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タイ北部茶旅2022(2)懐かしのメーサローンへ上がる

少し待ってみたが雨は止みそうにない。宿からバスターミナルへ行き、ローカルバスでメーチャンの先まで行って、そこから山へ行くソンテウを拾うという作戦だったが、そもそもコロナでソンテウが走っているのかもわからず、不安になる。念のためにGrabで探してみると、何と料金がこれまで払ってきたタクシー代の半額程度だったので驚いた。

しかし実際に行く車があるのかとボタンを押してみると、何とすぐにつかまり、こちらに向かってきてしまった。驚いて宿をチェックアウトすると、そこにきれいな車が待っていた。メーサローンへと告げると黙って首を縦に振る。若者だが英語は苦手のようだ。車はチェンライを出て、メーサイ方面に向かう。雨が降っているせいか、運転が非常に丁寧で好感が持てる。

メーチャンの先から山道に入ったが、そこにはソンテウの姿はなく、Grabを選択して本当に良かったと感じる。あそこで雨の中いつ来るともしれないソンテウを待つのはちょっと耐えられなかっただろう。山道は相変わらず急であったが、運転の安定感が救いとなる。途中車は殆どなかった。ちょうど1時間半で懐かしいメーサローンビラに到着した。料金はわずか550b。チップをあげても合計600bでとても安い。驚いたことに料金を渡すときに顔が見えたが、何と男性ではなく、若い女性だった。こんなおじさんと山の中を走るのは不安もあっただろうにと、気の毒に思う。

メーサローンビラは変わっていなかったが、受付の女性は変わっていて私は知られていなかった。まあここに泊まるのは7年ぶりだから仕方がない。取り敢えずチェックインすると、いつもより景色が良い、バルコニーのある部屋へ通された。妙に落ち着く。だが、オーナーはチェンマイに行っており、今日は帰らないことを知る。

取り敢えず雨が止んだので、街歩きを始める。覚えている道よりずっと急な坂道に思えるのは、自分の体力が落ちたせいだろうか。セブンの前は工事中だが、何ができるのだろうか。茶葉を売っている店が並んでいた場所までは実に遠く感じた。段将軍陵墓の入り口を通り過ぎると、ようやくお店が見えてきた。

茶葉を売る広場には人がいない。店もお茶よりドライフルーツをメインに置いている。その先に地元民向けの新市場が出来たようだ。観光客が来なかったコロナ禍での変化だろう。とにかく坂がきつい、長く感じられるのは老いのせいだろう。それでもあと1㎞ぐらい歩いて、泰北義民文史館までやってきた。

文史館の敷地内には、新しく段将軍の像が出来ていた。段希文はメーサローンの歴史そのものなのかもしれない。その生い立ちから生涯をここでじっくり学ぶ。特に1960年代、この地に残って孤軍奮闘する様は、何と言ってよいか分からない。またこの軍隊は75年の蒋介石死去でタイに土着することを決め、武装解除したのかと思っていたが、70年代末でも戦闘をしていた。これはサイゴン陥落やラオス建国など国際情勢が影響していたのだろうか?

アップダウンのある坂を引き返しながら考えても何も浮かばない。腹が減り、途中で麺を食べる。ひき肉がスパイシーな、ボリューム満点の雲南麺、40b。おばさんの中国語が流暢なのは有難いが、若者は中国語を使わなくなってきたように思える。あるいは最近ミャンマーから来た人なのだろうか。

段将軍陵墓にも行ってみる。やはり坂道を歩く。実に静かな、奥まった場所にあった。福の文字が印象的。お墓の前のお供え物、茶杯に葉っぱが直接入ったお茶が置かれている。段将軍は茶業に対してどのような考えを持っていたのだろうか。街中の家の壁に描かれた 好々爺な段将軍の姿。近所には蒋家塞の文字も見える。

宿に帰った。バルコニーからただただ景色を眺める。何とも懐かしい風景が広がっているように思える。そしてかなり涼しい、いや半袖では寒いくらいの気候。標高が高いだけではあるまい。夕方食堂で名物の豚足とスープを食べる。ようやくお茶も出て来る。きれいな夕暮れが流れていく。

9月14日(水)メーサローン2

夜中は寒かったので、毛布を掛けて寝たが、朝はさわやかだった。朝ご飯にはお馴染みのカオトームーを頼む。するとなぜかトーストが出てきたので、折角なので一緒に掻き込む。インスタントコーヒーも付いてくる。それからゆっくりとお茶を飲む。そしてまた風景を眺める。

タイ北部茶旅2022(1)チェンライまでの道

《タイ北部茶旅2022》  2022年9月12日₋17日

今回のバンコク滞在中、どうしても行きたい場所があった。それはメーサローン。もう5年も行っていない。何とか合間を見つけて旅に出ることにしたが、まずは予約したチェンライ行フライトがまさかのキャンセル。果たして旅はどうなるのか。

9月12日(月)チェンライへ

1週間前に予約したチェンライ行。4日前の夜に突然キャンセル+当日の夜便に変更、との連絡が来た。当日朝が夜になると、当然予定は狂う。どうするんだ、LCCでの初の経験。取り敢えず書かれていたアドレスにメールを打つ。せめて前日の夜に変更して欲しいと。朝になって、『こんなメールに返事は来ないよな』と思い、対策を練り始めた矢先、返信があった。変更は1回限り無料、但しコールセンターに電話して変更、が条件だった。

そこから電話が繋がらない。諦めかけた頃、突然オペレターが出て、後は意外とスムーズに変更が叶えられた。ただ彼女は3回も『コンファメーションは今日中に送るから見てね』と言っていたが、その肝心のメールはついに来なかった。だが前日リマインダーが届くと、そこには変更後のフライトが記載されていてようやくコンファームされた思いだった。

