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ふらっと四国茶旅歴史旅2022(4)子規の松山を歩く

松山

駅そばがあったので、ごぼう天うどんを食べて体調は回復した。観光案内所を探したら、ほんの申し訳程度に窓口があり、地図を貰って退散した。今日の宿は松山市駅にあるので、路面電車で向かったが、何と乗り間違えて少し離れた駅で降りて、そこから歩いた。既に太陽ギラギラで暑かった。

宿で荷物を預けて、すぐに外へ出た。駅のすぐ近くに正岡子規生誕の地があった。松山駅前にも句碑があった。やはり松山といえば一番に出て来るのは子規か。お城の周囲を回って向かった先は、坂の上の雲ミュージアム。その入り口を見るともう一つ、萬翠荘とあったのでこれを先に見ようと坂を上る。意外ときつい。純フランス風建築の素晴らしい建物だったが、中は見なかった。その横には夏目漱石の最初の住居、と書かれたところがあった。今は喫茶店になっているようだが、ミュージアムへ行きたくて、ここもパスしてしまう。

疲れたのでミュージアム2階でミカンジュースを飲んでから見学する。名前からして、既に司馬遼太郎ワールド。何回か読んだ本、NHKドラマを見たことも思い出す展示が数多くあった。日本海海戦の様子を再現するなど、色々と工夫はあり、あまり歴史に興味が無くても楽しくみられそう。 勿論正岡子規と秋山真之についての展示も色々とあった。 館内にはライブラリーもあり、かなりの本が置かれているので、ここで本を読むのも面白そうだ。

外へ出ると暑い。最後に秋山兄弟生誕地に行ってみる。道場があり、像も建っている。ここも入場料を取って中を見せているようだが、入らずに去る。ここからふらふら歩いて銀天街というアーケードを歩いて宿まで戻る。この宿は2時にチェックインできるのが良い。共有空間で有料だが、お茶を飲みながら作業をすることもできる。部屋もきれいだった。大浴場もある。最近流行りのパターンだった。

夕方また外へ出る。週末に選挙があるので、各候補が最後のお願いをしている。コロナのせいでかなり静かな雰囲気ではあるが、それでも内容の薄い演説が続いているように聞こえた。銀天街を歩いているとラスクを売っていたので思わず買い込む。安い。そのまま歩いて行くと洋食屋があり、入る。

町の洋食屋さん、メニューを見るとランチが多い。聞いてみるとランチという名前だが、夜も注文できるというのでスペシャルランチを頼んでみる。チキンカツ、ポークピカタ、魚のフリッター、そしてライスも入れて750円で美味しく頂く。何だかちょっと得した気分になれる。午後5時半でお客がそこそこいたのは、やはりコスパだろうか。

まだ明るいので散歩する。やはり松山は正岡子規関連の場所が非常に多い。旧居の看板を見たが、何と道路の真ん中に石碑が建っており、車に轢かれないように急いで行って写真を撮る。正岡家菩提寺跡という寺もあった。子規堂は既に閉まっていたが、いずれも松山市駅周辺に固まっていた。

7月7日(木)松山2

今回の宿では朝食を付けていなかった。ここ2年間、日本の宿の朝食に感動し、出来るだけ食べていたのだが、さすがに飽きた。それに太る。ランチを抜いても食べ過ぎるのだ。先日試しに朝食を抜いたら、すこぶる体調が良かったので、昨日に続いて朝飯抜きだ。お陰でゆっくり部屋で大谷を見ることができた。今日もすごいな。

10時過ぎるとさすがに動き出す。今日は先週に比べれば暑いとは言えないかもしれないが、それでも20度台後半はある。晴れてもいる。そんな中向かった先は何と『鍋焼きうどん屋』だった。宿から徒歩10分、昨日のアーケードを通ると涼しくてよい。ちょっと横に入ったところに昭和を感じさせる店があった。

10時開店、先客1名。どう見ても地元民ではない。後から来た客も言葉から関東の人間だと思われる。店員さんも心得ていて、愛想がとても良い。『こんな暑い日にわざわざ遠くからありがとう』という雰囲気だ。さすがに地元民は来ないのだろう。この店は鍋焼きうどんとお稲荷さんしかない。しかもお稲荷だけを注文することはご法度らしい。氷一杯の水が提供される。

この店の売り、それはアルミ鍋に入った鍋焼きうどん。たまごを入れると100円高くなる。最近値上げもあったらしい。出てきたアルミは熱かった。そして汗を拭きながら食べる。汁がかなり甘い。うどんは美味い。お稲荷はシンプル。確かに昭和の味だな。店の中には座敷があり、小上がり的な場所もある。昭和23年創業と書かれている。毎年夏をどう乗り切ってきたのか、聞きたかったが、野暮なのですぐに外へ出た。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(3)宇和島 驚きの再会と台風

雨が強いので、近所にあったとんかつ屋に逃げ込んだ。濡れた体をふきながらメニューを見ると、なぜか『カツとちゃんぽんセット』というのがあり、意外な組み合わせに思わず注文してみる。ちゃんぽんは鶏がらスープでしっかり炒めた野菜が載っており、好みだった。この店はとんかつ屋だが、オーナーは郷土料理屋も経営しており、そこから美味いものを取り出して提供しているという。何とも有難い。

伊達家の伊達博物館は本日休館日。その向こうの天赦園を覗くと係員が『こんな雨の中来てくれたんですか?雨で歩きにくいと思いますので、本日は入場料無料で結構です』というではないか。実は私が今日初めての客だったらしい。何だかその対応がとても好ましい。天赦園は宇和島藩第7代藩主である伊達宗紀(伊達宗城の父)が、隠居場所として建造した池泉廻遊式庭園だったが、激しい雨でその景色も良く見えない。足元も水浸しで歩くのも大変だった。

ここで面白い表示を発見。あのシーボルトの娘イネは、師である二宮敬作と共に宇和島で医業に従事していたが、その娘高子は1865年二宮の縁で宇和島藩の奥女中奉公に出て、翌年三瀬諸淵(三瀬周三)と結婚。三瀬はシーボルト門下の医者で、二宮敬作の甥だった。高子の美しい容貌は有名で、後に松本零士がその写真を見て『銀河鉄道999』のメーテルや『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャとそっくりだと言ったらしい。

