を持て余す。何とか飛行機に乗り込み、機内食を完食するとホーチミンまで戻ってきた。今回のKL旅は何だったのだろうか、と思う間もなく、ホーチミンのイミグレはあっという間に通過できた。

クアラルンプール茶旅2023(3)高級茶荘で

7月6日(木)散歩するだけで楽しいKL

今朝はゆっくりと起き上がる。朝食は付いていないので、外で食べようと出掛ける。すぐ近くに元氷室の食堂があった。いくつの店が入っていたが、迷わず牛肉麺をチョイスした。ただここは観光客向けのようで味は今一つ。おまけに頼んでいないのに大盛りだと言って料金をプラスで取られた。これもまたKL。華人は油断できない。

そこから北上してみる。川沿いに潮州会館、永春会館、安渓会館が並んでいたのは、やはり初期のKLに流れてきた人々の構図だろうか。橋を渡り、川の反対へ行くと、急に景色はインドになる。マスジット・インディアという古いヒンズー寺院がそびえていた。1863年、インド系イスラム教徒貿易商により建てられたとある。華人の横にはインド商人あり、という構図は変わらない。

そこから川沿いを歩くと、 クアラルンプール最古のモスク と言われるマスジット・ジャメクが見える。ここは美しいイスラム寺院として知られ、10時から観光客に無料開放していたので、見学する。確かにきれいな寺院だが、観光客はまばらで、マレー人が敬虔な祈りを捧げている姿が美しい。ムルデカ広場方面の建物もきれいに見え、またそちらへ向かって歩いてしまう。この辺がKL発祥の地、ということだろうか。

昨日素通りしてしまったテクスタイル博物館へ寄る。ここは旧鉄道局の建物を利用している。民族衣装などが展示されているが、特に華人に注目してみてみる。ババニョニャスタイルなどが興味深いが、この辺は知識を埋めないと理解が難しいような気がする。マイノリティである華人は、マレー人から見えれば、興味の対象だろう。

昨日と前を通った南洲茶室で海南鶏飯を食べる。料金もリーズナブルで味も手堅い。そこからMRTに乗る。途中乗り換えがあったが、駅が離れており、一度地上に出て歩くことになる。駅中にはファミマがあって安心?何とか辿り着いた駅はかなり郊外の印象だ。それにしても郊外の新しい駅は見事に先端を行っている。

今日訪ねたのは国立図書館。ここに来ればお茶の資料もあるだろうと勇んできたのだが、何と古い方の図書館は改修中で、半分しか使えない。それでもレファレンスで事情を話すと、色々と資料を探してくれた。しかしやはり茶関係の本は殆どない。マレーシアは茶産地がほぼないので仕方がないか。

ようやく見つけた資料は20年前のKLで開催されたお茶のシンポジウムの記録。私が知っている方々の講演が何人も再現されており、記念にコピーを取ろうと尋ねると、何と『コピー面倒なので、写メして帰って』とあっさり言われてしまう。何でも煩い日本の図書館とは大違い。著作権などどこ吹く風。素晴らしい。

またMRTに乗って宿へ帰った。結構疲れたので休んでいると雨が降り出す。その雨が止んだ頃、また出掛ける。今晩はKL在住のHさんと会う予定になっていた。何と彼はつい先日結婚したとのことで、奥さんも一緒にやってきた。まずは彼があさりラーメンの店に連れて行ってくれた。KLで結構人気があるという。あさりラーメンというと松江を思い出すが、ここのあさりはかなりデカい。

続いてHさんが行きたいというので、中国茶の店に行ってみる。夜もやっている観光客用の店で、私も以前来たことがあるが、何ときれいな2号店が出来ており、高級感が出ていた。この店は、好きなお茶を一人一品選んで、店の人が淹れてくれるという方式。試飲だけして買わない人を防止するということだろう。かなりいい、またレアな岩茶を揃えており、その分値段は高い。オーナーは福建人だという。H夫人は客家の出とか。お茶にも興味があるので色々と話が盛り上がる。

