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《ラオス散歩2013》(10)ルアンプラバーン 托鉢に思う

9月29日(日)

托鉢に思う

翌朝も早く起きた。外が明るくなっていたので、ホテルの前に出ていくと、各家の前に女性たちが出て、托鉢のお坊さんを待っていた。この光景はミャンマーで見て以来。何となく、好ましく思い、お坊さんの一団について歩く。

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相当数のお坊さんが歩いてくるので、ツボの中にご飯やお菓子を入れるのも忙しい。ここでは毎日こんなに大々的に托鉢をしているのだろうか、などと考えていると、向かいのおばさんが手招きする。こっちにきて、お前もやれ、という仕草だ。

 

おばさん3人ぐらいがやってきて、次々に渡す物を置いて行き、お坊さんにあげる仕方を教えてくれる。本当にスピードが速い。お坊さんの歩くスピードに追い付かず、四苦八苦。お坊さんの中には小坊主もかなりいる。こんなに托鉢を受けてどうするんだというほど、抱えている子もいた。

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ようやく一団が通り過ぎ、辺りが平穏になると、おばさんが手を出してきた。確かにお坊さんにあげる品々を貰ったのだから、おれをしなくて行けないと、5ドルを取り出すと『20ドルだ』といきなり英語でいう。これには参った。いつもなら『そんな話はしていない。そんな高いはずはない』などと口論になるところだが。

 

その時、ちょっと怒っている自分に向き合う自分がいた。『確かにこのおばさん達はいいことはしていない。この托鉢自体が一種の観光イベントであり、宗教的には疑問もある。だが私自身の気持ちはどうなんだ?』そしておばさんに黙って20ドルを渡し、合掌して去る。おばさん達は一瞬きょとんとしていた。

 

そしてホテルで気持ち良い朝食を取り、少し横になる。庭でPCをいじり、時間を過ごしたが、今日の午後にはバンコックに戻る身であり、再度街をぶらつくことにする。先ほどの托鉢の終点は、ワットシェントーン。実に立派なお寺だった。拝観料を払う必要があったが、時間が早すぎ、誰もいなかったので、外から写真に収めて去る。

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《ラオス散歩2013》(9)ルアンプラバーン プ―シー山の夕陽

プ―シー山の夕陽

そしていよいよハイライト?博物館前の道を上る。小高い丘、プ―シー山から夕陽を眺めるためだ。観光客と思われる欧米人、中国人、韓国人、インド人などが続々と登っていく。階段はかなりあり、途中に入場料を支払う場所がある。そこまでたどり着くと、一休みせざるを得ない。体力の低下が懸念される。

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既に陽はかなり傾いていたが、それでもある程度の高さを保っていた。頂上まで登りきると、そこには堂があり、タイ人が熱心に祈りを捧げていた。それが本当だろうが、我々一般観光客は夕陽にしか関心がない。

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陽が落ちる様子を見るに適した場所は既に人で埋められえていた。皆がカメラを構えている。私も構えているのだが、何だか滑稽に思えてくる。せっかくきれいな夕陽が落ちていくのに、この目で見ないでファインダーを通して見る、脳裏に焼き付けないでカメラに焼き付ける、何で?

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そして夕陽はスルスルと落ちて行った。シャッターは何度も切ったが、これはという写真は遂に撮れなかった。まあ、そうだろう。皆が山を下りる前にそそくさと下山した。混雑は余韻を妨げる。

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観客の少ない民族舞踊

勢いよく下りてくると、目の前に昼間行った博物館がある。そうだ、あそこで民族舞踊があったなと思い出し、そのまま行ってみることに。建物には人が殆どおらず、チケットを買うと、おじさんが『エンジョイ!』と言ってくれたが、2階の会場には誰一人観客がいなかった。ちょっと緊張。

 