帰りも歩くしかない。今になって台風が接近してきたのだ。大雨に風も強く歩くのが難しく、立ち往生してしまう。人の店の軒下で何とか耐えるが我慢できずに、商店街のアーケードまで走って逃げこむ。アーケードを抜けて行くと、なぜか雨が小降りとなり、宿の向こう側の和霊神社まで歩いて辿り着く。

それから宿まで戻るとチェックインの3時までまだ少し時間があったので、フロントでもらったウエルカムドリンクを飲もうと1階のカフェに入った。何とそこに見たことがある顔があり、本当に驚いた。ただ一瞬お名前が出てこなくて、『あの、カンボジアの、地雷処理の方ですよね?』と話し掛けてしまった。

先方も怪訝な顔をしながら、『はい、そうです』という。周りにいた方がTさんの名前を言ったので完全に思い出し、一生懸命自分がカンボジアを訪ねた時のことを話したら、何となく思い出して頂けたようだ。何という奇跡だろうか。6年ぶりの遭遇、ここで逢うとは本当にご縁を感じる。Tさんはちょうどここで支援者の方々と打ち合わせをしようとしていた。地雷処理を進めるため、今日も頑張っておられ、すごいな、と思わずにはいられない。8月にバンコクに行くので、機会があれば、もう一度村を訪ねてみたいと思う。

それにしても今日は色々なことがあり過ぎて疲れたので、そのまま部屋にこもった。雨は断続的に降り続き、外へ出て宇和島名物を食べようという気分は起こらなかった。持ち合わせの菓子を出して、食べてそのまま寝てしまう。

7月6日(水)宇和島

朝早めに起きてしまった。昨日も早起きで、昨晩は早寝だから当然だが、ずっと寝ていると、何だか体が痛くなる。以前と違って最近は体が重いと感じることが多い。なぜだろうか。この時期だから、変な病には罹りたくない。

8時過ぎて大谷の試合が始まる。1打席見て、小雨の中すぐに外出して駅前のカフェへ。たまごサンドセットが美味しいというので注文。たまごの味がちょっと独特。何を入れているのだろうか。でもおいしい。ホットコーヒーと合わせて頂く。お客は3人いたが、誰もタバコは吸わず。店内に絵が沢山あったが、常連さんににらまれないように、大人しく食べて外へ出た。老夫婦は丁寧な対応だった。

雨は止んでいたので、そのまま散歩。小川沿いに歩いて行くと、徐々に坂道となり、寺がいくつか見えてくる。その先に古びた立派な門が見えた。統覚寺、ここは伊達家の菩提寺。寺の横の細道を行くと、伊達家の初代以降数名の墓が見える。伊達宗城の墓はあったが、その父の墓は見当たらない。どうなっているのか。

その後も散歩を継続しようと思ったが、朝早くにかなり冷たいものを飲んだためか、腹が重くなり、宿の方向へ帰る。帰り際に、高野長英の隠れ家に寄る。蛮社の獄の後、逃亡した長英は1年ほど宇和島で隠れていたらしい。その少し先が穂積橋。宇和島出身の穂積陳重は明治初期の法学者。渋沢栄一の娘と結婚したので、昨年の大河ドラマにも登場した。

あっという間に時間は過ぎてしまい、宇和島駅から昨日来た道を松山へ向かった。今日の電車は2両のみ。どちらが自由席か良く分からない。本当は各停で行きたいところだったが、この路線は恐らく各停より特急の方が遥かに多いので、致し方ない。1時間半で松山駅に着く。天気は回復し、晴れ間が見えてきた。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(2)台風の中、呉から宇和島へ

7月5日(火)台風の中、呉から宇和島へ

朝方何度も目が覚めた。何となく外で風が吹いているように思えたからだ。だが5時台に起きだすと風も吹いておらず、雨も降っていない。それでも心配になって、10時より前、7時半のフェリーに乗ることにした。そのため宿の朝食を6時半に食べに行くと、出張者たちで満員。慌てていたので食べた気がしない。

7時に宿を出る。雨は降っていないので、荷物を引いて波止場へ向かう。5分で着くのは有難い。フェリーは全て時刻表通り運行されていた。チケットもすぐに買えた。私が乗るのは予想外のクルーズ船だった。2時間、3500円、ジェットホイールだと6000円らしい(時間は半分の1時間)。クルーズ船がいないのは気になったが、広島からやってくることが分かり一安心。

船は思った以上に立派。基本はカーフェリーなので、結局歩いて乗船したのは4人(降りた人が数人)。船内も豪華な雰囲気でよい。一番前の席は景色が良く見えるし、充電もできる。他にも靴を脱いで寝転がれる板の間など、様々なシートがあったが、乗客が伴わず、何とも寂しい。外にも席があるし、車を停めている場所も外から見えている。もし雨に振り込まれた、どうなるのだろうか。

予想していたのと違って、フェリーはゆっくり進み、波一つ立たず、全く揺れることがない。最初の橋を潜り、泊まるはずだった音戸を横目に、するすると行く。これは瀬戸内だからだろうか。台風はまだ来ていないのか。いずれにしても、2時間の行程は、大海を行く感じではなく、何となく島が見えている状態。結局最後まで景色もそれほど変わらず、スマホもずっと使えていた。

ほぼ定刻に松山観光港に着いたのだが、この港が良く分からなかった。一番近い鉄道駅まで約1㎞、バスも走っていると書いてあったが、どこにいるのか分からない。というか、連絡は全くしていなのだろう。港到着10分後に高浜駅発の電車は出てしまう。タクシーに乗らない私は慌てて走り出し、何とか1分前に駅へ滑り込む。

だがSuicaは使えず、切符を買えという。焦ったが『大丈夫です。あなたが乗ってから発車させます』と駅員に言われて、何とか飛び乗る。実はもしこの電車に乗れなければ、この先の宇和島到着が3時間違ってくるから恐ろしい。