元々朝早い便だったので、結局ドムアン空港付近に泊まろうかと思っていた。それがドムアンではなく、チェンライになっただけだといい方向に考えた。また午後時間に余裕があったので、雨を避けながら早めに空港に向かい、先日も乗ったレッドラインで空港へ行ってみた。レッドラインの駅(外)にはトイレがあることを発見。また先日も食べた空港食堂でゆっくり夕飯を食べてから飛行機に乗り込んだ。

さすがに朝便を詰めて夕方便だけにしたせいか、機内は意外と混んでいた。タイライオン航空はこの日、キャンセル便がいくつもあった。他社もそうだが、燃料費高騰などで不採算では飛ばさない、ということだろうか。今後もキャンセルの可能性には注意が必要だ。

定刻前にチェンライ空港に着いた。2年半ぶりだが、前回は確か市内行バスが運行されていて喜んだ覚えがある。ところが外へ出てもバスはなく、案内所で聞くと『バスなんてありませんよ』とまるで夢でも見ているの、という対応をされ、タクシーに誘導された。昔は運転手との交渉が嫌だったが、今ではカウンターで行き先を言えば、定額で行ってくれるのでまあいいか。

フライトが確定しなかったこともあり、ホテルは予約していなかったが、以前泊った街中の老舗に行ってみた。予約サイトでも直前は料金が上がっていたが、取り敢えず受け入れ範囲内の料金だったので、そのままそこに泊まることにした。ここは古いがその分広く、ゆったりしていてよいはずだったが、なぜかシャワールームだけ非常に狭かった。

飲み物を買いに外へ出た。すぐ近くのバスターミナルが新しくなっていたが、午後8時でほぼバスはなく、乗客もいなかった。その向こうに夜市があったので行ってみたが、残念ながら観光客の姿は少なかった。ここにもコロナの衝撃が見られた。昔世話になったフランス人経営の旅行会社の姿もない。

以前行った夜市のレストラン、西洋人が多かったが、今やほぼ開店休業状態だった。そこから少し歩くと、そことは別に、地元民を含めたタイ人向けのフードコートが出来ており、そちらはそこそこの賑わいがあった。私も軽く焼きそばでも食べようと席を探したが、雨が降っていたらしく、どこも濡れていた。店の人が席を探してくれ、本日四食目を完食して一日目が終了した。

9月13日(火)メーサローンへ登る

翌朝起きると雨が降っていた。今日は山登りの予定なので憂鬱になる。まずは宿の朝ごはんを思い切り食べて、気力を養う。宿泊客はそれほど多くはないようで、しかもタイ人ばかりで外国人の姿はほぼなかった。7年前はかなり賑わっていたホテルで、静かな朝食を嚙みしめながら食べる。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(11)なぜか屋島へ

なぜか屋島に行ってみたくなった。源平合戦、先日壇ノ浦に行ったことも理由だろうか。琴電屋島で降りる。実は屋島は島と書いて山だった?!小さな駅で降りてどうするのかと思っていると、ちゃんとバスが来て山頂まで連れて行ってくれた。しかも100円で。登るにつれて、眼下に海が見えてくる。

源平屋島合戦場との看板が迎えてくれたが、やはり山の上ではピンとこない。その向こうには四国88か所の一つ、屋島寺があったので、まずはそこを見学。源平合戦の遺物を展示した宝物館があるとあったが、スルーした。太子堂や千躰堂などが並び、蓑山大明神のたぬきの置物がかわいらしい。本堂も年季が入っている。

更に展望台?にも行ってみた。ここからなら屋島地域が一望でき、屋島の合戦の舞台を上から見ることが出来る。きれいに作られた施設もあるが、人は殆どいない。天気が悪いからだろうか。今日は小雨で気温も23度と肌寒いと言ってもよく、歩くにはいい気温ではある。

そこから更に歩き、屋島城という古代の遺跡を見た。663年の白村江の戦いに敗れた後、中大兄皇子がここに防御の城を築いたらしい。他にも瑠璃宝の池(血の池)など源平ゆかりの場所もあるが、那須与一や義経の故事はやはり下へ行かないと出てこないらしい。帰るバスが来たので乗り込んだが、駅まで行く前で一人だけ降りた。

バスから洋館が見えたからだ。神戸の異人館から移築され、今はカフェになっていた。その横にはテーマパークのようなきれいな施設があったが、これまたスルーした。その向こうを登ると屋島神社がある。高松藩初代は水戸家初代徳川頼房の次男で、ここに家康を祭った。讃岐東照宮という文字も見える。階段がきつい。神社の門は固く閉ざされていた。ここからは街が良く見えた。

琴電で元に戻り、瓦町駅から歩く。商店街のモールの下をずっと歩いて行くと、高松のB級グルメ、かしわバター丼を出す店に辿り着き、遅いランチを食べる。それにしてもこの店のボリュームはすごい。ご飯は茶わん3杯ぐらい。鶏肉をふんだんに焼いて乗っけてくれる。更には何とご飯が余れば、無料でカレーを掛けて食べられる。これで800円、ありえない。午後3時でも若者が何人も来ていたのは頷けるが、この量、私にはもう無理かな。

腹ごなしに歩いて行くと、歴史資料館と図書館、そして菊池寛記念館が同じビルに入っていたので、寄ってみる。歴史資料館で香川の歴史を学び、図書館で香川茶業の歴史を探す。菊池寛は時間的にパスしたが、後で中央公園に像が建っているのを見て、地元では顕彰されていると感じる。この日は宿でゆっくりして、夕飯は抜き、夜泣きラーメンで一日を終える。

7月15日(金)高松で

朝ご飯を探して町に出る。商店街の2階にモーニングがあると聞いて出掛けてみると、何と300円のコーヒーを頼めばトーストが無料で付いてくるというものだった。かなりレトロな店内は満員で、ちょうど席が空いたので、取り敢えず注文してみた。正直コーヒーは?だったが、トーストは美味しく頂いた。