その中で民族楽器を奏でる人々が何事もなかったように演奏している。そして開演の少し前にフランス人の老夫婦が入ってきて、ほっとする。それからドイツ人が入ってきたところで、さっきのおじさんが司会者として登壇。流暢なフランス語、英語で話し始める。そこへ中国人団体客が10名ほど、ガヤガヤやってくる。

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舞台では民族舞踊があり、ラーマーヤナの一節が軽快に演じられるなど、本格的であった。これはラオスのトップクラスのスタッフの舞台なのだろう。だがあまりにお客が少なすぎる。モチベーションを維持するのも大変なのではないか。

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中華な夕食

舞台が終わり、既に8時を回っていた。夕飯はどうするか、ガイドブックに中国料理屋が載っていたので、そこへ行ってみる。が、暗いこともあり、なかなか見つからない。段々面倒になり、適当な店へ入り、炒飯を注文した。

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お客は殆どおらず、イングランドプレミアリーグのサッカー中継を見ながら、食べた。味は本格的な中華だった。よく見ると店員も中国系の顔をしている。実は探していた店はここだったのではないか、と思いながら、言葉が通じないこともあり、早々に退散した。

《ラオス散歩2013》(8)ルアンプラバーン お寺巡り

カオソイ

それから街をうろつく。天気が良く、日差しは強いが、さわやかな感じが何とも心地よい。ルアンプラバーンは基本的にメコン川とお寺の街。歩けばどこでもお寺のぶつかり、川にぶつかる。川から吹く風が心地よい、ということだろう。

 

フラフラしていると、両替所があり、ここのレートが良いので両替する。観光地と言いながら、意外と米ドルを受け取らない所もある。人民元の両替レートが特によいように感じられる。歩いても中国人が多いようには見えないのだが。因みに両替所の女性は英語が苦手のようで、小学生ぐらいの彼女の子供が応対してくれるのが面白い。

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小さな市場に紛れ込む。この辺にカオソイ屋があると聞いてきたのだが、既に店じまいしていた。朝早く来ないとダメ、明日来て、と言われる。市場では野菜などを売っていたが、バイクで来たおばさんが『わさび』と日本語で言ったのには驚いた。そして店の人も日本のわさびを取り出していた。

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カオソイがないと言われると急に食べたくなるものだ。ホテルの近くまで戻り、ローカルなお店に入る。一応英語が書いてあり、何とか意思は通じた。まるで時間が止まったようなテーブル、そしてそこで食べている人々、不思議な空間であった。出てきたカオソイも上の空で、その空間に浸ってしまった。

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街歩き ワットルアン

ホテルで一休みして、また歩き出した。今度は博物館へ向かう。街の真ん中の立派な建物だった。往時の繁栄を偲ぶ品々が展示されていた。そうここは古都なのだ。昔は王様がいたのだ。だが今は誰もいないような静けさ。博物館の横には何やら立派な建物が。こちらは劇場のようで、夜にはショーがあるらしい。暇があったら来てみようと思うが、チケットは買わないで様子見。

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それから地図も見ずに歩く。歩けばお寺があるので、フラフラ入り、またフラフラ出る。面白いほどにお寺に行きあたる。そして街外れの外れまで来ると、ワットルアンという寺にやってきた。

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このお寺、なかなか雰囲気が良い。かなりの古さもさることながら、仏塔にしがみ付く?仏像など、ユーモラスな仏が見られる。新しい本堂と古い仏塔のコントラスト、何だかルアンプラバーンを象徴しているようだ。しばし休息して眺めると、陽が少しずつ西へ傾く。

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更に街中に戻りがてら、いくつかのお寺を見学。仏塔や本堂の形に変化がみられ、面白い。さすがに暑い中、3時間も歩くと疲れ果て、メコン川沿いのカフェで休息。カフェと言っても、河沿いにテーブルといすを置き、川を眺めるだけ。でもそれが良い。疲れた体が糖分を欲しがり、思わずコーラを注文。何と料金は100円、この景色を眺めるには安い。