高浜駅から大手町駅380円で行く。そこから JR松山駅まで歩いて5分なのだが、親切な駅員さんは、『雨なら路面電車もあるよ』と教えてくれた。だが駅はそこに見えている。松山駅で乗車券だけ買ってホームに行く。各停の来る5分前に特急宇和島行が出ることが分かり、急遽特急に乗る。何とこの特急、高松方面行と同じホームの前の方に停車していたのだ。特急券は車掌さんから買った。これに乗るなら港からは知らなくてもよかったと後悔。

特急自由席に乗客ほぼいない。むしろ指定席の方が多いぐらいだった。雨は全く降っておらず、田舎の風景を眺めた。最後の方はミカン工場や倉庫なども見え、かなり山が見えていた。茶もできそうな雰囲気だ。1時間20分で宇和島に到着する。各停だと3時間かかるが、特急料金1200円を支払えば、時間は半分以下に短縮される。今や各停の本数はずっと少ない。

宇和島で

予想外に早く宇和島へ着いてしまった。まだ11時40分だ。宿は駅の上で荷物を置く。駅に観光案内所はなし。雨は降ってこない。台風はどこへ行ったのだろうか。ただ台風の影響でここから高知の方へ行く土讃線は既に一部区間が運休となっていた。それでもここから高知に鉄道で抜けられると知る。いつかチャレンジしよう。

取り敢えず宇和島城まで10分ちょっと歩いていくと、門の手前に観光案内所があり、そこで色々と聞く。すると突然雨が降り出す。しかし今更引き返せず、城へ入ったが、急な坂上りで滑る。城の石垣が残っており、坂も石なので滑りやすい。途中郷土館(無料)で疲れを癒し、ついでに伊達家の歴史を学ぶ。幕末の四賢人の一人、伊達宗城は良く知られているが、実は父親が長命で実権を握っていたという。

更にきつい石段を登り切り、何とか天守閣に到達する。見学料200円。ここの階段はもう本当に地獄。最後は喘ぎながら、這って上まで行く。だがその分天守閣からの眺めはとても良い。因みに江戸時代から現在まで天守閣が残っている城は日本に12しかないらしい。以下列挙する。

現存天守(12城)弘前城(青森県)松本城(長野県)丸岡城(福井県)犬山城(愛知県)彦根城(滋賀県)姫路城(兵庫県)松江城(島根県)備中松山城(岡山県)丸亀城(香川県)伊予松山城(愛媛県)宇和島城(愛媛県)高知城(高知県)

帰ろうと石段を下ると雨が強くなり、足元はかなり厳しい。南口へ這い出すと、そこには児島惟謙像が建っていた。1891年あのニコライ皇太子が負傷した大津事件では、松方正義の圧力を跳ねのけ、大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜き、「護法の神様」などと高く評価された人物だ。彼も宇和島藩士で幕末の志士だった。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(1)海軍の町 呉で

《ふらっと四国茶旅歴史旅2022》 2022年7月4₋15日

昨年愛媛を訪れるつもりだったが、肩痛が悪化して延期してしまったので、今年こそはと満を持して旅を計画した。日本の後発酵茶の歴史を探る旅、7年前に一度四国三県を回っているものの、あの時とは状況がだいぶん異なる。バタバタ茶も追って行かなければならない。

ついでにお知り合いのKさんが経営する広島呉の民宿にも泊まることにしていた。ところが1週間前、『隣の家の解体工事の影響で、壁に穴が開いていることが発覚』という連絡を受け、宿泊を断念する。更には突然の台風も接近しており、かなり先が思いやられる旅となってしまった。

7月4日(月)呉で

広島空港に到着した。先月山口宇部空港を使ったばかりで恐縮だが、今回は呉に泊まるつもりでフライトを予約してしまった。ところが泊まれなくなり、さりとて翌日は愛媛、ここはどうしても呉からフェリーで松山へ渡りたい。そこで広島空港から呉に行き、そこで1泊する選択となる。以前この空港を使い、尾道へ行ったことがあるが、バスが便利な印象があった。ところが今回の呉行は1時間待ち。乗客も少ない。因みに尾道行は運休になっている。これもコロナの影響か。

呉まで高速バスで約50分。どちらに向かっているのか、方向が良く分からない。呉駅前で下車すると、宿(港)は駅の反対側、歩道橋で繋がっている。途中に観光案内所があり、聞いてみると、お勧めは大和、海自、入船山の海軍オンパレード。更に食事は海軍カレーです、という。さすが軍港、呉だ。

宿に着くとフロントに人はいるのだが、チェックインは機械に自分で打ち込んでやってくれという。入力がとても面倒で嫌いだ。手書きに変更してもらったが、係員は嫌な顔をした。恐らく彼女が入力しなければならないからだろう。それなら疲れてやってきた入り口で立たせて打たせるのではなく、事前に家で入力させるシステムを導入すべきだと思うのだが。

腹が減ったので、大和ミュージアムの横、ビルの2階で潜水艦カレーを食す。がんすトッピング、1250円。鉄板カレーという名物は売り切れていた。カレー自体口当たりは甘いがどんどん辛くなるという(だから潜水艦)とても不思議な味だった。ここにいるのは団体さんか、オタク系の人々。戦艦やらの展示、ちょっと場違い感あり。

そこから見学開始。まずは海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)へ。入場無料は旭川の北鎮記念館と同じだ。機雷の掃海や潜水艦の展示が中心。横に設置されている潜水艦『あきしお』の船内を見学することもできる。潜水艦についてはこれまで考えたこともなかったので、ちょっと参考になる。こんな狭い空間で長く生活するのは、閉所恐怖症の私にはとてもできないと分かる。

大き過ぎて写真を撮るには難しい大和ミュージアム。その横には小さな『しんかい』があって微笑ましい。館内には戦艦大和の1/10模型がデーンと置かれており、また回天乗務員の遺書(肉声)を聞くことが出来て驚く。呉市の歴史についてもかなり詳しい展示がある。赤松則良が造船所建設を説くなど、見るべきものがある。軍港、造船の町として呉を学ぶ。