東京に戻る前に時間があったので、高松駅まで散歩して、高松城跡を見ることにした。横には琴電築港駅がある。この城は基本的に松平家。天守閣は石垣だけが残っており、披雲閣庭園は手入れが行き届いており、素晴らしい。盆栽なども沢山置かれている。月見櫓も残っている。今は玉藻公園という名称の方が一般的らしい。

宿近くまで戻り、早めのランチに行く。丸亀で行けなかったので、綿屋の肉ぶっかけを食べる。システムが良く分からなかったが、社員食堂のように流れていくらしい。早い時間でもどんどん人が入ってくる。確かにこの麺はコシがあり、肉汁のうまみも感じられ、美味い。

昼頃リムジンバス乗り場を探してバスに乗り込む。高松空港は以前一度降りたことはあるが、乗るのは初めて。というか、今回私が四国を目指した真の理由、それは香川県にこれまで1泊もしたことがなかったからだった。これで残すは埼玉県のみ。いつでも泊まれると思って残ってしまったが、果たしてどこで泊まるのが良いかを考えながら、フライトを終わる。折角讃岐うどんを食べたのに、帰りに新宿でまた立ち食いうどんを食べてしまったのはなぜだろうか。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(10)仁尾、塩飽本島から高松へ

仁尾

文化会館の中に図書館があったので入って、後発酵茶や茶粥について何か資料はないか、聞いてみる。対応は非常に親切で、かなりの資料をコピーさせてもらえた。それでも地元の人も、碁石茶がここに運ばれ、仁尾商人が売り捌いた歴史についてはほとんど知らないという。茶粥も食べてはいないとか。坂出あたりでは今も食べられているのだろうか?

古い町並みを歩いてみる。旧塩田忠左衛門邸という、見るからに立派な建物が保存されている。特定日には公開もされるらしい。この付近の旧家は米酢などの製造で栄えていたのかな。その先には文豪菊池寛母の出生地の碑が建っている。海寄りには江戸時代に造られた金毘羅灯篭があり、土佐藩主が参勤交代におりにこの港を使ったこと、そして土佐茶の販売権を仁尾商人が得ていたことが説明されていた。ようやく碁石茶と仁尾の接点を見つけたが、今回はこれまでだった。

更に覚城院という寺へ行く。ここは坂がかなり急であり、横から見ると石垣が積まれている感じだった。仁尾城跡と書かれていて、何となく納得した。最後に50年前は碁石茶を扱っていたと資料に書かれていた今屋という茶屋に行ってみる。店の建物自体はまだあり、茶缶などが置かれているのは見えたが、扉は固く閉じられており、これ以上仁尾茶についての調べは受け付けられないことを悟る。

塩飽本島

仁尾からバスで詫間へ戻り、JRで丸亀までやってきた。結構疲れたのでそのまま宿で休む手もあったが、明日の天気予報が雨だったので、思い切ってそのまま塩飽本島へ向かう。歩いて数分のところに港があり、往復1070円でフェリーに乗れた。30分で到着。高見島行よりかなり大きいフェリーで、島の規模を知る。 

本島は平たんで歩きやすい。すぐに天理教の大きな建物があったのは驚いた。10分ぐらいで塩飽勤番所跡の建物が見えたが、既に見学時間は終わっていた。そのすぐ近くの家には咸臨丸水夫生家跡の表示がある。確かにこの時代、アメリカまで行ける水夫を探すのは大変で、塩飽の漁民などが駆り出されたのだろうか。

その先をずっと歩いて行くと、専称寺という寺を見た。この寺の起源は、あの法然上人が四国へ配流になった際、ここに庵が建てられたことだという。横には島のまとめ役、年寄の墓も見られる。その先が笠島伝統的建造物群保存地区であり、古い建物などがきれいに整備されて残っていた。中には何でも探偵団に伊藤若冲の絵を出品して、高額の評価を得た家もあると書かれているが、歩いている人は一人もいない。

フェリーの時間があるので、ここまでとして帰り道を急ぐ。一つ気付いたのは、家の門のように、柱が二本経っている家が多い。あれは何の印だろうか。今度はもっと時間を掛けて島を巡りたい。今回は残念ながらお茶に関する歴史は何も出てこなかったが、色々と面白い発見がありそうだ。

フェリーで丸亀に戻ると、腹が減ったので商店街の店に入った。さしみの文字に釣られたのだが、何ともうないという。仕方なくかつ丼とうどんのセットにしてみたが、これが意外にイケる。何だかこういう店のかつ丼は、卵とじが上手いような気がする。店の人は刺身がないことを何度も謝ってくれたが、とんでもない、ご馳走様でした。

7月14日(木)雨の高松へ

今朝は予報通りの雨だった。高松へ移動することにしていたのだが、荷物もあるので困った。取り敢えずチェックアウト時間に外へ出て、商店街のアーケードで雨を避ける。昨日閉まっていたカフェがやっていたので、そこへ入る。何とこの店、和朝食、洋朝食各990円という本格的なメニューがありドキッとしたが、その横にモーニングセット510円があった。ほっとしてそれを頼んだが、それでも十分の量がやってきた。お店は広く、喫煙可でもその被害はなかった。

小雨の中を駅へ行き、高松行電車に乗る。途中国分寺のあった国分駅、そして鬼無(きなし)という駅名に驚く。ここも桃太郎関連だろうか。30分弱で高松に到着。駅の案内所で地図を貰い、バスに乗って今日の宿へ向かう。荷物を預けると雨が止んでいたので、すぐに行動を開始して、琴電瓦町駅まで歩く。琴電は先日金毘羅で始発駅を見て乗りたいと思っていたローカル線だ。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(9)高見島と丸亀城