クアラルンプール茶旅2023(2)KL旧市内をフラフラ歩く

昼は近くで海南チキンライスを食べる。以前からある有名店だが、その観光客向け対応が進み、もはや私が食べる場所ではないように思えた。そこからもう一つの老舗茶荘、高泉発を探す。4年前に行ったのだが、今では場所も定かでない。許さんから教えられた通り慎重に歩いて行くと、途中に安渓会館なども出てきて、雰囲気が増す。

以前はもう少しオープンだった高泉発だが、コロナの影響か、今はピンポンを押さないと入れないので、普通のお客さんはいない。中に入ると女性がいたので華語で『オーナーは居るか?』と聞くと一瞬怪訝な顔をしたので、私が4年前に書いた記事にある写真を見せるとすぐに対応してくれた。後で聞けば娘さんだった。

黄さんは、4年経ってもあまり変わらない。最初日本人が来たというので簡単な日本語を使ったが、すぐに『ああ、あんたのことは覚えているよ』と華語に代わった。お茶を飲もうと岩茶を淹れてくれる。言い方は変だが、おばあちゃんの家に来たような気分になる。そして店に飾られたお茶や茶缶を眺めながら、ゆるゆると話す。店内には本当に貴重な品々が並んでいた。

そこからふらふらと図書館を探して歩き出す。クラン川とゴンバック川が合流する地点がクアラルンプール発祥の地とされており、その西側に芝生が映えるムルデカ・スクエアが見えた。その前には1897年に建てられたスルタン・アブドゥル・サマド・ビル(旧連邦事務局ビル)が聳え立つ。複合様式で圧倒的存在。

その先のナショナル・テキスタイル・ミュージアム(国立織物博物館)は、もとは1905年に鉄道事務局として建てられた。そこから右に曲がるとKLシティギャラリーが見えてくる。1898年に建てられたコロニアル式の建物を改築した資料館。1階にはKLの歴史が学べる展示室があり、KLの街が形成された様子、客家が大いに貢献したことなどが分かる。2階にはKLの町を模型で再現したコーナーがある。この辺観光客が多い。

さらに進むとお目当ての図書館がある。ここの1階には先ほどよりさらに詳しいKLの歴史が通路のように展示されていて面白い。2階に上がるとほぼ人はいないので、ゆっくりと本を探して読む。もし観光に疲れたら、ここで休むのも良いだろう。私は茶に関する書籍を探すが、かなり限られている。

その後ムルデカ広場をちょっと歩く。この広場の周囲に歴史的建物がごっそり集まっているのが面白い。更に向こうは高層ビル。古びた教会があるのもちょっと気になるが、その背景は書かれていない。スルタン・アブドゥル・サマドビルに入ってみたかったが、門は閉ざされている。今も現役で使用されているのか。その横に観光案内所があったので、地図をもらいながら、お勧めを聞く。更にはこの建物写真を撮る。

フラフラとこの地域を脱出すると、ちょうどよい所に食堂があった。ここで焼肉鶏飯を食べる。広東系で、こりゃいい味出している。11リンギ。お茶と言えば、すぐに中国茶アイスが出て来るのも良い。こんな感じで簡単なご飯を食べるのが私のKLかな。

そこからまた歩く。KLの2大モスク、マスジットネガラはちょっと遠い。その向かいには1910年にイギリス人建築家の設計で建てられたクアラルンプール駅(旧中央駅)が見える。ミナレット(尖塔)があったのでモスクと見間違えてしまった。KLセントラルが今は中央駅だが、ここも現役。この駅の横から線路を撮るのは鉄道オタク的か。裏に回って眺めていると、インド系の女性から『駅の入り口はどこ?』と聞かれたので、教えてあげた。一日とても良く歩いたので、疲れ果て、宿に帰ってシャワーを浴びて熟睡する。