小雨の中を呉市美術館まで歩く。その庭園内に東郷平八郎大佐が鎮守府参謀長として呉に赴任した時に住んだ離れが移築されている。そしてその先が入船山記念館。海軍工廠塔時計に出迎えられ、高嶌大砲火薬庫と郷土館で呉の歴史を見る。更に正面には1905年建造の呉鎮守府司令長官官舎がある。加藤友三郎、鈴木貫太郎、野村吉太郎などがここに住んだ。いい感じの洋館で後ろには和室がある。歴史民俗資料館では船員が見た航海日常が展示されており、お茶がかなり消費されていた。やはり海上でお茶は脚気などに良いのだろうか。

雨も上がったので、そこから30分ぐらい歩いて、旧澤原家住宅へ行ってみる。坂を上ると旧家の趣がある家が登場する。この家の向こうに『この世界の片隅で』という映画(私は見ていない)で有名になった三つ蔵があった。かなりユニークな形状で、歴史的にも価値があると思われる。

夕方になり駅前食堂へ入ってみた。自分でおかずを取る方式で、卵焼きとイカ煮込み(チンをお願いする)、それにご飯といい味を出している熱い味噌汁で730円。昭和感ありあり。腹ごなしの散歩は、呉港の夕暮れ。明日台風が来るとは思えない夕日と夕凪に魅了されてしばし留まる。

福岡、長崎茶旅2022(7)外海、出津で

疲れたので一度宿に戻り、早めの夕飯に繰り出す。今日はロースかつに何と『角煮かつ』をトッピングして、食べてみることにする。まさか本当に角煮を揚げているとは。まあ角煮はそのまま食べる方が良いように思うが、ここのカツは美味しかった。また接客が実に丁寧で感心した。向かいには同店が出しているカツサンド専門店もあった。

6月20日(月)出津へ

長崎最後の朝、雨模様だったが降ってはいなかったので、思い切って遠出する。宿近くのバスターミナルからバスに乗る。直通は40分後と言われ、思わず桜の里バスターミナル行に飛び乗る。長崎市街地を走っていく。だが途中山を越え、漁港の方へ行く。乗り換えバスの発車時間が迫っていたので、ちょっと焦って運転手さんに聞くと『大丈夫、連絡していますから』と。

ターミナルで大瀬戸行バスに乗り換えた。乗客はほとんどいない。海が見えてくる。目的地の一つ、道の駅夕陽が丘そとめをやり過ごし、出津の村を通り抜けたところで降りた。ここに外海歴史民俗資料館があるので、まずはそこで概要を掴むことにした。ここは潜伏キリシタンの里、江戸初期のキリシタン迫害、明治初期の混乱などの歴史が綴られている。ここでどれだけの人が信仰のためにどれだけの犠牲を払ったのかは、想像もできない。

係の方から地図を貰い、村を歩いてみる。明治初期この地に赴任し、その後村の繁栄を支えたドロ神父の教会が見えるが、その前にドロ神父記念館に立ち寄る。ここはドロ神父が村の窮状を救うため、私財を投じて作った授産事業、福祉施設だという。記念館内にはこの施設で行われた様々な事業について説明されており、同時にドロ神父が如何にこの地の人々に敬愛されていたかが、語られている。残念ながら月曜日は施設がお休みで見学はできなかった。

一旦下ってまた上ると出津教会に至る。なかなか格好の良い教会だ。これもドロ神父の指導の下建てられた。外から眺めていると、そこにいた女性から声を掛けられ、教会内に案内された。そしてドロ神父と現地の人々の交流や潜伏キリシタンのことなど、丁寧に教えてくれた。何よりも『隠れキリシタンはまだいます』という言葉が衝撃的。明治になっても家族だけで信仰を継続して教会に来なかった人々を指すらしい。信仰を守ることの本質を見る思いがした。

教えられてドロ神父の墓を訪ねた。大きな目立つ墓だった。その周囲にはキリシタンの村人の墓が続いている。大平作業所という山の上では開拓も行われ、茶作りをしていたらしい。今でも紅茶などが作られているが、さすがに歩いては行けないので、終了となる。ここは歌手前川清の両親の出身地で、母親は熱心な信者だったとテレビでやっていたが、そんな話はどこにも出てこなかった。

バスを待ち、道の駅まで行く。距離的には大したことはないが、さすがに急な坂道を上る気力はない。道の駅の向こう側、海の目の前に遠藤周作文学館がある。ここ外海は遠藤の代表作『沈黙』の舞台となっており、私も最近映画で見ていた。更につい最近なぜか『深い河』も読みかえしており、どうしてもここに来て見たかった。ここで遠藤周作の生涯を顧みて、宗教とは何か、人生とは何か、などを考えさせられた。バスの時間までサンドイッチを買って、小雨の中噛みしめる。

同じバスルートで市内に戻る。大波止の港で降り、その辺を散策する。それから商店街の方へ歩き、蕎麦を食べることにした。その老舗の蕎麦屋、『そば重ね』というメニューがあり、下にかつ丼、上に蕎麦が入った1つの椀を提供していた。この店の独自のものかと思い聞いてみると、数十年前誰かが作ったものを購入しただけだというが、今このような椀を使っている蕎麦屋は全国的に見てあるのだろうか。

長崎バスターミナルから空港バスに乗る。不思議なことにこのバスの待合室はホテルのロビーとなっている。ホテル内に切符の自販機もある。どのような経緯かは知らないが、何となくゆったりと待った。今回は山口から入り、長崎から出るという、なかなか広範囲な旅、そして有意義な旅であった。

福岡、長崎茶旅2022(6)長崎の街をフラフラ

更に行くと松林飯山遭難碑がある。松林は楠本らと行動を共にしていたが、維新直前ここで暗殺された。日本全国には無念にも倒れた無数の志士たちがいたことを感じる。大村護国神社には大村藩三十七士の碑もある。ここの下には江戸時代、大村氏の円融寺庭園(徳川家光由来)があったと書かれている。