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《ラオス散歩2013》(7)ルアンプラバーン メコン川を独り占め

9月28日(土)

リラックスできる朝食

翌朝は実にさわやかに起きた。理由は不明だが気分がいい。前日の軽い食事、あまりPCを見ない生活、そしてこの地の豊かな自然、静かな環境、どれをとってもリラックスできる要素だった。

 

鳥のさえずりに誘われて、朝食は庭で取る。美味しいパンに、新鮮なフルーツ、アツアツのオムレツ。爽やかな朝にピッタリだった。このような爽やかな、そしてリラックスできる朝を迎えることに感謝した。

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食後日差しが強くなり、暑さが予感されたので、先ずはゆっくりコーヒーを飲みながら、PCに向かって旅行記を書く。そのままずっと座っていたいほど居心地が良かった。いきなりドイツ人、いやオランダ人かなと思われる女性が『気分はどう?』と聞いてきた。『抜群』と答えると笑顔で他のテーブルへ。彼女はこのホテルのマネージャーだった。お客もヨーロッパ系が多く、彼女にこの仕事はぴったりだと思われた。

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ボートトリップ

ホテルの中庭にも飽きてきた頃、メコン川でも眺めようと出掛ける。何をするでもない、あてもなく散歩した。突然河沿いで『ボートに乗らないか』と声を掛けられた。いつもならやり過ごすのだが、あまりに暇だったので、そのニーちゃんの話に付き合ってみた。

 

『お客がいないんだよ、今は。だから8ドルでメコン川クルーズに連れて行くよ』と言われ、それなら時間潰しにいいかと、着いて行く。彼は川に下りる。20人ぐらい乗れそうなボートが目の前にあった。これを貸し切りで使った。まさにオフシーズン。

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メコン川に出ると青い空、広い河、眺めがよかった。雲の形と山の形が妙に調和していた。行き交う船も少なく、本当に広々していた。先ずは対岸の寺へ向かう。石段を登るのに一苦労したが、小高い丘の上には古い寺があった。更に案内の子供について歩いて行くと、洞窟があった。彼らは懐中電灯で中を照らした。何か神々しい感じがした。

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それからまたボートに乗り、川面から景色を眺める。向こうの丘に雲が低く垂れこめ、独特の情景を作り出す。若いお坊さんが川に入り、泳いでいた。魚を取る漁師もいた。ボートはあてもなく、ゆっくり、ゆっくりと流れていく。こんな時間は永遠であっても誰も文句は言わないだろう。

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1時間の約束が過ぎた頃、ボートは岸に戻った。これで8ドルは安いと思ったが、その金額を渡すと、ニーちゃんはにこりとして受け取り、足早に去って行った。いい小遣い稼ぎだったのだろうか。彼はお客のいない川を離れ、またバイクタクシーの客引きに戻っていた。

《ラオス散歩2013》(6)ルアンプラバーン 静かな街で気分転換を

2. ルアンプラバーン

ローカル空港

そしてランチもご一緒し、F夫人に空港まで送ってもらい、ルアンプラバーンへ。実は最近愛用していたパソコンが突然壊れ、かなりのショックを受けていた。このような時には気分転換が必要と言われ、今回2日間の空き時間を利用して、『癒しの空間』と言われるルアンプラバーンを訪ねることにしたのだ。

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ビエンチャン‐ルアンプラバーン間にもラオセントラル航空が飛んでおり、それを選んだ。ただ料金は直前の予約だったせいか、バンコック‐ビエンチャン便より高かった。ラオスで国内線に乗るのは初めて。ターミナルも国際線の横の簡素な建物、搭乗時間の30分前にならないと、セキュリティチェックへ進めないようなローカル空港だ。搭乗は歩いてタラップへ。昔の中国を思い出す。飛行時間わずか30分、あっという間にルアンプラバーンに到着した。