高見島へ

観光案内所の女性が『茶粥は高見島』といったのが頭から離れず、とにかく高見島を目指すことになってしまった。案内によれば、高見島へ行くには、まずJRで2つ戻って多度津駅で下車。何とこの辺ではSuica使用可能。多度津駅前には少林寺拳法発祥の地の碑がある。駅でもらった地図を手掛かりに、古い町並みが保存されている地区を歩く。合田という一族が繫栄していたらしい。合田家の豪邸を見ても、多度津が江戸から明治にかけてかなり繫栄していたことは分かる。

駅から港までは徒歩15分。港で往復切符950円を買って乗り込む。小さなフェリーで乗客も数人だけ。老人に茶粥のことを聞きたかったが、このフェリーは他の島へも行くのでおいそれと話しかけられない。高見島に着いたが、飲み物を買うところもなく、自販機すらない。ひたすら歩くだけだ。

石垣の脇を登る。サンフランシスコへ移住した家があり、外からトマトが伝わったとある。実にいい感じの細い道が続き、鄙びた家々が連なり、そして青い海と空、石垣の集落。この世のものとも思えない風景、まるで寅さんの舞台だなと思っていると、やはり寅さんはここへ来ていた。『男はつらいよ 第46作 寅次郎の縁談』(マドンナ松坂慶子)にこの島は登場しているようだ。大聖寺という寺があり、その楼門は力士が柱を支えている。 

浦地区から浜地区へ移動してみた。島は大きくないので歩いて回る。途中お爺さんが家の前に座っていたので声を掛けると、まあ座って話そうと言ってくれた。茶粥については『茶粥なんて結婚してから食べたことない』とあっさり。更には『茶粥を食べなくなってから、島で胃が悪い人がいなくなったよ』という驚きの証言も飛び出す。基本的に番茶や麦茶を飲んで暮らしてきたという。茶粥は50年以上前に一般的には食べられなくなったと考えてよさそうだ。因みにこの島に食堂のようなものはなく、茶粥が食べられるのは島に一軒ある民宿だけらしい。

お爺さんの家の先にはお墓があった。これが珍しい両墓制(埋葬とお墓参り用に2つのお墓を設ける)。昔は土葬だったので、土葬の上に小さな小屋を作っていたが、昨今の台風で墓が流されてしまって荒れていた。先ほどのお爺さん曰く『今は島で死ぬ人はいない、皆町の病院だ』。

フェリーで島から戻り、駅まで走っていく。何とか電車に間に合い丸亀へ戻る。宿にチェックインして、疲れたので部屋で相撲を見て過ごす。6時に夕飯を食べに外へ出た。宿の近くでうどん屋を探したが、実はさぬきうどんも朝から昼に食べるもの。夜やっているのは居酒屋でその一軒でざるうどんと骨付鶏を食す。骨付鶏はうまみが出ていてよいが、ニンニクが非常に多く使われている。居酒屋なので、隣のおばさんが酒飲みながらタバコをふかすので、すぐに退散。

7月13日(水)丸亀城

今日も朝から暑い。朝ご飯を探そうかと思ったら、お城が目に入ってしまい、暑くないうちにと、登り始めたが坂が厳しい。それでも丸亀城天守閣まで登ると、とても涼しい風が吹き抜けてホッとする。これは入場料を払う価値がある。ただ階段はかなり急激で、木造なのでちょっと怖い。景色は間違いなく抜群。搦め手からするすると降りる。城の石垣は大規模工事だった。横の歴史資料館に入り、丸亀藩のお勉強。生駒、山崎、松平と続く藩主についての展示があった。

昨日歩いた商店街に、良さそうなカフェを見つけていたので、朝ご飯を食べようと向かったところ、まさかのお休み。何だかすごく焦って急遽他の店に走っていく。ちょうど居心地の良さそうなカフェが見付かり、一安心。ホットサンドセットとアイスティーは悪くなかったが、600円という表示が税抜き表示で660円取られたのは、ちょっと残念。更にタバコを吸う常連客がいて、またもやすぐに退散。

今日は仁尾へ行ってみる。昔栄えた港街だというが、今や鉄道も通っていない。詫間駅まで4駅。ここの駅でもなぜかSuicaが使える(詫間と観音寺のみ)。駅に着くと馬渕英里何と要潤が三豊市のCMに出ている。二人ともここの出身だという。

駅の横にある詫間駅観光案内所に入ると若い女性がとても親切に色々と教えてくれた。40分バスを待つ間、その辺をふらふら歩く。ここにも桃太郎伝説があるらしい。この辺りもコミュニティーバスが何路線か動いているが運賃100円は安い。30分ぐらい乗って行くと、一山超えて仁尾に入っていく。そして古い町並みが見えてくる。取り敢えず仁尾文化会館で降りてみる。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(8)碁石茶と金毘羅参り

大豊町は7年前の四国行脚の時に寄っているので、街中に入ると懐かしい風景があった。JR駅の横、大豊町碁石茶生産組合が農業センター内にあった。現在は大豊ゆとりファームが管理しており、Yさんが丁寧に説明してくれた。ただ碁石茶の歴史については、石鎚黒茶、阿波晩茶同様、現在文化庁が調査中で来年には報告書が出るらしいので、それを待つしかないという。

組合が結成されたのは10年前。前回色々と面倒を見てくれたOさんはなんと今町長になっておられるという。ブランド統一(ブレンド)、製法統一、小笠原家(一時唯一残った碁石茶農家)の蓆(菌)を使うなどを共通ポリシーとしている。だが私が前回訪ねた頃がピークで8軒だったが、現在は高齢化もあり5軒に減り、後継者難だという。碁石茶はマーケッティングが上手くいっていると思っていたので、意外だった。その後ゆとりファームの生産現場(標高400m)で作業の様子も見学させてもらった。

その後道の駅に寄り、私は煎茶と番茶を買う。Aさんが食べたかった碁石茶アイスは売り切れていたようだ。残念。JR大杉駅まで送ってもらい、ここでお世話になった2人と別れる。彼らは今から熊本まで車で帰るというから大変だ。小さな駅で駅員さんからきっぷを買う。ホームに碁石茶の里と書かれている。