最後に図書館に寄ってみた。ミライon図書館という名でおしゃれない建物だった。後で知ったのだが、ここは長崎県立図書館が移転して、大村市と一体で運営しているようだ。土曜日ということで、かなりの人が来ており、あまり長居はできず。そしてこの建物には歴史資料館もある。こういう複合型施設は便利でよい。県立図書館が県庁所在地から遠く離れた例はあるのだろうか。

長崎

JR大村駅から電車に乗る。1時間ちょっとで長崎の手前、浦上駅で降りる。ここから路面電車に乗り、中華街を目指す。路面電車、前回何度も乗ったが、相変わらず路線図が頭に入っておらず、どれに乗ればよいか分からない。ようやく電車で中華街近くまで来た。出島の脇、ここまでくればと思ったが、何と『地図の読めない男』となって迷う。

何とか宿へ行き、荷物を置いて歩き出す。何となく中華街と反対方向へ行くと、いつの間にか思案橋、そして通りを越えると、大浦お慶居宅跡へ出た。ここは前回(2年前)お慶を調べる中で通ったところである。そのすぐ近くには孫文先生縁故之地とある。孫文は長崎を9回も訪れたといい、その度に鈴木天眼(会津出身で孫文支援者)と会うため、ここにあった東洋日の出新聞に来たらしい。因みにこの新聞の発行名義人は姿三四郎のモデル、西郷四郎とある。

ふらふら歩いていると、喫茶店が目に入る。昼ごはんを食べていなかったので、急に入ってみたくなる。土曜日の午後で店内はほぼ満員。カウンターの端に座り、珈琲セットを注文する。丁寧に淹れた珈琲の他、ハムトースト・エッグ・野菜サラダがドカンとプレートに載ってくる。このクオリティーは予想外だった。実は珈琲冨士男は1946年長崎市鍛冶屋町で創業された、70年の歴史を持つ老舗の珈琲店で、遠藤周作の『砂の城』にも登場するという。何気なく入った店で喜ばしいひと時を過ごす。

そこからまっすぐ歩くと、隠元禅師ゆかりの興福寺に出る。今回は前を通るだけで、すぐに眼鏡橋の方へ引き返す。一度宿まで戻りチェックイン。夕方急に腹が減り、また外へ飛び出す。歩いていると『バラモン食堂』という店があり、気になって入ってしまった。バラモンというからインド方面を想像してしまったが、なんと五島列島の方言だとか。

このお店は新鮮な五島の食を提供しており、天ぷら定食に刺身付をチョイス。新鮮な刺身といい感じに揚がった天ぷらを味わった。たまにはこんな食事も悪くない。因みにばらもんとは、活発な、元気がいいなどの意味をもつ五島の方言「ばらか」からきているという。新鮮な、というのがこの店の意味だろうか。

帰りにフラフラしていると、スナックの扉に『コロナ感染防止のため、県外のお客様のご来店をお断りしております』との張り紙を見た。やはりまだ歓迎はされていないようで、ちょっと悲しい。

6月19日(日)長崎フラフラ

起きるとすぐに散歩に出た。まずは唐人屋敷へ向かう。まだ早くて案内所も開いていないが概要を掴む。そこから大浦天主堂に向かって歩く。途中1865年トーマスグラバーが走らせた鉄道発祥の地跡の看板を見る。続いて1804年レザノフ上陸ロシア仮館跡がある。長崎税関跡、香港上海銀行と長崎ホテルなど、まさに長崎は歴史の宝庫。歩いているとそれだけで十分に楽しめる。

大浦天主堂、四海楼などを通り、朝ご飯を探す。昨日の喫茶店に味をしめ、二匹目のどじょうを狙ったが、今日はチェーン店のそれだった。但し店舗の雰囲気が良く、2階で一人まったりした。それから路面電車に乗る。前回も来た長崎歴史資料館で華人の歴史を少し見る。長崎県立図書館が大村に移ったと聞いたが、郷土資料センターなら市内にあると教わり、また路面電車でそちらへ行く。

長崎公園内にある資料センター。周囲にはシーボルト記念碑や上野彦馬像などがあり、訪れてよかった。ただ中に入って資料を尋ねると『基本的に長崎の資料は全て隣接する長崎歴史文化博物館に委託されており、ここにあるのはその一部だけ』と言われる。長崎歴史文化博物館は民間に委託運営されており、当日いきなり行っても問い合わせすら受け付けないのは知っていたが、長崎県の人々もそれを不満に思っていることを今回知る。それでもここで九州製茶輸出株式会社の株券などを見ることが出来、満足する。

福岡、長崎茶旅2022(5)富春庵、鄭成功、大村散歩

午後は富春庵へ向かう。ここは2回目の入宋を終えた栄西が1191年に上陸し、滞在した場所と聞いている。そして栄西がここに茶を植えた、喫茶、製茶法も教えたとの伝承も残っており、記念の茶畑もあった(一応日本最初の茶畑との表示もあるが)。だがこの地で一番重要なのは茶ではなく、栄西が禅宗を伝えたことらしい。

茶畑から下っていくと、そこには『日本禅宗発祥之地』との石碑が置かれており、『千光祖師座禅石』などもある。そして道路の反対側には江戸時代に富春庵を継いだ千光禅寺が今もそこにある。日本で初めて禅が行われたと書かれ、今も座禅会が続けられているようだ。このコロナ禍ではどうだったであろうか。

ここでOさんとは別れ、Sさんの車に乗せてもらい、鄭成功記念館を目指す。大きな門を潜ると、鄭成功が生まれ7歳まで育ったという屋敷跡に記念館があった。係の人が熱心に説明してくれ、鄭成功について日本ではどのように語られているのかを少し理解した。私自身は厦門の大きな鄭成功像や台南の廟など、各地で見ているので、あらましは知っているが、日本で鄭成功に出会うのはこれが初めてであった。古い媽祖像なども安置されている。往時は目前の岸から船で大陸へ出て行ったのだろう。折角なので、千里が浜の鄭成功記念公園にも寄ってみた。ここにある鄭成功像は厦門のそれの小型版のようだった。さわやかな海風が吹く公園で気持ち良い。