クアラルンプール茶旅2023(1)KLへ

《クアラルンプール茶旅2023》  2023年7月4日-7日

ホーチミン滞在中、中抜けする形で4年ぶりのKLを満喫した。以前取材した老舗茶行を訪ね、またKLの変化もちょっとだけ体感した。

7月4日(火)KLへ

ホーチミンからベトナム航空で2時間足らずのKL。今後拠点をベトナムにして、アジア各地を回るという手もあるな、と思いながら、機内食を食べる。日が西に傾く頃、KL空港に到着。バスでターミナルまで運ばれ、そこから歩いて出口を探すが、なんと遠いことか。以前はシャトルが走っていたようだが、今は停止されている。

ようやく入国審査場まで来て驚いた。延々長蛇の列が目の前に現れる。しかもその列はなかなか進まず。ちょうどラッシュ時に遭遇したらしく、何と1時間近くかかり、入国した。日本人は登録すれば自動ゲートが使えると、見た記憶が蘇ったが後の祭り。ただただ疲れてしまい、これまで使用したことがない、空港シャトルに乗ることにした。

その前に先ずはシムカードを購入。何とコロナ前からかなり値上がりして、どこのブースも最低25リンギだった。そこから空港シャトル、KLIAエクスプレスへ。料金50リンギは高いが、30分でKLセントラルへ出られる。勿論車内も快適だが、バスに比べて高いので利用者は多くない。最初の方は草ぼうぼうで景色はない。突然雨が降り出したが、到着までに止む。

KLセントラル、懐かしい駅だ。ここから僅か一駅、パサールスニへ向かうのだが、何と度の電車に乗ればよいか迷ってしまい、右往左往する。4年間のブランクの大きさを噛みしめる。更に電車カードも4年の間に失効しており、新しいカードを買わなければならない。この辺は他の都市にはなかった扱いだ。

何とかパサールスニへ辿り着き、予約した宿まで歩く。駅のすぐ横だったが、道は分かり難い。フロントは親切で、部屋はコンパクト。特に申し分はないが、何とも機械的な現代ホテルだった。部屋の窓から、不思議な光が輝いて見えた。なんだろうと思い、外へ出てみた。そこはヒンズー寺院で、夜のライトアップがあったのだ。

何となく寺院に入るのは止めにして、腹が減ったのでその近所の華人食堂に入る。怖そうなおじさんが待っていた。何とか焼きそばを頼む。出てきた麺は、福建麺だろうか。味は濃いがこれは美味い。おじさんは華語が出来たが、『どこの出身だ?』と聞くと、困惑した表情を浮かべるだけだった。店の横には関帝廟もある。それから何とかコンビニを見付けてドリンクを買って帰る。

7月5日(水)懐かしの茶荘へ

朝は宿に付いている朝食を食べてみる。正直ちょっと残念。これなら外でマレーシアの朝食を食べるべきだった。ただ宿は気に入ったので、ネットでまた予約。今度は朝食抜きとした。日々プライスが変わるので、何だかせわしない。パサールスニの市場、店もかなり閉まっているのだろうか。チャイナタウンの露店も活気はあまり感じられない。店員は明らかに華人ではなく、バングラデッシュやミャンマー人らしく、華語は通じず英語で話す。

チャイナタウンの端まで歩いて行くと、懐かしの建源茶荘が見えてきた。4年ぶりだが特に変わっていない。中に入ると女性スタッフが『あら、久しぶり』と何の驚きもなく迎えてくれた。オーナーの許さんも『よく覚えているよ』と古い友人のような自然な話しぶりだった。何だか突然ホームグラウンドに帰ったみたいだ。

店で茶を飲んでいた常連さんが帰ると、この4年間、特にコロナ禍での商売など、色々な話を聞いた。残念ながら茶の売れ行きも今一つのようだ。茶の歴史の方も、許さんがかなり興味を持ち、色々な話が出てきた。とにかく一度福建に行かないと確かめられないことばかりだ(行っても分からないかも)。マレーシア茶商公会の60周年記念誌を買って帰った。

