「シンガポール」カテゴリーアーカイブ

アジア一の先進国 シンガポールを旅する2013(4)食事は美味い

3月4日(月)  ミャンマーを目指す

翌朝も快晴。散歩日和だった。またまたラッフルズプレースで予定があり、歩いて行く。もう何年も使っているような慣れた道だ。以前シンガポールの象徴と言えば、マーライオン。今回時間があったので行って見た。相変わらず観光客は多く、日本の高校生が修学旅行で来ていた。

マーライオンを見たのは10数年ぶりだったと思うが、以前より吐き出す水に勢いが感じられた。これは経済の勢いなのだろうか。向こう側にはマリーナベイサンズも見える。ライオンはマリーナベイに向かって何かを語っているようにも見えた。

そして10数年来のお知り合い、Oさんを訪ねた。彼は上海の不動産業で成功しており、ここ数年はコンタクトしていなかったが、私が会社を辞めた頃、彼も拠点を何故かシンガポールに移したことを知り、興味を持っていた。上海では大きなオフィスの社長席に座っていたのだが、今回訪ねてみると狭いレンタルオフィスにアシスタントと2人、こじんまり仕事をしていた。

「シンガポールの家賃は物凄く高い」が第一声だった。「でも家族の生活などを考えると上海より環境は遥かに良い」とも言う。そして事業の狙いは「シンガポールからアジアを見渡して、次の潜在市場を発掘する」ことらしい。そしてその狙いはどうやらミャンマーに付けられている。「今のミャンマーでは不動産開発は難しいが、今から準備して5年後はあるんじゃないか」ということらしい。先ずは日本人駐在員向けの賃貸の仲介から入り、徐々にマーケットに慣れ、人脈を作り、そして大きな事業に繋げる予定とか。

これまでマレーシアやインドネシアなどアジア各国を回り、不動産を見て来たOさんが言うと根拠が無くてもかなりの説得力がある。やはりシンガポールからアジアを見る、そしてそこからチャンスを見付ける、そんなスタイルが求められているような気がした。

お昼は歩いて河沿いへ。ボッキーと呼ばれるエリア。10年前に来たことがあったが、見違えるほどきれいになっていた。そこで風に吹かれながらメキシカンを食べる。これまたシンガポール風か。

TWGで聞く

実は朝、昨日気になっていたTWGのことが知りたくて、本社を訪ねて行ってみた。私の突撃スタイルだ。ホテルから歩いて30分ぐらい掛かったが、良い散歩だった。しかしHPに記載された住所の場所に行ってみたが、そこは空だった。どうやら移転したようだ。仕方なく電話を入れてみる。すると何と社員に日本人がいることが判明。事情を話すと親切にも広報担当者とのアポをセットしてくれた。

そして午後、再びマリーナベイサンズのお店に向かい、そこでお話を聞いた。その要旨は既に書いているので以下を参照してほしい。兎に角面白い話を聞き、良い経験が出来た。お店には日本人観光客が何人も来て、お土産にお茶を買っていたのがとても印象的だった。

フードコート

夜は先日会ったMさんとフードコートへ行く。ここが一番落ち着くのは何故?インドカレーとチキン、麺など、安くて美味い物が並んでいる。地価の高いシンガポールで、このようなフードコートがあちこちに作られているのも、政府の政策だろう。地元民も観光客も利用できて、合理的だ。

Mさんはシンガポールで先生をしているが、今般転身を図るらしい。ちょうど送別会シーズンの忙しい所を付き合ってもらった。海外で学校の先生をやる。日本の先生にとっては良い経験だし、必要なことだろう。敢えて言えば、現地の学校の教え方なども知る機会があると良いのだが。それでも日本では文部科学省のルールの下、やりたいことは何も出来なのだろうか。

遅くまで話し込んでからホテルへ戻る。戻る途中、またお腹がすく。するとまたホテル近くのフードコートに寄ってしまう。また麺を食べる。立派なレストランがいっぱいあるシンガポールだが、フードコートの梯子、それが私には合っている。居心地が良い。

 

3月5日  変貌するチャイナタウン

夜も時々チャイナタウンを散策したが、ライトアップされ、きれいという以外にあまり見るべきものはない。ただ気になっていたのが、チャイナタウンの真ん中にヒンズー寺院とイスラム寺院があることだ。

チャイナタウンのある場所は元はインド人街だったということで、スリマリアマン寺院がある。入り口の上には鮮やかな神々の像が祭られており、道行く人の目を惹く。中も思ったより広く、観光客も多いが、地元の参拝客が絶えない。中華系でヒンズー教徒はいなはずだが・・・。夜のライトアップは一段と幻想的だ。

ジャマエモスクは非常に質素な作りで、イスラム的な清潔感があった。入り口で日本語のパンフレットを渡されたのには驚いた。1830年頃の建築だとか。先程のヒンズー寺院もほぼ同時期。その頃この地区に何か変化がったのだろう。

それにしても、チャイナタウンにはお茶屋が見付からない。ようやく訪ねた1軒でシンガポールのお茶の歴史を聞こうとしたが、「そんなこと聞いてどうするんだ、早く買って帰れ」と言わんばかりの対応で何も得られなかった。まあ仕方がないか。