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空港から市内へ行くバスなどないかと探したが、全くなかった。仕方なく、空港タクシーで行く。7ドル、高いのか安いのかよくわからない。河を越えて、街に入る。河沿いにホテルなどが見えたが、私が適当に予約したロータスビラは河沿いではなかった。

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ロータスビラ

ロータスビラはシンプルな造りのブティックホテル。清潔感があり、フロントの対応も悪くなかった。部屋は中庭に面していたが、一人なら十分の広さ。ゆったりとしたベッドがあり、寛げた。WIFIも完備されており、もしこれで机があれば完璧だった。欧米人客が多く、彼らは庭にあるテーブルでPCをいじっていた。

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これからか2日間、私には何の予定もない。ここに来た目的も気分転換のみであり、何かを見るつもりもなかった。ただ静かな街なので、先ずは様子を見に外へ出た。メインストリートは直ぐに分かり、観光客向けのカフェや土産物屋が並んでいたが、客は少なかった。オフシーズンらしい。

 

土産物を売る露店のマーケットが店開きをしようと準備していたが、そんなにお客があると思えない。夜にもう一度歩いて見たが、本当に寂しい状況だった。それでも店を開けていく必要があるのだろう。子供たちが元気に遊んでいるだけだった。

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夕飯を食べる気力もなく、バンミーを買って食べた。これはベトナムで食べるのより美味しいような気がした。部屋に戻り、シャワーを浴びてちょっとネットを見ていると眠くなり、すぐ寝入る。そんな静かな夜だった。

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《ラオス散歩2013》(5)ビエンチャン ラオス経済危機の兆し

メコン河レストランから焼肉へ

夜は4人でメコン川沿いのお洒落なレストランへ行った。観光客向けで、とても雰囲気が良く、欧米人も多くいた。メニューを見て、注文を終わると、ノイの携帯が鳴る。何と、昨日のメンバーが今日も一緒に食事をしようと、別のレストランで既に待っていたのだ。

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このおしゃれなレストランでも是非食べてみたかったが、こうなるとそちらへ行くしかない。ノイは慌てて注文を取り消し、我々は街中の焼肉屋へ向かう。そこでは面白い形の鍋に肉を入れ、低くなった鍋のふちにたまった汁で野菜を煮て食べていた。これも面白い。

 

皆陽気に食べている。1つのプロジェクトチームの結束を高めるにはよい。Kさんはお得意の『ナイトイングリッシュ』を披露して場を盛り上げる。これからどんな進化が得られるのだろうか。

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一端ホテルに戻り、Kさん、Mさんと一杯飲みに出かける。私の旅では稀なことであるが、ビエンチャンの夜を見るのもよい。1軒のバーに入ると、そこはライブハウスにもなっていて、欧米人が歌を歌っていた。雰囲気は悪くない。ジントニックを飲みながら聞く。

 

ふと見ると向こうのテーブルにビエンチャン在住のM氏が楽しそうにお酒を飲んでいた。彼とは前回ビエンチャン茶会開催で合意していたが、今回はこちらの都合でキャンセルしてしまっていた。何となくバツが悪い。どうらやビエンチャンは狭い世界のようである。このメインストリートの一角以外は暗く静かな街がある。

 

9月27日(金)

ラオス経済 危機の兆し

翌日はお茶会開催を待っていてくださったFさんご夫妻と会う。F夫人によればビエンチャンの日本人の間では婦人会のようなものがあり、定期的な集まりがあるそうだ。次回はこちらを基盤にお茶会をしようということに。

 

ご主人はラオスへの観光を促すお仕事をしている。日本人がラオスを訪れる割合はカンボジアなどと比べるとまだまだ少ない。ラオスには豊富な観光資源があるが、知られていないと嘆く。

 