ベトナム南部茶旅2023その2(5)突然帰国となる

腹が減ったので適当に食堂に入った。メニューはベトナム語以外に英語と中国語があったので、何とも有難い。豚腎筋麺というのを頼んでみる。コリコリした触感の肉の塊にクリアーなスープ。驚くほど美味しいと感じてしまった。豚腎筋はあまり見たことがないが、普通の中華食材なのだろうか。5.5万ドン、また明日も来たい。

昼前にチェックアウトして、新しく予約した宿へ移る。歩いて15分ぐらいなのだが、雨が降った後で歩きにくい。何とか辿り着くとすぐにチェックインできた。きれいな部屋でよかった。目の前を見ると洗濯屋があり、1㎏2万ドンで洗濯してくれるというので、明日出すことに決める。

昼めしは近所の海南鶏飯館へ向かった。漢字が書かれているので華語が通じると思って行ったが、甘かった。海南チキンライスの味はまあまあだったが、なぜかキムチが出てきた。まさか韓国系の経営だろうか。更に歩くと、粥屋があり、そこの主人は華語が出来たので、思わずピータン痩肉粥を食べてしまった。こちらは美味かった。

突然の帰国となる

フラフラ宿に戻る。ここに何泊かして、ショロンをゆっくりと見て回るつもりだった。そこへ突然親族からメールが届く。身内に不幸があったのだ。外は急に雨が降り出し、外出もできない。葬儀日程が送られてきたので、それに合わせて帰国することにした。フライトを見ると片道料金はベトナム航空が安い。

日系をキャンセルして、0:10発の便を抑えた。その確認書を見ていて驚いた。私は7月10日に東京に着くつもりだったが、なんと予約したのは今夜発の便。零時10分という紛らわしい表記で混乱してしまった。折角きれいな宿にチェックインしたのに、今晩ここに寝ることもなく、チェックアウトとなってしまった。まあこれも天命か。

取り敢えず、ショロンを見て回ろうと雨上がりの街に出た。華人の街なら寺も多いだろうと歩いてみると、結構新しい寺がある。これは解放後、どこからか入ってきたものらしく、ビルの中にあったり、妙にきれいだったりする。まあ、今回はここまでとして帰国準備に取り掛かる。

夜、腹ごしらえはしておこうと、もう一度外へ出た。ごく普通のコムタムを食べたかったが、意外とその店がない。何とか見つけた店は安いらしく、宅配が沢山来ていた。ここのコムタムは残念ながらちょっと物足りなかったが、確かに安い。暗い夜道をとぼとぼと帰っていく姿は妙に寂しい。

9時頃涙でチェックアウト。Grabを呼んで難なく空港へ到着。空港は意外と混んでいたが、まあ時間の余裕もあり、出国してフライトを待つ。隣に1時間前に出る日系の飛行機が見える。本来はあれに乗って帰るはずだった。ただ考えてみればちょうど比較ができるとも言える。

深夜12時の少し前、搭乗が始まる。やはりベトナム人が多い。結構家族連れなどもいるので、日本に観光に行くベトナム人が増えているのだと感じられる。乗り込むとすぐに灯りは消えて、皆寝入る。そして着陸1時間半前ぐらいに少し明るくなり、必要な人に朝食が配られる。私はパスしてお茶だけもらう。隣の白人女性は着陸30分前まで横になって熟睡していたが、当然起こすなどという野暮はなし。この辺が日系と明らかに違う。

7月9日(日)帰国して

ほぼ定刻に成田空港に着いた。成田空港に来たのは5年ぶりだろうか。最近はとにかく羽田の方が便利で安いので、成田には縁がなかった。あまり人の気配がなく、実にスムーズに入国した。これなら外国人でもそれほど並ばなくて済むだろう。勿論店が開いている時間でもなく、すぐに電車に向かう。

Suicaを取り出し、京成特急に乗ろうとしたのだが、何と入り口を間違えてJRへ行ってしまった。係員に事情を話して取り消してもらったが、『結構多いんですよね』というので、思わず『もっと表示を工夫したら』などと言ってしまいそうになる。やけに電車が空いているなと思ったら、今日は日曜日だった。でもそういうことだろうか?