テーマパーク化したチャイナタウンを歩いて見ても、今一つ面白いことは無く、また得られる物も無かった。シンガポールで気が付くこと、それは虫も蚊さえも全くいないこと。ペストコントロールが徹底しているとのことで、一見クリーンだが、人の温もりが感じられず、更には中華系の混沌さがないことに、一抹の寂しさを覚えた。

乗り遅れそうになる

チャイナタウンのホテルをチェックアウトして、空港へ向かう。また電車に乗る。今回の滞在ではシンガポールをかなり歩いたため、到着時に買った電車カードに残高が残っていた。時間に余裕を持ち、チャイナタウン駅ではなく隣駅まで歩き、乗り替えを1つ減らしてみる。

慣れたせいかスムーズに進む。空港近くで乗り換えたところ、周囲に公共住宅が見えた。建物に番号が付いているので分かる。隣には民間の高級住宅が。ここの家賃、いくらするんだろうか、これがシンガポールの活力の源泉なのだろうと、一人納得する。

空港ではチェックインもスムーズ。人はあまりいない。ラウンジを使わせてもらったので、まったりと休み、PCに向かって作業をした。ちょっと夢中になっている間に、周囲に人がいないことに気が付く。係りに聞くと既に私の乗る便の搭乗はとっくに始まっているという。慌てた。

小走りに搭乗口へ向かうが相変わらずチャンギは広い。しかも搭乗前にもう一度セキュリティーチェックがある。荷物が引っ掛かり、バックを開けろという。搭乗口には既に人影はない。慌ててしまいバックがなかなか開かない。係員が「そんなに慌てなくても大丈夫。SQはあなたをいつでも待っていますよ」と言われ、ハッとする。そうだ、ここは中国ではないんだ、アジア一の先進国、シンガポール何だ。私が搭乗するとドアは静かに閉まった。何だかちょっとした高揚感と安堵感、そして・・・。          



アジア一の先進国 シンガポールを旅する2013(3)日本人墓地へ行く

3月3日(日)  日本人墓地

翌朝はスッキリ起きて、朝食を食べ、そして日本人墓地に向かった。先日香港で友人に誘われて行った日本人墓地。香港に9年も滞在しながら、殆ど何も知らなかった。シンガポールにもある聞き、行って見ることにしたのだ。だが、どこにあるのかは良く分からない。地球の歩き方にも「タクシーで行け」となっていた。そこでタクシーでの行くのはあまり意味がない。地下鉄に乗ってみた。

リトルインディアなどを通り、セランゴールへ向かう。方向はこれでよいようだが。駅で降り、何とか糸口はないかとバス停などを探したが、表示などは何もなく良く分からない。仕方なくここからタクシーに乗る。だがシンガポールはタクシースタンド以外でタクシーを停めることが出来ない。先ずはスタンドを探し、タクシーを待つ。日曜日で車は少ない。ようやくやって来たタクシーの運転手に「日本人墓地」と言ってみたが、全く分からないという顔をして行ってしまった。

こうなると地図もない私にはどうすることも出来ない。ここまでかと思ったが、次に来たタクシーは「多分あそこだ」と言って、乗せてくれた。10分ほど行った高級住宅街でタクシーは停まる。ここだ、と言われて見てみると、「日本人墓地公園」と書かれていた。運転手が「帰りは大きな通りまで出てタクシーを拾え」と親切に教えてくれた。

中に入ると実にきれいに整備されており、驚く。1890年頃に使われ出したこの墓地には当地で活躍した商売人やからゆきさん、戦犯処刑者も眠っていると書かれている。何故公園になっているのかは、シンガポールの政府の接収を逃れるため、苦肉の策として公園としたらしい。香港などのように外国人墓地の一角に墓があるのではなく、全て日本人の墓地という特徴がある。そして実にきれいに保存されている。

左側には御堂もある。そして左半分には戦争関係者の墓や碑が建てられている。香港には全くなかった戦争の影がここにはある。そして右側には一般の墓が相当数ある。中にはこの地で落命した二葉亭四迷の碑、からゆきさんの碑などもある。様々な事情でこの地に来て、そこで亡くなった日本人、このような形で墓地が残っているのはシンガポールとの関係が良いということなのだろうか。シンガポールでも多くの人々が日本軍のために犠牲になったと聞くので、つい思いを巡らせてしまう。

後方にはシンガポールで活躍した日本人の碑もあった。ここは公園の雰囲気を出していた。孫文を助けた梅谷庄吉の名前などもあり、感慨深いものがある。当時のシンガポールを含めたアジアは、我々が思っているより、実は日本と近い関係にあったのではないだろうか。周囲の高級住宅を見るにつけ、そんな思いに駆られる。シンガポールの若者が入ってきて、掲示板を熱心に読み、写真を撮り始めた。彼らは単なる歴史の1コマをカメラに収めているのか、それとも深くこの関係を理解しているのか、聞いてみたかったがやめた。