F夫人の言った一言が気になった。『最近現地通貨キップから米ドルなど外貨への両替が出来なくなった』と。これはラオスの経済にとって危険な兆候ではないか。中国経済に依存しているラオス、その中国が減速し、かつ隣国タイの経済も思わしくない。小国ラオスは苦しんでいるかもしれない。

 

⇒ラオス関連コラム http://www.chatabi.net/colum/67.html

 

《ラオス散歩2013》(4)ビエンチャン 私の心には希望の虹がある

私の心には希望の虹がある

その後ノイは我々を政府機関に連れて行った。古びたビルの4階まで足で登る。教育省だった。若い担当者が相手をしてくれた。今回のプロジェクトの1つは学校を作ることであったが、『コミュニティに還元できるような学校であれば計画書を持ってきてくれればすぐにでも認可する』といわれ、唖然とする。

 

ラオスで学校を作ることは非常に厳しく制限されていると聞いていた。社会主義国家であれば特にそうであろう。それがなぜそんなことに?『ラオスでは今新しい試みが必要だ』と担当は言う。だが聞いた誰もが『実際に申請した時に、すぐに認可してくれるとは思えない』と口々に言う。そんなところだろうか。それにしても、ラオスも少しずつ動いてきているのかもしれない。

 

それから我々は盲学校を訪ねた。病院に付設されており、広い庭があり、そこでは目の見えない子供たちが共同生活を送っていた。ノイはここで歌の指導をしているという。単に自分の学校を開くだけでなく、縁があるところへはどこへでも行って、自分のできることをしている、ノイの活動には感心させられることが多い。

 

沢山の子供たちが集まってきて、ノイに触れようとしている。彼ら、彼女らは目は見えないが、ノイが感じられる。手と手が触れ合うこと、それが如何に大切であるか、抱きしめてあげることが如何に大切であるか、を教えられる。

 

一人の少女が進み出て歌を歌うという。彼女には眼球がない。この子はこれまで一体どんな人生を歩んできたのだろうと思っていると、信じられないほど澄んだ声で、堂々と歌い始めた。

 

『私の目には見えないが、私の心には虹が見える。私は虹が七色であることを知っている。私の心には希望の虹がある』

 

ノイは大粒の涙を流しながら、ラオス語で歌われた歌詞を訳してくれた。私は心臓が止まるかと思うほど、心が震えた。恐らくはそこに居た全員がそうだったのでないだろうか。この子はこれからどんな人生を送ることになるかは分からないが、ノイと出会ったことは彼女の宝となるだろう。後で聞くとあの子は昨年のノイのサプライズコンサートできれいなドレスを着て舞台に立っていた。それがどんなことなのか、彼女の歌が教えてくれた。

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教育省が学校建設を推進するのは歓迎だが、本当に必要な学校は心の学校だと、つくづく思う。これは日本にも言えることである。

《ラオス散歩2013》(3)ビエンチャン ラオスの現実 

9月26日(木) 救急でない救急病院

翌朝はMさんの希望もあり、ビエンチャンの病院を見学する。先ずは救急病院に行ってみると、ちょうど救急車が到着。だが慌ただしい雰囲気は全くなく、病院のスタッフはゆっくりと移動ベッドを運び、救急車に乗ってきた家族が患者を自分で下ろし、病院内に運んでいた。因みにその救急車は中国からの支援品であった。

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病院内にも緊張感は殆どなく、これで救急の役目を果たしているのか、かなり違和感があった。ビエンチャン在住の日本人に聞くと誰もが一様に『もし交通事故や緊急の病があれば、すぐにタイに搬送する』と答えていたのは頷ける。緊急時には対応できない可能性がある。尚この病院の建屋などはルクセンブルグからの支援であった。

次に大型病院へ行く。広大な敷地、ゆったりした病棟。突然の訪問にもかかわらず、医師が救急治療室を見せてくれた。そこはMさんによれば、『救急治療でもなんでもない、一般病棟と変わりない』状態だという。ビエンチャンではバイク事故が多く、痛々しい患者が横たわっていたが、処置のしようがないらしい。