何となく、ボーっとしていたが、ちょっとホーチミンが心残りだ。もう一度行くと言ったお茶屋にも行けていない。早めにリベンジしよう。それにしても腹が減ったが、京成から都営に乗り換える駅の日高屋すら、まだ開いていない。

ベトナム南部茶旅2023その2(4)ショロンを巡る

7月4日(火)散歩してから空港へ

今朝も宿で腹一杯食べてから出掛けた。ホーチミン1区をふらふら歩くにはちょうど良い。次々に何かしら興味があるものが登場してくる。結局目的地の歴史博物館まで歩く。隣は動物園だろうか。仏像などが多く飾られ、また漢族の展示や説明が目を引く。恐らくハノイにはないだろう。

そこを出て学校の前を通ると、バイクが沢山止められており、大人たちが大勢屯している。今日はきっと何か学校行事もあり、そのお迎えだろうか。今やアジアでは学校の送り迎えは家族が行うようになっている。日本は安全な国ということだろうか。金魚売りのバイクに何となく目が止まる。

宿へ帰って時間まで休み、Grabを呼んで空港へ向かった。今日はこれからマレーシアのクアラルンプールへ行く。なぜそうしたのかは分からないが、まあホーチミン滞在が14日というのは長すぎると感じたからだろう。空港はそれほど乗客もおらず、チェックインから出国までスムーズでよかった。KLも4年ぶりだな。

7月7日(金)ショロンへ

夕方KLからホーチミンへ戻った。今晩の宿はチャイナタウンのショロンを予約していた。ようやく本腰を入れて、ホーチミンの華人調査を始めるのが目的だ。空港でGrab車を呼んだが、一向にやって来ない。Grab画面の車が動かないのだ。私は右往左往してみたが、何ともならずキャンセルした。

しかしショロンまでどうやって行くのか。仕方なく再度Grabに手を伸ばす。捕まえた車の運転手から『駐車場にいるから来い』とのメッセージが来た。何と無礼な、と一瞬思ったが、あの空港出口の混雑を考えれば、駐車場へこちらが行くのが効率的かと思い直し、荷物を引きずって行く。何とか車が見付かったので良かったが、雨など降れば大変だ。

車は順調に走り、夜道を軽快に行く。バイクのライトが眩しい。ショロンに入ると、予約した宿はすぐに見つかったが、受付の華人にーちゃんにパスポートを渡すと『チェックアウトまで預かる』と言い張るので驚いた。確かに10年前のベトナムではそのようなこともあったが、未だにそんなことをしているのか。それだけでもう明日は他を探す決意をする。

部屋はそれほど広くなく、なんとアカ蟻が出てきたので困った。取り敢えず外へ出てさっき見たコンビニを探して歩き出す。暗い夜道の中、結構大きなファミマがあり、ドリンクを買うと、レジ袋をくれる。何となく懐かしい光景だった。

7月8日(土)ショロンを巡る

朝起きてすぐに歩き始めたのは、宿の部屋に居るのが嫌だったからだ。まず目指したのは先日訪ねた際は閉まっていた老舗茶荘。行ってみると、何とか扉は開いており、声を掛けると中年の女性が出てきた。華語を話したので話を少し聞いてみた。奥には彼女のお母さんと思われる女性もいて、何か言いたそうだったが、結局一言も発しなかった。

『福利茶荘』は福の字が付いたので福建系かと思っていたが、どうやら潮州系らしい。少なくとも解放後の1980年代初めには、この地で茶荘を開いていた。それ以前のことはよく分からないというが、潮州系ということもあり、ほぼ間違いなく、解放前は別の場所で、もっと手広く商売をしていたと考えられる。多分私が2008年にホーチミンを訪ねた際も立ち寄っており、その頃はまだ活気があった。今はコーヒーの片手間に茶を売る状況に見えた。

それからチャーダム教会へ行く。教会前の道は両側生地屋だ。この教会、何故か漢字が書かれている。『方済各天主堂』、方済各と言えば、あのフランシスコザビエルのことだから、元はザビエル教会だったのだろうか。なぜチャイナタウンに教会があるのか、ザビエルとの関係は、と思いを馳せるが、残念ながら英語は中国の説明は一切ない。ただ美しい教会が立っているだけだった。