バスで爺さんと

墓地を後にして、広い通りに出た。タクシーで戻ろうかと思ったが詰まらないので、バスに乗ってみた。何台もバスは来たが、どれに乗ってよいか、遂にわからない。仕方なく来たバスの運転手に「MTR駅へ行くか」と英語で聞いたが、要領を得ない。もうどうでもよいと乗り込んでしまう。

すると、一人の爺さんが肩をたたき、「どこへ行きたいのか」と聞いてきた。どう見ても中華系だが英語が流暢なのでそのまま話し始めた。どうやらかなり先に駅があるようで、彼は何度も「もう少し待て」という。隣に座って話を聞く。

「シンガポールは狭いが便利さ」「既に定年になったが生活は出来るよ、小さいけれども家もあるし」「日本には行ってみたいが、旅行代金が高い。でもマレーシアやインドネシア、フィリピンぐらいなら、誰でも行けるよ」「時間が沢山あるから時々警備員の仕事をしている」などなど。

正直シンガポールの平均より下の生活水準の爺さんだと感じたが、それでも楽しそうに話す。この明るさが何処から来るのか、それは「小さいけれども家がある」ではないだろうか。シンガポール政府の定めたHDB制度、シンガポール人には住宅を供給するこの制度のお蔭でこの国の持ち家比率は83%と極めて高い。経済が発展し、不動産価格が上昇すると、一般庶民もそれなりの恩恵を被る仕組み。まるで株式投資で配当を貰うようなもの。まさにシンガポール人が経済の恩恵を受けており、家の無く家賃に苦しんでいる人が多い香港との決定的な差となって表れている。

途中工業団地のような場所を通る。爺さんが「昔は日本企業の工場もたくさんあったよ」と懐かしそうに話す。結局30分以上もバスに乗り、ようやく着いた駅は私が思っていたのと全く違う場所であり、街中へ戻るにはかなりの時間が掛かってしまったが、爺さんと話したことはシンガポールを理解するうえで実に重要だったと思う。

マリーナベイサンズ

この地下鉄にそのまま乗って行くとマリーナベイと到着する。ここにはカジノがあると聞いたので、行って見ることにした。しかし電車は一向に着かない。しかも相当に混んでいる。30分も立っているとようやく終点に着いたが、何とマリーナベイサンズの下へ行くにはさらに乗換もう一駅進む。

マリーナベイサンズ、10年前はなかった建物。マーライオンの対岸に建てられた巨大コンプレックス。カジノが入っていることで有名になったが、ホテル、ショッピングモール、レストランなどあり、まるで迷路のように繋がっている。

先ずはカジノに行ってみた。何とシンガポール人は100S$の入場料を取られるが、外国人はパスポートを見せると無料で入れる。日曜日の昼下がりで客は多くはなかったが、何しろ施設が大きいため、どれぐらい人がいるのかわからない。中国人の団体観光客がスロットマシーンに興じ、もう少し慣れた人々はバカラやブラックジャックの席に着く。マカオでお馴染みの大小の台もたくさんある。ここは無料で飲み物も飲める。シンガポールの顧客サービス姿勢の一端を見る。

外へ出るとモール一帯にブランドショップが並ぶ。楽しそうに買い物に励む観光客の姿が多く見られた。ホテルのロビーに行くと団体観光客のチェックイン待ちの長い列が。やはりすごい人気らしい。非常にうまく作ったものだと感心する。建物の外へ出ると、向こう岸が見える。カジノを核にした開発と観光客誘致、人工都市シンガポールの面目躍如、というところか。

モール内で気になったのが、昨日も話に出たTWGというティーショップ。何とこの施設内に2店舗を持ち、しかも喫茶部分と購入部分の店が分かれているため、スペースとしては4店舗分ある感じ。買い物に疲れた人々がオシャレに休息し、ハイティーを楽しんでいる。料金は決して安くはないが、満員の盛況だ。このお店、益々知りたくなる。

リャンコートとオーチャード

歩いてチャイナタウンまで帰る。もう道には慣れていたが、さすがに遠い。ホテル付近まで戻ると如何にも昔の雰囲気を留めた場所がある。しかしそれとても人工的に保存されているわけで、だんだん疲れを覚えてくる。

ホテルで休息し、夕方再び出掛ける。久しぶりのオーチャードロード。またバスに乗り込む。オーチャードロードは私が初めてシンガポールに来た1987年に最初にやってきた場所だ。あの頃はホテルが安かった。今でも一流ホテルであるシャングリラが最高級ホテルでそのツインが15,000円だったのを覚えている。

バスが進むと、向こうにリャンコートの文字が見える。ここも懐かしい。昔大丸があったところだ。確かニューオータニのホテルもあったような。この辺にはよく来たわけだ。無性に降りたくなり、バスを飛び下りた。するとバスに乗車しようとする人の中に見覚えがある顔が。何とこれから会うはずのM先輩だった。向こうも驚いてバスから降りてきた。聞けばこのバス停の前に住んでいるとのこと。お互い突然の再会に驚く。