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医師は『全ての設備が足りない。スタッフも足りない。政府も援助してくれない。何とか外国からの援助が欲しいのだが』と訴える。最大の病院でこの状態であるから、ラオスの医療事情は想像以上に厳しい。

ラオスの投資環境

その後ビエンチャンでビジネスをしている日本人の紹介で、ラオス計画投資庁で顧問をしている日本人を訪ねる。私はこのSさんのセミナーをバンコックでも聞いていた。ラオスの立場としては『ラオスはタイの第2工場になりえる』というもので、コストの安いラオスに工場の一部を移転することにメリットがあるという。

だが私には労働生産性に観点から、そう簡単ではないように思われる。タイの人も昔はそれほど働かなかったというが、それが日本企業で勤勉に働くようになったのは、日本企業の教育の成果だろうか?ラオスは労働力でも第2のタイになりえるのだろうか?疑問は残る。

お昼は日本人ビジネスマンと日本食屋へ行く。普通の定食を食べたがまずまずの味だった。5₋6ドルするのはビエンチャンでは高級料理だろうか。彼は日本の会社からラオスに派遣され、農業をやっているという。『ラオスでは日本の技術を持ってくればどんな分野でも成功するチャンスがある。ここでビジネスすることにワクワクしている』と話す。

確かにラオスに必要とされるものを日本から持ってきて、きちんとやればチャンスは沢山あるだろう。大企業で決められたことをやるのではなく、自分が良いと思うことを地道にやっていく、1つの良い生き方だと思う。

ランチは終わったが、待ち合わせにノイが現れない。電話しても出ない。これは困った。仕方なく、近くを散歩。これはラオスタイムだろう。30分後ようやく彼女はやってきて、彼女のお母さんの家具工場見学へ。

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この工場は少し郊外にあり、のどかな田舎の中にあった。作業効率は良くなく、品質も向上しないという。従業員の意識の問題だろうか。大量の材料を購入してしまい、その処理が出来ていない、などマネージメントの問題も大きい。ラオスも近年貧富の差が広がり、若者のやる気を殺いでいる部分もある。

《ラオス散歩2013》(2)ビエンチャン 支援の打ち合わせ 

会計士事務所で打ち合わせ

ランチの後は、打ち合わせへ。ノイの進めている子供たちの教育支援プロジェクトについて話し合う。場所は前回タイのノンカイでも会った富裕一族の男性のオフィス。彼はここで会計士事務所を経営している。

 

彼の父親はかなり裕福な実業家のようで、ラオス一の企業、ビアラオの経営に参画したり、広大な土地を保有したりしている。現在もラオスの山岳地帯の土地を何かに生かせないかと検討中。日本企業に来てもらって、開発などをしたいようだった。

 

ラオスに不足しているもの、それは教育である。これまで日本の支援は悪く言えば『金を置いてくる』という形が多かったが、資金を生み出すためにも、支援を継続させるためにも、教育は勿論、その後の就業支援などについても、話し合われた。建築士であるKさんは建築・設計の分野で、医療関係のMさんはその分野で。協力できそうなことは沢山あるが、障害もありそうだ。

 

私としては協力の形はどうであれ、ノイの学校の再開が最重要課題だと思っており、その為の措置が取られることを期待している。あの障害を持った子供たちの歌、笑顔、今回彼らに会えないことは残念でならない。

 

続いてちょっと郊外へ行く。そこにはイベント会社を経営するノイの支援者がいた。タイ人の芸術家だが、ラオスに10年以上住んでいる。ラオスではタイ人を警戒しているが、彼は地道に理解されるよう努力し、今ではラオスで一定の地位を確保しているという。

 

会社の敷地内では特設ステージの組み立てが行われていた。来月ノイとモン族の女性たちのコンサートが計画されており、既に準備が始まっていた。彼女らをステージに立たせたい、そして収入の道を切り開きたい、という思いをこの会社の経営者も共有している。