そこから二府会館や天后廟などを回ってみる。さすがチャイナタウンなので、いくらでも漢字が出て来るし、興味深い建物も見えてくる。ただその歴史を知りたくても、それほど説明もないので、ここからは自力で探さなくてはならないだろうか。朝市で買い物している人たちも華人顔が多い。

ベトナム南部茶旅2023その2(3)引き続き1区を散策する

7月3日(月)1区を散策する

今回の宿は、古めかしいが部屋も広くて快適である。朝食も付いているので食べに行くと、ほとんど人がいないので、また快適である。何となく一通り食べて、ベトナム珈琲飲んで、和む。ここは以前日本人も多く泊まっていたようで、日本人への接客に慣れている印象がある。

外へ出た。天気も良く実に快適。宿から直ぐ近くのロータリーに、あのベトナムの英雄、チャンフンダオの立派な像が立っている。この人が元寇でモンゴル軍を払いのけ、結果日本が助かった(元寇の再来はなかった)と聞いたが、そうだとすれば日本にとっても英雄だろう。しかし写真を撮るとその背景にハノイの高層ビルが移りこむのは何となく笑える。

懐かしのマジェスティックホテル(ルーフトップバーでミスサイゴンを飲んだのはいつのことだろう)を通り過ぎ、ホーチミン税関の建物にやっていた。昨晩Iさんから教えてもらった建物。ここに150年前、大物華人の邸宅があった場所だった。今もベランダの模様に、その名残があるようだ。そこから海と反対に歩いて行くと、何とちょっとした華人街があって驚く。旨そうな店がいくつかあった。

その先の角に茶荘があった。恐る恐る入って行くと老板と目があった。華語で話し掛けるとすぐ返事がある。私が日本人だと告げると驚いていたが、店の歴史を聞きたいというと『まあ、座れ』と茶を淹れ始めた。ここは解放直前に開店したそうで、広東系だという。開店してすぐは順調だったが、サイゴンが陥落して・・?

オーナーは非常に気さくな人で、話はどんどん展開していく。そこへお客が入ってくる。主人とのやり取りは最初は英語だったが、やはり華語で会話する。シンガポールから来た若いカップルはベトナムコーヒーを買いに来たのだが、そのパッケージを見て、ベトナム茶も合わせて購入していく。今はこんな商売だよ、笑っているが、本業は茶の卸しらしい。

しばらく話してから、そこの路地を入る。道の両側に屋台の店が出ており、野菜などが売られていた。その陰に隠れるように、『西貢廣肇中華理事会館』の文字が見えた。門は閉まっているが、察するに普段は華語教室などに使われ、会合がある時だけ広東会館になるのだろう。やはりこの付近は潮州系ではなく、広東系が多い場所だと分かる。民国32年改修などの字が見えたが、戦時中壊れたのだろうか。

そこからふらふら歩いて、ベトナム戦争証跡博物館へ向かった。その昔も来た記憶はあるが、随分ときれいになっている。そして外国人観光客がすごく多い。ベトナム戦争に関する詳細な説明があり、日本での反米運動なども写真付きでいくつも紹介されていて驚く。ダラットなどでの活動も見ることが出来、如何に広範囲で戦いが行われていたのかも見られた。あの頃、日本は揺れていたな。

続いて、統一会堂に向かう。戦前は大統領府。サイゴン陥落時の重要拠点として知られている。今は広々とした庭、立派な建物がきれいに残されているが、中の展示はそれほど充実している訳でもない。裏にカフェなどがあったが、観光客用で興味が失せ、何もせずに去る。そこからとぼとぼ歩いて宿へ戻る。

夕方また外へ出て夕飯を探す。午前中に行った広東人街?の食堂に入り、鶏肉飯にスープを食す。これは予想以上に旨い。広東風だ。こんなところに広東が残っているとは。ホーチミンはなかなか複雑だと思われる。主人はちゃんと華語を話す。ちょっと疲れてしまい、明日に備えて早く寝る。