特急で約1時間。琴平駅まで行く。自由席は意外と混んでいる。子供の頃から一度は金毘羅参りと思っていたので、ここで降りた。だが琴平駅から予約した宿まで歩いて15分ぐらいと、遠かった。また金毘羅も駅を挟んで反対側でやはり遠い。更にご飯を食べる場所もなく、向かいのスーパーで弁当を購入して部屋で食べた。ただ部屋は狭いがきれい(机はなかったが)で、屋上展望浴場でゆったりできたのは良い。 

7月12日(火)金毘羅参り

翌朝は早めに宿を出て金毘羅参りに行く。まずは宿のすぐ近くにあった高杉晋作が隠れた家を見る。呑象楼と書かれており、日柳燕石という人が住んだらしい。幕末に追われた高杉がここに滞在したというがどうだろうか。

暑いので早めに金毘羅宮へ。ふもとまで歩いて15分、そして見上げると階段は続いており、表示ではそこから785段とあり、恐れる。しかしここまで来て引き下がるわけにもいかず、トボトボ登り始める。早くもお参りを終わって降りてくる人もいるが、全体的に参拝者は多くない。古びた雰囲気はとても良いが相当に疲れる。石松や源内の金毘羅参りを思いながら這い上がる。江戸から明治期、茶屋からの寄付が多いのは面白い。

高所恐怖症なので、後ろは振り向かず、ただただ上がる。いくつかの鳥居をくぐり、いくつかの建物を通り過ぎ、何とか本殿に達する頃には汗びっしょり。しかしここからは町が一望できる。疲れたので少し休む。特にこれ、といったものはなく、金毘羅参りとは一つの修行では、と思う。

帰りは石段を下りる自信がなく、裏参道を降りてきた。平地まで来ると、琴電琴平駅があった。ここから電車で高松まで行けるようだ。JR駅前の喫茶店に入る。モーニングの表示はなかったが、聞いたら『トーストとゆで卵、コーヒー』が出てきた。450円。常連さんしか来ないような店だが、暑いから常連も来ない?店主と電気屋を待つ女性の世間話は世相を反映していて、参考になる。これから朝はモーニングだな。

線路沿いに『琴平グランドホテル』が見えた、と思ったら、何と立派な社員寮だった。宿へ戻り荷物を引いてJR駅まで戻る。今日の目的地丸亀までは360円30分。乗客は誰もいないと思ったが、発車直前に増えてきた。琴平駅は大正時代に建てられた偽洋風建築のようだった。

丸亀で

丸亀駅で降りた。静かな駅だった。観光案内所で地図を貰い、色々聞いていると塩飽諸島が魅力的に聞こえてくる。茶粥というと、それは高見島かなといい、その島は丸亀の範疇外だというから驚いた。まずは老舗の宿へ荷物を預けて行動を開始する。

商店街を歩くと富田園があった。弘化4年(1847年)創業(元は古道具屋)、店にいた奥さんの話を聞くと、碁石茶と阿波晩茶は子供の頃は店の前に沢山あって『甘酸っぱいにおい』に思い出があるという。現在も扱っているが、昔は一番安いお茶だったのに、今や高級品になってしまった。それでも最近も島の人が買いに来るという。地元の茶は高瀬産、少し渋みある煎茶だという。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(7)西条の高知神社と旧石鎚村で

7月10日(日)西条を歩く

翌朝は朝食をたくさん食べてから、散歩に出た。西条市の事情を知りたいと図書館へ行ったが、何と9時過ぎにはまだ開いていなかった。その裏から小川が流れ、いい風が吹いていたので、それに沿って歩くと郷土資料館、工芸館へ辿り着いた。五百亀記念館は何と読むのか。その横は西条高校、学校の入り口は大手門が使われている。

西条市は水の町、『うちぬき』と書かれた自噴井(地下水)がいくつも湧き出している。この水は石鎚山系に発し、加茂川を通じてやってくるらしい。名水百選などもある。水が美味しいから食べ物が美味しく、移住者に好まれる街であるという。駅まで戻ると四国鉄道文化館があり、その前に十河信二の像がある。戦前は満鉄理事、戦後すぐは西条市長、そして新幹線の父になった人である。

昼にAさんが助手の女性とやってきた。まずはランチを食べようということになり、お蕎麦屋さんに行ったが、満員札止め。2軒目に向かう途中、うなぎ屋があり、そこへ入る。メニューを見るとドジョウ鍋があるではないか。私はうなぎを捨て、ドジョウに走った。柳川鍋で絶品だった。ドジョウ、何年ぶりに食べたろうか。

午後は石鎚黒茶に関連するところへ行こうと思い、まずは土佐との関係を知るべく、西之川に高知八幡神社を訪ねる。ここはかなり急な階段を登らなければならず、また折角辿り着いても神社の由緒書きなどが見られず、何もわからなかった。ただ西条市に高知と名の付く神社があるということ自体、自ずと高知との繋がりを示していると勝手に思う。

実は八幡神社と反対方面、東之川に『高知神社』があることが分かり、そちらに回ってみる。かなり山の方へ向かい、石鎚村の近くにあった。こちらは何となく霊気が漲り、すごく雰囲気のある神社だった。しかもその周辺の道沿いには山茶と思われる茶樹が沢山見受けられ、中には茶葉がアッサム並みに大きいものまであって、仰天してしまった。その近隣の村もちょっと風景が原始的で神秘的。ここはある種の原風景ではないかと思ってしまった。恐らく私が知りたい高知と愛媛の繋がる場所だが、詳細は不明である。