今やリャンコートに大丸は無く、明治屋が入っていた。それにしても日本食品の充実していることは大丸時代と変わりない。いや、今の方が高級なのだろう。ラーメン屋など、食べ物屋も色々とある。アジア一の先進国シンガポールへ出店する日本食屋は増えている。だが、家賃も高いし、競争も激しい。生き残るのは大変だろう。

そこから歩いてオーチャードロードへ。夕方は少し涼しいとはいえ、歩くとかなりの距離があり、暑くなる。オーチャードは相変わらず両側高い建物で囲まれていた。買い物客も多い。大戸屋へ入る。ここで元上司のTさんが待っていてくれた。Mさんと3人、昔話などをする。海外で元勤め先の人々と会うのは何となく楽しい。因みにオーチャードロードの大戸屋は「東京の銀座に店を出すような感覚」というほど家賃は高いらしい。





アジア一の先進国 シンガポールを旅する2013(2)バクテーと茶

摩天楼に登る

一端チャイナタウンに戻る。ライトアップされていて本当にテーマパークのようだ。レストラン街も完全に観光客目当て。古き良きチャイナタウンはそこにはない。客を呼び込む人たちの中国語の発音がやけにいい。どうやら大陸から来た人が働いているらしい。シンガポール人はこういう仕事はしない。

次に向かったのはラッフルズプレース。これは先程のタンジュンパガーの隣の駅だった。既に時間は夜の9時、だが又歩き出す。周囲はビル街で人があまり歩いていないが、危険は全く感じられない。道に迷うかと思ったが、道路標示もキチンとあり、道も整備されているので問題なく到着。地下鉄の駅に降りるとコンビニがあり、眺める。水が1本、100円、コーラは150円、日本と同じような値段。香港より遥かに高い。後で聞くとシンガポールのコンビニは店ごとに自由に価格を決めるとか。日本人は殆どコンビニには行かず、スーパーで買い物するとか。

Mさんは香港時代の知り合いだが、今はシンガポールで働いている。月曜日に会う予定だったが、今晩も会いたいという。何故だろうか。Mさんと駅を出て、高層ビルに向かった。1階には長蛇の列が。シンガポールで一番高いバーへの直通エレベーターだった。1階でドリンクのオーダーと支払いを済ませて、上へ上がる。そこは香港にもあった、如何にも欧米人が好きそうなバー。

金曜日の夜ということで、屋上のオープンスペースは人で溢れかえっていた。こんなバブリーな場所がシンガポールにはあるんだな。六本木にもあるのだろうか。写真を撮ったが、上手く撮れなかった。Mさんは写真のプロ、「ここの夜景は難しい」と。彼はシンガポールの夜景を見せるためにわざわざ時間を取ってくれたのだ。有難い。

そして歩いて帰る途中、フードコートを見付けてしまう。そうなるとお粥が食べたくなる。香港でも食べられるのだが、やはりシンガポールと言えばフードコートのイメージが強く、夜中12時にも拘らず、粥を食う。幸せだった。このフードコート、10年前にも来た記憶がある。懐かしい。深夜に食べる粥も何故かうまい、でも値段はかなり上がったな、いや為替の問題か。

3月2日(土)  移民政策への反発

翌朝は8時過ぎまで寝ていた。ホテルに朝食が付いていた。ほんのちょっとした喫茶スペースでパンと卵、フルーツなどを提供していた。そこのおばさんは実に愛想が良く、欧米人に対しては英語で、私に対しては当然のように普通話で対応した。お客は香港や台湾系も多かった。広東語にも台湾語にも対応しているように見えた。凄い。

知り合いに紹介された人に会いに行く。聞けば大学の後輩だとか。既にシンガポールに数年、その前にインドネシアやタイにもいたらしい。如何にも我が大学の同窓生らしい。現在は日系の人材紹介会社で働いている。彼のオフィスもまたタンジョンパガーにあったため、また歩いて行く。土曜日の朝ということで、散歩している人がちらほら。10時前で既に暑い。

スターバックスで待ち合わせた。人は殆どいない。いつものカフェラテトールを注文すると何と5.5S$と言われる。日本円で400円は超えており、日本や香港よりやはり高い。これがシンガポールの物価水準か。

シンガポールもやはり労働者不足。しかし中国系が流入することに地元シンガポール人は反発を強めているという。目に余るほどの成金的な態度には同胞も、お金を落としてくれる優良顧客のイメージもなく、耐え難いらしい。移民促進政策を取った政府への非難も高まり、現在移民は難しいとか。また永住権を取得しても5年ごとのレビューで落とされることもあると聞き、ちょっと不思議に思う。

因みにシンガポールで働きたいという日本人の若者は増えているが、それなりのスキルがないと簡単には就職できないようだ。爽やかな屋外でコーヒーを飲みながら、ゆっくり話していると時間を忘れる。Hさんの淡々とした話も面白い。

バクテーが美味い

次は地下鉄、クラーキー駅へ。Hさんからはタクシーで行くよう言われたが、またまた歩く。しかしこれが意外に遠い。しかも昼の12時近く、暑くて参る。約束の時間に少し遅れてしまう。シンガポール、和僑会のメンバーであるIさんと会う。シンガポールには日本人起業家が沢山いるらしい。