ベトナム南部茶旅2023その2(2)ホーチミン1区を歩く

7月2日(日)宿を移って

何となく疲れが出た。宿でゆっくりと休む。この部屋は今日チェックアウトなので、12時にGrabを呼んで、1区の中心街の宿へ移った。ホーチミンの宿は昔から質の割に高いという印象がある。だからまあまあの宿を予約するのも一苦労だ。今回の宿は日本人も多く泊まるとのことで、それほど期待はしていなかったが、それなりだった。ただ12時過ぎに行ってもチェックインできず、荷物を預けて外へ出る。

すぐ近くに人民政府の建物が見え、その前にはホーチミン像が立っている。何だか懐かしい光景を見ているようだ。実は洗濯に困っていたので、クリーニング屋を探していたのだが、残念ながら閉まっていた。仕方なく先日も来たベンダイン市場の横をフラフラと歩く。急に思い出したのが、張さんからの情報。ここに老舗の茶荘があるという。

その店は看板も出ておらず、扉も半分しか開いておらず、とても営業しているようには見えなかったが、思い切って中に入り、中国語で声を掛けると、何ときれいな中国語で返事があった。松記というお店で、すでに半分引退した老夫婦がいた。聞けば100年位前に茶荘を開いたらしい。先祖は潮州人だという。やはりここにも潮州人がいた。

『解放前は良かったよ』という言葉が印象的だ。なぜか彼らはこの地に残った。それに関する質問には何も答えてはくれなかった。それがこの50年の苦悩だろうか。僅かに売っていた花茶を購入すると、如何にもトラディショナルな包装紙に包まれており、そこに歴史が感じられた。

腹が減ったので何か食べようと歩きだすと、向こうに麺屋が見えた。覗くと旨そうに麺を啜っている人々がいた。思わず入って隣の席の麺を指さすとすぐに運ばれてきた。具(肉団子、さつま揚げ、ハムなど)がたくさん入ったブン、そして横には何だか分からない付け合わせ(フライドオニオンらしい)。食べてみると意外と旨い。作っている場所へ行って、これは何という麺かと聞くと、ブンモックとの答え。ベトナムには麺の種類があり過ぎて覚えられない。

もう一度クリーニング屋を覗くと、何と開店していた。英語も通じる。2㎏、6万ドンならチェンマイ辺りと一緒の価格だ。宿の周囲はボッタくりが多くて、この価格の何倍もの料金を掲げていたので助かる。明日また取りに行くのは面倒だが、コインランドリーがまだ発展していないベトナムでは上出来だ。その後宿でゆっくりと休む。

夕方暗くなった頃に外へ出た。Book Streetなるものがあったので、ちょっと寄ってみた。雨上がりで人は少なかったが、本屋が並んでいた。中にはおしゃれなカフェが併設されているところもあり、本を読みながらゆっくりとコーヒーを飲む姿なども見られた。英語の本などもかなり売っている。そこから周囲を散策した。ライトアップされたコロニアル風の建物はやはり映える。大聖堂は完全改修中で、その姿を覆われていた。

今晩はNさんに紹介されてIさんと会う。ホーチミン在住で歴史を深く研究している方だが、本職は企業駐在員だという。コロナ禍で仕事に余裕が出来た時、ベトナムの歴史と向き合い、その成果をネットで公開している。私が調べているお茶や華人に関しても、それに関連した情報をたくさん持っていて、大変参考になった。

会った場所はおしゃれなベトナム料理屋さん。内装や置かれている家具などが、如何にも中国人好みな感じだったが、中国人観光客はあまりいない。日本人観光客も来ていたが、韓国人のプレゼンスが感じられる。料理は食べやすく、満足できる味だった。今晩は観光客気分で夕飯を頂く。