ここで本日の活動は終了し、ホテルまで送ってもらった。夜はホテル内のコインランドリーが無料だったので洗濯する。利用者が多くてなかなか洗濯は進まない。ロビーには東南アジア系の若者が沢山チェックインしている。何の仕事だろうか?参議院議員選挙速報を見たが、自民党圧勝で何ともつまらない。アイドル高見知佳は落選。年齢は私の一つ下だった。

7月11日(月)旧石鎚村へ

翌日は高知へ向かう前、折角なので旧石鎚村へ行ってみた。西条市内から20㎞ほどで旧石鎚村の山道へ。意外とちゃんと整備されている道だった。土井というところまで来て車を降り、少し山に入ると道の両脇が茶の木で埋まっていた。自然に種が落ちて増えたのだろうが、誰かが世話をしていなければ、このようにきれいには生えていかない。険しい山道と聞いていたが、見た感じはそれほどでもない。

入口のところに、祠があった。偶然人が出てきたので話し掛けると、あのレジェンド曽我部さんと同じ村出身、曽我部さんの息子さんと同級生だというSさんだった。そしてSさんが子供の頃に住んでいた場所は中村といい、ここから歩いて登って30分はかかるらしい。因みに曽我部家はそこから更に10分上と言われて驚く。中村には以前6軒が住んでいたといい、中学の頃まで樽漬けの黒茶作りを実際にしていたともいう。茶摘みを実演して見せてくれたが、その速さにはAさんたちも舌を巻いていた。Sさんの手に歴史を見た思いだ。

実は本日は祭り。石鎚山の祭礼(石鎚神社夏季大祭)は、古くより「お山市」、「お山開き」と呼ばれ、7月1日から7月10日に斎行、そして本日11日午後12時30分、本社へ御還宮して、夏季大祭は終了するという。まさにその最後の場面に偶然にも遭遇したので、神社までついていく。

そろいの法被を着ている参加者はほぼ男性。神主と山伏とが談笑しながら出てきた。この辺りの関係性は極めて興味深い。我々が見ていた横の家では桑の葉を干していた。お茶が捧げられる習慣があると聞いたが、今は桑の葉が納められているのだろうか。いずれにしても詳細は分からないながら、何とも神秘的、そして茶との繋がりも感じさせられる重要な祭礼に立ち会ったのは幸運だった。

これで西条での活動を終了して、車で高知県大豊町に向かう。予想外に午前中の時間を使ったので、慌ててサービスエリアで昼ごはんを食べる。真鯛の漬け丼、生卵掛け。山の中では意外な食べ物だったが、美味しく頂く。昔は生の魚など食べられなかったのだろうに。西条から大豊までは、案外と近い。これも関連性があるだろうか。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(6)松山から伊予西条へ

ちょっと歩いて行くと、川辺に大きな木があった。説明書きを読むと何とあの赤穂浪士10名(大石主税、堀部安兵衛、大高源吾ら)が、仇討ち後松山藩預かりとなりそこで切腹した。松山藩主は彼らを丁重に扱ったことを謝して赤穂から贈られたものだという。こんな歴史も街に落ちているのか。

その先に石手寺がある。この寺は外から眺めるだけでその異様さ?が分かる。ビルマ関連のパゴダはあるは、日中友好も謳っており、とても変わった寺に見えるが、どういう理由だろうか。実はここから石鎚方面へ登れる?ルートがあるようで、その昔は修験者の通り道だったかもしれず、様々な思想が混ざり合っているのだろうか。

疲れたのでバスで大街道へ移動する。290円、30分。何となく定食屋に入り、何となくチキン南蛮を注文し、何となくテレビを見たら安倍晋三が襲われていた。元総理が撃たれたという衝撃にも拘らず、何となく緊迫感の薄い中継、そしてなんの防御もない護衛にただただ驚くのみ。これが日本の現状なのか。チキン南蛮の味は全く覚えていない。

何だか歩きたくなりふらふら。宿の近くの子規堂に辿り着く。入場料50円なのだが、なぜかグッズとのセット販売を勧められる。きっと運営は大変なのだろう。室内は極めてシンプル。子規だから派手な訳はない。周囲には石碑が多い。疲れたので部屋で休む。

夕飯を食べに検索した店まで30分歩いて行ったが、何と営業時間が6時までに変更になっており入れず。これはきっと何かの流れ、誘導かと思いGoogleを見ると、近所にロシア兵墓地があった。坂を上っていくとロシア大佐の胸像が目に入る。日露戦争時の松山捕虜収容所には4千人以上が収容され、98名が死亡したとある。この収容所の待遇が良かったと書かれているが、どうだろうか。横は松山大学のキャンパス、松山大といえば女子陸上長距離が強い。

疲れたので路面電車で宿へ戻るが、何だか反対周りに乗ってしまい、時間をロスする。おまけに大雨が降り出し、何とか洋食屋へ逃げ込んでハンバーグを食べた。接客に愛想なし。おまけに主人は常連さんに『安倍さん死んじゃったよ、可愛そうにな』と店に響き渡る声で話している。夜もハンバーグの味が分からなくなる。

7月9日(土)松山から西条へ

今朝もゆっくりしている。大谷を見て、それから朝ご飯を食べに行く。商店街の2階でモーニング。トースト、目玉焼き(醤油が掛かっている)、コーヒーで480円は悪くない。ただ喫煙可と書かれており、店内が狭いのでかなり恐れたが、幸いお客がなく、難を逃れた。11時にチェックアウトして、路面電車に乗り込み、JR松山駅へ。乗り間違えなければすぐに着いてしまう。時間が余ったので、駅で名物じゃこ天うどん、570円を食べてみた。味はうーん?