最後に街中にある蔦屋という菓子屋に入る。創業が1502年というから古い。代々松浦家に菓子を納めていたらしい。しかも現在の店舗地には、三浦按針が住んでいたとかで、按針の館と呼んでいた。珍しいポルトガルゆかりの菓子などが並んでおり、興味を持つ。店で買って奥の広い座敷で食べられるという贅沢。ここでSさんと話し込み、かなりの時間滞在した。

今晩大村へ行くという私をSさんは親切にも車で送ってくれた。結構時間が掛かり、日が暮れてしまった後、ようやくたどり着いた。Sさんには申し訳ないことをしたが、お菓子やお酒の話などでとても為になった。車中でもずっと話が続き、有難い再会だった。

今晩の宿は地方で頑張っている昔ながらのビジネスホテルだった。夜8時を過ぎており、夕飯を探しに駅まで行くと歩いて6₋7分掛かったが、ちょうど駅前に食堂があり、飛び込む。お客は誰もおらず、もう閉店かと思ったが、運よくまだやっていた。かつ丼を頼むと、予想以上にうまい物が出てきて喜んで食べた。ただ東京ではかつ丼を頼むと、漬物とみそ汁が付いてくるケースが多いが、こちらではみそ汁は出てこない。

6月18日(土)大村を歩く

翌朝宿で朝定食を食べる。ビュッフェより新鮮でよい。午後長崎へ行くまで時間があるのだが、私が大村に泊まった理由はただ『行ったことがない』だと自分で思っていた。駅には観光案内所はなく、ただ地図を眺めた。すると大村氏の居城、玖島城跡があった。更には楠本正隆邸という文字まで見えて、なぜここに来たのがその理由が分かってきた。

朝の商店街は完全に閉まっていたが、これからどれだけの店がシャッターを上げるのだろうか。『砂糖文化を広めた長崎 シュガーロード』などの説明書きが見える。大村宿の本陣跡もある。大村市役所を通り過ぎると陸上の廣中璃梨佳の名前が大きく掲げられていた。その先大村湾を背にして、玖島城跡があった。

公園から登り始めると、第1次大戦中の青島攻略戦で亡くなった佐藤少佐の碑が建っていた。これまで戦争に関する様々な石碑を見てきたが、第1次大戦のものは初めてで、貴重な歴史を学ばせてもらった。勿論近くには戊辰戦争の碑もあり、北伐戦に参加した少年鼓手の像が目を惹いた。本丸跡には大村神社があり、その向こうには大村喜前(キリシタン大名大村忠純長男)石碑と純煕(最後の藩主)の像がある。周囲にはまだ石垣も残っており、城のイメージがある。

そこから少し歩いて行くと武家屋敷街がある。その中に楠本正隆屋敷があった。楠本を知ったのは、明治初めに彼が新潟県知事となり、長岡の梅浦精一(多田元吉と一緒にインド紅茶視察に行き、渋沢栄一に請われて東京商会会議所事務局長を務めた人物)を中央に引っ張った史実からであった。屋敷は意外と広く、庭がきれいだった。

この屋敷の展示を見て、大村藩でも幕末様々な動きがあり、楠本のそれに関わって維新を迎えた経緯が分かる。更に東京府知事から最後は衆議院議長にまでなっているから只者ではない。ただ幕末を中心に彼の資料はあまりないという。討幕運動は紙に残せるような内容ではないということか。大村藩から医学の長与専斎などが出ていることを知る。

福岡、長崎茶旅2022(4)奇跡の矢部村、そして平戸へ

昼前、矢部村へ行く途中、茶寮千代乃園に寄った。お店を開いている茶農家のHさんとOさんは知り合いということで行ったが、私もイベントでお会いしていた。茶桜ご飯のだし茶漬けを頂くと、炊き込みご飯のおにぎりが浮かんでいて、何ともうまい。デザートのケーキも甘さ控えめで又うまい。そして何より川沿いの景色がとても良い。勿論お茶はおいしい。これは極楽だ。

午後は矢部村の川口米吉翁のお孫さんを訪ねた。明治30年代、川口翁は近隣や佐賀で紅茶製造法を教えていたという。家には川口翁が90歳近くで作ったという60年前の紅茶が残っていた。そして先日作ったという紅茶を飲ませて頂いた。家にある資料をみせてもらうと、何と川口翁は可徳乾三の弟子から袋踏法を習ったといい、実はその製法は今でも孫に引き継がれていた。これはもう本当に奇跡の発見であり、しかもその踏み方の華麗なステップを見せて頂き、大感激だった。また星光社の神田清吾からも製造法を習得したとあり、何とも興味深い人物だ。

それから旧校舎を利用した川口米吉資料館を訪ねる。Oさんのお知り合いが関わっており、色々と説明してくれた。ここの小学校の卒業生には、数年前に訪問したKさん兄弟なども含まれていた。何だか古い校舎が上手く使われていて、思わず展示に見入ってしまった。それにしても矢部村の紅茶の歴史、何とかもっと深く分からないだろうか。

帰る途中、木屋のお寺に寄り道する。この辺でも昔は紅茶作りが行われていたと聞いたからだ。光善寺というお寺へ行くとちょうど人がいたので聞いてみると、『昔茶畑があったとは聞いているが』という感じで、今見ても茶畑はない。ただよく見ると横に南木屋共同茶工場と書かれ建物があり、製茶が行われていることは分かる。

そこから佐賀駅前まで行く。今晩は佐賀に泊まり、明日平戸へ向かう。いつもの駅前ホテルを予約しようとしたら、すごく高い値段で驚いた。それでも仕方なく予約したのだが、何と喫煙部屋が予約されていた。満室で替えられないという。予約サイトを見ると実に曖昧な表現で驚く。次回からは気を付けよう。料金が高い理由は周辺ホテルがコロナ隔離に指定され、そこに需要が伸びてきたので、部屋が足りなくなっているらしい。夕飯はなぜかカツカレーを食べて早く休む。