ランチはバクテー屋さんへ。正直マレーシアのバクテーは苦手だったが、ここのバクテーは美味かった。スープの味が抜群。肉骨茶と書く割にはお茶の味が、と思っていたが、ここは良かった。お茶も個別に飲めるらしいが、ランチの時間は忙しいのでお茶は出さない。お客の回転を高めるための当然の措置だった。不動産の高いシンガポールでは当然か。今度はランチ以外の時間に来て、ゆっくりとここでお茶を飲んでみたい。

店が混んでいたので、別の喫茶店に移動。Ya Kun、カヤトーストで有名なお店。『朝食やおやつの定番メニューとしてシンガポールで幅広く親しまれている「カヤトースト」は、卵・ココナッツミルク・パンダンリーフ(香り付け用の葉)・砂糖で作られた「カヤジャム」をカリカリに焼いた薄焼きパンに塗り、薄くスライスしたバターをサンドしたもの』と説明され、食べてみると確かに美味しい。Ya Kunティーは砂糖とミルクの入った甘い飲みのもで、トーストと合わせて飲むとかなり国の中が甘くなる。シンガポールで食べると良いが、日本では甘すぎるだろうか。シンガポールだけでなく、インドネシア・韓国・台湾・日本に40店舗を超える店があるとか。これもまたシンガポール発の国際企業なのだ。

シンガポールのお茶

Iさんと話し込んでいるとあっと言う間に時間が過ぎた。次の約束は地下鉄City Hall駅の上に有るホテル。これまた1駅乗って乗り換えて1駅、という面倒くささ。しかし歩いて行く時間はとてもない。何とIさんと次に会うSさんは知り合い、電話で遅刻を告げてもらった。シンガポールはやはり狭い。

そしてバスで行くことに。シンガポールのバスは実にシステマティク。何番のバスが何分後に到着予定と表示されるので安心。と思っていたら、なかなか来ない。土曜日で渋滞もないのに何で、と思ったが仕方がない。Iさんとそこでまた雑談が始める。やはり地下鉄を使うべきだったと後悔した頃、そのバスはやって来て、あっと言う間にラッフルズホテルの目に私を連れて行った。やっぱり歩いた方が速かったのか。

Sさんはバンコック在住の知人の紹介。以前スリランカに住んだことがあり、紅茶に詳しいとのことで、シンガポールのお茶事情を聴いた。だが、やはりというか当然というか、シンガポールにはそんなに深いティーカルチャーは無いようだった。勿論アフタヌーンティなどはホテルに沢山あるが、シンガポール人で紅茶に非常にこだわる人は限られている。

ここは暑いせいもあり、「甘くて炭酸が入っている飲み物が好まれる」「例えばスポーツ飲料にも炭酸が入っている」など、この国独自の飲料も存在するようだ。また最近話題のTWGについて「この会社の実態は知らないが、非常にマーケッティングが上手い」と評しており、興味を持つ。

因みにSさんの本業も人材派遣会社。午前中に続き、シンガポールの人材事情を聴いたが、賃金が相当高くなっていること、優秀な人材は日系を選ばないこと、日本人学生がいきなりシンガポールで就職するには無理がある、など、参考になる話が多数出た。

シンガポールの茶芸館へ行く

その後、ホテル近くに戻る。シンガポールに今や殆どなくなった茶館を訪ねる。元勤め先の後輩S君一家とそこで待ち合わせた。店に行くと店員は普通話で話し掛けて来る。私はやはり日本人には見えないらしい。この店には福建省のお茶を中心に中国茶が沢山置かれているが、お客のメインは観光客。日本人も沢山来るらしい。店は数人のオーナーの共同経営で、中華系だが出身地もバラバラとか。お茶の値段はそこそこに高い。

二階が喫茶スペースになっており、何と靴を脱いで上がる。S家は前回もシンガポールに5年駐在し、今回2回目。前回は夫婦二人きりで余裕があり、S夫人は茶芸を極めていたが、その後(いつの間にか)可愛い女の子が2人もおり、今は育児に追われてお茶をやる暇はないらしい。

お店で人気の黄金桂を飲む。最初にお店の女性がやって来て、日本語で淹れ方を説明していく。彼女は日本への留学経験があり、バイトで日本人が来ると説明しているという。ただ以前と比べて日本人のお客さんは減っているとか。中国や香港に行くのだろうか。この店は最低消費が一人8S$と安くはないが、喫茶店に入っても、スタバでもそれなりにかかるシンガポールではリーズナブルかも。周囲はシンガポール人のカップルや友人同士といったお客が多く、まさに喫茶店のノリになっていた。

その後すぐ近くの餃子屋に移動して夕飯。日本人はどこへ行っても餃子が好きだ。このお店にも日本人が数組来ていた。昔中華は美味しくない、との印象があったが、恐らくはお金持ちが増えた今のシンガポールには、素晴らしい中華もあるだろう。でも料金も素晴らしく高いだろうと容易に想像でき、餃子は何といっても安定感にある食べ物となっている。