そこを出ると路上で何か食べている人々がいた。宿まで戻るとその周辺も完全に路上居酒屋と化しており、やっぱりベトナム人は路上カフェ同様、こういうのが落ち着くんだんなと思う。特に若者が多いので、ライトアップされた市内の建物を背景に安くてうまい物を食べているのだろう。まあ日本でも渋谷の路上で若者が屯しているようだ。

ベトナム南部茶旅2023その2(1)バスに乗ってショロンへ

《ベトナム南部茶旅2023(2)》  2023年7月1日-9日

7月1日(土)バスに乗ってショロンへ

朝宿の朝ごはんにも飽きたので、散歩に出た。裏の方を歩いて行くと、何だか廟のようなものが建っている。漢字も書かれているので、華人の名残だろう。その周囲を歩くと、屋台の麺屋があった。フーティウ、南部の代表的な麺なので、食べてみることにした。豚肉が大きく入った碗は豪快。味もなかなか。そして代金は僅か2.5万ドン。こんな世界を求めていた私。

昼前に先日会ったHさんが来てくれた。ちょうど高山茶のお土産を渡そうと思って連絡したら、ランチを食べようということになった。車で市街地まで出たが、謎な路地に入っていく。更に謎な古い建物に入っていく。1階ではお婆さんが洗い物をしていた。4階まで階段で上がると息が切れる。

そこに突然屋上レストランが現れる。ガイドブックには必ず載っているお店らしい。時間が早いのか、お客は多くないが、やはり異国人が目立つ。テーブルなども敢えて古びたものを使って雰囲気を出している。料理は普通のベトナム料理だろうか。なぜか焼うどんのような麺が気に入る。Hさんとは先日の北京の話、共通の友人の話などの続きでまた盛り上がる。

Hさんと別れて、ショッピングモールのトイレに入る。そこで突然、そうだ公共バスに乗ってみよう、と思い立つ。今やネットで検索できるのでバス停はすぐに見つかる。少し雨模様だが、バスを待つ。バスは番号で行き先が分かるのだが、私の乗りたい番号はなかなか来ない。

ついにやってきたバスに乗り込もうとしたら、車掌が口に手を当てた。何といまだに乗車する場合はマスク着用だと分かる。乗り込むと車掌が料金を集めに来るが、いくらだか分からない。取り敢えず1万ドンを出してみると、4千ドンのお釣りが来て料金が分かる。バスは西の方へ向かって走っている。

今日はホーチミンのチャイナタウン、ショロンに行ってみようと思う。しかし途中でかなりの雨が降り出した。周囲には水が溜まり、バスの窓ガラスを雨が激しく叩きつける。一瞬で止むかと思ったがそうはいかず、降りる場所に来ても降り続いていた。取り敢えずバスから降りて雨を避ける。

少し小降りになったので、まずは華人の廟を探す。この街だけが。所々に漢字を見ることが出来る。それだけでホッとしてしまうのはなぜ?歩いて5分ぐらいで天后廟があった。かなり立派な建物。中には穂城会館とも書かれている。この辺の事情を知りたいが説明書きはない。

続いて義安会館があった。福建出身の華人により1872年に建てられたとある。更に三山会館など、さすがにチャイナタウン、ショロンには華人が溢れていた。といっても、それは一部だけのようにも見え、ここもベトナム人中心なのかもしれない。いずれにしてもほぼ華人の影を見かけないハノイとは違い、ここには歴史が感じられる。

フラフラ歩いていると15年前に訪ねた茶荘らしきものがあった。ただ扉はほぼ閉まっており、話は聞けなかった。そのすぐ近くには、ショロン出身と思われる老舗カフェがある。そのきれいな現代的なカフェ形態でないと、やはり生き抜いていくのは難しいのだろうと思われる。

何となく雨も降っているので、本日はここまでとして帰ることにした。先ほどに味をしめてまたバスに乗る。今度は全然違う路線だったが、もう大丈夫。宿のすぐ近くまで雨の中戻ってくることが出来た。Grabは確かに便利だが、当然料金は高い。バスは何といっても安いし、街の様子も良く見えるので、今後はバスを利用しよう。