 

ビエンチャンの食べ放題

夕暮れとなり、夕飯を食べに行くことに。このイベント会社の近くにきれいなレストランがあった。何とそこはビュッフェスタイル。今かなり流行っている店だという。相当数のラオス料理が食べ放題、敷地も広い。ここのオーナーはノイの知り合い。元モデルさんでとても愛想よく我々を迎えてくれ、写真入りの名刺までくれた。

 

夕日が落ちた頃、辺りを見回すと既にお客で一杯になっていた。一人約12米ドルの食べ放題、刺身などもおいてあり、料金は高いのだが、お客は沢山いる。ラオスも豊かな人は結構いるものだ。屋外の気持ちの良い風に当たりながら、ビールを飲む、いい雰囲気だ。

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子供連れ、家族連れが多い。平日でも夜は家族で食事、これがラオスの基本だ。着ぐるみのどこかで見たようなキャラクター、も登場し、子供たちだけでなく、大人も楽しそうにしている。

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因みにラオスでは日本製のわさびが大人気。わさびはラオ語でもわさびとそのまま発音しているのでわかる。この辛さが合うらしい。誰か日本からラオスのわさび作りに投資する人がいれば面白いと思うのだが、どうだろうか。

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 今回のホテル⇒グリーンパークホテル

とても居心地の良いホテル。

《ラオス散歩2013》 (1) ビエンチャン ノイちゃんのすごい演出

7月に続いてビエンチャンへ向かった。前回ラオスの歌姫ノイを紹介したKさんがMさんを連れてビエンチャンを再訪。お節介にも付いて行くことにした。ノイ支援プロジェクトは進むのか。

 

9月25日(水)

1. ビエンチャン

クアラオで一芸

前回乗ったラオセントラル航空でビエンチャンに降り立った。小さな空港は待たされることが無くてよい。空港ではノイがタイ人支援者、ソンキアット氏と一緒に待っていてくれた。早々に定宿のバヤコーンインに行き、チェックイン。

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ホテルで待ち合わせたはずのKさん、Mさんは見当たらない。どこかへ出かけたらしい。彼らは昨晩プノンペンからすでに到着している。Facebookで確認済みである。どうしたのか。午前中は大学教授とのミーティングがあったはずだったが。外を見るとKさん、Mさん、そして私が紹介したM氏が緩々と歩いてきた。

 

早速ランチへ。今回はラオスの民族舞踊が見られるクアラオという有名レストランへ行く。私は2006年に初めてビエンチャンへ来た時、行ったことがある。格式が高く、有名人が多く訪れる場所である。今回行ってみると小泉首相から野田首相、秋篠宮などの写真が飾られていた。

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お客さんは基本的に団体客だが、意外と少なかった。Mさんは昨晩食べたラオス料理が辛かったといい、今日は辛くない料理を頼む。黒米、魚の煮つけ、野菜炒めなど、日本人の口に合う料理が並び、皆満足して食べた。

 

ただノイは満足していなかった。舞台が目の前にあるのに、誰も歌わない、踊らない。それではと、彼女は立ち上がり、舞台へ。従業員もノイが何者かは知っているようで、期待を込めた視線を送る。ノイは突然Kさんを誘い出す。自分は琴、Kさんは太鼓の席に着く。即興のコラボが始まる。それは素晴らしい演奏だった。初めは何が起こったか分からなかったお客も、興味津々で見つめる。そして大きな拍手が。

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アンコールは谷村新司の昴。ノイは昔歌っていたが、数年封印したようで、それでも難なくこなす。さすがはプロ。横にはMさんが付き、太鼓を敲いて見せる。観光客のフラッシュを浴び、スター気分となる。ラオスの有名レストランでデビューを果たした2人は、このことを一生忘れないだろう。さすがの演出、ノイ。

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