アジア一の先進国 シンガポールを旅する2013(1)サービスは良いがコストは高い

《アジア一の先進国 シンガポールを旅する》 2013年3月1日-5日

シンガポール、もう10年以上行っていなかった。かつては何度も行き、そして何故か良い思い出しかない場所。だが最近は茶旅が中心になり、足が遠のいた。近年のシンガポールの発展は目を見張るものがある。今やアジア一の国家とも言える。カジノも出来たらしい。一度見てみたいと思うようになった。

3月1日(金)  1.シンガポールまで    SQはやはりすごい

今回は香港から向かった。LCCのタイガーエアーが安いと聞いていたが、1週間前の予約となったせいか、思ったより高かった。そしてアジア一のエアラインであるシンガポール航空(SQ)を見るとタイガーと僅か日本円で5000円しか違わない。久しぶりに乗ってみようという気になり、チケットを買った。LCCの参入でレガシ―の料金も安くなったものだ。それに合わせてサービスも落ちただろうか。サービスは世界一とも言われたSQ、そのサービスの質は健在だった。今回の旅はそれを思い出させてくれた。

機内で前列の外国人男性がシートを倒してきた。飲み物のサービスが始まったので「シートを戻すよう」にCAに依頼したが、その男は了承しなかった。するとCAは「食事の時以外はシートを戻させる権利はない」と告げた。まあ、仕方ないかと思っているとチーフパーサーがやって来て同じ説明をしようとした。説明を何度受けても変わりはないので、その説明をもう要らないと言った瞬間、彼女らの対応が始まった。

先ず男と私の席にシールを張ったようだ。続いて男と私にだけ食事を早く出し、男のシートを戻させた。それから他の人の食事が終わるまで、ずっと食器を回収せずに、シートを倒すのを防いでいた。最大限の対応を素早く試みたのだ。更にはその後もCAが代わる代わるやって来て、なにくれとなく声を掛け、サービスしていく。こんな対応、他のエアラインでもできるのだろうか。少なくともJAL、ANAは客同士の揉め事として介入しないような気がする。笑顔だけではない、SQはやはりスーパーエアラインだった。

チャンギの空港は以前よりサービスが落ちた、いや、セキュリティーが厳しくなったようで、少しスピードが落ちていた。昔は笑顔で応対していた入国管理官に笑顔は無く、厳しい眼差しを向ける者もいて、ちょっと驚いた。

空港から市内まで電車

10年ぶりのチャンギは、ターミナルが3つもあった(第4は使用していなかった)。そして空港から市内まで電車で繋がっていた。これらは皆、もう数年前に出来ていたが、私は知らなかった。インフォメーションセンターで行き方を聞き、タクシーやバスを勧められたが初めて電車に乗ろうと思った。

今日の目的地、チャイナタウンまでは2回の乗り換えがあったが、料金は安かった。約1時間で到着した。車内には空港からの電車ということもあったが、実に多国籍の人々が乗っていた。アラブ系、マレー系、欧米系、勿論中華系も。中華系のカップル、男は福建語で話し掛け、女は普通話で答えている。何とも不思議な言語行動だが、これがシンガポールだと、久しぶりに思い出した。工事現場の表示も4つの言葉で書かれていた。電車は満員。シンガポールの広がりが感じられた。

それにしても電車だと2S$(約150円)だが、空港のシャトルバスだと9S$、普通のタクシーだといくらかかるのだろうか。シンガポールの物価は10年の間に相当高くなってきている。それでも交通費は東京よりかなり安いのだが。

因みに恒例の空港で携帯のシムカードを買ったが、50S$ もした。これはイスタンブールより高く、アジアのどこよりも高い(日本はシムが買えないので除外)。電車のカードは10S$で購入して重宝した。

2.シンガポール   ホテルは狭い

チャイナタウンに到着したが、ここも10年で変貌していた。どう見てもこんなにきれいではなかった。元々猥雑感の無かったシンガポールのチャイナタウン、完全にテーマパーク化してしまったようだ。

ホテルは恐ろしく高かった。日本円で4000円程度ではドミトリーのベッド一つ確保するのがやっとだった。ネットで毎日検討したが、料金も目まぐるしく動くホテルがいくつかあった。やはり料金と宿泊率、不動産が高いとこうなるようだ。香港と肩を並べる高さだ。

私が最終的に選んだホテルはチャイナタウンにある小さなブティックホテル。元々京劇の劇場だったようで、その舞台がロビーになっている。何となくおしゃれなライトアップもあり、好ましい。だが、ホテルの部屋はあまりにも狭かった。日本のビジネスホテルでもここまで狭い所はないと思う。ベッドの横の通路が狭すぎて、椅子が使えない。PCは壁に僅かにある場所に載せ、ベッドに座って打つしかないのだ。

トイレもすごい。便座に座ると、膝は壁にぶつかり、立ち上がれない。勿論シャワーはほぼ真上から湯が落ちてくる状況。香港のアマ部屋でもここまで狭くはないだろう。これで日本円6000円を超えている。チャイナタウンでこの状況だから、市の中心部ではどうなってしまうのだろうか。