各停、2両編成に乗り込む。1両目後ろからのみ乗車可能。土曜日なので半日登校の高校生などが多い。電車は遅い。1駅行って6分待つ。特急がどんどん通過していく。ダラダラ乗車を続け、1時間45分も乗って、ようやく壬生川駅に到着。熊本から来ているAさんの出迎えを受ける。しかしなぜ壬生川を『みぶがわ』ではなく、『にゅうがわ』と読むのかふつふつと疑問がわいてくる。

車で10分ほど行くと、石鎚黒茶を作っているさつき会の作業場に着いた。Aさんもここでお手伝いをしている。朝摘んだ茶葉の枝切り、葉茹でなどが行われており、思ったより多くの人が作業に従事していた。20年前お母さん会が伝統の黒茶を復活させた。Tさんのお母さんが中心だった。私も7年前この地を訪れた際、この母子にお会いしていた。

最近は石鎚黒茶の認知度も高まり、東京など日本全国から応援の人が多数来てくれるという。だがこれだけでは食えない(作業場にトイレも作れない)といい、コインランドリー経営をしているようだ。そのランドリーに石鎚黒茶のレジェンド曽我部さんも時々来るという。 

Tさんから石鎚黒茶の話を色々と聞いた。愛媛大や日大など、黒茶について協力してくれる大学の先生は何人もいるが、その歴史については、最近出た調査報告書に書かれている以上は分からないだろうという。帰り際、曽我部さん(石鎚村で黒茶を作っていた最後の一人)と同じ村の出身の方からもお話を聞いた。碁石茶と昔の石鎚黒茶のお味はかなり近かったという。

Aさんの車で伊予西条駅まで送ってもらった。宿が駅前に集中している。その一軒に入ると、大浴場がありよかった。ただ部屋は何と喫煙ルーム。においがきつい。フロントの男性は色々と説明してくれたが、喫煙とは言っていなかった。西条市は水が美味しいらしく、西条の水が無料で飲めたのは良かったが、たばこのにおいは美味しい水を台無しにした。

腹が減ったので商店街へ行ったが、本当に寂しい雰囲気だった。その中にある古い食堂へ入ってかつ丼600円を注文する。目の前におでんが出ていたので、一本100円を二本取って食べる。昔ながらと言いながら、地元の人が懐かしむ場所なのだろうか。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(5)松山城から道後温泉

道を歩くと汗が噴き出す。そんな状況下、なぜか松山城へ向かう。ロープウエーがあるというのでそこまで行ったが、『歩いても登れます』と言われると、やはり歩く。東雲神社から登り始めると、脇をリフトに乗った人たちが通り過ぎていく。ああよかった、リフトは苦手だ。

思ったほどきつく無い坂を上がっていくと、石垣が見えてきて助かった。そこからは天守閣へまっしぐら。意外と楽に上まで上がった。だがそこからも敷地が広い。これも込みで25分かかるといったのだろう。天守閣入場料520円。三層の天守、下の階に展示が多くあったが、どう歩いてよいか分からず。

この城を作ったのは、賤ケ岳の七本槍の一人、加藤善明。彼も藤堂高虎、加藤清正と並んで築城の名手。その後は久松家(松平)が続くが、幕末佐幕派と見做され、土佐藩に占領されてしまう。松山という土地は豊かだから、争いを好まない雰囲気があり、動乱期には弱いのかもしれない。

城の横から下へ降りる。足の悪そうな老人がゆっくりと降りていく。どうして足が悪いのに、と思っていたが、その地道な動きは意外と素早い。一方私は疲れて途中で休み、何と老人に抜かれ、更には見えなくなるまで突き放された。ちょっと絶望的な気分になる。10年後、旅はもう難しいかもしれない。

二の丸公園まで山道を降りてきた。普通の公園かと思っていたが、入場料がいる。疲れたので休息もかねて県立図書館へ向かう。ここで石鎚黒茶や愛媛の茶の歴史を調べる。とても親切に資料を出してくれ、アドバイスもくれた。何とも有難い。ドリンクを買う。今日はそれほど暑いわけではないが、水分補給は重要だ。

宿に戻って完全休養に入る。午後3時に一番風呂を浴びる。そして4時過ぎに少し涼しくなったところでまた外へ出たが、また汗が出たので、アーケードを歩く。高浜虚子生誕地の看板を探す。正岡子規だけでなく、松山は多くの俳人を生み出している。河東碧梧桐生誕地もあった。

まだ4時台だが腹が減り、目に入った蕎麦屋へ入る。今日のお勧めは『キス天ぷら』と書かれていたので頼んだら、『ちょうどこの時間からお勧め変わります』と言われ、エビの天ぷらになってしまい、更に値段もアップしてしまった。店員さんの愛想があまりにも良いので、そのまま黙って食べた。

駅前では相変わらず選挙演説が続いていた。女性候補は息子を応援に担ぎ出し、女子高生の知り合いがたくさん来る、皆で写真を撮りあうという、不思議な光景が見られた。実はこの候補があの往年のアイドル、高見知佳であることには最後まで気づかず、選挙後落選の報道で初めて知ることとなった。駅前には気になっていた『ひぎりやき』というまんじゅうを売っていたので、買ってみた。100円でかなりボリュームがある。

7月8日(金)道後温泉

今朝も大谷を見ていたが、やはり投打の二刀流でないと時間を持て余す。残念だが途中で打ち切り、道後温泉へ向かった。松山へ来たら、やはり道後温泉には行くだろう。ただ暑いので温泉には入らない予定で。駅前から路面電車の道後温泉行に乗る。Suica使えないので現金を予め用意している。前回乗り違ったので今回は慎重に乗り込む。

今日は問題なく、まっすぐに道後に向かった。乗客は多くない。終点まで乗ったのは2人だけだった。ちょうど10時でからくり人形が動き出し、修学旅行生が一斉に写真を撮っている。私はその横の正岡子規と野球の像の写真を撮った。その後道後温泉本館を目指したが、何と大改修中。中には入れるのだろうが、予定通り外から写真だけ撮って去る。