6月17日(金)平戸へ 

翌朝Oさんの車で平戸へ向かった。一昨年長崎へ行った時、平戸へも行きたいと思ったが、意外に遠くて行けなかった。佐賀からも車で2時間ほどかかってようやくお城が見えてきた。その昔交易で栄えたとは思えないほど、九州の外れにあることを実感する。

駐車場に車を停めて、観光案内所で地図を貰う。ついでにあご出しちゃんぽんが食べられる場所を聞く。目の前に有名なお店があるが、コロナ禍でいつ開いているかは分からないという。まず旧オランダ商館の方へ歩いて行く。1609年平戸に2隻のオランダ船が来航し、1641年の出島へ移転するまでの短い期間、ここが貿易拠点だった。復元された洋館は博物館となり、数々の展示品を見ることが出来る。だが残念ながら茶に関連する資料は見当たらない。

オランダ塀から少し小山を登る。この辺りに400年前のオランダ商館は立っていたらしい。そのまま登り、ザビエル記念碑を探す。ザビエルは山口にも来たが平戸にも来ている。更に上ると何と三浦按針の墓(発掘でその可能性が出ている墓)があった。ウイリアムアダムスは漂流して大分に辿り着き、その後徳川家康に仕えた数奇なイギリス人。三浦に領地をもらったからそこで亡くなったとばかり思っていたら、実は晩年帰国を夢見て平戸に来ており、ここで亡くなっていた。

少し下っていくと、松浦資料館があった。松浦党は鎌倉時代から海賊のイメージで名が知られているが、実際はどうだったろうか。資料館はお屋敷に作られており、その古めかしさが良い。松浦と中国の交流などがもっと展示されているかと思っていたが、あまりなくて残念。ここで以前大分の旅をご一緒したSさんが登場して驚く。ちょうど長崎に用事があり、急遽参加したらしい。

昼ご飯はOさんが『あごちゃんぽん』というので、その店に行ってみた。あご出汁が抜群に美味く、タンメンのような野菜炒めがドカンと載っている。するすると胃に収まる。だが何しろ量が多くて食べきるのに苦戦するほど。味がいいのでまた平戸に来たら食べたい。

福岡、長崎茶旅2022(3)八女で紅茶の歴史を

6月15日(水)三潴駅へ 

いよいよ博多を離れ、今回の主目的である八女を目指す。今回も茶旅に連れて行ってくれるOさんとは、8年前ここで出会った。待ち合わせ場所は西鉄三潴駅。昨日大宰府へ行った同じ路線を走っていくので気が楽だ。特急に40分ほど乗り、大善寺で乗り換え、三潴駅に着く。何とも小さな駅だが、三潴という名は明治初期、僅か5年間だけ三潴県という県名として見える。そして明所初期の紅茶製造の場として、この三潴が歴史に登場しているのだ。

Oさんと合流して、まず向かったのは黒木。酒屋だった旧松木家住宅がまちなみ交流館となっている。広い土間と立派な梁を持つ住宅。この辺に明治後期に紅茶試験場が建てられたが、すぐに緑茶伝習所に代わったとある。裏には矢部川が流れ、川沿いにおしゃれな病院があったが、あのあたりだろうか。

木屋で江戸時代からの庄屋だったというM家を訪ねた。今も庄屋さんの家という風情を残しており、庭には簡易のお白州が開かれた際の敷石がそのまま置かれている。この家には明治期、県の物産品評会で紅茶部門3等に入賞した賞状が残されている。ただ現在お住まいの方々も、『紅茶製造』については何も聞いておらず、これが短期に終わったことを示している。

八女市役所黒木支所に聞けば何かわかるかも、ということで、訪ねてみる。だが役所が把握している黒木の紅茶作りの歴史は限られており、特に我々が追い求めている明治初期紅茶を輸出した星光社については、分からないという。それでも色々とご尽力を頂き、ついにその方面に詳しい方を紹介してもらった。何とも有難い。昼は美味しい蕎麦を食べて英気を養う。

午後星野へ行く。8年前まさにOさんが最初に連れてきてくれた場所、そこに星光社の茶工場があったというのは驚きだ。その時訪ねたお茶屋さんは既に廃業してしまっていたが、何と偶然にもそこでUさんとばったり再会した。工場は星野川のすぐ横だったと分かる。数年前の水害で、この付近も大変な被害があったそうだ。

それから紹介された専門家の家を訪ねた。さすがに郷土史に非常に詳しく、星光社についても相当調べておられ、蚊に刺されながら、かなりの情報を入手した。星光社のメンバーは広い地域から集まっており、八女出身者ばかりではないことなども分かり、さらに調査を困難にはした。先方にも可徳乾三のことなど、こちらの情報を提供した。

八女市内に戻り、予約した宿まで送ってもらった。驚いたことにこの宿、『コロナ感染者の宿泊は固くお断り』として上で、『コロナ陽性が判明した場合、消毒費用などを別途請求』と書いている。ここまで厳しい規定をこれまで見たことはなく、自分が感染した場合はどうなるのか、不安を覚えた。

夕飯を探しに外へ出た。近くには古い木造住宅や江戸から続く工場などもある。ただ食事をするところが意外となく、最後はラーメン屋に飛び込んで済ませた。留学生かなと思える店員が一生懸命働いていた。夕日が落ちていき、今日一日の成果を思いながら宿に戻る。

6月16日(木)八女許斐園

宿で朝食を食べたがロクなものはなかった。食べている人はほとんどいないが、食券回収箱には券が積み上がっている。なんかの作業する人々が泊り、朝早く出ていたのだろう。

本日は江戸時代から続く九州最古の茶商許斐園を訪ねた。さすがに店舗自体が歴史であり、文化財であった。店主の案内で作業場、そして2階の座敷を見学する。ロシア語の蘭字が張られた茶箱が目を惹く。2階では様々な客が往来したらしい。江戸後期からここで文人煎茶なども行われ、あの田能村竹田らも集ったらしい。この地は九州交通の要所だったということだ。