6年ぶりの再会

20年前香港で同じ業界で働き、10年前にもまた香港で同じ時期に働いたYさんは、ここ5年間シンガポールにいた。一度会いたいと思っていたが、とうとうそのチャンスが来た。今日の夜だけ空いているという。オフィスの場所はタンジョンパガー。それはどこにあるんだ?そういえばさっき乗った地下鉄の駅にその名前があった。調べるとチャイナタウンから一駅乗ってオートラムパークで乗り換え、また一駅。近いと言えば近いが面倒だ、と思って地図を眺めると、何のことはない、歩いて15分ぐらいで着くことが分かった。それは歩いた方が早い。

シンガポールの道は本当にきれいだ。そして夕方は涼しい風が吹く。いい気持ちで散歩する。先ずは両替に行く。チャイナタウン駅近くのショッピングモールが良いというので出掛けると、何故か沢山の人が列をなしている。観光客もいるが、地元の人も並んでいる。何でだろうか、不思議だ。

タンジュンパガーまでの道、レトロな建物が見える。何となくいい雰囲気だ。その後はビルが立ち並び、あっと言う間に到着した。こんな駅、昔あっただろうか、と思いほど、高層オフィスビルが建っていた。

Yさんは「シンガポールはクリーンで便利。仕事の環境としても悪くない」と言ってはいたが、何となく疲れていた。偶々体調が悪かったということだけではなく、シンガポールに5年もいれば、それは疲れるだろうと思う。気候的に暑いだけでなく、この人工的な国に居れば、閉塞感もあるのではないだろうか。勿論仕事のプレッシャーもあるだろう。地位が高ければ自分の思うようなスケジュール管理もできないだろうか。サラリーマンは大変だな、と今更ながら思う。

ビルの地下でスープとパンの夕食を取る。これは私にとっても有難い選択。胃に易しい。昔話や家族の話などに花を咲かせて、リラックスして楽しかった。そして彼はまた仕事に戻って行った。




《昔の東南アジアリゾート紀行》‐1994年シンガポール

5.1994年4月 シンガポール

(1) 次男誕生
93年5月14日、次男が香港で生まれた。5月14日は私の誕生日でもあり、医者に頼んでこの日にしてもらった。私の誕生日に生んでくれと言ったものの、まさか本当に当日生まれるとは思っていなかったので、生まれた時は嬉しかった。

その後順調に育ち、冬には日本に帰国するなど、飛行機への抵抗も無いようなので、長男の時同様2歳前に旅行をしようと計画した。何故最初にシンガポールを選んだのかは忘れてしまった。ただ私はシンガポールに良い思いでしかなかったので、家族にも見せたいと考えたのでは?

(2) シャングリラ・セントーサ
香港のイースター休みは土日を入れて4日間、シンガポール旅行には丁度良い。今回もキャセイのパッケージツアー。連休の場合はオフシーズンと異なり、追加料金を取られる。如何にも香港らしい。

シンガポールのビーチリゾートと言えば、セントーサ。昨年シャングリラが出来たと聞き、セブの経験を生かして、ここに泊まる。空港から真っ直ぐ島に向かう。30分。この便利さが良い。

ホテルは流石シャングリラ。新しく、豪華。部屋もシービュー。なかなか快適。私はシャングリラが好きである。華美ではないが、部屋の隅々に行き届いた所がある。

(3) 大丸
チャンギ空港に着くと、長男が『ヤクルトが飲みたい』と騒ぐ。流石に旅行先にヤクルトを持参していない。彼は当時家では『ヤク中(ヤクルト中毒)』と呼ばれ、一日に何本も飲んでいた。体に良いものなので飲ませていたが、突然言われると困る。

どうしたものかと悩んだ末、大丸に行くことにした。大丸の上にホテルニューオータニがあり、以前泊まったことがあったこと、及び香港でも常に大丸で物を買っているので安心感があることが選んだ理由である。

リャンコート大丸はタクシーで直ぐに行けた。中に入ると地下に食品売り場がある。この売り場が大きい。香港も大きいと思っていたが、更に大きい。この中からヤクルトを探すのは大変だと思っていると長男はさっさと歩き出す。付いて行くと何とそこに『ヤクルトお姐さん』が立ってヤクルトの販売をしていた。どうやらプロモーション期間のようだが、この偶然に驚くと同時に長男の嗅覚には舌を巻いた。10本セットを購入したのは言うまでも無い。

(4) ビーチ
長男はビーチが見えると直ぐに直行。次男も足をバタつかせてせがむ。ビーチの砂は白い。きっと何処からか持ってきたものであろう。

子供達は砂遊びを始める。何故子供は砂遊びが好きなのだろうか?その内他の子供も加わり、皆で遊び始める。とても素晴らしい光景が広がる。ところがふとしたことから喧嘩が始まる。良く聞いてみると相手は広東語だ。香港人も大勢来ている事が分かる。長男も負けていない。日本語で言い返す。砂を掛け合う。微笑ましい光景である。