少し歩くと宝厳(ほうがん)寺という寺があった。一遍上人生誕地と書かれている。一遍は踊念仏や全国行脚で有名だが、ここが地元。河野氏の一族の出だという。河野通信は鎌倉初期の承久の変で朝廷側として戦い、東北に流され死亡した。後に一遍は行脚の途中に墓参りをしたとある。一遍上人堂はミニ美術館になっている。

伊佐爾波神社に裏からは入り込む。正面へ回ると急な石段。何とか歩いて降りた。そこから鶯谷墓地を目指す。ここにはあの秋山好古が眠っている。いかにも彼らしい小さい墓だった。周囲の古い墓は誰のものだろうか。他にも白川義則(大将)、伊佐庭如矢(温泉発展)、中村草田男(詩人)らの墓があった。

子規記念博物館がある。なんだかとても立派な建物で怖気づき、何となく見学せずに立ち去る。その横は公園、湯築城跡で資料館もある。係の人が熱心で『案内ビデオ(10分)』を見るように勧めてくれた。河野氏の流れがよく理解できた。先ほどの一遍上人の先祖は、承久の乱で朝廷方についたが、ただ一人北条政子の妹を嫁にもらった男が幕府側に付き、河野氏は滅亡を免れたらしい。

ふらっと四国茶旅歴史旅2022(4)子規の松山を歩く

松山

駅そばがあったので、ごぼう天うどんを食べて体調は回復した。観光案内所を探したら、ほんの申し訳程度に窓口があり、地図を貰って退散した。今日の宿は松山市駅にあるので、路面電車で向かったが、何と乗り間違えて少し離れた駅で降りて、そこから歩いた。既に太陽ギラギラで暑かった。

宿で荷物を預けて、すぐに外へ出た。駅のすぐ近くに正岡子規生誕の地があった。松山駅前にも句碑があった。やはり松山といえば一番に出て来るのは子規か。お城の周囲を回って向かった先は、坂の上の雲ミュージアム。その入り口を見るともう一つ、萬翠荘とあったのでこれを先に見ようと坂を上る。意外ときつい。純フランス風建築の素晴らしい建物だったが、中は見なかった。その横には夏目漱石の最初の住居、と書かれたところがあった。今は喫茶店になっているようだが、ミュージアムへ行きたくて、ここもパスしてしまう。

疲れたのでミュージアム2階でミカンジュースを飲んでから見学する。名前からして、既に司馬遼太郎ワールド。何回か読んだ本、NHKドラマを見たことも思い出す展示が数多くあった。日本海海戦の様子を再現するなど、色々と工夫はあり、あまり歴史に興味が無くても楽しくみられそう。 勿論正岡子規と秋山真之についての展示も色々とあった。 館内にはライブラリーもあり、かなりの本が置かれているので、ここで本を読むのも面白そうだ。

外へ出ると暑い。最後に秋山兄弟生誕地に行ってみる。道場があり、像も建っている。ここも入場料を取って中を見せているようだが、入らずに去る。ここからふらふら歩いて銀天街というアーケードを歩いて宿まで戻る。この宿は2時にチェックインできるのが良い。共有空間で有料だが、お茶を飲みながら作業をすることもできる。部屋もきれいだった。大浴場もある。最近流行りのパターンだった。

夕方また外へ出る。週末に選挙があるので、各候補が最後のお願いをしている。コロナのせいでかなり静かな雰囲気ではあるが、それでも内容の薄い演説が続いているように聞こえた。銀天街を歩いているとラスクを売っていたので思わず買い込む。安い。そのまま歩いて行くと洋食屋があり、入る。

町の洋食屋さん、メニューを見るとランチが多い。聞いてみるとランチという名前だが、夜も注文できるというのでスペシャルランチを頼んでみる。チキンカツ、ポークピカタ、魚のフリッター、そしてライスも入れて750円で美味しく頂く。何だかちょっと得した気分になれる。午後5時半でお客がそこそこいたのは、やはりコスパだろうか。

まだ明るいので散歩する。やはり松山は正岡子規関連の場所が非常に多い。旧居の看板を見たが、何と道路の真ん中に石碑が建っており、車に轢かれないように急いで行って写真を撮る。正岡家菩提寺跡という寺もあった。子規堂は既に閉まっていたが、いずれも松山市駅周辺に固まっていた。

7月7日(木)松山2

今回の宿では朝食を付けていなかった。ここ2年間、日本の宿の朝食に感動し、出来るだけ食べていたのだが、さすがに飽きた。それに太る。ランチを抜いても食べ過ぎるのだ。先日試しに朝食を抜いたら、すこぶる体調が良かったので、昨日に続いて朝飯抜きだ。お陰でゆっくり部屋で大谷を見ることができた。今日もすごいな。

10時過ぎるとさすがに動き出す。今日は先週に比べれば暑いとは言えないかもしれないが、それでも20度台後半はある。晴れてもいる。そんな中向かった先は何と『鍋焼きうどん屋』だった。宿から徒歩10分、昨日のアーケードを通ると涼しくてよい。ちょっと横に入ったところに昭和を感じさせる店があった。

10時開店、先客1名。どう見ても地元民ではない。後から来た客も言葉から関東の人間だと思われる。店員さんも心得ていて、愛想がとても良い。『こんな暑い日にわざわざ遠くからありがとう』という雰囲気だ。さすがに地元民は来ないのだろう。この店は鍋焼きうどんとお稲荷さんしかない。しかもお稲荷だけを注文することはご法度らしい。氷一杯の水が提供される。

この店の売り、それはアルミ鍋に入った鍋焼きうどん。たまごを入れると100円高くなる。最近値上げもあったらしい。出てきたアルミは熱かった。そして汗を拭きながら食べる。汁がかなり甘い。うどんは美味い。お稲荷はシンプル。確かに昭和の味だな。店の中には座敷があり、小上がり的な場所もある。昭和23年創業と書かれている。毎年夏をどう乗り切ってきたのか、聞きたかったが、野暮なのですぐに外へ出た。