幕末にはグラバーやお慶がこの地から八女茶の購入、許斐園は輸出製茶問屋として発展する。輸出が不振になると国内に回帰し、九代許斐久吉は玉露の生産、品質向上に尽力し、また『八女茶』の名称に統一してブランド化を図った。いずれにしても200年近い歴史を有するお茶屋は、日本にはそんなにない。そしてその歴史が分かるとなると更に少なく貴重だ。

もう少し質問を繰り出そうしていると、そこに地元ラジオの取材がやってきた。Oさんもラジオに出演しているので、その辺で話が盛り上がり、そのまま退散することとなった。また質問を纏めてリベンジしたいと思う。紅茶についても次回聞いてみることにしたい。

そこから八女の図書館へ向かった。やはり地元には資料があるのではと探してみると、いくつかあった。私とOさんは二人で来たので、二人分のコピーを取りたいと願い出たが、『規則で1枚まで』と頑強に言われる。同じ一人が2枚取るのは問題でも、欲しい人が二人きちんとやってきているのに、1枚しか取らせないという理屈には納得しかねるところがある。仕方なく午後コンビニでもう一枚を取るという無駄な作業を行った。

福岡、長崎茶旅2022(2)謝国明、大宰府

雨を気にしながら、福岡城跡を登っていく。建物はほとんど残っていないが、石垣などは見て取れる。意外と坂がきつく、足元も滑りやすかった。天守台の見晴らしは素晴らしく、昔はここから港を眺めていたに違いない。下に降りると花菖蒲が咲いていた。更にNHK前まで来ると、廣田弘毅像が建っており、広くて、景観の良い大濠公園に続いている。

疲れたので地下鉄に乗り、博多駅へ行く。観光案内所を探したが見つからず(総合案内所で対応。パンフ・地図が置かれるのみ)。もらった地図を見ながら、駅周辺を歩いてみることにした。まず目についたのが、謝国明の墓。大きな樹木が立っており、その中に墓や記念碑が建っている。謝国明は大河ドラマなどにも登場したので知ってはいるが、特に聖一国師のスポンサーだったことに着目した。承天寺は謝の支援により国師が開山した。

そうなると承天寺にも行きたくなる。数年前に訪れた時と同じ『饂飩蕎麦発祥之地』『御饅頭所』『満田彌三右衛門の碑』の3つの石碑が建っている。国師一行が大陸より饂飩、饅頭、蕎麦、織物などを持ち帰ったことが記されている。ここに謝国明がどのようにかかわったのかは興味深い。

更に歩くと妙楽寺がある。戦国末期、博多の豪商茶人に神谷宗湛がいるが、彼の立派な石の墓がここにあった。その横には円覚寺が見える。ここは茶道の伝書『南方録』が伝わったとある。そして入宋を目指した聖一国師が最初に滞在した寺ともある。門は固く閉ざされており、中を窺うことはできない。ついでに栄西の聖福寺も再訪した。静かな境内は好ましいが、廣田弘毅の墓は何度探しても見付からない?

雨が強く振り出し、疲れも出てきたので、宿に逃げ帰り、風呂に入って休息する。夜はY夫妻と食事の予定があり、バスに乗って向かう。焼鳥屋さんと言われたが、店の位置が良く分からない。何とか辿り着くと久しぶりのカウンター席。質の高い焼き鳥をお任せで堪能する。鶏肉は本当に美味い。店は満員で酒が入ると皆大声で話し、コロナも何も関係ない。

できるだけ茶の話をしないように心掛けたが、やはり無理だった。何だか自分の視野が極めて狭くなっており、情けない。それでも10時過ぎまで楽しくお話して別れる。帰りのバスは乗客がほぼいない静けさ。まるで宴の後。150円で博多駅まで行き、そこから歩いてとぼとぼ帰る。

6月14日(火)大宰府へ 

朝から雨。宿の前のバス停から西鉄天神へ。そこから急行に乗り、途中二日市で乗り換えると大宰府に着く。何と言っても子供の頃、歴史の教科書で見て以来、一度は行かねばと思っていた場所についに来た。かなりのワクワク感で降り立った。

雨の天満宮はきれいだったが、とても歩きにくい。如水の井戸などがあり、いかにも福岡らしい。雨を避けて九州国立博物館に逃げ込む。常設展をさっと見たが、規模は思っていたほど大きくはない。係員はとても親切で色々と説明してくれた。本当はもっとゆっくり大宰府周辺も含めて廻るつもりで来たのだが、何だか雨に遮られて、その気力が萎え、電車に乗って戻ってしまった。

天神に着くと、雨は上がっていたので、また歩き出す。細い路地に『廣田弘毅生誕地』があった。その先のバス停からバスに乗る。目指すは福岡市立総合図書館。バスは湾外沿いの高架を走るので、景色が良い。そして福岡タワーがそそり立つ。図書館で昨日興味を持った謝国明などの資料を探す。しかし実はあまり資料はない。困った。

またバスに乗って宿の近所まで戻る。商店街にウエストがあったので、ひょいと入ってみた。数年ぶりにごぼう天うどんにありつく。これも国師のお導きか。相変わらず麺はフニャフニャだが、汁とのバランスが良い。宿に帰って、無料のコーヒーなどを飲みながら休息する。

そして夜8時半頃、外出する。こんな時間に一人で外へ出ることは稀だが、今晩は目的があった。その場所に近づくと、出勤途上と思われる若い女性の一団に出会い、また場違い感を募らせる。その店は夜7時半開店の蕎麦屋。知らなければ通り過ぎてしまうほどさりげなく、飲み屋街に存在していた。そして蕎麦屋なのに客のほとんどがかつ丼を注文するというので行ってみたわけだ。

午後9時前、客はそこそこ入っている。見ていると確かにとほぼ全員がかつ丼を食べており(一人だけカツカレー)、新しい客もかつ丼をオーダーした。私もオーダーした。やってくるとゆるふわたまごで閉じたカツが載っていて、いい感じだ。それに沢庵が二切。これで1100円が安いか高いか良く分からないが、博多の夜、〆はラーメンと思い込んでいると、その奥はそうとうに深そうだった。