(5) シャングリラ・オーチャード
翌日動物園に行くことになり、シャングリラ間のシャトルバスに乗る。シャングリラ・オーチャードは数あるシャングリラの中でも基幹店舗である。シンガポールのメインストリート、オーチャードロードから少し奥まったところにある。
私は1987年2月始めてシンガポールに来てここに泊まった。そのときの感激が忘れられない。今回は是非とも家族に見せたいと思い、立ち寄る。

上海留学中に旅行で来た時はシャングリラの素晴らしさなど全く分かっていなかった。フロントで『部屋が掃除中で使えない。ロビーラウンジでドリンクを飲んで待っていてくれ。』と言われた時は『何だここも中国か』と言う失望を覚えたが、ラウンジに行って心境は一辺。チャイナドレスを着た美人のお姐さんが膝をついて飲み物をサーブしてくれる。昔の中国でこんなサービスは考えられない。にこやかなお姐さんはこの世の物とは思えず、思わず涙してしまった。

その涙してしまったラウンジを今回家族4人で見学した。流石に年月が経ち、経験を積んだ私にはそこは何の変哲も無いラウンジにしか見えない。ましてや後の3人は何のこっちゃ、と言う感じ。時が人間を変えるのか、それとも環境を変えるのか?

(6) タクシー
シャングリラからタクシーに乗り、動物園に向かう。『ズー、プリーズ』と言ってみたが通じない。北京語で言うと直ぐに通じる。シンガポールもやはり北京語かと思っていると、『何処から来たのか?』『香港』『何だ、同胞は北京語で話そうよ』と一方的に私を中国人に仕立て上げる。

『奥さんは日本人なのか?羨ましいな?どうやって知り合ったんだ?』矢継ぎ早に質問してくる。『違う、俺は日本人だ。』と何度も言うが信じない。愈々奥の手だと、日本のパスポートを取り出すと『何だ、帰化したのか?何年掛かった?どうやって取ったんだ?』と更に全く信じない。とうとう諦めて同胞になることにした。
同胞には親切であり、帰りも待っていてくれて、値段もまけてくれた。しかし日本人はそれ程に良いものなのか?そんなにイメージが良いのか?不思議でならなかった。

(7) 動物園
子供達は動物園を一番の楽しみにしていた。ここシンガポール動物園は馬鹿でかい。入ると行き成り電車が走っており、乗り込む。すると子供の遊具がおいてある場所が目に入り、兎に角それで遊ぶと2人とも譲らない。結局そこで30分ほど遊んで何とか動物の居る方に連れ出す。

ところが、真昼のシンガポールは非常に暑い。彼らは暑さにバテてしまい、何と2人とも寝込んでしまう。態々動物園まで来て動物も見ない何てと、悔しがったが後の祭り。一度寝てしまうと梃子でも起きない。結局動物を全く見ずに、動物園を去る。そのままホテルに直行して、夜も静かに寝る。

(8) 忘れ物
シンガポールを去る日、ホテルでタクシーを頼み空港へ。次男はすやすや寝込んでいる。1歳直前の彼は実に良く寝る。

空港に着き、タクシーにお金を払い、カウンターに向かう。キャセイのカウンターでチケットを出そうとしたが、バックが無い。奥さんが持っているものと思い、後ろを振り返ると、彼女は寝ている次男を抱っこしている。あれ、あれあれ。バックは何処だ??

冷や汗が出る。奥さんは次男を運び出すことに気を取られ、私は支払いに気を取られて共に大事なバックの存在を忘れていたのだ。バックの中には、航空券、パスポート、現金、トラベラーズチェックなど貴重品が全て入っていた。尻のポケットから財布を出すと、何とシンガポールドルが10ドルしか入っていない。

どうすればいいんだ、シンガポール支店に助けを求めるか?頭には明日シンガポール支店に出勤する私が過ぎる。先ずは警察、そうだ警察だ。警察は空港の地下2 階にあった。英語で事情を説明するのももどかしい。何しろ2時間後には飛行機が出てしまう。これに乗れず、金もないとなるとかなり面倒になる。警察への説明も大声でぶっきら棒になる。

警察官は実に冷静に、各所に電話している。その間にも時間は過ぎて行く。こちらは大慌て。但しうちの奥さんはかなりののんびり屋であり、こういう時には助かる。女性はヒステリックになると手がつけられないから。10分が過ぎて仕方なく他を探そうとしたその時、警察官が『あったぞ』と叫んでいた。えっ、えっ。そう。

説明に寄れば、タクシーの運転手は忘れ物を発見し、航空券のチケットからキャセイのカウンターに持ってきてくれたそうだ。何とやさしい運転手さんだろう。警察官が険しい顔で言う。『こんな大事なものは2度と忘れるな』もっともだと思う。兎に角1件落着。

後でシンガポール在住者にこの話をしてみると、『ホテルで呼んだタクシーだから、忘れ物をそのまま頂戴しても、足がつく。そう考えれば、彼はそうするしかなかったんだ。』という。運転手の行為は勿論善意の行為だと私は今でも信じてはいる。人の善意は素直に受けよう。(但し運転手さんの所在も分からずお礼はしていない。)

(9) リゾートの鉄則5
貴重品は絶対に身から離さないようにしよう。